
初めての出来事
初めての出来事
以前の投稿で、僕が海外に行くことを決めた経緯をお伝えしました。今回は、その決断から実際にアメリカへ飛び立つまでの僕の日々についてお話ししたいと思います。
先生を頼れなかった高校時代
僕は前回も書いた通り、当時、学校の先生を信頼していませんでした。だからこそ、すべてを自分の力で調べ、行動するしかなかったんです。アメリカの大学についても、1から自分で調べていくことにしました。
でも、もともと学業が優秀な方ではありませんでした。英語なんて、一時期は5段階評価で最下位を取るほど。中間考査では100点満点中15点という赤点を取ったこともあります。今思えば、最初から崖っぷちの状態だったのかもしれません。
見つけた希望、それはサッカーだった
そんな中で、自分に残された希望が「サッカー留学」でした。
サッカーに自信があったわけでも、大きな実績があったわけでもありません。でも、サッカーが大好きな気持ちだけは誰にも負けないという思いがありました。そんな思いを胸に、アメリカの大学進学をサポートするエージェントが主催するトライアウトに挑戦しました。
人生初のトライアウト
それが人生初のトライアウト。全国的に有名な高校の選手たちが集まっていて、彼らの練習着を見るだけで圧倒されたのを今でも覚えています。ちなみに、そのときの参加者の中で、後に僕と同じ大学で時間を共にすることになる2人がいたなんて、当時は夢にも思いませんでした。
トライアウトから1週間後、エージェントから電話がかかってきて、合格の連絡をもらいました。そのときの嬉しさは、今でもはっきりと覚えています。
“初めて”の連続が始まった
そこからは、「初めて」の連続でした。
まず最初の「初めて」は、自分のパスポートを作ること。コロナ禍で何もできず、夢も持てなかった高校1年生の頃には想像もできませんでした。パスポートを受け取った瞬間、それまでにもらったどんな賞よりも嬉しかったです。
初めての自主勉強、初めての英語本
それから初めて、自主的に勉強をするようになりました。本屋さんで、漫画でもサッカー雑誌でもなく、英語の学習本を手に取ったのもそのときが初めてでした。
一人で大阪へ、そして都会に圧倒される
さらに、TOEFLという英語の試験を受けるために、初めて一人で大阪へ。初めての新大阪駅、環状線、高層ビルの数々……。田舎育ちの僕は、都会のスケールにただただ圧倒されていました。
その後も、学生ビザを取得するために大使館へ行ったり、入学に必要な書類を届けにエージェントのオフィスへ行ったりと、大阪には何度も足を運びました。何度行っても、やっぱり都会には驚かされっぱなしです。
そして、渡米の日がやってきた
高校を卒業してから5ヶ月後の8月。ついにアメリカへ渡航する日がやってきました。
人生初の空港、初めて転がすスーツケース、初めての飛行機、初めて親元を離れる――。トライアウトの合格通知から約1年、これまで経験したことのなかった「初めて」がぎゅっと詰まった時間でした。
最後の家族時間と、見送りの瞬間
家族5人で最後に食べた、伊丹空港のトンカツ屋さん。また絶対に行きたいお店です。見送る側の気持ちってどんななんでしょうね。僕はというと、その後飛行機に乗る機会が増えましたが、見送られるときはいつもワクワクでいっぱいでした。
アメリカ到着、そして新たな“初めて”へ
初めて乗った飛行機はJAL。成田を経由して、シアトル空港に到着しました——。
今回も、長い投稿を読んでいただき本当にありがとうございます🙏
次回もぜひ、よろしくお願いします。