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40歳手前でうつ•パニックになり克服したはなし

    最初に体調の異変を感じたのは約17年前ことでした。

    ちょうど娘が幼稚園に上がり、息子は小学2年生でした。

    夫は激務で出張が多く、完全にワンオペ育児。

    胸がドキドキして息苦しさを感じて、あれっと思うことが時々ありました。

    思い返せば、同窓会で久しぶりに都内に出て、帰りの電車で動悸やめまいで具合が悪くなるということもありました。

    当時はただ疲れてるんだな、と思っていて寝れば治るだろうくらいに考えていました。

    娘が4歳になった頃、同じ市内ですが引越しをして(夫は海外出張中)、その直後娘が川崎病にかかり、3週間付き添い入院。
    治ってまた数ヶ月後に今度は紫斑病にかかりまた入院。

    しばらくして東日本大震災が起こりました。

    見えないものへの恐怖と将来への不安が募ってきて(最初にコロナが出てきた頃の状況に似ているかも)動悸は悪化していきました。

    まだそのときも自分が病気なのかも、という意識はなかったのです。(病気ではないと思いたかったのかもしれません)

    ちょうど娘が年長になったと同時に幼稚園の役員に選ばれて、日々幼稚園に張り付いているような生活をしていました。

    園とご父兄に間に挟まれて大変なことも多々ありましたが、子供のためだからと、今から思えばかなり無理をしてがんばっていました。

    同じ頃にストーキングされるという怖い思いもしていました。

    毎日不安でいっぱいになっているところに、あるショッキングな出来事が起こってしまったのです。

    ここでは詳しくは書けないのですが、その直後、殺されると思うくらいの恐怖を覚えて、私は身体中の力が抜けてへなへなと地面に崩れおちました。

    決して刃物を向けられたとか、危害を加えられたわけではなかったのですが、身体はそう捉えて記憶してしまったのです。

    結果的にこの出来事がトラウマになり、後にPTSDと思われる症状がいくつも出てきました。

    その出来事に関係する人物を避ける。
    見かけたら一目散に走って逃げる。
    悪夢を見ては夜中に何度も目が覚める。

    ちなみに夢の中では何度も死んでます。
    折しも、当時アメリカの連続ドラマの24にハマっていまして、夢の中ではジャック•バウアー並みのアクションを繰り広げておりました。

    朝起きたらクタクタ。
    動悸は日に何度も出るようになり、人に会うのが苦痛になり、食欲も無くなりどんどん痩せていきました。

    そしてある朝、とうとうベッドから起き上がることができなくなりました。


    からだが石のように硬くて、重たくて、ダルくて、何も考えられなくて、感情も全然わいてこない状態。

    この頃、病院に行っていたとしたら間違いなく鬱と診断されていたと思います。

    やっと何とかして活動できるのは夕方5時過ぎから。
    このあとの動ける数時間で最低限の家事や子供のことをこなしていました(多分)。

    実はこの頃の時間の感覚や記憶があやふやなのです。

    自分はまるでいくら充電してもすぐに電池の残量がなくなってしまう携帯電話のようでした。

    役立たず。
    ダメな母親。
    ダメな妻。
    みんなが出来ていることが出来ないダメ人間。

    そのうち頭がおかしくなっちゃうのかな?
    このまま死んでしまうのかな? 

    子供たちを置いて絶対に死ねない!死にたくない!

    自分を責める声と生きるのが辛いという声がいつも交互に聞こえてきました。

    その声を聞きながら、暗い深い海をゆっくりゆっくり沈んでいく。
    そんな感覚を覚えながら日々を過ごしていました。

    ある日のこと。

    いつものように何時間もネガティブな思考にどっぷり浸かりながら、その頃飼っていた熱帯魚の水槽をボーっと眺めていました。

    おなじみの自分を責める声が聞こえてきましたが、その日はいつもとちょっと違うようでした。

    思考の声を聞いていると、だんだんとエネルギーを帯びてきました。

    こんなのはもういやだ、こんな生活はしたくない、こんな人生はもういやだーーー!!

