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エッセイ|透明な海を探していた

    人には、それぞれ心地よく泳げる海があるのだと思う。
    このエッセイは、どんな場所なら私らしく生きられるのか。
    その答えを探し続けてきた20年間の記録です。


    第1章 息をひそめて泳ぐ

    私は子供の頃から人と違う視点で世界を見ていた。
    同じ景色を見ても、同じ経験をしても、人と違うことを感じていた。
    それはきっと保育園の頃からで、自分では当たり前の感覚で話していても、大人を驚かせることが多かった。

    「情けは人のためならず」という教えのもと育った私は、人に優しくすれば、優しさが返ってくるということを本気で信じていた。
    自分が優しい人であったら、自分を取り巻く環境はいつも平和で、柔らかく穏やかな世界になると。
    そしておしゃべりが大好きで、よく笑い、人の心に無防備に飛び込んでいき、感じる心むき出し。
    好奇心旺盛で、欲望に素直だった。
    疑うということを知らなかった。

    家族でイオンモールに出かけた時。私はおもちゃコーナーに吸い寄せられ、どんどん遠ざかっていく家族を見ながら、
    我慢をとり、走って家族に追いつくか、
    迷子&おもちゃをとるか。
    葛藤の末、私はおもちゃで遊ぶ方を選んだ。そして、しばらく遊んでからお客様カウンターに行って
    「迷子になりました。お母さんたち呼んで欲しいです。誰々と来ました。おうちはどこどこにあります。」と冷静に伝えた。迷子の呼び出しに憧れていたのだろうか。多方面に多大なるご迷惑である。

    あと先考えず、好奇心のまま突き進んでしまう危なっかしい小娘は、母親に何度も怒られた。
    それでも数分後にはけろっとした顔で、また新しい何かに心を動かされ、冒険へ出かけようとしていた。
    保育園で、友達が喧嘩している所へ仲介に入って仲直りさせたこともあった。
    「何でもかんでも首を突っ込むな、たまたま仲直りしただけで火に油を注ぐ可能性だってあるんだ」
    そう叱りたくなるが、当の本人はさぞかし満足そうにしていたことでしょう。

    家では「なんであんたはそんなに喋るかね、黙っちょれんかね」と何度も言われた。祖母はご近所さんに私のことを話す時いつも、
    「この子はよーけ喋る子で」と言っていた。
    「ことちゃんは酉年だから鶏みたいにずっと喋る子なんだよ!」
    「酉年だから仕方がない(ニコ)」
    そう言い張っていた。
    「そうだよねお母さん?」
    と話を振られた母はどんな顔をしていただろうか。
    そんな、頭の中お花畑みたいな調子で保育園時代を謳歌し、小学校に入学した。


    小学校という少し広い社会に出て行ってからどこか異変を感じ始めた。
    それは自分らしく生きることが極めて難しいということ。協調性や一般を学ぶ小学校という場所は私にとってとても窮屈な場所だった。
    先生が言うこと、みんな(多数派)が言うことが正解で、人に合わせて、前ならえをしながら生きることが正しいと思うようになった。だからそれと違った感覚、考え、視点を持ってる自分は間違いなのだと。
    友達がたくさん欲しかったし、毎日楽しくみんなと同じように過ごしたくて、私は自分の感じる心を置き去りにして、ただただ人に合わせるということを覚えた。
    しかし、
    ”本当はこう思う 、こうしたい、今私は心地がよろしくない”
    という感覚も常に隣り合わせだった。
    それでも我慢しなきゃいけないと思っていた私は、次第に何を信じていいのかわからなくなった。

    自分の感覚と世界のズレが解明できないまま、中学時代も高校時代も悩みに悩ませられながら過ごした。
    今思えば、私は人より多くの情報を受け取っていたのかもしれない。でも当時の私は、それをどう扱えばいいかわからなかった。
    いつの間にか、昔のように軽やかにいきいきと過ごせる自分ではなくなっていた。
    周りに人がいてもどこか孤独感を感じながら生きるようになっていた。
    そして、小・中・高、全てでいじめも経験した。心が弱り始めていた私は、言い返すことも受け流すこともできず、ただただ真正面から受けることしか出来なかった。
    私が私らしく生きることは誰かを不快にし、困らせ、その結果仇になって返ってくると。
    何をするにもそれが前提の考え方になっていた。

