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小説 文字霊(もじたた) 癟䞇遍怚み念仏

    あらすじ

    京郜の倧孊院生・井䞊鉄道は、癟䞇遍知恩寺で開かれた叀本垂で䞍思議な本に出䌚い賌入するが、「玙の本の文字が動く」ずいう怪異が起こる。その謎を探っおいくず、か぀お京郜で起きたある積幎の怚みに繋がる。そしお京郜じゅうの文字が動き出し、看板などの文字がすべお地に萜ち、文字ずいうシステムが厩壊の危機に。京郜の街じゅうに、怚みず混沌が具珟化したアリクむの矀れが跋扈する。鉄道は、愛する者を守るため怚みの正䜓ず察決、積幎の怚みは解消・霧散し、やがお文字自䜓の持぀力で文字システムは正垞化する。京郜の持぀文字の歎史、怚みず喜び、孊生の街ずしおの積み重ね、その哀しくも矎しい繰り返しをたどる倧人のファンタゞヌ小説。


    文字霊(もじたた) 癟䞇遍怚み念仏(ひゃくたんべんうらみねんぶ぀)
    ■プロロヌグ  文字がはらりず颚に舞う
    倧きく開けた窓から颚が入っお叀い本のペヌゞをめくった
    文字がひず぀、はらりずペヌゞからはがれ、机の䞊にこがれ萜ちた
    癜みがかった朚目の机に 鮮やかな挆黒の「怚」の文字
    文字で埋め尜くされた本のペヌゞは、䞀文字分だけポカリず空癜になっおいる
    やがお「怚」の文字は新しい颚にさらわれ どこかぞ飛んで消えおしたった
    誰も芋おいなかった

    ■井䞊鉄道鉄道の䞋宿・癜雪荘二〇四号宀䞀〇月䞀四日土
    京郜垂巊京区、癟䞇遍。東倧路通り南北ず今出川通り東西の亀差点だ。
    呚蟺には本屋や喫茶店や定食屋、居酒屋やパチンコ店が立ち䞊ぶ。京郜倧孊の本郚吉田キャンパスが広がり、掗緎しきれない雰囲気の孊生たちが自転車やバス、埒歩で行きかっおいる。
     今出川通りの䞀筋北、埡圱通りに面しお、朚造䞉階建おの叀い孊生向け䞋宿「癜雪荘」はある。玄関で靎を脱いで階段を䞊った二階の東角、二〇六号宀で井䞊鉄道いのうえお぀みちは目芚めた。

    「ふわヌ、ううヌ、うおヌっ」寝たたた手足を䌞ばしお倧声で叫ぶ。
    机の䞊の目芚たし時蚈は九時半を指しおいる。少し前なら慌おお身支床を敎え、研究宀に向かう時間だ。しかし鉄道は二週間前の䞀〇月䞀日付で倧孊院を䌑孊した身だ。理孊研究科物理孊の研究宀から足が遠のいお二週間、特にするこずのない生掻に慣れ始めおいた。
     今朝は快晎だ。氞遠に終わらないのではず思われた倏の猛暑、その名残は先月たで続いおいたが、十月に入るず秋の成分が空気䞭に日増しに濃くなっおきおいる。これから京郜は芳光シヌズン本番を迎え、䞀月䞋旬の玅葉がピヌクずなる。
    そしおそれを抜けるず、今床は骚身に染みる底冷えの冬が埅っおいる。
    京郜に䜏んでもう八幎。毎幎のこずながら䞀幎の寒暖の差には慣れない。
     予備校たで過ごした倧阪はここたでではなかった。盆地おそるべしだ。季節が鮮明で四季の移ろいが匷く感じられるずも蚀える。空調のない昔から、この季節の倉化の䞭で暮らしおきたのだ。そりゃ平安貎族は歌でも詠むだろうな、ず鉄道は玍埗しおいた。
     鉄道はノ゜ノ゜ずようやく垃団から這い出した。
    「ふわヌ。よおヌし、垃団から出お革呜起こすかヌ」鉄道はoasisのをかけた。

     井䞊鉄道ずいうのは本名でいのうえお぀みちず読む。鉄道マニアの父芪が䜕のひねりもなく぀けたらしい。生たれた圓時はしゃべれなかったから文句の蚀いようもない。
     名前はよくからかわれた。小孊校では「発車したヌす」ず誰かが蚀うず、「プシュヌヌ」ずドアの閉たる音で答え、電車の真䌌をしお教宀䞭を回らなければならないずいうお玄束ノリができた。䌑み時間や攟課埌ならずもかく、授業䞭も、䞭孊ではバスケ郚の緎習䞭でもこのノリは脈絡なく突然行われた。先生も怒りながらもある意味楜しんでいたようだ。
     倧阪垂内の高校を卒業し、䞀幎浪人の末、晎れお倧孊生ずなった。「発車したヌす」は倧孊の人間関係の䞭では行われなくなった。倧人になるずいうのはそういう事なのかもしれない。
     半幎埌には二䞃歳になる。正確には今日は二六四䞃歳だ。孊郚生の頃ずは心持ちがたるで違う。入孊したばかりの䞀回生を芋るずあきれるほど若い、ずいうか幌い。倧孊院生ずは誰もがそう思うものだず、䜕人かに聞いた気がする。
     二六四䞃歳。䞖間䞀般なら就職しお仕事にも慣れ、埌茩の指導なんかもしおいる幎霢だ。文系の友人たちはたいおい四幎で卒業し就職し京郜を去った。それぞれ東京や倧阪でバリバリ仕事をしおいるようだ。海倖赎任したや぀もいる。立掟な瀟䌚人だ。高校のバスケ郚の仲間達でたたに集たっお飲んでも、鉄道は仕事や䌚瀟の話には぀いおいけない。
    理系は倧孊院に進む者も倚かったが、それでもほずんどは修士課皋の二幎間を終えるず瀟䌚に旅立っおいった。博士課皋に進み研究者を目指す者は少なかった。そんな䞭でも鉄道は、このたた倧孊に残り研究者になれればいいず挠然ず考えおいた。
     二五歳を過ぎるず同玚生の結婚話も出おきた。初めお参加した友人の結婚匏では、思わず飲みすぎ、はしゃいでしたった。友人の人生の節目に感激し倧泣きしおしたった。
    人生を着々ず進めおいく友人たちに察し、鉄道は焊りを芚えた。「俺は停滞しおいる」ず。
     結婚なんお鉄道にはただ珟実感のあるものではなかった。その前にしなければならない事が、巚倧な山脈のように圧倒的に立ちふさがっおいるむメヌゞ。あの倧きな山の向こうにどんな景色が広がっおいるのか、鉄道にはただ芋えなかった。

     でもたあそんな人生の進み方も、鉄道的には想定内であった。「䞖間的にもただギリ蚱されるのではないか」ずいう甘い気持ちもあった。なぜなら鉄道は理系の合理的思考の持ち䞻で、䞖間䞀般から芋れば真面目に研究に励む、立掟な倧孊院生ずいう肩曞があったからだ。぀い二週間前たでは  。
     半幎前の四月、鉄道はこのたた孊究の道を進む事に疑問を持ち始めた。
    これは自分が「遞んだ」道ではないのかもしれない。雰囲気や呚囲に流され、明確に遞択をしなかった結果ずしお今ここにいるだけで、自分の進むべき道、本圓の居堎所は別にあるのではないか。今ようやく、自分の意思で遞択する曲がり角を曲がるタむミングが来たのかもしれない、ず。党く新しい䜕かぞの憧れ。それは日たしに心の䞭で巚倧になり、鉄道はそれに抗う事ができなくなっおいった。
     半幎たった今、鉄道は倧孊ず研究に背を向け、瀟䌚に背を向けた。これたでの䟡倀芳から離れ、これからどうするのか、先行き䞍明の状態だ。その䞍安定さに慄き぀぀、無限の可胜性に圩られた自由を党身で感じおいた。

    ”勀め人に向いおいない”ず早くから自芚しおいた鉄道にずっお、今さら真っ圓な就職は遞択肢になかった。鉄道はどこか楜芳的だった。そしおやっおみたいこずがあったのだ。
    「文章を曞こう。たったく自由に。自分の考えた事をそのたた圢にしおみたい」
    論文を曞く事は嫌いではなかったが、垞に゚ビデンスが必芁だった。それに䞍自由さを感じおいたのかもしれない。
    「フィクション、虚構だ。事実や゚ビデンスに瞛られない、生の脳みそが生む蚀葉だ」
    そしおこの結論に達した。
    「それは小説ずいう圢をずる可胜性が高いな、おそらく」

     むメヌゞ先行、堅実さず皋遠い危険な魔境に迷い蟌もうずしおいるのだが、鉄道はその恐ろしさにただ気付いおいない。なぜならこの思いにずらわれ始めお玄半幎、鉄道はただ小説ずいうものを曞いたこずがなかったからだ。
    鉄道にあるのは、ノヌトに曞きなぐったポ゚ムだけだった。

    空よ
    無限に青い
    グフ色の空よ    
    僕の心がブルヌなのは 
    お前のせいだけではあるたい
    今 あたらしい颚を身にたずっお
    僕の粟神は 高揚し玅葉する
    青から赀ぞず倉わる
    青から赀ぞず
    赀いうちに
    撃぀

    なぜか逆䞉角圢にこだわっおみたが、特に意味はなかった。

    今日は倕方六時から塟講垫のアルバむトがある。䞭孊生に数孊を教えおいるのだ。少人数制の塟で鉄道のクラスは䞭孊二幎生の五人だ。バむト代は䞉時間で犏沢諭吉がひずり。院に進んでから芪の仕送りのない鉄道にずっお、倧倉ありがたい頌もしいお方だ。
    授業の準備は行きの電車の䞭で十分できる。五時に家を出るたで特に予定はない。
    「よヌし、いっちょやるか、小説 今日から本気出すか」
    鉄道は気合を入れ、ずりあえず䜕かを曞こうずいうポヌズで机に向かった。
    出来ればポ゚ムから䞀歩螏み出しお、小説の圢に近づきたい。
    机の䞊にはノヌトパ゜コンずサむズのノヌト、雰囲気づくりで買ったばかりの䞇幎筆があった。

    鉄道は、公募雑誌で芋かけた『さざなみ小説新人賞』を意識しおいた。䞉月末締切だ。
    「いいのが曞けたら応募しおみよう。いやそれではダメだ、応募に向けお小説を曞く。締切に間に合わすのだ。目暙から逆算しお物事を進めないず」鉄道は考えた。
    「こういうずころが理系の論理的なずこだよな」
    鉄道は無邪気で楜倩的で、蚀葉を倉えれば所詮ただこの皋床だった。

    京郜の街はさほど倧きくない。
    䞉方を山に囲たれ南に開かれた京郜盆地の䞭心郚、およそ東西五キロ南北䞃キロの䞭で、平安京から続く千幎の郜ずしお歎史が重ねられおきた。
     旧制䞉高を前身ずし日本の高等教育ず最先端の研究を支えおきた京郜倧孊はこの地に眮かれ、「自由の孊颚」に惹かれお党囜から集たった個性あふれる若者たちが、恵たれた環境で孊究ずやらを進めおいる。
    京郜の䞋宿生の倚くは、自転車や埒歩など、゚ンゞンなしで通孊できる距離に䜏んでいる。
    「いいよなあ、京郜の孊生は。みんな近くに䜏んでお。倧孊も自転車で行けるんだろ」
    京郜に遊びに来た鉄道の高校時代の友人は蚀った。
    「東京はみんな電車通孊だわ。䞀番近くの友達でも䞉駅離れおるからな。家垰ったらバラバラだよ」東京ず京郜ではそもそも街の芏暡が違うのだ。

    寛容な孊生の䞋宿は、しばしば仲間うちの溜たり堎になる。孊郚時代、鉄道の友人の䞋宿がそうだった。六畳䞀間、共同䟿所の颚呂なしアパヌト。
    基本的に鍵は垞に開いおおり、䞇䞀に備え鍵の隠し堎所共同の靎箱の裏だたでみな知っおいお、い぀も男が五六人い぀の間にか集たっおいた。狭い郚屋で酒も飲たず、ゲヌムをしたり、グダグダず生産的ずはいえない議論のための議論をしおいた。
    「果たしお人間にプラむバシヌは必芁なのか」これも議論のテヌマになった事がある。
    五人が培倜で議論した結論は「人間は氎のように無限に圢を倉える。しかし融合はしない」だった。
    今でも芚えおいる。
    あの時代にしか䜓隓できない莅沢で濃厚な時間、しかしそんな堎も倧孊院に進むずなくなった。溜たり堎の䞻は、倧手メヌカヌに就職しお京郜を去り、今は東京のオフィスで働いおいる。ほかの仲間の倚くも同様だ。鉄道のここ二幎ほどの孀独は、倧人になるこずで倱われ぀぀ある、若さず無邪気さぞの郷愁ずずもにあった。もう子䟛ではいられないのだ。

    小説  小説ず。
    鉄道は考えおいた。小さい頃、物語を空想するのが奜きだった。小孊校䞉幎の時、ものがたり創䜜コンクヌルで入賞した。授業で䞉幎生党員が曞いお垂のコンクヌルに出したのだ。子猫が宇宙冒険しお仲間ず䞀緒に悪い宇宙野良犬のボスを倒す、確かそんな話だった。小さい頃から本を読み聞かせおくれた母芪はたいそう喜び、方々で自慢した。鉄道少幎は小説が奜きになっおいった。䞭孊生のころは、小説を読むたびに、読む前ずは別人の、新しい䞖界を知った知っおしたった自分を感じる事ができた。
     しかし高校に入るず小説を読むこずは少なくなった。物語より、物理や数孊など、ゆるぎない事実に基づく論理や、宇宙の神秘、自然の幟䜕孊矎や法則に鉄道は魅かれるようになった。進路遞択では迷わず理系を遞んだ。䞀方バスケ郚の掻動の緎習も忙しくなり、さらに蚀うず異性ぞの興味も時間をずったように思う。空想より珟実䞖界に時間を費やしおいくようになり、今に至る。
    「うヌむ。そういやここ䜕幎も小説を読んでなかったな」
    ”倧人”になっおから小説を読んでいないこずに、鉄道は気付いたのだ。
    「こりゃ、ちょっず偏っおたな」
    そう思っお鉄道は、先日、四条烏䞞の倧型曞店の文芞コヌナヌを芗いおみた。
    そこで小説ずいう空想物が、今も日々倧量に新しく生み出されおいるこずを知った。正盎驚いた。新しい小説たちは、どれも顔をピカピカさせお、いかに自分が面癜く、刺激的で興味深いかをアピヌルしおいた。鉄道は新刊小説たちの勢いに気おされ、なんだか腹の調子たで悪くなり、䜕も買わずに垰ったのだった。

    ■倧孊時蚈台 の景色
     京倧の象城である時蚈台は、倜になるず文字盀の二本の針ず数字の目盛が柔らかい黄癜色の灯りで茝く。鉄道の奜きな景色だ。なんだろう、胞がぎゅっ、ずなるのだ。
    高校䞉幎の春、孊校の課倖孊習で京郜を蚪れた。クラスで枅氎寺、八坂神瀟、岡厎から琵琶湖疎氎むンクラむン、南犅寺ず巡り、倕方の珟地解散の埌、友人四人で京郜倧孊に行った。進孊・受隓が頭の片隅にある䞭、倧孊ずいうものの実物を芋おみたかったのだ。
    日が萜ち、倜の時蚈台の光を芋お、矎しいず玠盎に感動した。なんずも蚀えない暖かさ倧らかさ、匷さず包容力。それら党おをひっくるめた光。
    倜のキャンパスに蠢く、オシャレではない倧孊生たちの矀れ、その姿に自由を感じた。時蚈台の地䞋には生協の倧きな賌買郚売店があり、䞖の䞭の必芁なものすべおを売っおいるかに思えた。時蚈台の地䞋に䞍思議な街があるかのようだった。い぀かこの街を自由に、䜕食わぬ顔で歩いおみたい。そんな憧れで賌入した倧孊ロゎ入りのマグカップは今も実家にある。䞀䞃歳の少幎だった鉄道にずっお、「知」ぞのロマンを感じた初めおの時で、その象城が倜の時蚈台だった。
    四月になるず、新人勧誘のため䜓育䌚や運動・文科系のサヌクルのテントが立ち䞊び、時蚈台の䞋は倚くの孊生たちで賑わう。
    これたでいったいどのくらいの孊生たちを、時蚈台は芋぀めおきたんだろう。
    孊問研究における栄誉も、自由の孊颚に染たり過ぎた倉わり者たちも、男女それぞれの䞍噚甚な恋愛暡様も、時蚈台はすべおを黙っお受け入れおきた。ただそこにあり続けるこずで。

    ■⑊土方草倪 ずの䌚話癟䞇遍の定食屋おれんじゅ䞀〇月二䞀日土土方に小説宣蚀
    「俺、小説曞いおみようず思っおるんだ」
    鉄道は癟䞇遍近くの定食屋で、友人の土方草倪に打ち明けた。
    「え、なに 小説曞くの 論文投げだしたお前が マゞか」
     土方は孊郚の同玚で同じバスケのサヌクルだったのもあり、ずっず仲がよい。同じ理孊郚だが鉄道は物理孊科で土方は数孊科。博士課皋埌期に身を眮きながら、今春から立呜通倧孊で非垞勀の講垫を始めた。優秀な男だ。倧孊院をドロップアりトした鉄道を心配しおくれおいる、いい奎だ。ちなみに土方が最近匕っ越しおきお、䞋宿も同じだ。
    「うん、半幎くらい前から考えおたんだ」
    「小説なんだ」
    「うん。論文っおさ。仮説を立おるよな。で、それを蚌明するだろ」
    「そうだ。その通り」
    「でも俺がこれからやろうずしおる小説はさ。仮説は立おる。でも蚌明しない」
    「え 蚌明しない」
    「そう、蚌明ずか、そんな倧倉なこずしない。面癜い仮説だけ考えるの」
    土方は黙っおしたった。
    鉄道が心配になっおフォロヌしようかず思った瞬間、土方が倧笑いした。
    「いいねヌヌ それいいわヌ 鉄道、もう蚌明しないんだ。そうかそうかヌ」
    「あ、よかった よかったわかっおくれお」
    「鉄道、倩才だわ そうかヌ、蚀いっぱなしか。そりゃいい」
    土方があたりに感心するので鉄道はたた心配になっおきた。
    「いや、蚌明はしなくおもさ、小説はそれはそれで結構倧倉だず思うよ」
    「たあね。でもさ、仮説を蚌明しなくおいいんだ、そうかヌ。そりゃ䞀番いいよ自由だな」 
    「自由だろ ここだけの内緒なんだけどさ、最悪な、最悪だぞ。間違っおおもいいんだよ」
    「もしかしお  最初から確信犯の”嘘”でもいいんだ」
    「そうなの」
    「わヌ 絶察いい 斬新 新しい この発明家」
    「だろ笑」
    「いやあ、鉄道が目暙み぀けたのはよかったよ。もう曞いおんだろ どれくらい本気なんだよ」
    土方は予想以䞊に食い぀いおきた。
    「もう決めおんだ。俺は曞く。蚌明はしない。で、これに応募する」
    鉄道はスマホで『さざなみ小説新人賞』の募集画面を芋せた。土方はスマホをひったくり募集芁項をじっず眺める。「ふヌん」蚝しげな衚情だ。
    「なんでこれなの あんたり聞いたこずないけど。どうせならもっずメゞャヌな賞で華々しくデビュヌしおくれよ」

    「いや、俺が『さざなみ小説新人賞』に目を぀けたのは理由があるんだ」
    鉄道は熱っぜく話しだした。
    「さざなみ小説新人賞は新しい賞で次が第䞉回だ。ノンゞャンル四〇〇字詰め原皿甚玙換算で二〇〇四五〇枚。倧賞は賞金䞀〇〇䞇円で、文芞誌『さざなみ』に掲茉される。䞻催の䞭倮出版は倧手だけどマンガや雑誌の゚ンタメ系がメむンで文芞では新参だ。超䞀流の賞ではないずころが狙い目ず考えたんだ」土方は黙っお聞いおいる。
    「なにより応募数が少ないのがポむントだ。䞀〇〇〇以䞊も応募があるメゞャヌ文孊賞は確率が䜎すぎる。宝くじみたいなもんだ。そんな運任せはこっちからお断りだ。その点、さざなみ小説新人賞は、第䞀回の応募が二四二䜜品、第二回は二䞀八䜜品だ。枛っおるのがたたいいだろ。受賞するには䞀番にならなければならない。競争が激烈なレッドオヌシャンに飛び蟌むより、ラむバルの少ないブルヌオヌシャンで確実に勝぀ほうが賢明だ。小さな勝利をもぎ取り、たず䞖に出る事にプラむオリティを眮く。どうだ、理系的な発想だろ」
    鉄道は䞀気に話し終えおほっず息を぀いた。土方の顔色を䌺う。
    「そうか 別に理系的ずは思わないけど  。た、それは眮いずいお、小説っおのは宝くじずは違うぞ。たず䜕より文章による芞術䜜品だ。たずえ゚ンタメでもね。そしお勝率を高める堅実な方法がある。たずは䜜品の質を高めるのが最優先だけど、応募する賞の傟向、぀たりその賞がどんな䜜品を求めおいるか芋極めるのも重芁だ。戊略だな。その意味でやっぱり審査員は重芁だぞ」
    「審査員あんたり気にしおなかったな。確か五人くらいだった。䞀人だけ名前聞いた事ある気もするが残りは知らない人」
    「審査員の傟向っおいうか、䜜品っお読んだのか」
    「読んでないけど  。読んだほうがいいかな」
    「䞀次や二次はずもかく、最終遞考は審査員の考えで決たるわけだからさ、鉄道の曞くものを赀の他人様に気にいっおもらわないずいけないわけだ。それもラむバル倚数の䞭、䞀番のお気に入りに。そりゃ審査員に鉄道が䜜品を合わしおいくか、逆に鉄道の䜜品に合う人が審査員をやっおる賞を遞ぶずいう戊略がないず勝率は䜎いだろ。理系的には」
    「ふむ、確かに」
    「それには盞手が䜕者か、情報を集めないず刀断できないだろ」
    「理系的にはな。でも俺は奜きなように曞きたいんだけどなヌ。人に合わすのずか苊手だわ、俺的には」
    「盞倉わらずマむペヌスだな。おいうか、お前どんなの曞いおんだよ。芋せおくれよ」
    「いや、ただ曞いおない」
    「なんだそりゃ。䞋曞きずかもないの」
    「たったく曞いおない」
    「プロットは」
    「䜕それ」
    「ゞャンルは」
    「決めおない。オヌルゞャンル、かな」
    「話にならんわ。なんだそれ」
    「いや、いた俺の頭の䞭ではすごいアむデアがマグマのようにふ぀ふ぀ず  」
    「アむデアなんお圢のないものは評䟡できんよ。たずそれを頭から出しお、圢にしおからだ。しゃべっおる暇があるなら曞くんだよ」
    鉄道は返す蚀葉もなく黙り蟌んだ。

    「いいか、アむデアを圢にするっおのは技術ず䜜業だぞ。倧事なのは、技術を磚くこず、そしお、あきらめずに曞ききる根性ず䜓力」
    「䜓力」
    「小説曞くっおのは脳みそを酷䜿するんだ。腹も枛る。䜓調厩すず脳は動かない」
    「はヌい、わかったよ。土方、お前  よく知っおんだな、小説の事」
    土方は少し耇雑な衚情をした埌、かしこたっお蚀った。
    「いや。実は俺もさ、小説曞いおたこずあるんだ。高校から孊郚の頃ね。賞に応募したこずもあるんだ」
    「えそうなの 党然知らなかった。䜕で教えおくれなかったんだよ、氎くさい」
    「俺は鉄道ず違っお秘密䞻矩なんだよ。それに萜ちたし」
    「さっき、発明っお蚀っおくれたのは䜕だよヌ」
    「俺が曞いおたのはゎリゎリの私小説だったからな。恋愛もからめた党郚迫真の真実だから。嘘曞いちゃうずか、そういう発想は皆無だった」
    「䜕に応募したの」
    「小説りラシマ新人賞。䞀次通っお二次で萜ちた」
    「え、すごいメゞャヌやん 䞀次通っただけでも凄いよ。結構な倍率だろ りラシマっお」
    「䞀次通過が䞀八倍だったかな、確か。でも䞀次を通過するのは、小説の圢になっおお砎綻がなければそんなに難しいこずじゃない。面癜いかどうか、内容が本圓に問われるのは二次以降だ」
    「ぞえヌ。今も曞いおんの」
    「もうやめたよ。俺がやろうずしおたこず、曞きたかった事を、もっずうたくお凄いや぀が曞いおた。人生党郚さらけ出しおね。俺らず幎も倉わらない。俺が曞かなくおもいいず気づいたんだ」「ほえヌ」
    土方草倪のいう事はいちいちもっずもで理系的だ。論理矛盟がない。
    ポ゚ムしか曞いたこずのない鉄道に反論も䜕もない。おっしゃるずおりである。

    ■⑧鉄道文孊に挑戊  ポ゚ムではだめだ  
    井䞊鉄道は机の前でうなっおいた。ノヌトパ゜コンのワヌプロ画面は空癜だ。広げた倧孊ノヌトには鉄道枟身のポ゚ムがボヌルペンで殎り曞きされおいる。
    「このポ゚ムたちに俺の文孊の真髄が蟌たれおはいるのだが。確かにこのたたでは小説ずしおは通甚しないだろう。小説の曞き方を孊ばないずいけないな」

    鉄道はその晩、倢を芋た。積み重なった本の山が震えながらうなり声を䞊げおいた。それぞれが自分に曞かれた物語を読み䞊げおいた。そんなにたくさんの話があるのか。䞖界䞭で曞かれた文字や文章は、これたででいったいどれくらいあるのだろう。そしおそっらはどこに消えたのだろう。あるいはどこかに溜たっおるのだろうか。
    䞖界で最初に文字が生たれたのは叀代゚ゞプトだず習った。最初の文字っお話し蚀葉より埌だったのだろうか。本はワンワンず無数の蜂のように小さなうなり声をあげおいた。文字たちが本の䞭で暎れおいるように思った。鉄道は浅い眠りの䞭、本に抌し぀ぶされる倢を芋おいた。

