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Photo byjankenpon_gcp

「終わりを設計すると、好きが増える」説


    これは気質によるものかもしれません。
    そして、かなり偏った話かもしれません。
    もしかすると、多くの人には関係のない感覚なのかもしれません。

    それでも私は、若い頃からよく思うことがあります。

    「終わり方を、もっと設計しておくべきだった」という後悔です。

    何かを始める。努力する。目的を達成する。

    そしてその後。

    問題は、ここからなのです。

    私は、目的に到達したあと、なんとなく惰性で続いていく状態があまり得意ではありません。

    嫌いになったわけではない。飽きたわけでもない。

    ただ、次の意味やモチベーションが整っていないまま続けていると、少しずつストレスが溜まっていく。

    そして気づけば、好きだったはずのものを嫌いになってしまう。

    そんな経験が何度もありました。

    仕事も人間関係も…。


    だから私は、「終わりを描くように」心がけています。

    終わりは、むしろ、好きだったものを好きなまま残しておくための仕組みだと思っています。

    最近も失敗をして、この感覚を思い返しました。

    楽器演奏の講座を主催していました。好評で続けて欲しいという声と、楽器演奏は続けることで伸びるという性質から、継続的な教室に変化させてみました。しかし、教室にすると参加者の方の辞めたいという意識と最終的には向き合わないといけないのです。これが私には、嫌な記憶として埋め込まれてしまうのです。

    少し疲れたこともあって旅行に出ました。

    私は旅行が好きです。なぜ旅行は楽しいのでしょう。それは、終わりがあるから。いつかは帰る。だから今を味わえる。だから思い出になる。

    もし旅行に終わりがなかったら。一年。十年。永遠。それは旅行ではなく、ただの日常になってしまうでしょう。

    人生の楽しさの多くは、終わりがあることで生まれている。そんな気がするのです。

    わかりやすものでは、学校。
    学校にも「卒業」という仕組みがあります。だから学生時代は記憶に残る。「あの頃は楽しかったな」「ずっと一緒だったら良かったのに」そんな幻想を語ることさえもできます。笑

    でも、もし本当に永遠に同じクラスだったら。きっとどこかで疲れてしまう。距離感も変わる。関係性も変わる。もしかすると、良い思い出ではなくなっていたかもしれません。

    卒業という仕組みは、別れのためではなく、時代をエネルギーとして保存するための発明だったのかもしれない。なんて思ったりもします。

    世の中、始め方を学ぶ人は多い。続け方を学ぶ人も多い。
    でも終わり方を学ぶ人は少ない。
    そして多くの場合、終われなくなってから、終わり方を学ぶことになります。

    だから最近思うのです。
    私の場合はですが、楽しい時間を増やすには、何を始めるか。どう続けるか。だけではない。どう終えるか。そして、その先へどう転じるか。

    そこまで含めて、デザインしていきたいなと思うのです。

    それは、周りに感謝できるようになるコツだとも思うし。

    具体的な思考技術として活用できそうなものはいろいろあります。

    • スモールステップ

    • PDCAサイクル

    • マイルストーン

    • ピボット

    • イグジット戦略

    あたりがハメ込みやすいと思います。
    振り返ることで、終点を描くことができあます。

    終わりを描く本質を捉えていれば、きっともっと豊かになる。

    終わりとは、失うことではなく、好きだったものを好きなまま残しておくための技術なのかもしれません。という説でした。