    と声には出さないけど叫びました。

    すると、自分ではない声が聞こえてきたのです。

    聞こえると言っても身体に響いてくる感じ。

    その声はこう言いました。

    「じゃあ、どうしたいの?」

    一瞬ワケが分からず、自分はとうとう頭がおかしくなったのかと思いました。

    でもその声は全然怖くなくて、むしろ前から知っているような親しみがある感じさえします。

    私はこう答えました。

    「楽になりたい。こんな苦しい人生じゃなくて、楽しい人生を生きたい!!」

    そう言った瞬間、不思議な感覚が襲ってきました。

    楽になりたい!といってる自分を外から見ている自分がいるような感じがしたのです。

    どうしたいの?と聞いたのが自分??

    あれ?どうなってる?

    じゃあ、今ここで苦しくてもがいている自分はだれ??

    説明しづらいのですが、自分が今まで自分だと思っていたのが自分ではなかった。

    一瞬、そんな感じがしたのです。

    自分でも訳がわからずしばらくボーっとしていました。

    そうしていると、ふと、ずっと底がないと思っていた海の底に足が着きました。

    私は海の底を思いきり蹴りました。

    頭を上げると、うっすらと光が差しています。

    私は光を目指してゆっくり
    ゆっくり浮上していきました

    この不思議な体験をきっかけに、徐々に自分に力を取り戻していったように思います。


    あの不思議な体験から、自分に何が起きたのかが気になって、知りたくて、ありとあらゆる本やブログなどを読み漁りました。(スピリチュアルなものが多かった)

    山川紘矢•亜希子さんご夫妻の著書や翻訳された本はほとんど読みました。

    小説だとパウロ•コエーリョ(アルケミストの著者)。

    この時期に、後に師匠となる溝口あゆかさんの著者やブログも読み始めたと思います。

    いろいろと読んで調べていくうちに、一つの答えに導かれていきました。

    それは、、、

    この苦しみの原因の全ては、、、

    自分自身にあるということ。

    !!!

    人生における不安や悲しみ、苦悩や生きづらさは自分が作りだしているということです。

    えー!?そんなわけない。。。

    だって、〇〇は私にこんなこと言って、こんなことしたし。

    子供の病気や人間関係の問題の全てにおいて私に責任があるわけではないし。。。

    ましてや天変地異なんてどうしようもできない。。。

    そんな声が自分の中にありました。

    でもね、実は薄々なんとなくわかってた。
    どこかで誰かのせい、状況のせい、世の中のせいにしたかった。

    そうでなければ、こんなに惨めで悲しくて、打ちのめされている私がかわいそうすぎる。。。

    このことが腑に落ちたのは、どの本を読んでいたときかは忘れてしまったのですが、「自分を赦す」というくだりで、

    自分のあらゆる思い、行いの全てを受け入れて自分をゆるしましょう。そこから癒しが始まる。

    みたいな部分だったのですが、それを読んでハッとしました。

    常に自分を責め続けてきたことにようやく気づいたからです。

    まだ努力が足りない、まだ目指すレベルに達してない、まだ良い母親とはいえない、まだ〇〇できていないetc.etc.

