
娘をやめて、母になる決意(スムージー⑩)
コーヒーを飲みながら、スマホを眺めていると、家の電話が鳴る。
お昼寝中のケンジが起きてしまいそうだ、むずかりだした。
ケンジをあやして抱きながら、片手で電話に出る。
「エミコ、やっと出たわ」
やっぱり母だ。開口一番に言われた。
「最近、家にいないの?なかなか出ないから、心配で。」
最近、外遊びの会に行ってるから、家空けてるときも多いかも、と答える。
「そんな事で、家のことは、平気なの?家事も手が回らないんじゃない?」
家を見回す。散らばるおもちゃ、乾いたまま山積みの洗濯物、家事か…出来てないなと苦笑するしかなかった。
でも、今は、やっと見つけたケンジと私の居場所を、時間を大事にしたい。
この気持ち母に伝えてみたらどうなるか、私は迷いながらも口にしてみた。
「たしかに家はごちゃごちゃしてる。家事も行き届いてない。でも、今しかないケンジの成長を見届ける事は、今の私にとって、一番大事な事だと気がついたの。心配だとはおもうけど、見守っていてほしい。」
「エミコ、あなたね……」
やっぱり、母のお説教が始まってしまった。
ケンジもモゾモゾ動き、いよいよぐずりだす。よしよしと背中をトントンする。
昨夜の夫との会話を思い出した。たまがわで毎日の様に遊ぶちょっと逞しくなったケンジに、今年の夏は海を見せたいねと、話したのだった。
パパ、ケンジ。
ママ勇気出してみるわ。
「今年の旅行は、パパとケンジと3人で行くことになりそう。お母さんたちとはいけないわ、ごめんね。」
私は息もつかずに一気に言う。
「タツヤさんが、そう言うの?」
母の声は電話越しでも不満が伝わってくる。
「違うよ。タツヤは行ってこい、って言ってるぐらいよ。私が家族の時間を大事にしたいって思ったの。」
「なんで…お父さんだって、楽しみにしてるのよ」
「お母さん。……お母さんの言う通りにしていれば、全部うまくいくのかもしれない。波風も立たないし、それが一番いいのかもしれないとは思う」
でも…私は続けた。
「もし、それで上手くいかなかった時、私はお母さんのせいにしちゃうと思う。……お母さんは、私の人生の責任、取れないでしょ?」
電話の向こうで、母が息を呑むのがわかった。祖父母に仕え、夫に仕え、母のなかで私だけが拠り所の存在だったのかもしれないと、ふと思う。
でも、私もケンジの母になったのだ。
「私は失敗しても、『自分で決めたことだから』って納得できるようにしたいの。お母さんを恨みたくない。ケンジを泥だらけにするのも、家事を後回しにするのも、今年の旅行を3人で行くのも、全部私が決めたこと。私の人生の責任は、私にしか取れないから」
一気に言い、ふうっとため息をついた。
山積みの洗濯物も、散らばったおもちゃも、なんだか、愛おしい。もちろん、腕のなかにいるケンジも。
「……勝手にしなさい。もう、あなたの好きにすればいいわ」
母の声は、怒りというより、寂しそうな響きに変わっていた。
良心が少し痛む。
でも私はもう、その声に支配される娘をやめたのだ。
「ごめんね、ありがとう、お母さん。……また落ち着いたら、ケンジの顔見せに行く。お父さんにもよろしくね。」
電話を切って、ふと部屋を見回す。
窓から入る風が、カーテンを揺らす。
ケンジがふう、と深い寝息を立てた。
私は彼を抱き直して、もう一度そっとお布団に寝かせる。
冷めてしまったコーヒーを飲むと、深く呼吸ができている自分に改めて気がついた。
夫が帰ってきたら、初の家族旅行の計画を立てよう。千葉?沖縄?思い切って東南アジアのリゾートも素敵。
自分たちで選択していくのだ、色々な事を。
まずは、家事しないとねと、リビングを眺めると、苦笑いが思わず出てしまった。
ここが私の居場所。これから自分で、居心地良いように作っていくのだ。
ソファの山積みの洗濯物を手繰り寄せ、畳んでいく。
お気に入りのプレイリストを優しい音で掛けながら、そのまま続けていく。