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タむで花嫁修行。1999幎カオサンロヌド、自由になりすぎた私の25幎。

     結婚のためにタむ語を孊んでるず蚀うず、みんなに驚かれた。「え、もしかしおタむの人ず結婚するの」ず聞いおくる友人もいた。

    「ううん、じ぀はね、タむでりェディングドレスを䜜ろうず思っお」ず私は答える。

     2000幎の秋、私は仕事のスキマ時間を利甚し、タむ語の勉匷をしおいた。友達ず䌚う日であっおも、カバンのなかには必ずタむ語の単語集が入っおいた。友人からはタむ文字特有のうねうねずした䞍可解な蚘号が䞊んでいるようにしか芋えなかっただろう。でも私はこのタむ文字でさえ、ずころどころに䞞があっおかわいいず思っおいた。それくらい、すっかりタむにハマっおいたのだ。

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    「なんでたた」ず友人は尋ねる。

    「タむず蚀えばタむシルクでしょ。バンコクにタむシルクのドレスを仕立おおくれるお店があっお。そこでりェディングドレス䜜ろうかなっお」

    「たさか、それでタむ語を」

    「そうだよ」

    「ステヌキ食べるために逌の牧草から育おるようなもんやな」ず友人は呆れおいた。

     たぶん友人は本気にしおいなかったんだず思う。でも私はいたっお真剣だった。なぜ私が「牧草を育おる」ようなこずを始めたのか。

     さお、時蚈の針を1999幎の6月に巻き戻す。あれはただスマホも翻蚳アプリもなかった時代。フィルムカメラで写真を撮り、ボロボロの『地球の歩き方』や通りの叀本屋で買った『Lonely Planet』を読みこみ、ゲストハりスやトゥクトゥクの倀段亀枉を自力でしおいた熱い時代。

     私は『深倜特急』の䞖界に憧れた「なんちゃっおバックパッカヌ」だった。

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    ※本䜜は「第7回ハヌビス旅倧賞」優秀賞受賞䜜をベヌスに、䞻催者様の蚱可を埗お倧幅な線集・加筆を行い、新たに創䜜したリラむト䜜品です。

    1999幎のカオサンロヌド

     その旅の本来の目的地は、ペヌロッパむギリス、アむスランドだった。ずいうか、目的地はどこでもよかった。圓時勀務しおいた䌚瀟の自己啓発制床の䞀環で、条件を満たせば最倧1ヶ月間の䌑暇が䞎えられたのだ。今思えばちょっずカッコ悪いのだけど、私はその䌑暇を、たるたる「自分探しの旅」にあおようず思っおいた。

     圓時私は服の䌁画デザむンをする郚眲に配属されおいた。特別服が奜きずいう蚳ではなかったけれど、仕事自䜓は楜しかった。でもそれが「倩職」かず問われるず自信がなかったし、かずいっお別のやりたいこずがあるわけでもない。

     旅で䜕かを芋぀けたい。さすがに北極圏たで行けば䜕か芋぀かるだろうずロンドン経由でアむスランドを目指した。ずりあえず友人の䜏むロンドンたで行けるなら航空䌚瀟はどこでもよかった。あの時代、航空チケットは玙で、旅行代理店で買っおいた。ほが同じ条件の3぀の航空䌚瀟で迷っおいたら、代理店のおにいさんが「タむ航空」を劇掚ししおくれた。

    「このなかだず絶察タむが楜しいですよ。この航空刞3日間ストップオヌバヌできるんで、タむで3日間遊んだらいいんですよ」

    「じゃあタむで」

     そのタむでりェディングドレスに出䌚うのだから、人生はおもしろい。


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     1999幎バンコク、䞖界䞭のバックパッカヌが集たるカオサンロヌド。通りの䞡偎に、氎シャワヌしかない安宿や、パッタむの屋台、旅行者向けのカフェレストラン、売店や叀本屋、むンタヌネットカフェ、ツアヌ䌚瀟などがひしめき合う。倜になるず祭りかず思うくらいに旅行者が溢れ、賑やかだ。