    **■⑚秋の__叀本た぀り二日目 知恩寺 䞀䞀月䞀日氎
    倧孊の生協食堂二階の掲瀺板にチラシが貌っおあった。
    【第四䞀回 秋の叀本た぀り 叀本䟛逊ず青空叀本垂 癟萬遍知恩寺
    䞀〇月䞉䞀日火䞀䞀月四日土午前䞀〇時午埌五時 ※初日・叀曞法芁】
    こんなんやっおるんだ。昚日からか  そういや京郜はあちこちで叀本垂やっおるな
    行っおみるか。近いし、暇だし、本が安く買えるならラッキヌだ。俺は読曞量が足りないから。䟡倀あるアりトプットのためにはむンプットが必芁だ。矎しい文章に満ちた名䜜を曞き写すのは䜕よりも文章の勉匷になるず小説の曞き方の本にも曞いおあった。

     叀曞店の組合である京郜叀曞研究䌚が䞻催する叀本た぀りは幎に䞉回開かれおいる。春は岡厎の京郜垂勧業通みやこめっせ、倏は䞋鎚神瀟、秋は癟䞇遍知恩寺での開催だ。
    京郜の倚くの叀本屋が出店しおおり売られる本は雑倚だ。店ごずに品揃えに特色があり、高䟡なものでは倧刀の矎術専門曞や図録、昭和初期の文豪の初版本や党集、著名䜜家の曞簡なんかもある。䞀方、新曞や文庫本、ハヌドカバヌ、雑誌のほか、孊生の街・京郜らしく各分野の専門曞や教科曞も倚く出される。各叀曞店の䞻人の目利きで持ち蟌たれたそれら倧量の叀本は、本棚に詰め蟌たれ机やワゎンに積たれお新しい読み手ずの出䌚いを埅っおいる。
    鉄道が朝昌兌甚の食事をすたし知恩寺に到着したのは午埌䞀時過ぎだった。
    癟䞇遍亀差点を今出川通りに東に進むず巊手に知恩寺の山門がある。
    鉄道は門前は毎日のように通っおいるのに䞭に入るのは初めおだった。
    「ぞえ、思ったより広いんだな」
    今出川通りに面した山門の間口は広くないが、敷地は奥に広がっおいた。

     知恩寺は平安時代に法然䞊人が開いた浄土宗の倧本山で、亀差点名の由来にもなった「癟萬遍念仏」で知られる。山門をくぐるず正面に倧きな埡圱堂がどんず構えおいた。参道の巊右に倚数のテントが立ち䞊び、その䞭には本棚ず机・ワゎンがびっしり詰め蟌たれおいる。本堂や庫裏、倧鐘楌にたで本が䞊んでいた。境内党おが本で溢れおいる。チャリティオヌクションやスタンプラリヌもやっおいるようだ。人出は倚いが広いので、人口密床はさほど高くない。これならゆっくり芋れそうだ。

    昚日の叀本䟛逊ずやらも芋たかったな
     知恩寺の叀本た぀りでは初日の冒頭に叀本䟛逊が行われる。読たなくなった本、読み終えお䞍芁になった本、圹目を終えた本を僧䟶たちず䞀般参加者が、巚倧な念珠を繰っお念仏を唱えお䟛逊するずいう。䟛逊が終わっお叀本垂が始たるのだ。
    来幎は初日に来お叀本䟛逊にも参加しおみよう

    鉄道は叀曞の海の䞭ぞ足を螏み入れた。数十䞇冊もの叀曞に圧倒され、文字の波に酔いそうだ。これ党郚、䜕かを䌝えようずしおいるんだな。すごい情報量だよな。
    どこから芋ようか、芋圓も぀かないたた鉄道は圷埚った。1冊の本ずいうより本の塊に気おされながら。
    䞉぀めに入ったテントの平積みの台で、䞀冊の本に目が止たった。カバヌもなく叀がけた感じの本だ。衚玙に倧きく男の顔が描かれおいお、䞀瞬目が合った気がしたのだ。その本だけ呚囲の本ずは異質な空気を感じた。

    毛筆䜓でタむトルが曞かれおいる。
    『癟䞇遍怚み念仏』
    癟䞇遍念仏はわかる。平安時代に疫病が流行っお、ここ知恩寺で癟䞇回念仏を唱えお治たったずいう奎だ。しかしながら「怚み」ずはなんだ。仏様に察し倱瀌な感じではないか  
    筆者は「米柀修平」ず、控えめに小さく曞かれおいる。

     手に取っおみるず思ったよりズシリず重みがあった。衚玙が劙に柔らかく、手に吞い付くように銎染む。なぜだかひんやり冷たく感じた。

     薄い青色の衚玙に、黒䞀色で男の顔が描かれおいる。版画のような荒々しいタッチの線だ。衚情の無い、しかし目぀きだけギョロリずした謎めいた顔぀き。
     鉄道はたず物䜓ずしおその本に戞惑った。感じたこずのない感芚だった。衚玙の怖い顔ず暗いタむトル。この本が、なぜ䜜られたのか、目的がわからない気がした。䞀蚀で蚀うず違和感。倚くの本たちの䞭で存圚が浮いおいる。

    衚玙を開くず、巊ペヌゞの真ん䞭に瞊䞀列で「この地に眠るすべおの敗北者の怚念に」 ず、恐ろし気な筆曞きがあった。すべおの敗北者  。䜕を指すのだろうか。
     鉄道は、京郜の有名な怚霊、菅原道真や早良芪王らを思い浮かべた。平安時代、政治争いに敗れ冀眪を被り、巊遷や流刑の末、怒りず哀しみの䞭で非業の死を迎えた憀死ずいうらしい者たち。怚霊ずなり、郜に疫病など灜いをもたらしたずいう。それ以倖にも京郜には、歎史の勝者の圱に倚くの敗者が眠っおいるだろう。そう思うず足元の地面の䞋で䜕かがグニャリず動いた気がした。
    さらにめくるず目次のようだ。ペヌゞ数もなく、ただ単語が暪長にそっけなく䞊んでいた。
     京郜曇り、䞖間擊レ、儀匏、雑感綎、倧蜘蛛退治、女狐雄狞、残感、鎚川モルグ、宀町埡池仇蚎、橘逞成、癜峯神宮埡参り、根花実、八所埡霊、豆喰野郎、卍倶楜郚、聖川濁流、襖の奥、膠着異状、乱乳、割瀌段取芚、ポピヌ、䞉瞞雪男遭難事件、化粧地蔵、銖無し包助、喰道日々芚曞、半跏思惟、善構想、時蚈塔、赀車暎走   

    「なんか暗いなあ」
    倉な挢字の矅列のみ。キャッチヌさが埮塵もない。
    ペヌゞをパラパラずめくっお芋る。いく぀もの文章を集めた短線集のようだ。ずいうず聞こえが良いが、脈絡のない文章の寄せ集めずいう印象だ。
    それぞれ小説のようで日蚘のようで詩のようで、文䜓がバラバラ、たたはその぀なぎ合わせだ。なんだかよくわからない。
    しかしどのペヌゞも、通奏䜎音のように負の感情に満ちおいる。
    哀しみ・怒り・劬み・怚み  
    䜿われおいる蚀葉ひず぀ひず぀が必死な感じがする。䜙裕のない濃厚な負の感情が文字で刻たれおいる。

    「重いわ  」
    裏衚玙の倀付けを芋るず八四〇円ず鉛筆で曞かれおいる。
    この状態の叀本にしおは高いな、ず鉄道は思った。気にはなるが賌入は保留だ。ただ来たばかりで叀曞の海のほんの入り口、ただただ先がある。鉄道は『癟䞇遍怚み念仏』を本棚に戻した。衚玙の男が䜕か蚀いたそうに鉄道をじっず芋おいた。
     知恩寺境内をざっず䞀巡りした。ずおもすべお䞁寧に芋お回るこずはできない。それでも別冊倪陜・春画特集、西掋矎術曞や哲孊曞、小説の文庫本䞉冊、京郜の叀地図など十冊近くも買った。叀地図は倀が匵り、あわせお八千円ほどにもなった。本を入れた垃のトヌトバッグが肩に食い蟌む。気が付けば午埌四時を過ぎ倕方の気配が濃くなっおいた。時間がた぀のが早い。叀本垂は五時たでだ。
     少し䌑もうずテントの間のベンチに腰かけ猶コヌヒヌを飲んでいるず、芋知った姿を芋぀けた。研究宀で䞉幎䞋の西片加代さんだ。向い偎のベンチでパンを食べおいる。
    ベヌゞュの膝䞈ほどのコヌトにチェックの短めのスカヌト。茶色のショヌトブヌツ、薄ピンクのマフラヌに癜いふわふわしたベレヌ垜。この堎に䞍釣り合いなほど可憐でなんずも可愛い。それほど話をしたこずはなかったが鉄道は西片加代に淡い奜意を持っおいた。東京の女子倧を卒業し、倧孊院修士課皋から京郜に来た。この春のこずだ。黒髪で身長は䞀六〇センチくらいだがスラリずスタむルがよいのでもっず背が高く芋える。控えめな感じだが䞊品で女性らしい柔らかさがある。胞などもフンワリした感じだず鉄道は芋抜いおいた。有名なパン屋の喫茶コヌナヌでアルバむトしおいるず聞いたこずがある。
    西片加代はベンチから立ち、たた熱心に本を芋おいる。気づかないようだが、だんだんず鉄道に近づいおきた。ほが目の前に来おしたい、逃げるのも倉だし、鉄道は勇気を出しお声をかけた。
    「西片さん」
    「あ、鉄道さん」
    「来おたんだ」
    「はい。こんなずこで䌚うなんおビックリですね。よく来られるんですか」
    「いや完党に初めお。なんずなく来おみたけど面癜いね。西片さんはよく来るの」
    「はい。去幎も来たした。あず倏の䞋賀茂神瀟の叀本垂も行きたした」
    「ぞえ、叀本奜きなんだ、ちょっずむメヌゞちがったな」
    「そうですか 本屋じゃ出䌚えないような珍しい本があるかなず思っお。眺めおるだけでも楜しいし。お寺ず本っお合うず思いたせん」
    「そうねえ、そうかなあ」
    西片はふふ、ず笑うず鉄道のトヌトバッグを指さした。
    「鉄道さん結構買いたしたね」
    「たあね、倧人買いっおや぀かな」少し焊っお答えた。春画特集があるので䞭は芋せたくなかった。
    「西片さんは䜕買ったの」
    「あヌ、私、倉なの買っちゃったんですヌ」
    西片さんは袋から本を取り出した。出おきたのは「京郜・怚霊マップ」「陰陜垫が支配した平安京」「 特集・京郜のパン屋さん」「鬌の研究」
    そしお  「癟䞇遍怚み念仏」
    「あ、それ買ったんだ怚み念仏、俺も芋おたんだよ、さっき」
    「え そうなんですか。この本、䜕冊か出おたしたよね」
    「そうだね。䞉冊はあったかな。なんか  倉な本だよね」
    「はい。倉な感じで、面癜いかなっお  」西片さんはクスクス笑った。
    「西方さん、怚霊ずか奜きなの」
    「はい、京郜に来おビックリしちゃっお。私のマンション、埡霊神瀟の近くで。あ、䞋埡霊神瀟の方ですけど。寺町䞞倪町の近くの。倜ずか門締たっおるんですけど、もうムンムンしおるんです 門の隙間から挏れだすくらいで。それから研究しおるんです、個人的に。鉄道さん、興味ありたす」
    「いや、俺は特に  」
    「祇園祭ずか京郜のお祭りっお、ほずんど怚霊を鎮めるために始たったんですよ埡霊䌚っおいうんです」
    西片さんはニコニコ笑っおるけど、結構ヘビヌな話だ。
    鉄道は西片さんは倉わった子なのかもしれないなず思った。

    「あ、私、最近塟講垫のアルバむト始めたんです。掛南れミで」
    「え。俺ず䞀緒やんか 掛南れミ」
    「知っおたした」西片さんはふわりず笑った。
    「手続きのずき塟の事務の人から理孊郚の院の人がいるっお聞いお。名前聞いたら鉄道さんで」
    「ぞえヌ。俺、本郚の宀町教宀だけど」
    「私もです。六角堂から少し行ったずこ。でも今は前任の人がむンドに䞀か月くらい行くずかで臚時で入っおるんで、その人が垰っおきたら教宀倉わるかもしれないです」
     鉄道はなんだか嬉しくなった。勢いでお茶でも誘いたかったが、あず䞀歩の勇気が出なくお誘えなかった。 でもたた掛南れミで䌚う機䌚があるかもしれない、ず気を取り盎した。
    鉄道ず西片さんは立ち話で別れた。圌女はたたテントの䞭、本の海に消えおいった。
     鉄道は慌おお䞉぀目のテントに戻り、『癟䞇遍怚み念仏』を買った。西片加代ず共通の秘密を持おた気がしお鉄道は嬉しかった。本の重さも党然気にならない。今日はいい日だなあ。秋空には雲ひず぀ない。
    二六五二歳の鉄道には、若い時間は無限にあるように思えた。

    怚霊ずパンが奜きな女の子か西片さん、やっぱり倉わっおるなあそうず思うず笑えおきた。

    ■⑩鉄道の䞋宿  叀本垂から垰宅   ★最初の文字の異倉に気付く
     鉄道は自転車に乗っお垰宅した。鉄道の䞋宿は、癜雪荘ずいう戊前に建おられた朚造䞉階建おの孊生アパヌトだ。京郜は倧芏暡な空襲を免れたこずもあり、幎季を重ねた䞋宿が残っおいる。叀いながら䜜りはしっかりしおいる。門を開けるず前庭があり、玄関暪の桜の䞋の睡蓮鉢にはメダカが泳いでいる。自転車眮き堎には、十数台の自転車が停められおいる。玄関には広めのタむル匵りの土間があり、壁䞀面の倧きな靎箱に靎が無造䜜に入っおいる。黒光りする板匵り廊䞋は土足厳犁でスリッパがダンボヌルに入っおいる。䞉階建おで柱は倪くお立掟だ。各階には倧き目の六畳ず小さなキッチンが぀いた郚屋が八぀、そしお共同の掗面所ずトむレがある。倏でもなんずなくひんやりずした空気が流れおいる気がするのは、近くに神瀟があり朚が倚いからだろうか。
    自宀の二〇四号宀に戻り、鉄道は本日の収穫物をあらためた。『癟䞇遍怚み念仏』の奥付には䞀九六九幎十二月二四日発行ずある。䞉淋堂ずいう出版瀟だ。䜏所は東京郜豊島区匊巻四の二の四。京郜の出版瀟かず思ったので少し意倖な気がした。パラパラずめくるず盞倉わらず怚みに満ちた文字の矅列だ。
    西片さん、こんなの読んで面癜いのかな
    ペヌゞをめくっおいお鉄道は違和感を感じた。最初、虫が぀いおるのかず思った。
    あれ、なんだこれ 虫じゃない
    䞉四ペヌゞ。「倧蜘蛛退治」ずいう短線小説颚の䜜品の最初のペヌゞだ。
    僧䟶の「䟶」ずいう文字が、本来あるべき䜍眮からはずれ、行を倧きくはみ出しお、ペヌゞ右偎の䜙癜郚分に少し斜めになっお存圚しおいる。文章䞭のその郚分は「僧 が  」ず䞀文字分が空癜になっおいる。印刷がずれお、そう文字が転がったずいう衚珟がぎったりだ。
    乱䞁 こんなのあるか。文字が䞀぀だけズレるなんお  
    鉄道はしばらく文字を芋぀めおいたが、それだけだ、なんの倉化もない。鉄道はせっかくの愉快な気分に合わず本を閉じた。それより江戞時代の京郜叀地図に倢䞭になり時間を忘れた。
    『癟䞇遍怚み念仏』は積ん読になった。
    たた萜ち着いたら読もう。西片さんずも話題になるだろうし

    ■⑪西片加代の䞋宿  叀本垂から垰宅  パンクむアリクむ  性的なむメヌゞ
     叀本垂から垰宅するず、西片加代はシャワヌを济びた。知恩寺では野倖で埃っぜい気がしたし、叀本もいろんな人が觊ったかもしれないし、さっぱりしたかった。シャワヌから出お郚屋着に着替えた。倕食にはただ少し早い。ベッドの䞋に座り、叀本を眺めおいるうちにりトりトしおしたった。西片は倢を芋おいた。

    尻尟ず錻先が奇劙に長い灰色の四本足の動物が舌先で本を舐めおいた。
    现く長く䌞びた舌をペヌゞの隙間から噚甚に差し蟌み、ピチョリピチョリず音をたお掬うように舐めおいる舌は臓噚のようにテラテラず赀く濡れおいる。本から文字を舐めずっお食っおいる。
    動物の目は癜目がなく真っ黒なボタンのようだ。
    やがお動物は、女私が読んでいた本を、そしお私の指を舐めだした。
    銖元から胞元ぞ。私は䞀瞬身䜓を固くしたが、されるがたたになっおいる。
    胞元のふくらみの麓から頂䞊に近づき吐気が荒くなるのがわかる。
    信じられないほど固く隆起した先端を動物の舌はたくみに嘗め回し、私はやがお気を飛ばした  。
    動物はオオアリクむに䌌おいた。
    西片は思った。
    私はパンクむだ。パンクむはアリクむの倧奜物なんだ
    私はご飯を食べないでパンばかり食べおいるからバチが圓たったんだ

    鉄道の郚屋に土方がたた来おいた。今日はそうめん倧䌚だ。
    「ずころで、鉄道の䞀番お気に入りの小説は䜕なの」
    「これこれ」鉄道は挱石の「坊っちゃん」を本棚から匕っ匵りだした。
    「これ読んだんだ。半幎前にあらためお。䞭孊の時以来だけど。でさ、ラストの䞀行だよ。”だから枅の墓は小日向の逊源寺にある”」
    「土方、ここから読んでみお。朗読ね」土方は頷いお声に出しお読んだ。
    「死ぬ前日おれを呌んで坊っちゃん埌生だから枅が死んだら、坊っちゃんのお寺ぞ埋めおください。お墓の䞭で坊っちゃんの来るのを楜しみに埅っおおりたすず蚀った。」
    二人は声をそろえた。「だから枅の墓は小日向の逊源寺にある」
    「いいよなあ  」鉄道は涙ぐんでいる。
    「うん、分かるよ鉄道」 
    「ラストの行、䜕べん読んでも泣けちゃうんだよ。なんでだろ」
    「日本文孊史䞊、もっずも矎しい”だから”だよな。井䞊ひさしが蚀っおる」
    「うん、こんなの曞けたら、最高だよなっお思った。うん、そう思ったんだよう。うえヌん」
    「わかった。わかったから。泣くな鉄道」
    「少し手前、束山から船で東京ぞ垰るあたりから読むずいいんだよ。テンポが凄いんだ。ぐいぐいラストが近づいおきお」
    「くるぞくるぞヌっ、おな」
    「玠っ気ないのに愛が溢れおるんだよなあ。ツンデレなのかな 坊っちゃん」
    「うヌん、どうだろ」
    「俺は坊っちゃんみたいになりたい」
    「鉄道、坊っちゃんになったらダメじゃん。挱石にならなきゃ」
    「いや俺は坊っちゃんがいい。坊っちゃんが奜き」 
    「あ、そう」
    ■⑫孊習塟「掛南れミ」宀町教宀䞭京区 䞀䞀月四日土
    「鉄道先生、小説曞いおるっお すごいやん」
    授業前に塟長に぀い口を滑らせたら、教え子にたちたち広たっおいた。
    授業をなんずか終えた埌、叀池綟乃が屈蚗ない笑顔で近寄っおきた。
    綟乃は埡所の西隣にある私立平安女孊院䞭孊二幎で父芪は医者だ。成瞟はよくお、鉄道を䜕かず兄のように慕っおくる。ただ幌いずころもあるが明るく聡明な子だ。
    「先生、うちのクラスにも小説曞いおる子いるよ」
    「ぞヌ、それっおラむトノベル的なや぀だろ」
    「そうなんかな。よくわからぞんけど」
    「魔法ずか䜿っちゃうんだろ 俺のは違うんだよ」
    「どう違うの」
    「どうっお、もっずさ、なんおいうか  文孊的なんだよ」
    「えヌ。䜕それヌ」
    「だから・・・文豪っぜいんだよ」
    「文豪っお」
    「倏目挱石ずか」
    「あヌ、知っおる。”坊っちゃん”でしょ。私読んだよ」
    「ぞヌ読んだのか どうだった」
    「面癜かったよう。”ぞなもし”っおずこ」
    「そこかよヌ」
    「それはむナゎ”ぞなもし”ずか蚀うの 倉なのヌ 
    ぞなもし ぞなもし アハハ、先生、ぞなもし」
    「わかったわかった。声がでかいよ。少し静かにしおくれ。ほかの授業もやっおんだから」
    綟乃は玠盎に「ごめんなさい」ず蚀っお黙った。
    「あず俺が小説曞いおる事はできたら内緒に」
    「え なんでヌ」はっず気づいお小声になった。「蚀ったらあかんの」
    「うん、ただ玍埗できるものが曞けおないからさ  」
    「ふヌん、わかったぞなもし その代り出来たら絶察最初に綟乃に読たせおね。
    綟乃は先生奜きだから玄束は守るよ ぞなもし」

    ■⑬鉄道の郚屋  䞀䞀月五日日 土方ず →米粒
    「たいったよ。バむト先の塟で俺のあだな”ぞなもし”になっちゃっおさあ」
    土方は倧笑いしおいる。今日も鉄道の郚屋に来おいるのだ。
    「その子おもろい ぞなもし」
    「お前たでやめおくれよ」
    「わかったぞなもし」
    「もういいっお」
    「ゎメンゎメン、ツボにはたったわ。で、どうなん、執筆は進んでるか 鉄道先生」
    「うヌん。たあ。ボチボチっおずこかな」ノヌトをパラパラめくっお鉄道は答える。
    「ちょっず芋せろよ」土方がノヌトをひったくる。
    「あいや、ただ党然芋せる段階じゃ  」

    「ゆかりちゃんず米粒」
    ごちそうさた ゆかりちゃんは元気に蚀いたした。
    ゆかり矎味しかった
    うん 晩埡飯おいしかったよ、ママ 
    こんばんは わたし米粒ちゃん。 
    ゆかりちゃん あなたさっき私を捚おたでしょ 食べ残したでしょ 
    え、ママヌ 怖いよう ゆかりちゃんはおびえおいたす
    米粒にはお癟姓さんの血ず汗がしみ蟌んでお䞀粒䞀粒に神様がいるの 
    孊校で習わなかった ねえ習わなかった 習わなかった
    うっせヌな ゆかりちゃんは怒り出したした
    習わなかった
    どっかいけ米粒
    習わなかった 
    いい加枛にしろ
    ゆかりちゃんは茶碗を投げ぀けたした 
    するず可愛らしかった米粒ちゃんは、恐ろしい米粒の化け物になりたした
    シャヌ
    そしおゆかりちゃんは米粒にされおしたいたした。
    お前は皲もみだ 米粒の䞀生を味わえ おしたい」

    「なんだこれ なんなの これマゞなの」土方はあきれ顔で蚀った。
    「いや、だから、これは緎習ずいうか助走ずいうか、人に芋せるようなもんじゃただなくお  」 
    鉄道はしどろもどろだ。顔が赀くなっおいる。
    「鉄道、やばいぞ。このレベルずは思わんかったわ」
    「だから、これはあんたり自信ないずいうか・・・」
    「いいか鉄道、いくらド玠人でも、初めお曞いたにしおもだ。
    お前曞きたいこずあるんだろ。䞋手くそでも䞀぀くらい胞にグッずくるこず曞けるだろ」
    鉄道は返す蚀葉もなくう぀むいおいる。
    「いいか、本気でやらないず、呜かけないず、人に読たせる小説なんお䞀生無理だからな 」
    「わ、わかったよ」鉄道は半泣きでトむレに逃げ蟌んだ。
    「ったく、もう」
    土方はあらためお『ゆかりちゃんず米粒』を読み返した。
    ふむ・・・。た、これはこれで、光るずころはあるかもな。
    土方は赀ペンで添削しだした。䞖界芳、ストヌリヌ、キャラ蚭定、構成。文章  

    ■⑭鉄道の郚屋「入江ハむツ二〇四号宀」巊京区 䞀䞀月八日氎
    鉄道は郚屋の机に向かっお小説を曞いおいた。
    それにしおも  䞉日前、日曜のこずを思い出しおいた。
    たったく土方の蚀い方はひどい。あれはただ小説ではないのに。ポ゚ムから脱皮しお小説になる前の途䞭圢態、サナギ段階のポヌ説ポ゚ム小説の間なのに  
    鉄道はいく぀か文章をノヌトパ゜コンに打ち蟌んだが、煮詰たっおいた。

    集䞭が切れお郚屋をりロりロしおいるず本棚の「癟䞇遍怚み念仏」が目に入った。
    そうだ、叀本垂から䞀週間、積ん読のたただった。西片さんはもう読んだだろうか
    本棚から取り出した。手に持぀ずやはりずしりず重い。鉄道は䞉四ペヌゞを開いた。僧䟶の「䟶」の文字がズレおいたペヌゞだ。䜕か新しく倉なこずが起きおいないかず胞隒ぎがした。

    「䟶」の字は、盞倉わらず本来の䜍眮を倖れ、右偎の䜙癜に転がっおいた。鉄道は安堵した。倉わりはなかった。ず同時にあらためおやっぱり絶察おかしいよなず思った。芋た瞬間倉だもの。

    鉄道はペヌゞをめくった。この本はプロが䜜った商品ずしおの本ずはどうも様盞が違う。党䜓ずしおたずたっおいない。䜜者の䌝えたいメッセヌゞが、あるのかないのかもよくわからない。ただただ䜜者の䞖間ぞの怚みや疑問だけを曞き連ねたようだ。

    䞉四ペヌゞから始たる「倧蜘蛛退治」は小説のような物語調になっおいる。

    郜のはずれの村で、若く矎しい僧䟶が、村を襲う蜘蛛の化け物を退治しに行く話だ。僧䟶が蜘蛛退治に行くたでに村のみなに祭り䞊げられ、矎食や女性をあおがわれる。それに溺れおおかしなこずになっおいく
      。倉な話だ。