    常に自分の言動を振り返り、人に迷惑かけていないか内省し、母の教えである、
    「情けは人のためならず」「人のふりみて我がふり直せ」
    この言葉を胸に刻み、誠実な人であろうとしてきた。
    でも、やっぱり世界は私が思っているよりも透明じゃなかった。中学・高校に進学して新しい環境になってもやっぱり人間関係上手く行かない。どこに行っても呼吸がしにくいように感じた。本来の純粋な自分で生きようとすればするほど、今自分がいるこの世界は澱んでいる、濁っている、そう感じてしまった。
    人を信じるのが、ありのままの姿で過ごすのが怖くなっていた。そもそも、本来自分はどんな人なのか、自分の心地いいはなんなのか、それすらもわからなくなっていた。

    それでも、私はこれだけは信じたかった。

    美しい珊瑚礁の生息する海のように透明度が高く、波が穏やかで、温かく過ごしやすい環境がこの世界のどこかにある。
    自分を取り巻く環境はいつも平和で柔らかい穏やかな世界が作れると。


    でも、それと同時に、ちょっとしたことで「この世界に私の居場所はない」「気を張らず安心して過ごせる環境はない」と独りよがりになり、抜け出せない暗闇の中にいるようだった。
    期待と諦めを同時に抱えながら1日1日を乗り越えることに必死だった。

    島根にいた頃は井の中の蛙のようなもので、学校というすごく小さいコミュニティで、収まりきるはずのない大きな好奇心と冒険心を縮こまらせていたのだからそりゃさぞかし窮屈だったことでしょう。

    ───────────────
    ただ、今、島根という土地や、かつての自分の居場所を外側から見つめることで、少しずつわかったことがある。
    私自身の感性も、周囲の人々も、島根という土地も、何も間違ってはいなかったということ。
    人も、場所も、それぞれに違った価値や魅力を持っていて、誰かの「あたり前」が、別の誰かにとっての「当たり前」とは限らない。

    過去の私は、その違いを理解できていなかったから、自分と世界のズレを「間違い」だと思い込み、苦しくなっていたのだと思う。
    今ならわかる。
    世界が濁っていたのではなく、疲れた私の心が、世界をそう映し出していただけだった。
    本当はただ心地よく呼吸できる環境が人によって違うだけだった。

    そして、島根という場所と、あの母のもとで育ったからこそ、今の私がいる。
    過去の失敗や受け取った言葉は、時に自分を縛るものになったこともあったけど、同時に私の根っこを作ってくれたものだった。

    今、帰省するたびに感じる。
    私は島根が好き。
    島根の豊かな自然も、人も、「しまね」という響きも、方言も好き。
    どれだけ遠くに行ってもこうして帰れる場所があること、自分はとても幸せに思う。

    ─────────────

    そして私は、2024年春、東京という大きな海に飛び込んだ。
    もっと広く、多様な世界に。
    きっと、ここから本当の自分を取り戻していけると。
    でも、世界が広がったからこそ見えたものもあった。


    第2章 私が見た光

    2024年春、18歳。私は上京した。
    それはずっと探していたものがあったから。
    誰かに認められることでも、特別な何かになることでもなく、自分の中にある言葉にならないものを、ちゃんと形にする場所。
    自分が自分らしくいられる場所。
    自分のときめきに出会える場所。

    私は昔から目に見えないものに惹かれていた。あ、幽霊などではない。
    人の表情や言葉の奥にあるもの。その人がなぜその行動をするのか、表には出ていない感情や背景。
    そういうものが知りたくてたまらなかった。

