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叶わなかった夢に価値はあるのか

    かくいたくや

    僕は夢に敗れたのか。

    プロフィールには自分への戒めとして夢が叶わなかった情けない自分であることを強調する為に「夢破れたサッカー選手」と書いている。

    戒めではあるが、一方で夢が破れることに対してポジティブでいる自分もいるので、プロフィールの文章を見るたびに戒められる自分と、誇らしい自分の両方が存在する。

    ただ、夢とは白黒だけで考えるものなのだろうか。

    そこにグレーはないのか。

    そんな問いが、夢を諦めて、夢を無くし、何気ない日々を過ごしている中で浮かんできた。


    僕の夢は確かに叶わなかった。
    しかし、叶った部分もあったのではないかと。

    例えば、年収1000万円が目標だとする。
    年収500万円の人が、年収800万円までいき諦める決断をした。(その後の人生で目標を達成することはなかった。)

    このとき、目標は叶わなかったと一般的には言う。

    しかしこうも言えるのではないだろうか。
    目標の60%を達成したと。夢を60%叶えたと。


    同じように、夢に対しても0〜100のグラデーションで見ていく必要があるのではないだろうか。

    白黒で叶ったか叶わなかったかだけではなく、「どのくらい叶ったのか」という基準があってもいい。

    そして、その達成度が1だろうが、60だろうが、少しでも前に進んでいたら「夢に価値があった」と言っていい。


    僕は「夢は叶っても叶わなくてもどっちでもいい」というnoteの中で、叶わないのが夢であると主張した。

    というのも、夢は自分を前進させてくれるからだと。
    自分の今を輝かせてくれるからだと。

    その主張を一つ、深く進める概念がこの「夢をグラデーションで考える」というものなのかもしれない。

    夢は叶わなかったが、夢を追っていた時間は今でも僕の宝物だし、後悔はない。

    夢がなかったら、ドイツで働くことも、ドイツ語を話すことも、クラウドファンディングをやることもなかった。

    間違いなく僕はここまで前に進めていない。


    だから、夢は叶っても叶わなくてもどっちでもいい。


    夢をもつこと自体に価値がある。

    1%でも前に進めば夢に価値があったと言えるし、仮に0でも今の自分と変わっていないだけでマイナスなことは一つもない。

    僕の中での「夢は叶っても叶わなくてもどっちでもいい理論」が少し前に進んだ瞬間だった。


    かくいたくや
    1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

     
     
     
    99‘|ドイツ在住|村の小さな児童養護施設に勤務|サッカー選手 x 保育士訓練生 の二刀流生活

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