
「『子ども達だけは助けて』その声が今も消えない」
「子ども達だけは助けて」
その声は、今も消えない。
消えたことがない。
忘れた日も、一度もない。
夜になると、静かになる。
電気を消したあとの部屋は、やけに広くて、
冷蔵庫の低い音だけが残る。
時計の針が動く音。
カチ、カチ、と。
その隙間に、入り込んでくる。
「子ども達だけは助けて」
あのときと同じ声で。
喉を押し潰されたみたいな、息の混じった声で。
夢じゃない。
記憶でもない。
もっと質の悪いものだ。
体の奥に残っている。
剥がれないまま。
あの日のことは、全部は思い出せない。
でも、いくつかの場面だけが、
切り取られたみたいに残っている。
玄関の方からした、重たい音。
ドン、と何かがぶつかる音。
靴が擦れる音。
知らない男の、低い声。
その瞬間、空気が変わった。
さっきまであったはずの“家の匂い”が消えて、
冷たいものが流れ込んできた。
息が浅くなる。
胸の奥が、ぎゅっと縮まる。
リビングの方から、物が倒れる音がした。
ガタン、と。
そのあとに、短い沈黙。
動けなかった。
足の裏が、床に張り付いたみたいだった。
フローリングの冷たさだけ、やけに鮮明だった。
そのとき。
「子ども達だけは助けて」
母の声だった。
いつもの声じゃない。
怒っている声でも、泣いている声でもない。
必死に、誰かにすがるような声だった。
体が反応した。
でも、前に出られなかった。
廊下の角。
そこを曲がれば、見えたはずだった。
何が起きているのか。
何をすればいいのか。
でも、行けなかった。
もう一度、音がした。
何かが軋む音。
息が詰まるような、短い声。
そして、
急に静かになった。
さっきまであった音が、全部消えた。
時計の音だけが残った。
カチ、カチ、カチ。
その音がやけに大きくて、
時間だけがそこに取り残されたみたいだった。
気づいたときには、
全部終わっていた。
母はいなくなっていた。
父もいなくなっていた。
テーブルの上には、
さっきまでの生活がそのまま残っていた。
飲みかけのコップ。
少しだけ残ったご飯。
テレビのリモコン。
何も変わっていないのに、
一番大事なものだけが、なくなっていた。
理解が追いつかなかった。
ただ、
あの声だけが残った。
「子ども達だけは助けて」
助けられなかった俺に向かって、
何度も、何度も繰り返される。
終わらないまま。