    ■⑮「倧蜘蛛退治」  ★䜜䞭䜜
     寛氞䞉幎䞀六二六幎山城の囜の南に若く矎しい姿の僧䟶がいた。しなやかな身䜓ず人を思いやる優しい心を持っおいた。真面目に経を唱え死人を節く匔い墓を䜜りそれを守った。時には檀家を集め仏道を説いた。暎れ川の土手を修繕し病人に薬ず滋逊を䞎え、乱暎者を匕き取っお真人間にさせた。
    ある秋の日の倕方、村倖れの葱畑に肉毛に芆われた巚倧な蜘蛛が出た。元来は山に䜏み暹液を針で吞う蟲だ。尋垞の蜘蛛ではない。暹液を吞われた朚は枯れお朜ちる。蜘蛛は八尺にもなり䞀日に杉の倧朚䞀本の暹液を吞う。その化け蜘蛛が里に䞋り収穫前の䞞々に倪った葱を匕き抜いお汁を吞った。攟し飌いの鶏二十矜を襲い脚先の針で突いお汁を吞った。これが良くなかった。
    動物の汁の味、獣の蜜・血の味を知っおしたった。畑の䜜物を荒らし、家畜を襲っお汁を吞う。牛銬も襲われた。財産を守ろうず立ち向かった村人も襲われ血を吞われ怪我を負った。
    困り果おた村人は僧䟶に盞談をした。僧䟶は歊芞の心埗があった。そのような化け蜘蛛は、もしや仏眰を受けお化身した眪人ではないかず考えた。自信の皋はさおおき、村人の困っおいるのを芋かねお化け物埁䌐を承諟した。
    村人は感謝しお埁䌐に向かう若い僧䟶をもおなした。肉や粟の぀く食べ物を提䟛し、宎を催し酒を振る舞った。そんな日が䞉〇日続き僧䟶の心ず身䜓に倉化が蚪れた。
    これたで質玠な生掻を続けそれで心身の調和はずれおいた。急に倚く䞎えられ䜕かが狂った。「もっず欲しい」ず思うようになった。そうするず人は坂道を転げ萜ちるように欲望の虜になる。僧䟶は若く欲望袋も限りがなかった。
    村の有力者は嚘を遣わした。色癜で噚量の良い嚘だった。嚘は父の蚀い぀けどおり僧䟶を誘惑し懇ろになった。
    「子皮を私の奥䞭にくださりたせ」僧䟶は初めおの女の䜓に倢䞭になった。これは途方もない宝ず感じた。慣れないもので腹の䞊にしこたた皮汁をこがし嚘は指で掬っおほずの奥に流し蟌んだ。
    これはこの䞖の果お、極楜だ。女は芳音様だ。

    蜘蛛はやはりただの蟲ではなかった。巚倧な蜘蛛には眪悪人の頭ず胎がぞばり぀いおいた。僧䟶は金剛杵ず法力で蜘蛛をたちたち制圧した。蜘蛛は僧䟶の心裏を芋透かしたかのように懇願した。
    殺さないでくれ。わしの脚を䞀本もっお村に垰れ。さすればお前は村でたたよい思いができる
    わしを殺すずそれで終わりだ。お前は甚無しだ。質玠な前の暮らしに逆戻りだ
    僧䟶は少し考えた末、蜘蛛を逃がした。足を䞀本、村に持ち垰った。
    あの蜘蛛は手ごわい。足を切り萜ずしたら山に逃げおいった。圓分おずなしくしおいるだろうが時期が来たら再び埁䌐に向かう
    僧䟶は前よりも䞀局節く遇せられた。いく぀かの富家から、噚量よしの幎頃の嚘が倜䌜に来るようになった。近隣の村からも来た。
    嚘の䞀人が子を孕む。生たれた子は蜘蛛のような肉毛が腕脚にビッシリず生えた恐しい姿だった。僧䟶は知らぬず突っぱねた。
    僧䟶はもっず矎味い肉、酒、そしお芳音様のような女䜓を味わいたかった。
    䞃本目の脚を持ち垰った頃、僧䟶はすでに蜘蛛ず化しおいた。
    (倧蜘蛛退治癟䞇遍怚み念仏

    ■⑰蜘蛛の文字が動く 鉄道の家  倜ず翌朝の二床 文字ズレを確認
    ペヌゞをめくる鉄道の目が止たった。たただ。はっきりずみおしたった。
    䞉䞃ペヌゞ、巊端の行、䞋の方、文字がゆっくりず動いおいくのを。
    「蜘蛛」ずいう二぀の文字が、本物の蜘蛛が歩くように、じわじわず巊に動いおいく。
    え、え なんだこれ
    文章䞭は「  ず化しおいた」ず二文字分が空癜になっおいる。
    「蜘蛛」はペヌゞの巊端たでいくず向きを倉え、ペヌゞの瞁に沿っお䞀番䞋たで進んでそこでピタリず止たった。鉄道は茫然ず芋おいた。「蜘蛛」の二文字はペヌゞ巊䞋でしばらく现かく動いおいたかず思うず、急に速床を速めお斜め右に移動し、元あった䜍眮にピタリず玍たった。
    鉄道は目をこすった。疲れおいるのだろうか。いやしかし。確かに芋た。
    文字が動いた。間違いない、間違いないはずだ。
    そういえば急いで確認するず、先ほどたで行から倖れおいた「僧䟶」の文字が、きちんず行の䞭に玍たっおいる。
    おかしい。ズレおたはずだ文字を指でなぞった。
    「䟶」の文字が熱を持っおいるように感じた。鉄道は怖くなった。
    なんだよ、この本。ほんず気持ち悪い
    慌おお本を閉じた。颚呂に入ろう。鉄道は珍しく济槜に湯を匵った。
    文字をなぞった指先が気持ち悪くお、鉄道は䜕床も䜕床も指を掗った。


    ■鉄道の郚屋「入江ハむツ二〇四号宀」巊京区 䞀䞀月九日朚
    翌日朝八時過ぎ、鉄道は目芚めた。快晎、絵に描いたような秋晎れだ。今日も特に予定はない
    昚倜からずっず文字の事が気になっおいた。
    明日、明るいずころで倪陜の䞋で確認しよう。そう思っお昚倜は無理やり目を閉じたのだ。
    昚倜は疲れおいた。どうかしおいたのかもしれない。倜は人をおかしくさせる。鉄道はそう蚀い聞かせた。人間の認知感芚は、時に間違うこずがある。䞇党の䜓調・冎えた頭で確認しよう。

    こんないい倩気で朝からおかしなこずは起こるはずがない。そう思いたかった。ただ胞隒ぎは止たらなかった。

    おそるおそる本を開く。䞉䞃ペヌゞ、昚倜の「蜘蛛」の文字を確認する。
    䜕もない。「蜘蛛」は文字列の䞭に綺麗に玍たっおいる。鉄道は安堵した。やはり気のせいだった。空は青く秋の空気は柄んでいる。爜やかな颚が吹いおいる。䞖の䞭は平和で真っ圓だ。䞉四ペヌゞの「僧䟶」も念のため確認しよう。これも異垞ないはずだ。

    違った。違っおいた。
    「僧䟶」の二文字は、文字列から倧きくはみ出しお転がっおいた。
    しかも前ず違う、ペヌゞの䞊の䜙癜に。
    鉄道は、固たったたた、異垞な䜍眮に存圚しおいる文字をただ芋぀めおいた。

    鉄道は「蜘蛛」の文字の異倉に぀いお土方に盞談しようずした。
    しかし、珟物を芋せお説明しようず本のペヌゞを開いたが異倉は再珟されなかった。
    「蜘蛛」も「䟶」も文字はきちんず文章の列に玍たったたたピクリずも動かない。
    䞀所懞呜に文字が動いたず説明するも、珟象が再珟できないたたでは、土方も「なんかよくわからん」ずいう感じで興味を瀺さない。
    鉄道もなんだかバカバカしくなっおきおたあどうでもいいやずいう気にすらなっおきた。土方は明日朝むチから立呜で講矩があるず蚀っお、い぀もより早めの午埌十䞀時過ぎには自分の郚屋に垰っおいった。
    「たたおかしな事が起こったら連絡するわ」
    「あはは、たかせるわヌ。おやすみ」

    おかしな事が起こった。土方が垰っおすぐだ。机の䞊の「癟䞇遍怚み念仏」を本棚に戻そうず手に取った瞬間、ペヌゞの間から䜕かがボタッず机に萜ちた。文字だ。
    机の䞊に五倧皋の「念」の文字が萜ちおいた。厚みはない。
    鉄道は茫然ず挆黒の「念」の文字を芋぀めおいた。
    土方に電話しようか  
    本を軜く振るず、ボタボタっず、さらに四五個の文字が萜ちた。
    わわわ どうすんだよヌ。䜕だよ、これ 
    思わず本を床に萜ずすず、さらに倧量の文字がペヌゞから流れ萜ち床に散らばった。
    鉄道は悲鳎を䞊げた。

    ■㉑西片加代のワンルヌムマンション䞀䞀月二日朚 トむレに誰かいる
    西片加代には京郜に来る前からの恋人がいた。東京で知り合ったが、半幎前に転勀で倧阪に来た。平日は䌚えないが、週末は倧阪・京郜をお互い行き来しお䌚っおいた。
    䞀䞀月二日朚。明日は祝日で週末は䞉連䌑、圌氏が京郜に来おあちこち出かける玄束だ。

    午埌六時半、加代が塟講垫のアルバむトから垰るず、すでに圌氏は来おいおトむレに入っおいた。合鍵を枡しおあるからたたにあるパタヌンだ。
    い぀もより早いけど仕事が早く終わったのかな。嬉しい
    「垰ったよヌ」䞊機嫌でトむレのドアに向かっお声をかけるず、
    トむレの䞭から「ああ」ず䜎い声が聞こえた。
    圌氏はトむレがい぀も長い。䞭で本を読んだりスマホをいじったりしおいるようだ。考え事をするのに最適だそうだ。䞀床そのこずで口論になったこずもあるが、西片は元来おおらかでこだわりが匷い方でもないので今では容認しおいる。西片が䜿いたい時はすぐに出る事、綺麗に䜿うこず、圌氏もこの二぀のルヌルを守り、今では「ちょっずした癖」ずいう事になっおいる。圌氏はずおも優しい。喧嘩の皮もない。
    西片はコヌトをハンガヌにかけ、手掗いをしおタオル地の郚屋着に着替えた。フィルタヌ、コヌヒヌ豆、氎をセットし珈琲メヌカヌのスむッチを入れる。
    圌氏はただトむレから出おこない。カップを二぀出しおテヌブルに眮いた。

    その時、スマヌトフォンにメッセヌゞ着信があった。
    え通知は圌氏からだ。画面に衚瀺されたメッセヌゞを芋お困惑した。
    『今、䞉条京阪着いた。コンビニ寄っおくけどなんか買っずくものある』
    え 䜕蚀っおるの トむレの䞭でしょ
    思わずトむレの方向を芋た。圌氏はただ出おこない。
    壁の時蚈を芋た。午埌六時四二分。時蚈の秒針が止たっお芋えた。倖はすでに真っ暗だ。
    震える指ですぐ返信した。
    『今トむレでしょ』
    間違いだよね むタズラ もしかしお遅延かな、すごくたたにあるから。
    頭の䞭がグルグルした。混乱しおいた。
    しかし頭より先に身䜓はある可胜性を理解しおいた。
    マズむ。䜕かがマズむ。トむレにいるのは誰 誰か  知らない人  

    トむレは、西片のいるリビングから玄関ぞの短い廊䞋の途䞭にある。
    その前を通らずには倖ぞは出られない。
    ベランダをチラッず芋た。ここは四階だ。無理だ。逃げ堎がない。

    玄関のドアには鍵ずチェヌンがかかっおいる。靎を履くのにも時間がかかる。
    その間トむレの誰かは埅っおくれるだろうか。
    加代は身䜓がすくんで、小さくなったような気がした。もっずもっず小さくなっお隠れおしたいたい。

    トむレの䞭で、氎を流す音がした。
    ほが同時にブブッずスマホが振動しメッセヌゞが来た。
    『うん、いたコンビニ。䞃時過ぎに着くよ(^^)/』
    西片は匟かれたように゜ファから飛び䞊がるず、玄関に突進した。
    鍵を回し、チェヌンを倖す。手がガクガクず震え、もどかしい。
    埌ろでパチン、ず、トむレのボタン錠が開く音がした。
    ドアが開いお、空気が動くのを背䞭で感じた。すぐ、埌ろだ。
    振り返っおはいけない。そこにいるのは圌氏ではない。

    靎も履かずスリッパのたた転がるように倖に出た。
    背埌から人間ずは思えない声が聞こえた。
    「ボボボボボヌボヌボォオヌ」
    䜕これ 最悪
    倖廊䞋の突き圓りの階段を駆け䞋りた。
    絶察に、絶察に振り返るもんか。

    ■㉒西片加代の郚屋 䞀䞀月䞀䞉日月 誰もいない郚屋で文字が動いおいる様子
    誰もいない郚屋の机の䞊にその本はあった。郚屋の䞻の西片加代は朝から倖出しおいる。
    本の䞭で文字が蠢いおいた。膚倧な量の文字。ペヌゞの䞭で列を乱し、ぶ぀かり合い、匟かれお溢れた。ペヌゞからはみ出し、玙のふちから少し頭を出しおはたた戻った。
    䞀぀の文字が完党にペヌゞから溢れ、机の䞊に萜ちた。
    「残」
    本に戻ろうずしおいるが戻れない。机の䞊をしばらく動き回ったあず、机からもポタリず萜ち、床を這っお壁に向かい本棚の埌ろに消えおいった。

    ■㉓西片加代の郚屋巊京区䞀䞀月䞀䞉日月倉なこず→芚悟しお目を閉じる
    西片加代はひずりで垰宅した。ただ少し怖いんだけど。
    二日朚のトむレの䜕者かの事件で郚屋を飛び出した埌、西片は圌氏ずコンビニの前で䌚うこずができた。スリッパを履いた姿で泣き出した西片を芋お圌氏は驚いたが察応は冷静だった。すぐに譊察を呌び郚屋を調べおもらった。その間西片ず圌氏は近くの亀番で女性譊官ず埅機しおいた。玄䞀時間埌、調べに行った譊官から連絡があり「郚屋に戻っお来おくれ」ず蚀われた。
    西片の郚屋には二名の譊官がいた。駆け぀けた時には郚屋には誰もいなかったずいう。
    郚屋の䞭に異垞はなかった。トむレの䞭は念入りに調べおもらったが異垞はなかった。すべお西片が飛び出した状態のたただった。譊察の事情聎取の埌、西片はその日は郚屋に戻る気には到底なれず、圌氏ずビゞネスホテルに泊たった。翌日䞉日金朝には郚屋を斡旋しおもらった䜏宅䌚瀟に連絡が぀き、倧家さん了承のもず、四日土の倕方に二重匏の新しい鍵に倉えおもらった。さらに圌氏ずホヌムセンタヌに行きドアノブにかぶせる錠も自前で付けた。優しく冷静な圌氏は、月曜早朝から出匵なので、日曜の倜、心配そうに倧阪に垰っおいった。西片は䞀人になるずただ怖くお、朚曜たで友人の家に泊めおもらった。
    金曜の倜に圌氏がたた京郜に来おくれたので、西片は䞀週間ぶりに自分の郚屋で眠るこずができたのだ。
    今朝十䞉日月の朝䞃時、圌氏が垰るので、西片も䞀緒に家を出おバス停で圌を芋送り、喫茶店でモヌニングを食べおそのあず研究宀に行った。

    そしお倜䞃時、西片加代はひずりで垰宅した。おそるおそる。䞉぀の鍵で、誰かが䟵入するのはありえないのは分かっおいた。
    倧䞈倫、よね
    西片は自分の郚屋なのに誰かが奥から飛び出しおくるかのように恐る恐る足を進めた。
    でもやはりこの郚屋は怖いんだ

    あの時、譊察も䜏宅䌚瀟の人も、そしお圌氏も、怯えおいる西片を気遣い口には出さなかったが、「䜕かの間違いじゃないか 気のせいか、勘違いか」そう考えおいたように思う。
    確かに私も䜕も芋おはいない。玄関に誰かの靎はあっただろうか。わからない。圌氏は靎箱にいれおくれるから、あったらすぐ気づくはずだ。トむレの電気は぀いおはいなかったように思う。倖はもう暗かったのに。でもトむレに誰かがいる気配がした。圌氏ず思い蟌んだ。楜しみに埅っおいたせいかもしれないけど
    垰宅しお「ただいた」ず蚀った時、トむレから返事が聞こえた。くぐもった感じの声。今思えば誰かわからない声。もしかしおあれも聞こえた気がしただけなの
    西片は自分のすべおの感芚が、蚘憶さえも、信じられなくなっおいた。
    でも確かにトむレが流れる氎音がした。トむレのボタン錠が開く音を聞いた。そしお背䞭越しに聞こえた、あの人間ずは思えない恐ろしい声。いや、そもそもあれは人間の声だったのだろうか

    西片は廊䞋を息を殺しお進んだ。玄関のドアはい぀でも飛び出せるよう、開けたたただ。
    トむレの前では息をずめた。人の気配はない。倧䞈倫だ。リビングに入った。
    ホッずしおカバンを䞋ろそうずした時、目に入った。

    テヌブルの䞊に本があった。「癟䞇遍怚み念仏」だ。
    ほらね。やっぱり。倉なこずが起きた
    西片は恐怖の䞭で冷静だった。なぜか少し笑みがこがれた。
    本棚にしたったのに。絶察にこんなずころに眮いおいないのにね

    今朝たで圌氏が郚屋に来おいた。昚倜は圌氏の奜きなチゲ鍋をし、猶チュヌハむを飲み、゜ファで䞀緒にを芋お、シャワヌを济びお䞀緒に寝た。寝る前にテヌブルにペットボトルのお茶を二本眮いおたのを芚えおいる。
    今朝は二人揃っお朝寝坊し慌おお家を出たので朝食は家では食べおいない。机も昚倜のたただ。この本は無かった。間違いない。圌氏の目に觊れるずころに眮くはずがないのだ。
    この本はいやらしいこずが曞いおるから圌氏には芋られたくないんだ
    西片加代はこの本の䞭の性的な描写に興奮し、倜眠る前に耜るこずがあった。恥ずかしい秘密だ。この本がやっぱり倉なんだ。なんでここにあるんだろう
    西片加代はしばらく呆然ず立ったたた考えおいた。
      そうか、この本が”読め”ず蚀っおいるんだ。私がきちんず読たないから
    西片加代の身䜓は拒吊しおいた。蚀語化される以前の原始的本胜が危険を察知しおいる。
    開けおはいけない。ペヌゞをめくったら化け物が出おくる。悪いこずしか起こらない。
    本が隒がしくなっおいた。ペヌゞの間からざわざわず声が挏れ聞こえおいる。
    背衚玙でずめおあるんだよ。狭いよ 暗いよヌ 背衚玙で閉じ蟌められおいるんだヌ
    あけろヌあけろヌ 読めヌ 読んでくれヌ 俺を読んでくれヌ
    文字たちが怒っおいるのがわかる。え、私に
    私が本を開いたら、恐ろしい怖い事を蚀おうず埅ち構えおいる。絶察にやばい奎だ
    こんなこずがあっおいいのか。しかし、これが倢ではないず思うず西片は哀しくなった。
    䞀番あかん類のや぀が今、目の前にある。信じられないけど、これが私の珟実なんだ
    自分の身を嘆いた。目を閉じお䞀〇秒ほど考えた。
    なんでこんなこずになったんだろうそしお芚悟した。
    西片は本を静かに開いた。

    若い男が地䞋鉄のホヌムにいた。スヌツを来たサラリヌマン颚だ。
    ホヌムには人が少なかった。珍しいこずだ。電車はなかなか来ない。少し物思いにふけっおいた。「圌女のこずが心配だ。粟神を病んでいるのかもしれない。ありもしない劄想で、譊察たで巻き蟌んでしたった。京郜に行っお最近倉わった。生掻のせいだろうか。仕事も忙しく最近疲れが取れない。こっちたで調子がおかしくなりそうだ」䞀匹の倧きな蜘蛛が地䞋鉄の駅の高い倩井にはり぀いおいた。埮動だにしない。男はう぀むき加枛で気づいおいない。電車が近づく音がし光が線路に差し蟌んだ。男は倧きなあくびをした。蜘蛛が動いた。電車の譊笛がけたたたしく響いた。

    ■㉔鉄道の郚屋 䞀䞀月䞀䞉日月  ★土方も、぀いに怪異に遭遇
    鉄道は昌寝をしおいた。倢を芋た。いやりトりトしおただけで倢ではないのかもしれない。誰かが小声で話しおいる。抑揚なく䜎い聞き取りにくい声だ。男だ。うっすらず圱が芋えた。机の前に座り、背䞭をたるめお䜕か曞き物をしおいるようだ。時折苊し気に、唞るような䜎い声を挏らしおいる。
    目が芚めた。ハッキリず。
    声が聞こえおいる。
    鉄道はベッドから起き䞊がり電灯を぀けた。
    声が止んだ。
    わかった。机の䞊に叀本が積み重ねられおいる。そこから聞こえた。
    時蚈を芋るず午埌四時だった。

    倜䞃時半過ぎ、土方が郚屋に来た。少し酔っおいる。
    「あの本からぶ぀ぶ぀小声で䜕かしゃべっおるのが、話し声が聞こえるんだ」
    「ほほう、それは劙だな。怪奇だなヌ」
    「たぶん本の䞭身を読んでいるんじゃないかな」
    「音声読み䞊げか。最先端だな」土方は笑っおいる。
    「真面目に聞いおくれよこっちは真剣なんだよ」
    土方はゎメンゎメンずいう目をした。
    「それだけじゃないんだ この本絶察におかしいんだ。文字が動くんだよ。䜕床も芋おるんだ」
    「これ芋おくれよ」先日確認した『蜘蛛』『僧䟶』のペヌゞを開けお土方に芋せた。異垞は  無い。あれ

    「ここがさあ、文字が動いたんだけどなあ  。この蜘蛛っお文字が。それにその埌、文字がいっぱいこがれ萜ちたんだけど」
    「こがれ萜ちたのはどうしたんだよ」
    「怖くなっお段ボヌルかぶせお寝た。そしたら、翌朝は䜕もなかったんだ」
    「ふヌん。鉄道も酔っおたんじゃないの」土方は信じおくれない。

    「あれ」ペヌゞをめくっおいた土方が声を䞊げた。
    「うヌわ、䜕だこれ」鉄道は慌おお土方の手元を芗きこんだ。

    行が歪んでいた。巊偎ペヌゞの巊端の䞀行が、垂盎ではなく斜めに傟いおいる。䞀番䞋の文字は巊に䞀ほど開いおいる。
    前の行たではすべお垂盎に、たっすぐ平行に䞊んでいるので、䞀目で違和感を芚える。

    「本圓だ  。斜めっおる」
    「乱䞁 いや倉だろ、こんな乱䞁ないだろ」土方が蚀った。

    「おい、これ 動いおないか」土方が叫んだ。
    確かによく芋るず、ゆっくりず行の䞋がじわじわず巊に開いおいく。

    動いおいる  。行の䞋の文字は、もうペヌゞの巊端に届きそうだ。
    ゞリゞリず行党䜓が動いおいる。二人は声もないたた、行の動きを芋぀めおいる。
    やがお行は䞊郚も巊に動いお垂盎になり、そのたた䞋がっおいった。
    そしおペヌゞ巊䞋ぎりぎりに貌り付いおピタリ止たった。無蚀の、氞遠かずも思われる時間が流れた。

    「なんだ、これ  」土方が静寂を砎るように重い口を開いた。
    「これだよ。蚀っただろ。文字が動くんだよ。この本」
    「ありえないわ。いや、もう  絶察にない」土方は興奮しおいる。
    しかし最埌の䞀行は、本来あるべき䜍眮をはずれ、ペヌゞの巊䞋ぎりぎりで鎮座したたただった。前の行たでは正しい䜍眮に鎮座しおいる。
    「俺たちはちゃんずしおるからな」ずたるで優等生がすたし顔で䞻匵しおいるかのようだ。

    「  俺、垰るわ。明日も朝早いし、なんか気持ち悪い。お腹痛い」
    土方は目に芋えお元気がなくなった。盞圓ショックを受けたようだ。
    鉄道は䜕床か芋おいるので、そこたでショックではない。
    むしろ土方に実際の怪異を芋おもらい、信甚しおもらえたので埗意げな気分ですらあった。
    「鉄道、その本捚おちゃった方がいいぞ。絶察倉だから」
    土方は芋たこずのない真面目な顔でそう蚀うず、そそくさず垰っおいった。階段をトントン䞊る音、バタンずドアを閉める音が聞こえた。

    「嘘じゃないっ぀ヌの」鉄道は、土方ず怪異を共有できお䞊機嫌だった。
    その時、本がバサバサず倧きな音をたおおめくれ、文字が凄い勢いで飛び出しおきた。
    现かい無数の文字が噎き出し鉄道の顔にモロにかかった。
    「うわヌ ブブブブッ」
    口の䞭にも入った。さすがの鉄道も腰が抜けるほど驚いた。
    「怖いよヌ。土方。もういやだヌ」
    急いで掗面所で口をゆすいだが、文字をいく぀か飲み蟌んでしたった気がする。身䜓に有害ではないだろうか。
    ■㉕鉄道の郚屋 䞀䞀月䞀四日火午前䞃時 
    鉄道は土方の郚屋の畳の䞊で目芚めた。土方はただベッドで寝おいる。プスプスず寝息が聞こえる。昚倜はあの埌、土方の郚屋に行っお泊めおもらった。銭湯に行き湯舟に入ったら、文字が䞉四個、プカリず浮かんできお、慌おお排氎口に掗い流した。身䜓に぀いおいたのだろうか。
    土方の郚屋に戻っおから、セヌタヌの襟もずに「奥」の文字を芋぀けた。爪楊枝で刺しお灰皿の䞊でラむタヌで炙っおみた。スルメのような銙ばしい匂いがしお、文字は溶けお䞞たっお最埌は小さな黒い粒になった。土方は寝おいた。

    翌朝、土方が出勀するので郚屋を出た。昚倜のこずは詳しくは土方には蚀わなかった。自分の郚屋に戻るず、本は行儀よく机の䞊にチンず眮かれおいた。文字も散らばっおはいない。このやろう、いい子ぶりやがっお。昚倜は倧暎れしたくせに
    「癟䞇遍怚み念仏」を調べるず、数か所に文字の抜けがあった。敎然ず䞊ぶ文字列の䞭で、ずころどころ虫食いのように空癜になっおいる。颚呂に流した文字だろうか。ラむタヌで焌いた「奥」の字も。鉄道が飲み蟌んでしたった文字も抜けおいるのだろうか。物理的にこんなこずは起こりうるのか鉄道は考えた。考えれば文字は玙のシミである。文字ずいう玄束された圢を衚すようにシミを人為的に、意図的に䜜る。シミには本来䜕の意味もない。そこに人間が意味を芋出しおいるに過ぎない。しかしシミは普通は簡単に取れたりしない。だから゚ステや矎容倖科が儲かるのだ。

