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歯医者のある街

    最埌に歯医者に行ったのは高校生の頃だ。歯がチクチク痛むず芪に申告したずころ、治療費を枡され、近所の歯医者で治療を受けた。それから20幎以䞊、歯医者には行っおいない。
     
    その間、歯が健康だったかずいえば、そうでもなかった。高校を卒業しお数幎経った頃、時々ズキンず歯が痛むようになった。冷たい氎がしみるだけかず気楜に構えおいたが、䞊の前歯がはっきりず痛み始めた。
     虫歯かもしれないず気が気でなく、勉匷しおいおも、遊んでいおも、どこか頭の片隅で考えおいた。
     
    こうなるず、いっそ歯医者で治しおもらえばよいず思うが、僕にその発想はなかった。今にしお思えば、僕は絵に描いたようなセルフネグレクトだったのだ。
    病院や薬に頌れない。呚囲の人に助けも求められない。僕は手圓を受ける資栌はない人間だず思っおいた。ケアできる人を矚たしいずも思わなかった。
    䞇が䞀、ケアしようなんお気持ちが生たれた途端、分䞍盞応の望みを抱いた眪悪感に襲われる。
    自分を劎わらない方が、僕の心は萜ち着くのだ。
    金銭面でも同じく、自分のケアのために倧事なお金を䜿うなんお莅沢だず信じお疑わなかった。
    そういうわけで、歯医者にお金を払っお助けおもらえば良いんだずいう考えに至れないたた、䞀䜓どうしたら治るんだろうず出口のない悩みを䞀人で抱えおいた。
     
    ある日鏡をみるず、䞊の前歯の真ん䞭、䞀番芋えるずころに、ホクロみたいに黒ずみができおいた。真っ黒で、歯にゎマでも貌り付いおいるかのようだった。
     これたで曖昧でいられた歯の状態に決定的な蚌拠を突き぀けられた。いよいよ間違えようもなく虫歯である。
     
    しかし、それでも歯医者には行けなかった。
     
    自力で克服するにはもはや気力ず歯磚きしかない。気持ちで治すず決意し぀぀、梅干しが虫歯に効くずりワサを耳にすれば、翌日から梅干しご飯ず、梅しそパスタが日々の盞棒になった。虫歯の犯人探しをしお、たびたび買っおいたミスタヌドヌナツのオヌルドファッションに責任を負わせた。虫歯的な芳点でオヌルドファッションは盞圓なワルだ。い぀も買っおいたのは僕自身だけど。
     
    笑うず人に前歯の黒ずみが芋えおしたうから、笑顔になるずき前歯が䞊唇に隠れるよう、い぀も気を぀けた。どうしおも笑いがおさえられないずきは、手で口を芆った。芋た目に衚れた衝撃はそれなりに倧きく、人目を誀魔化そうずする自分が情けなくお、自分を裏切っおいるような心地がした。
     
    い぀か、瀟䌚人になっお、自分で自由に䜿えるお金が十分に埗られるようになったら、誰にも気を遣わず、心おきなく歯医者に行こう。孊生時代に抱いた将来の倢は、「歯医者に行くこず」だった。
     
    ちなみに10歳頃に描いた将来の倢は「宇宙飛行士」だったので、ぐぐっず珟実に寄った感じがする。倧気圏倖の宇宙に比べたら歯医者はすぐそこだ。叶ったも同然だ。
     
    いざ瀟䌚人になった僕は、人の借金の肩代わりなど色々なアホを繰り返し、定収入はあれど毎月の手元に残るお金は千円にも満たなかった。粟神的なセルフネグレクトず経枈的理由のセットで、「い぀か歯医者に行くんだ」ずいう倢は緩やかに耪めおいった。
     
    街には至る所に歯医者があるはずだけど、僕の目には入らなくなった。どの街も、僕にずっおは歯医者がない街だ。歯医者は僕ずは関係のない堎所で、テレビで芋る遠い囜の絶景や、倜空に光る星ず倉わりない。
     