    余談だが、私は中学生・高校生の時、数学や科学の授業ではよく寝ていていつも赤点ギリギリだった。しかし、歴史の授業だけはきっちりノートをとり、テストは毎回80点以上取れた。
    人がなぜその選択をしたのか、なぜすれ違いが起きたのか。年表上の出来事として覚えるのではなく、その時代を生きた人たちの置かれた状況や思いを想像することが好きだった。
    教科書の中にはたくさんの人生があり、物語を見ているような感覚で、おもしろいほど話が入ってきた。
    歴史を学ぶことは、私にとって過去の出来事を覚える作業ではなく、そこに生きた人たちの人生を辿ることだったからだと思う。

    思えば、この頃から私は、物語の中に入り込むように世界を見ていたのかもしれない。

    中学生の頃、保護者面談から帰ってきた母が、こんなことを言った。
    「ことさんは授業中、どこか違う世界に行ってしまっているような時があります。しばらくすると自分で戻ってくるんですけどね。って先生が言ってたよ。」
    多少、心当たりはあった。

    当時の私は、ほぼ毎日テレビドラマを観ていた。
    授業中になると、前日に観たドラマを頭の中で考察したり、物語の世界に自分が入り込んだような感覚になったりしていた。
    その時はただ一点を見つめ、周囲の音も聞こえない。
    思い描いている情景が脳内で映像のように再生される。
    私の心は完全に現実世界とはセパレートになっていた。
    集中力がないではなく「どこか違う世界に行ってしまっている」そう表現した先生は大正解だった。

    そして大のテレビっ子だった私は、
    チャンネルを変えられないようにソファやこたつの中、新聞紙の下に隠すなどして、1話でも、1コーナーでも見逃したくないと思うほど、テレビに夢中だった。
    その中でも特に熱を注いでいたのが、連続テレビ小説。
    私の朝ドラとの出会いは5歳の頃。中学卒業までの10年間は1作品も欠かさず見ていた。
    不器用ながらも自分らしく生きる姿が、物語の中の人々や視聴者の心を動かし、いつの間にか応援したくなる存在になっていく。そんなヒロイン像がとても眩しかった。
    そして、朝ドラだけでなく、テレビの中ではどんな人でもその人らしさが個性やキャラクターとして受け入れられる。そんな世界に無意識に強く惹かれていたんだと思う。
    私の憧れや光はいつもテレビの中にあった。世界は広いということを学び、私が知らない世界に連れて行ってくれるものだった。

    前章で、島根で過ごした学生時代は
    「周囲と自分は違う」ということを受け入れられず、自分の感情や本音を飲み込むうちに、本当の自分を見失っていったという話をした。

    そんな私にとって、ドラマを見ている時だけは感情に素直になれる時間だった。
    悲しそうな人がいると、私もつられて悲しくなる。
    楽しそうに笑う人がいると、私もうれしくなる。
    誰かが何かに挑戦していると、心から応援したくなる。
    誰かの痛みも、喜びも、画面越しなのに自分のことのように感じていた。

    自分のどんな感情も許すことができた。お芝居を見ている時だけは自然に感情を巡らせることができ、唯一本当の自分で呼吸できる気がしていた。
    だから私にとって表現とは、派手な輝きや憧れだけではない。
    心に居場所を与えてくれるものだった。
    それが、私の見た「光」だった。


    私はますます惹かれていった。
    言葉だけでは届かない感情や、人の心の奥にあるものを表現するお芝居に。

    ”うまく人に伝えられないけど、自分の中では確かに感じているものがある。言葉にならないまま、誰にも手渡せない感情は誰にも掬われることなく、自分ですら、なかったことにしてしまいそうになる。”

    そう感じたことがあるのは私だけではないと思う。
    そんな見えないものを無いものとしてしまうことに、私はとても寂しさを感じる人間だと気づいた。
    同時に、「見えないものの存在証明」をしたいと思うようになった。