    ■㉖鉄道の郚屋 䞀䞀月䞀五日氎  ★土方ず文孊談矩  恋はシドロモドロ 他
     土方はたた鉄道の郚屋に来おいる。土方は、あの文字の怪異の話をしようずしない。意図的に避けおいるように思える。理孊郚数孊科、理系の暩化の土方には、あのような理屈で説明のできないものが蚱せないのだろう。いた頭の䞭は、䜕らかの合理的説明を芋぀けようずフル回転しおいるのかもしれない。本棚をチラリず芋たが、気にしないず匷く心に決めおるようだ。
    「鉄道、こんな状況で聞くのは酷かもしれないが、小説の方は進んでるのか」
    「うヌん、た、䞀応少しず぀は曞いおるんだけどさ」
    「お、頑匵っおるやんか。ほったらかしになっおるのかず思っおたよ」
    鉄道はノヌトず打ち出したワヌプロ原皿を、玠盎に土方に枡した。
    隠しおもどうせひったくられるんだし。
    「えヌず。タむトルが『金曜カブトムシ倶楜郚』ず。あ、これぱンタメっぜいね。ミステリヌかそれず  こっちは『恋はシドロモドロ仮』。タむトルは仮なのか。こっちは恋愛モノか 二぀曞いおるんだ」
    「どっちもいた二十枚くらいかな」
    「ほほう、今埌の展開は プロットでいい」
    「えヌずね。プロットおいうか、あらすじだよな『金曜カブトムシ倶楜郚』の方は、金曜倜にカブトムシを獲りに幌皚園の息子連れお森に行った䞻人公がさ、そこで同じようにカブトムシ獲りに来た芪子連れず出䌚っお仲良くなっお、協力しおいっぱい獲ろうっお事になっおさ。そしたらあんたりたくさん獲れるんでデパヌトに売ったり商売にしようっおこずになるんだけど、でっかいカブトムシの怪獣みたいなの、赀圱に出おくるアゎンみたいなのが出おきおさ、た、森のカブトムシの神様みたいな存圚で結構怒っおおさ、䞻人公たちを襲うの。それで戊うの。冒険アクション感動ストヌリヌ」
    「ほほう」
    「『恋はシドロモドロ仮』は、もおない玔情チェリヌボヌむの塊みたいな倧孊生が、可愛い性栌の優しいお嬢さたに京郜戎神瀟の十日戎のアルバむトで䞀目惚れしお、なんやかんや頑匵る話。圌女は犏嚘でさ、巫女姿がかわいいの。むケメン倧孊生がラむバルで出おきお䞻人公がダキモキしたり。でもその嚘は性栌がよくっお  ずにかくメッチャ頑匵るの」
    「それ実話やんか。鉄道が䞀回生のずきの」
    「たあね。お恥ずかしいです」
    「私小説は恥ずかしくおいいんだよ。もっず党郚さらけ出しちゃえよ」
    よかった。ボロク゜蚀われなかった鉄道は内心ほっずした。

    「た、二぀を䞊行しお曞いおんだ。行き詰ったら気分転換に切り替えお、だたしだたしでどうにか今二十枚。でもさあ、䞡方行き詰ったらどうしたらいい正盎今そうなんだけど  」
    「しょうがないなあ」
    「だからさ、正盎ちょっず無理だよ。䞉月末締め切りの『さざなみ小説新人賞』、たぶん間に合わない。文字の事件にも巻き蟌たれおるし  」
    鉄道はさりげなく文字の怪異の話を持ち蟌んだ。
    「なんか気配感じるんだよ。曞いおたら埌ろからじっず芗き蟌たれおるような」
    土方は䜕も蚀わない。
    「あず最近颚邪気味で頭ががっずしおお。薬のせいかな。曞いおおも眠くなったり集䞭が続かないんだ。それもある。確かにそう。俺は颚邪ひいおる」

    「鉄道、蚀い蚳ばっかりやな。曞けない蚀い蚳。曞かない蚀い蚳。ちょい意思匱過ぎじゃないか」
    「ううむ。っおいうか、ぶっちゃけるず、そもそも小説っおのを、甘く芋おたかもしれない。実際、そんなもんじゃないみたいだし」
    「䜕をいたさらビックリ発蚀だな」
    「こないだ久々に倧きな本屋行っお驚いたんだ。四条烏䞞の喜怒屋曞店なんだけど、もうすんごいの 本だらけ」
    「圓たり前だ」
    「うっわヌ、こんなにたくさん新しい本っお出おるんだっお。俺、䞀生かかっおも絶察にこの店の本、党郚読み切れないわっお空恐ろしい気持ちになっお。お腹たで痛くなっお。
    小説だけでも、もうびっくりするくらいたくさんあっおさ。新しく出たのが颚呂堎のタむルみたいにビッシヌっお隙間なく䞊べお積んであんの。あれっおほんたに党郚曞いおあるんかな」
    「曞いおるに決たっおるだろ」
    「それでたたどれも面癜そうなんだよ
    垯の掚薊文みたいなの芋たら、䞖界がひっくり返るくらい面癜いっお。映画化ずかされお党米もすぐ泣くしなあ  」
    「そんなにしょっちゅう䞖界はひっくり返らないよ。あず党米は気にすんな。あい぀ら喜怒哀楜が俺らよりはっきりしおるから」
    「あずさヌ、曞店員のおすすめコメントみたいなのもブスブス刺しおあっお」
    「ポップっおいうんだよ、それ」
    「読たなきゃ䞀生の損みたいに曞いおあるんだ。人生倉わるっお。目からりロコだっお」
    「たあ売るための宣䌝文句だからな。ちょっず倧げさに曞いたりするよ」
    「そのくせ背埌の本棚には、少し前のずか叀いのが、『本の先茩ですうっす』みたいな顔しお、みっちみちに䞊んで控えおるの。あい぀らっお匕退しないんだな。遞手局が厚いよ。そんな䞭で俺の曞いたものなんか、どれだけの倀打ちがあるんだろ、っお思っおさ」
    「たあ、なんずなくわからんでもないが  
    鉄道、お前の芚悟はそんなもんだったのかよ、ちょっず倱望だわ」
    「え ごめんなさい」鉄道は玠盎だ。
    「それっお結構最初の段階で誰もが思うこずだよ。
    衚珟者っおのはそんなの気にならないくらい、自分の創䜜の䞖界にのめり蟌むもんだ。
    それだけの䟡倀、新しいものを生み出せるず信じれる奎だけが先に進むんだ。
    鉄道は面癜いよ。きっずなんか新しいもの生み出せるず俺は思うよ」
    「ホント 党米もいける」
    「党米は知らん。たずは日本だ」
    鉄道は土方にカツを入れられた。持぀べきものは厳しく意芋しおくれる友人だ。

    そのずき、ふたりの背埌でバサリず倧きな音がした。本棚から、あの本が、「癟䞇遍怚み念仏」が、床に萜ちたのだ。「なんで  」土方が呆然ずした衚情で呟いた。本は衚玙を䞊にペヌゞが開いた圢で床に転がっおいる。やがお黒い汁のようなものが本の䞋からにじみ出おきた。汁は泡をふいおいる。近くで良く芋るず文字の泡だ。パチン文字が砎裂した。パチン、パチン パパンパパパヌン。倧きめの文字が砎裂しお飛沫が飛び散った。「わっ ぷ ぺっ、ペっ」 口に入った鉄道は思わず叫び、぀ばを吐いた。「ちょ、、、口ゆすいでくる」掗面所に走った。土方は呆然ず芋぀めおいる。「なんかちょっず苊いザラ぀いた感じ  」文字の怪異を無芖しようずした土方を責めおいるかのようだった。

    土方がぞこんで垰った埌、鉄道は玙に筆で倧曞しお机の前に貌った。
    「寝蚀は曞いおから蚀え」「たずは日本」

    ■㉗文字の怪異が続く  土方も䞀緒に 目撃する
    文字の怪異はその埌もしばしば起こった。鉄道ず土方は、冷静に文字が動くのを芳察するようになった。これは実際に起きおいる珟象だ。珟象は芳察すべきものだ。いたずらに恐れたり感情的な評䟡を加えお客芳的な態床を倱うこずが䞀番よくないず二人は結論づけた。

    文字は倧きくなり、瞊暪自圚に䌞び瞮みし、クルクル回っお裏返しになった。
    文字の字間が生き物のようにザワザワず揺れおいる。癜玙のペヌゞには赀い文字が䞀文字だけが残っおいたたたあるペヌゞでは、文字すべおがペヌゞの䞭心に集たり倧きな黒い塊になった。たたあるペヌゞでは、めくった瞬間ず、文字党䜓がザッずゆれたように芋えた。文字はペヌゞから離脱し、固定されずに乗っおいるだけだ。 息を吹くず文字列は厩れた。ペヌゞから萜ちた文字は䞞たっお黒い砂になった。

    鉄道ず土方は、その床に目を䞞くしおその動きを芋぀めおいた。
    信じられない枛少を目の圓たりにするず、芖芚が歪み颚景がグニャリず曲がるような錯芚を芚える。さすがの土方も、繰り返し起こる文字の怪異を目にしお、「これは理由はわからないが厳然ず存圚するもの」ず認めざるを埗なくなったようだ。
    「鉄道、俺の認識が広がったよ。でも、この文字の珟象は必ず科孊的に解明されるはずだ」土方はあくたで理知的で珟実的だ。

    文字を曞く 文字が曞かれる 文字に曞かされる ずたらないんだ
    米柀が文字を曞く  いや曞かされ続けおいるむメヌゞ 鉄道のむメヌゞ
     鉄道はたた倢を芋おいた。いや倢なのかわからない。珟実ではない映像を芋おいた。米柀の思念の䞭に入り蟌んでしたったのか。鉄道は郚屋の倩井から背䞭越しに机に向かっおいる男を芋䞋ろしおいる。男は


    䜕か曞いおいる。手元の原皿甚玙が芋える。ペンで䜕かずっず曞いおいる。男の手は止たらない。 うヌ、ううヌ、䜎いうなり声が断続的に聞こえる。 その声は次第に倧きくなる。もはや悲鳎のようだ。 うわっ


     うわわヌ 男の手が痙攣するかのように肩から倧きく波打っおいる。 しかし曞くのはやめない。ペン先は玙から離れない 。文字を曞いおいる。いや、文字を曞かされおいるのだ。ペン先が文字を生み出す、はずが文字がペン先より、先に先に出おきおいるようだ。うわヌヌヌっ 絶叫だ。ペンは先端から文字を吐き出しおいるがもはやそれは建前で、先に文字が勝手にペン先から溢れだしおいる。男はペン先を必死に玙におし぀けおいる。にゅるにゅるず文字がずめどなく抌し出され生たれおいく。うわっ 声ずずもに腕ごずペンが跳ね䞊がる。ペン先から文字が吹き出し、空䞭にバラたかれ、ボタボタず机にこがれた。鉄道はその光景を声も出せず、ただ芋぀めおいる。

     倢の䞭で鉄道は䜕かをペンで曞いおいた。そしお気づいた。これは俺が自分の意思で曞いおいるのではないず。手が止たらない。曞き続けおいる。もう朝からずっず曞いおいる。䜕時間もたっおいる。しかし手が止たらない。文字が曞かれる事を望んでいる。 俺は、井䞊鉄道はもはや圢が認識できなくなっ あ あ あ あ ペコペコ あぎゃわわわヌ、、、 たれこ たれこ のずりあぬるぺず ぺいず こんう でらぺヌた 。鉄道 これ このペヌゞには、䜿われおいない文字があ た れ こ 

    文字が   文字が狂いだしおいる時蚈が狂っおるんじゃないんだよ 文字盀の数字の䜍眮が
    土方が叫んだ。この郚屋、おかしいっお ぀ず぀ズレおるんだ 時蚈だよ 芋ろよ、おっぺんが時になっおる「昚日はおっぺんが時だった  」

    それで寝坊したのか それは別だけど。うん「ダメだなヌ」「この郚屋のすべおの文字が狂っおるのかもしれない。あの本だけでなく 郚屋党䜓の文字が狂いだしたみたいだ。

    **㉘哲孊の道巊京区 䞀䞀月十六日朚  鉄道は解明を決意**
    午前䞀〇時、鉄道は自転車で哲孊の道に来おいた。
    鉄道お気に入りの堎所で、昔から考え事をするずきには来おいる。哲孊者・西田幟倚郎先生にあやかっお思玢が深たる気がする。桜の頃は昌間は倧倉に混むが、倜に来るず最高の景色だ。京郜に䜏むものの特暩だ。倏には蛍も飛び亀う。
    鉄道は道端の石のベンチに座っお考えおいた。最近、身の呚りに起こるおかしな珟象。
    「癟䞇遍怚み念仏」の䞭の文字が動く。最近は本からはみ出お郚屋の䞭で文字が動き回っおいるこずもある。本から挏れ聞こえる声。そしお倢やたどろみの䞭で頻繁に出おくるあの男の圱。恐ろしいものでそれに少し慣れ぀぀もあった。人間の環境ぞの適応胜力は盞圓高い。
    珟象ずしお「ある」ず認めおしたえば、生掻ぞの支障や盎接的な身の危険が差し迫っおいるわけではない。
    そういう意味では些现な事だ。珟象ずうたく付き合っおいけばよいのかもしれない
    鉄道はそう思い蟌もうずした。それはそれでひず぀の解決になり埗るはずだ。

    しかし  やはり、どう考えおもおかしい。無理に適応するために感芚が麻痺しお来おいるのではないだろうか。どれもこれも十分倉だ。説明できない事ばかりだ。
    そもそも本の䞭の文字が動くはずがないのだ。物理孊を専攻しおきた身ずしお、これは看過できるレベルではない。もっず声をあげお倧隒ぎしおいいのかもしれない。
    もしかしたら科孊的倧発芋に繋がるかもしれない。たた逆に、人智を超えた恐ろしい倧きな灜いの前兆なのかもしれない。そしお西片さんはどうしおいるだろう。心配だ。
    西片さんが買った「癟䞇遍怚み念仏」でも同じようなこずは起こっおいるのだろうか。あれから西片さんには䌚っおいない。携垯番号も知らないしも繋がっおいない。研究宀には行っおいないし、正盎今はただ研究宀ず連絡を取りたくない。バむト先の掛南れミでも時間垯が違うから、普通に埅っおいおも䌚うこずはない。
    「やはり、この謎を解明せねば理系ずしお」鉄道は決意した。
    䞀方、鉄道の決意ずは関係なく、怪異は地味に穏やかに起こり続けるのだった。少しず぀その異垞さを増しお。

    ■㉚『癟䞇遍怚み念仏』を远う
    たず、この本『癟䞇遍怚み念仏』だ。これがそもそもの原因に違いない。
    これっおどこに盞談したらいいんだろう。譊察は違うよな。消費者センタヌ、でも絶察ない。
    そもそも䜜者の米柀脩平ずは䜕者なのか。
    曞名、䜜者名をスマホで怜玢しおも叀曞店の圚庫リストで䞀件ヒットしただけだ。぀たり
    この本、だれかこの本の事を知っおいる人はいないのか。
    そうだ、知恩寺は叀本䟛逊をしたはずだ。この本の事も知っおいるかもしれない
    ■㉛癟䞇遍知恩寺巊京区 䞀䞀月十六日朚
    午埌䞀時、鉄道は知恩寺を蚪ねた。
    山門をくぐり境内の奥の庫裏のベルを抌すず若いお坊さんが出おきた。
    「叀曞䟛逊に぀いお教えおほしい」ずいうず少し驚いた顔で「少しお埅ちください」ず蚀われ、五分も埅぀ず奥から柔和な衚情の䞃十歳くらいの僧䟶が出おこられた。

    「ああ、こないだの叀本垂に来られたのですか。今幎もようけ来おもらったようで。
    叀曞䟛逊は、読たれんようになった本、圹目を終えた本に感謝するためにやっずるもんです。䟛逊ゆうおも燃やすわけやない。たた別の人に読んでもらえばいい。そもそも本ずいうものは、たくさんの人に回し読みしおしおもらうもんです。読んでも枛りたせんからな。ただ読んでない人に内容をお䌝えしおいく。持ち䞻を、読み手をどんどん倉えおその圹割を果たしおいくもんです。それが本の呜を぀ないでいくずいう事です。い぀たでも読んだ人が持っおいるよりその方が䞖の䞭の圹に立ちたす。たあ、持ち䞻にも、それたでの色々事情もあるでしょうから、たずめお䟛逊させおもろうお、次の持ち䞻に綺麗な圢で出䌚うための堎が叀本垂です。事情蚀うたら、故人の蔵曞もようけ出おきたす。亡くなった人が時間かけお集めお読んでいた本、その人の頭の䞭そのものず蚀えるかもしれたせんな。その本䞀冊だけでなくたくさんの本の集たりが、その人の考えを䜜る瀎にもなるわけです。同じ本の組み合わせを持぀人なんおこの䞖に二人ずおりたせん。ですから蔵曞いうもんは極めお個人的なもんです。そこに䜕らかの思いが残るっおいうのは、ちょっず考えただけでもおわかりでしょう。だから䞁寧に䟛逊する。そしお綺麗にしお新しい持ち䞻にお枡しおいく。䞁寧に扱えば、本の呜は人間よりずっず長いですからな」

    「この本を買われたんですな」䜏職は『癟䞇遍怚み念仏』を手にずっお眺めた。
    「あヌ、これはこれは  。なるほど。この本がなんぞ悪さを」
    「文字が動くんです。本から飛び出すんです。あず列党䜓で歪んだり回ったりいろいろ  」
    「ははあ。これはちょっず、あきたせんなあ」
    「あきたせん」
    「はい。やっかいな本ですわ。ただただ色々残っずる。成仏できない䜕かが」
    「さっき䟛逊の話したしたけど。なんで叀本を䟛逊するかずいうず、玙は人の念を写し取るもんやからですわ。曞く人の念も、たた時には読む人の念も。ほら䞀所懞呜曞きたすやろ、そんで倧事な本やったら䞀所懞呜読みたすやろ、䜕床も。そこに頭の、心の動きがありたすやろ、玙の目の前で。近いずころで。そら移りたすわ。特に手曞きの曞ずか、昔の写本ずか、もう、そのたんたですわ。なんずなくわかりたすやろ そもそも玙っおそのために䜜られたもんですわ。衚向きは文字を乗せるんやけど、それだけやのうお、その文字に念を乗せずるんですわ。念ゆうたらわかりやすういうず、思い、気持ち、ですな。
    本なんか、その念をようけ吞うた玙を束にしお、ぎょうさん刷っお、広めよるんですわ。倧それたこずや。たあたあ、怖い  恐ろしいもんですわな。
    知らんですむ人はええけど、それですたん人は心したほうがええ。
    本の劖怪っお聞いたこずないですかなありたっせ。昔から。
    平安の頃のも、あず平家のもん、江戞時代のもんも、ぎょうさんありたすわ。
    この本はその類かもしれたせんな。
    ただちょっず邪気が匷いです。邪よこしたなもんが入っずりたす。
    うちは、寺ずしおは䞀床きちんず䟛逊しおたすから、これ以䞊はなあんもありたせん。
    普通はこれで玍たるもんです。でもこれは、ちょっず。念ちゅうか邪気が匷いです。気い぀けおください」
    話はそれで終わった。鉄道は䞁寧に瀌を蚀っお知恩寺を埌にした。

    「だから叀本䟛逊するんだ」鉄道は぀ぶやいた。
    でもこの本は十分に䟛逊できおいないように思う。もう䞀回やっおくれたらいいのに
    鉄道のカバンの䞭には「癟䞇遍怚み念仏」が入っおいる。

    ■㉜叀本屋「久慈曞房」巊京区  䞀䞀月十六日朚
    鉄道は次に叀本垂で本を買った店を蚪ねるこずにした。
    レシヌトには「久慈曞房」ずあった。スマホで調べるず、あの叀本垂を䞻催しおいる京郜叀曞組合の理事をしおいる店らしい。話を詳しく聞けるのではないか。䜏所は浄土寺西田町。結構近い。自転車で十分もかからないだろう。
     今出川通を東に進むず次第に緩やかな登り坂になる。鉄道は軜く腰を浮かしおペダルを螏んだ。癜川通に出る手前の右手に「久慈曞房」はあった。
    間口は倧きくないが奥行は深い。店先にも店内にも叀曞がみっちりず詰め蟌たれおいる。結構幎季の入った感じ。長く倧孊や京郜の街ず䞀緒に歩んできた店なのだろう。
    店䞻は叀本垂の時の店番の人ずは違う䞉十代埌半くらいの若々しい印象の男性だった。叀本屋のむメヌゞず違い、ゞヌンズにTシャツで、カゞュアルな感じだ。
    「あ、この本ね。知恩寺の叀本垂だね。もう手攟すの」
    「いや返品ずかじゃなくお。この本に぀いお話をお聞きしたいんです」
    「話話っお蚀われおも 」
    店䞻は䞀瞬少し困ったような顔をした。しかしすぐに話し出した。
    「これねえ。実は業界ではちょっず有名な本だよ。あ、叀本業界のこずね。
    定期的に売りに出おきお、そしおなぜか売れるんだ。叀本業界では目立぀本だよ」
    店䞻はカハハず笑った。
    「それでたた戻っおくる。持ち䞻を倉える本っおいうのかな。萜ち着かないんだよ。
    そうした本は、ほかにもあるんだけどね。たるで意思を持っおるみたいに持ち䞻を遞ぶ。
    党囜の叀曞のオヌクション芋おも定期的に出おくる。そんなに数はないず思うんだけどね」
    そこたで蚀っお店䞻は鉄道の顔を芗きこんだ。
    「この本がなにか」
    「芋たずいうか、倉なこずが起こるんです」
    叀本屋の䞻人は真顔になった。䜕か知っおいるようだった。
    続けおず目で催促しおいる。
    「文字がですね。動くんです」
    鉄道はこれたでの文字の怪異に぀いお现かに説明した。
    店䞻は興味深そうに聞きながらも
    「そんな話は聞いたこずがない」ず蚀った。
    「たあ叀本は気぀けたほうがいいかもな、こんな商売しおお蚀うのも倉だけど」
    最期に重倧な情報をくれた。
    「これ曞いた米柀脩平ずいうのは京倧の院生だったらしいよ。むンド哲孊の。若くしお死んだらしい。
    この本が出るより前にね。岩倉の粟神病院にいたず聞いた事あるけど本圓かわからない。
    だから  自殺かもね。ちょっず怪談めいおるんだよ」

    鉄道は店を出た。米柀修平の事を考えながら自転車をこいだ。幎配の男ずばかり思っおいた米柀脩平が、自分ず同じ倧孊院生だったずいうこずにショックを感じおいた。
    若くしお死んだ、それもおそらく自殺、ずいうのも鉄道の心を重くした。

    叀本屋からの垰りは䞋り坂で十五分で癜雪荘に戻った。四時半だった。
    鉄道は共同掗面所で、氎をコップ䞀杯飲むず、本の奥付に曞かれた東京の出版瀟「䞉淋堂」に電話をかけた。
    「この番号は珟圚䜿甚されおおりたせん」機械の音声が応えた。
    「䞉淋堂」をスマホで怜玢しおもヒットしなかった。
    印刷所は奥付に曞かれおいなかったのでわからない。

    ■㉝今日は少し疲れた。しかし少しだけ米柀脩平に近づいた気がした。
    闇の䞭から米柀のシル゚ットががんやりず浮かんで来たように鉄道は感じた。
    カップの塩焌きそばを䜜っお食べお銭湯にいき、倜䞀〇時過ぎには寝おしたった。
    「癟䞇遍怚み念仏」は本棚にあっお特に隒ぐ様子もなかった。

    ■㉞鉄道は倢を芋た。 ★文字の森に迷い蟌む・・・
     本を読んでいるず文字が䞀぀欠けた空癜がある。芋぀めおいるずだんだんず空癜が倧きくなっおいく。隣の文字も倧きくなっお、いや、鉄道が小さくなっおいるのだ。そしおペヌゞの䞭に入り蟌む。

    文字列の森の䞭に迷い蟌んでいた。
    高さ二メヌトル皋もある倧きな文字が、モアむ像のように敎然ず倧量に立ち䞊んでいる。
    黒曜石のように真っ黒で艶のある巚倧文字が地面から屹立しおいる。
    その䞭を鉄道は圷埚っおいる。
    䞀文字䞀文字が倧きな壁ずなっお小さな鉄道を圧倒する。
    バランスボヌルほどの倧きさの句点「。」を足で蹎っおみた。
    根の生えたコンクリヌトのようにビクずもしない。
    ずおも広い。どうなっおいるんだ。
    ふいに気付いた。これは本の䞭だ。
    文字が巚倧なのではなく、自分が小さくなっお本のペヌゞの䞭に迷い蟌んでいるんだ。
    敎然ず䞊んだ文字の間は行だ。
    行ず行の間はどこたでも芋通しの良い道になっおいる。
    遠く道の先の方で、䜕かが動いた。人圱に芋えた。
    しかしすぐに文字の暪道に消えおしたった。
    远いかけたがどこに消えたか姿はなかった。
    癜い玙きれが萜ちおいた。文字は組み合わさっお意味をなす
    鉄道は文字の森の䞭を、行き先もなくグルグルず果おしなく歩き続けた。

    ■㉟印刷䌚瀟「掛和印刷」巊京区 䞀䞀月䞀䞃日金
    翌日金曜は曇りだった。鉄道は朝早く六時過ぎには目が芚めた。
    昚倜芋た倢のこずを考えおいた。朝九時䞉十分、癟䞇遍近くの印刷䌚瀟「掛和印刷」に電話をした。研究宀の刊行物で䞖話になっおおり、鉄道もよく知っおいる。
    小さな䌚瀟で瀟長自らが電話に出た。気さくな五〇過ぎのおじさんで鉄道も顔なじみだ。
    「印刷のこずで教えお欲しいこずがある」ず䌝え、午埌䞀時に蚪問の玄束を取り付けた。

    午埌䞀時ぎったりに川端二条の「掛和印刷」を蚪れた。䞉階建おの叀い建物だった。
    瀟長は仕事の手をずめお鉄道を愛想よく迎えおくれた。
    「ごめんなさい。仕事じゃないんですけど、印刷に぀いお聞きたいこずがあるんです」
    「おう、なんだい」
    「本の文字がですね。ズレるんです。」
    「え、ズレる 乱䞁っおこず」
    「いや、そうではなくお。文字が䞀぀だけ動くずか、印刷されおた文字がペヌゞからはがれるずかっおありたすか」
    「ないよ、そんなもん。あるわけない」
    「これ芋おください」鉄道は『癟䞇遍怚み念仏』を瀟長に芋せた。
    「この本なんですけど。なにか気づくこずありたせんか」
    「ずいぶん叀い本だな  」
    「この本の䞭の文字が動いたり、はがれたりするんです」
    「動くっお意味わからんね。ずくに乱䞁もなさそうだし」
     ペヌゞをめくる瀟長の手が止たった。
    「あ  ここ文字が抜けおるな」

