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人々が恋愛に求めているものとは

    こんにちは。たまちゃんです。

    先ほど「君と僕の5分」という映画を観まして、戻れない高校時代に思いを馳せながら、考えたことをつらつら書いてみました。

    …こんな勢いで投稿すること、なかなか珍しいです。笑


    高校を出て大学に入ると、誰かと深く関わることがなくなる。
    誰かと本気でぶつかり合うことがなくなる。

    小学生の頃。
    友達と喧嘩して。
    でも大切な友達だから、お互い歩み寄って仲直りをして。
    なかなか素直になれなくて、喧嘩別れしてしまった子もいて。

    中学生の頃。
    部活でいざこざがあって、メンバーと一度は心が離れて。
    それでも、また一緒に-。
    そう思って、泣きながら互いの本音を言い合って。

    高校生の頃。
    体育祭を成功させるために、みんなと試行錯誤を重ねて。
    時に先生と揉めながらも、自分たちのやりたいことを貫いて。
    暇さえあれば集まって、一緒に練習や作業をして。
    本番、優勝して感動を分かち合って。

    でも大学生になったら、そんなことはなくなった。

    大学生は、良くも悪くも、
    クラスのような毎日一緒に過ごす集団がなくなって。
    サークルやバイトなど、所属するコミュニティを自由に選べて。
    合わないなと思えば、すぐ離れられて。
    コミュニティの外では、肩書きで自分を守って。

    喧嘩をしなくなったといえば、
    それは大人になって成長したということかもしれないけど。

    でも、丸腰の自分のまま誰かと向き合うことも、
    同時になくなってしまったのではないか。

    互いのトゲがぶつかって、傷つけ、傷つき、
    痛みを知って、丸くなる。

    大学生-というか大人になると、
    そういうことがなくなる。

    だからそういう部分を、恋愛に求めてるんじゃないか。

    誰かを求めて。
    一方通行の思いに苦しんで。
    その気持ちが、相手を傷つけて。

    相手の気持ちがわからず悩んで。
    些細な言動に一喜一憂して。

    思いが通じても、なかなか素直になれなくて。
    すれ違って、ぶつかって。
    それでも、また側にいたいと願って。

    失恋を繰り返しても、それでもまた恋をする。

    子どもの頃とは形は違えど、
    誰かとありのままの自分でぶつかり合って、
    深くつながることを求めているんじゃないか。

     
     
    アロマンティック・アセクシュアル当事者×研究者×発信者 大学3年生。社会学(特にジェンダー、障害など)を勉強中 ジェンダー・性・LGBTQ+について学び始めて5年 Instagramにてアロマンティック・アセクシュアル当事者の思いを綴った川柳・短歌「AroAceの吟」を発信中

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