    そこでようやく繋がった。
    私は役者になりたい。
    かつての私が表現の世界に光を見たように、
    次は私が、光の世界で誰かの中にある言葉にならない想いを代弁し、孤独や葛藤、寂しさなど、誰にも気づかれない感情をそっと掬いあげていきたい。そして「ひとりじゃないよ」と温もりを届けたい。

    そのために私は、東京という場所で自分自身とまたさらに深く向き合っていくことになる。
    方法ではなく、目的へ。
    原点に何度も立ち返る。
    きっと名誉、お金ではない、私の心が本当に求めていることは何なのか。それを探す旅を始めた。
    誰になんと言われても、私が諦めない理由を持つために。


    第3章 人の内側には宇宙がある

    宇宙は果てしなく広く、幾つもの惑星が存在している。
    その一つひとつにはまだ知られていない景色があり、真実がある。
    私たちが暮らしている地球ですら、すべてを知ることはできない。
    それでも人は探検を続け、新しい発見に心を躍らせる。


    私は、人の心も宇宙によく似ていると思っている。
    一人ひとりの内側には、それぞれ違う惑星がある。
    外の世界を旅するように、自分の内側も探検することができる。
    そして、誰かの惑星に少しだけ触れることもできる。


    これは、私が大切にしているひとつの哲学の話。

    私たちは他人を理解しようとする。
    でも、本当の意味で誰かを完全に理解することはできないのだと思う。
    相手のことが分かったつもりになっても、その人だけが知っている景色が必ず残る。
    どれだけ対話を重ねても、何年一緒に過ごしても、最後の最後に残る真実は本人にしか分からない。
    そして、それは自分自身にも言える。
    ふと、自分は何者なのか、何を望んでいるのか分からなくなる瞬間がある。
    そんな時、外の世界へ出て新しい経験をしたり、新しい人や景色に出会ったりする。
    その刺激を持ってもう一度自分の内側へ戻り、
    「あの時、私は何に心が動いたのだろう。」と自分の惑星を見つめ直す。

    好きだったこと。
    心が震えたこと。
    悔しかったこと。
    嫌だと思ったこと。
    どれも大切な発見。

    そうして経験と気づきを積み重ねるたびに、自分という存在の輪郭は少しずつ濃くなっていく。
    だから私は、外の世界を広げることと、内側の世界を広げることは繋がっていると思う。
    外を知るほど、自分を知ることができ、自分を知るほど、また世界の見え方が変わっていく。
    きっと、この繰り返し。

     人はつい、第一印象や一部分だけを見て誰かを判断してしまう。でも、人の内側には、外から見ただけでは簡単には計り知れない惑星がある。だから私は、「人は完全には理解し合えない」ということを前提に、人と関わるようにしている。
    しかし、これは人を諦めるという意味ではない。
    むしろ、その逆。

    完全には理解できないからこそ、
    言葉にしようとすること、相手を尊重し知ろうとする姿勢に価値があると思っている。
    だからこそ、聞けるだけ聞く。
    伝えられるだけ伝える。
    それでも分かり合えないことは、きっとある。
    でも、それはどちらかが間違っているということではない。
    感覚や価値観が違うだけなのかもしれない。
    そんな時は、「どちらが正しいか」を決めるより、「どう折り合いをつけて一緒に生きていくか」を考えられる人でありたい。
    私は、そういう発展的な対話に時間を使いたい。

    私は、人を理解したいと思い続けてきた。
    でもそれは、きれいごとから生まれたものではない。
    理解されない苦しさも、理解できない苦しさも、何度も味わってきたからだ。
    不条理な出来事に理由を求めても、最後まで理解できないことがある。
    それでも私は、相手の背景を想像することをやめたくない。

    ただ、それとその行為を受け入れることは別の話。理解しようとすることと、許すことは違う。

    昔の私は、「理解されない。だから居場所がない」と思っていた。
    誰か一人でも、私を理解してほしいと願い続けていた。
    でも今は、
    「理解されないことを嘆き悲しむ必要はない。相手にも、私には見えない世界があるのだから。」
    そう思えるようになった。