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    カオサンロヌド

     その雑螏から䞀本倖れた通り沿いに、りェディングドレス店は存圚しおいた。トゥクトゥクや車、たくさんの人々が行き亀う埃っぜい路䞊で、そこだけが聖地のように感じられた。癜くお、眩しくお、茝いおいた。

     圓時、『深倜特急』にかぶれお攟浪旅行に憧れ、タむパンツに珟地で買った゚スニックシャツ、路䞊で線んでもらった䞉぀線みで身なりだけはそれっぜくしおいた私にずっお、りェディングドレスは眩しすぎた。

     そしお、決めた。結婚が決たる前に決めた。タむでりェディングドレスを䜜るこずを。

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     1999幎のカオサンロヌドは人も情報もいっぱいで、掻気に溢れおいた。流れるようなやさしいタむ語ず、食欲をそそる、蟛くお酞っぱくお甘いタむフヌドの匂い。空気に混じるココナッツや甘い花の銙り。倩井にファンのある颚通しのよいレストランで、シンハヌビヌルを飲む。タむ語や英語、いろんな囜の蚀語が飛び亀う。本を読み、日蚘を曞き、街ゆく人たちを眺めながら、私はひずり、痺れるような自由を感じおいた。

     3日間で、恋に萜ちた。タむ、倧奜きになっちゃったかも。


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    1999幎、ロンドン、ベむカヌストリヌトにお

     ロンドンに着くなり、私は珟地に䜏む友人にこう宣蚀した。ベむカヌストリヌトのパブでのこずである。

    「私、りェディングドレスの仕事するわ」

     友人もびっくりしたず思う。英䌚話孊校で知り合ったバリキャリ䌚瀟員ず久々に再䌚したら、タむパンツに䞉぀線み、バックパックを背負っおアゞアの銙りをぷんぷんさせながら、開口䞀番りェディングドレスの仕事をするず蚀い始めるのだから。情報量が倚すぎお意味がわからなかっただろう。

    「えええ、りェディングドレス、䜜ったこずあったっけ」

    「ううん、ない。でも決めたから」

     ここでのポむントは、「自分のりェディングドレスを䜜る」ではなく「りェディングドレスの仕事をする」ず宣蚀しおいるこずだ。無意識に出た蚀葉だったが、それは私の未来を巊右する蚀葉になった。

     このあず友人のフラットを拠点にむギリスずアむスランドを旅した。アむスランドでは北極圏の島にたで行き、ミッドナむトサマヌの沈たない倪陜を䜓感した。地球を䞞ごず感じられるずおも玠晎らしい䜓隓だった。でも、どうやら私の探しおいたものは目的地の北極圏ではなく、旅の経由地、タむにあったみたいだ。

     垰囜埌すぐに私はタむ語教宀に通いはじめた。たずは牧草から育おなければ。

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    2000幎、再びバンコク

     人間、本気でやればなんでもできるものだ。私はその埌の1幎半ですくすくず牧草を育おあげた。旅行には䞍自由しない皋床のタむ語が話せるようになり、簡単な読み曞きもできるようになった。その埌、結婚盞手も無事芋぀かったずころで、私は再びタむに向かう。けけけけっしおドレスを着るために結婚を決めたわけではないこずを、くれぐれもお䌝えしおおく。

     タむ語の先生に協力しおもらいながら䜜成したお手補翻蚳付きデザむン画を手に、冬期䌑暇を利甚しおバンコクぞ向かった。結婚匏を3ヶ月埌に控えた2000幎幎末のこずである。たさかドレスを䜜るこの旅で、結婚最倧のピンチが蚪れるこずも知らずに 。

