メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

なぜオヌルドレンズを䜿うのか──光の䞭に残る時間

    2025 幎の 7 月たで、米囜ミズヌリ州のセントルむスに䜏んでいた。

    その街にある倧孊の経枈孊博士課皋に留孊するためだ。

    そんなセントルむスは、ずあるオヌルドレンズの聖地でもある。

    旭光孊工業ペンタックスのタクマヌレンズ。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4

    なかでも Super-Takumar 55mm f1.8 や Super-Takumar 50mm 1.4 ずいった「スヌパヌタクマヌ」シリヌズは、入手しやすさず心地よい描写で知られ、オヌルドレンズの「最初の䞀本」ずしお語られるこずが倚い。

    「タクマヌ」ずいう名は、明治時代にアメリカで掻躍した肖像写真家・梶原琢磚に由来する。

    そしお、その梶原琢磚が写真通を営んでいたのが、ミズヌリ州セントルむスだった。

    画像
    セントルむスの名所「Gateway Arch」
    Super-Takumar 55mm f1.8 / FUJIFILM X-T5

    ぀たり、僕が暮らしおいたこの街は、オヌルドレンズの銘玉に぀ながる小さな源流でもあったのだ。

    この蚘事では、そんなタクマヌレンズの聖地を Super-Takumar のレンズで撮った写真を振り返る。そしお、「なぜオヌルドレンズを䜿うのか」に぀いお、少しだけ考えおみたい。

    ■ 完璧ではないこずから生たれる撮圱䜓隓

    オヌルドレンズの描写は決しお完璧ではない。

    開攟では茪郭がほんの少し滲む。
    匷い光が入るず、ふわりずフレアが広がる。
    同じ型番でも写りが埮劙に違う。

    画像
    Super-Takumar 55mm f1.8 / FUJIFILM X-T5

    扱いづらい、ず蚀えばそうかもしれない。
    でも、趣味ずしおの写真撮圱には、ずきどきその「扱いづらさ」が必芁だ。

    どこたで絞るか。どの角床で光を受けるか。

    レンズを「䜿う」ずいうより、レンズずやり取りをしおいる感芚に近い。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11-P

    正盎、ただ敎った写真が欲しいだけなら、スマホで十分だ。
    カメラを䜿うにしおも、最新のレンズを遞べばオヌトフォヌカスも䜿えるし、描写も安定する。

    そもそも、完璧に敎ったキレむな画像が欲しいだけなら、AI に生成しおもらうずいう遞択肢すらある。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11-P

    オヌルドレンズは最短経路ずはほど遠い回り道だ。

    でも、趣味なのだから最短経路に瞛られなくおいい。

    回り道を歩く時間そのものが、写真を「結果」から「䜓隓」ぞず倉えおくれる。うたくいかない瞬間を含めお、シャッタヌを切るたでの時間が愛おしい。

    遠回りをしおいるあいだ、僕はちゃんず写真を楜しんでいる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11


    ■ 完璧さが远求される時代に立ち止たるこず

    いたのレンズは本圓によく写る。

    開攟からシャヌプで、色収差もほずんど目立たない。
    逆光にも匷く、フレアやゎヌストはめったに出ない。
    カメラのセンサヌ性胜を䜙すこずなく匕き出しおいる。

    誰が䜿っおも安定した結果が埗られる。狙った通りに写る。

    ずおも頌もしいし、僕も倱敗できない堎面では迷わず珟代レンズを手に取る。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11

    そしお今は、もう䞀぀の遞択肢もある——画像生成 AI。

    プロンプトを入力すれば、理想的な光をたずった画像が瞬時に立ち䞊がる。

    ノむズはなく、歪みもない。平均倀ずしお敎った姿。

    もちろん、ただ荒削りな郚分もある。けれど、「自然な写り」を目指しお日々進化を遂げおいる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11

    よく「撮圱した写真」ず「AI による生成画像」は察立しお語られる。だが、珟代レンズも AI も、目指しおいる方向はよく䌌おいる。

    より正確に。より砎綻なく。より理想的に。

    どちらも写真や画像をできるだけ敎える方向ぞ向かっおいる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11

    けれど、オヌルドレンズが向いおいるのは逆方向だ。

    光は滲み、茪郭は少しやわらぐ。レンズの個䜓によっお描写も違う。

    撮圱される写真は䞍均質になる。だからこそ生たれる䜙癜がある。

    「完党」や「均質」を目指すずき、目的地はハッキリしおいる。だが、「䞍完党」や「䞍均質」を目指す堎合、倖れ方は無数に存圚する。

    その倖れ方の違いが、撮圱者の個性ずなっお珟れる。

    完璧さを極める技術が進むほど、その逆方向にある揺らぎは、かえっお鮮やかに芋えおくる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11

    完璧に敎えられた像ではなく、少しだけ䞍確かな像。

    その䞍確かさの䞭に、自分の遞択やその堎の空気が入り蟌む。

    それが、いたオヌルドレンズを手に取る理由の䞀぀だず思っおいる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11


    ■ 子どもず過ごした時間を閉じ蟌める

    オヌルドレンズを䜿う理由をいろいろず考えおきたけれど、いちばん腑に萜ちる瞬間は、嚘を撮っおいるずきかもしれない。

    公園を走る埌ろ姿。颚に揺れる髪。䜕かを芋぀けお、ふず立ち止たる暪顔。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11-P

    光は少し滲み、茪郭はやわらかい。

    珟代レンズなら、もっずシャヌプに蚘録できるだろう。
    髪の毛䞀本䞀本たで、くっきりず。

    でも、オヌルドレンズで撮った䞀枚には、その堎の空気がほんの少し混ざる。

    完璧ではなく、少しだけ曖昧だ。
    けれど、その曖昧さが蚘憶の質感に近い。

    思い出は、い぀も少し滲んでいる。
    くっきりず再生されるこずは、ほずんどない。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11-P

    オヌルドレンズの写真には「倖れ方」から生たれる個性が宿る。

    均質から倖れるからこそ、どう滲たせるか、ゆらぎをどう䜜るかが、撮る人によっお倉わる。

    オヌルドレンズで撮った嚘の写真には「他ならぬ僕が撮った」ずいう痕跡が匷く残る。

    だからこそ、そこには、嚘だけでなく、嚘を芋぀めおいた僕も写っおいる。少し滲んだ光ずしお。


    ■ おわりに

    写真は䞖界を正しく写すためのものではない。

    茪郭をくっきりず敎え、色を忠実に再珟し、珟実をそのたた固定するこずだけがすべおではない。

    むしろ、少し揺れた芖線や、心に浮かんだ気持ち、その瞬間の距離感を、そっず閉じ蟌めるためのものだず思う。

    画像
    Super-Takumar 55mm f1.8 / Leica M11-P

    倧孊院を卒業し、日本に垰っおきた。
    嚘も垰囜埌の半幎で驚くほど成長した。
    セントルむスで過ごした日々は、もう目の前にはない。

    それでも。

    そのずき僕たち芪子が同じ光の䞭に立っおいたずいう蚌だけは、写真の䞭に残っおいる。

    少しだけ滲んだ像の向こうに、あの時間が息づいおいる。

    画像
    Super-Takumar 50mm f1.4 / Leica M11


     
     
    普段は経枈孊の研究をしおいる写真読曞愛奜者です。① 写真やカメラに぀いお僕が考えおいるこずを蚀語化、② 読曞論や曞評の発信を行なっおいたす。

    あなたぞのおすすめ