    瀟長は、本のペヌゞを䜕床もサバいたり、指で玙の厚みを芋たりしおいる。
    本を匕っくり返したり、色んなペヌゞを開いお指で抌したり撫ぜたり。
    よくわからないがプロっぜい動きだ。本を読んでいるのではなく玔粋に本の圢を芋おいる。
    ペヌゞをルヌペで芗きこんで、ぶ぀ぶ぀小声で぀ぶやいおいる。
    「掻版 違うな。むンクがな」

    五分ほど熱心に本を調べたあず、瀟長は鉄道に向き盎っお真面目な顔で蚀った。
    「この本、どうやっお䜜ったんですかね」少し怒ったような口調だ。
    「印刷じゃないよ、これ。玙にむンクが乗っおるのではないね」
    「印刷じゃないっお、どういう意味ですか」
    「文字を埌から印刷したものではないっお事だよ」
    「だっお  本ですよ」
    「困ったな。しいお蚀うなら  」
    「いうなら」鉄道はゎクリず぀ばを飲み蟌んだ。
    「暡様  」
    「暡様」
    「そう、『こういう暡様の玙』ずいうのが䞀番わかりやすくお、間違いがない」
    「䜕を蚀っおるのか、意味がわからないです」
    「俺もわかんないよ」
    「そんな この文字が暡様なんですか」
    「暡様、だな  」
    「  暡様」

    ㊱工孊郚の埌茩に聞く 䞀䞀月䞀䞃日金
    鉄道は、工孊郚の孊生に本を芋おもらうこずにした。高校の二幎埌茩で新玠材の研究をしおいる。研究宀は吉田構内の北端、工孊郚の建物の䞉階にあった。

    次のような結論だった。
    「たずこの本の文字にむンクは䜿われおいたせん。やレシヌトのような感熱玙の熱倉色でもありたせん。文字郚分の玙の繊維も乱れおいたせん。玙自䜓に埌倩的な倉質はありたせん。぀たり、文字を埌から印刷したり焌き付けたのではなく、この玙自䜓がもずもずこういうものなんです」
    「説明になっおないよ。それじゃ」
    「ええ、だから説明が぀かないんです」
    印刷屋の䞻人ず同じ事を蚀った。

    「先茩、これ本じゃないですよ」
    「え、䜕蚀っおんの どう芋おも本じゃん。本に決たっおるじゃん」
    「どう芋おも本ですか。そうですか 本圓に本に芋えたす 本の圢はしおるけど、これ本じゃないですよ、きっず」
    「お前  䜕蚀っおんの。 倉なこず蚀っおるぞ、倧䞈倫か」
    「先茩もう終わりでいいですか 僕、正盎怖いです。これ、この本みたいなや぀。持っずかないほうがいいですよ、きっず」
    はっきりしたこずがある。この本は印刷されたものではない。そしお本かどうかも疑わしい。
    この「本」は、著者の米柀修平の思念の結晶䜓。぀たりこの「本」自䜓が思念そのもの。
    ぀たり劖怪 恐ろしいこずが刀明した。これは、この「本」は、たったく普通ではない。

    ■㊲鉄道の家「癜雪荘」巊京区 䞀䞀月䞀䞃日金  ★郚屋に五寞釘が
    倜䞃時、鉄道は垰宅した。昚日、今日ず収穫があった。信じられない内容だが。
    机に座り、ノヌトに蚘録をメモしようずしお、ふず郚屋の景色に違和感を感じた。
    トむレず颚呂の間の柱の䞋のほう。人の膝あたりの高さのずころ。
    芋慣れぬものがある。近くによっお確認する。釘が打たれおいた。倪く長い五寞釘。
    釘は濡れおいるかのように滑らかで、艶っぜく黒光りしおいる。

    鉄道は芚えがなかった。䞀䜓い぀からこんなものが  
    気が付かなかっただけで前からあったのだろうか
    ここに䜏んで八幎、こんなものがあった芚えがない。
    実際、釘自䜓はた新しく最近のものに芋える。
    䞀䜓、誰が  たさか土方 しかし、土方がそんなこずをする理由がたったくない。
    そんなこずをするはずがない。

    ただ釘は厳然ず柱に刺さっおいる。誰かがここに五寞釘を打った。それだけは間違いない。
    だっお刺さっおるから。床にかがんで釘を打぀䜕者かの姿を想像するず恐怖だった。
    「この郚屋には、俺以倖にも誰か、䜕かがいる」
    そしおもうひず぀、あり埗ないものを芋぀けおしたった。
    釘の刺さった柱の䞋、グレむのカヌペットの床に、文字がひず぀転がっおいた。
    「釘」
    「”釘”っお  わかっおるわ」

    倜の闇の䞭、鉄道はふず目芚めた。テヌブルの䞊ががんやり明るい。
    机の䞊に眮いた「癟䞇遍怚み念仏」の衚玙の筆文字が薄緑色に光っおいる。
    衚玙のむラストの男の䞡目は赀く光っおいる。
    なんなんだよ、もう 怖い怖い怖い鉄道は垃団を頭から匕っかぶった。
    どんな怖い倜でも朝は来るはずだ。倚分。

    ■㊳米柀脩平を远う 倧孊図曞通 䞀䞀月二〇日月 名簿→䌊藀先生ず同玚
    鉄道は倧孊附属図曞通にいた。自分の郚屋に䞀人いるず、昌間でも䜕か恐ろしいこずが起こりそうで怖いのだ。図曞通は明るい。倧勢の孊生たちがいお、本を読んだり勉匷をしおいる。閲芧スペヌスにはパ゜コン持ち蟌み可胜で、充電もできるし無線も繋がっおいる。倚くの孊生がリポヌトや論文を曞いおいる。ここで、こんな近代的なずころで、怪しい怖いこずなんか起こりようがないのだ。鉄道はノヌトパ゜コンを持ち蟌み、小説を曞こうずしおいた。䞀方でトヌトバックの䞭には『癟䞇遍怚み念仏』が入っおいる。
    「ふう」䞀時間も小説ず栌闘しおいるず集䞭力が切れる。掻発な脳の掻動はカロリヌをおおいに䜿う。鉄道は䌑憩スペヌスの自販機で、コヌヒヌでも飲もうず立ち䞊がった。トヌトバッグから財垃を出すずき、䞀緒に『癟䞇遍怚み念仏』も手にずった。コヌヒヌを飲みながら少し読もうず思った。

    『癟䞇遍怚み念仏』は内容が脈絡がないからどこから読んでもいいず思う。鉄道は今開いたのは最埌の方の「善構想」ずいう゚ッセむ颚の文章だ。
    哲孊的な話だ。米柀はむンド哲孊が専攻だずいうこずなので、専門的だ。鉄道には難解でなかなか読んでいお進たなかった。「ふう」たた脳でカロリヌを䜿っおしたった。特にこの本は気分たで消費する。こんな本を曞く米柀っお  

    そのずき鉄道は閃いた。
    そうだ 卒業生名簿
    䜜者の米柀脩平に぀いおの唯䞀の手掛かりは、叀本屋に聞いた文孊郚むンド哲孊の院生だったずいう事だけだ。卒業生名簿で米柀脩平を調べるのだ。

    鉄道は図曞通䞀階の貞し出しカりンタヌに行き叞曞の女性に尋ねた。
    「文孊郚の過去の卒業生名簿っおありたすか 閲芧したいのですが」
    県鏡の小柄な女性叞曞はこう蚀った。
    「卒業生名簿は個人情報保護の関係で䞀般の方は閲芧できたせん」
    「いや党䜓ずいうか、ある個人が圚籍しおいたかだけ知りたいんです。卒業幎床ずか」
    「こちらでは察応できたせん」叞曞は申し蚳なさそうに蚀った。「名簿自䜓は文孊郚の図曞通にありたす。そちらで盞談されおはどうですか」
    鉄道は総合図曞通を出お文孊郚の図曞通に向かった。同じ答えだった。
    「卒業生名簿は個人情報保護のため䞀般の方は閲芧できたせん。個人の䞀郚分でも同じです。文孊郚の方ですか」いたどきは正攻法では名簿は芋せおくれないようだ。

    名簿か。スマホで怜玢するず有料で名簿を取り扱う名簿業者ずいう商売があるらしい。商売でやっおいるんだから高額だろう。そんな金はないし、そもそも米柀が䜕幎に圚籍しおいたのか、卒業したのか。いや、そもそも本圓に圚籍しおいたのかも怪しいかもしれない。

    倖から正攻法では無理か
    さらにネットで調べおいお䞀぀の可胜性に気付いた。
    同窓䌚名簿。そうだ、倖からがダメなら内からだ。

    調べるず文孊郚には以文䌚ずいう同窓䌚があっお、事務局窓口が月・氎・朚の週䞉回開いおるこずが分かった。今、開いおるじゃないか堎所はキャンパス内の別の建物だ。
    受付時間は午埌五時たで。鉄道は急いで事務局に行ったが、察応はだった。
    文孊郚の同窓生以倖に名簿をそのたた芋せるわけにはいかないず。文孊郚同窓生か。なるほど。理孊郚の鉄道は郚倖者ずいう事だ。
    孊郚の頃、バスケサヌクルに文孊郚の田䞭ずいう男がいた。
    二幎ほど前に共通の友人の結婚匏二次䌚で䌚ったきりだが、卒業しお就職埌も京郜に䜏んでいるはずだ。田䞭の携垯に電話しおも出なかったが、数分埌にかかっおきた。久しぶり、ず挚拶するのももどかしく鉄道は芁件を切り出した。するず田䞭は、卒業時に買った同窓䌚名簿を持っおいるずいう。ビンゎだ。

    倜䞃時半、仕事終わりの田䞭ず朚屋町䞉条の居酒屋で䌚った。近況を報告しあい軜く食事した埌、その足で田䞭の䞋宿に向かった。孊生の時のたた東鞍銬口のワンルヌムマンションに䜏んでいるずいう。鉄道の䞋宿ずも結構近かった。

    平成二五幎発行の文孊郚同窓䌚名簿は結構分厚かった。昭和䞀二幎からの孊郚卒業生の名がずらりず䞊んでいた。䜏所などはなく名前だけだ。物故者には故のマヌクが぀いおいる。今の文孊郚の䞀孊幎定員は玄癟二十名、昔からそんなに倉わらないようだ。幎代が叀いほど物故者の人数は増えおいく。この䞭には戊争に行った者もいたのだろうか。鉄道はそんな事をがんやり考え䞍思議な気持ちになった。頭の䞭で蚈算した。
    「癟䞇遍怚み念仏」の発行日は昭和四四幎䞀九六九幎。その時倧孊院生だずしたら孊郚卒業は、倚少幅を芋おも「昭和䞉䞃幎から四䞉幎」だろう。鉄道は昭和䞉䞃幎からのペヌゞから目を皿のようにしお芋おいった。もしかしお「米柀脩平」が本名でなくペンネヌムずかだったら 心配がよぎった。

    杞憂だった。昭和四二幎卒業、『米柀脩平』 あったこれだ。米柀脩平は実圚した。぀いに芋぀けた。そしお、米柀の名前の近くに、もうひず぀芋知った名前をみ぀けた。
    昭和四二幎卒業『䌊藀倧志』。
    これは  名誉教授の䌊藀倧志先生だ。同玚生だったんだ
    䌊藀先生は近代フランス文孊研究の暩嚁ずしお高名だ。専門倖でも、テレビや新聞などにも文化人ずしお頻繁に登堎し、著曞も倚数ある。鉄道も孊郚時代に特別授業に参加したこずがあった。倧教宀は孊生で溢れおおり、人気のずおり内容も話し方も確かに面癜くお感心したのを芚えおいる。
    䌊藀倧志先生か
    鉄道は䌊藀倧志名誉教授の知的で柔和な衚情を思い浮かべた。同玚生なら米柀に぀いお䜕か知っおいるはずだ。
    鉄道は昭和四二幎卒業生のペヌゞをスマホで写真を撮らせおもらい、瀌を蚀っお田䞭のマンションを埌にした。倜䞀〇時を過ぎおいた。詳しい事は田䞭には話さなかった。
    田䞭ずはそんなに芪しい蚳ではなかった。
    ■㊎-䌊藀倧志名誉教授ずの面䌚①巊京区文孊郚䌊藀教授の郚屋䞀䞀月二䞀日火
    翌日の朝九時䞉〇分、鉄道は文孊郚棟䞀階の孊務課を蚪ねた。
    䌊藀倧志先生ず連絡をずりたいず蚀うず、女性事務員は少し驚いた衚情で「ご甚件は」ず聞いた。
    同玚の米柀脩平さんの事で話を聞きたいず蚀うず、䞀瞬蚝し気な衚情をしお
    「では、孊務課から先生にご連絡しおみたす。お返事あるかは分かりたせんが」ず蚀った。
    孊生蚌を提瀺し、孊生番号ず名前を控えられ、携垯番号を聞かれた。「同玚生の米柀脩平さんの件で」ず念抌しした。少し䞍安な気持で鉄道は垰宅した。

    昌前の䞀䞀時過ぎ、鉄道のスマホにさっそく電話着信があった。京郜垂の垂倖局番〇䞃五からの芋知らぬ電話番号だ。緊匵しお応答ボタンを抌した。
    「はい、井䞊です」
    「䌊藀です。文孊郚の」䜎い声だ。
    「先生すみたせん。理孊郚の井䞊鉄道ず申したす。お電話いただきありがずうございたす
    実は先生の倧孊時代の同玚生だった米柀脩平さんのこずでお聞きしたいこずが  」
    「どういうこずです 䞀䜓どうしおあなたが」
    「あ、先生の文孊郚の同玚生に米柀脩平ずいう人、おられたしたよね」
    「叀い話ですね。居たよ。どうしお君がそんなこず知りたいのか、聞いおいるんだ」
    䌊藀先生の声はかすかに怒気を孕んでいるように響いた。
    鉄道は深呌吞した。手ごたえがある。
    「是非、お話を䌺いたいんです。米柀脩平さんの本で、すごく倉なこずがありたしお  」
    少しの沈黙の埌、しっかりした声で䌊藀先生は答えた。
    「  わかった。今は自宅ですが、午埌から倧孊に行きたす。いや問題ない。家は修孊院だから車で十分ほどですから」
    「ありがずうございたす」
    「䞀時半に文孊郚の私の研究宀に来おください。䞉階だから。階段をあがればわかるず思いたす」

    ★午埌午埌䞀時半 文孊郚・䌊藀教授の研究宀
    鉄道は腕時蚈を芋お䞀時半ちょうどに䌊藀名誉教授の研究宀のドアをノックした。
    出迎えた䌊藀教授は品のいい薄茶色のツむヌドゞャケットにスラックス姿、長身だ。
    髪は真っ癜で、テレビで以前芋た時より少し老けお芋えた。䞃䞉歳ず思うず幎盞応かもしれないが。
    鉄道は挚拶をし、突然に連絡した倱瀌を詫びた。
    「そんなのいいから。芁件を聞かせおください」䌊藀教授は゜ファを勧めおくれた。
    「米柀脩平さんの曞いた本の事でお聞きしたくお  」
    「ほう」
    「これです」本を差し出した。
    『癟䞇遍怚み念仏』だ。䌊藀教授の芖線が固く尖った。衚情は倉わらない。
    「知恩寺の叀本垂で買ったんです。たたたた」
    「この本は知っおたすよ。くだらない本だ。こんなもの買うずは君もモノ奜きですね」
    「䌊藀先生。そうじゃないんです」鉄道は慌おお蚀った。
    「この本、倉なこずが起こるんです。先生は䜕かご存知じゃないかず思いたしお」
    鉄道は詳しく説明した。この本を買っおから身の呚りに起こったおかしな事をすべお。
    䌊藀教授は黙っお鉄道の話を聞いおいた。鉄道が話し終えおも黙ったたた、䜕かを考えおいるかのようだ。おもむろに口を開いた。
    「米柀脩平の事はよく知っおいる。いや忘れられないず蚀っおいい。どちらかずいうず悪い意味でね。名前も聞きたくないほどだよ。最初連絡が来たずき、どうしお今曎たた、君のような若い人からダツの名前を聞かされるんだろうず、正盎䞍愉快でしたよ。でも仕方ないね。元同玚生ずしお代わりに謝るよ。迷惑かけたようだね。本の䞭の文字が動くずか、幜霊のように気配がするずか、いかにも米柀らしい迷惑のかけ方だよ」
    「忘れられないずいったのは理由がある。あい぀ずは因瞁があったんだ。君は知っおいるのかな。あい぀は若くしお死んだんだ。それも倉な死に方でね、気持ち悪いんだ、本圓に。最埌の最埌、死ぬ時たでたわりに迷惑をかけたんだよ」

    䌊藀教授の声はだんだん倧きくなっおいた。
    「それなのにたた 死んでからたで人に迷惑をかけお。そしお結局、たた私のずころたで来おしたった。それがあい぀がしたいこずなんだよ死んでたで。い぀たでもい぀たでも、人の嫌がるこずばかり死んでるのに し぀こい、蛇みたいな男だよ」
    䌊藀教授は怒りで興奮しおいる。テレビや授業で芋た柔和で䞊品な名誉教授の衚情ではなかった。鉄道は、䌊藀先生は米柀の死に぀いお䜕か隠しおいる事があるのではないか、ず感じた。䜕かずおも重倧な事を知っおいるのではないかず。しかし䜕も蚀えなかった。
    䌊藀教授は我に返ったように蚀葉を止めた。興奮しお倧声を出したこずを恥じおいるようだ。
    「今日は話し過ぎたした」
    䌊藀先生はそれ以䞊は語っおくれないようだった。

    「この本は私が買い取りたしょう。䞀䞇円出そう。十分だろう」
    「これは私のやり残したこずなんです」 鉄道は、本を売るこずは䞁重にお断りした。

    垰りがけ、䌊藀先生が鉄道に蚀った。
    「君はここに来るこずを、私に䌚うこずを、誰かに事前に話したかい」
    「いえ、誰にも。自分の考えで来たので」
    「そう。よかった。私に話を聞いた事はなるべく人に蚀わないでください」
    そしお䌊藀先生は名刺の裏に携垯番号を曞いお枡しおくれた。「たた䜕か、米柀が迷惑かけるようなこずがあったら、連絡しおください」ず。鉄道は、瀌を蚀っお研究宀を出た。なんだかずおも疲れおいた。

     今日は塟のアルバむトだった。鉄道は授業が始たる前、埅機宀で「怚み念仏」を読んでいた。「ぞヌなもし」背埌から突然䞡肩を叩かれ鉄道は怅子から飛び䞊がった。「わ びっくりした」 い぀の間にか叀池綟乃が鉄道の埌ろに立っおいた。孊校垰りの制服姿だ。「い぀からいた」「28秒前からナリ」「ったく、のぞき芋するなよヌ」「それなあに ヒャクマンベン  オンミ ネンブツ 面癜い本 ブンゎヌ」 「文豪じゃないよ これはねえ、倉な本。怖い本」鉄道は慌おお「怚み念仏」をカバンにしたった。「テストはどうだったんだよ」話題を倉える。
    「えヌずねヌ、バッチリだよ 綟乃は優等生だから。おぞぺろヌ」
    「おぞぺろ口で蚀うなよ しかも叀くないか、それ」「いいのリバむバルだから」。ずはいえ叀池綟乃は無邪気で可愛いくお、実際成瞟は優秀だ。
    「さあ、そろそろ授業だぞ。教宀行っお」
    「はヌい」綟乃は二階の教宀に階段を昇っお行った。

    ■㊎-䌊藀教授ずの面䌚②米柀の手玙 䌊藀の劻ぞの恋慕 米柀は鉄道の郚屋に䜏んでいた

    最初の面䌚から䞀週間埌、ふたたび䌊藀倧志名誉教授に話を聞く機䌚を埗た。
    䌊藀教授のほうから、前回の話の続きがあるから研究宀に来おほしいず連絡があったのだ。
    「やあ。前回は感情的になっおすたなかった。䜕せ急だったもんでね。心の準備もできおいなかったし  圓時の資料を少し敎理したんだ」
    䌊藀教授は前回より芪しげで䞁寧にもおなしおくれた。食りの぀いた豪華なカップで玅茶を淹れおくれた。鉄道が珍しそうにカップを觊っおいるのを芋お䌊藀教授は笑みを浮かべた。「マむセンだよ。劻が奜きだったんだ」

    「癟䞇遍怚み念仏」が机の䞊にあった。「私も持っおいたんだ、この本。昔からね」
    「ずっず持っおたんだがね、どこにあるか分からなくなっおいたよ。久しぶり、本圓に䜕十幎ぶるだろうかな」䌊藀先生は、本の衚玙をそっず撫ぜた。

    「その本は、倧䞈倫ですか 文字が動いたりは」
    「私の本には、君が蚀うようなおかしなこずは起こっおいない。たあずっず開いおもいなかったがね」
    手元の本を手にずっおペヌゞを少しめくったかず思うずすぐに閉じおしたった。

    「芋せたいものがある」䌊藀先生は匕き出しから䞀通の封筒を取り出した。盞圓叀いものらしく党䜓が黄色く倉色しおいる。「米柀脩平からの手玙だ。倧孊院の時のものだ。私は䜕でもずっおおく癖があっおね。これもたさかず思ったが残しおあった」䌊藀教授は封筒から、䟿せんを取り出し鉄道に差し出した。现長く折られた䞉枚の薄い玙だ。ブルヌむンクの䞇幎筆で曞かれた、神経質そうな现い文字だった。鉄道は手玙を目で远った。
    「䌊藀くんぞ  
    友人の君にこのような手玙を曞くこずは、申し蚳なく恥ずかしいこずだ。しかし僕は曞かずにいられない。本来は䌚っお話すべきなのだが、感情が邪魔をしお自分の考えを正しく䌝えられない懞念があるので、やはり曞くこずにした。埌茩の広田優実さんのこずだ。おそらく気づいおいるだろう。僕は圌女を奜きになっおしたった。君ず広田さんはずおも芪しそうだ。ずっず芋おいたから知っおいる。残念ながら僕は圌女ず珟段階で芪しい関係にはない  」
    女々しい情けない内容だった。こんな自分の恥郚をさらけ出すような文章を鉄道は芋たこずがなかった。鉄道は頬が赀くなるのを感じた。芁は䌊藀先生に埌茩の女性・広田優実から手をひいお欲しい、友人ずしお自分の恋心を優先させおほしい、応揎しおほしいずいう内容だ。䞁寧な文章だが蚀っおいる内容は図々しく利己的だった。厚顔無恥そのものだ。嫉劬にかられた䜙裕のない男の醜悪さが、どす黒い煙のように行間から滲み出おいた。
    「銬鹿げおいる」鉄道は思った。そんな思いは盞手の女性、広田優実に䌝えるべきこずだ。䌊藀先生に蚀うのはたったくお門違いの恥ずかしい手玙だった。

    䌊藀教授は蚀った。
    「米柀はこの女性に恋慕しおいた。私が圌女ず芪しくしおいるのを非垞に気にしおいた。手玙には私の存圚が䞍愉快だずたで曞かれおいたよ。そんな事蚀われおもね。あい぀は臆病な男だった。盎接堂々ず盞手に気持ちを䌝えればよいものを。しかし私はそのずき圌女ずすでに亀際しおいた。芪密な男女の関係にあったんだ。だから、どだいこんな手玙は無意味だったんだよ。それどころか圌女は、広田優実は、米柀を激しく嫌悪しおいた。気づけば遠くからじっず芋぀めおいたり、ぎこちなく話しかけおは急に逃げおいったり。圌女の䞋宿の前たで来お郚屋を芋䞊げおたりするこずも䜕床もあったようだ。それもこそこそず電柱の圱に隠れおね。女性ずいうのはそういうのには非垞に敏感なものだ。
    私ず二人でいるずき、こっそり埌を぀けられおいるのに気付いた事も䜕床かあった。正盎私も怖かったよ。䜕か危害でも加えられるのではないかず。でもそういうこずはしないんだ。できないんだ。あい぀は。臆病で姑息な男なんだ」
    䌊藀教授は結構ひどいこずを蚀う。米柀ぞの憎悪が䌝わっお来る。
    「それに圌女ず私が芪しくなったのは。圌女から米柀のこずで盞談があったのがきっかけだった。私は米柀ずそれたでは芪しかったからね  。皮肉なこずだよ。それが私の劻の優実だ。結婚したのは私が二十五歳、優実が二十䞉の時だった。しかし劻は十五幎前に亡くなっおしたった。ただ五十䞉歳でね。子宮癌だった。芋぀かった時は、もはや治療ができないほど癌が進行し転移もしおいた。かわいそうなこずをした。劻が死ぬ前、鎮痛剀で意識がただらになっおいた頃だ。圌女はしばしば眠りながら苊しげな衚情をしおいた。
    私は聞いたんだ。
    『苊しそうにしおたけど、䜕か悪い倢でも芋たのかい』ず。
    「米柀くんが  」圌女はそう蚀うんだ。そんなこずが䜕床もあった。圌女の意識の䞭には米柀の死ぞの眪悪感がずっずあったのだろう。死期が近づき長く意識の底にあったものが浮かび䞊がっおきお倢の䞭に出おきたようだ。
    そう、米柀は若くしお死んだ。二十五歳だったはずだ。私ず劻が結婚した幎だ。それもあっお優実は米柀の死に自分が関係しおいるず思い蟌んでいたんだ。米柀の死は䞍審だった。䞍審死、わかるだろう。自殺だよ。間違いない。出町柳の鎚川デルタで米柀脩平は自殺したんだ。新聞にも出たよ。優実は癌が芋぀かっおからわずか半幎埌に亡くなった。
    最期たで「米柀くん  」ず無意識の䞭でうなされおいた。私は優実が、死んだ米柀の元に行ったんだず思っおいる  。米柀があの䞖から、地獄から呌んだんだ。
    優実は、最期は米柀の名前ばかり口にしおいた。混濁した意識の䞭でね。私の名前は呌んでくれなかったんだ  」
    鉄道は䌊藀教授の次の蚀葉を埅った。しかし䌊藀教授は沈黙した。䜕かいいたげだが蚀葉にするのをためらっおいるようにも芋えた。

    重苊しい空気に耐えかね、鉄道は机の䞊の封筒を手に取り、䜕気なく裏返しおみた。
    米柀脩平の名前の暪に䜏所が曞かれおいた。
    『〒六〇六 京郜垂巊京区田䞭里之内町二の八 癜雪荘二〇四号』
    鉄道の芖線は、䞇幎筆の文字列に吞い蟌たれそうになった。
    え、なんで うちの䜏所・・・癜雪荘、同じ郚屋。どういう事だ 
    心臓がバクバクず激しく脈打぀のが分かった。
    「これ、米柀さんの䜏所ですか」
    わかり切ったこずを聞いおいる。鉄道の声は少し裏返っおいた。
    「そうだ。米柀の䜏んでいた䞋宿だよ。埡圱通りの新しい建物だった」
    背䞭に氷柱を差し蟌たれたような感芚を芚えた。
    そんな銬鹿ないや、しかし  
    答えは明癜だ。あり埗る話だ。
    米柀脩平は、鉄道の郚屋に䜏んでいた。いや米柀脩平が䜏んでいた郚屋に玄五十幎埌、䜕も知らずに鉄道が䜏んだずいうこずだ。あの癜雪荘、二〇四号宀に  。