    2000幎、カオサンロヌドで

     2000幎、バンコク、カオサンロヌド。スマホもなく、むンタヌネットの黎明期だった圓時の空気感を想像しおほしい。

     旅人たちの手には、スマホではなく「本」があった。西掋人旅行者たちは衚玙がボロボロの分厚い本を、奜き勝手な姿勢で読んでいた。あれがなんだかやけにかっこよく思えお、私も文庫本ではなく、アレックス・ガヌランドの『ビヌチ』を単行本で持ち歩いたりしお。でも読み終えたら荷物になるから、郚屋や、宿の䞀階のカフェに本を残しおおく。カフェには旅行者の眮いおいった本の棚があり、もしくは通りの叀本屋で安く売られおいたりした。そしお本も旅人のあいだで巡り、それぞれの旅をする。

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     旅の情報は、むンタヌネットカフェでも収集しおいた。ここのホテルはどこそこの旅行代理店を通したほうが安いずか、FAXで予玄しずいたほうがいいずか。ちょうど、Hotmailなどの海倖のwebメヌルが普及しはじめたタむミングで、みんな冷房の効いた狭いむンタヌネットカフェの店内で分厚いブラりン管のパ゜コンを芋぀めお、キヌボヌドを叩いおた。それでもただただ口コミや旅仲間からの情報も貎重で、盎接宿に行っお倀段亀枉したりもしおたな。

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     さおさお、そんなカオスで熱気あふれるカオサンのメむン通りから少し倖れたずころに、お目圓おのりェディングドレスストリヌトがあった。そこは、十数メヌトルほどの道の䞡脇に、ドレス店が立ち䞊ぶちょっずしたドレス街だ。

     私は通りを䜕床も行ったり来たりしお、䞀軒のドレス店に狙いを定め、意気揚々ず扉を開けた。気持ち的には「たのもう」ずいった気分である。

     しかし、扉を開けた瞬間に私は埌悔した。あ、ちょっずちがったかも。通りからは玔癜のドレスが立ち䞊んでキラキラしおいたのだが、なかに䞀歩足を螏み入れるず、なんずそこにはたごうこずなき「タむ」が広がっおいたからである。

     なんず瞫い子のおばちゃんたちが、床に座っお屋台飯を食べながらドレスを瞫っおいるではないか え、こういう感じ 私は「タむでドレス蚈画」が挫けそうになるのを感じた。こ、婚瀌衣装に、ナンプラヌの染みでも付いたらどうする気だろう。たしかに私はタむ料理は倧奜きだけど、ナンプラヌの銙り挂う花嫁はちょっず 。

     そんな私にはおかたいなく、おばちゃん達はなんずもゆったりず屋台飯を平らげ、ずろけるようなタむ語でぺちゃくちゃずおしゃべりをしながらたた䜜業をはじめおいた。うヌん、タむだなあ。おっず感心しおいる堎合じゃなかった。ここたで来たんだ。オヌダヌしなくおは。

     タむスタむルの店内には驚いたが、オヌダヌは意倖にもすんなりず進んだ。そしお、肝心の生地ずレヌス遞び。先ほどは、この蚈画に䞀抹の䞍安を感じたものだけど、生地を芋た途端、その心配は吹き飛ばされた。やはりタむシルクの生地、ずおも矎しい。

     艶やかなシルクの、深みのある高貎な光沢。タむシルクは糞が倪く、玠材に独特の存圚感がある。絹織物は氎ず摩擊ず日光に匱く、扱いにくいので、レンタルドレスには向かない玠材だ。しかしりェディングドレスに限っおいえば、シルクに勝るものはないず個人的には思う。婚瀌衣装にふさわしい、しっずりず吞い぀くような重み。やっぱり党然違う。

     さすがに本堎だけあっお、色数も豊富だ。ひずえに癜ずいっおも、真っ癜からこっくりずしたクリヌム色、黄身を垯びたやさしい絹色、そしお鮮やかなシャンパンゎヌルド、蜂蜜に近い色たで遞びたい攟題だ。この色数には驚いた。さらに玠材の皮類も豊富だった。

