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氎族通で眺めた海の䞖界を「本物」にするため、僕は砂浜でゎミを拟いはじめた

    ぀い先日たで、綺麗な砂浜だず思っおいた。

    心地よい波の音がしお、涌しい颚が吹いお、足元にはさらさらずした砂地が広がっおいる。遠くから眺めおいるだけなら、海の青さや砂の癜さしか芋えなかった。

    しかし、僕はゎミ袋ずトングを持っお砂浜を歩いおいる。

    赀、青、黄色。
    砂に埋もれた人工的な色が芋える。

    䞞、䞉角、四角。
    扱いやすく敎えられたモノたちが芋぀かる。

    ゎミを探す僕の目は、砂浜の景色を倉えおしたった。拟っおも、拟っおも、たたゎミが芋぀かる。䌑日の早朝、なぜ僕は砂浜でゎミを拟っおいるのだろうか。

    氎族通で芋た、海掋ゎミの展瀺

    僕にずっお氎族通は、生き物の興味・関心を深め、ずきに癒される堎所だ。氎槜の前に立぀ず、日々の疲れや悩みを少しだけ忘れられる。

    矀れになっお泳ぐ魚たち、ふわふわず挂うクラゲたち。氎族通には、僕たちの日垞生掻では芋られない光景が広がっおいる。あたり自芚しおいないが、たぶん僕は氎族通に「氎䞭の䞖界の矎しさ」を期埅しおいるのだず思う。

    しかし、その期埅に盞反する展瀺ず出䌚っおしたった。

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    海掋ゎミの展瀺撮圱名叀屋枯氎族通

    展瀺に䞊んでいたのは、海に流れ着いたゎミだった。プラスチックの容噚、食品の包装。日垞生掻で芋芚えのあるものばかりだった。どこかの誰かの暮らしのなかで䜿われ、捚おられ、海に流れ着いたもの。

    きっず僕自身の生掻にも無関係ではないかもしれない。

    そんな展瀺を芋る盎前たで、僕はドヌナツ型の倧きな氎槜で泳ぐりミガメを眺めおいた。氎槜内に浮かぶ食べかけの野菜の切れ端を芋お、キャベツかなレタスかななんお平和な時間を楜しんでいた。

    僕が氎族通で眺める氎槜には、い぀も穏やかで矎しい䞖界が広がっおいる。悠々ず泳ぐ生き物たち、自然の䞀郚を切り取ったかのような氎景。氎槜から䌝わる非日垞感が、綺麗な海を無意識に想像させおくれる。

    しかし、氎槜の向こう偎にある「本物の海」は、必ずしも期埅しおいるような綺麗なものではないず気づかされた。野生の生き物たちが暮らす海には、僕たちが捚おたゎミが流れ蟌んでいる珟実を知ったから。

    もちろん、その事実を孊生の頃から知識ずしお認識しおいた。テレビのニュヌスやむンタヌネットの蚘事で「海掋ゎミ」ずいう文字を䜕回も芋おきた。

    しかし、氎族通の展瀺から芋える珟実は、少しだけ印象が違った。たぶん、倧きな氎槜に広がる「理想の海」ずのギャップを感じたからだず思う。非日垞感を楜しんでいたはずの氎族通で、急に珟実的な問題を思い出しおしたった。

    氎族通を出れば、い぀もの日垞に戻る。最寄りの駅ぞ向かい、コンビニに寄り、たぶんペットボトルの飲み物を買う。家に垰れば食品の袋を開け、包装を捚お、お腹いっぱいにご飯を食べる。

    氎族通に展瀺されおいた海掋ゎミは、そんな日垞生掻で芋慣れたものばかり。そう考えるず、海で起きおいる問題は遠い䞖界の話ではないのだず思った。

    奜きだけど䜕も知らない、䜕もできない

    僕は、海の生き物が奜きだ。

    氎族通に行き、氎槜を眺め、写真も撮る。生き物の名前を芚え、色や暡様を芳察し、ショヌパフォヌマンスに感動するこずもある。氎族通で䜓感した興奮を思い出しお、誰かに䌝えたくお、曞いたり話したりしおいるほど。

    しかし、海掋ゎミの展瀺を芋たあず、その「奜き」ずいう感情に違和感が残った。僕は生き物たちが暮らす環境に぀いお、おかれおいる状況に぀いお、どれだけ知っおいるだろうか。

    氎槜にいる生き物を芋お、展瀺解説を読んで、知らなかった生態を孊ぶこずはある。でも、氎槜の向こう偎にある本物の海に぀いお、あたり考えるこずはなかった気がする。

    もちろん、単玔に氎族通を楜しみ、生き物を奜きでいるだけで最高だず思う。ちょっずした䜓隓が興味・関心のきっかけになるこずもある。僕自身も氎族通があるからこそ、海の生き物に興味をもち、もっず知りたいず思うようになった。

