
私はあなたの母だからね。
子どもって、何でも楽しいのだと思っている節が、私にはある。
何と言うか、気分が純度100%の「楽しい!」で構成されているような生き物、それが私の持つ子どものイメージかもしれない。
だが、娘を見ているとそうでもないことがわかってくる。
3歳児にして、
「幼稚園は楽しい」
「幼稚園はママと離れ離れになる」
の、あっちをとればこっちが立たない、こっちをとればあっちが立たない、に既に苦しめられている。
齢3歳にして!?
と驚愕に口元を押さえたくなる。
東京に行けば仕事がある。
東京に行くとファミリー物件がバカみたいに高い(私もフルタイム正社員で働かないとやっていけない)
みたいな切実さが、娘の前の選択肢には既にある。
何より脳が未熟で自分の感情に振り回されたり、言語能力も未熟で自分の気持ちをうまいこと言語化できなくてモヤモヤしてしまったり。
こりゃ大変だ!
と天を仰ぎたくなることも多い。
そんな未完成な身体と心で、子どもながらに幼稚園という小さな社会に飛び込んでいく寄る辺に、私はなっているのだなぁと責任の重さと、ほんわかとした温かさを感じている。
働くことができず、自分に何の価値があるのだろうと思っていた私に、「あなたがいないと生きていけないんです!」と全力で寄りかかってくるのが娘である。
あ、私にそんな力がありますか。
ご期待に添えるよう頑張りますね。
と、3年ほど母を続けている。
専業主婦で、父子より母子のつながりが強いのも大きいかもしれない。
夫より娘を正確に理解している自信と、彼女から信頼されている自信がある。
例えば、風呂上がりのパジャマの向きをパパに確認した後に、わざわざ風呂に入っているママに確認しに来る。
私の最終決定が、彼女には必要らしい。
みたいな些細な出来事が、私の自尊心をくすぐり、良き母であるかのように思わせてくる。
4月は楽しく通った幼稚園も、今後毎日通うらしいと気づいた時、
「ママも一緒に行こう?」
と行きしぶりをするようになってしまった。
それでも、泣きながらママとバイバイをして、迎えにいけば楽しかったのだとわかる笑顔で帰ってくる。
昨日は迎えに行くと渋い顔でピタリと引っ付いてきたので、これはなかなか疲れていると思った。
今日は「行かない」「行く」「行かない」「遅れて行く」「行かない」「遅れないで行く」
そして「行かない」でフィニッシュした。
何とも揺れに揺れた朝であった。
最近、娘は私のお腹に乗って眠る。
本当に、最近になって見られるようになった行動で、ママにくっついて回復しているのかな?なんて思うと、
「かわいいねぇ、いくらでも引っついておいき!」という気持ちになる。
休息にママを欲するその姿が、
私に働いて得るのとは違う自信を確かにもたらす。
子どもだって、子どもなりに大変だ。
娘の大切な回復場所として、なるべく笑っていられれば良いと、今では思っている。