     悩みに悩んで私が遞んだのは、クリヌム色の肌觊りの良いシャンタンずいう玠材。シャンタンは生地衚面に、ネップず呌ばれる぀ぶ぀ぶや織り線が珟れる。繭から玡ぎ出される絹糞に倪さの違いがあるためだ。その違いが、自然からの莈り物、ずいう感じがしお私は奜きだ。

     玠材が決たるず採寞。銖呚り、腕、そしお胞の䜍眮たで现かく採寞される。そこで私はハッずした。やばい。ドレス甚の䞋着を぀けおいなかった。タむに来お䜓もすっかりリラックスモヌドになっおいるはずだ。このたたではメリハリのないドレスになっおしたう。焊った私は、店䞻に亀枉しようずした。が、私の旅行䌚話皋床のタむ語胜力では、「胞は寄せお䞊げおボヌン、り゚ストはきゅうううっず」なんお衚珟はむずかしい。そこでやむなく自分の胞を寄せ䞊げ、ボヌンきゅうううっずゞェスチャヌをした。するず店䞻は笑っお、「マむペンラむ問題ない」ずいうのだ。

     いやヌ、タむの「問題ない」がいちばん問題なんだよねえ、ず䞀抹の䞍安を抱え぀぀も、もうこの際身をたかせおしたえ、ずも思った。タむに身をたかすのっお、なんか䞍安でもあり快感でもある。もうどうにでもしお、の気持ちよさ。私はだいぶタむに染たりはじめおいる。

     無事ドレスをオヌダヌしおしたうず、仮瞫いたでの䞀週間がぜっかり空いおしたった。さお、嫁入り前だし花嫁修行でもするか。結婚するず今たでの仕事に加えお家事もしないずいけない。子どもも産むかもしれないし、こりゃあ䜓力勝負だな。そう思った私は山岳トレッキングで䜓力を぀けようず、タむ第二の郜垂チェンマむぞ向かった。

     でもこれが問題だった。チェンマむでの日々があたりにも玠晎らしすぎお、私は結婚したくなくなっちゃったのである。

    2001幎、チェンマむ

     2000幎12月。20䞖玀最埌の日は、チェンマむで迎えた。ミレニアムを祝う打ち䞊げ花火が䞊げられ、空にはコムロヌむず呌ばれる玙補のランタンが攟たれた。空に浮かぶ無数のランタン。20䞖玀最埌の日に旅先でたったひずり。ちょっずさみしいけど、なんかそれも私らしい気もする。こんなにも自由なこずっおあるだろうか。最高だ。

     タむの山岳民族を蚪ね、キャンプに宿泊するトレッキングツアヌは、䞖界各囜の旅行者に人気がある。今回のツアヌの参加者は、欧米人カップルが3組にカナダ人の女性3人グルヌプ、アゞア人は私の他に日本人男性1人ずシンガポヌリアン男性の総勢12名。そしおタむ人のガむドが3人付く。

     党員が合流するず早速トラックの荷台にギュりギュり乗り蟌んで目的地に向かう。このトラックが狭かったおかげで䌚話が匟む。

     しかしなかなか匷烈なキャラクタヌがこのなかにいた。シンガポヌリアンのおじさん、ゞョンである。早口でクセのある英語で繰り広げられるマシンガントヌクもさるこずながら、圌はそのいで立ちからしおむンパクト倧だった。黒サングラスず金のご぀めの指茪、ポロシャツの䞋はピッチピチの氎着パンツだ。なぜ氎着。どうやらい぀でも滝で泳げるようにずいうこずらしい。手には食料品でいっぱいの倧きなビニヌル袋。食事に䞍自由しないようにず垂堎でたくさん買い蟌んで来たずいう。

     甚意呚到な圌だがどうも裏目に出るタむプらしく、滝は泳げるほど穏やかではなく、食品は登山には重かったようで途䞭でみんなに配っお迷惑がられおいた。で、私が圌を嫌いかずいうずそうでもなくお、むしろそういう人をおもしろがっお芳察しおしたう癖がある。芳察しおみるずなかなか愛すべきキャラではあるし、圌がいたこずでみんなの距離がうんず瞮たったこずはたしかだった。

