
私は大人じゃないのだ
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はじめに
先日夏の甲子園出場に向けた高校野球の県大会予選を見に行く機会があった。
高校球児たちの不安定な試合展開、ゲーム内にドラマがあり、見ごたえは十分。とても刺激的な試合を観戦できた。
そこでだ。
ベンチ入りから外れて観戦席で応援する2軍以下の高校球児たちが指導陣に対して「これから行おうとしている行動報告」の様子が目に入ってしまい、
「まだこういう状況なのか…」と若干の息苦しさを感じた。
高校生がトイレに行くのにも指導陣に許可を求めていたからだ。
そこで、なぜこういう組織ルールなのか?を考える上で
「大人と子供」の違いで考えてみることにした。
中でも大人の基準は何だろうか?と疑問に思い、記事にしたい。
大人とは自制心の強さである。
まず大人の定義を理解するために辞書で調べてみた。
「大人」
①成長した一人前の男女
②分別をわきまえていること
③自制心(※)の強いこと
※自制=自分で自分の感情や欲望を抑えること
上記を大人と定義とした場合、自制心の強さが大人の基準と考えられる。
なるほど、自分の感情や欲望を抑えたりコントロールできるようになるのが大人になる関門ということのようだ。
前見出し内容の高校野球部のルールにしても
高校生の青少年から大人になる過程で、
「自分の感情や欲望を抑える」自制心を養う訓練としてこの報告ルールを課しているのならば理にかなっている、と納得した。
ちなみに、「学校」と「教育」についての辞書上の定義についても調べてみた。
「学校」
一定の設備と方法によって教師が児童、生徒、学生を継続的に教育する所
「教育」
人に何事かを教え、習得させること
ということだ。
◆抽象
教師(大人側)が生徒(子供側)に【教育】をすることが【学校】である。
という文脈を辞書表現で言い換えてみると、
◆辞書表現への言い換え
【一定の設備と方法を利用】して、大人が子供に【何事かを教え、習得させること】が学校である。
と言い換えられる。
高校球児の報告ルールは、学校の役割をしっかり果たしている
と言えると思う。
おわりに
定義上は問題ない、とわかった。
とはいえ、自身の心がまだ納得していない現実がある。
「勉強しないといけないのはわかっちゃいるけど…」の学生の気持ち。
どうにもこうにも解消できないモヤモヤがある!
モヤモヤと定義に納得いっていない、いわば自制心がない私はまだ大人じゃないのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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