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私の天使たち

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門
    あらすじ
     主人公は離婚したことで、家族をなくし、生きる目的を見失い自暴自棄となり、いつまでも消えない子どもたちへの思いと、子どもたちと会えない苦しみから逃れるために自殺願望を持つようになるが、どうしても死ぬことが出来ない自分との葛藤。
    一方、父と別れ母親と生活することになった子どもたちは、母親の新しい恋人の出現で思いもよらぬ大人の醜い部分を知ることとなるが、けなげにも子どもなりに現実を受け止め、どうにもならない現実と向き合っていく。自分たちの意志とは関係なく、親の都合でもたらされる悲劇。
    親の身勝手で傷つくのは幼い子供たち。子どもの気持ちを一番に考えて、親となった以上は、親として生きてほしいと願います。

      「私の天使たち」
    1
     
    「ねえ、私たち別れましょ。」
    「また、その話か、もうその話はやめようよ。子どもたちも、まだ小さいんだから、ぼくらは仮面夫婦でもいいじゃないか、子どもたちが成人するまで、このまま五人でやっていこうよ。」
    「子どもたちは、私が実家で育てるから大丈夫。もう、両親にも話してあるから、だから、別れて。」
    「理由は何なんだ。」
    「とにかく、あなたが嫌いなの、一緒にいたくないの。もう限界、お願いだから離婚してちょうだい。」
    「そんなこと、理由になるかよ、俺たち二人のことだけなら簡単だけど、子どもがいるんだから、もう一度考え直せよ。」
     
     私は東京近郊に住む、どこにでもいるごく普通のサラリーマンである。妻との間に三人の子どもを授かり。ローンで購入したマンションに家族五人で生活していた。何の疑いもなく、このまま平凡な一生を終わると信じていた。またそれを望んでいた。
     冬のあるよく晴れた日曜日の午後、子どもたちは友達と外へ遊びに行き、残された私たち夫婦は天気とは反対に重苦しい空気の中、リビングでテレビを見ていた。私たち夫婦の関係は三年ほど前から冷え切っていた。しかし、子どもも三人いるので、私としては、夫婦は冷えた関係のまま、この先もずっとこの妻と子育てを一緒にやっていくのだろうと漠然と考えていた。私は東京の某私立大学を出るとすぐ、とある製紙メーカーに就職した。妻の京子とは私がもうすぐ三十歳になろうとする四月、人事異動で工場から本社営業部に配属されたばかりの頃に取引先で出会った。取引先の出版社で受付をしていた妻に、私が一目ぼれしたのであった。妻は私より五つ年下の二十五歳で、受付にいるだけのことはあって、笑顔が素敵だった。その出版社に通うたびに、彼女をデートに誘おうと思うのだが、取引先の社員でもあるので、受付とは言え仕事に支障がでるかも知れないと思うと、なかなか言い出せずにいた。
     入社以来ずっと地方の工場勤務で、この春、やっと本社勤務となり上京したばかりであった私は、当時、高円寺にある社宅の独身寮に住んでいた。毎朝、高円寺駅から中央線に乗り、東京駅で山手線に乗り換え、本社のある有楽町に出勤していた。そんなある朝、早朝会議に出席するために、普段より早く駅に向かった。まだ駅はいつものような混雑はなく。車内も座れるとまではいかないが、いつもよりすいていた。つり革につかまり、今朝の早朝会議のことをあれやこれや考えていた。何気なく車内を見回すと、少し離れたところのつり革につかまっている彼女を見つけた。急に胸がどきどきした。私は平静さをつくろい彼女に向かって軽く会釈をした。彼女も私に気づいて、笑顔で会釈してくれた。その次に私が、彼女の勤める出版社に行くと、彼女の方から話しかけてきてくれた。彼女は実家の高円寺から通っていることがわかった。満員電車を嫌って、少し早めに出勤していることもわかった。私も高円寺の寮に住んでいることなどを話、この次の日曜日に会うことを約束した。何度かデートを重ねるうちに、恋人として付き合うようになり、自然の成り行きで結婚した。そんな二人であったが、気持ちが通じ合ったのは数年で、子どもが三人授かったこともあって、後は惰性というか、お互い意見の食い違いには、どちらかが我慢することで何とかやってきた。付き合うまでは全く別々の環境で生活していたのだから、考え方や価値観が全く違ってもしょうがないこと、それによって生ずる意見の衝突は避けられないことだと割り切って、夫婦なんてこんなものなんだろうと思っていた。人間は子孫を残すために、ある時期周りが見えなくなるほど愛し合い、愛さえあれば何でも乗り越えられると思い、お互いの価値観や人生観など確認する暇もなく、結婚出産そして子育て、まさかこんな冷え切った関係になるとは想像もしていなかった。最近ではこの重苦しい空気にも慣れてきていた。
     
    2
     
    しかし、妻はこの空間を嫌ったのか、突然すっと立ち上がり、別の部屋へ行ってしまった。張りつめた空気も妻と一緒にリビングから消えた。私も妻がリビングから消えたことで、少しほっとした気分になり、ただぼんやりとテレビを眺めていた。この冬晴れの爽やかな天気にテレビを見ているのがばかばかしくなり、ベランダへ出てみた。ベランダから子どもたちがマンションの前の公園で友達と遊んでいるのが見えた。子どもたちも私がベランダから見ているのに気づき手を振って「おとうさん」と呼びかけてきた。子どもたちは私が手を振り返したのを確認すると、またすぐもとの遊びに戻った。私はそれから目を空に移し意味もなく、空に浮かぶ雲をずっと眺めていた。のどかな日曜日の昼下がりだった。どのくらい眺めていたんだろう、肌寒くなり部屋に戻ろうとしたとき、リビングから妻の私を呼ぶ声が聞こえた。「あなた、ちょっと話があるの、ここに座って」妻はいつの間にか、リビングに戻ってきて、キッチンテーブルのいすに座っていた。私は返事もせず、ベランダのサンダルを脱ぎ、部屋に入り、スリッパに履き替え、妻に言われるままに妻の前のいすに腰掛けた。テーブルには離婚届があった。
     
    「ねえ、私たち別れましょ。」
     
    妻から離婚をしたいという話は、ここ最近何度かあった。離婚届も何度か目にしていたので、さほど驚きはしなかった。妻に離婚の理由を聞いても、いつもはっきりした答えは返ってこず、ただ私と居ることが耐えられなくなったと言うばかりで、私としては、とても同意できるものではなかった。京子にも、どうして分かれたいのかはっきりした理由はなかった。私は平凡なサラリーマンで、暴力で手を上げたこともなく、愛人がいるわけでもなく、ギャンブルもしなかった。ただ子育てについて、お互い自分の意見を通そうとして衝突することがあった。子どもが出来てからは頻繁に口げんかをするようになった。京子としては、夫は確かに子煩悩ではあったが、普段は自分ひとりが三人の子どもを育てているのにという思いが強く、口出しをする夫の私を憎憎しく思うようになって来たようだ。これと言った決定的な理由もなく、毎日の生活の中で、徐々に私と居ることが煩わしくなってきたようだった。
    一番下の子を出産した辺りから、妻が離婚を口にするようになり。はっきり離婚をしたいと言い出してからは、わたしも妻との会話が煩わしく、妻の子育てに意見をすることもなくなっていた。しかし、すでに妻の中で構築された私への嫌悪感は、会話がなくなったからといって消えはしなかった。かといって決定的な理由もなく、心の中では私が浮気でもしてくれれば、すぐにでも離婚できるのにと思っていたのかもしれない。
    私は自分が妻から嫌われていることも承知していたし、私自身もすでに妻への愛情はなかった。しかし、子どもたちのことを考えると離婚に踏み切れなかった。妻も三人の子どもを自分ひとりで育てることに躊躇していて、今までなら、私から、子どもたちの将来のこともあるのだから、このまま仮面夫婦で子どもたちが成人するまでやっていこうということで、何とか最後の一線を越えずに済ませてきた。しかし、最近頻繁に実家に帰り、実家の両親と離婚のことで話をしているようだった。そして今日、子どもは実家で育てるから心配ないと言い出した。
     また、今日も長時間説得のために話し合うのかと思い、少し顔をゆがめた。しかし、今日の妻は子どもの話をしても、実家で育てるから大丈夫の一点張りで、離婚への決意は固く、どうしても離婚してくれというばかりで、話にならなかった。私も毎度くり返されるこの離婚の話にうんざりしていたこともあって、子どもたちを理由に離婚を拒否してきたが、このような冷え切った夫婦関係を子どもたちに見せるのも、子どもたちにとって決して良いことではないとも思われ、実際に子どもたちの目の前で離婚の話しが始まることもあって、最近では、子どもたちも私たちの顔色をうかがうような所も見られた。
    私は子どものためといいながら、少しは世間体も気にしていたし、離婚という作業が面倒に思えていたことも事実である。しかし、これから先、一生交わることのない平行線のような話に、これ以上話し合う気力もなくなり、いつまでも拒否し続ける自分がこの妻に未練がましく思われているような気もして、ついに離婚届にサインをすることにした。子どもたちと離れて暮らすことは、耐え難いことではあったが、かといって、三人の子どもはまだ小さく、上の長女優佳子が小学二年生八歳、長男駿一は来春一年生になる六歳、次男宏隆はまだ四歳。私の両親でも近くに住んでいてくれれば別だが、両親は長野に住んでいた。私が離婚したことで、孫を育てるために、住み慣れた土地を離れて、この空気の汚れた東京に来てくれるはずもなく、私自身も今の会社を辞めて、田舎に戻ることは出来ないと考え、子どもたち三人を全て妻に渡すということで、離婚届にサインをした。あっという間に協議離婚が成立してしまった。あっけなかった。離婚届にサインしたとたん、妻とはもうこの煩わしい話をしなくてもいいんだと思うと少しほっとしたが、こんなに簡単に離婚が決まっていいのだろうか、子どもの将来のことやら、養育費やら、月に何回会えるのか、もっと話さなければならないことがいっぱいあったが、その日以来、二人は一切口を利くことはなかった。離婚届も妻がいつの間にか役所に提出していた。
     離婚が決まってからの妻は、生き生きとしていた、引越しの準備や、近所の友達との送別会、久しぶりに楽しそうな妻を見た気がした。一方私は、ダンボールに荷物が詰められていく様子を見て、暗い気持ちになっていった。子どもたちもなんとなく両親が離婚して、自分たちはどこか別のところへ行ってしまうんだと分かっているようだった。離婚を決めてから、別れの日はあっという間にやってきた。子どもたちが春休みに入るとすぐに、引越し業者がやってきた。引越し業者は事情を知っているかのようで妻の指示に従って手際よく荷物を運び出して行った。私は引越しの様子を気にしながらも、一人リビングのソファーに座っていつものようにテレビを見ていた。子どもたちは、不安げな眼差しで荷物が運び出されるのを見ていた。荷物が全て運び出され、いよいよみんなが出て行くとき、長男の駿一が「ぼくは行かない。行くなら、おかあさんたちだけで行け。」と言い出した。優佳子は母親に言われるまま、黙って玄関で弟の宏隆にくつをはかせていた。駿一は私に抱きついて動こうとしなかった。私も駿一をぎゅっと抱きしめた。私は妻に向かって、「こんなに嫌がっているんだから無理に連れて行かなくてもいいじゃないか、しばらく落ち着くまで、俺が面倒見るよ。」と言ったが、しかし、妻は聞こえないふりをして、無理やり私を握る駿一の手を掴み、私から引き離した。そして嫌がって泣き叫ぶ駿一を引っ張って連れて行ってしまった。私もこれ以上どうすることも出来ないと思った。
    玄関の方から、駿一の泣き叫ぶ声と、妻が最後に「あなた、もう二度と私たちの前に現れないで。」と言って。バタンとドアが閉められた。
     
