「学生のうちにアメリカ行っとけよ」と言われて、社会人3年目にオーストラリアへ一人で行った話
こんにちは。脱サラを目指しているアラフォーの課長です。
前回は、大学時代の居酒屋バイトと日雇いバイトの話を書きました。今回は、その居酒屋時代にもらった、もうひとつの忘れられない言葉の話です。
「お前ら、学生のうちにアメリカ行っとけよ」
大学時代に働いていたチェーン店の居酒屋。そこの店長が、ある日バイトの僕らに向かってこう言いました。
「お前ら、学生のうちにアメリカ行っとけよ」
その言葉に素直に反応した仲間もいました。バイトの先輩や同期は、Tシャツに短パンで1週間、ロサンゼルスを旅してきたと楽しそうに話していました。
でも、僕は行きませんでした。
お金がなかったのか、なんとなく腰が重かったのか。正直、なぜ行かなかったのか覚えていません。結局、学生時代に海外に行くことは一度もないまま、社会人になりました。
「やりたいようにやりなよ。でも、自分で決めるんだよ」
きっかけは、社会人になって2〜3年たったころでした。
「やりたいようにやりなよ〜。でも、自分で決めるんだよ〜」
職場の上司に、からかい半分でそう言われたことがあったんです。言った本人は軽い気持ちだったと思います。でも、僕はなぜかカチンときました。
言われなくても、自分で決めてるよ。そう思った。でも同時に、本当にそうか?とも思ったんです。
もし今、サラリーマンを辞めたら、自分はやっていけるんだろうか。言葉も通じない国に放り出されても、ちゃんと生きていけるんだろうか。自分は、会社の外でも通用するんだろうか。
それを、一度経験しておこう。
そう考えたとき、ふと思い出したのが、あの店長の言葉でした。
「学生のうちにアメリカ行っとけよ」
学生時代はとっくに終わっていたし、行き先もアメリカではありませんでした。でも、何年も前に聞き流したはずの言葉が、ここで背中を押してくれたんです。
初めての海外旅行は、一人で
2011年8月。僕はオーストラリアのゴールドコーストへ、一人で旅に出ることにしました。
これが、人生で初めての海外旅行です。
周りからは「どうせ彼女と行くんでしょ?」といろいろ言われました。でも、本当に一人です。飛行機もホテルも自分で手配して、ビザも自分で取りました。
お盆に一人旅してくるわ、と親に伝えたときは驚かれました。兄弟には「何しに行くの?」と聞かれました。たしかに、何しに行くんだろう。自分でもうまく説明できませんでした。
当時の僕はまだスマホを持っていませんでした。持っていったのは、うす〜い英会話の本と、『地球の歩き方』だけ。
それから、パンツ。荷物になるのが嫌で、100円ショップで紙パンツを買っていきました。今思い出しても笑ってしまいますが、当時は本気でこれが最適解だと思っていたんです。
関空から飛び立つ
関西国際空港から飛び立ったときのことは、今でもよく覚えています。
ここから先は、誰も助けてくれない。言葉も通じない。何かあっても全部自分でなんとかするしかない。不安と、ちょっとしたワクワクが入り混じった、あの感覚。
あるはずのバス停が、ない
ゴールドコーストの空港に着いて、最初にやってきたピンチ。
『地球の歩き方』に載っているはずのバス停が、見当たらないんです。
ホテルまではドア・トゥ・ドアの送迎バスを手配していたはずなのに、そのバス停がない。空港の外をうろうろしながら、本当に焦りました。着いて早々これか、と。
結局なんとかたどり着けたのですが、面白いことに、そこから先はほとんど『地球の歩き方』に書いてあるとおりでした。あの一件で疑いかけていたぶん、逆に「本当に書いてあるとおりだ」と驚いたのを覚えています。
言葉が通じなくても、なんとかなる
現地では、いろんなことがありました。
まず驚いたのが、マクドナルドのジュースのサイズ。日本の感覚で頼んだら、出てきたのはバケツみたいなカップでした。国が違えば、「普通」の基準がこんなにも違うのかと、妙に感心したのを覚えています。
道端で、現地の若者に話しかけられたこともあります。僕の英語はうす〜い本で覚えた程度なので、ほとんど通じません。向こうの言っていることも半分もわからない。それでも、身ぶり手ぶりで、なんだかんだいろんな話をしました。通じないのに、ちゃんと会話が成り立っている。あれは不思議な時間でした。
コアラが見られる動物園に行こうとしたときは、途中でバスから降ろされてしまいました。乗車を断られたんです。理由もよくわからないまま、知らない土地の道端に一人。さすがに焦りましたが、それでもなんとかして目的地にたどり着きました。
ひとつひとつは小さな出来事です。でも、言葉の通じない国で、自分の力でなんとかする。その小さな「なんとかなった」の積み重ねが、確かな手応えになっていきました。
関空から、親に電話した
旅を終えて、無事に関空に帰ってきました。
真っ先に、親に電話をかけました。「帰ってきたよ」。たった一言でしたが、電話の向こうの声を聞いて、ああ、ちゃんと帰ってこれたんだなと、じわっと実感がわいてきました。
そして、海外にはまった
帰ってきてから、あの上司に言われました。
「で、次はどこ行くの?」
カチンときた相手に、今度は背中を押されている。なんだか不思議な気分でした。ちなみにその上司とは、今でもずっと仲良くしてもらっています。
この一人旅をきっかけに、僕は海外に行くことにすっかりはまってしまいました。
その後、韓国、グアム、アメリカのシアトル、カナダのバンクーバー、そしてもう一度オーストラリアのメルボルンと、いろんな国に行きました。気づけば、学生時代に一度も海外に行かなかった僕が、一番海外に出かける人間になっていました。
あのとき確かめたかった「会社の外でも、言葉の通じない国でも、自分はやっていけるのか」という問い。完璧な答えが出たわけではありません。でも、少なくとも「なんとかなる」という感覚だけは、体に残りました。
それは今、脱サラという選択肢を考えるときの、小さな支えになっている気がします。
聞き流した言葉は、ちゃんと残っている
店長の「学生のうちにアメリカ行っとけよ」。
言われたときの僕は、それを聞き流しました。学生のうちには行かなかったし、最初の行き先もアメリカじゃなかった。店長の言ったとおりには、何ひとつしていません。
でも、その言葉はちゃんと僕の中に残っていて、何年も経ってから、自分のタイミングで、自分の意志で、僕を一人旅に向かわせました。そして結局、何年かかけて、アメリカにもたどり着きました。
「自分で決めるんだよ」とからかってきた上司の一言も、結果的には僕に大事な一歩を踏み出させてくれました。その上司が、帰ってきた僕に「次はどこ行くの?」と聞いてくれた。あの人は、最初から僕が動くのをわかっていたのかもしれません。
言われたとおりに動くのではなく、言われたことを覚えておいて、自分で決めたときに動く。どうやら僕は、そういう人間のようです。
次回は、新入社員時代に上司に勧められて、いやいや書いた論文の話を書こうと思います。