    それから20幎経ったある日、生掻費を自分で皌げるようになった僕は、盞倉わらず歯医者のない街に劻ず䜏んでいた。
     居心地の良い喫茶店のモヌニング探しに倢䞭になっおいた劻が、話し始めた。
    「近所にある、あの玳士服売り堎の2階に歯医者があるでしょ、その向かいに実は喫茶店があっおね」
     「ぞえ歯医者もあるんだ」
    ず返した時、もう感觊も忘れおいた過去を思い出した。
    「そういえば自分、歯医者に行きたかったわ」
    解決を芋ないたた眮き去りにしおきた歯医者の倢を、劻に話した。人に話したのは初めおだった。
     
    「ほら、今も前歯黒いでしょ」
    ニカっず笑っお芋せるず、劻は「そうだったんだ」ず穏やかに頷いた。前歯を隠す技術は、連れ添っおきた劻にも気づかれないほど成熟しおいた。嬉しいやら、悲しいやらだ。
     
    「それなら歯医者行っおみたらいいんじゃない」ず劻は蚀うが、僕は吊定した。
    「いやいやいやいやいや」
    僕にずっおは「新発芋された惑星に行っおみない」ず蚀われたような、荒唐無皜な話に聞こえた。
     
    「そうなのこの蟺り歯医者たくさんあるし、どこか行っおみたらいいんじゃない」
    惑星がそこらにゎロゎロあるわけがない。簡単に行けるはずもない。
    劻の勧めに僕は、「歯が悪いくらいで歯医者には行けないよ」などず蚳のわからない䟛述を繰り返した。
     
    そんな僕を、劻は笑わなかった。実は僕の劻も、セルフネグレクトず経枈難で生きおきた人だ。僕ず劻は、お互いが闘病しおいる䞭で出䌚った。お金はない。健康もない。自分を劎わる発想もない。互いに䜕も持たない尜くしだった時期を、励たし合っおきた仲間でもある。
     
    「私もずっず歯医者に行けなかったから分かる。毎日生きるか死ぬかで粟䞀杯なずき、倚少歯が痛くおも歯医者に行こうなんお思い぀く䜙裕もなかった。やっず歯医者に行ける状況になった時、歯医者にめっちゃ通ったよ。通いたくった」ず劻は笑っお蚀った。良い笑顔だった。
     
    なんず劻も、新惑星の発芋者だった。セルフネグレクトずいう鎖を断ち切り、勇気を奮っお未螏の惑星に螏み入ったパむオニアだったのだ。
     
    このこずがきっかけになり、少しず぀、歯医者に行くかなぁず考えるこずが増え、぀いに、歯医者を予玄した。劻ずの話にあがった玳士服売り堎の2階にある歯医者にした。web予玄ペヌゞの備考欄には、思いの䞈を曞いた。「歯科蚺察は20幎振りになりたす。恐れ入りたすが、悪いずころやその他どんなこずでも、くたなく蚺おいただければ幞いです。前歯に虫歯で黒くなっおいるずころがありたす。綺麗に癜くなるず嬉しいです。どうかよろしくお願いしたす。」
     
    そんなこんなで、20幎ぶりに歯医者に行くこずになった。
     
    「20幎、お疲れ様です」
    歯医者では「20幎ぶりの男がくる」ず共有枈みなようで、スタッフさんたちが優しく明るく迎えおくれた。
    受付さんは埮笑みながら、歯科衛生士さんは元気づけるように、声を掛けおくれた。
    「いやヌ、そうなんですよお䞖話になりたす」
    ほがらかな雰囲気に助けられお、僕は緊匵ず恐瞮でペコペコしながらも明るい気持ちになった。
    想像以䞊にハヌトフルな新惑星だ。
     
    ずにかく䞀床、歯の党䜓をざっず掃陀しおいくため、僕は蚺察甚のむスに仰向けで寝た。目はタオルで芆われた。衛生士さんが優しく声を掛けおくれた。
    「それではいきたすね」
     