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     五人で生活していたときは、狭く感じたこの部屋も、大半の荷物は妻と子どもたちの物だったので、みんながいなくなってしまうと3LDKの部屋はがらんとして、寒々しい感じがし、もうこの部屋に子どもたちの声が聞こえないと思うと、急に寂しさがこみ上げ涙がとまらなかった。こんなに泣いたのは子どものとき以来だろう。気が付くと声を上げて泣いていた。子どもと別れることは、想像以上につらかった。その夜は、一睡もできず、突然やってきた、あまりの寂しさに押しつぶされそうだった。もうそこには子どもたちの笑い声も泣き声も聞くことはできなかった。時おり聞こえる冷蔵庫の音が物悲しく感じられ、いっそうみじめな気持ちになっていった。
     朝日がカーテン越しにリビングに差し込んでくると、現実の世界に引き戻された。いつも通りスーツに着替えて、駅に向かった。駅のホームは普段と変わらず、整然と並び次の電車が来るのを待つ人たちでいっぱいだった。私もいつも通りに列に並び次の電車を待った。さっきまでこの世の終わりかと思われるほどあんなに悲しくて、とても会社に行くような心境ではなかったが、現実は、私に悲しんでいる余裕すら与えてくれなかった。満員電車にゆられ、一時間かけ会社に着くと何事もなかったかのように仕事を始めた。今は新規事業部を任されていた。上着をいすの背もたれにかけ腰を下ろすと、デスクの上の電話は、私の気持ちとは関係なく、すぐに鳴り始め、子どもたちのことを考える余裕を与えてはくれなかった。不思議に仕事に没頭することで、子どもたちと別れた寂しさを紛らわすことができた。
    しかし、仕事が終わり家に帰っても、そこには、またつらいもう一つの現実が待っていた。いつもなら、玄関を開けると、子どもたち三人がいっせいにバタバタと廊下を走ってきて、「おとうさん、おかえり」と出迎えてくれた。その走る音も、元気よく「おかえり」と言ってくれた声もなく、寒々とした部屋は暗く、自分で、玄関の電気をつけることでむなしさがこみ上げてきた。とにかくこの現実から逃れたいと思った。ウイスキーをコップに注ぐと、そのままストレートで一気に飲んだ。こんな飲み方をしたことはなかった。むせながらも、この寂しさから逃れるために無理に飲み込んだ。昨日寝ていないせいか、空腹のお腹に入れたアルコールの力も手伝って、睡魔が襲ってきた。しかし、夜中何度か吐き気をもよおし、トイレで吐いた。吐くものもなく、口からは搾り出されるように黄色い胃液が出てきた。一向に吐き気は止まらず、吐くたびに、頭の血管が切れそうだった。このまま死んでしまいたいと思った。今自分が死んだらしばらく誰にも気づかれず、合鍵を持つものもいないので、きっと、何日かして異臭を発してマンションの住人から苦情が出て、警察がドアを壊して入るか、隣の家からベランダづたいに入って窓を割って入るかして発見されるのだろう。そのあとは、ワイドショーが来て寂しい男の一生なんかを番組で取り上げるのだろうか、いつもテレビで見るコメンテーターたちは、この悲しい男の末路をどうコメントするのだろうか、そんなことも考えながら便器に向かって人差し指と中指の二本の指先に力を入れて舌の奥に突っ込んで吐き続けた。眠りについたのは明け方近くだった。トイレの前の廊下でうずくまるようにして寝ていた。翌朝、毎日六時半にセットしてある目覚まし時計が寝室から聞こえたが、とても起きることは出来なかった。意識が遠のくように目覚ましのベルも聞こえなくなった。目が覚めたのはお昼近くだった。会社には体調不良を理由に出社しないことを連絡し、割れるような頭痛を鎮めるために鎮痛剤を飲んでベットにもぐりこんだ。
    私は二日酔いにこりることもなく、それから毎日、酒の力で寂しさから逃れようとするかのように会社が終わって家に帰る途中飲み歩くようになった。直接家に帰るのがつらかったので、少しでも気を紛らわしたいと思った。居酒屋は客たちの話し声や、店員の掛け声で、にぎやかだった。一人カウンターの席に坐り、周りの喧騒の中、自分が座っているところだけ別世界のように思えた。話す相手もなく駅の売店で買った夕刊を読み時間をつぶした。周りから見ればつまらなそうに一人で飲んでいる私は場違いに映ったと思うが、私はそれでもこの喧騒の中にいることで気を紛らわせることが出来た。しかし、家に帰ればやはり状況は変わらず、そこには私の帰りを待つ子どもたちもいない、暗く冷たい空気が私を出迎えた。会社が終わると毎晩飲み屋で時間をつぶして、酔いつぶれて帰る日が続いた。
     こんなことを続けていたらきっと体が壊れてしまうと自覚していたが、この寂しさから逃れるためにはこれしかなかった。心の中では死への願望が芽生えていたが、自殺する勇気はまだなかった。このまま酒で体が壊れてしまえばいいと思った。毎晩酔いつぶれて、そのままソファーに倒れこみ、頭の中では、翌朝目が覚めなければどんなに楽だろう、この苦しみからきっと解放されるだろうと思いながら眠りについた。連絡の取れなくなった子どもたちのことを心配すればするほど、死への願望は強くなっていった。
     
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    初めての土曜日がやってきた。とりあえずどこにも出かける予定もなく、また、出かける気分にもなれず。音のない家で、少しでも気を紛らわすために、テレビのスイッチを入れ、ぼんやりとテレビを見ていた、みんなで見ているときは、お腹の皮がよじれるほど笑っていた、バラエディー番組を見ても、おかしいどころか、かえって、寂しさを紛らわすために、無理にこんな番組を見ている自分が愚かしく、むなしくなるばかりだった。頭の中は、子どもたちのことでいっぱいだった。いったいどうしているだろう、土曜日で休みだからどこか遊園地にでも連れて行ってもらっているだろうか、病気はしていないだろうか、ふと、テーブルの上に置かれたカバンから飛び出した手帳を手に取り裏表紙に貼ってある子どもたちと一緒に写っているプリクラを見た。最後の思い出として子どもと私4人だけで行った後楽園遊園地で記念に撮ったものだ。また寂しさがこみ上げ泣けてきてしまった。みんな両親が離婚することも知らず、楽しそうに笑っている。子どもたちの笑顔はこの幸せがずっと続くものと信じきっているような、みんな天使の笑顔である。
    むしょうに子どもたちに会いたくなった。子どもたちが生まれたときの感動、初めてこわごわ抱いたときの子どものぬくもり、初めて「おとうさん」と呼んでくれたときの喜び、数年間一緒に過ごした思い出が、一瞬にしてよみがえってくる。むしょうにもう一度赤ん坊のときの子どもや、幼稚園の時の子どもたちに会いたくなった。アルバムは、妻が全て持っていったが、ネガが残っていたので、その日の午後、それを全て焼き増しに出すことにした。上の子が生まれてから八年分のネガフィルムは大量だった。翌日出来上がった写真を取りに行った。とにかく子どもたちに写真でもいいから会いたかった。出来上がった写真を長女が生まれたときから順番にアルバムに貼っていった。写真一枚一枚に思い出が詰まっていて、その時々のことが思い出され、また涙が止まらなかった。赤ん坊の頃、始めて歩いたとき、七五三、海水浴、遊園地、動物園、お祭り、自転車に乗れるようになったとき、長女の入学式、初めての運動会・・・。涙が写真に落ちないように、一枚一枚アルバムに貼っていった。子どもと別れることが、こんなにつらいことなら、子どもを手放すんじゃなかった。手放したことを何度も何度後悔した。
     
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     離婚後、一月ぐらいが過ぎた頃、新潟工場へ出張することになった。平日の関越道を走る車は少なく、自宅から3時間ほどで、関越トンネルまで来てしまった。トンネルの中に入ると、自分の車の前方にも後方にも走る車はなく、オレンジの明かりが妙に寂しく、つけていたラジオを切ってしまうと、どこまでも続くトンネルの先に何か別の世界があるような気にさえなり。思わず子どもたちの名前を一人ずつ大声で叫んでいた。
     