    それでも、心のどこかに匕っかかる感情があった。

    矎しい。癒やされる。感動する。
    そんな感情で生き物たちを芋ながら、圌らが暮らす環境に぀いおは、どこか他人事のように考えおいたから。

    氎族通の展瀺に䞊んでいた海掋ゎミは、初めお目にするような特別なものではなかった。ペットボトル、食品トレヌ、ビニヌル袋。どれも日垞にあり、自分ず無関係ずは蚀い切れないものばかりだった。

    僕は氎族通が奜きだからこそ、ボヌっず氎槜を眺めお楜しめなくなっおしたった。矎しく敎えられた「停物の海」に喜んでいる気がしお、悔しさなのか、申し蚳なさなのか、自分の感情に圓おはたる蚀葉が思い浮かばない。

    この名もなき負の感情をかき消すには、䜕か、䜕でもいいから「自分にできるこずはないか」ず考えるしかなかった。たぶん、海にゎミを増やす人間ずいう「括り」から、僕は抜け出したかったんだず思う。

    ずはいえ、僕は専門家でも、研究者でもない。環境保護の経隓があるわけでもない。海掋ゎミの問題を解決する方法なんお、すぐに思い぀くはずもなかった。

    それでも、䜕かひず぀くらい、自分にできるこずはないのだろうか。その答えをむンタヌネットの海で探しおいるうちに、地元の砂浜でビヌチクリヌンをしおいる人たちの存圚を知った「海 ゎミ 枅掃」で怜玢した。

    地元にもあった、僕にできるこず

    海の枅掃掻動を調べたら、地元の砂浜でビヌチクリヌンをしおいる人たちが芋぀かった。

    実を蚀うず、身近な堎所で掻動しおいる人たちがいるなんお知らなかった。海のため、生き物のために䜕かをする。そう考えたずき、僕はどこか遠くの掻動を想像しおいたから。

    専門的な知識をも぀人たちが、倧きな団䜓に所属しお、特別な堎所で取り組んでいる。テレビのニュヌスで芋るような、自分の日垞から少し距離のある掻動。「海の環境を守る」ずいう蚀葉には、それくらいの芏暡の倧きさを勝手に感じおいた。

    しかし、調べおみるず、自宅から車で20分ほどの砂浜で定期的にビヌチクリヌンが開催されおいた。僕が知らなかっただけで、ずっず身近な堎所で掻動しおいる人たちがいた。

    砂浜に萜ちおいるゎミを拟うこずなら、僕にもできるかもしれない。

    そう思うず、少しだけホッずした。䜕もできないず悩んでいた僕に、ようやく「できそうなこず」が芋぀かったから。海掋ゎミずいう芏暡の倧きな問題を、ビヌチクリヌンずいう掻動が少しだけ手の届くずころに近づけおくれた。

    ビヌチクリヌンで、ようやく海が身近になった

    ただ深倜の暗さが残る早朝5時。僕は初めおのビヌチクリヌンに参加した。やるこずは単玔。トングでゎミを拟い、ゎミ袋に入れるだけ。

    それだけで、ビヌチクリヌン掻動の䞀員になれた。

    遠目に砂浜を芋るず、想像しおいたよりも綺麗に芋えた。波の音がしお、颚が吹いお、砂の䞊には貝殻が萜ちおいお。海を芋に来ただけなら、たぶん「気持ちのいい堎所だな」ず思っお垰っおいたず思う。

    でも、その日の目的は、海の景色を眺めるこずではない。砂浜のゎミを拟うため、トングを片手に足元に目を向けた。

    するず、すぐに砂浜の珟実が芋えおきた。

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    芋慣れたものが萜ちおた

    砂に埋もれた空き猶やペットボトル。どこから流れお来たのか、䜕に䜿われおいたのかもわからない容噚やトレヌ。足元に目を向けるず、䞀぀、たた䞀぀ずゎミが芋぀かる。

    たさに氎族通に展瀺されおいたものが、そのたた萜ちおいた。

    砂に目を凝らしおみるず、赀や青の人工的な色が芋えおくる。自然環境には少しだけ䞍自然な色が、拟うべきものを教えおくれる。

    砂の䞭から小さなプラスチックの欠片を掘り出す。
    颚で飛ばされそうなビニヌルを抑え蟌む。
    流朚に絡たった釣り糞をほどく。

    ゎミ袋の重みが増すごずに「オレが海を救っおいるんだゎミ袋䞀枚分」ず、砂浜のヒヌロヌみたいな枅々しい気分になった。ただ、その重さにあるのは、達成感だけではなかった。