    いつも今の自分を全否定して、自分の心の声を無視し続けて、一番味方でいてあげなきゃいけない自分をいじめ続けて、挙げ句の果てに動けなくなってしまった。

    本当にごめんね、私。

    そんな思いでいっぱいになりました。

    「じゃあ、どうしたいの?」と聞こえてきた不思議な声は、そのことに早く気づいて、というわたしから私へのメッセージだったような気がします。

    自分をゆるすプロセスを経て、気づいたらかなり動けるようになっていました。

    でも完全復活とはいえません。

    まだ電車に乗って遠出する自信はなかったし、人付き合いもごく限られた人達との間だけ。

    この頃、私は決意します。
    とことん自分の心身に向き合い、治していこうと。

    助けを借りるということがなかなか出来なかったのですが、ここでようやくその決心がつきました。


    私は自分自身に真っ向から向き合い、治すことを決意します。

    ある意味、それは当時の自分の人生における目的でもありました。

    振り返ってみると、自分で自分を治すんだという決意表明は後の自分にとってとても大事なことだったということがわかります。

    辛いときは、藁にでもつかむ思いで誰かに助けを求めることもあるでしょう。 

    しかし、ずっとそのままでは誰かに、または何かに依存してしまい、いつまでたっても自分の軸で生きていくことができなくなってしまいます。

    時間はかかっても本当の癒しは自分の内から起こるものなのです。

    心理セラピーの存在を知り、とても惹かれていたのですが、まだ心の中で躊躇がありました。

    また、どうやってセラピストに辿りつけばよいのか分からず、その時とった行動はまず心療内科を訪れることでした。

    病院に行くと決めても、誰か知り合いに見つかるのではないかという不安があったりしてなかなかハードルが高く、実際に病院に行くまでには少し時間がかかりました。

    やっとの思いで病院にたどり着くと、まずたくさんの質問票を渡されました。
    同じような質問ばかりだなと思いながらも全て回答しました。

    その後、診察室に入ると年齢が近そうな女医さんが迎え入れてくれました。
    そのときは、この先生が救ってくれるんだと心底ホッとしたのを覚えています。

    しかし、ほどなくしてその期待は裏切られてしまいます。

    私の病名は不安障害(パニック障害)と診断されました。
    恐らくそうだろうなと想像はついてましたが、改めてお医者さまから言われて少し安心しました。

    初回はカウンセリングが30分あり、私は出来る限りなぜ自分がこうなってしまったかということをお伝えしました。

    話しは聞いて頂けましたが、会話の途中でふと先生から思いがけないことを言われ、私は戸惑ってしまいました。
    (当時の私の解釈ですが、ある意味私を非難するようなことを言われた気がしました)。
    その日は薬を出されて帰りました。

    その後の診察は10分前後で、先生に対するモヤモヤが消えることはありませんでした。

    抗不安薬はパニック特有の胸がザワザワする感覚は軽減されたのですが、身体が重たくダルくなり生活の質はかえって下がってしまったような感じがしました。

    それを先生にお伝えすると、じゃあ次は向精神薬に変えましょう、と。

    その時になんだかとても怖くなったのです。
    このまま薬を飲み続けることになるのだろうか、もっと今後増えるのだろうか、本当にこれで治るのか、と。。。

    結局、約半年間通院しましたが、先生にはもう良くなりましたと伝えて通院をやめることにしました。

    (いま現在、通院されていたりお薬を服用されている方に申し上げたいのは、これはあくまでも私のケースなので、勝手な判断で通院することやお薬をやめることはしないでくださいね)

    さて、今後どうしようか。。。

    数ヶ月後のこと。

    唯一私がパニックであることを打ち明けた友人があるイベントに誘ってくれました。

    同じ市内でハーブ、フラワーエッセンス、カードリーディングやヒーリングなどのサービスを提供する方々が一同に集まる癒しイベントがあったのです。

    多くの方が集まる中、ふと目を引いたのがヒプノセラピストのブースでした。
    (ヒプノセラピーとは催眠療法のことです)

