ニューヨーク・エッセー(映画を思い出しながら⑥)ストレンジャー・ザン・パラダイス
この週末は米国東部から南部にかけて、広範囲で記録的な寒波が襲う予定。ニューヨークでは最大41センチの積雪予報もあり、如何に寒さに慣れた都市とはいえ、停電や断水など大丈夫であろうか。こういう時はアパートに籠って、鍋でもつつくに限る。陽が高いうちに、買い物に出かけてこよう。

僕にとって、ニューヨークの寒くてきりっとした雰囲気に合う散歩のテーマ曲は、スティングの「Englishman in New York」である。ポリス時代のロック路線と異なり、ソロになったスティングはジャジーで物悲しいトーンが多くなり、まだ若かった僕には少し物足りない気がしたが、同時に都会の大人への憧れも掻き立ててくれた。同曲のモノクロのプロモーションビデオも恰好良かったなあ。
雪のニューヨークをモノクロで描いた映画で思い出すのが、ジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」である。大学生の時に観た時は、一体これの何が良いのか分からなかったが、歳を重ねてから観ると独特のわびさびや味わいを感じる映画である。ストーリーはハンガリーの女性エヴァ(エスター・バリント)がニューヨークに住むいとこのウィリー(ジョン・ルーリー)の安アパートを訪ねてきて、何気ない数日をニューヨークで過ごした後、おばのいるクリーブランドに旅立っていく。1年後、ウィリーとその博打仲間のエヂィ(リチャード・エドソン)はエヴァを訪ねてクリーブランドに行き、その後3人でフロリダに向かう。ロードムービーといえばそうだが、何気ない会話とやりとりをモノクロ映像がゆったりと絶妙の間で切り取っていく。 ここで描かれるニューヨークには、摩天楼やタクシーや人通りも出てこない、無機質で記号のようなものである。クリーブランドもフロリダも、寒々とした色もない殺伐とした風景だけである。自身をアメリカ人であると言い、母国語ではなく英語を喋れ、というウィリーの薄ぺっらいアメフト解説やTVディナー、それを淡々と醒めた目で見るハンガリー移民のエヴァはアメリカ的なホットドック店で働き、ディープなアメリカンブルース(スクリーミン・ジェイ・ホーキンス)を愛する。何か起こりそうで起こらないストーリーで、情けないようでどこか喜劇的でスタイリッシュな感じもする。移民の3人の会話を通じて、何がアメリカ的で非アメリカ的なのか、と考えさせられる。今のアメリカは混沌、分断されていると言うけれど、そもそも今に始まったことではないし、長い視点でみれば、そもそも人間の営みとは似たり寄ったりなのかも知れないし、それだけ多様で、流動的で、滑稽なものがアメリカの本質なのかも知れない。
チャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」と言っている。僕はこれを「耐えるときは悲しいものだが、語れるようになった時には笑い話になっている」と時間薬の効用として解釈している。 Englishman in New Yorkの歌詞には、「It takes a man to suffer ignorance and smile. Be yourself no matter what they say」とある。「一人前の男は無視されても受け流し、笑っているんだ。誰が何を言おうと、自分らしく生きるんだ」という意味である。僕は移民ではないけれど、ここではエイリアン(異邦人)である。寒いニューヨークに一人でいると、日本の温かさが恋しくなる。でもこれから散歩に出かけ、I'm a Japanese man in New Yorkと口ずさみながら、こういう日々もいつかクスっと思い出して笑えるように、寒空のニューヨークの日常を噛みしめようと思う。
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」1984年
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ジョン・ルーリー、エスター・バリント
ジム・ジャームッシュ監督が独特のオフビート感覚でカンヌ映画祭のカメラワーク賞を受賞した記念碑的作品。「新世界」「一年後」「楽園」の三構成で、モノクロ映像の間を見ているうちに、不思議な情感に包まれる。殺伐としたニューヨークのロケ地はLower ManhattenのBowery・Bleecker Streetにある。
