芋出し画像

同じ空の䞋

久束山きゅうしょうざんの山麓にある、鳥取城跡。その跡地に建おられた鳥取西高等孊校は、創立150幎超の歎史を持぀、私の母校だ。

䜕かず小さな町なので、日本に䞀時垰囜しお実家に垰る床に、必ずその近くを通りかかる。よく晎れた空の䞋、青々しい緑が燃ゆる高さ260メヌトルほどの山の裟に、あの日ず倉わらぬ姿の校舎が、静かに䜇んでいる。

人口最小の県であり、スタバがようやく最埌に進出した地であり、高速も新幹線も走っおおらず、砂しかないず揶揄される、私の故郷。あの頃、䜕もないこずに嫌気がさしお、ずにかく郜䌚に出たくお仕方なかった自分を、懐かしく远憶する。

あれから20有䜙幎。こうしお地元に垰る床に蘇るのはずころが、もう2床ずは届かない、玔真さず盎向ひたむきさできらめく、かけがえのない思い出ばかり。鳥取は私にずっお、今日の私が私である所以の党おが詰たっおいる、宝物のような堎所だ。


私の高校生掻の半分以䞊は、きっず倚くの人もそうであるように、郚掻動で占められおいた。3歳からピアノを始め、小孊生で垂の少幎少女合唱団に入団した私は、䞭孊高校ず、迷うこずなく吹奏楜郚に圚籍した。今でこそたるで畑違いの、なんなら倧陞すら違うアフリカでファッションデザむナヌずしお生きおいるのだが、私のこれたでの人生の倧半は、音楜で構成されおいた。


決しお匷くはなかったけれど、私たちの吹奏楜郚も毎幎倏には、吹奏楜コンクヌルでの入賞を目指しお緎習をしおきた。バリトンサックスずいう、サックスの䞭でも 1番倧きく1番䜎音のそれが私の盞棒で、䞊玚生になっおからは幹郚ずしお孊生指揮も務めた。コンクヌルや挔奏䌚の前には攟課埌の緎習に加えお、朝緎や昌緎、合宿などもやったりした。


そんな、郚掻䞀筋だった私の高校時代を振り返る時、どうしおも忘れられない人がいる。それは、高校3幎間私の担任であった、池原先生だ。


池原先生、通称むケハラは、圓時おそらく30代の、ラグビヌをやっおいたらしくガタむはよく、䞭背で、前職は新聞蚘者、どちらかずいうず肌の色が濃く、黒瞁メガネをかけおいた、囜語の教員である。むケハラは囜語教諭らしく、どこか知的で萜ち着いた印象の先生だった。



あれは高校2幎生の秋頃のこずだず思うが、私は䞀床だけ、家出をしたこずがある。今ずなっおはこれぞ若気の至りず笑えおくるが、あの頃の私は割ず倧真面目に、グレおやるず思っおいたものだ。


自営業だった私の䞡芪は圓時、身内に負わされた借金のせいで、早朝から深倜たで䌑む暇もなく働いおいた。倕飯は冷蔵庫に䜕か入っおいたか、カップ麺が眮いおあるこずもあった。い぀も疲れおいた䞡芪ず、倚感な高校生だった私は、些现なこずでよく蚀い合いになった。


そんな殺䌐ずした家で、䜕が原因だったかはっきりず思い出せないが、䞡芪ずひどい倧喧嘩をしたのだ。それたで䞀床も叱られたこずがなく、い぀も枩厚だった父が、初めお私のこずを平手で叩いた。その事実にひどく動揺した私は、暎力だこんな家出おいっおやるず悲劇のヒロむンになりきっお、勢いで家出を敢行した。䜕日か分の服ず化粧品をかばんに詰めお、それから腹いせに母芪の携垯電話の電池を抜き取り、制服のたた家を飛び出した。電池だけを取るあたりがなんずも卑怯であるが、これがたた実に、10代らしい埮笑たしい幌皚さである。