    もともとセラピーに興味があったので、迷わずこの方の列に並びました。

    これが私とハルさんの出会いでした。

    ハルさんはざわざわした会場の中でひっそりと咲くお花のようでした。
    彼女の周りだけ空気が、少し違う感じがしたのです。

    後からお聞きしたのですが、ハルさんは特殊な能力をお持ちで、ハイヤーセルフからのメッセージをチャネリングすることができるのです。

    セッション中に、ハルさんが「あなたの中に泣いている小さな女の子がいます」と教えてくれました。

    正直、初めてそんなことを言われたので大変びっくりしたのですが、なぜかそうかもとしれないと思えるようなしっくりとくる感覚がありました。

    数日経ってもなかなかその事が頭を離れることはありませんでした。

    ハルさんにお会いしてから2週間程経ち、その間ずっと小さな女の子のことが気になっていたので、いよいよセラピーを受けてみようと思い立ち、予約を入れました。

    意を決してハルさんの元を訪れた日のこと。

    ハルさんのセッションルームはご自宅マンションの一室です。

    シンプルで落ち着いたインテリア。
    ふんわりと良い香りのアロマが焚かれて、心地よいヒーリングミュージックが流れていました。

    期待と緊張が入り混じった状態で伺ったのですが、その空間にいるだけでリラックスできました。

    ハルさんにお会いするのはニ度目だったのですが、この人にだったら自分のことを何でも話しても大丈夫という安心感がありました。

    最初のセッションは、たしか何が一番気になるのかを丁寧に時間をかけてヒアリングして頂いたと思います。

    ハルさんの優しくすうっと身体に染み込んでくるような声でヒプノセラピーのセッションは始まりました。

    頭も身体もふわふわしてきます。
    なんだか夢を見ているみたい。

    そんな夢心地のなかで物語りを聞いているような流れでセッションは進んでいきます。

    時折、声が近くなったり遠くから聞こえてきたり。

    何度も寝てしまいそうになりながら(実際何度も寝落ちしている)気づくとセッションは終わっていました。

    何だか不思議だけど、心地よい。それが最初のヒプノセラピーの印象でした。

    ヒプノセラピーは催眠療法ともいわれ、催眠を用いてトランス状態に導くことによりクライアント本人が持っている回復力や成長力が蓄えられている潜在意識の資源の活用を促すセラピーです。

    潜在意識からのメッセージの受け取りを手伝うなどの方法でクライアントの気持ちを癒すことができるのです。

    私の中にいる”泣いている小さな女の子”

    それはインナーチャイルド

    マトリックスリインプリンティングという心理療法的にはエコーと呼ばれる潜在意識にあるイメージ
    (ECHO: energetic conscious hologram)

    どちらもトラウマ的な出来事が起こったときに、私たちの意識が精神的•肉体的にそれに耐え切れない場合に、その意識の部分を切り離すことによってできるエネルギー的に存在する人格をもつイメージです。

    そのイメージが自分の潜在意識に留まり続ける限り、私たちはそのイメージを通して物事を認識するのです。

    潜在意識上では、記憶の中での出来事が現在進行形で私たちの中で起こり続けています。

    それゆえにトラウマから生じた苦しいイメージを持ったままだと現実世界で生きづらさを感じるのです。

    ハルさんのセッションの中で、この女の子がどの時点で私の中に現れたのかがわかりました。

    それは当時私が10歳のときのこと。
    父の海外赴任に伴い、私たち家族はアメリカのLAに引っ越すことになりました。
    そして渡米して5日目のことです。

    仮住まいの家に移った翌朝、妹が大怪我をしました。
    ピカピカに磨かれたガラスがあるのに気付かず、外に出ようと勢いよく走ってガラス窓に突っ込んでしまったのです。
    ガシャーンという大きな音と母の叫び声で、隣の部屋にいた私は慌ててその場に行きました。

    妹は上半身が家の外に出て、下半身は家の中にある状態で、母がなんとか抱き起こして部屋に入れたものの、太ももに2箇所バックリ割れた傷がありました。

    傷の生々しさや半狂乱になっている母の姿。
    家に電話が通ってなかったので、母が家の外に飛び出して助けを求めにいく様子。
    びっくりしてキョトンとしている妹。(傷が深かったので神経まで切れてしまい痛みを感じなかったらしいです)

    やがて救急車が来て病院に向かい、到着するとすぐに手術をするため母と妹は手術室に向かい、私は置き去りにされました。
    実はそれ以降の記憶がありません。

    後から聞いた話しでは、父親が病院に着くまで私は一人で泣きながら待合室にいたそうです。

    不安と恐怖と孤独で耐え切れなくなった私は乖離(自分を守るために意識の一部分を切り離す)してしまったのです。

    その後、手術は成功し妹は順調に回復していきましたが、私に起こったトラウマは解消されずに大人になるまでずっと私の中に動かぬエネルギーとして取り残されていたのです。

    怪我をしたのが私ではないので、親も自分も妹の事故が私のトラウマになっているとは思いもよらないことでした。

    誰のせいでもない、不慮の事故だったのですが、この日を境に私は親、特に母に助けを求めることができなくなりました。
    家族と一緒にいても自分だけとても遠くにいるような居場所がない感覚がずっとありました。