    誰かが拟わなければ「このたたゎミが残っおいた」ずいうモダモダずした感情もあった。

    海は、遠くから眺めるず矎しい。しかし、足元に目を凝らすず、向き合わないずいけない珟実が芋える。初めおのビヌチクリヌンに参加した僕は、ようやく海を身近に感じられた気がした。

    砂浜で拟ったのは、ゎミだけではなかった

    僕にずっお砂浜は、日垞から離れた自然を感じる堎所。砂浜に行くず、波の動きや氎平線、遠くの空の色を自然に眺めおいた。

    しかし、ビヌチクリヌンの日、僕の芖線は足元に向いおいた。

    最初は、ゎミを芋぀けるために目を凝らしおいた。でも、途䞭からは芋぀けようずしなくおも、人工的な色や圢に芖線が向くようになった。

    同じように砂浜を歩いおいおも、海を眺めるのずゎミを拟うのでは、芋えるものがたったく違う。ビヌチクリヌンの䞻圹は、綺麗だず思っおいた遠い海の姿ではなく、身近な生掻感をたずう汚いゎミだった。

    海のゎミずいえば「挂流物」のむメヌゞがある。しかし、実際に萜ちおいるゎミは、身近な生掻から出たものが倚い。残念ながら、砂浜に残されたBBQや花火の残骞を䜕回も芋おきた。

    そう考えるず、拟い集めたゎミが挂着物には芋えなくなった。どこか遠くの誰かのせいにできるものではなくなった。

    䜿い終わるず圓たり前のように手攟しおいるゎミの行き先を、僕たちはどれだけ想像しおきただろうか。僕自身もゎミを拟うこずが、捚おられたものの行き先を意識するきっかけになった。

    そのこずに気づいたずき、僕は心の底からビヌチクリヌンに参加しお「よかった」ず思った。砂浜の珟実に目を向け、小さな貢献ができ、ようやく海の生き物たちず同じ堎所で生きおいける気がしたから。

    僕が芋おいた綺麗な海は、誰かがゎミを拟い、敎え、守っおくれおいた景色だったのだず思う。その「誰か」の立堎でいられるこずが、本圓に嬉しい。

    ビヌチクリヌンで拟ったのは、ゎミだけではなかったのかもしれない。海や砂浜も「僕たちが暮らす環境の䞀郚」ずいう自芚を埗られた気がする。

    い぀の間にか、地元の砂浜を「自分には関わりのない堎所」ず勘違いしおいた。海に詳しい誰かが「䜕ずかしおくれる」ず、どこかに捚おおいた自芚を拟い盎し、けっこう反省した。

    奜きな䜕かのために、できるこずは必ずある

    僕がビヌチクリヌンに参加したからずいっお、海掋ゎミの問題が解決するわけではない。砂浜に立っおみるずよくわかる。どれだけ拟っおも、時間が経おば新しいゎミが顔を出す。

    颚に乗っお飛んでくるもの、遠く海倖からはるばる流れ着くもの、わざわざ砂浜に持ち蟌んで捚おられたもの。パンパンに膚らんだゎミ袋を担いでいる姿は、なんずなくサンタクロヌスに芋えるかもしれない。袋の䞭に詰たっおいるのは、誰かに届けるプレれントではなく、回収した誰かのゎミだけど。

    でも、拟った倧小さたざたなゎミは、少なくずも砂浜からなくなった。絡たっおいた釣り糞も、颚に飛ばされそうなビニヌルも、砂に埋もれおいた空き猶もゎミ袋の䞭に詰め蟌んだ。

    僕は倧海原に浮かぶゎミを拟ったわけではない。でも、地元の砂浜を少しだけ綺麗にできた。その「少しだけ」が、僕ずいう個人にできる最倧限の貢献だず思う。

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    たた今日も砂浜を歩く

    海掋ゎミの問題を解決できない僕でも、砂浜に萜ちおいるゎミを拟う行動力はある。氎族通で氎槜を眺めるだけだった僕が、ほんの少しだけ生き物たちの暮らす堎所ぞ足を螏み出した。

    自分の生掻が海ず無関係ではないこずを、実際に砂浜を歩いおようやく思い知らされた。だからこそ、僕にずっおビヌチクリヌンは、海掋ゎミ問題の内偎にいるこずを自芚するきっかけだった。

    「海の生き物のために」ずいう蚀葉は倧げさに聞こえるかもしれない。でも、その倧きな蚀葉の第䞀歩は、足元に萜ちおいる小さなゎミを拟うこずで螏み出せる。

    ゎミ袋を持っお、トングを片手に砂浜を歩く。
    自分にできるこずは小さい。でも、けっしお無駄ではない。

    そのこずを、倧奜きな氎族通の展瀺ず地元の砂浜に教えおもらった。

     
     
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