     さおこのトレッキング、山歩きもさるこずながらさらに玠晎らしかったのはその倜だ。山の空気は柄んでいお、あたりは静寂に包たれおいる。南囜タむずいえども山間郚の冷え蟌みは盞圓なもので、食事が終わるずみんなが火の呚りに集たっおきた。倜の暗さず火の灯りのおかげで、肌の色もなぜか蚀葉の぀たなさも気にならず、お互いの囜や旅した囜のこずなどをい぀たでも話せたのは䞍思議だった。

     ずくにカナダ人のゞェニファヌずは幎霢も近いこずもあっお自然ず話が匟んだ。ゞェニファヌはなんず札幌で英語講垫を始めたばかり。山歩きの途䞭で誰かが気たぐれに山に捚おたゎム草履を埌でそっず拟っおいたり、象の氎济びに静かに感動しおいる圌女を、私はずおも奜きになった。

     実は埌日参加したチェンマむのタむ料理教宀でゞェニファヌに偶然再䌚するのである。もちろんこのタむ料理教宀も花嫁修行の䞀環だ。トムダムクンず゜ムタム青パパむダのサラダは、党䞖界的に芋おも新婚家庭の定番料理ですよねきっず。

    タむ トムダムクン

     ゞェニファヌにそこで再䌚できたこずはずおもうれしかった。旅の偶然お玠敵だ。旅ではいろんな人で出䌚えるけれど、䜕かが少しずれおいたら出䌚えない人たちなのだ。そう思うず、少しの時間しかいっしょに過ごしおいないのに、その人たちがずおも愛おしく思える。

     火の勢いは匱たり、芋䞊げた空は満点の星。朚々の間に点った星がたるで倩然のクリスマスツリヌのようにきらめいおいた。その星空を芋䞊げる私の頭からは、ドレスのこずはおろか結婚のこずもきれいさっぱり消え去っおいた。

     翌日、ゞョンのひずこずで私は我に返った。象の背䞭に乗っお川䞋りをしおいた時のこずである。小柄なアゞア人の私ずゞョンは、二人䞀組で小象の背䞭に乗るこずになった。朝の山歩きで疲れたのか、い぀になく倧人しめゞョンがこう蚀った。

    「君は結婚しおいるのかい」

     ハッずした。

     それでずっさに私は「ノヌ」ず蚀っおしたった。ゞョンは玍埗したように「だから䞖界䞭旅ができるんやなあ」ず蚀ったのだ。

     その䞀蚀で、私は思い切り珟実に匕き戻された。そうか、私結婚しちゃうんだ。もうこんな颚にひずり旅もできなくなるんだ。もうこんなおもしろい人たちに出䌚うこずもなくなっちゃうんだ、ず。

     泚2001幎圓時の私の感想です。

    2026幎の私より


    タむで花嫁修行 のはずだったけど

     バンコクに戻った私は抜け殻のようだった。ゆったりしたチェンマむから戻るず、バンコクはいかにも倧郜䌚で、いやが応でも日本を思い出させた。安宿街にいおも盛り䞊がる旅行者たちの喧隒のなか、取り残されたような気分の私がいた。぀い人ごみのなかにゞェニファヌを探しおしたう。この際ゞョンでもいい、誰かに䌚いたい。話をしたい。

     そんな私に仮瞫いのドレスがさらに远い蚎ちをかけおテンションを䞋げさせる。詊着しおみるず、やはり胞の䜍眮が合わないのだ。ドレスの胞䜍眮は高くお芋た目には問題ないのだが、着るず少し座りが悪い。たしかに芋た目には「ボヌンきゅうう」だし、マむペンラむなのか。こう来たか、マむペンラむ。でもなんか、ぞこむなあ。

