《序章試し読み》『咒喰ノ契リ 神喰ウ花嫁ハ 呪禁師ニ嫁グ』(夢見里龍著)
序
あなたに千年の◇◇を
平安京に昇る月は赤く滲んでいた。
満月だったはずが酷くゆがんで、輪郭が暈《ぼや》けている。充ちた硯《すずり》にひと雫の血潮を落としたような月。瞬きをするといっきに月のかたちが明瞭になって、娘は微かに苦笑した。
そうか、滲んでいたのは涙のせいか――
桜の花が舞っては落ちる。
静まりかえる清水の桧《ひのき》舞台で、娘と対峙していた男が後《おく》れて膝をついた。
暗い紫の狩衣《かりぎぬ》の袖が風に揺れる。男の腕は袖ごとちぎれていた。あふれた血潮を吸って、桜の海が赤く染まっていく。
「……」
男は娘を眼差《まなざ》して、青ざめた唇を微かに震わせた。
「また、かならず、僕らは逢う……」
それは愛の詞《ことば》か、或いは呪詛か。
続けようとした言葉は声にはならず、最期の火が燃えつきるように男は倒れていった。白い花葩《はなびら》が舞いあがるなか、当代随一の呪禁師と称された男は息絶えた。
都の天で渦まいていた赤紫の群雲が式神の紙吹雪となって、乱れ散る。
張りつめていた糸が切れたのか、浄衣《じょうえ》をはだけさせた娘もまた、敷きつめられた桜の褥《しとね》に臥す。身を起こすだけの力はもうなかった。残された命は僅かだ。露わになった娘の素肌には茨の蔓を想わせる呪いの紋が絡みついていた。赤紫に明滅する花の紋が彼女の身を蝕み、命を喰らっている。
娘は板の上を掻くように腕を動かし、男の側まで這い寄った。
男は眠っているように睫毛を重ねあわせている。細い鼻すじを月明かりの筆がさっと掃った。花葩を乗せた風が血の滲んだ唇をかすめても、彼が呼吸《いき》を吹きかえすことはない。
「愛しくて、呪わしい男《ひと》」
胸に根づいた貪欲な咒《のろ》いがまもなく、娘の心の臓を喰らいつくす。
せめて、それまでは冷たくなった愛するひとに寄りそっていたかった。髪をなでつけ、彼女はこつんと彼に額をあわせる。
「あなたを呪いたくなかった」
桜が乱舞する。
平安の世。華やぐ都の裏舞台で、貴族たちが呪いをつかって権力と富を奪いあった陰の時代。絡まりあう欲と陰謀の荒波に喰われ、非業の死を遂げた陰陽師と呪禁師がいた。
「いつか、生まれかわることができたなら――」
月を映す娘の瞳から、最期にまたひとつ、涙がこぼれた。
時は輪廻する。雅やかな平安時代から華やかな大正期へ。だが、いかに時代が移おうとも変わらぬものがあった。宿命づけられた愛と呪いだ。
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・書誌情報
タイトル:『咒喰ノ契リ 神喰ウ花嫁ハ 呪禁師ニ嫁グ』上下
著:夢見里龍 イラスト:小俵マリコ
仕様:四六判・並製(予定)
予価:各巻1,800円+税(予定)
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