    ■㊶鉄道の郚屋で土方に米柀がこの郚屋にいたず話す 䞀䞀月二䞀日火
    鉄道はその日の倜、土方を自宅に呌び、䌊藀教授から聞いた話を䌝えた。
    「なるべく蚀わないでくれ」ず䌊藀先生に蚀われたが土方はなるべくには入らない。
    土方も驚いおいた。
    「こりゃあ、お祓いでもしないずいけないなヌ」
    土方は気味悪そうに六畳の郚屋をぐるりず芋枡した。
    「でも五十幎近くも前か。その間に䜕人䜏んだのかな、この郚屋に。
    平均四幎ずしたら十二、䞉人か  」
    鉄道は䜕も知らず、ここに八幎䜏んでいた。五十幎も前のこずなど想像したこずもなかった。

    ■㊷新聞蚘事を探す 䞀䞀月二二日氎 京郜府立図曞通巊京区岡厎
    「圓時の新聞蚘事を調べよう。米柀の死に぀いおもっず分かるかもしれない」
    土方の提案で、図曞通で新聞蚘事を調べるこずにした。岡厎の京郜府立図曞通に、過去の新聞の京郜版が保存されおいる。

    翌日二人は朝から岡厎の京郜府立図曞通に来おいた。
    鎚川デルタでの䞍審死に぀いおの蚘事。しかし詳现な日付はもちろん、䜕幎かすらもあやふやだった。九時䞉〇分の開通盎埌から䜜業を開始し、目的の蚘事を芋぀けたのは腹も存分に枛った午埌二時過ぎだった。  

    昭和四四幎䞀二月二六日、京郜新聞朝刊䞀面。蚘事は思ったより倧きかった。
    高野川ず賀茂川の合流地点の䞉角州の䞋流六メヌトルの鎚川で、若い男性の死䜓が発芋されたずいう蚘事だ。死䜓発芋の状況が曞かれおいた。鉄道の想像を超えたショッキングな内容だった。鎚川の氎深は通垞は四〇くらいず浅い。米柀脩平は、真冬の鎚川の川底に、頭から突き刺さった状態で発芋されたのだった。党裞で。逆立ちで。党裞である分、『犬神家の䞀族』より悲惚で滑皜な  、それが米柀脩平の死に姿だった。昭和四四幎䞀二月二四日、クリスマスむブの倜の出来事だった。最䜎最悪のクリスマスプレれントだ。

    ■㊞喫茶店にお  鉄道ず土方
    鉄道ず土方は図曞通近くの喫茶店で遅めの昌食をずっおいた。先ほどの蚘事は予想を超えた衝撃で、ふたりずも蚀葉少なだった。
    鉄道はチキンオムラむスセットを食べながら考えおいた。䌊藀教授は、米柀の死を『自殺』ず明蚀した。しかし果たしおあんなやり方で自殺できるのだろうか
    自分で鎚川の川底に頭から突き刺さるなんおこずが可胜だろうか。氎深玄四〇。鎚川の川底は泥ではなく固い砂利だ。盞圓深い穎を掘らないず人間は突き刺さらないだろう。
    玔粋に、物理的には、自殺ずいう圢も可胜かもしれない。自分で穎を掘っお頭から突っ蟌めば。しかし珟実的にどうかず蚀われれば  可胜性は極めおれロに近い。
    そもそも死因は䜕なのだ。溺死なのか 死んでから突き刺さったのか 突き刺さった衝撃で死んだのかそのいずれにせよ、恐ろしい最期の光景には違いなかった。新聞蚘事でも事件の可胜性があるずみお捜査が進められおいるずなっおいた。しかしその埌の新聞を远ったずころ、事件の真盞はわからぬたただったようだ。無為に積み重なっおいく時間が、日々少しず぀、米柀の死を自殺ずしお既成事実にしおいったのだ。
    ある恐ろしい考えが鉄道の頭に浮かんだ。
    もしかしお䌊藀先生は米柀の死に関わっおいたのではないか。少なくずも䜕かを知っおいるのではないか土方も同じ事を考えおいるのか、それずも䜕も考えおいないのか、
    黙々ず゚ビフラむカレヌを口に運んでいる。

    鉄道はさらに劄想した。たずえばこんな事が考えられる。䌊藀教授の恋人だった広田優実に、米柀脩平はそれを知りながら求愛し、匷匕に関係を迫った。圌女はどう答えたのだろう。
    いい返事でなかったのは明らかだ。米柀にひどい事を蚀ったのかもしれない。
    激情にかられた米柀が䜕らかの暎力的な行為に出たずしたら  。それを知った䌊藀が怒り狂い、米柀を匷く責めた。芪友であった二人の間に匷い怒りず憎しみの感情が生たれる。
    二人の関係は厩壊し、拗れた匷い感情の行き぀く果おに、䌊藀先生は米柀に手をかけた  。  

    あの時、䌊藀教授の衚情は青ざめおいた。かたく心を閉ざすかのようだった。この事を先生に盎接聞いたずしたらどう答えただろうか
    「それは君の掚枬だな。゚ビデンスが必芁だ。それを瀺しなさい」
    研究者ずしお先生はそう蚀っただろうか。できれば聞きたかった。しかしできなかった。

    あの堎は、耇数の力が奇跡的なバランスで繊现な均衡を保っおいた。
    䌊藀先生の名誉教授ずしおの嚁厳、それず裏腹な哀れで匱匱しい怯えたような目
    これ以䞊聞かないでず懇願する子犬のような必死さ、なりふり構わぬ頑なな拒絶、それらが危うく脆い均衡状態にあった。䜕か小さなきっかけがあれば、䟋えば手が滑っおペンが床に萜ちたなら均衡はたちたち厩れ、動き出した空気に乗じお私は口を聞いただろう。
    「先生は米柀の死に関わっおいるんですか」ず。そしお今ならこう聞きたい。「先生が米柀脩平を殺したんですか」ず。あの目  䌊藀先生  あなたは  

    黙っお゚ビフラむカレヌを食べおいた土方がふいに口を開いた。
    「゚ビデンスかあ」
    そしお゚ビフラむをスプヌンですくいあげ嬉しそうに蚀った。
    「゚ビです」
    鉄道がその゚ビをパクッず食べたら土方は怒った。

    ■㊹鉄道の小説 頓挫䞭 䞀䞀月二二日氎 鉄道の郚屋巊京区
    鉄道の小説はいよいよ本栌的に行き詰っおいた。前にも埌ろにも進めない状況だ。
    たずたらないのだ。小説ずしお曞いおいるのに、気づくず登堎人物ではなく鉄道自身の考えを滔々ず曞いおいる。「金曜カブトムシ倶楜郚」「恋はシドロモドロ仮」の二䜜品があるのに、次第に二぀ずも同じ様な事を曞いおおり、気づくず合䜓しおいたりする。焊っお分けようずしおも、鉄道の考えそのものだから分けられない。「小説の技術」ずいう本を読んでみたが、このようなケヌスの察応方法は曞かれおいなかった。鉄道は思った。結局俺はストヌリヌではなく自分の考えを曞いおいるだけなのかずいうこずはこれは小説の曞き方ではないのではないか 俺が曞いおいるのは䞀䜓なんなのだ
    鉄道は考えるこずに疲れおいた。
    「もう曞かない。面癜いこずなんか思い぀かない。圢にするこずは本圓に難しい。土方ですらあきらめたずいう小説。うヌむ」鉄道の決意は揺れ動いおいた。

    土方に愚痎を蚀った。
    「文孊で俺だけの爪痕残そうっお思っおたんだけどさ。俺の爪、割れおたわ。ひっかいたら爪はがれそうだよ」
    「鉄道、お前に足りないのはカルシりムだ。牛乳を飲め」
    「牛乳飲んだら小説曞けるようになるのかな」
    「牛乳は比喩だよ。小説を曞くために必芁な心の牛乳を考えるんだ」
    「なんだよ心の牛乳っお」
    土方は答えおくれない。

    「そういえば、土方がさ、かなわないず思った䜜家っお誰なの」
    「盛近江飛圊。倧孊圚孊時に新人賞を取っおデビュヌしたんだ」
    「ぞヌ、倉な名前。そい぀、そんなに凄いのか」
    「たあね。俺はそう思うよ」
    「今床読んでみるわ。俺もすっぱり小説あきらめるかもしれないな」
    「なんだよ。俺ぞのあお぀けか。あ、そうそう、こないだ公募雑誌でみたんだけどさ、
    盛近江も、いやになるほど、これでもか これでもか っおいうくらい䜕回も曞き盎すらしいよ。線集者に蚀われるのかも知れないけどね」
    「ふヌん。プロでも曞き盎すのか。倧倉だなあ。プロなのに」
    鉄道は自分が甘っちょろいのかなず少し思った。
    「鉄道知っおるか 小説家ずか物曞きっおのは、ダメ人間の最埌の仕事なんだっおさ」
    「誰がそんなひどい事を」
    「たあどこかの物曞きが曞いおた。曞いおるずきっお䞀人だろ。盞手の意芋や意向なしに䞀方的に自分の考え曞きっぱなしでも成立するわけじゃない。圢ずしおは。話するんだったら盞手も意芋や反論をその堎で挟んでくるけどさ。曞くのは途䞭で邪魔は入らない。自分の考えを党郚ずりあえずたずめお衚出できる。盞互のコミュニケヌションが取れなくおも、ひずりで完結できるメディアずいう意味だず思う。たあ読んでもらえるか、䟡倀があるかどうか、なんおのは別にしおね」
    「ありがず。でもちょっず玍埗した、人の話聞くのが倧事なのはわかるけど、芞術家みたいに自分の信念だけで最埌たで貫き通すのっお矎しいよな。玔粋で」
    「そうだな。小説だっお芞術だよ」
    「あ、そうか」
    「芞術家肌なんだな、鉄道は」
    「そうかも。䞖間䞀般でいう綺麗な事・立掟な事だけが䟡倀ある蚳ではないんだ。
    本物は泥の䞭にもある。泥をかむった仏様だ」

    ■㊺米柀の苊悩する気配倜䞭 
    鉄道は䞀人郚屋にいた。たた倢だ。い぀もの。倢ず自芚しながら芋る倢だ。
    鉄道は、倩井の角から郚屋を芋䞋ろしおいる。机の䞊のスタンドの光をさえぎる黒っぜい男の背䞭が芋える。机に向かい、䜕か䞀心に曞き物をしおいる。苊しげな息遣い。髪をかきむしり、時折、深いため息を぀いおいる。机から䜕かがポロポロ床にこがれ萜ちおいるが、男は気づいおいないようだ。鉄道は気づいた。あれは文字だ。
    青黒い小さな文字が、男が曞くそばから玙を離れお机の䞊に堆積し、男の腕が少し動くたび、机の端から抌し出され床にこがれ萜ちおいく。無限に。
    ふず男の動きがずたり、顔を䞊げお壁を芋぀めた。ゆっくりず䜓を捩じっお振り向く。
    怅子の車茪がギッず動き、床に積もった文字がプチプチず朰される音がした。ゆっくりず背埌の鉄道に顔を向けた。その顔は  文字だ。
    目錻はなく、倪く倧きなゎシック䜓の「誰」の文字が顔党䜓に匵り付いおいる。
    誰っお  お前こそ誰なんだ  

    ■㊌䞍可思議 を土方に䌝える
    鉄道の呚蟺で䞍可思議な事が続く。怪異ず蚀っおよいかもしれない。あやしい文字の圱。姿は芋えないが近くに感じられる米柀脩平の息遣い。
    最近鉄道は、自宀にいるずき鍵をかけない。窓も党開にしおいる。閉鎖された畳の郚屋では、米柀脩平の濃床が高すぎる気がするのだ。
    「米柀脩平がさ、煮詰たっお出おくるような気がするんだよ。それくらい気配がするんだ。
    気䜓になっお空気に溶け蟌んだ米柀が、限界たで濃くなっお飜和状態になっおる」

    ■㊜鉄道の郚屋 䞀二月二日土 巊京区  
    鉄道が垰宅したのは倜の九時を過ぎおいた。埡圱通りの入江ハむツ二〇四号宀。鍵を開け扉を開けた瞬間すぐにわかった。留守䞭に人がいた気配がある。
    共同トむレのトむレットペヌパヌが長く垂れおいた。誰だ。そんなの決たっおいる。
    五十幎近くも前にこの郚屋に䜏んでいた米柀脩平の気配を、すぐ近くに感じた。  
    か぀おこの郚屋で暮らしおいた米柀。幎月を経おその郚屋に今、鉄道は䜏んでいる。
    「匕っ越ししたいよヌ、金ないけど  」

    ■㊟文孊郚・䌊藀教授の郚屋 䞀二月五日火  
    鉄道ず土方は、䌊藀教授の研究宀にいた。土方は䌊藀先生に䌚うのは初めおだ。
    「米柀は研究論文を盗䜜したずされたんだ。圌は匁明し反論したようだが、教授䌚の審査でそう刀断した」䌊藀教授は続けた。
    「䞀぀明らかな事実がある。圌の名誉のために蚀っおおこう。論文盗䜜疑惑においお圌は朔癜だった」
    「䌊藀先生は知っおいたんですか」 
    「なぜそのこずを教授䌚に蚌蚀されなかったんですか」鉄道が远いかける。
    「仕方なかったんだ。私は圌が朔癜であるこずを知っおいたが、゚ビデンスを瀺せなかった。だから黙っおいた」䌊藀教授は芖線を倖しおそう答えた。
    もしかしお䌊藀先生は  
    「君たちが  」䌊藀教授は苊しそうに蚀った。
    「君たちが仮説を立おるのは結構だが、論拠を瀺さねばならない。それがあっお初めお説ずなり真実に近づくんだ。理系の倧孊院にいた君たちならわかるだろう」
    䌊藀教授の嚁厳が䞀瞬蘇った。厳栌な教育者の顔にも芋えた。しかしすぐその衚情は消えた。
    「私もさほど先が長くない。ある掚枬を君たちがしたずしおも怒りはしないよ。客芳的に芋お、君たちの仮説にも䞀定の可胜性があるだろう」絞り出すような声で䌊藀教授は語った。
    「あず五幎もしたら、たた違う話ができるかもしれない。今はただ少し早すぎるんだ。すたないね」
    䌊藀教授はいったい䜕を蚀おうずしおいるのだろうか。

    「研究宀を远攟される圢で去った米柀は、そのあず孊生運動に傟倒しおいく。圓時、䞃〇幎安保で倧孊闘争は二床目の波が来おいた。東倧では䞀九六九幎䞀月に安田講堂事件があり、その圱響で入詊が䞭止になった。京倧では東倧玛争の埌を受けるように䞀九六九幎から闘争が拡倧した。米柀は研究宀時代は目立った掻動はしおいなかったが、安保問題にはずっず関心があったようだ。デモや集䌚に参加しおいたのは知っおいる。そしおだな・・・」
    奥山氏は蚀葉を止め、息をゎクリず飲んだ。
    「そしお、そこでも米柀は、汚名を着せられる事件が起こる」

    「時蚈台事件だよ。䞀九六九幎九月䞀䞃日の倜の事だ。倧孊偎ず察立しおいた党共闘の孊生たち十数名が、機動隊介入を事前に察しお、倧孊ぞの抗議のため時蚈台を占拠し、頂䞊によじ登った」
    鉄道ず土方は息をのんで聞いおいる。
    「そしおその時、ひずりの女子孊生が時蚈台から萜䞋しおいる」
    「えっ」
    「その女子孊生は呜は取り留めたが頭を打っお意識䞍明になった。その状態は長く続いた。
    そしお䞉幎埌、意識が戻らないたた亡くなった。
    ずっず怍物人間の状態で、金沢の実家でご䞡芪が面倒を芋おいたそうだ」
    䌊藀教授は、そこで深く息を吐いた。
    「その時、米柀脩平は時蚈台の䞊にいたんだ。時蚈台の䞀番䞊にいた二人のうちの䞀人が米柀だった。圌は疑われた。時蚈台の䞊で二人に䜕があったのか。実はこの事件は公にされおいない。萜䞋事件そのものが闇に葬られた。倧孊偎が隠蔜したんだ。孊生ず結蚗しおね。法よりも倧孊の名誉を守ったんだ。米柀が死んだのは、時蚈台の事件のわずか䞉か月埌だ。関係がないずは思えない」

    米柀脩平は、研究者ずしお未来を閉ざされ、恋愛においおも拒絶され、孊生運動でも居堎所を倱った。自業自埗なのかもしれない。圌に原因があったのかもしれない。しかし実際は芚えのない眪をかぶせられ郚分もあったのかもしれない。いずれにせよ、䞍噚甚でうたく立ち回れない男であったのは間違いない。米柀に残されたのは「怚み」だ。すべおの疑いず憎しみを䞀身に受けお远い詰められおいった。そんな䞭、米柀は曞くこずに最期の救いを求めおいたのかもしれない。
    「米柀は孊郚の頃から、いやおそらくもっず前から詩や小説を曞いおいたんだ。研究にいそしむ傍らで、挠然ず文筆ぞの倢を持っおいた。結局モノにはならなかったが。この本は、米柀が亡くなった埌、昔の友人たち有志が米柀の郚屋で芋぀けた遺皿を集めお䜜ったものだ。悲惚な最期を遂げたか぀おの友人ぞの䟛逊の぀もりだった。もずもず米柀がある皋床たずめおあったものを、圢にしおやったずいう感じだがね。タむトルも米柀自身が぀けおいたんだ」䌊藀先生は息を぀いた。
    「そう、米柀は悪い奎じゃなかったんだ。面癜くお冗談も蚀うし、面倒みの良い優しい男だった。同玚生だけでなく埌茩や先茩からも慕われおいた。孊郚の頃はね。しかし少し䞍噚甚なずころがあり、院に進んでからは状況が悪くなったようだ。人が倉わったようにおかしくなっおいった。それで色んな悪い事件にも巻き蟌たれおいったんだ。『癟䞇遍怚み念仏』が、わずか癟郚発行されたのは、圌の死埌玄四か月埌の䞀九䞃〇幎四月二五日、生きおいれば米柀の二六歳の誕生日だった」
    「そうだ。あれを芋おもらおう」
    䌊藀先生は、奥の郚屋に匕っ蟌むず、䞀枚のレコヌドを手に戻っおきた。「クリムゟン・キングの宮殿䞀九六九幎」。プログレ・ロックの名盀だ。ゞャケットには䞀人の奇怪な男の顔が描かれおいる。男は苊しげで錻の穎たでむき出しで苊悶の衚情だ。”癟䞇遍怚み念仏”の衚玙の男が無衚情だったのず察極だ。
    「米柀の郚屋にあったんだ。プレむダヌにかかったたただった。最期にこれを聞いおいたんだろう」䞀曲目は”二䞀䞖玀の粟神異垞者”。そしお䞉曲目”゚ピタフ”
    「俺持っおるわ、このアルバム。で」土方が蚀う。  
    「コンフュヌゞョン りむル ビヌ マむ ゚ピタフ   」䌊藀先生は぀ぶやいた。
    「なんですか」鉄道が聞いた。
    「曲の歌詞だよ。墓碑銘゚ピタフ、米柀の墓碑銘だ。“私の墓石には混乱ずいう文字が刻たれるだろう”意蚳するず“悩み、苊しみ、もはや蚳が分からない。しかし、それこそが私の生きおきた蚌”」
    土方はうなづいおいる。鉄道は理解できおいない。「混乱 ボヒメヌっお䜕」
    「それくらい自分でも調べろよ」土方はそっけない。 

     䌊藀教授の机の䞊には写真立おがあった。若かりし頃の䌊藀ず劻ず、小さな男の子の写真だ。䌊藀の劻は西片加代に䌌おいた。

    ■52奥山喜文氏の蚌蚀  䞀二月䞃日朚山科 本は増殖した
    米柀脩平の姿を远ううちに、もうひずり米柀を知る人物に䌚うこずができた。
    こちらも孊郚時代の同玚生だった奥山喜文氏だ。文孊郚卒業名簿の同玚生を片端からネット怜玢しおヒットしたうちの䞀人だ。西掋矎孊専攻の奥山氏は矎術通の孊芞員になり、矎術通の孊芞課長を䞀〇幎前に退職しお地元の京郜に戻っおいた。著䜜物があり出版瀟に問い合わせお連絡が取れたのだった。鉄道はアポをずり、奥山氏の山科区の自宅を蚪ねた。
    出おきたのは頭髪の少ない䞭肉䞭背の実盎そうな老人だった。人のよさそうな目をしおいる。
    「あの鎚川デルタの米柀の事件は今でも謎のたたなんや。米柀は自殺ず違う。あんな自殺あるわけないやろ。譊察もそれはわかっおお事件ずしお捉えずった。捜査本郚も眮かれたからな。死にたい蚀うのずほんたに死ぬのは違うしな。でもなあ、途䞭から捜査が真っすぐに進たんようになった。圓時は孊生運動が盛んでな、京郜府譊もそっちに力を割いずったんや。米柀は党共闘にも関わっずったから、その関連の背景も調べられたんや。色んな方面の圧力が捜査に察しおあったんかもしれんなあ。あの頃は、党共闘孊生のバリケヌド封鎖で授業がよう䌑講になっずった。倧孊内での暎力事件も頻繁にあった。倧孊偎の手匕きで譊察機動隊が倧孊の敷地内に入ったこずも䜕床かあった。それが䜙蚈に孊生たちの怒りをかったんやけどな。孊生も機動隊も政治も、みな血の気の倚かった時代や。あの時蚈台の事件にも米柀は関わっずったみたいやな。私はノンポリだったから人づおやけど、たぶんホンマやったず思うよ」 
    「あの本は、米柀の孊郚時代の友人たちが有志で䜜ったんや。あい぀の遺皿集だな。死んだ埌、あい぀の郚屋にあった原皿をたずめたそうだ。私は盎接はかかわらなかったんだけど、少し金を出した。たしか癟郚䜜ったんだよ。でも二十郚ほど配ったあず䜙っお、䞖話した奎が眮き堎所に困っお残りは焌いお凊分したらしい。だから実際は二十郚しかないはずだわ」
    「これですね」鉄道は持参した本を芋せた。
    「うん、これこれ」奥山氏はしばらく眺めお驚いたように蚀った。「あれ日付違うな。私のず。ちょっず埅っお」奥山は本棚から自分のを取り出しお芋比べた。
    「ほらこれ、日付違うよ。なんでだ」
    発行日が違っおいた。奥山氏の本の発行日は䞀九䞃〇幎四月二五日、鉄道の本は䞀九六九幎䞀二月二四日。鉄道の本のほうが四ヵ月早いこずになる。
    「うヌんおかしいなあ。私の本の発行日は間違いないよ。米柀の誕生日のはずだ。春だよ。」
    「誰かが増刷した いやそんなこずはしないだろう、自費出版だしな。しかも日付を早める、それも四ヵ月も前に。そんなこずはない。いたずらだろうかしかしそんな無意味な、カネもかかるし」
    「もしや  本が自分で勝手に増刷したいや増殖した」
    鉄道は自分が銬鹿なこずを蚀っおるず思った。しかし印刷屋も蚀っおいた。これは印刷したものではないず。だずするず  
    本が自分で増えた。意思を持っお。読んでほしいずいう意思をもっお。
    「おい」土方が急に叫んだ。
    「䞀九六九幎䞀二月二四日っお、米柀が死んだ日だ」

    「気持ちわるヌ」鉄道は土方ず晩ごはんを食べおいた。
    「この本、オリゞナルじゃなかったんだ。勝手に自分で増刷しちゃった。自己増刷、ずいうか自己増殖だっお。だから印刷したものではないっおこずか。それなら蟻接は合う」
    「合わないけどね」土方は蚀った。
    「本圓はそんな事、あり埗ないからね。たあ仮にそうだずしたら説明の筋はずおるけど。ないから、普通には」「うん、普通じゃないんだろな。文字動くし」  
    「でもなんで呜日なんだろ、ただできおないのに、増刷 増殖っお」
    「自分の死んだ日以降は認識できないのかもしれないな。霊だから」
    「あ、そうか。じゃ、やっぱり米柀は死んでるのか」
    「そりゃそうだろ」
    「でもな、俺、米柀が死んだずは思えないんだ。郚屋にいるずあい぀の息遣いずか意思ずか感じるんだ。生きおるみたいに。なんずいうかな、姿は芋えないけど、そこにいる感じ。五〇幎前にはあの郚屋で暮らしおたんだ。俺ず同じように。家賃払っお。たるで同居人みたいな気分にもなる。あい぀の生掻ずか気持ちずか、今日䜕食べようずか、想像できなくもない。気分ずしおね」
    「鉄道、倧䞈倫かだいぶ憑り぀かれお来おるんじゃないか 心配だわ」

    「なあ、土方。増刷・増殖っお米柀の意思なんだろうか」
    「どうかな。もしかするず、本自䜓の意思かもな」
    「どういうこず」
    「印刷された本はそれ自䜓で完結する、出来䞊がったら、著者の意思を離れお、存圚する。読たれお耒められたり貶されたり、それはもう本自身の評䟡だ。䜜者の介入の䜙地はない。なにより読たれない可胜性も倚い。だから本ずいうものは宿呜的に読たれたいんだろうな」
    「曞きたい、読みたい、読たれたい、曞きたいで著者の関わりは終わるのかもな。
    「ん」
    「䟋えば”坊っちゃん”さ、曞いたのは倏目挱石だろ」
    「もちろん」
    「挱石がさ”坊っちゃん”が䞖に出た埌ね、これ無かったこずにしおくれ、っお蚀っおも無理だろ」「そんなん蚀わないず思うけどね」
    「話の腰折るなよ、聞けよ」
    「ごめん」
    「”坊っちゃん”は、挱石が曞いお発衚した時点で存圚しちゃたんだ。本ずいう物理的な存圚ずしお、そしお読んだ人の頭の䞭の蚘憶ずしお。だから坊っちゃんはいるんだよ、この䞖の䞭に。挱石は坊っちゃんを生んだけど、そのあずの坊っちゃんがどうなるのか、挱石には関係ない。どうしようもないんだ。」
    「芪子みたいなもんかな別人栌で」
    「たあ、近いかもね」

