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Photo bytkganz

親は先生じゃない

    面白い研究があります。
    子どもたちを集めて、おもちゃの使い方を説明したら、
    説明しなかった場合と比べ、

    おもちゃの新しい使い方を見つける確率が激減した

    のだそうです。

    「教育」は効率的な学びを促し、
    子どもたちに無意味な行動を取らせづらくはなる。
    ただし、「新しい発見」から遠ざかる代償も負う。

    Thus, pedagogy promotes efficient learning but at a cost: children are less likely to perform potentially irrelevant actions but also less likely to discover novel information.

    Bonawitz et.al. (2011) "The double-edged sword of pedagogy: Instruction limits spontaneous exploration and discovery"

    へー!なるほど。

    でも、何でこんなことが起きてしまうんでしょう?
    良かれと思ってあれこれ「教える」のに、かえって子どもの可能性を狭めてしまうというのは、なんだかとっても残念な感じ。

    このメカニズムをざっくりかみ砕くと…

    子どもは「教えられたこと」は、特別な情報だと仮定しがち。
    つまり、「教えられていないこと=意味がない」と解釈することが合理的だと考えてしまう。

    同上

    お~。これもなるほど、という感じですね。

    つまり…

    なにかを教える

    ということは、

    なにかを教えない

    ということとコインの裏表なのだと。奥が深い。

    学校の「先生」は知識や技能を効率的に学ばせるのが仕事なので、
    このあたりの点で苦悩していただく必要はないと思います。

    「先生」はどんどん「正解」を叩き込むのが仕事。

    でも、私たち「親」はまた全然事情が違う。

    どんなに知識や技能があって、
    どんなにたくさんの「正解」を知っていようとも、
    結局、世の中で食っていけるのは

    おもちゃの新しい使い方

    をいち早く見つけられるヤツだからです。
    「正解」なんて生成AIに聞けよ、と。

    だから、私たち「親」は、

    家庭の中で、「先生」であってはならない

    のではないかと思います。

    何事も、説明はなるべく最小限に。
    あとは子どもの好奇心を信じて、

    おもちゃの新しい使い方

    を発見するのを根気よく待つ。

    親まで教育者になったら、
    子どもは何も発見できなくなってしまう。

    このように思うのであります。

    (参考①)もっと深く考えてみたい方へ

    教える親か、考えさせる親か。
    私は圧倒的に後者を目指しているのですが、
    そのきっかけとなった本です。

    (参考②)もっともっとディープに考えたい方へ

    ぱっと見「ビジネス系の本」を装ってますが、
    子育て本としての価値が非常に高いです。
    どうすれば「考えさせる親」になれるのか、ヒントがたくさん載ってます。

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