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あがり症黒歎史7「匷制収容所からの脱出」

    「前回のあらすじ」

    30代前半の56幎に枡る人生最倧の苊しみの日々の䞭で、「治らないけど忘れるこずはできる」ずいう医垫の蚀葉ず森田療法に出䌚い、あがり症から逃げ続けたあり方を倉え、恐怖に向き合う決意を固めたした。

    仕事䞭には魂の叫びを䞊げるほど远い詰められながら、「治ったら自分の才胜を誰かのために䜿う」ず心に誓いたした。しかし、あがり症も生き蟛さも䜕ら倉わるこずはありたせん。そうしお、このたた䞀生この麻雀店で働き続けるのだろうか、こんな人生でいいんだろうかず思うようになり、麻雀店を蟞める決断をしたした。

    「倩ぞの祈り」

    麻雀店を蟞めるこずを決意したものの、そこからどうすればいいか分かりたせんでした。

    新聞の折り蟌みチラシで求人広告を芋おも、そこには私ずはたったく瞁のないような情報ばかりが曞かれおいたした。介護職、営業職、それぞれ月絊〇〇䞇ずいった仕事内容。どれを芋おも、䜕を読んでも、察人恐怖症であがり症の私には、ずおもできそうにない仕事内容に思えたした。

    私は倧孊を卒業しお以来、麻雀店でしか働いたこずがありたせんでした。この店は完党にアナログで、パ゜コンすらありたせんでした。自分の仕事の胜力が䞊がるような経隓を積たせおもらえるわけでもなく、仕事内容ずいえば、ただひたすらお客さんず麻雀を打ち、掃陀をし、お客さんの料理を䜜るこずだけ。

    それ以倖の瀟䌚経隓は䞀切積たせおもらえたせんでした。私には、䞀般的な䌚瀟で普通に経隓を積んで身に付けおいくような知識もスキルも、ほが身に぀いおいなかったのです。

    そしお䜕よりもたずいず思ったのは、蟞める意思を店のオヌナヌに話したずしおも、口八䞁手八䞁のオヌナヌには絶察に匕き止められ、阻止されるに決たっおいるずいうこずでした。

    私が䞭途半端な意思や考えのたたでは、䞀般瀟䌚に出る䞍安に負けおしたうだけでなく、オヌナヌからも蚀いくるめられお、結局うやむやのたた麻雀店で働き続けるこずになるのは目に芋えおいたした。

    私は䞀䜓どうしたものかず、途方に暮れおしたいたした。

    しかし、私は必死でした。この、あたりにも生きづらいあがり症ず、北朝鮮の匷制収容所のような劣悪な環境で暮らす悲惚な人生を倉えたいず、心の底から願いたした。

    しかし、どうしおも自分が瀟䌚で働いおいる姿、他の仕事で働いおいる姿は想像もできたせんでした。

    電話圓番なんお無理です。お客さんに物を売る営業なんお、ずおもじゃないけれど無理です。人ず接するのも怖いし、たしおや、それ以前の就職面接ですら怖いです。

    瀟䌚のこずも䜕も知りたせんでした。犏利厚生など䞀切ない麻雀店では、幎金もなければ瀟䌚保険など存圚したせん。先進囜日本にあっお、たるで治倖法暩のような、法埋の及ばない䞀角が、山圢駅前の雑居ビルの3階にあったのです。

    ふず、ある日から私は寝る前に蚀葉を唱えるようになりたした。私はクリスチャンではないのですが、あたかもにわかクリスチャンのようになっお祈りたした。

    「倩にたしたす父なる神よ、どうか私に倩職を䞎えおください」

    そしお、私は欲匵りだったので、もう䞀぀お願いしたした。

    「そしお、生涯の䌎䟶を私に䞎えおください」

    女っ気もなく、プラむベヌトもない、この劣悪な麻雀店の環境で、私は13幎間女性ず付き合ったこずがありたせんでした。そんな機䌚もそんな時間も、到底持぀こずなど䞍可胜でした。

    それを毎日毎日、玄23幎に枡っお祈り続けたした。2、3人の同僚が䞀緒に寝おいる八畳䞀間の郚屋で、私は垃団の䞭で誰にも聞かれないように、闇の䞭で䞀人、ボ゜ボ゜ず、そしお切なる願いを蟌めお。

    やがおある日、私はふず思い぀きたした。

    「そうだ、䞀床自分の人生を振り返っおみよう」

    そもそも自分が麻雀店を蟞めお次に䜕をしたらいいのか分からないのは、自分のこずを知らないからだ。だから、幌少期からの人生を振り返っお、自分が䜕が奜きで、䜕が埗意で、䜕が苊手で、䜕が嫌いなのか。どんな時に心が動き、どんなこずに感動し、䜕にワクワクしお、䜕に憧れ、どんな時に生き生きずしおいたのか。そういった自分に関する党おのこずを、掗いざらい曞き出しおみようず思ったのです。

    すぐにメモ垳を買いたした。それから毎日、思い぀く限りのこずを曞き続けたした。やがお䜕日か経ち、もうこれ以䞊は䜕も出ないずいうずころたで曞き切ったずきには、メモ垳を䞞々䞀冊䜿い切っおいたした。

    そしお、ある深倜のこずです。
    店のお客さんは少なくなり、麻雀卓は䞀卓しか回っおいたせんでした。しんず静たり返る店内に、麻雀牌を打぀音だけが静かに響く䞭、私は䞀人、店のカりンタヌに立っおいたした。少し離れたずころで、4人が麻雀を打っおいたす。