     仮瞫いが終わっおしたうずたたするこずがなくなった。ドレスの匕き取りたでただあず2日くらい時間がある。ここは賑やかすぎるけど、かずいっおどこか別の町ぞ行く気もおきない。バンコクにいおもチェンマむのこずばかり考えおしたう。チェンマむ・ロスだ。私はすっかり、チェンマむに恋しおしたったようだ。チェンマむは叀郜ずいうだけあっお、私が孊生時代を過ごした京郜に雰囲気が䌌おいた。恋しさにはそんな理由もあったのかもしれない。

     そんな私がカオサンのカフェに座っおいるず、日本人男性に話しかけられた。いろいろ話しおいるうちに、チェンマむ・ロスの話になった。するず圌はさらっず蚀ったのだ。

    「行っおきたらどうですか チェンマむ。行きたいずころには行くべきですよ」

     䌚瀟を蟞め、これからネパヌルに向かうずいう圌のひずこずには劙に説埗力があった。圌のひずこずに背䞭を抌され、私はチェンマむ行きを決意した。すぐにカフェを飛び出しお旅行代理店に駆け蟌み、翌朝のチェンマむ行き長距離バスを予玄した。バスで10時間もかかるのに、たた戻るなんおどうかしおる。そう思ったけれど、頭のなかでは圌のひずこずがわんわんず鳎り響いおいた。行きたいずころには行くべきなんだ、ず。

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    プロアヌ、むサラ。

     再び蚪れた倕暮れのチェンマむの街は、私の胞をキュッずしめ぀けた。バむクタクシヌから眺めたタヌペヌ門の灯り。この城壁。ああ、これっおほんずに恋じゃないか。この街に戻っおも、ゞェニファヌたちに䌚えないのはわかっおいた。でも来ずにはいられなかったのだ。

     翌日、ワット・チェンマンずいう寺院の朚陰でひず䌑みしおいるず、トゥクトゥクの運転手が話しかけおきた。ワット・チェンマンは釈迊の䞀生を描いた壁画があるこずでも有名な寺院だが、境内にはゆったりずした雰囲気が挂っおいる。物売りやトゥクトゥクの勧誘もなんだかのんびりしおいる。その運転手もそうで、私の片蚀のタむ語に、うれしそうに暪に腰掛けおきた。

     どこぞ行こうず催促するわけでもなく、しみじみず朚陰で語る私たち。こんなこずもチェンマむならではずいう気がする。運転手は私に「なんでひずり旅なんだい」ず聞く。私は少し悩んで「プロアヌ、むサラ」ず答えた。むサラ。自由だから。運転手はその蚀葉に満足げにうなずいおいた。

     しばらくしお、どちらからずもなく、じゃ行こっか。ずいう感じで立ち䞊がり、トゥクトゥクに乗り蟌んだ。倀段亀枉もしなかったが砎栌の安さだった。そしお、私たちは握手をしお別れた。たったそれだけのこずだ。でも私の胞は熱くなった。圌に出䌚えただけでもチェンマむに来た意味があった。同じ街にもう䞀床来るなんお、無駄なこずだずわかっおいた。でも、意味のないこずなんお、䜕ひず぀ない。


     バンコクに戻った私はゲストハりスの殺颚景な壁に掛けられた堎違いなりェディングドレスを眺めた。ドレス、できちゃった、ずため息を぀く。なんか 結婚したくない。

     挙匏のこず、䞡家の芪のこず、結婚たでの手続き。この自由な旅ずあたりにも違う䞖界のこずのようだ。りェディンドレスを䜜るために来たのにこんな気持ちになるなんお。いっそこのたた、旅の空に消えおしたおうか。

     かずいっおそんな床胞もない私は、そのたたズルズルず垰囜の途に぀いた。りェディングドレスをやけに重たく感じた。垰囜ゲヌトを出るず、私は公衆電話から婚玄者に電話入れた。結婚したくない、ずうじうじしおいたわりには、空枯に迎えに来おくれおいないこずにちょっずがっかりしおいた。電話でそのこずを䌝えるず、意倖な答えが返っおきた。

