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妻が里帰りから戻ってきて1ヶ月、時間が壊れた──子どもは時空を歪める光だった

    妻が里帰りから戻ってきて、1ヶ月が経った。

    そう、まだ1ヶ月しか経っていないのだ。

    10代より20代。
    20代より30代。

    時間は、どんどん早く流れていく。

    世界は少しずつ色褪せていく。
    感動は薄くなっていく。
    それでも、時間だけは勝手に過ぎていく。

    それが大人になるということなのだと思っていた。

    そんな退屈な常識を、0歳と2歳の小さな光が壊した。

    私の1日は、早朝4時から始まる。

    豆電球の薄暗がりの中、炊飯器の予約をし、ヤカンにお湯を沸かし、湯冷ましを作り、コーヒーを淹れる。

    コーヒーを飲み終えると、家族を起こさないように静かに家を出て、職場に向かう。

    9時ごろに帰宅し、シャワーを済ませる。

    そこから、上の子の歯磨きと着替えを終わらせる。
    ぐずる下の子を抱き、つられて不機嫌になる上の子をなだめながら、横に揺れてあやす。

    下の子をおろし、上の子を抱きながら掃除機をかけ、お風呂掃除を済ませる。

    落ち着いたら、みんなで買い物や散歩、公園に行く。

    11時半ごろに帰宅し、かまってほしい上の子をあやしながら、お昼ご飯の準備をする。

    上の子は、ひと口食べるたびに十言葉ぐらい喋る。

    そんな調子で、昼ごはんはだいたい1時間かかる。

    昼ごはんが終わると、下の子の沐浴が待っている。

    14時ごろまでに上の子を寝かしつけ、家族みんなでお昼寝をする。

    15時半にまた仕事に行き、20時ごろに帰宅する。

    上の子と一緒にお風呂に入る。
    ぐずる下の子を横目に、上の子のパジャマを着せ、歯磨きをする。

    20時半ごろ、上の子を寝室に連れていく。

    それでも、お喋りが大好きな上の子は、寝室に入ってから1時間以上も喋り続ける。

    寝かしつけが終わると、夜ご飯を済ませ、茶碗を洗い、寝る準備をする。

    22時過ぎから記事を書き、23時過ぎに寝る。

    そして2時過ぎに、下の子の泣き声で起こされる。

    上の子が目を覚まして覚醒しないように、背中をさすりながら眠りに落ちる。

    そして、また4時に起きる。

    こんな日常の中で、子どもは道端のアリと数分間会話する。

    歩いている鳩に、抱っこをせがむ。
    飛んだバッタを見て、面白いと爆笑する。
    可愛い犬に近づいて、吠えられると涙目になる。
    道端で見つけたつくしを、得意げに指さして教えてくれる。

    そんな小さな発見と冒険の共有が、私の多忙な1日を最大まで引き延ばしていく。

    2人目が生まれる前、時間の流れは今よりずっと早かったし、常に時間に追われていた。

    1人目の誕生は、私の自由な時間を大きく奪った。

    好きなゲームをする時間は極端に減り。
    好きな時間に寝ることもできない。
    なんの予定もない休日なんてなくなった。

    その緊張とストレスは、私に時間の貴重さを再認識させるのに十分すぎるほどだった。

    2人目の妊娠で妻が里帰りをし、私1人になった時、今まで「いつか」と後回しにしていたパソコンを買う決意を固めた。

    妻が里帰りしていた3ヶ月間、私は色々なことをした。

    AIに触れ、パソコンを買い、サーバーを契約した。
    記事を書き、アプリを作り、攻略サイトを立ち上げた。
    そして今、noteを書いている。

    結果は、まだほとんど出ていない。

    それでも、なんとなくスマホを眺め、ゲームに費やしていた時間を使えば、これだけのことができるのだと知った。

    消費するだけだった時間を、作る時間に変える。

    この経験は私の価値観を大きく変えた。

    1人目は私から時間を奪い、同時に時間の価値を教えてくれたのだ。

    そして2人目が生まれた。

    子どもが2人いる生活は、1人目の時より確実に忙しい。

    自由に使える時間も少ない。
    やることも増えた。
    泣き声も、要求も、予定外の出来事も増えた。

    それなのに、不思議と1人目の時よりゆとりを感じている。

    時間はない。
    でも、時間に飲み込まれてはいない。

    子どもが2人いる生活は、時間の量ではなく、時間の流れ方そのものを変えてしまったように感じる。

    子どもの成長は早い。

    上の子は、昨日まで言えなかった言葉を、今日は当たり前のように使う。
    昨日まで届かなかった場所に、今日は手が届く。
    昨日まで説明できなかった気持ちを、今日は言葉にしている。

    下の子はあっという間に重くなり、泣き声も大きくなっていく。

    表情も、声も、体つきも、こちらが理解する前に次へ進んでいく。

    子どもは光速で変わっていく。

    そして、その近くにいる親の時間は、大きく引き伸ばされる。

    ふと、相対性理論の話を思い出した。

    高速で移動するものの時間は、外から見ると遅く進むらしい。

    光に近い速さで動くほど、時間の流れは遅く見える。

    正確な理屈を説明できるほど、相対性理論に詳しいわけではない。

    それでも、子どもが2人になってからの時間感覚は、それに似ている気がした。

    子どもは、ただの比喩的な光ではなかった。

    もっと物理的に、こちらの時間まで変えてしまう存在だった。

    大人になってからの時間は、放っておくと勝手に流れていく。

    昨日と同じように今日が終わり。
    今日と同じように明日が来る。
    気づけば1ヶ月が過ぎ。
    気づけば1年が終わる。

    子どもの存在は、その流れを止める。

    大人が一瞬で通り過ぎるものの前で、子どもは立ち止まる。
    なんでもない景色に驚き、笑い、怖がり、指をさす。

    隣で一緒に驚き、笑い、慰め、教える。

    ただ過ぎていくだけだった時間を、特別に変えていく。

    私の時間を奪い、価値を教え、今を引き延ばす。
    色褪せた世界に、もう一度色を戻す。

    この子たちは、比喩などではなく、私にとって、時空を歪める光そのものだった。

     
     
    育児や日常の違和感から、時間・家族・社会の見え方を考えています。 すぐ役立つより、あとから残る文章を書きたいです。

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