    「ゆかこ、しゅんいち、ひろたか。」
     
    この声が子どもたちに届くように、何度も何度も大声で叫んだ。どんなに大声で叫んでも子どもたちに届くはずのないことはわかっていたが、子どもたちの名を呼ぶことで、誰にも聞こえるはずのないこの声は、神にのみ届くような気がした。心の中で、「神様もう一度子どもたちに合わせてください。そして今度生まれてくることが出来るのなら、もう一度私にこの子らを授けてください、この次はきっと手放すようなことなど絶対にしません。どうかお願いいたします。」 神など信じたことのなかった自分が、心の底から神にお願いした。
    私は核家族で育ったせいか、生まれた時から家には神棚も仏壇もなく、両親も信心深いほうではなかったので、私もどちらかというと神や仏の存在を信じていなかった。人間が死んでも魂は死なないとか、魂は無限だとか、そんなことを考えたりすると、ずっとなくならない自分の魂を想像することが、無限に広がる宇宙の果を想像するくらい怖かった、それよりも死んで肉体も意識も消滅するほうを想像するほうが怖くなかった。だから極力目に見えない魂、霊、神について深く考えないようにしてきた。ただ目に見えるものだけが存在し、目に見えないものは存在しない。人間死んでしまえば、肉体も意識もなくなり、焼かれて、ただのカルシウムになるだけの存在だと割り切って生きてきてきた。だから、心から神に手を合わせてお願いしたり、死者の冥福を祈ったりしたことなど一度もなかった。そんな自分がいま、どんな神とも仏とも分からぬ見えざる存在に向かって心の底からお願いしている。トンネルというどこか非日常的な薄暗い空間を車で走ることによって、ひょっとしてその先に神のいる世界に通じるのではと錯覚させるような、そんな気持ちになった自分がいることが不思議だった。しかし、トンネルの向こうが徐々に明るくなって、神に通じるはずのトンネルは現実の世界へ自分を運んだ。
     もし本当に神が存在するのなら、神様はいったい私になぜこのようなつらい思いをさせるのだろう、神様は私にかけがえのない子どもたちに会わせてくれた。しかし、あっという間に私の目の前から消してしまった。本当に神が存在するのなら、こんなことはするはずはない。やはり神は存在しないのだろうと思いながらも、でも、いま自分を救ってくれるのは神しかいないと思った。寂しい思いが増す中で、昼間の自分、夜一人になった自分、家族のために働くという目的がなくなったにもかかわらず、毎日のように会社に出勤する自分に対し、自分が生きるためのみに働いていることへのむなしさ、ふと生きる意味がわからなくなる。このまま切ない思いで生き続けていて何の意味があるのだろう。人はやはり自分のためだけには生きていけないと思った。いっそのことこの世から消えてしまいたいと思った。夜、家に帰ると頭の中は死ぬことだけでいっぱいになった。いったいどうやって死んだらいいのか、飛び降り、リストカット、睡眠薬、練炭、樹海・・・ニュースでよく耳にする、思いつく自殺の方法を、自分にあてはめて想像してみる。カッターを手にしてみたり、ベランダから身を乗り出してみたり、やはり躊躇して出来ない。痛いのは一瞬、死んでしまえば痛みからも、心の苦しみからも解放されるはずと、頭の中では理解できていても、いざ本当に死のうと思うと実行に移せない、この世の未練なのか、痛みへの恐怖心なのか、死んでこの世から消えてしまいたいという気持ちはあっても、現実として自殺をするだけの決心もなく、ただ生きていくためだけに、昼間は自分を偽って仕事をしている。
    自分で死ぬことも出来ず、生きることへの価値も見出せず、自分自身が情けなく、わけもなくまた、どのような神とも分からず、見えざる神に向かって、「子どもたちにもう会えないのなら、どうか私に死ぬ勇気をお与え下さい。どうかこの苦しみから解放してください。」と願っている。
     
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    頭の片隅では時間が経てば、このつらい思いは薄れていくだろうと期待もしていた。しかし、日が経つにつれ子どもに会いたい思いはますます膨らみ切ない心に押しつぶされそうになる。こらえきれずに子どもたちに会いに行こうと思うこともあった。しかし、別れ際に妻の言った「もう二度と私たちの前にあらわれないで。」という言葉が頭から離れない。母親に洗脳された子どもたちは、きっと私を見て逃げ出すかもしれない。こどもたちと会えない辛さから逃れるために、ひたすら忘れようと思い毎晩のように深夜まで飲み歩いた。飲み方は尋常ではなかった、自殺する勇気がない自分にも、酒で体が壊れて死ねるのではと、心のどこかで期待しているようだった。
    そんなある日、行きつけのバーへ行った。店内にはMJQのジャンゴが静かに流れていた。店はマスターと奥さんの二人でやっていたが、今日は奥さんが風邪で休んでいるとかで、知り合いのみきと言う女性がカウンターの中を手伝っていた。マスターに紹介され、カウンター越しにみきと話した。みきを初めてみたとき、以前に会ったことのあるような、妙に懐かしさを覚えた。初対面なのにみきにはなぜかなんでも話せた。自分の身の上を聞いてもらいたいと思った。みきも私に子どもを夫のところにおいて離婚していることを話してくれた。重なり合う境遇のせいか、なんとなく話も合い、いつの間にか昼間会うようになり、自然に付き合い始めた。たまに二人で映画を見に行ったり、みきに家で料理を作ってもらったり、みきといると子どもたちのことを忘れることができた。いっそ、このままみきと一緒に別の場所で暮らしてしまえば、子どもたちのことは忘れてしまえるのではと思えるようになった。
    みきも同じ気持ちだった、夫の暴力から逃げるため初めは子どもを連れて逃げたものの、執拗な夫に見つかってしまい、一緒に来た姑に無理やり子どもを連れて行かれ、子どもを守りきれなかったことで、いつも罪悪感をもっているようだった。普段は明るく振舞っているが、時々寂しい表情を見せることがあった。そんなみきも同じ傷を持つ私といることで安心できるようだった。
    ある日、みきのほうからその話を切り出してきた。日曜日、午後から近くのスーパーに二人で買い物に行って、家でみきがいつも通り手際よく料理をつくってくれる。一通り食べ終わったところでみきが、「ねえ、私たち一緒に暮らさない、私たちきっとやり直せるよ。」みきは優しいまなざしで私を見つめ問いかけてきた。自分も同じ気持ちだったので、即答できるはずだったが、一瞬間を置き、私の口から出た言葉は、「やっぱり俺、子どもたちを忘れることはできないよ、みきのことは好きだけど、みきと一緒になったら、子どもたちのことを忘れてしまいそうで。出来ればここで、子どもたちが帰ってくるのを待っていたいんだ。」みきは小さくうなずいて「うん、わかった。あなたともっと早く出会いたかった。そしたら私たち今頃きっと幸せだったと思うの。神様って人を合わせるタイミングがへたね。」と言って少し笑った。そして何事もなかったように、食べ終えた食器の片づけを始めた。私は自分がなぜそんなことを言ったのか分からず、グラスに残ったウイスキーを慌てて飲み干した。片づけが終わると、みきは何もなかったかのように、持って来たエプロンをたたみバックに入れ、いつもと変わらぬように、私が玄関まで見送って、「それじゃあ」と言って帰って行った。その後みきとはなんとなく連絡を取らなくなってしまった。みきからも電話はなかった。
     いったい俺はどうなっているんだ。いつまでも子どものことを思い続けて、それでいったいどうなるというんだ。自分の人生は、自分の物なんだから、一生に一度の人生を楽しまなければ後悔するに決まっている。みきとはきっとやり直せたはずだ、それなのに俺はいったい何を、ためらっているのか、自問自答する日が何日も続いた。みきには悪いことをしてしまったが、しかしやはり子どものことは忘れられないと思った。みきに一緒に暮らさないかといわれた時、私は一瞬、子どもたちを忘れるために新しく家族を作ることは、子どもたちを捨ててしまうような気がしたのだと思う。それに、子どもたちがもし何らかの理由で私のところへ帰ってきて、そしてそこに見知らぬ父親の新しい奥さんがいたら、きっと子どもたちはまた傷つくだろうとも思った。それでなくても両親の離婚で家族の有り方を知らずに育った子どもたちを、さらに混乱させることはできないとおもった。
    私はいつでも暖かく迎えてあげられるように、子どもたちが育ったこの部屋で一人で待ち続けてあげたいと思った。自分が親となったその日から、離れて暮らしていようと、この子達の親であり続けることが、自分にとって自然で、それが一番悔いのない人生を送れることだと気づいた。
     
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    どうせ忘れられないのなら、子どもたちが帰ってくるのをここでずっと何年でも何十年でも待っていようと決心した。決心してしまうと、子どもたちがいつかまた、「ただいま」と言って玄関のドアを開ける日が来ると思えるようになってきた。生活も日に日に元の生活に戻り始め、毎晩のように飲み歩くことはなくなった。会社の同僚に気分転換に良いからとサイクリングを勧められ、自転車を買って、休みの日に一時間半かけて、皇居まで行ってみた。皇居の周りをジョギングしている人を見ていたら、つい自分でも走ってみたくなった。一周五キロあるお堀の周りを、自転車を止めて、自分の足で走り始めた。今まで不摂生な生活を送っていたせいで、走り出してすぐにも息が上がって、ばててしまい、足を止めてしまいたくなった。そんな時、ふと子どもたちの声が聞こえた。「おとうさん。」「おとうさん、がんばれ。」「おとうさん、がんばって。」懐かしい三人の声が私を励ましたくれた。確かに聞こえた。幻聴なんかじゃ決してない。そう思った。また子どもたちの声が聞きたいと思って、走り続けた。ゆっくりでも最後まで走ってみよう、止まらずに走りきれたら必ず子どもたちにまた会える。ふと、そんな気がした。何か願掛けでもするように、子どもたちのことを思いながら、ゆっくりゆっくり走った。子供達のことをひたすら考え走っていると、子供たちといるようでいて、また、切なくもあり、複雑な心境ではあったが、一周、止まらずに走り終えた気分はとても爽快で、すがすがしかった。こんな気持ちは久しぶりだった。それからというもの、毎週土曜日、雨の日も欠かさず、皇居に来て、子どもたちにまた会えますようにと、名も知れぬ自分の神にねがいながら、幻の子どもたちに話しかけるように走り続けた。ここに来て走りながら子どもたちのことを考えていると、今までのように絶望の中で子どもを思う自分は居なくなっていた。また会える日がきっと来ると信じながら走った。
     