    この考えを頭の片隅に置いておくだけで、世界が少しだけ優しく見える。
    怒りというエネルギーを必要以上に長引かせずに済むし、自分の心も穏やかでいられる。
    だから私は、この少し不完全な”諦め”を、自分なりの優しさとして採用している。

    でも、この考えにたどり着いても、私の中には、まだ一つだけ答えの出ない問いが残っていた。
    「私は、どこに帰ればいいのだろう。」



    第4章 帰る場所はここにあった

    私はずっと、「帰る場所」を探していた。

    安心できる場所。
    ありのままでいられる場所。
    誰にも気を遣わず、鎧を脱げる場所。
    そしてその答えは、ずっと外にあると思っていた。
    でも、なかなか見つけることができなかった。
    だから私は、人よりも自分の内側へと潜っていった。
    外の世界を広げる機会が少なかった分、自己対話を繰り返し、自分という人間を理解しようとしてきた。

    人は日々外で世界と戦ってるからこそ、鎧を脱いで本当の自分でいられる場所を探しているのだと思う。
    その場所のヒントをくれたのは、私が尊敬する人たちだった。

    初めは、「なぜこんなにも惹かれるのだろう」と、自分でもうまく言葉にできなかった。
    ただ、その人たちの表現には、確かに人の心を動かす特別な力があった。
    知れば知るほど、いくつかの共通点があることに気づいた。
    不思議なくらい「余白」があるのだ。強いのに柔らかい。軽やかなのに、確かに人の心を動かす。
    無理に何かを証明しようとしているようには見えない。
    とにかく表現することを楽しみ、満ちている人だった。
    私は、彼らの存在を一言で表すなら、「愛」だと思う。
    いいこともしんどいこともあるだろうけど、ときめきを忘れず、人生の主人公として自分の足で自分の道を歩いてるように見える。社会のあれこれに左右されず、ちゃんと心の中に戻れる場所を持っている。
    そして肩書きや成果に満足せず、表現を磨き続け、自分なりの美しさを追求することを惜しまない。

    私はずっと、彼らの表現に惹かれているのだと思っていた。
    でも本当に惹かれていたのは、その奥にある生き方だった。
    彼らは、自分の中に帰る場所を持って生きるということを、言葉ではなく姿で教えてくれていた。

    帰る場所は、誰かに与えてもらうものだけではなかった。
    まずは自分が自分を愛し、自分の心も、ときめきも大切にすること。
    そうして、
    自分の中に戻ってこられる場所を育てていくこと。

    それは簡単なことではない。
    でも私は少しずつ、そんな自分になっていきたい。
    自分の内側が豊かになることは、きっと表現を豊かにすることにもつながると思うから。


    私は世界に居場所がない感覚をずっと抱えてきた。
    それでも世界を嫌いになりきれなかった。
    なぜなら、
    美しいものがあったから。
    尊敬する人がいたから。
    そういうものに出会うたび、私はもう一度世界を信じてみようと思えた。

    海には、魚たちが自然と集まる珊瑚礁がある。
    人も少し似ていて、
    安心できる人の周りには、人が集まる。
    豊かな人の周りには、豊かな関係が育つ。

    私はそんな珊瑚のような人になりたい。

    誰かが鎧を脱いで帰ってこられる場所。
    「大丈夫。」と、そっと呼吸が深くなるような存在。
    そんな透明な海を、自分の周りに育てていきたい。


    ────────────────

    「自分のやりたいように生きるのはいいけど、その分周りの人は振り回されるだろうし、大変な思いをさせると思うよ。」
    地元に帰ったとき、同級生にそう言われた。

    正直、ぐさっときた。
    そして、「...たしかにそうかもしれん。え、じゃあ私控えめに行こうかしら。」
    私はそう返した。
    夢を追うという選択は、誰かを困らせることなのだろうか。
    そんな問いがしばらく頭から離れなかった。

