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自然から生まれ、自然に育まれ、自然に還っていくのだから

     たっぷりと雨が降り注ぐ、梅雨のある日の帰り道、5歳の息子が、保育園で歌った「せかいじゅうのこどもたちが」という曲が好きなんだと、お話してくれた。私も小さな頃何度も歌った歌だなあと思い返す。古いけれど、夫がプレゼントしてくれてお気に入りの、淡い水色のラパンを運転しながら、私もゆっくりと口ずさんでみた。息子と、息子の隣に座っている3歳の娘も、可愛らしい声で一緒に歌った。

    せかいじゅうの こどもたちが
    いちどに わらったら
    そらも わらうだろう ラララ
    うみも わらうだろう

     私は、「おとな」として、思いがけず胸にじわりと滲む、なんとも言えない感覚を味わった。「こども」の時には全く感じたことのない感覚だった。スマートフォンを指でなぞれば、何でもできるような気持ちになる文明を発展させたところで、痛ましい戦争の知らせは絶えることのないこの世界。
     私は歌いながら、世界中のあらゆる人種の子どもたちの笑顔と、明るい空と海を、目に浮かべてみたのだー。

     今から7年前、25歳での結婚・妊娠を期に、私は想いあって公務員の職を辞めた。夫と一緒に福岡市の中山間地域に移り住み、有機野菜の定期宅配事業を始めた。私は、ひとりの母親として、素朴で切実な想いを胸に抱いていたー。暮らし・子育て・仕事を、自然豊かな環境でしたかったということと、毎日安心して食べられるものを、自分たちの手で作りたかったということだ。

     九州大学農学部の作物学研究室で、イネの研究をしていた夫の想いは、自然への畏敬の念と、生きものへの深い慈しみにあった。
     中山間地域では、薮に覆われた耕作放棄地や空き家が年々増えている。戦前は当たり前だった「有機農業」をこの地域で行うことは、「里山の自然」を未来へ継承することに繋がる。山や川の生態系に、農薬や除草剤の影響を与えることがないからだ。「里山」は、人と自然が美しく調和した環境であり、心安らかに交わることのできる場だ。さらには、川の最上流の環境が保全されることは、川の中流〜下流〜海の自然を守ることにも繋がると考えている。

     私たち夫婦と、一緒に働いてくださる素晴らしいチームは、ただ農業をしているのではない。人間は自然を必要以上に脅かしてはいけないし、子どもたちに豊かな自然を継承することは使命だと想い、日々生きている。

     田んぼの水面が空を映し、トンボが飛び交い、バッタや蛙がぴょんぴょんと跳ねる里山。梅雨直前のやや湿度の高い夜に、蛍が瞬くきよらかな川辺。

     実際に移り住んでみると、この地域に長く住むご高齢の方々が、いかに日々丁寧に草刈りをし、山や田んぼの手入れをしているのかということに驚いた。一年でも手入れをしなければ、一瞬と言って良いほどすぐに土地は荒れ果ててしまう。皆さまのあたたかい笑顔とまなざし、80代になってもがっしりとした足腰、たくさん働いてきた分厚い手のひらが目に浮かぶ。
     肉体的にきつい仕事が多く、ご先祖様と、継承した土地への愛情がなければ、とてもできる仕事ではない。人の想いと働きが弛まず注がれることによって、誰もが心安らぐ、ふるさとの「里山」は保たれるのだと、移住してきた私は畏れ入った。

     今朝、ピーマンが風で倒れないように、支柱とマイカー線で補強をしに行った。ピーマンの葉には、おたまじゃくしから姿を変えたばかりの、豆粒ほどの大きさの蛙がぴょこぴょこ飛んでいた。その側で、ニホンミツバチが花に小さな頭をうずめて、せっせと蜜を集める。太陽がじりじりと照りつけ、汗が止まらない暑さだったが、小さな生きものたちがあまりにも愛らしくて、私は頬を緩めた。

     先月、市街地や都市部に住む方々を招いて、新じゃがいもを掘った日には、草むらに数えきれないほどのバッタが飛んでいた。土を手で掘ると、じゃがいもだけではなくて、土に棲む小さな生きものたちがわき出てくる。落ち葉を集めて作った培養土の山には、カブトムシの幼虫もたくさん眠っている。
     年長〜小学生ぐらいの子どもたちは皆、目をきらきらとさせた。思いっきり笑って、大きな声で話した。落ちていた木の棒きれや、虫取り網を手に握り、思いのままに走り回った。ちいさな子どもたちも、土に座り込んで、テントウムシや草花と静かに触れ合っていた。

     「子どもたちを自然に触れさせたい」と切実に願っている親御さんは多いと感じる。まず、親御さんご本人たちも、車から降りると、「空気が美味しい」と伸びをする。気持ちが沈んでいる人は、畦道でぽかんとしたり、雑木林の中で木漏れ日を感じているだけで、静かに癒されていくものだ。この仕事を始める前の私自身もそうだったから、気持ちはとてもよく分かる。

     こんな日々の中で、「人が生来持つ自然への愛情は、どこから来るんだろう」という問いが浮かんだ。しばらく考えていて、それは、わたしたち人間が、自然から生まれ、自然に育まれ、自然に還っていく存在だからなのではないかと考えた。

     子どもたちがわたしのお腹にいた頃、「大きくなあれ」などと思わなくても、日々お腹はまあるく大きくなり、時が満ちて、満月の夜に赤ちゃんが産まれた。出産予定日を何日も超えて私は慌てたけれども、ベテランの助産師さんは、辛抱強く、深い愛情で、赤ちゃんの自然に産まれるタイミングを待ってくださった。胸に抱いた小さな赤ちゃんは何も教えなくても、目を閉じたまま私のおっぱいを探しあて、夢中で吸った。
     考えてみれば、わたしたちは心臓の鼓動の一回一回も、自分で動かしているのではないし、髪の毛の一本も自分の意志で生やすことはできない。身体そのものが、自然なのだと思う。

     自分たちが生まれ、育まれ、やがて還っていく場所を大切にすることは、自分たちと後の世代を深く愛することなのだろう。私たちは、本能的にそれを知っている。

     「せかいじゅうのこどもたち」が笑うためには…と再び想いを馳せる。私は、「おとな」が足るを知るということなのだと思う。
     自分たちが生まれ、育まれ、やがて還っていく地球の資源を貪らずに、小さなこと、ささやかなことに感謝しながら暮らし、身体を動かして働き、先の世代の子どもたちへ、自然の中から得た本物の智慧を継承する。

     近年の里山と言えば、熊の被害・土砂災害のニュースを沢山耳にした。「すべては、偶然ではなく必然かもしれない。災害ではなく人災かもしれない。」そんな風にも思う。私は、「まずは一隅を照らすことから始めよう」と想いながら、今日もこの里山で生きている。





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