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     別れた妻の京子は、離婚後しばらくは実家のある高円寺の両親のところで生活していた。実家には、両親と、兄、兄嫁、小学六年と五年の兄の娘たちの六人で生活していた。一軒家とはいえ、とても京子たち親子四人が住めるスペースはなかった。それでも両親が兄夫婦を説得して、子ども部屋を開けてもらえることになった。最初は、離婚して戻ってきた娘親子を不憫に思い両親もいろいろと世話をやいてくれた。京子もそれに甘え、自分の生まれ育ったところという気軽さから、自由にふるまった。最初は涙ながらに離婚のいきさつを話し、両親も同情のあまり、娘を不幸にした男のことを娘と一緒に憎んだ。しかし、日が経つにつれ次第にその話題も尽きてきた。そして、一月が経っても廊下にまではみ出した引越しの荷物が一向に片付かない様子を見て、両親も注意をするようになった。京子はその場は、「わかった、後でやっとくから。」と返事はするものの、相変わらず一日中、茶の間でテレビを見ながら過ごしていた。
     狭い家でのこと、そのうち何もしない京子に兄嫁が不満をこぼすようになり、兄の二人の娘たちも、自分たちの部屋を占領した年下のいとこたちを、いじめるようになった。学校の道具をかくされたり、大人たちが見ていないところでは、つねったりぶったりした。それを子どもたちが母親の京子に話すと「いとこ同士なんだから仲良くしなさい。」というだけで、全く意に介すこともなく、相変わらずだらだらと毎日を過ごしていた。京子は子どもたちを母親に任せ、一切の家事から解放された自由を満喫しているようだった。
     兄も毎晩仕事から帰ると、妻からの不満を聞くのが煩わしくなり、二ヶ月経ったある日、兄は、京子にこの家を出て行ってくれと頼んだ。両親も、京子たち親子が来たことで、家の中がめちゃくちゃになっている現状に目をつぶれなくなっていた。両親と兄に説得され、京子もようやく重い腰を上げ、両親に借りてもらった、実家から歩いて五分ほどの2DKのアパートへ引っ越すことになった。実家は山のように積んであった荷物が運び出され、以前の平静さを取り戻した。
     京子は引っ越してからも、荷物を片付けるわけでもなく、必要なものを段ボール箱から取り出して、使った。住まいは別別になったが、朝食以外の食事は毎日実家で食べていた。朝、上の二人の子を学校へ送り出すと、一番下の宏隆と一緒に実家へ行って、一日中実家でテレビを見て過ごした。洗濯物も毎朝持参して母親にやってもらった。そんな怠惰な妹の様子を見かねて、兄も妹の京子に自立することを勧めた。両親も口うるさく働くように言うので、だんだん居心地の悪くなった実家に行くのも嫌になり、京子もしぶしぶ宏隆を保育園に預け、父の知人の紹介で近所のスーパーへパートに出ることになった。そして、食事も自分たちでとるようになった。急に忙しくなった京子はよく子どもたちにぐちをこぼすようになったが、子どもたちは、いつもいじめられるいとこたちがいる母親の実家へ行くのが嫌だったので、祖父母の家に行かずにすむことを喜んだ。これから新しい親子だけの生活が始まるはずだった。
     
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     京子のパート先は中堅スーパーで、レジだけでなく、品物の陳列の仕事もさせられた。結婚して仕事をやめてから、仕事に出たことがなかった京子は一日中立ち仕事のスーパーでの仕事は大変だった。またこのスーパーは店長より古株のパートのおばさんたちが仕切っていて、京子は新入りと言うこともあって、古株のおばさんたちに、いびられることもあった。すぐにやめたいと思ったが、父親の個人的なつながりで入れてもらった手前、父の顔に泥を塗るわけにも行かず、古株のおばさんたちに言われるままに、黙って働いた。毎日、スーパーの仕事に、人間関係、そして家事に追われ憂鬱な日が続いた。夕方買い物に来る同年輩の主婦を見て、自分がかつて専業主婦だった時の気楽さを懐かしく思った。早くやめて、もっと楽な仕事を探したいといつも思っていた。
     半年が経ち仕事も一通り慣れた頃、年末セールの臨時アルバイトの募集で自分より十歳若い健が入ってきた、背も高く甘いマスクの健は京子のタイプでもあったので、すぐに仲良くなった。健は、独身で、高校を出ると、漫画家を目指して上京し、専門学校に入ったものの、周りの漫画家を目指す人たちのレベルの高さに圧倒され、才能がない自分に嫌気が差し、専門学校もやめてしまい、以来田舎に帰るわけでもなく、フリーターで暮らしているらしかった。健は東京で知り合いもなく、今は彼女もいなかったので、一見若く見える童顔の京子にひかれていった。京子も、離婚した気軽さから、年下で自分の言うことをなんでも聞いてくれる健のことが好きになっていた。そして、年が明けて、正月のセールも一段落したある日、京子と健は、二人で倉庫に搬入されたばかりの商品の仕分けをしていた。最後のダンボールを片付けて一段落した時、健が京子に向かって「京子さん、ぼく京子さんのことが好きです。付き合ってください。」と告白した。京子も健のことが嫌いではなかったが、自分は三人の子持ち、好きといっても、かわいい弟のつもりで見ていた健の突然の告白に驚き、どう返事をしていいのかわからず、何も答えることができず、突然の告白に、ただ健の顔をきょとんと見つめた。健は何も返事をしない京子に、返事を催促するかのように、京子の二の腕を掴みキスをした。京子も一瞬、独身にもどったような気持ちになり、健とならもう一度人生をやり直せるような気がして、返事の変わりに健の唇を思いっきり吸い返した。その後二人の関係は急速に親密になっていき、仕事が終わると、スーパーで働く古株のおばさんたちに、ばれないように二人だけで会うようになった。古株のおばさんたちにばれたら毎日冷やかされて大変なことになることは目に見えていたので、仕事場では、なるべく口を利かないようにした。仕事が終わって、二人で飲みに行ったり、健のアパートへ行ったりした。健のアパートは一部屋だけでテーブルとテレビ以外家具らしい家具もなく、漫画家を目指していた名残か、スケッチブックが無造作に置かれていた。健は、この部屋で、京子を抱いた。時々健は京子をモデルにしてスケッチブックに絵を描いたりした。しかし、京子は遅くなっても子どもたちの待つアパートへ帰っていった。やはり年端も行かぬ子どもたちを残して外泊はためらわれた。
     