    この先、何が起こっても全て自分で解決しなければならない。
    10歳の私は心にそのような誓いを立ててしまい、それは潜在意識に深く刻みこまれていったのです。

    大人になり、事故のことはすっかり忘れてしまっていましたが、生きづらさが変わることはありませんでした。

    傷ついた小さな女の子を通して見る現実はいつも厳しく辛いものであり続けたのです。

    インナーチャイルドを通して見る現実世界とはどんな感じかというと、、、

    (私ぎ場合)
    周りは自分よりも大きくて、力があって、優れている。

    反対に自分は小さくて、弱くて、何をやってもダメな存在。

    潜在意識にそのようなセルフイメージを持っているため、いつも人の顔色を伺い、立場が悪くならないよう立ち回り、人一倍努力をして周りから置いていかれないようにしなければなりませんでした。

    常に頭をフル回転しているような状態で、

    がんばってもがんばっても足りない感覚、不安がつきまとい、

    一日が終わると疲れてヘトヘトなのに、楽をしたりリラックスすることはダメなことだと思っているので限界まで自分にムチを打ち続けました。

    若い頃は体力があり、何とかこんな状態でもやっていけたのです。

    外から見たら、私の人生は上手くいっているように見えていたかもしれません。

    大人になり、結婚して育児中心の生活になっても心に余裕はありませんでした。

    その後、調子が悪くなっていったことは最初の方で書きました。

    インナーチャイルドの存在を知り、潜在意識の思いを通して繰り出される自分の言動の数々が、心身の不調という結果に繋がったということがはっきりと腑に落ちたのです。

    ハルさんのヒプノセラピーセッションを受ける度に深くリラックスできるようになり、身体も心もずいぶんと楽になっていきました。

    セッション中に寝てしまった場合も潜在意識にはちゃんと届いているとのことだったので安心しました。(大体いつも寝落ちしてしまっていたので)

    気づくと以前より無理なく行動範囲が広がっていきました。

    小さな変化なのですが、出来なかったことが出来るようになるってなんてうれしいことなんだろうと感激し、

    セッションルームに通う足取りが軽くなり、いつしか私の楽しみになりました。

    もう大丈夫かなと思えてきた頃、ハルさんの講座を受講することを決め、

    ヒプノセラピー、カウンセリング、フラワーエッセンス、数秘術を教わりました。

    どれもハルさんがセッションのツールとして使っているものばかりです。

    惜しみなく丁寧に教えて下さり、学びながら癒しが進んでいったようでした。

    ハルさんには今でもとても感謝しています。

    ハルさんのもとで、数秘術やセラピーを学んだ私は次のステップへと進んでいくことになります。

    以前からロンドン在住の心理セラピスト、溝口あゆかさんのファンであった私は、インテグレイテッド心理学に出会います。

    インテグレイテッドは融合、または統合という意味です。
    インテグレイテッド心理学は、「心の仕組みと」と「非二元(悟り)の教え」を統合させた、溝口あゆかさんが提唱している心理学です。

    非二元とは、元をたどればインドのウパニシャッドにさかのぼる「真実の教え」と言われています。

    しかし教えといっても誰かの考えや理論ではなく、自然科学に基づき、ものの在り方や人の心の機能やしくみをありのままに観察することを指し、あゆかさんは「解剖心理学」ともおっしゃっています。

    何だかよく分からないけど、妙に魅かれるこのインテグレイテッド心理学をいつか学びたいと思っていたのですが、案外その日は早くやってくることになります。

    (結局、あゆかさんや他の講師の方からも受講し、計4回受けました。それでようやく理解できた感じです)

    そのうちのお一人である下田屋寛子さんは、15年に渡りパニック障害と向き合い、自らの力で寛解した強者セラピストです。

    寛子さんとはもともとお知り合いではなかったのですが、偶然にも共通の知人(高校時代の友人)がいて、当時ロンドンにお住まいだった寛子さんに無謀にも突然メッセージを送りました。

    そして、図々しくも帰国されるタイミングで彼女のパニック講座を自宅開催してもらえるようお願いしました。

    当時、私の症状はかなり良くなっていたのですが、まだ完璧に治ったとは言えず、また友人がパニックで困っている方が数人いたのです。

    寛子さんは突然のこんな無理なお願いを快諾してくださり、講座開催の運びとなりました。

    このご縁で、寛子さんのセッションを受けることになります。

    寛子さんも参加された、あゆかさん主催のセラピスト養成講座は毎年ロンドンで行われていました。

    ロンドンに行くには費用がかかる。
    お金を貯めて、子供の手が離れたら、
    いつか参加できたらいいなと考えていました。

    すると、ある時寛子さんから、あゆかさん来年は日本でやるらしいよ!と聞いたのです。

    胸が躍りました。
    絶対に参加したい!