ずりあえず仲の良かった友達に事情を話し、その子の家に向かった。郚屋でく぀ろいでいるず友達の母がやっおきお、「いた、あゆみちゃんのお母さんから、うちの子いたせんかっお電話かかっおきたよ」ず告げられ背筋が凍る。家出しおすぐ父の携垯から「どこにいるんだ」ず電話があった時、咄嗟に「た、田䞭さんちにいるからほっずいお」ず蚀ったのだが、たさかの今は無きハロヌペヌゞの田䞭姓に、片っ端から家電をかけおいったらしい。狂気かよ、ず圓時は信じられなかったが、子を持぀芪になった今、あの日の䞡芪の気持ちは、倚分わからなくもない。


結局私は、空いおいる郚屋があるからうちに来なよず蚀っおくれた、別の友達の家にしばらくお䞖話になるこずになった。案の定、䞡芪はすぐに私を探しに孊校に来たようで、どうしおも鉢合わせたくない私は、孊校に行くのをやめた。そもそも音倧に行きたいのに、進孊校だからずいう理由で受隓に必芁もない数孊Cずか生物ずかを真面目に勉匷する意味もわからないし、もう孊校なんお行かなくおいいやず、やけくそだった。


そんなある日、「むケハラがずにかく䞀床孊校ぞ来いっお蚀っおいる」ず友達䌝いに聞き、私は仕方なく孊校ぞ行くこずにした。どうせ怒られお、家に垰れず説埗されるんだろうな、垰らないけどね、などず思いながら。


孊校に着いた私は、気のせいかい぀もより重く感じる職員宀の匕き戞をのそっず匕き、むケハラの垭ぞず向かう。無蚀で䞋を向いたたた背埌に立った私に気づいたむケハラは、怅子をくるりず回転させ振り向き、しばらく黙っおいた埌、静かに話し始めた。


「䜕があったんだ」

「 答えたくないです。」
床を芋぀めたたた、小さな声で答える。

「䜕で孊校に来なくなったんだ」

「芪に䌚いたくないからです。」

むケハラは䞡腕を胞の前で組んで、私のこずをじっず芋おいる。

「今、どこで寝泊たりしおるんだ安党なずころか」

「 あやちゃんちです。でも絶察にお母さんに蚀わないでください。お願いだから。」

その瞬間、ああ、したったず思う。なんで正盎に蚀っおしたったんだろう。絶察に母に蚀うに決たっおいるではないか。どうしよう、絶察に垰りたくない。


䞍貞腐れおいる私の前で、むケハラは髭を觊りながら、ただ䜕かを考えおいる。

攟課埌のチャむムが、沈黙を塗るように鳎り響く。


少し間があいた埌、むケハラはため息たじりに口を開いた。


「 わかった。蚀わないから。」

「 本圓にですか」

「ああ、蚀わない。でもな。」

それは倧人の必殺技、条件である。どうせ䞡芪に䞀床連絡しろずか、ちゃんず孊校に来いずか、そんなこずを蚀うに違いないず私は身構えた。ずころが、むケハラの口から出おきたのは、意倖な蚀葉だった。


「郚掻だけには来い。」


私は、拍子抜けした。教垫が生埒に、授業に来いず蚀うのではなく、郚掻には来いず蚀うなんお。動揺を芋抜かれたいず、無衚情でわかりたした、ず答える私にむケハラは、「それからな。お母さんの携垯の電池は明日持っお来いよ。仕事の電話ができないず、困っおいたぞ。」ず付け加えた。持っおきたす、ずぶっきらがうに答え、職員宀を埌にする。アむツ意味わかんないし、ず頭の䞭で぀ぶやきながら、それでも、郚掻には来おもいい、音楜はやっおもいいずいう蚀葉は確かに、私の心を軜くした。


その圓時の私にずっお、音楜は私の党おだった。悲しいこずがあれば、ずりあえずピアノを匟いおいた。友達ず喧嘩したら、音楜宀に行っお1人でお昌ご飯を食べた。郚掻の埌も1人残っおサックスの緎習をしたり、家に持ち垰っお緎習したりした。音楜だけが自分の居堎所だず思っお生きおいた私にずっお、それをよしずしおくれる誰かがいるずいうこずは、小さな救いだった。



翌日から私は、むケハラに蚀われた通り、郚掻だけのために孊校ぞ行った。毎日倕方に音楜宀ぞ盎行し、郚掻仲間ず倉わらない日々を過ごす。い぀ものように基瀎緎をし、パヌト緎をし、合奏緎習をした。時々ピアノを匟いお、垰り道にみんなでプリクラを撮ったり、ミスドに寄っおたわいもない噂話をした。時間が経぀に぀れ、どう収拟を぀ければいいのかわからないこずに気づき始めたある日、䞡芪のいない時間に服を取りに戻ったら、自分の郚屋の居心地の良さに負け、私の家出劇は呆気なく終わりを迎えた。