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     1月いっぱいで健は契約期限が切れ、スーパーをやめた。京子はもうこれで古株のおばさんたちの目を気にしなくてすむと思うと、ほっと安心した。健がスーパーをやめてからも、二人の付き合いは続いた。健は次の仕事がなかなか決まらず、家賃を滞納していたアパートも追い出され、京子を頼ってきた。京子は子どもたちとうまくいくか心配だったが、健をほっておくことも出来なかった。それに、健とはもう別れることが出来ないほど愛していた。京子は健と一緒に住むことをOKした。京子はこれからのことも考えると、健に子どもたちに会ってもらいたいと前々から思っていた。健は初め、子どもたちに得意の絵を描いてやって、子どもたちを喜ばせた。子どもたちもすぐになついた。そんな健と子どもたちを見ていて、京子は安心した。これなら健と私たち、親子五人としてやっていけると思った。しかし、健が子どもたちの面倒を見たのは最初だけだった。やはり興味は京子だけだった。健にとって、子どもたちはわずらわしかったし、二人だけで会っている時と違い、家の中で京子が子どもにばかりかまって、自分の相手をしてくれないことに不満を持つようになった。時々京子が子どもたちばかりかまっていることに腹を立て、子どもの目も気にせず、京子を後ろから抱きしめ甘えたそぶりをすることもあった。京子はさすがに子どもの目を気にして、子どもを諭すように「あとでね。」といって健の腕を振り払った、それでもしつこくまとわり着いてくる健を、「もう、子どもが見てるんだから、やめてよ。」と怒ることもあった。相手にされない健は、テーブルにあった、雑誌を壁にぶつけたり、こぶしで壁を叩いたり物にあたった。しかし、京子には直接手を上げることはなかった。健の不満はどんどんたまっていった。
    健の不満のはけ口は、自分のいう事を聞かない、駿一に向けられた。健はちっとも自分になつこうとしない駿一が、母親と自分との関係を嫌がっていることを感じていた。駿一の自分を見る目が嫌いだった。母親が留守の時を見計らって、子ども部屋で三人だけで遊ぶ子どもたちの部屋をのぞき、駿一だけを呼んで、テレビのある自分と京子の寝室に連れて行きふすまを閉めた。敷きっぱなしなっている蒲団の上に駿一を立たせ向かい合った。左腕で駿一の右肩をつかみ、小さな駿一のお腹をめがけて強くにぎったこぶしに力をこめて殴った。そして、うずくまった駿一の体をけった。駿一は、突然何が起こったかわからず、あまりの恐怖と痛みで声も涙も出なかった。男は、駿一の髪の毛をつかみ、顔を覗き込んだ。そこにはいつも自分に反抗的な目はなかった。脅えた駿一の目を見て満足げに、「誰かに言ったら、もっとひどい目にあわせるぞ。」と言って口止めをして出て行った。男が出て行くのを見て、異変に気づいた優佳子が、慌ててうずくまっている駿一に駆け寄った。「駿一、どうしたの、あの男に何かされたの?」心配そうに駿一に聞いた。駿一は痛みをこらえて「おねえちゃん、なんでもないよ、だいじょうぶ、ちょっとお腹が痛いだけだから。すぐに治るよ。」優佳子は心配そうに駿一の背中をさすってあげた。駿一は今あった出来事を姉に話すと、きっと今度は姉がやられると思った。姉に背中をさすってもらいながら、母親の匂いのする蒲団に顔をうずめて姉に気づかれないように泣いた。そんな駿一を優佳子はただ見ているしかなかった。  
    駿一は恐ろしさのあまり誰にも相談できなかった。それからもたびたび、この男の欲求不満のはけ口となって殴られた。男は、いつも決まって母親が居ない時に、駿一だけを自分たちの寝室へ連れて行った。駿一は部屋に入ると脅えるように壁の隅に向かってしゃがみこみ最初から小さな背中を丸めてお腹を守るようにうずくまって、殴られたり蹴られたりした。男はいつも最後に駿一の髪をつかみ、駿一の脅える目を見て満足げに部屋から出て行った。
    この男が、現れたことで、駿一にとっては、地獄のような生活が始まった。駿一は逃げ出すことも、誰かに助けを求めることもできず。ただじっと虐待を受け続けた。そして、駿一から明るさを奪い取ってしまった。
     京子は毎日の生活に追われ大変ではあったが、駿一が健に虐待を受けていることを優佳子から聞かされていたし、うすうす感じていた。しかし、京子もすでに健と別れることができないほど、健を愛していたので、見てみぬふりをした。京子にとって、この若い男を失うことはすでにできなくなっていた。
     健が、以前のように二人だけで過ごしたいとしつこく何度も言うので、休みの日に子どもたちを祖父母の家に行かせるようにした。子どもたちがいなくなると、二人は思う存分愛し合い、二人だけの生活を満喫した。          しかし、変に思った実家の両親が、子どもたちから健の存在を聞きだし、十歳も年の離れた定職にもつかない男と付き合うことを京子に再三注意した。それでも京子は健と別れることができず。そのうち実家とも疎遠になっていった。健とも二人でいたいし、かといって、両親にばれた以上、両親は子どもたちを預かってくれず。京子は健が離れていくようで怖かった。
     健は子どもが三人も居る京子との生活に嫌気が差し始めてきていた。近頃では、次のバイト先で知り合った女子高生と付き合い始めていた。京子は健の帰りが遅くなったことや、頻繁にメールをしているのを見て、別に女が出来たと直感した。年上の京子は健に直接やきもちをやいている自分をぶつけることはせず、二股をかけられているのを承知で気づいていないふりをした。
    健も、とりあえず行くあてもなく、寝るところも、食事もある京子のアパートは都合が良かった。
    京子は何とか健をつなぎとめて置きたかった。京子も今では子どもたちの存在が少し煩わしく感じていた。しかし、離婚のとき、子どもたちは私が育てると言い切った手前、別れた夫に自分から連絡をすることはできなかった。それに、あの二度と顔も見たくない、声も聞きたくない夫に、自分から夫への罰として二度と子どもに合わせないようにしようと心に決めていた。
     しかし、毎日いらいらしている健を見て、京子は、しかたなく子どもたちに、二月の三連休にお父さんのところへ行くように言った。京子は子どもたちが別れた夫に電話をするところを見たくなかったので、優佳子に十円玉を数枚手渡して、外の公衆電話からかけるよう言った。子どもたちは十円玉を受け取ると、またお父さんに会えると、大喜びで、公衆電話のある外へ飛び出して行った。一番近くの電話ボックスに三人で入って、駿一が受話器を取り、優佳子が十円玉を一枚入れて、まだ忘れずに覚えていた電話番号を押した。宏隆は駿一が話し始めるのをじっと待った。
     
