
昭和、渋谷で、恋をしたり 2-8 |どこでもよかった
前回のあらすじ(2-7)
リクエストに応えて、大学のキャンパスに夏奈恵を招いた泰輔。夏奈恵の家を目指して夜通し走った夜を振り返りながら、泰輔は、勉強しか取り柄がない自分をさらけ出していた。
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どこでもよかった
「深夜のマラソン話、すごい面白かったよ」
夏奈恵らしい真っ直ぐな軽口だった。私は苦笑いしながら、胸の奥のつかえが取れたような軽やかさを感じていた。
「昔ほどコンプレックスって言うのかな。そういうのはなくなってきたけど、やっぱりどっかで思ってるよ。オレなんか勉強しかできない、つまんない男だって」
「でも、勉強もできないつまんない男よりかはいいんじゃない?」
「そうなのかな……。勉強するの、そんなに苦じゃなかったから。ネクラなんだよ」
「じゃあ、溝口さんの大学はネクラの集まり?」
「そうじゃないだろうけど」
「じゃあ溝口さんもネクラとは限らない」
「だといいけど……。でも背伸びしているんだよ。そういう自分がたまに嫌なんだよね」
「私の前でも?」
「うん、まだ、そういうとこあるのかも」
「誰でもそうよ。知られたり、見られたくないことって、一つや二つ抱えてるもんでしょ?」
一言ひとことに、自分を受け入れてくれている心地よさがあった。
それと同時に、夏奈恵が「説明なんかしたくない」と言っていたことを思い出した。
誰もが心に闇を抱えている。だから、そこに土足で踏み入れてはいけない。だから、説明なんかしたくない。だから、説明なんかさせるなと夏奈恵は言っていたのか。
「大学なんてどこでもよかったんだよね、本当は……」
◇ ◇ ◇

福岡で過ごした日々
1961年、昭和36年、私は福岡県に生まれた。
私が育った世界は、九州の福岡に暮らす4人家族を基盤にしていた。地元で祖父が開業した病院を継いだ父。その父が東京の大学病院に勤務していたころに出会った看護師が母だった。
2人は結婚すると間もなく福岡で祖父の病院に勤めた。そして私と2歳離れた弟の洋介が生まれた。
子供のころの私は足が遅く、運動も苦手だった。大人数の場所でのおしゃべりもそうだ。だからなのか、家で一人になって勉強することが苦ではなかった。きっと一人でできる作業が一番落ち着けたのだろう。
だからというべきか、成績は悪くなかった。中学も高校もトップクラス。そのうえ、こんな医者家系の中で育ったのだ。当然、私も医者になることを意識した。
実際に小学校のころの作文では、「大きくなったら、お父さんのようなお医者さんになりたい」と、私は嬉々として書いた。それは純粋な思いだったのだが、そうすれば両親も喜んでくれることも知っていた。