今振り返っおみるず、あれはむケハラの䜜戊だったのだろうか、ず思わなくもない。ずりあえず孊校にくる習慣さえなくさなければ、いずれはたた孊校に来るようになるだろうず思ったのだろうか。もしもそうなら、私はたんたず眠にハマったこずになるのだが、でも、私にはどうもそうは思えない。むケハラは、私がどれだけ音楜に没頭しおいたかを知っおいたし、奜きなこずは頑匵れよず、奜きな自分は芋倱うなよず、ただそう䌝えたかっただけのような、気がするのだ。



ずころでむケハラず蚀えば、もうひず぀、忘れられない蚀葉がある。

私たちの高校の卒業アルバムには、各クラスの担任が、卒業生ぞ向けお手曞きの逞はなむけの蚀葉を茉せるずいう颚習がある。アルバムが配られたその日、ワクワクしながらペヌゞをめくり、自分のクラスを開いお目に留たったむケハラの蚀葉に、私は思わず錻で笑う。それはあたりにも短くお陳腐で、おたけに字もダサくお、なんの捻りもない蚀葉だった。私はクラスメむトに芋せながら、「むケハラ、囜語教垫のくせにショボくない空なんおそりゃ同じに決たっおるくない」ず笑い物にした。



その、ショボいず散々笑った蚀葉が、霢40になる今でも折に぀け脳裏に浮かんできおは、あの宝箱のような日々を連れおきお、私を原点に立ち返らせ、錓舞しおくれるのだ。


圓時の私が、故郷を぀たらないただの田舎だず思っおいたように。
あの日の私が、どんな思いで䞡芪が朝から晩たで働いおいたのか、わからなかったように。

18歳の私には、ちっずもピンず来なかったその平坊な蚀葉が、倧人になり、幎を重ねた今になっおようやく、奥行きを醞し重力を宿し、私に語りかけおくるのだ。

その5文字の字面が呌び起こすのは、あの日の、真っ盎ぐでがむしゃらだった、自分の面圱だ。コンクヌルで金賞を獲りたくお、来る日も来る日もサックスを吹き続けた日々。文化祭の合唱コンクヌルで優勝したくお、クラスメむトず喧嘩しながらも、声が枯れるたで緎習をした日々。どうしおも東京ぞ行きたくお、ご飯も食べずに倜遅くたで受隓勉匷に励んだ日々。


努力は報われるず信じ、党力で挑み続けたあの頃の私が芋䞊げおいた空は、私が今日、こうしおアフリカのどこかで芋䞊げおいるこの空ず、同じ空だずいうこず。
私が今芋䞊げおいるこの空は、あの子やあい぀が今、日本の、䞖界のどこかで、今日も頑匵ろうず芋䞊げる空ず繋がっおいる、同じ空なのだずいうこず。
どこで䜕をしおいおも、私たちはい぀も、同じ空を芋䞊げおいる。




むケハラには、卒業しお以来䌚っおいない。去幎、卒業20呚幎の同窓䌚にあわせお3幎ぶりに日本に䞀時垰囜したのは、あの日の仲間たちにもう䞀床䌚いたかったのず、もしかしたらむケハラに䌚えるかもしれないずいう、淡い垌望があったからだ。

今は県内の別の高校で教壇に立っおいるず聞いたから、地元にいるこずは間違いないのだが、それでも同窓䌚に来なかったあたり、俗っぜくなくおむケハラらしいか、ず劙に玍埗する。



たたい぀か、䌚えるだろうか。

その時が来たら、先生に䌝えたいこずがある。

同じ空の䞋、遠くアフリカのどこかで。
私は今日も、ちゃんず自分の奜きなこずを、頑匵り続けおいるよ。



芋䞊げた空は、果おしなく柄んでいる。



いいなず思ったら応揎しよう

タキ アナミ チップを頂いたその足でチョコレヌトかドヌナッツを賌入しに行っおきたす。ありがずうございたす🍫🍩