    11 
     
    離婚して、二年経ったある日曜日、遅めの朝食をとって、インスタントコーヒーを飲みながら、テーブルで朝刊を読んでいると、電話が鳴った、電話のナンバーディスプレーは公衆電話を表示していた。ひょっとして子どもたちからかも知れないと直感した。受話器を取ると、駿一の声が飛び込んできた。
    「おとうさん、ぼくだよ、しゅんいち。おとうさん元気?」久しぶりに聞く駿一の声は弾んでいた。
    「駿一か、お父さんは元気だよ。みんな元気か?」
    「ん、げんき。」
    「ずっと電話がなかったからお父さん心配してたんだよ。元気かよかった。」
    「ん、おかさんが、おとうさんに電話しちゃだめだって言ってたから、電話できなかったんだ。」
    「ふーん、そうか。お父さん、駿一たちから電話がかかってくるのをずっと待ってたよ。久しぶりに駿一の声が聞けて、お父さんうれしいよ。」やさしい父の声を聞いて、駿一の目から大粒の涙がこぼれた。父が自分からの電話を待っていてくれたことが、うれしくて、父ならあの男から自分を救い出してくれると考えると、早く父に会いたかった。駿一は涙声で、
    「おとうさん会いたいよ、ぼく、おとうさんに会いたいよ。」
    「お父さんも、駿一に会いたいよ、泣かなくていいから、きっと会えるから。」
    「ん、こんど行くね、待っててね。」横で宏隆が「おにいちゃん、かわって、かわって」と言う声が聞こえる。駿一が「ひろたかが、うるさいからかわるね。」と言って、次に宏隆が、
    「おとうさん、ぼく、ひろたか。おとうさん、くつ買って。ぼくのぼろぼろなの。それとね、おもちゃも買ってくれる?」
    「ん、いいよ。買ってあげるから、帰っておいで。」
    「ほんとに、やくそくだよ。じゃあ、ゆかこねーちゃんにかわるね。」別れた時は、まだ赤ちゃん言葉が残っていたのに、宏隆はずいぶんしっかりした口調になっていた。
    「あっ、お父さん、優佳子。お父さん元気?」
    「ん、元気だよ。優佳子も元気そうだね。安心したよ。学校はどう、楽しいか?」
    「ん、まあまあ、けっこう友達もできたし。」
    「そうか、よかった。」
    「あの、お父さん、来週の三連休にお父さんの所に遊びに行ってもいい?」妙に他人行儀に聞こえたが、久しぶりに話をして、優佳子もどうやって話していいのかわからない様子だった。私は電話の向こうにいる子どもたちに「ばかだな、自分たちの家に帰るのに遊びに行くって言うのは変だろう。ここはいつまでも優佳子たちの家なんだから、いつでも帰っておいで。」
    そして、来週私が迎えに行く約束をして、電話を切った。今すぐにでも会いに行きたかった。子どもたちは私のことを忘れずに覚えていてくれた。また、子どもたちに会える。そう思うと、うれしくて、うれしくてしょうがなかった。
     約束の日、車で子どもたちと待ち合わせた場所へ向かった。約束の時間よりずいぶん早く到着した。もうすぐ子どもたちに会えると思うと、居ても立ってもいられず、車から出て、子どもたちが来るのをまった。遠くのほうから三人がリュックを担いで歩いてくるのが見えた。段々と近づいてきて、三人も私に気がつき、走りだした。「おとうさん」三人は口々に私を呼んだ。二年ぶりに会う子どもたちは、みんな一回り大きくなっていたが、分かれたときと同じ顔で、私に飛びついてきた。この日が来るのを、どれだけ待ちわびたことか、やっとその日が来た。子どもたちを、待ち続けてよかったと思えた瞬間だった。子どもたちも私と会いたいと思っていてくれたことが本当にうれしかった。車の中で、二年間のことを、子どもたちは、いっせいにしゃべり始めた。母親との生活のことや、学校のこと、新しく出来た友達のこと、話は尽きなかった。
     子どもたちの話では、母親は、最初実家に戻ったが、すぐに別にアパートを借り、最近、母親の彼氏も一緒にそのアパートに暮らしていることがわかった。京子より十歳も若く、長女の優佳子は「あの人、私のこと変な目で見るから嫌い」といっていたが、一番下の宏隆はなついているのか「絵がうまいよ。」と教えてくれた。駿一は、健については何も話さなかった。別れた妻が誰と付き合おうが、再婚しようが関心はなかったが、その健と言う男に子どもたちを取られたような気がして、子どもたちと一緒に暮らす見たことのない健に嫉妬心を覚えた。つくづく離婚をして、子どもを手放したことを後悔させられた。運命とはいえ、こんな小さいときから、親の離婚がもとで、父親と別居、そして母親の男友達との同居、子どもたちはどう思っているんだろうか、大変な思いをさせてしまい。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。本当にごめん、お父さんとお母さんが馬鹿だった。もっと、君たちの事を考えてよく話し合って決めるべきだった。けなげにも自分ではどうにもならない運命に子どもたちなりに受け入れている様子を聞くと胸が熱くなった。
     駐車場に車を止めると、子どもたちは、自分の家を思い出した喜びで、マンションに向かってかけていった。そして、玄関を開けて、元気良く「ただいま」といって入っていった。後ろから私は、「お帰り、みんなが帰ってくるのを、ずっとまっていたよ。」と答えた。
     子どもたちは、前に住んでいたときの自分たちの部屋に荷物を置いて、久しぶりの我が家を走り回った。自分たちが壁に描いたいたずら書きを懐かしそうに見ていた。優佳子が、
    「お父さん、何にもないね。」
    「そうだな、荷物はお母さんがほとんど持って行っちゃったから、何にもないよ。」
    「でも、みんなの蒲団は買っておいたから、大丈夫だよ。」
    「そう、ありがとう。」
     駿一も一通り見て回って、
    「おとうさん、あたらしいおかあさんいないの?」
    「いないよ、お父さんの家族は駿一たちだけだから、新しいお母さんは要らないんだよ。それに、お父さんはお母さんみたいにもてないから。」
    「ふーん、そうなんだ。あたらしいおかあさんいないんだ。おとうさん、ひとりでさみしくない?」
    「さみしいよ、駿一、お父さんの所に帰ってきてくれる?」
    「ん、ぼくおとうさんとくらす。おかあさんきらい。」
    横から宏隆が割り込んできて、「おとうさん、早くおもちゃ買いに行こうよ。早く。」とせがんできた。「そうだね、ひろ君と約束したんだもんね、それじゃ行こうか。」
     二年分の穴埋めをしてやるつもりで、昨日銀行から少し多めに現金を引き出しておいた。車を駅前のデパートの駐車場に入れて、早速7階のおもちゃ売り場に行った。子どもたちは、うれしそうにおもちゃを選んだ。優佳子はおもちゃより漫画がほしいというので同じ階の書店で、好きなだけ漫画を買ってあげた。優佳子は嬉しそうにショッピングカートのかごにほしい漫画を入れて行った。私は子どもたちにお金が使えることがうれしかった。母親があまりかまっていないのか、三人の着ている服は、よれよれであまりにもみすぼらしく、くつもぼろぼろだった。宏隆のくつには穴が開いていた。電話でくつを買ってくれというわけがわかった。この子たちはいったいどんな生活を送っているんだろうか、本当に幸せに暮らしているのだろうか、とにかく、きちんとしたものを着せてあげたいと思い、三人の洋服やくつを一そろい買った。子どもたちのうれしそうな様子を見て、私もうれしかった。最上階のレストランでみんなそれぞれ思い思いに食べたいものを注文して昼食を食べてから家に戻った。
     子どもたちは早速、買ってきたばかりのおもちゃを開けて遊んだ。寂しかったこの部屋に、また以前のにぎやかな声が帰ってきた。夕食はみんなの希望を聞いて焼肉を食べることになった。近所にある焼肉店へみんなで歩いて行った。みんなでいろいろな話をして食べる食事はおいしかった。
     食事から帰って、男の子二人を風呂に入れてあげた。駿一を洗ってやっているときに、背中や腕にあざがあるのを見つけた。駿一にこれはどうしたのか聞くと、黙って下を向いたまま何も答えなかった。駿一はお父さんに打ち明けたかった、だけどあの男のことを思い出すと怖くて声にならなかった。いったいこの子に何があったのか。いいようのない不安を覚えた。これ以上聞くのをやめ、痛くないように優しくタオルで洗ってあげた。風呂から出て、またみんなで夜遅くまでゲームをして遊んだ。何もない六畳間に布団を並べて敷いて寝た。私はうれしくてなかなか寝付けなかったが、子どもたちの寝息を聞いていて、言いようのない安らぎを感じ、生きていてよかったと思えた。心の中で自分が願い続けた神に感謝した。「神様、私にまた子どもたちと会えるチャンスを与えて頂き感謝いたします。神様はやはりいたのですね。」そう心の中でつぶやいた。
     でも、いったい駿一はどうしたんだろう、あのあざは何なんだろう。母親なのか、健と言う男なのか、それともただの友だちとのけんかで出来たあざなのか、この休みの間に聞きだしたいと思った。明日行く後楽園遊園地のことなどを考えているうちに眠りに入っていった。
     翌日、簡単にトーストと牛乳で朝食を済ませ、地下鉄で後楽園に向かった。外は凍るように寒かったが、三連休の中日と言うこともあって、後楽園は入場券を買う人の列が続いていた。中に入り、戦隊もののショーを見たり、乗り物に乗ったり、ゲームをしたりあっという間に時間が過ぎてしまった。以前のように最後にみんなでプリクラを撮って帰った。途中、宏隆は疲れて眠くなったのか抱っこしてくれとせがむので、抱っこしてやるとぎゅっと私の首に小さな暖かい手を回し、耳元で「おとうさん、ありがとう」って言って寝てしまった。
     最後の日は昨日の疲れもあってみんな十時ごろまで寝ていた。起きて顔を洗うとみんなで近所のスーパーへ買い物に行き、昼食に食べる、カレーの材料を買ってきた。カレーは優佳子と私の二人で作った。優佳子も母親の手伝いをしているのか、なかなか手馴れた手つきで材料を切っていった。子どもと一緒に作ったカレーの味は今まで食べたカレーの中で一番おいしかった。しかし、時間は無常にも子どもたちとの別れの時間に近づいてきた。荷物をまとめて帰る準備をするように言うと、駿一と宏隆は帰らないと言い出した。私も母親のところに返したくはないと思ったが、親権が向こうにある以上それは出来ないことを、この小さな子どもたちに説明した。難しくてわからなかったと思うが、母親の承諾がなければ、私のところへは帰れないことだけは理解したようだった。もしこの子達が私のところへ戻ってきてくれるなら、こんなにうれしいことはないと思った。駿一と宏隆は「おとうさん、かならずかえってくるから」と言ってくれた。私は黙っている優佳子に向かって「優佳子はどうする?」と聞いた。優佳子は少し考えてから私に「ん~、私、今の学校の友達とうまくいってるから、お母さんのところにいるよ。また、ちょくちょく遊びに来るから、お父さん寂しくないよ。」と答えた。女の子らしく、私のことも、母親のことも気づかっている、優佳子のやさしさがうかがえた。ちょっぴり大人になった優佳子がそこにいた。私もそれはそれでいいと思った。
     車でアパートの近くまで送り荷物を降ろすと、子どもたちも観念したように車から降り、最後にまた会う約束をした。私はしばらく子どもたちの後姿を見送っていた。突然宏隆が振り返り走って駆け寄って私に飛びついてきた。「おとうさん、ぼくやっぱりおとうさんのところがいい。」その後を追って駿一も走ってきた、私はしゃがんで二人を思いっきり抱いて、ただ「ごめんね、今はそれは出来ないんだよ、お母さんと、話してお母さんがいいって言ったらお父さんはいつでも迎えに来るから」と言って子どもたちをなだめた。子どもたちは「おかあさんに、話してみる。」と言って、今度は本当に帰っていった。子どもたちの後姿が曲がり角から消えると、また、言いようのない寂しさを覚えた。とうとう、駿一のあざのことは聞きだすことが出来なかった。もっとちゃんと聞けば良かったと悔やんだ。
     
    12
     
     子どもたちが、アパートに戻ると、母親と健はこたつで抱き合っていた。子どもたちが鳴らしたドアのベルを聞いて、二人は、ぱっと離れた。京子は、何事もなかったかのように、髪を手で整え、乱れた服のボタンをはめ、玄関の鍵を開けた。「おかあさん、ただいま。」優佳子が先頭で、三人はくつを脱いで部屋に上がった。京子は子どもたちに「どうだった。楽しかった?」と聞いた。テレビの置いてある部屋に健がいるのに気づいた優佳子が、「ん、楽しかったよ。」とだけ言って、荷物を持って自分たちの部屋に入っていった。健も子どもたちが帰ってきたことで、なんだかしらけたようで、京子に向かって、ちょっと出かけてくると言って、無造作に投げ捨てられていた、ジャンパーを掴むとだるそうに立ち上がり、玄関ですれ違った駿一を、一瞬にらみつけ、宏隆の頭をぽんと軽くたたいて、出て行ってしまった。京子は慌てて、サンダルをつっかけ、その後姿にむかって、「ねえ、夕飯どうするの、一緒に食べるんでしょ?」と聞いた。健は聞こえないふりをして駅の方角へ向かって歩いていってしまった。
     京子は、ぶつぶつと何かいいながら部屋に戻ってきた。子どもたちは、父親に買ってもらったおもちゃや本をそれぞれ片付けていた。京子はそれを見て「まあ、ずいぶん買ってもらったわね。」と一言言ったきり何も言わなかった。京子は今出て行った健のことが気になっていた。新しい彼女のところへ行ったんじゃないかと心配だった。
     そんな母親のところへ、駿一が突然、「おかあさん、ぼくおとうさんのところでくらしていい?」と聞いてきた。京子は今出て行った健のことを考えていたのと、駿一の声が小さいのとで、駿一が何を言ったのかわからず、「え、なに」と聞き返した。駿一はあの男から虐待を受けるようになってから、大人と話すことが怖くなっていて、母親と話すときも小声で話すようになっていた。駿一は、勇気をふりしぼって、もう一度母親に向かって、少し大きな声で、「ねえ、おかあさん、ぼくおとうさんとくらしたい。いいでしょ?」京子はやっと駿一の言っていることがわかった。「だめ、だめに決まってるでしょ、お父さんは悪い人なの、お母さんが嫌いな人なんだから、あなたたちも嫌いにならなきゃだめなの、わかった。」それでも駿一はあきらめなかった。「おかあさんがきらいでも、ぼく、おとうさんのこと好きだから、ねえ、だからいいでしょ?」駿一も、少し興奮していたのか、以前のときのように大きな声で母親に言い返した。京子は怒ったように「だめなものは、だめななの、言うこと聞きなさい。そんなこと言うなら、もう二度とお父さんのところへは行かせないから。わかった。」二人が言い合うのを横で見ていた宏隆が泣き出さした。優佳子がそれをなだめ、子どもたちの部屋に連れて行った。京子は一方的に話を打ち切って、こたつにもぐりこみテレビのスイッチを入れた。京子は、子どもたちの父親にだけは、何が何でも渡したくなかった。京子は健のことを考えると、子どもたちは煩わしかったが、別れた夫への憎悪もまだ根深く、子どもをどうしたいのか、二つのことが入り混じり、頭の中で整理が付かなかった。
     健は夕飯の時間になっても帰ってこなかった。四人は黙って夕飯を済ませた。駿一は、自分たちの子ども部屋に戻って、母親にだめだといわれたことを考えていた。これからずっと、おとうさんに会えなくなること、また、あの男に殴られたり、けられたりすることを想像すると、この家から逃げたいと思った。その夜、駿一は家出をする決意をした。
     