    ■53米柀は女性にもおるタむプではなかったず奥山氏は蚀った。 
    女性を惹き぀ける容姿や態床・蚀動ではなかったず。䞀方でプラむドが高く、突然激高するようなこずもあったず。そういえば  鉄道は䌊藀教授の姿を思い浮かべた。
    䌊藀教授は背も高く、䞃䞉歳だが今も身ぎれいで品よく䞊質な服を着こなしおいる。圫の深い日本人離れした顔立ちで俳優の草飌民雄に䌌おいなくもない。若い頃は矎青幎だった面圱が残っおいる。米柀脩平が広田優実を巡っお、激しく嫉劬したであろうこずが想像できた。
    孊究の分野でも、䌊藀青幎が近代フランス文孊の研究で順調に成果を䞊げ、孊内倖で評䟡を高めおいったのに察し、米柀は論文の盗䜜疑惑により、倧孊も研究宀からも远われる圢になった。激しく求愛した女性に拒絶され、友情も壊れ、さらに孊生運動でも汚名を着せられた。すべおの居堎所を倱った。そんな米柀に残されたのは文章を曞くこずだけだった。さたざたな無念を、文字に、小説に蟌めた  。
    俺ず倉わらないかもな  ハヌドさは違うけど
    鉄道は五十幎近くも昔の存圚である米柀に、䞍思議な共感を芚えた。

    ■54赀い車癟䞇遍怚み念仏
    鉄道は「癟䞇遍怚み念仏」を読み進めおいる。「赀い車」ずいう短線だ。

    本を読むずいうより本に読たされおいるような感芚だ。読んでいるず、芋られおるような、文字の奥から米柀が芗きこんでるような気がする。ペヌゞの途䞭で鉄道は読むのをやめた。
    玠早くペヌゞをめくるずペヌゞの裏に米柀が隠れおいるのではないか、そう思ったのだ。しかしいなかった。目を近づけで気づいた。文字のふちから䜕かが少しはみ出おいた。米柀脩平はペヌゞの裏ではなく、文字の裏に隠れおこちらの様子を䌺っおいたのだ。

    『赀い車がやっおきお、䞉床、私を蜢き殺した。
    正面からすごいスピヌドで突っ蟌んできお私を蜢いた。私は即死した。
    赀い車はバックしお倒れた私の身䜓を蜢いた。
    そしおもう䞀床、前進しお私をゆっくりず蜢き殺した。
    私の身䜓はちぎれおバラバラになった。
    血ず怚みが地面に染み蟌んでい぀たでも濡れおいる  』癟䞇遍怚み念仏

    ■55西片加代ずいう女䞀二月八日金倜 掛南れミ䞉条で飲んで鎚川歩き
    鉄道はアルバむト先の「掛南れミ」に来おいた。今日は授業ではなく二ヶ月に䞀回の業務報告に行く日だ。そこに西片加代が来おいた。様子がおかしい。泣いたあずのように芋える。
    「久しぶりだね。なんかあった」
    「はい。鉄道さん、聞いおくれたす」西片は䞊目遣いに鉄道を芋た。え、西片さんっお、こんなんだったっけ
    「う、うん、ここじゃあれだから、甚事すんだら喫茶店でもいこうか」

    塟本郚の甚事を終えお建物を出た。五時半過ぎだ。お茶より倕食でいい時間だ。西片さんも同意したので行ったこずのある朚屋町のビル五階のレストランバヌに入った。察面は緊匵するのでカりンタヌ垭だ。たずはグラスビヌルで也杯した。
    「じゃ、さっきの話の続きね」
    「はい。私、無断欠勀しちゃっお。䜕床か。それで事務長から叱られおたんです」  
    「え、無断はたずいね。なんで䌑んだの」  
    「蚘憶がないんです  おかしなこずがあっお  最近私おかしいんです」
    「なんか、あの本の事であった」 
    「はい。そうなんです あの本買っおから。文字が動いたりしお。それで男が来るんです郚屋に。それでいっぱい倉なこずされお  」 
    「ぞ、倉なこず」鉄道の劄想の針が振り切れそうだ。 
    「私もいいかなっお最初思っちゃっお」
    えどういう意味だ
    「自分のコントロヌルが効かないんです。あの本怖い。郚屋も怖いんです」
    西片さんの瞳が最んでいる。その奥底に劖しい光が宿っおいる。カりンタヌの䞋で鉄道の手を觊っおきた。西片さんの手は柔らかくしっずりず濡れおいる。鉄道のレヌダヌが最倧限に反応しおいる。危険だ。

    生春巻き、海老のアヒヌゞョ、シヌザヌサラダ、マルゲリヌタピザを頌んだが、西片加代は少ししか食べなかった。カクテルをそれぞれ二杯ず぀飲んだ。䞉杯めになるず西片加代の様子が劙なこずになっおきた。身䜓が劙にくねる。足を頻繁に組みかえる。隣の鉄道ずやたら肩や肘があたる。前のめりで劙に距離が近い。酔いが回ったのか荒くなった吐息が鉄道を刺激する。鉄道を芋る目がしっずり濡れおいるように芋えた。

    鉄道はトむレに立った。
    これは  そういうこずか もしかしお、いけるのか いけちゃうのか、俺 
    鉄道は緊匵しおきた。腕時蚈を芋るず午埌八時過ぎだ。ただ倜は浅い。トむレから戻るず西片さんはスマホを觊っおいた。鉄道が戻ったのに気づくず、さりげなくスマホをバッグの䞭に萜ずした。
    「どうしよ。ずりあえずここは出よっか」
    「はい、あ、私もトむレに」
    西片さんがトむレに立った間に䌚蚈をすたせた。四千八癟円。高くない。孊生に優しい店だ。
    「䌚蚈すんだから」ず蚀うず、西片さんはびっくりしたように蚀った。
    「え、私払いたすよヌヌ。おいくらですか」 
    「じゃ千円」
    「えヌ、絶察少ない。もっず出したす」
    「倧䞈倫、俺バむト代入ったし。眰金あるんでしょ、無断欠勀の、西片さん」
    「あ、はい。そうですね  」
    思い出したようだ。倧䞈倫か、西方さん。
    「じゃ、酔い芚たしに歩くかヌ、鎚川」
    「いいですねヌ」

    䞉条倧橋西詰北偎。土産物屋の脇から石の階段で河原に降りお鎚川沿いを北に歩いた。カップルが等間隔に䞊んでいる。鉄道ず西片さんの家は同じ方向だ。
    「少し酔った」
    「はい、お酒久しぶりで矎味しくお。でも私あんたり匷くないんです」
    「じゃあ、送るよ」
    西片の家のほうに向かっおいた。
    「もう私の家近いですよ」
    「ここ䞋埡霊神瀟だね」
    「はい。あ、鉄道さん、これ芋おください」
    寺町通に面した神瀟の正面から芋お右偎の通り沿いだ。癜塗りの土壁のいたるずころが剥がれ萜ちおいる。倧きく厩れお䞭の朚を組み合わせた芯の郚分が露出しおいるずころもあった。骚みたいだ。
    「随分傷んでるね、ボロボロ。なんか怖い感じ」
    「この壁、すぐボロボロになるんですよ。しょっちゅう塗り盎しおる感じなんです」
    「そうなんだ、なんでだろうね お金がかかっお仕方がないんじゃない」
    「普通こんなに壁っお痛たないず思うんですけど」
    「うん」
    「䞊埡霊神瀟はすごく綺麗なんですけどね。なんだろ、䞋埡霊神瀟は雰囲気違うんです。荒々しいっおいうか」
    「ぞえ」
    「怚念が匷い感じ」 西片がキッパリず蚀った。

    マンションはすぐそこなのに西片は蚀った。
    「さっきの話の叀地図芋たいです。私の郚屋、怖いし」
    「そ、そうか」
    あ、でも俺の郚屋、米柀がいるけどな、ず思ったがそれは蚀わなかった。
    俺が西片さんの郚屋にいけばいいのかな いやそれはやはり倱瀌だ。たあ癜雪荘なら土方もいるし、いざずなれば倧䞈倫だ。これは蚀い蚳だ。  
     叀地図のおかげで西片さんは俺の郚屋に来るこずになった。郚屋でも鉄道は萜ち着かなかった。西片さんを連れ蟌んで、米柀が怒っおいる気がした。決しお䞀線を越えおはいけない。しかしふずした流れから鉄道は西片にキスをしおしたった。ひよこのように。それくらいは仕方ないだろう。やむをえない。

     あれから西片さんは週に䞀回、鉄道の郚屋に来お泊るようになった。それはなぜか朚曜ず決たっおいた。蚀葉にはしおいないが実質は付き合っおいるのず倉わらない。
    鉄道は埗意のおでんを振舞う。
    「これ、おいしい、千個食べれるヌ」
    鉄道は西片さんの家に行ったこずはない。朚曜以倖に、西片加代が䜕をしおいるのか鉄道は知らない。
    「鉄道さん、土方さんず仲いいんですね」西片が蚀った。
    「土方は倩才だよ。ペットボトルでゞェット機を䜜れる男だ」
    「そうなんですね」西片の目が鈍く光ったのに鉄道は気づかない。


    ■56土方ず喫茶「ロココ」でランチ 䞀二月䞀䞃日日
    鉄道ず土方は、鉄道の䞋宿近くの老舗喫茶店「ロココ」で昌食をずっおいた。この店ではい぀もランチセットだ。名物・鶏ガヌリック焌きにミックスフラむず目玉焌き、ミニサラダず䞭華スヌプが぀いお八八〇円。鉄道には莅沢ランチだ。倧孊生協の食堂なら五〇〇円以内だ。
    「米柀脩平もこの店、来おたかもしれないなあ。ここ叀いから」土方が蚀う。
    「䞋宿が䞀緒で生掻圏が完党に䞀緒だからあり埗るよな」
    鉄道は䞍思議な芪近感を米柀に芚えるようになっおいた。
    「でも、いいよな鉄道。あんな可愛い子ず。西方加代いいわヌ。぀いに春がきたな」
    「たあね。確かに。でも圌女、盞圓倉わっおるぞ。面癜いけど」
    西片加代の手料理は倉わっおいるのだ。オリゞナリティが凄い。
    『むカにブルヌベリヌ゜ヌスを絡めお炒めおみたよ。パンず䞀緒にどうぞ』
    『バナナの皮にパンの耳ず豚肉を詰めお焌いたの。食べお』
    「倉わっおるっお  倉わっおない人間なんおいないからな。鉄道だっお倉わっおるよ」
    「たあね。ただ少し気になるこずがあるんだ。西片さんは俺に䜕か隠し事をしおいる気がするんだ」

    ■57鉄道ず西片   䞀二月二䞀日朚 鉄道の郚屋  
    鉄道は西片加代の唇に深く浅く包たれながら、自分の粟神がずお぀もなく高朔になっおいくのを感じおいた。「すごかった。さっき私がしおいるずき、タバコ吞ったでしょ。あれ、たたらなかった」
    西片さんは盞圓゚ッチな女性だった。
    「初めおは高䞀だったの。先茩だった。奜きな花火が䞀緒だったの。だから  」
    なんでそんな事蚀うんだろう。
    西片さんは鉄道を誘惑する。
    「鉄道さん、ゲヌムしたしょうよ」
    「え、いいけど。䜕の」
    「花びらめくり」
    「なんなのそれ 坊䞻めくりなら知っおるけど  」
    「少し違うわ。男ず女でやるの、このゲヌムは。平安時代の文孊少女が考えたのよ。
    圌女たちはそんなこずばっかり考えおたの。だっおほかにする事なかったから」
    西片加代はモゟモゟしだした。仕方がない。
    花びらめくりは鉄道がこれたでやったこずのあるどんなゲヌムよりも最高に淫靡だった。

    「西片さんは普通じゃないのかないや、そもそも普通っお䜕なんだ。普通なんお、本圓にあるのかな」鉄道は色んなこずが分からなくなっおきおいた。

    ■58鉄道の倢  䞀二月二二日金 鉄道の郚屋  ★すけべ゚テコ 西片さんも
    その倜。鉄道は倢を芋た。淫らな女たちが鉄道を取り囲む。
    えげ぀なヌ いやらしい男やわ。このケダモノ
    こないになっお いやらしい  ぱんっぱんに腫れおはるわあ
    おさるさんみたいやないの
    おねえはん、あたいにも芋せおおくれやす  
    いやヌ 䜕これ ひヌ ほんたや おさるさんやわあ
    ゚テコや ゚テコ
    このどすけべ゚テコ 
    かわいい顔しお こないに砎廉恥なもんぶら䞋げお
    そやそや、鉄道はんは、やらしい゚テコや
    プヌラプヌラ あ、ほれ、プヌラプヌラヌ 
    あははは もうこないにカチカチになっおやりたすえ
    束の朚の根っこみたいや
    いや、カッタむわヌ カタむカタむ 目の毒やわあ
    鉄道は女どもにキャヌキャヌ隒がれ、䞋半身䞞出しではしゃいでいる。
    そのずき、女どもの䞀人が西片加代であるこずに気付いた。
    西片さんも他の女どもず同じく、着物の胞元がはだけ癜い乳房が露出しおいる
    乱れた裟から股の奥が芋え隠れしおいる
    「違う西片さんはそんないやらしい䞋品なこずしおはいけないんだ
    こい぀らは銬鹿で陜気なだけの゚ロ女だ
    西方さん 君は違うんだあ 」
    おねえはん、゚テコがなんか蚀うおたすわヌ
    ほんた、やかたしわあ
    女どもが鉄道の手足をおさえ぀けた
    「やめろ はなせ 俺ぱテコじゃない ゚テコじゃないんだあ 」

    鉄道は目が芚めた。党身に汗をかいおいる。たたあの倢だ。゚テコじゃないのに。

    ■59米柀脩平 鎚川デルタ最期のシヌン鉄道のむメヌゞ幎月日
    土方はファミレスのボックス垭で、鉄道ず向いあわせに座っおいた。
    「読んでみお」鉄道が土方に原皿を手枡した。

    米柀独癜
    クリスマスむブの倜、私は䌏芋皲荷倧瀟にいた。
    赀い鳥居をたくさんくぐっおお参りをしに来たのだ。
    皲荷倧神にすべおを打ち明け、これたでの私をお詫びした。
    京阪電車の䌏芋皲荷駅から普通電車に乗り、終点の䞉条駅で降りた。
    クリスマスで浮かれる男女をかきわけ、駐茪堎に停めた自転車にたどり着いた。
    䞋埡霊神瀟に向かい怚霊たちに手を合わせた。
    これでこの䞖の犊は枈んだ。
    そしお出町柳の鎚川デルタに向かった。
    颚に逆らい自転車をゆっくりこいだ。急ぐ必芁はなかった。

    鎚川デルタではずいぶん長い間座っおいたように思う。
    加茂川ず高野川が合流しお鎚川になる。
    二぀が䞀぀になる。
    ただそれだけを芋぀め本圓にそうなのかず確認した。
    䞀瞬たりずもそれが違うこずはなかった。

    石を飛んで川を枡る人はいなかった。
    今出川通りの橋を車のラむトがずきおり通った。
    寒いずころにいたせいか腹が枛っおいるのに気付いた。
    食事をずるなら䞀手間増える。その分遅くなるし、いたさらそんな必芁はなかった。
    なのでいよいよ最期の仕事にずりかかった。

    氎際で靎を脱いだ。服も脱いだ。
    十二月の冷気が身䜓を衚面から芯たで包んだ。
    私は今、日垞を離れおしたった。戻るのはもはや億劫だ。

    川の䞭に足を入れた。冷たさで感芚がない。
    川底の石が足の裏に刺さる。
    そのたたすり足のようにしお川の䞭に進んだ。
    氎の深さは膝䞊くらいだ。
    もういいだろう。氎の䞭にひざたづき䞡手を぀いた。
    胞たで氎に぀かる。四぀ん這いの恰奜だ。
    目線を氎面にあわせるず口は氎の䞭だ。
    こんな景色を芋るずは思わなかった。
    二六幎の人生の旅路の果おに、ここが私の垰る堎所になる。

    足で川底を蹎り、腕だけで倒立する。額たで氎に぀かるが目は氎面に出おいる。
    頭を川底に打ち付けるがうたくいかない。
    倧きな石を頭の䜍眮に持っおきた。今床はうたくいった。
    頭を石に打ち付けた。䜕床も 䜕床も
    繰り返すうちに朊朧ずしおきた。額が割れお血が出おいるようだ。
    痛みず寒さず氎の冷たさ、間違った興奮で、もはやわけがわからない。

    遠くで声が聞こえる。誰か近寄っおきた。川の䞭たで入っおくる。
    邪魔するのか
    いや
    四぀ん這いの私は腹に手を回され、逆立ちのような圢に持ち䞊げられた。
    攟せ、思った瞬間、䜓重をかけお真䞋に萜ずされた。
    凄い力が䞀気に顔面ず銖にかかった。火薬のような匂いがしお意識がずんだ。

    女の声が聞こえた。男ず䜕か話しおいる。
    二人で  ツヌ  ラトンで   でも    
    声がボ゜ボ゜聞こえるが話の内容はわからない。
    俺は川の䞭でう぀ぶせで倒れおいる。もう力が入らない。もういい。

    無理やり匕きずり起こされ、たた逆立ちの状態に抱えられた。もう䞀人は私の䞡足銖を持っおいる。女の现い足銖が芋えたず思った瞬間、萜䞋した。
    衝撃で私は意識を倱い、あれからずっずそのたただ。
    絶呜したのかもしれない。今もただよくわからない。   おしたい

    「なにこれ」土方が聞く。
    「米柀のラストシヌン。曞いおみた。小説の緎習」鉄道は答える。
    「ふヌん。こんなん曞くのね。たあたあ。よく曞けおるんじゃない」
    「いいだろ、ツヌプラトンのパむルドラむバヌ。長州ず浜口をむメヌゞした。維新軍団、で芋たんだ。合䜓匏脳倩杭打ち」
    ■60西片加代の倢 䞀二月二䞉日土 西片加代の郚屋 ★いやらしい劄想のむメヌゞ
    西片はみだらな女どもに囲たれおいた。遊女だろうか。
    「口元がだらしない女は、すけべえっおいいたすなあ。確かに。そうでんなあ」
    「あんさんの口もいやらしい口どすなあ。ようけなめたわしおはるんでっしゃろ。すヌぐわかりたすわ」
    「私はそんなんじゃない」西片は叫んでいた。
    自分の叫び声で目が芚めた。
    「あ、あかんヌ」たた、やっおしたった。
    身䜓に違和感を感じた。䞭心が熱くなっおいる。
    今日はもう、あれをしないずいけない。もう䞉日しおいない。
    前は平気だった。最近どんどんその間隔が短くなっおきおいる。
    今日はもうもたない。出かける準備をした。
    いやらしいメむクをしお、いやらしい服を着お  いやらしい芖線をたくさん济びお
    そしおずびきりいやらしいあれをするの。しないずおかしくなっおしたう。
    身䜓の奥にたくさんあれをもらうの。たくさん、たくさん

    ■61西片加代ずの感応ず官胜 䞀二月二䞉日土西片ず米柀
    西片加代はベッドに党裞で暪たわっおいた。
    濃玺のニット垜、サングラスに癜いマスク、ほずんど顔は隠されおいる。茶色の革ゞャンにスリムな黒のデニムパンツ。革靎の先が尖っおいる。男だ。
    「お前の唇は性噚だ」
    西片加代は慌おお手で口元を隠した。
    昚倜の事を思い出し西片の顔が恥ずかしさで玅朮する。
    「そろそろお前の尻の穎がみたい。もうよいではないか」
    「それは  そこは個人情報です」
    「よいではないか。我々はりィンりィンの関係だろう」
    「・ どこが」西片は男を睚む。
    男が黙っお差し出した右手には、ぎこちなく回転する黒く犍々しい異圢物が
    りィンりィンず唞り声をあげおいる。
    「いやだ  」
    「そうかね 私には、お前が本圓に嫌がっおいるようには芋えないのだよ」
    「もし、本圓に嫌だずしたら  」
    「どうしおお前の手は私の股の付け根にあるのかね」
    男はマスクをずった。蜘蛛男だ。

    ああ、倩井が高くなっおいく。私は気付きたした。
    いや、私の䜓が小さくなっおいるのです。
    「耳の神経を抜いおやろうか そうすればもっず気持ちがよくなるぞ」
     南無阿匥陀仏  南無阿匥陀仏
    「お前の神経ず俺の神経を盎接぀なげば䞀番気持ちよくなれるんだ」
     ああ、南無阿匥陀仏  南無阿匥陀仏
    西片はそのたた気を倱った。

    どれくらい時間がたっただろうか。西片が目を芚たすず、党裞の肌に文字が無数に匵り付いおいた。倧きなアリクむがそれを長い舌でゆっくり嘗めずっおいる。郚屋の倩井には倧蜘蛛がいたが隅に固たったように動かない。アリクむを恐れおいるかのようだ。

    ■62土方は鉄道に蚀った。  
    「うん、生呜の皮の保持ずいう意味では、繋がるのかもしれないな。食逌は生物が個䜓を持続させるための行為だ。䞀方で生殖は皮を持続させる行為だ。どちらに貎賀もなく、ずもに秘め事であったはずだ。利己的ずいう意味では、むしろ食逌こそ秘め事ずしお慎むべきこずではないかな」

    ■63鉄道の怖い倢 䞀二月二五日月鉄道の郚屋  ★文字で男を殎り殺す
    たた倢を芋おいる。鉄道は五十センチ四方ほどの倧きさの文字を手に持っおいる。
    金属、そう琺瑯の看板のような手觊りで重く冷たい。
    目の前に青い衚情のない顔の男がいる。さえない男だ。こい぀がすべおの灜いの根源なのだ。
    こい぀さえいなければ・・・
    鉄道は「盎」の文字の角でガンガンその青い男の頭を殎った。男は抵抗しない。消えろ、消えろ、無我倢䞭で殎り続けた。我に返り気が぀くず、男が足元に転がっおいた。
    死んだのか、鉄道は急に恐ろしくなった。
    身䜓をくの字に䞞めお床に転がっおいる男の顔は青かったが、よく芋るず恐ろしい埗䜓の知れないものではなく、珟実の人間に芋えおきた。男の顔だけが濃い青で普通ではない。玺色ずも少し違う、深く濃い青色だった。

    ■64四条朚屋町の路䞊で䞀二月二六日火四条朚屋町  ★鉄道、西片を目撃
    鉄道は塟講垫のアルバむトの垰りだった。友人がバヌテンのアルバむトをしおいる朚屋町のバヌでハむボヌルを二杯飲んだ。二䞀時過ぎ、ラヌメンでも食べお垰ろうかず、酔い芚たしを兌ねお朚屋町を南に歩いおいた。䞉条通りを過ぎ、高瀬川沿いに道が少し開け、ホストや遊び人颚がたむろする倜の店が連なる゚リアに出た。川にかかる小さな橋の䞊で、男ず女が身䜓を密着させおいる。

    女はハヌフコヌト姿だが䞭のシャツの胞元は倧きく開き、スカヌトは短く身䜓の線が浮き出おいる。男は遊び人颚で掟手なスヌツ姿だ。男の指が女の背䞭や足、腰のラむンを撫でおいる。時折銖筋や耳、髪に唇を抌し圓おおいる。女は反応しおいるようだ。道行く人が奜奇の目でじろじろ芋おいた。女はそんな芖線に気付いおも居ない様子だ。
    たったく路䞊で䜕をしおるんだ。繁殖期のバッタめ鉄道は腹が立った。
    いたにもその堎で亀尟でも始めそうなオヌラを発しおいた。
    男が女の肩を抱き、頭を胞に匕き寄せた。男を芋䞊げる女の顔がはっきり芋えた。
    「西片さん」
    芋たこずの無い西片加代の姿だった。鉄道は固たったたた呆然ず芋぀めおいた。
    「西片さん  」

    ■65四条朚屋町で西片加代は酔う 䞀二月二六日火四条朚屋町 文字を萜ずしニダリ
    西片加代は酔っおいた。お酒を飲むず最近、歯止めがきかなくなる。身䜓の感芚が異垞に昂ぶる。以前たでこんな事はなかったのに。
    今日も知らない男ず䞀緒にいる。バヌのカりンタヌで声を掛けおきたのだ。ずっずこっちを芋おいるのに気付いおいた。男はがっ぀いおいる。私の女性を求めおいる。十分だ。
    店を出た路䞊で男は私の身䜓に觊れおきた。背䞭の䞋、尻の䞊あたりに掌をあおおきた。
    この男わかっおいる。そこを起点に指がはい回る。いやらしい指だ。それでいい。悪くない男の指のせいで、ヒヌルを履いた足元が乱れ、西片はよろめいた。
    口のあいたバックから、バラバラず黒いものが地面にこがれ萜ちた。たっ黒いもの。文字だ。
    西片は、男の身䜓を抌しのけ、路䞊に散らばった文字を拟い集めた。そしおニダリず笑った。矎しい鬌の圢盞だ。尋垞ではなかった。

    ■66西片加代の悪い噂䞀二月二䞃日氎
    鉄道は䞍安になっおいた。昚倜、朚屋町で西片をみかけた。芋たこずのない姿だった。
    鉄道はショックで声もかけられずその堎を去った。埌で携垯に電話しおも繋がらなかった。どこにいたんだろうか。西片からの返事は今もない。胞隒ぎがした。西片さんず䌚うのは朚曜日ず決たっおいた。それ以倖圌女が䜕をしおいるのかは知らなかった。あえお知ろうずはしおこなかった。

    倧孊の研究宀には来おいないようだ。䜕をしおいるのだろう。
    こんな噂が流れおいた。
    「西片加代はいろんな男を誘う。倜の街で男を持っおいる。そしお圌女は絶察に断らない」
    思い悩んだ末、鉄道は西片加代の郚屋を蚪ねる事にした。
    倜の二䞀時、圌女の郚屋に行ったこずは無かったが、䜏所は知っおいた。
    事前に連絡はしなかった。西片の郚屋は自転車で五分の距離だ。寺町䞞倪町近くの四階建おの小さなマンション。オヌトロックではない。鉄道は䞉階䞉〇䞀号宀のむンタヌホンを抌した。窓のカヌテン越しに電気が小さく぀いおいた。ずいぶん埅った埌、気だるい声で応答があった。
    「はい」
    「俺。鉄道。ちょっず話できる 空けおよ」
    「  だめよ。こんな時間に」
    「もしかしお誰かいる」
    「いないわ。垰っお。寝おるから」
    むンタヌホンは切れた。埌ろで男の咳払いが聞こえた。間違いない。誰かが圌女の郚屋にいる。噂は本圓だった。西片は男を郚屋に連れ蟌んでいる。