    あの時私は「じゃあ控えめに、、、」と言ったが、
    一人の力ではたどり着けないほど大きな世界を見に行きたい。
    今の自分では想像もできない景色を見てみたい。
    そうやって、ときめきに正直に生きていきたい。

    これが、私が本当に望んでいる生き方だ。

    どちらかというと、私は人に頼ることが苦手だ。
    「私の問題なんだから、人に話したところで解決しない。」
    「期待しないほうが楽だ。」
    そうやって何でも一人で抱え込み、何度も崩れそうになってきた。
    でも、この数年で一つ学んだことがある。
    迷惑をかけることと、お世話になることは違うと言うこと。

    生きている以上、誰かに支えられずに生きることなんてできない。
    だから私は、お世話になった分だけ感謝を伝えたい。
    いただいたもの以上に、返せる人でありたい。

    「皆さん、いつも本当にありがとうございます。
    私はこれからも、自分の好きを生きさせてもらいます。
    お世話になります。
    そして、必ず愛を持ってお返しします。」
    そう胸を張って言える人でいたい。

    もちろん、また一人で抱え込み、独りよがりになってしまう日もあると思う。
    でも、どうしても立ち上がれないときは手を借してください。
    そして、私も誰かの小さなSOSに気づき、そっと手を差し伸べられる人になりたい。
    助け合うこともまた、人と生きる美しさなのだと思う。

    ────────────────

    私は、あまりにも繊細で、深く潜りがちで、諦めが悪い。
    人一倍悩むし、とても不器用な人間だ。
    でも、それが私。
    変え難い私らしさである。

    自分の人生を誰かのせいにしない。
    喜びも、孤独も、迷いも、全部自分の物語として引き受けながら。
    これからも、世界を広げ続けていきたい。



    エピローグ

    私はまだ20年しか生きていないので、誰かに人生の答えを語れるわけではない。
    そして、ここまで綴ってきたものは、私の生きてきた20年間のほんの一部にすぎない。
    それでも、子どもの頃から、そして上京してからさらに深く、未熟ながら問いを持ち続け、自分なりの答えを探しながら歩いてきた。
    悩み、失敗し、八方塞がりになり、それでもまた挑戦する。その繰り返しだった。
    その日々の気づきの中から、今の私が次へ進む前にもう一度立ち返っておきたかったテーマを記してきた。

    これまでは、お芝居だけが、私にとっての表現だと思っていた。それで結果が出なければ失敗だと思っていた。
    でも今は、それだけではない。
    尊敬する人たちの生き方や、自分自身の人生、社会と向き合う中で、私は少しずつ「何を見つめ、何を届けたいのか」を考えるようになった。

    そして、完成された作品だけではなく、その背景にある思想や人生、美しさに触れることこそ、私にとって最も価値があり、ときめきを感じる時間だった。


    言葉にならない感情。

    目には見えない価値。

    誰かの人生や作品の背景にある、美しさ。

    私は、それらを丁寧にすくい上げ、誰かへ手渡せる表現者でありたい。

    これからも、お芝居と言葉を紡ぐことを軸に、私らしく向き合っていく。

    たくさんの人や作品と出会い、世界を広げ、自分の表現へと還元しながら、人や作品の魅力を丁寧に届けられる人でありたい。

    このエッセイはまだまだ序章。
    これから先も、私は問いを持ち続け、新しい景色と出会い、そのたびに自分を、表現を育てていくのだと思う。

    だから、この物語にはまだ続きがある。
    続きを書きたい。
    書くために、しばらくまた外の世界を広げに行こうかな。

    ときめきを道しるべに、私らしい航海を。


     
     
    田淵瑚都(たぶち・こと) 俳優・モデル。2005年生まれ、島根県松江市出身。 東京を拠点に活動しています。 日々の気づきや、心の中でふと立ち止まった瞬間、誰にも言ってこなかったけど確かに自分の中にあった感情を綴っていきます。 変わりゆくことを恐れずに、未完成な自分のまま。