    13
     
     翌日、駿一は優佳子と一緒にいつも通り学校に行った。夕方、学校から帰ると、公園で一人で遊ぶ宏隆を見つけて、二人でベンチに座って自分の計画を話した。
    「ひろたか、きのう、おかあさんが、もう、おとうさんのところへ行っちゃだめって、言ってたでしょ、オレ、家出しておとうさんのところへ行くから、ひろたかはどうする?」「おにちゃん、ぼくも行く。」
    「よし、それじゃ、このことはだれにも言っちゃあだめだぞ、わかった?」
    「ん、わかった。おねえちゃんにもないしょだね?」
    「ん、おねえちゃんにも言っちゃだめだ。」
    話し終わると、誰もいない滑り台とブランコしかない小さな公園で二人だけで遊んだ。
     次の土曜日、母親と健が仕事に出かけていなくなると、駿一と宏隆は、自分たちのリュックに詰め込めるだけおもちゃを詰め込んだ。そして、姉の優佳子に、「おねえちゃん、ぼくたち家出してお父さんのところへ行くから。」優佳子は「ん、わかった。気をつけて。」とそれだけ言って、二人の弟を見送った。駿一と宏隆はとにかくこのアパートから離れたいと思って走った。父親に先週車で送ってもらった道を思い出しながら、走った。しばらくして、宏隆が「おにいちゃん、つかれたよ、すこしやすも。」駿一は走るのをやめ、宏隆と近くにあったバス停のベンチに腰掛けた。
    「おにいちゃん、おとうさんのおうちわかるの?」
    「ん、だいたい。」
    そう言うとまた、とぼとぼと歩き始めた。駿一も、内心不安だった。この道で本当にあっているのだろうか?お母さんが追いかけてこないだろうか?いったい自分がどこを歩いているのかもわからなかった。通りかかったコンビニの前にあった公衆電話で、先週父親に買ってもらったテレフォンカードを使って、お父さんに電話をした。すぐに電話に出た父親に、「おとうさん、ぼくしゅんいち、家出したの、ひろたかもいっしょだよ。むかえに来て。」私は、驚いて「しゅんいち、どうした?なにかお母さんとあったのか?」
    「ん、おかあさんが、もうおとうさんに会っちゃだめだって、ぼく、おとうさんのところでくらしたい。」少し半泣きの声だった。私はこれ以上聞くのをやめ。
    「今どこにいるの?わかる?」
    「ん、この前、おとうさんが送ってくれた道を歩いたんだけど、わかんなくなっちゃった。」
    「それじゃあ、近くに、お店がないかな」
    「いま、コンビニの前の電話で電話してる。」
    「それじゃあ、コンビニの人にコンビニのお店の名前とコンビニの前の道路の名前を聞いてもう一度電話してみて。おとうさん、すぐに迎えに行くから。」
    それから、すぐにコンビニの名前と道路の名前を聞いた駿一からまた電話があった。私は大体の見当をつけて、二人が待つコンビニに向かった。
     一時間ほどで、二人の待つ、コンビニに到着した。二人は、私の車を見つけると、すぐに乗り込んできた。私の顔をみて安堵したのか、二人は少し目を潤ませていたが、とてもうれしそうだった。
     
    14
     
     車の中で二人から、先週分かれた後、母親と話し合ったことを聞いた。家に戻り、二人に先週子どもたちが来たときに買った、お菓子とジュースを出すと、家出の興奮も冷めて、少し落ち着いたようだった。私は改めて子どもたちに聞いてみた。
    「二人は本当にもう、お母さんの所へは戻らないのか?」
    「ん、ぜったいもどんない。」と二人は口をそろえてそう答えた。
    「お父さんのとこへ帰ってきてくれるのはうれしいけど、お父さんも昼間は会社に行ってるし、夜遅く帰ってくることもあって、大変だよ。ご飯とか作って上げられないかもしれないよ。」
    すると駿一が「ぜんぜん平気だよ、ぼくたちおかあさんのところでも、おかあさんが夜おそく帰ってくるときは、三人でコンビニのおにぎり買って食べてたから、なれてるよ。」
     母親が、子どもたちをほったらかして、健と遊んで遅くなるのだろうか、その辺りは子どもたちの話では、はっきりしなかった。
     私も子どもたちが帰ってくれることは嬉しいが、京子の同意がないことが気になった。そんな私の表情を察したのか、駿一が立ち上がり着ていたトレーナーを脱いで背中のあざを私に見せこう言った。
    「それに、ぼく・・・」あの男から受けた虐待を思い出したようで、泣きながら話を続けた。
    「それに、ぼく、あの男にたたかれたり、けられたりして、あのおうちにいるの、こわいの。ねえ、おとうさん、助けて、ぼくを、あのおうちに帰さないで。おねがい、おとうさん。」
     八歳の駿一の小さな背中は紫色になっていた。私は、泣きながら話す駿一に服を着せて、軽く抱いて、背中をそっとなでながら、「駿一、大変だったな、よく我慢したね、つらかったろ、もう大丈夫だよ、お父さんが、これからお前たちを必ず守ってあげるから、もう泣かなくていいよ。」弟の宏隆は、テーブルの上に置いてあったティッシュペーパーでおにいちゃんの駿一の涙を拭いてあげた。
     私自身子どもたちが戻ってきてくれたことはうれしかったが、現実として本当に育てられるのか不安もあった。しかし、駿一の告白を聞いて、そんなことを言っている場合じゃないと思った。とにかくこの子たちを助けたいと思った。この子たちを守ることが出来るのは自分しかいない、何が何でもこの子たちを、狂った大人たちから守ろうと決意した。
     しばらくして、駿一からアパートの電話番号を聞いて、優佳子に電話を入れた。駿一と宏隆はお父さんのところにいること、お母さんが帰ってきたら電話をしてほしいことを伝え、優佳子も二人が、無事私の所に行けてほっとした様子だった。優佳子にも、お父さんのところへ戻ってこないか聞いてみた。優佳子は少し間をおいて、「お父さん、わたしはだいじょうぶ。それにわたし、こっちの学校気に入ってるし、二人のことよろしくね。それと・・・お父さん、この前お父さんに会った時に話したかったんだけど、どうやって話せばいいのかわからなくて・・・・、わたし駿一のこと守って上げられなかった。」「わかった、もういいよ、みんなお父さんとお母さんが悪いんだ、優佳子のせいじゃないよ。後はお父さんにまかせて、優佳子は何も心配しなくていいよ。優佳子も、もし何かあったら、いつでも戻っておいで、お父さんはいつでもここで優佳子が帰ってくるのを待っているから。」そう答えるとそばで駿一と、宏隆がお姉ちゃんと話したいと、じっと私が話し終えるのを待っていた。二人に電話を換わって私はソファーに腰を降ろし、子どもたちが電話で話す様子を聞いていた。運命とはいえ、まだ小さな三人の子どもが、離れ離れになる決断をしたことに、親としての責任を感じた。今までずっと一緒だった三人を離れ離れにしてしまった責任は大きいと感じた。二年前に離婚を安易に決めてしまったことでこの子たちにつらい思いをさせたばかりか、ついに三人を離れ離れにさせてしまった罪は大きいと感じた。いまさら後悔しても始まらないが、あの時離婚届にサインしなければ、この子たちをこんなつらい目にあわせずにすんだのにと思うと、あの時に時間が戻せるなら戻して、この不幸な現実に遭った出来事を、子どもたちの記憶から消し去ってあげたかった。しかし、起きてしまった現実を思い、大きくため息をついて、これからのことを考えた。
     夕方、仕事から帰った京子から電話があった。駿一と宏隆をこちらで預かったことを話し、二人をこちらで育てることを伝えた。最初は親権を盾に二人を帰すように、以前の離婚の話し合いの時のような激しい口調で話していたが、駿一のあざの話をすると、京子は、あの男をかばって、「二人はそっちで育てていいから、警察だけには届けないで。」と涙声で訴えた。この女は、どうかしていると思ったが、親権を戻すことを条件に私も警察に届けないことを承知した。
     子どもたちは、自分たちのおもちゃしか持って来ていなかったので、次の日は朝から、子どもたちを連れて、近所のスーパーで当面必要な衣類や日用品を買いにいった。
     