    そしてその願いは叶うのです。

    今まで目の前でびくともせずに閉じていた重いドアが開いた!

    ドアの向こうは、限りなく広く、自由で、好きなように進んでよい、そんな感覚がありました。

    そして2017にOAD(Open Awareness Dialogue)セラピスト養成講座に参加します。


    あゆかさんを始め、素晴らしい講師のセラピストの方々や仲間に出会い、

    セラピーや癒しについて学び、自らの癒しも進んでいき、

    1年のコースがあっという間に終わりました。

    私はまだセラピストとして仕事をするつもりはありませんでした。まだ自分の腕に自信がなかったのです。

    月日が流れ、

    ある日、散歩しているとふと「神の道具になりなさい」という声がふんわりとわたしの中に入ってきました。

    神の道具になる、とはキリスト教では良く聞かれる言葉ですが、人の役に立ちなさいという意味です。

    このメッセージを受けたときは、これこそ私の今世のミッションなのだと思えました。

    そして、いつか自分のタイミングが来たそのときに自分の役目を果たそうと決めたのです。

    コロナ禍を経て、わたしはセラピストとして活動していくことを決意します。

    約3年前に自宅の近くにワンルームマンションを借りて(平日は夫のリモートワーキングスペース)、土日にヒーリングサロンをオープンしました。

    しかし、セラピストとしてスタートした半年後に実母に膵臓癌が見つかり、闘病生活に入ったので母のサポートのために仕事は休むことになります。

    同時期に義理の母の認知症が悪化し、介護も始まりました。

    順調に思えたセラピストとしての仕事は家族の都合で断念せざるを得なくなってしまったのです。

    残念ながら実母は病気が発覚してから半年後に亡くなりました。亡くなる2週間前に74歳になったばかりでした。

    実母が闘病中に老人ホームに入居した義理の母はホームでトラブルを起こし、実母の葬儀の二週間後に退去することになりました。

    その後、義理母は自宅に戻り、夫とわたしで義理両親宅を通いながら介護する生活が始まりました。

    介護保険をフルに使い、訪問医療、看護、ヘルパーさんの手を借りながらなんとか約1年間はがんばりましたが、紆余曲折あり義理両親はまた違う介護施設にお世話になることになりました。

    この間、わたしは通信大学で心理学を専攻し学位を取りました。その後、山口修喜さんという新たなメンターを見つけて心理セラピーの学びを続けています。

    セラピストを現在休んではいますが、今まで学んできたことや経験したことが、自分自身や家族、友人のために役に立っていると思える場面が多々ありました。母の看取りや義理の母の介護のときは特にそうでした。

    そして、自分の中で大きな変化がありました。

    人のために役立つことをしたい、という思いは持ち続けてはいますが、まず限りある自分の人生を楽しみたいという思いが強くなったのです。

    1年前にふと思い立ち、とある芸能事務所のオーディションを受けました。現在はその事務所に所属し、演技、歌、ダンスなどいろいろなレッスンをがんばっています。

    17年間にうつとパニックで苦しんでいた自分に教えてあげたい。いまのあなたはとても元気でイキイキとして人生を楽しんでいるよ、と。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門 #うつ #パニック


     
     
    50代、子育てがひと段落して人生これからと思っていた矢先、実母の膵臓ガン発覚。看病と看取りを経験。同時期に認知症の義母の介護スタート。脱うつ•パニックを経て長年学んできた心理療法でセラピストとして起業するも現在休業中。芸能事務所に所属し、舞台俳優目指してレッスンに励んでいる。

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