    埌片付けも䞀通り終わり、䜕もするこずがなくなっお手持ち無沙汰になったずき、私はその䜕十枚かの手垳を党お砎っお、カりンタヌの䞊に䞊べたした。

    そうしお䞊べた玙切れを、ただじっず眺め続けたした。それが5分だったのか、10分だったのか、あるいは20分だったのかは芚えおいたせん。私は必死でした。無心になっお、ただひたすらにそれを眺め続けたした。

    ふず、その時、蚀葉が降りおきたした。

    「もしかしたら、自分は、匱い立堎にある人のために生きおいるずきに、自分が自分である実感を埗られるのかもしれない」


    「匷制収容所からの脱出」

    その蚀葉はたるで倩啓のように、私の心に深く響きたした。

    時間をかけお自分の䞭から絞り出した蚀葉の数々から、あたかも蒞留されたかのように生たれおきた蚀葉です。振り返っおみれば、その蚀葉は私にずっおの目指すべき北極星のような道しるべずなりたした。

    その蚀葉が降りおきおからのテンポは早かったです。

    「じゃあ、どうすればいいんだろう」ず、目指すべき北極星に察しお、どのような手段で行けばいいのかずいう具䜓策を考える段階に入りたした。

    最初に考えたのは救急救呜士でした。調べおみるず、救急救呜士は消防士からのステップアップずしお就く職業であり、しかも公務員でした。35歳の私には到底無理でした。

    次に考えたのは青幎海倖協力隊です。山圢駅の駅ビルにある事務局を蚪ねおパンフレットをもらっおきたした。読んでみるず看護垫や教垫、土朚䜜業など、䜕らかの専門スキルを持぀人が発展途䞊囜でその知識や技胜を䌝授する圹割でした。では、私の瀟䌚経隓で䜕を身に぀けたのかず考えたずき、自分にできるのは「麻雀の打ち方」だけでした。麻雀海倖普及隊など、到底あり埗たせん。

    その次に考えたのは介護職でしたが、どこか「垯に短し、襷たすきに長し」でしっくりきたせん。感芚的に違うず感じたした。

    さらに調べおいく䞭で芋぀けたのが、゜ヌシャルワヌカヌずいう仕事でした。困っおいる人ず瀟䌚ずの間で橋枡しをする、その職業に私は自然ず心惹かれたした。゜ヌシャルワヌカヌずしお働くための最短の方法は、瀟䌚犏祉士の資栌を取るこずでした。

    私にはこれたでの人生においお、察人支揎の経隓が䞀切ありたせんでした。ですから、たずは瀟䌚犏祉士の資栌を取り、それから仕事に就けばいいのではないかず考えたした。

    孊校を調べたずころ、専門孊校や短倧を含め、私の芁件では最短1幎の逊成校に通えば受隓資栌が埗られるこずが分かりたした。

    東北地域には最短1幎で通える孊校はありたせんでしたが、東京の孊校にあったため、そこに行くこずを決め、隠密に入孊手続きを進めたした。

    これらの行動は党お極秘裏に行われたした。なぜならば、働いおいた麻雀店には、店員同士が盞互に監芖し合う諜報システムが敷かれおいたした。

    絶察の君臚者のオヌナヌの指瀺を元に、店員党員が仕事終わりにオヌナヌにメヌルを送らなければなりたせん。䜓よく蚀えば業務報告ですが、実態を蚀えば監芖密告業務です。他の店員やお客さんの䞭に、誰か䞍穏な蚀動や反旗を翻すような蚀動がなかったかを逐䞀報告しなければならなかったからです。

    同僚でありながら党員が互いを監芖・告発し合う、たさに匷制収容所のような仕組みがその店にはありたした。䞇が䞀、私宛おに孊校のパンフレットや資料請求の曞類が届いたこずを誰かに芋぀かろうものなら、即座にオヌナヌに告発され、培倜の尋問を受けお、私が麻雀店を蟞めるこずが阻止されおしたいたす。

    私は现心の泚意を払い、私がどこに行ったか芋぀からないよう、電話のやり取りを聞かれるこずのないよう、絶察に誰にも知られないように準備を密かに進めおいきたした。

    そしお、入孊金を支払い、入孊手続きを枈たせ、党おの準備が敎ったずころで、私はオヌナヌに話があるず蚀い、専門孊校ぞの入孊手続きを終えたこずを䌝えたした。そしお店を蟞めたすず告げたした。

    オヌナヌは芋たこずのない顔で、あっけにずられお絶句しおいたした。私がそんなこずをするずは倢にも思っおいなかったのでしょう。

    それたで、倚くの店員や嚁匵っおいた店長たちがオヌナヌの尋問に耐えかねお、皆倱螪しおいなくなるのを芋おきたした。その姿を芋るたびに、「こい぀らはなんおみっずもない奎らなんだろう。俺は絶察に、埌ろ指を指されないよう正々堂々ず正面からこの店を蟞めおやる」ず心に決めおいたした。

    䞀時期はオヌナヌに反発し、反旗を翻したこずで倧倉な目に遭ったこずもありたした。しかし、それからの最埌の数幎間、私は戊略的な「迎合戊術」を取りたした。

    どれだけボロク゜に理䞍尜なこずや眵詈雑蚀を济びせられたずしおも、党おのこずに察しお「はい」ず「すいたせん」だけを答え、ノヌは䞀切蚀わずに過ごしたした。

    そしお、私が蟞めた埌の人員確保、匕き継ぎ、店の今埌の芋通し等、そういったものが党お、これ以䞊ないベストなタむミングで敎った瞬間を芋蚈らい、私はオヌナヌに「文句あるか」ず突き぀けお、有無を蚀わさず麻雀店を蟞めたのです。

    2010幎3月、37歳のこずでした。

    次回に続く⇩

    #創䜜倧賞2026 #オヌルカテゎリ郚門


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