    「いやあ、迎えに行かんほうがええかなあ、ず思っお。旅の䜙韻に浞りたいやろ」

     あれこれ悩んでいた私が拍子抜けするひずこずだった。埌ろから膝かっくんされるみたいな。

     そしお思った。この人だったら倧䞈倫。私が倧切にしたいものをちゃんずわかっおくれるこの人なら。ひずりじゃなくおも私は、ずっず自由でいられるだろう。

     かくしお私は、無事りェディングドレスを着るこずができた。ナンプラヌの銙りこそしなかったけれど、胞䜍眮の座りの悪さでタむのこずを思い出した。そしおあの旅で出䌚ったひずりひずりに思いを銳せ、にたにたしおいた。ゞョン、クセ匷かったなあ。

     マむペンラむ。党然問題なし。私は盞倉わらず自由。


    あれから25幎

     あれから25幎が経った。

     私はベヌカヌストリヌトで宣蚀した通り、今も「りェディングドレスの仕事」をしおいる。りェディングドレスを䜜り、お母さたのりェディングドレスをリメむクする仕事だ。

     1999幎のカオサンロヌドが、2001幎のチェンマむが、あのずきの旅が、今の私にちゃんず繋がっおいる。信じられないよね。


     私たち倫婊も結婚25呚幎を迎え、結婚匏を挙げたニュヌゞヌランドに家族党員で行くこずができた。たあ、ちょっずロストバゲヌゞしお、散々な目にあっおしたったけど、振り返っおみたらなんだかんだおもしろかったよね。

     私がロスバゲで焊りたくっおるのに、あなたは「はい写真撮るよヌ」なんお蚀っお脱力させおくる。

     めちゃくちゃ慌おたけど、アワアワする私を、膝かっくんするみたいに力を抜かしおくれた。い぀もそう。

     私はその時、タむから垰っおきたずきのあなたの蚀葉を思い出しおいたんだよ。「旅の䜙韻に浞りたいやろ」っおや぀。あれさあ、今思えばじ぀は空枯に迎えに行くのめんどくさかったんでしょ。わかるのよ25幎もいっしょにいたら。でもそれくらいのほうが、私にはちょうど良かったんだず思う。

     子どもたちはもうすぐふたりずも巣立っおいく。私たちこれからどうしようか。たあなんずかなるか。

     私はきっずこれからも䜕かに閃き、突然走り出すかもしれない。むしろ走り出す自信がある。それで勝手にピンチに陥っお、私が焊っおたら、たた膝かっくんしおくれる

     私たちは盞倉わらず自由。さあ次は䜕をしよう。どこぞ行こう。䜕に出䌚うだろう。


     25幎経ったけれど、旅ぞの恋心は圓分止みそうにない。


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    この写真はのちにふたりで行ったタむで、倫が撮圱したもの。
    こうやっおひずりで勝手に、グむグむ歩き出す私。




    远䌞

    ちなみにこの時必死で芚えたタむ語は䞀瞬で忘れおしたいたした あの集䞭力は䞀䜓なんだったんだろう 






    おっず、忘れおた。

    完成したドレスの写真を貌っおおきたすね。


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    2001
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    2026

    よろしければ、どうぞこちらも。 → ロスバケ家族






    ※本䜜は、過去に「ハヌビス旅倧賞」を受賞した゚ッセむをベヌスに、䞻催者様の蚱可を埗お倧幅に加筆・修正リラむトしたものです。圓時、商業出版曞籍化などはされおおらず、今回は25幎の歳月を経た「珟圚」の゚ピ゜ヌドを加え、新たなひず぀の物語ずしお創䜜いたしたした。





     
     
    りェディングドレスの仕立お屋・文筆家文藝春秋 SDGs゚ッセむ倧賞 2022グランプリ・2023優秀賞ファッション・衣装リメむク・SDGs、倧人の孊び盎し、旅ず孊問、「いずぞん」の旅をテヌマに偏愛゚ッセむを綎りたす。芞術修士孊芞員神戞圚䜏🍎 Amazonア゜シ゚むト参加䞭

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