
なぜ足元のことは、わからなくなるのか|第6回|埋め戻された土地 ― 比べていた、ということ
立つ場所によって、同じものが違って見える。前回の終わりに、自分でそう書いた。
書いたあとで、書きながら自分の立ち位置はあまり動いていなかったことに気づいた。立つ場所、と書いたのは僕だが、書いていた僕の足は瀬戸に置いたままだった。
先月、福井と石川の山中地区に行ってきた。越前焼、越前刃物、越前和紙、越前漆器、山中漆器、いくつかの工芸の現場を回る数日だった。瀬戸の足元を、瀬戸ではない場所から見てみる。そういう旅になった。
行き先のひとつは、越前焼の組合が管理している粘土製造の現場だった。組合の方に案内してもらった。瀬戸や美濃の原料屋を何度も見てきた身で、越前の粘土工場がどのように見えるのか。
工場は山あいにあった。建物は新しくも古くもない、他産地の原料工場でよく見るたたずまいだ。車を停めて中に入る。事務局長、営業担当、そして土職人という肩書きの現場担当の方たちと挨拶をして、案内が始まる。
最初に通された場所で、見慣れた風景に出迎えられた。
入り口から覗く工程は、瀬戸や美濃で何度も見たものと同じだ。原料を粉砕する機械、水簸の槽、土を寝かせる場所、原料を山にして置いてあるストック場。配置も流れも、産地が違っても似ている。量産の時代を経て、粘土をつくる技術はどこの産地でも近いところに収束したのだろう。違うのは、扱っている土の質だけだ。
そう思って見ていたら、機械が動いていない。
工場は静かだ。事務局長が機械の脇を歩きながら、それぞれの工程を順に説明してくれた。粉砕機も、フィルタープレスも、その瞬間は止まっていた。唯一、泥漿槽の攪拌機が静かに回っている。土職人は一人で、この現場を回している、と聞いた。
工場の中は、ものすごく綺麗だ。
機械の足元にも、棚にも、棚の上にも、土の粉があまり積もっていない。掃除が行き届いているのか、それとも、時間的な余裕なのか。ストック場の土の山も、瀬戸で見慣れた量とは違う。最近伺う中規模の原料屋さんで見るストック量、いや、それよりも少ない規模感だ。ストックされている土の種類は少ない。製品として並んだ粘土の単価を聞くと、これも安かった。出荷量も他産地と比べると、やはり少ない。
それぞれは、産地の事情で説明できる事実ばかりだった。一つひとつの数字や運用には、現状を保つための工夫の跡がある。
ただ、それらが組み合わさって目に入ってきたとき、自分の中で何かが「やばい」と反応していた。
事務局長の説明は丁寧で、最初から最後まで淡々としていた。それぞれの工程、それぞれの数字、それぞれの背景を、説明してくれた。こちらの問いかけへの答えも理解しやすい。越前焼をアピールしたいという想いも伝わってくる。
その温度の差が、自分の体に違和感として残った。
工場をひととおり見たあとで、もう一度尋ねた。鉱山はあるのか、と。
鉱山と呼ばれている場所はもうない。でも土を掘っていた現場はある。これからそちらにご案内しますよ。予定外の行程だったが、ぜひお願いしますと答える。
工場から窯元へ向かう途中で、車を停めた。
ここです、と事務局長が指したのは、山あいの広い土地だった。かつての採掘現場。綺麗に整地された場所だった。
雨が降る中、降りて歩く。
不思議な景色だった。
ぐるりと土地を囲むように、壁が立っていた。壁ではない、と言えば壁ではない。けれど、土地の縁が、かつての採掘でできた断面が、垂直に立ち上がっている。地層が縞になって露わになって、土地を囲んでいる。
その壁の内側は、埋め戻され、整地された土だった。綺麗にならされている。砕石が敷かれている場所もある。雑草も生えている。今はもう、ここで土を掘る活動はしていない。掘り終えた場所が、こうして整地されて閉じられた。土地の縁に残る壁だけが、ここでかつて土を掘っていたという事実を残していた。
瀬戸の鉱山と、頭の中で重ねた。
重ねた時点で、もう比較していた。瀬戸の鉱山に比べれば、ここは狭い。瀬戸では、2つの鉱山がまだ動いている。白い土が掘り出され、運ばれていく現場がある。ここはもう動いていない。
そう考えた瞬間、自分の中で別の筋の反応が起きた。