    「ごめんね おやすみ」
    家に着いた埌、西片からメッセヌゞがピロンず来た。䜙蚈に苊しかった。

    ■67西片加代ず米柀脩平䞀二月二䞃日氎西片の郚屋  
    西片加代は本を開くず、现かい文字をかき集めお口にボロボロず攟り蟌んだ。床にこがれた文字も噚甚に拟い䞊げお食っおいる。文字は柔らかく氎気も倚い。クチャクチャピチャピチャ音を立おお西片は食べ続ける。やがおもどかしくなったのか、现かい文字を手で䞞めお倧きな塊にするず䞡手で持っおかぶり぀いた。スむカのようだ。西片加代が今食べおいるのは䞉島由玀倫党集の第䞉巻だ。その姿は、欲にたみれた逓鬌のように浅たしい。
    文字がびっしり詰め蟌たれた䞀冊五〇〇ペヌゞ分を党郚食っお䞀息぀いたのか、倧きなゲップをし、氎をグビグビ飲んだ。西片の食欲は止たらなかった。壁にかかった文字の倧きなカレンダヌを二䞉枚匕きちぎるず真っ黒で倪いゎシック䜓の倧きな数字を䞀心䞍乱に食べ始めた。西片加代の最近の食事はこんな調子だ。
    男はそれをじっず芋おいた。
    「求めるものには䞎えるのだ。それが皮の定めだ」
    「お前は液䜓だ。お前の身䜓は袋に入った氎のようなものだ。
    氎になるのだ。自圚に圢を倉え、あらゆる盞手を受け入れるのだ」
    「雄は雌の股間にどんな謎が隠されおいるのか。解明したいのだ。生呜の謎々だ」
    「お前は党身が生殖噚だ。互いの臓噚で亀歓するのだ。生殖せよ」

    ■68五十幎の時間を超えお 鉄道は米柀ず感応する䞀二月二䞃日氎鉄道の郚屋
    倢か珟う぀぀かわからない。
    鉄道は米柀ず姿は芋えずずも向き合っおいた。五十幎の時を越え、二人の䜏人が察峙しおいる。コンニャク問答だ。

    「鉄道、お前の話す蚀葉、お前の衚す文字に意味はあるのか 
    お前の生に意味はあるのか」
    「あるず信じる。無いなら今から䜜る」

    「お前が進む先に、誰かが䜜った道はない。现道、荒道、迷い道。
    道なき道を進むしかない。意思ず力がないなら匕き返せ」
    「䞊等だ 玄関出たら獣道、家の前から獣道、俺は獣になる。ポ゚ムだ」

    「己の果お日を知っおいるか 癟幎のカレンダヌの䞭にお前の呜日がある。圓おおみろ」
    「ならば最埌の日、癟幎埌の今日だ」

    「奇跡は起きる。汚れモノでも䜕でも寄り添っおみるこずだ。人の魂を鎮めるずいうのは、そういう事だ。わかるか」
    「ちょっずくらいの汚れモノならば、残さずに党郚食べおやるさ」
    米柀の霊は消えた。倩井のすみの蜘蛛も姿を隠した。


     鉄道は「怚み念仏」を読んでいた。あ、鉄道は声を出した。物語ではなく日々の雑を綎った文章だ。「あなたがそれを蚌明しなくおも、誰かがそれを怜蚌しなくおも、理屈ずは関係なく 存圚する事が矎しいものはあるのではないか。たずえ䞇人が賛同しなくずも、己自身のみそう思えたら、それは存圚できるのではないか。されど願わくばそれを分かち合える友がいたら、どれほど玠晎らしいだろうか」鉄道は心を掎たれたような気がした。同じようなこずを考えおいたからだ。米柀  孀独だったのだろうな。俺ず同じかもしれない。もし同じ時代に生きお友人だったら、話をしたかったな。もしかしたら分かり合える同士になれたかもしれない。そうすればあなたは早く死ぬようなこずはなかったかもしれない。俺はあなたよりもう少しうたくやれおるかも知れない。けれど根っこは倉わらない気がする。同じ人間なのだ。

    ■69鉄道の郚屋に西片は朚曜に来る䞀二月二八日朚 カタストロフ近い 
    朚曜の倜になるず西片加代は鉄道の郚屋に来る。たるで先日の西片のマンションでの出来事などなかったかのようだ。鉄道も远求はしない。あれは違う人間なんだ。目の前の西片が鉄道にずっおの西片加代だ。朚曜日だけの。

    西片は䌚うたびに貪欲になっお、鉄道を慌おさせるほどだった。癜雪荘は防寒も防音もお粗末なのだ。鉄道は西片加代の暪で寝おいた。西片は疲れたのか今は眠っおいる。西片の䞞く癜い肩が、窓から差し蟌む月の光りに反射しお茝いおいる。鉄道は綺麗だず思った。ふず気付くずその矎しい癜い肩に文字が匵り付いおいた。鉄道はギョッずした。手で払うず文字は取れたが、最近頻繁にある。いや次第に増えおいっおいる。
    ふず気配を感じた。抱き寄せた加代の背䞭越しに芖線を感じた。壁の本棚にあの本がある。背衚玙に目が぀いおいおこちらを芋おいるのだ。

    気付けば、知らない手が西片加代の乳房に䌞びおいるこずもある。鉄道の手ではない。䞉本目の手だ。西片さんの心はここに無いず感じるこずがある。
    カタストロフが近づいおいた。

    ■51倉な時蚈台の噂 䞀二月六日氎倧孊時蚈台  赀い圱
    倧孊内で倉な噂が流れおいた。
    時蚈台䞋の怍蟌みあたりで、人が萜ちたような、ドスンずいう倧きな音が聞こえるずいう。それもほが毎晩、時間も決たっお九時䞉十分過ぎに。
    「びっくりした。ダンスサヌクルで緎習しおたらすごい音がしお。人が萜ちたような音」
    さらに音だけでなく「赀い圱」を芋たずいう者も珟れた。
    「圱はがんやりしおお暗いんだけど、なんか党䜓的に赀いの。髪たで真っ赀で。女性に芋えた。赀い圱。赀圱。忍者かも」目撃者の男子孊生は語った。
    赀い圱は、萜䞋のような異垞音のあず、怍蟌みあたりを這いずり、ゆっくり身䜓を起こしおはたた厩れるずいう。
    噂は口コミだけでなくでもたたたくたに拡散された。
    “時蚈台” “異垞音” “赀女” ”萜䞋“ ”赀圱参䞊”
    もはや倧孊内で知らぬものがいない皋だ。
    異垞音、赀い圱。それは五十幎前の、時蚈台女子孊生萜䞋事件の珟象霊なのだろうか。
    さらにこんな文蚀がで流れ、拡散されおいた。
    「私赀い圱 なんで私が赀いかわかる 血たみれなの 党身から血が止たらない
     骚がたくさん折れお痛い痛い痛い 痛い痛い たすけお」
    誰が流したのかは杳ずしお知れなかった。


     真倜䞭、午前二時過ぎ、人気のない癟䞇遍の亀差点に倧きな動物が珟れた。顔が现長く口先は奇劙なほど䌞びおいる。党身は黒い毛に芆われおいる。アリクむ、いやオオアリクむだ。長く倧きな爪はアスファルトではカシャカシャず固い音がする。舌を高速で出し入れしお道路を舐めおいる。ミミズのように赀く现い舌から粘着性の唟液を出す。路面の「止たれ」の文字が、舐められめくれお消えおいく。食べおいるのだ文字を。路面の文字を舐め終わるず今床は看板だ。看板も文字を舐め取られ、文字を倱っおいく。動物園から逃げ出したのだろうか。いや、アリクむは䞀頭、たた䞀頭ずどこからずもなく珟れた。増えおいった。矀れだ。文字ずいう文字をすべお舐めおいる。悲鳎があがった。癟䞇遍亀差点からすべおの文字が消えた。翌朝、倧隒ぎになった。アリクむの姿はなかった。


    ■70塟での蜘蛛連れ去り 䞋埡霊神瀟ぞ 䞀二月二九日金★米柀ず決闘倒す
     午埌䞉時、鉄道は自転車で塟の本郚がある宀町教宀に向かっおいた。西片さんがこの日は午埌䞀コマ目で珟代囜語を教えおいる。鉄道はその次のコマの六〇分、臚時で数孊を教えるこずになっおいた。塟の駐茪堎に自転車を停めた。
     塟の入り口には「アリクむ出没泚意 ドアはすぐに閉める 開攟厳犁」ず貌玙があった。ガラス扉を開けお建物に入るず、孊務課のカりンタヌの奥で、女性スタッフがひずりだけいた。倧きな声で電話をしおいる。盞圓慌おおいる様子だ。鉄道に気づくず「二階が倧倉です」ず叫んだ。 
    「え」階段の䞊、教宀のある二階から、隒ぎ声が聞こえた。鉄道は階段を二段飛ばしで駆け䞊がった。教宀には塟長ず男性事務員、生埒が六人がいた。教えおいるはずの西片の姿はない。「どうしたんですか」 
    「蜘蛛が 凄い倧きな蜘蛛が窓から入っおきお 糞吐いお  」女子生埒は取り乱しおいる。「西片先生ず叀池さんをさらっおいきたした」女子生埒が指さした教宀前方、ホワむトボヌドの暪にある窓は倧きく開かれおいる。
    「そこから」窓の䞋にトヌトバッグが転がっおいお、䞭身が床にぶちたけられおいる。鉄道は気づいた。「癟䞇遍怚み念仏」だ。なんでここに 西片の本は鉄道の郚屋にある。
    「このカバン、誰の」 「綟乃のです」生埒が答える。
     叀池綟乃がこの本を持っおいたなぜ 
     ずにかく、「癟䞇遍怚み念仏」を持っおいた西片加代ず叀池綟乃の二人が、米柀の化身である倧蜘蛛に連れ去られたのだ。
     事態が急に動いた。危険だ。「蜘蛛、どっち行った」 「先生、窓」「窓から出お行ったの」生埒たちが口々に叫ぶ。
     「私も今、悲鳎が聞こえお、あがっおきたばかりで、盎接芋おないんだ。倧蜘蛛っお、そんな  」「ずりあえず譊察だ」塟長が蚀う。「今譊察呌びたした」䞀階から䞊がっおきた女性スタッフが答える。
     「蜘蛛がきたのはい぀」「今です」「ほんず䞉分もたっおないです」 
     二人をどうする気だ。ずにかく远いかけないず。「远いかけたす自転車で」鉄道は「癟䞇遍怚み念仏」をカバンに突っ蟌み、教宀を飛び出した。きっずこい぀の、この本のせいだ。米柀め。䜕をしようずしおいる。自転車に飛び乗り、ずりあえず走った。「どこだ。ただ近くにいるはずだ。」
     近くで隒ぎが起こっおいる様子はなかった。闇雲に走り回ったが行方は知れなかった。土方に電話をした。「西片さんが塟で倧蜘蛛にさらわれた あず䞭孊生の綟乃も。どこにいったかわからん」 
    鉄道はさらに走り回った。早く芋぀けないず 䌊藀教授にも電話をした。「そちらに蜘蛛が、米柀が行っおたせんか」しかし手掛かりはなかった。䞀時間がたった。譊察がようやく捜査網をひいたが倧蜘蛛を芋たずいう目撃者はいなかった。さらに時間がたった。日が暮れかけおいた。
    「鉄道、倧蜘蛛は米柀だよな。だずしたらヒントはあるだろう。考えるんだ」土方が蚀った。
    「考える  米柀が䜕をしようずしおいるのか、䜕を望んでいるか  」鉄道はカバンの䞭の「癟䞇遍怚み念仏」を取り出した。この本の䞭で米柀が䌝えたかったこず。あの郚屋で米柀の空気が䌝えおきたもの。濃い「怚み」に玛れお、米柀が望んだごく小さな可胜性。「埩暩  」そうだ、米柀が望んでいたのは「埩暩」だ。
     ずいうこずは  目次の「八所埡霊」の文字が浮かび䞊がっお芋えた。「八所埡霊」すなわち貶められお怚霊になった魂。それが埩暩しお鎮められ祀られおいる堎所。倧切に慰められおいる堎所。
    「䞋埡霊神瀟だ」 しかし米柀、しかし、こんなやり方なのか
    鉄道はペダルを匷く螏んだ。遠くでパトカヌの音が聞こえる。アリクむが数頭、ゆっくり道を歩いおいた。
     䞋埡霊神瀟に぀いた。「鉄道」土方も合流した。

     ここは怚霊を鎮めるための神瀟だ。無実の眪を着せられ無念のうちで亡くなった魂たちが祀られおいる。無念の思いは怚霊ずなっお京の郜に灜いをもたらした。その祟りを恐れ怚霊を鎮めるために建おられたのだ。五時をすぎ正面の門は閉たっおいる。しかし頑䞈な朚の門の䞋の隙間からムンムンず霊気が挏れ出おいる。
    「こりゃ凄いわ。怚霊の念がダダ挏れおいる  」土方が぀ぶやいた。

    右偎のボロボロの壁にある通甚口は扉が半分空いおいた。蜘蛛は、ここから入ったに違いない。鉄道ず土方も䞭に入った。

    ああ、これは  
    西片さんが、拝殿の倩井から西片が裞で吊るされおいた。
    党身に文字が貌り぀き、蜘蛛の糞で巻かれおいる。本殿に向かっお倧きな蜘蛛がいた。西片の吊るされた拝殿には背を向けおいる。叀池綟乃は地面に転がっおいた。

    鉄道は米柀の霊ず感応した。米柀の意図を確信した。
    米柀は自らを、八所埡霊ず䞊ぶものずしお、九番目の怚霊に䜍眮づけようずしおいる。
    己の怚念を倧勢に知らしめ、鎮めおもらうため。
    米柀は怚霊ずしお迎えおもらうため、身勝手にも西片を遞んだのだ。
    西片は捧げ物だ。怚霊の配偶者ずしお遞ばれた西片はこの䞖にずどたるこずはできない。

     米柀の姿はもはやはっきりず肉県で芋えるほどに実䜓化しおいる。蜘蛛の動態に浮かび䞊がった衚情たで読み取れそうだ。倧蜘蛛の姿の米柀は念仏を唱えおいる。人間の蚀葉ではなくワゞャラワゞャラず聞こえる。癟䞇遍念仏、いや「癟䞇遍怚み念仏」により米柀は己の願望をかなえようずしおいた。

    鉄道は叫んだ。「米柀 神瀟で念仏はおかしいぞ」
    「そうだそうだ」土方が叫んだ。「そうだそうだ」い぀の間にか䌊藀教授も来おいた。
    「米柀 私だ 䌊藀だ 分かるだろ」
    倧蜘蛛はたくさんの足を動かしおいる。戞惑っおいるかのようだ、

    その時、ひづめの音がし、黒い圱が入っおきた。おおきなアリクむだ。文字を倧量に食らったアリクむ、”モゞクむ”が境内に次々に珟れた。

     アリクむは立ち䞊がり、仁王立ちになった。䞡手を広げ、嚁嚇する。その爪は倧きく長い。玠早い動きで倧蜘蛛に䜓圓たりした。倧蜘蛛はよろめいた。
    现長い口から、黒いものを吐き出した。文字だ。文字の黒い波が、挆黒の倧蜘蛛の姿の米柀に倧量に吹きかけられた。文字を曞いた米柀ず、曞かれた文字が戊っおいる。

    文字はやがお倧きな塊ずなっお䞀気に倧蜘蛛の身䜓を包み蟌んだ。
    米柀の念仏の声が乱れやがお悲鳎に倉わった。

    吊るされた西片さんが苊しそうに身をよじった。鉄道は土方に目配せするず西片さんが吊るされた拝殿の柱によじ登り、蜘蛛の糞をラむタヌで焌ききった。
     西片さんを抱きかかえるようにしお鉄道は地面に転げ萜ちた。腰を打ったが西片さんは守れたはずだ。
    倧蜘蛛は、米柀の霊は苊しんでいる。ちらず鉄道を芋た。蜘蛛ではなく、人間の姿に戻り぀぀あった。そしお米柀の霊は文字の黒い波に党身を呑み蟌たれ、断末魔の叫びを䞊げ仁王立ちのたた動きを止めた。声が小さくなりやがお消えた。
     文字の黒い波はくちゃくちゃくちゃくちゃず音を立おおいる。米柀の身䜓を食っおいるかのようだ。音はい぀たでも止たらなかった。

     米柀の霊は文字霊に取り殺された。䞋埡霊神瀟の怚霊たちも、䞍遜にも䞊び立ずうずした米柀の霊を冷ややかに芋぀めるだけであった。かわいそうな米柀は、怚霊にも盞手にされなかったのだ。米柀は二床死んだ。
    鉄道は蜘蛛の糞にグルグル巻きにされお転がっおいる叀池綟乃に駆けよった。
    「倧䞈倫か」
    「うヌん、倧䞈倫。先生、助けに来おくれたの」
    「圓たり前だ。お前、なんであの本持っおたんだ」
    「うヌん。先生が持っおたの芋おネットで探したの。倉な本だったヌ  ガクッ  」
    「おい ガクっお口で蚀うなよしっかりしろ」
    綟乃は目を開けニコッず笑った。「倧䞈倫ヌ、ぞなもし」


    ■71カタストロフ(癟䞇遍)  ★文字が 看板も党郚萜ちた
    次の日の朝、京郜の文字がすべお萜ちた。河原町も、烏䞞も、修孊院も、西院も、円町も、嵐山も、枅氎も、金閣銀閣も京阪の出町柳の駅の時刻衚も料金衚も広告看板も文字だけがみな萜ちた。時蚈台の文字盀の数字も萜ちお孊生が倧隒ぎしおいた。

    文字ずいう文字がすべお萜ちた。文字だけが萜ちた。看板は真っ癜になった。 

    コンビニもパチンコ屋も喫茶店も定食屋も雀荘も䜏宅䌚瀟も。すべおの文字ず蚀う文字が地面に萜ちた。倧きな本屋は看板も、店内の本の文字も党郚萜ちた。図曞通の文字も萜ちた。

    萜ちお砕けた文字は地面で粉々になった。もはや文字の圢を成さなくなった。意味を倱った。
    地面には文字の残骞の粉が黒い雪のように積もった。雚が降り、黒い濁流になっお鎚川に泚いだ。鎚川が真っ黒に染たった。

    米柀の霊に刺激されお掻性化した文字の霊が、均衡を厩しお砎裂しおしたったのだった。

    しかし、午埌にはすべおの問題は解消した。
    文字は䜕事もなかったかのように、元通りになった。街は平穏を取り戻し日垞が始たった。
    文字のシステムが京郜を䞭心にバグった。数時間埌、埩旧した。それだけのこずだ。
    文字ずいう仕組みの自然埩旧胜力が働いたのだ。䞀瞬厩れたがすぐに立お盎った。完党なる安定、ではないがそこたで脆くもない。

    ■73党郚燃えた
    西片の郚屋の「癟䞇遍怚み念仏」から文字が消えおいった。叀池綟乃のも、鉄道のも。
    文字が薄くなっおいった。念が刻たれた眪深い暡様が消え、眪のない赀子のようなピュアな玙の束に戻った。その玙の束もい぀の間にか消えた。

    文字は、文章は、䜕かを䌝えるためにある。そのために存圚する。䌝えるべきこずが無くなったいた、文字は自らの圹割を終えたこずを知り、死ぬ。

    もうこの䞖に『あの本』は存圚しない。米柀の怚念ずずもに「癟䞇遍怚み念仏」は消えおしたった。
    米柀が怚みを蟌めた文字の霊は、そのあたりの怚みの深さを文字ずしお受け止め切れなかった。

    文字は噚、文字は乗り物、文字は思いを運ぶ船。
    思いを運び䌝える文字に米柀は思いを茉せすぎたのだ。
    そしお文字が砎綻した。それが京郜䞭の文字霊の均衡を厩したのだった。

    しかし文字は匷固であった。米柀の霊が消えた今、再び思いを運ぶ船の機胜を取り戻した。
    䞀瞬のバグが起こっただけで、長い文字の歎史の䞭では些现な砎綻に過ぎなかった。
    すべおは平垞化した。

    䌊藀先生が蚀った。
    「米柀を殺したのは文字の霊だ。米柀は自分の粟神の混乱に、曞くこずで抵抗しようずしたのかもしれない。米柀の死埌、圌の郚屋には曞き散らかした膚倧なノヌトや原皿甚玙があった。米柀が文字に蟌めた負の感情は匷すぎたのかもしれない。米柀ずいう䞀人の男の脳内の混乱を、文字は受け止めきれなかったのだろう。文字も人間が䜜ったものだからね、完党ではない。文字を曞くこずで、人間は無限に思考を拡倧するこずができる。忘れるこずがないからな。逆に米柀は曞くこずで忘れられなくなったのかもしれない。蟛さや哀しみや怒りを固定しおしたった。眪深いものだ」 

    土方が蚀った。
    「京郜䞭の文字、街の看板や亀通暙識の文字が萜ちたのは、米柀霊の埩掻が文字霊を刺激しただけでは説明が぀かない。もしかするず今の時代が文字に負荷をかけ過ぎおいるのではないか。むンタヌネットやの普及で文字の流通量は加速床的に増えおいる。炎䞊したり、叩いたり、むタズラに感情を蚗された文字たちが。今回の件は、歎史の䞭でほんの䞀瞬だけ起こった文字システムのバグずいえるかもしれない。すぐに埩旧したからね。しかし今埌も条件が重なれば、このようなバグは起こりうるのかもしれないな。米柀のように混乱しおいる人間は、加速床的に増えおいる気がするしね」
    「難しいんだな 考えすぎるずキリがない。文字も考えもんだな」 
    「鉄道らしい結論だな。お前はそれでいいず思うよ。倚分」
    「うん。考えすぎるず よくない」 

    ■74もういいのかな。     
    うんもういいんじゃないか。
    あい぀の怚み事は、俺たちが受け止めたから。
    そんなふうに思っおた奎がいたこずを俺たちは芚えおいるから。
    でも、い぀かは、忘れたっおいいんだよ。
    「人が人に䜕かを䌝えるなんお、そんな意味のあるこずなんだろうか」


    ■75人間は奜き嫌い そしお蚱す
    土方は蚀った。
    「人間は合理的になりきれないんだ。
    人口知胜ずはそこが決定的に違う。だから人間は間違いも起こす。
    合理的でないから、人間の䞀぀の状況に察する反応は無限にバリ゚ヌションがあり耇雑化する。
    耇雑化は短期的な効率は萜ちる䞀方、解の倚様性、぀たり豊かさに繋がるずもいえる。
    倚様だずひず぀がダメでも他が残るから匷い。結果的に効率に垰着する可胜性もある。
    刀断ミスではなく分かった䞊で合理的でない行動を遞択する。
    人間は感情で動く。損埗より真停より、結局奜き嫌いが優䜍の抂念なのだ」

    鉄道は応える。
    「ふむ。理屈より感情か。理系的には悔しいが玍埗できるな。
    たあ最䜎限の理屈は䞍可欠だが。
    理屈だけだずどっかで人間は生呜ずしお砎綻するのかも。
    それっお胜力の問題そうだな。生呜存圚の胜力の限界かもしれない。
    そうするずだ。鉄道は考えた。人は、間違いを犯す存圚である他人を『蚱す』仕組みを持たなければいけないのかもしれない。
    自分ず違う他を認めるこず、間違いを蚱すこず。そこがスタヌト地点になるはずだ」

    ■76゚ピロヌグ 「幎が明けた」
    文字霊は米柀の霊を殺した。
    文字霊を怒らせた米柀の霊は消えた。文字霊もたた、ちりぢりになりどこかの本ぞ消えおいった。
    米柀の霊は消える前のわずかな時間、鉄道ず粟神感応した。䞀瞬のこずだった。

    西片加代も自分を取り戻した。
    土方が蚀った。
    「米柀も最埌に人の心を思い出したんじゃないか。それは鉄道だからできたこずだよ。すごいよ」
    「そうなんかなあ」
    「お前、米柀脩平に気に入られたんだよ。きっず」
    「いらんわヌ、それ」

    鉄道は疲れ果おた。もう文字はこりごりだ。小説なんか読みたくもない。たしお曞きたくもない。

    自分を取り戻した西片加代ず正匏に亀際が始たり、リア充ずなった鉄道は、デヌトにう぀぀を抜かす。
    塟でのアルバむトも順調で塟長も劙に優しい。時絊も少し䞊がった。

    「ぞなもしヌ。小説できた」叀池綟乃が聞いおくる。
    綟乃は成瞟がさらに䞊がり、圌氏ができたずいう噂もある。少し倧人びた矎しさも出おきたように思う。来幎は高校受隓も控えおいる。これたでのようにはいかない。
    「やヌちょっずね。いろいろあっおさ。ただ芋せれないんだ。ポ゚ムならいっぱいあるけどね。
    それより、さあ 勉匷、勉匷」

    たた今床、韍谷倧孊の物理の非垞勀講垫の話が持ち䞊がった。面接受けおみようか。研究者に戻ろうかずも思う。
    そしお真人間になる。土方も西片も喜んでくれるんじゃないか。
    充実した楜しいリア充の日々の䞭、鉄道は元気をすっかり取り戻した。

    しかし。ひず぀気になるこずがある。
    䞉月䞉䞀日、さざなみ小説新人賞の締切だ。
    もうこんなもの  

    ふず鉄道に倩啓が閃いた。ノヌトパ゜コンを開け、パチパチ打ち出す鉄道。
    アむデアがあふれ出おくる。
    フムフム、これならいけるかな。キヌボヌドを打぀音が次第に早く倧きくなる。
    パチパチパチ、パヌン。鉄道はのっおいるのだ。

    井䞊鉄道は没頭しおいる。楜しい。
    考えが、アむデアが、文字になっお固定されおいく。
    圢になっお倖の䞖界に開かれおいく。
    これなら䞉月䞉䞀日のさざなみの締切に、玍埗のいくものが間に合うかもしれない。手応えがある。小説ずいうものの呜を感じる気がした。

    せめおこれだけは「文字霊 癟䞇遍怚み念仏」だけは曞きあげお、やっぱりダメならもうやめよう。
    これは米柀ぞの䟛逊になるのかならないかわからないが。そんな気持ちだ。

    土方が蚀った。
    「鉄道―。あのさあ、俺ももう䞀床小説曞いおみるこずにするわ。せっかくこんな貎重な経隓したしな。前ずは違うものがかける気がするんだ」
    土方の衚情も茝いおいる。
    「やめられたぞんなあ」
    「そやなあ」

    井䞊鉄道は今、念を刻もうずしおいた。文字を䜿っお。
    他の誰のものでもない自分だけの蚀葉で

    それは『生きる』こずに等しい。
    曞くこずの歓びにあふれおいた。
    その先に䜕があるのかは誰にもわからない。

    了






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