
情報のノイズは、料理で言えば“薬味”なのかもしれない
最近、なんとなく思う。
便利になっているはずなのに、世界が少しずつ狭くなっている気がする。
YouTubeを開けば、自分の好きそうな動画が並ぶ。
Netflixでは、離脱されにくい構成の作品が作られる。
SNSでは、自分の価値観に近い情報ばかり流れてくる。
アルゴリズムは、確かに優秀だ。
こちらが興味を持ちそうなものを予測し、短時間で届けてくれる。
効率もいい。
タイパという言葉とも相性がいい。
でも最近、その「最適化」に少し息苦しさを感じることがある。
もちろん、便利なのは間違いない。
ただ、便利さと豊かさは、必ずしも同じではないのかもしれない。
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以前、Netflixや動画サイトの視聴データが映画制作に利用されている、という話を聞いたことがある。
どこで視聴者が離脱したか。
どのシーンで巻き戻されたか。
どのタイミングで停止されたか。
そういうデータを分析し、「最後まで見てもらえる作品」を作る。
合理的だと思う。
実際、テンポも良いし、刺激も適切に配置されている。
離脱されにくい構成になっているのだろう。
でも、その最適化が進みすぎると、作品同士が少しずつ似てくる。
安全で、わかりやすくて、満足度は高い。
だけど、どこか予測可能。
見やすいけれど、妙に記憶に残らない。
そんな作品が増えた気がする。
逆に、日本のアニメや漫画って、時々とんでもない熱量の作品が出てくる。
「誰向けなんだこれ」と思うような、妙なこだわり。
妙な間。
変なフェチ。
過剰な作画。
説明しづらい空気感。
効率だけでは説明できない“偏愛”が混ざっている。
もちろん日本のアニメ業界も商業化されているけれど、それでもどこか「オタクの執念」が残っている。
あれはある意味、“最適化され切っていない”からこそ生まれるものなのかもしれない。
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SNSも似ている。
アルゴリズムは、自分の好みに近い情報を優先して見せてくれる。
つまり、
「過去の自分」を強化する方向に働く。
あなたはこれが好きですよね。
では似たものを出します。
さらに似たものを。
もっと似たものを。
それは快適だ。
でも同時に、自分の外側に出会いにくくなる。
昔、本屋をぶらぶら歩くのが好きだった。
特に目的もなく棚を眺めて、装丁が気になって手に取る。
書店員のPOPに惹かれる。
全然興味のなかったジャンルなのに、見出しだけで開いてしまう。
あれって、かなり不思議な体験だったと思う。
自分で選んでいるようで、実は偶然に選ばされている。
でも、その“偶然”が面白かった。
本屋にはノイズがあった。
関係ない棚。
知らないジャンル。
自分の興味外の世界。
効率だけで言えば、検索したほうが早い。
おすすめ機能のほうが正確だ。
でも、検索では出会えないものがある。
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最近、「ノイズ」という言葉は悪い意味で使われやすい。
無駄な情報。
邪魔なもの。
効率を下げるもの。
でも本当にそうなのだろうか。
むしろ人間って、ノイズによって変化してきた部分も大きい気がする。
偶然聞いた会話。
関係ない雑談。
たまたま入った店。
意味もなく見ていた本棚。
そういう寄り道が、あとからじわじわ効いてくる。
そして最近思う。
情報のノイズって、料理で言えば“薬味”に近いのかもしれない。
山椒。
大葉。
茗荷。
柚子。
別に主役ではない。
むしろ癖がある。
好みも分かれる。
人によっては「無くてもいい」と感じる。
でも、それが入ることで料理の輪郭が変わる。
記憶に残る。
奥行きが出る。
季節感が生まれる。
情報も同じなのかもしれない。
役に立つ情報だけでは、人間の感性は少しずつ痩せていく。
だから本来、
・関係ない本
・偶然の出会い
・理解できない作品
・違和感のある意見
・知らない文化
みたいな“ノイズ”が、思考に深みを与えていたのではないか。
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飲食店も少し似ている。
効率だけを求めれば、
・QR注文
・回転率
・オペレーション
・SNS映え
・均一化された接客
の方が強いのかもしれない。
でも、記憶に残る店って、意外と“無駄”がある。
店主との雑談。
常連との距離感。
ちょっとした間。
空気感。
妙な居心地。
効率化だけでは作れない部分。
そして多分、人間ってそういう場所を完全には捨てられない。
むしろ、最適化が進む時代だからこそ、そういう“余白”を求め始めている気もする。
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今の時代、「最適化」はほとんど正義のように扱われている。
でも、本当に豊かなものって、少しノイズを含んでいる。
遠回り。
寄り道。
偶然。
違和感。
それらは効率だけで見れば、無駄なのかもしれない。
ただ、その無駄があるから、人間の感性は少しずつ更新されていく。
だから最近は、あえて本屋をぶらぶら歩きたくなる。
自分の知らないものに、偶然出会うために。