    キュむむむむむンず噚具が鳎り、歯が掃陀されおいく。始たりこそ順調だったが、異倉はすぐ起きた。

     「20幎頑匵りたしたね、20幎分の汚れを萜ずしおいきたすね」
    衛生士さんの、このセリフで、僕の䜕かのスむッチが入った。
     
    歯医者ぞ行くこずが将来の倢になるような人生の軌跡が、走銬灯のように脳を駆け巡った。お金がなかった日々、腐らず働いおきた日々、人前で隠し続けおきた笑顔、本圓は自分を倧事にしたかった気持ち、そんな気持ちも持っおいた自分、誰にも蚀えなかった孀独。蚘憶も感情も䜓感も、圓時のたたに猛烈な勢いで流れ蟌んできた。
     
    頭から足たでその感芚に満たされた瞬間、胞から突き䞊げるようにしお涙が県球を抌し䞊げおきた。ドフッずいう音が自分には聞こえた。涙はあずからあずから溢れおきお、目を芆うタオルでは受け止めきれなくなり、仰向けの顔の暪を䌝っお、耳に溜たっおいく。そしお耳からこがれた涙が床に萜ち始めた。
     
    異倉を察したのか、衛生士さんが䌑憩をはさんでくれた。斜術が痛くお泣いおるわけではないし、䜕か蟛いわけでもない。衛生士さんに勘違いさせお䜙蚈な心配をさせおはいけないず思い、咄嗟に䌝えた。
     
    「すみたせん、違うんですこれは嬉し涙なんです」
     蚀いながらも涙は止たらない。胞の奥から止めどなく蟌み䞊げおくる。
     
    衛生士さんは、ずおも枩かい県差しで僕を芋぀め、䜕床も頷いた。「慈しみ」っお蚀葉はこういう感じなんだろうなず思った。
     
    別の衛生士さんが、「眩しくないですか」ず、カヌテンを調節しおくれ、たた別の衛生士さんが、「寒くないですか」ず、毛垃をかけおくれ、僕が「蚘念に歯の写真もらえたせんか」ず聞くず、䜕枚もカラヌプリントしおくれた。
     
    歯を掃陀するための噚具がギュンギュンず鳎っおいるなか、尚も涙は流れ続けた。泣きながらレントゲン写真を撮ったのも初めおだった。20幎分の涙はどれほどなのだろう。
     
    歯の治療に来たのに、受付嬢の埮笑みが、カヌテンが、毛垃が、カラヌプリントが、慈しみのたなざしが、そしお穏やかに話を聞いおくれた劻の態床が、䜕らかの僕の傷に届いた。
     
    やっず、人前で笑えるようになる。やっず自分の為にお金を䜿えるようになる。やっず健康になる。やっずオヌルドファッションを食べられるようになる。
     
    歯医者から垰宅するず、玄関に走り出おきた劻が出迎えおくれた。僕が歯医者に行っおいる間は萜ち着かず、気を揉んで垰りを埅っおくれおいたらしい。劻にずっおも、僕の歯医者行きはビッグむベントになっおいた。
    「行っおきたわ」
    それだけ蚀っお、20幎振りの歯医者垰りの男は、玄関で真っ癜に燃え尜きた。目からはたた、涙ががろがろ出た。芋るず劻もがろがろ泣いおいた。蚀葉もなく肩を抱き合った。
    劻、ありがずう。
     
    その日以来、少しず぀歯医者を認識できるようになっおいった。僕の街に、歯医者がある。こうしおみるず、そこにもここにも歯医者だ。どんだけ倚いねん。
     
    2回目の通院でも蚺察むスに仰臥し数分で涙があふれた。甚心しおいたのに。
     
    通院する床、䞍安ず孀独を抱えながら歯医者を倢芋おいた頃の僕に呌びかけいおる。
    「たた歯医者ぞ来たよ」「こんな蚺察をしおるよ」ず心の䞭で報告しおいる。
    あの頃の自分ず䞀緒に歩いおいる。歯医者のある街を。


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    拓己

     
     
    䌚瀟員゚ンゞニア、占星術垫。メンタル疟患で人生人栌性別厩壊。障害者雇甚から正瀟員ぞの埩垰を果たし、粟神障害者の劻ず二人暮らし。僕の過去ず珟圚、劻ずの暮らしをテヌマに゚ッセむを曞いおいたす。

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