「○○焼」という言葉は、どの産地にも残っている。市場には言葉が並ぶ。同じ言葉の並びの中で、産地ごとの生産量や、その量を支える土の現実は、外からは見えない。「○○焼」と「△△焼」を比べることはできても、その背後にある掘る現場の規模、土の有無、掘り続けられる時間は、言葉の比較では映らない。
僕は、瀬戸を基準に越前を見ていた。基準を持って見ることは、悪いことではない。ただ、基準を持って見るということは、基準にあてて見るということでもある。狭い、と感じたのは、そういう僕の身体の反射だった。
壁の地層を、もう一度見上げた。
何百万年の時間が、垂直に立つ。ここで掘られた土は、先ほど見た組合の工場にストックされていたあの土だ。今は、その土や、田土、たまたま出る土木現場の土、他から運ばれる土をブレンドしてやりくりしているという。
少し前のことを、思い出していた。
萬古や常滑の組合の原料置き場を見学する機会があった。萬古焼や常滑焼の粘土原料は、必ずしもその土地の中だけでは賄えない。多くの土が他産地や海外から運ばれてくる。瀬戸も美濃も同じだ。原料置き場には、いくつもの仕切りが並び、それぞれにブレンド前の様々な場所から運ばれてきた土が積まれている。
仕切りの一つに、白っぽい土があった。
歩きながら近づいていく途中で、もしかして、と頭の中で何かが反応した。仕切りに辿り着いて、表示を見た。「瀬戸」と書かれていた。「蛙目」とも書かれていた。
第2回、第3回で書いた鉱山の中の白、山の上の白を、自分はもう知っていた。鉱山の中腹で見た真っ白な層が、運ばれて、別の産地の組合の原料置き場に、こうして積まれている。表示を読む前に身体が反応したのは、その色を一度知っていたからだった。
仕切りは他にもいくつもあった。各産地から運ばれてきた土が、それぞれの場所に積まれていた。そこから取り出して、ブレンドする。ブレンドは産地ごとに違う。「○○焼」と呼ばれる粘土は、その土地らしいブレンドの結果として成り立っている。土地の名前のもとに、複数の産地の土が組み合わさっている。
瀬戸の白は、そのレシピの中で、しばしば中心に置かれている。可塑性があり、粒度が細かく、色が安定している。多くの産地の粘土が、瀬戸の白い土なしには成り立たない。それは事実として、誇らしい。
同時に、その白い土の単価が、どの組合の置き場でも、決して高くないことも知っていた。
鉱山から運ばれた白い土が、いくつもの産地の原料置き場で、いくつもの産地の粘土レシピを支えている。レシピを使う人の手元には、もう「瀬戸」とは書かれていない。「○○焼」風のための粘土が届く。
越前焼の鉱山がもうないこと、組合の工場が一人で回っていること。鉱山がもともとない産地もある。鉱山が閉じた産地もある。鉱山がまだある産地もある。それぞれの産地の今は、それぞれの時間の中にあった。
帰り道、日はもう暮れていた。
高速道路の灯りの中を、車で走っていた。同乗していたのは、ポッドキャストの声だけだった。話している内容はあまり頭に入ってこなかった。
ものづくりの現場に機械が入って、仕事は格段に楽になった。効率が上がり、経済の構造ができ、産地ごとに違っていたはずのプロセスは、どの産地でも近づいていった。違うのは、扱う土の銘柄だけだ。
その銘柄を支える土が、各産地で揺らいでいる。掘る場所、掘る人、掘り続ける経済の力。その地域固有の原料や作り方こそが「○○焼」を○○焼たらしめてきたはずなのに、今は、土そのものが、産地の顔として見えにくくなりつつある。
モヤモヤしていた。頭の中で、今回の旅、他産地での出来事、瀬戸のことを巡らせていた。巡らせているうちに、別のことに気づいた。
僕は、越前を瀬戸の未来として読んでいた。無意識に、無自覚に、頭の中ではそう読んでいた。比較してしまっている自分を反省した、と言うほうが近いかもしれない。基準を持って見るということは、基準にあてて見るということだ。あてて見ているうちに、相手の固有の時間が、自分の物語の中に回収されていく。
それは、第5回までの自分が書いてきた「立ち位置を動かす」とは、少し違う動き方だ。
ポッドキャストの音は、もう耳に入っていない。萬古や常滑の組合の置き場で見た「瀬戸」「蛙目」の表示が、まぶたの裏に残っていた。あの白い土を使う人の手は、それがどこの土なのか、知っているとは限らない。瀬戸の未来は、その手の中にもある。
高速の出口が見えてきた。瀬戸まで、もう少しだった。
つづく