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     月曜日、会社を休んだ。会社には細かい説明をするのが面倒だったので、家庭の事情とだけ伝え、同僚に代わって仕事をしてもらえるよう頼んだ。子どもたちを連れ、親権を変更する手続きをするため、市役所へ行った。役所の説明で、家裁で調停を受けなければ、親権を変更することが出来ないと聞き。その足で家裁へ行った。霞ヶ関にある家裁の広いロビーには、調停を申請する人でごった返していた。順番待ちの札を取って、呼ばれるのを待った。離婚届は市役所に提出するだけなのに、親権を戻すのは、そう簡単ではなかった。申請書類の説明を聞き、申請書のほかに必要な書類をそろえなければならなかった。その日は、結局申請できずに家へ戻った。
     一週間後、会社を午後から早退して、親権者変更の申請に必要な書類を持って家裁へと向かった。家裁は、この前来た時と同じように人であふれていた。毎日こんなに大勢の人が、何らかの調停を申請していることに驚いた。番号札を取って、ロビーのソファーに腰掛け自分の順番を待った。小さな兄弟を連れた母親もいる。子どもたちはこれから起こる事は何も知らず無邪気におもちゃで遊んでいる。この子たちが私の子どもたちと同じ目に会わなければいいと思いながら、おもちゃで遊ぶ子どもたちを見ていた。申請はすんなり受理された。説明では、一週間後ぐらいに調停の日時を知らせるはがきが来るので、実際に調停が行われるのは一ヵ月後ぐらいだと聞き、その日は、家に帰った。
     駿一の学校のことや、宏隆も四月から一年生になることなどを考え、手続きや、準備にまだまだ大変なことや、子どもたちに食べさせる食事のことなど、落ち着くまでに時間がかかりそうだたった。仕事も休みがちで、上司から注意を受けていた。このままでは、子どもたちのこともちゃんとできないし、会社にも迷惑がかかると思い、思い切って会社を辞めることにした。田舎に帰って子どもたちを両親に見てもらおうとも考えたが、優佳子のことも気がかりだったので、優佳子に何か有ったらいつでも優佳子が帰って来られるこの家で、優佳子を待っていてあげたいと思った。二人の子どもたちとの生活が安定するまで退職金と失業保険でしばらくは生活できると考えた。落ち着いたら仕事を探せばいいと思った。大きな組織の歯車のひとつでしかない自分が辞めたからといって、会社は何も変わらない事は承知していたし、会社もリストラのために人員削減を計画していた最中だったので、辞表はすんなりと受理された。
     いま自分がしなければいけないことは、子どもたちを落ち着いた環境に置いてあげること、それだけを考えた。子どもたちの住民票を移し、駿一を近くの小学校へ転校させ、宏隆の入学の準備をした。子どもたちに温かいご飯を食べさせようと、本屋で買ってきた料理の本を見ながら、簡単な家庭料理を作れるように毎日、台所で包丁を握った。
     家裁で調停が行われる日、春休みに入っていた子どもたちを残し、一人で霞ヶ関にある家裁へ向かった。十七階にある見晴らしのよい待合室の窓からは、いつも走っていた皇居のお堀が見えた。ほどなく、男性の調停員から呼ばれ個室に通された、京子も女性の調停員に連れられ部屋に入って来た。心なしか二年前より少しふっくらしたようだったが、私は京子と目を合わせないように、前にいる調停員の方を向いて始まるのを待った。男性の調停員から経緯を聞かれ、事情を説明した後、個別に話すとのことで、私は一旦、さっきまでいた待合室に戻された。五分ほどで、また男性の調停員に呼ばれ今度は私が二人の調停員に意志の確認を求められ、京子も同意しているとのことで、すんなりと決まった。しばらくまた待合室で待って、また呼ばれると、今度は女性の裁判官が最終的に意志の確認をして終了した。
     これで親権は私に戻ったが、その後も戸籍の変更やらで、役所に手続きのため何度か足を運んだ。戸籍が私のところへ戻ったからと言って、自動的に子どもたちの苗字は変わらなかった。苗字の変更のためまた、新たにまた家裁へ氏の変更申請をした。これも申請書以外に必要な書類を役所に取りに行ったり。一回では終わらなかった。あらためて、子どもを引き取る大変さを感じさせられた。しかし、子どものために走り回ることが嬉しかった。生きていると実感できた。
    四月に入り子どもたちも新しい学校に慣れ、毎日元気に通うようになると、私たち三人の新しい生活は安定してきた。子どもに食事を作ったり、勉強をみてやったり、子どもたちからその日学校で起きた出来事を聞くのが楽しかった。あの一人でいた頃の寂しい暗い部屋は、子どもたちが帰ってきて、また息を吹き返し部屋の空気も生き生きとしてきたようだった。
     しかし、昼間は元気な駿一も、母親のところで遭った虐待の後遺症は続いていて、夜中夢に出てくるのだろう、うわごとを言ったり、大きな声で「やめて。」と言って飛び起きることもあった。駿一の負った傷は深いと思った。この子が一日も早くこの恐怖から抜け出せるように、毎晩三人で手をつないで寝た。初め小さな手は、父親といることを確認するかのようにぎゅっと私の手を握ってきた。早く、この子が経験した忌まわしい出来事を忘れさせてあげたいと思った。そのためにも、これからこの子たちに楽しい思い出をいっぱい作ってあげ、忌まわしい過去を記憶の隅に押し込めてやりたい、できれば消し去ってやりたいと思った。
     
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    駿一と宏隆が、父親のところへ行ってしばらくして。京子の生理が止まった。どうやら健の子どもが出来たようだ。京子は気になって、近くの産婦人科で診てもらった。やっぱり妊娠していた。京子は健との子どもを身ごもったことで、これで健をずっと自分のところに、つなぎとめておけると思うと、うれしかった。京子はその夜、蒲団に入り豆電球にして、薄明かりに中、隣で横になっている健の顔を見て、お腹に健の子どもがいることを話した。『健ちゃん、今日産婦人科で診てもらったら三ヶ月だって、健ちゃんの子よ。』すると、健はしばらく黙り込んでしまった。京子がまた「私、あなたの子ども生みたいの、いいでしょ。」やっと重い口を開いた健は、「おれ、自信ないよ。無理だよ。」と小さな声で、健は京子に降ろしてくれるように頼んだ。京子はこれで健と一緒になれるものだとばかり思っていたので、健の返事に呆然としてしまった。その後二人は黙ったまま、京子は健に背を向けた。そんな京子に健はその夜も、身ごもった京子に関係を迫った。京子はお腹にいる赤ちゃんのことを考え、執拗に迫る健を押しのけた。京子は眠れなかった。喜んでくれるとばかり思っていた健から、子どもを降ろせといわれて、動揺していた。いったいこのお腹の子はどうしたらいいんだろう。いろいろなことを考えていると、隣の蒲団で寝ていた健が、そっと蒲団から抜け出した気配に気づいた。トイレでも行くのだろうか。しかし、その足音はトイレではなく、優佳子が眠る子ども部屋のほうに向かっていた。健は静かに音を立てずに子ども部屋のふすまを開けた。そして中に消えていった。京子は胸騒ぎを覚え、恐る恐る子ども部屋をのぞくと、健が、娘の優佳子の蒲団に入ろうとして蒲団をめくったところだった。京子は、その光景を見て気が動転して、「いやー」と悲鳴をあげその場に倒れてしまった。優佳子も健が迫ってくることに気づき、恐怖のあまり身を硬くして今にも泣きそうになっていた。京子の悲鳴で、健は慌てて倒れている京子を飛び越えて玄関に脱ぎ捨ててあった革のジャンパーを握り締め、スニーカーを突っかけたまま走って逃げていった。優佳子は自分も怖い思いをして今にも泣き出しそうになった気持ちを抑えて、気丈にも倒れた母親を介抱しようと近くに駆け寄り「おかあさん、おあさん、大丈夫?返事して、おかあさん」母親は倒れたまま何も答えなかった。母親のパジャマのズボンが赤く血に染まっているのを見て、優佳子は自分ではどうすることもできないと思い、父親に電話を入れた。「お父さん、大変お母さんが、お母さんが・・・・」「優佳子、どうした、お母さんがどうかしたのか?落ち着いて、ゆっくり話してごらん。」優佳子は渇いた喉につばを飲み込むと「お母さんが倒れて、ズボンに血がいっぱいついてるの、どうしたらいいのお父さん。」「優佳子、すぐに119番に電話して救急車を呼ぶんだ。いいか、出来るか?」「ん、わかった、やってみる。」すぐに救急車が来て、優佳子も付き添って京子を病院へ運んでいった。
     一時間後、病院の優佳子から電話があって、母親は無事だったこと、しばらく入院するけど、おじいちゃんとおばあちゃんも来て、自分は母親が退院するまで祖父母の家で預かってもらうことを告げてきた。
    京子は流産していた。生まれてくるはずの子どもは、自ら生まれてくることを拒んだのかのようだった。京子はショックのあまり、しばらくは、しゃべることも起き上がることもできなかった。優佳子はそんな母親を、学校が終わると毎日病院に行って看病した。数日が経って、京子は正気を取り戻し、優佳子を見て、「優佳子、ごめんね、ごめんね」と言って泣きながら優佳子の手を両手で力いっぱい握った。
    「おかあさん、優佳子は大丈夫だよ、なんともなかったんだから、平気だよ、それよりおかあさん、早く元気になって。」
    京子は泣きながら何度も何度もうなずいた。
     私は、優佳子のことが気になっていたが、疎遠になっている京子の実家に電話をするのをためらって優佳子と連絡が取れなくなっていた。京子が入院してから一週間後、優佳子から電話があった。
    「あっ、お父さん、優佳子。」
    「優佳子、大丈夫か?」
    「ん、私は平気、元気だよ。お母さんも今日退院して、しばらく、またおじいちゃんのお家で暮らすって言ってた。」
    優佳子の声は以外にも明るかったので安心した。京子はもう二度とあのアパートへ行きたくなかったようだ。
    「そうか、またおじいちゃんたちと一緒に暮らすのか?」
    「でも、お母さんがもう少し元気になったら、別のアパートに引っ越すって言ってた。」
    「優佳子、優佳子はもう充分がんばったよ、これ以上がんばらなくていいから、優佳子もお父さんのところへ帰っておいで。」
    「ん、ありがとう。でも、やっぱりお母さんが心配だから。こっちにいるよ。お父さんは、駿一と宏隆がいるから寂しくないでしょ。優佳子も時々行くから。いま、わたしもいなくなっちゃたら、お母さんきっと変になっちゃうから。」
    「そうか、わかった。優佳子はやさしいな。」
    「ん、だって優佳子の優の字は優しいって言う意味でしょ、お父さんが優しい子に育つようにってつけてくれたんだって、小さいときにおとうさんが話してくれたこと覚えてるよ、私はお父さんの子どもだから、優しくなくっちゃて、思ってるんだ。」
    「わかった。ありがとう優佳子。こんなお父さんとお母さんでごめんな。それじや、おかあさんのことよろしくね。もし、どうしても辛くなったら、我慢しなくていいんだよ、優佳子は、いくつになってもお父さんの子どもなんだから、いつでもお父さんのところへ帰っておいで。お父さんはいつまでもここで優佳子の帰りを待っているから。」「ん、わかった。おとうさん、ありがとう。それじゃ、また電話するね。」受話器を置いてしばらく胸が張り裂けそうな気持ちをおさえるように、何度も深呼吸をした。

     
     
    人生の終盤に、年老いて気づいたことを、思いつくままに書いてます。 人がなぜ生まれ、何のために生き、なぜ死ぬのか、死後の世界とは・・・ 年寄りのざれごとと思って読んでください。

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