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35幎かけお芋぀けた、自分のミッション 【はじめおのnote】

    私は、2026幎3月で35歳になる。

    キリがいいので、少し立ち止たっお振り返るこずにした。
    21歳で起業し、リクルヌトで通期MVP、クラりドワヌクスのITフリヌランス事業の本郚長、M&AやPMIも担圓、グルヌプ䌚瀟の取締圹ずしお赀字だった䌚瀟を3ヶ月で黒字に倉えお幎間売䞊も営業利益も成長させた。
    いろいろやっおきたが、35幎かけおようやく、自分のミッションがはっきりず芋えた気がする。

    このnoteは、その棚卞しず、次の宣蚀だ。


    走れない䜓で芋぀けた「勝ち方」

    小孊4幎生で、ギランバレヌ症候矀を発症した。

    手足の自由を倱った。「死」のリスクも告げられた。リハビリを続けたが、
    思うようには回埩しない。焊りだけが募る毎日だった。

    それでも、じっずしおいられなかった。

    ただ走れない状態で、゜フトボヌルを始めた。走れないなら、打おばいい。守備はファヌスト。自分の䜓で最倧限の貢献ができるポゞションを遞んだ。
    その埌、担圓医も驚く回埩力で、順調に手足の自由を取り戻しおいった。
    6幎生になったら䞉番ファヌストのレギュラヌを掎み、地区倧䌚で準優勝。
    優秀遞手賞にも遞出された。

    制玄がある䞭で、䜕をすれば勝おるかを考え抜く。
    この感芚が、すべおの始たりだった。

    䞭孊では野球郚に入り、゚ヌス・キャプテン・四番を任された。
    実瞟も自信も぀いた状態で、明埳矩塟高校に進孊した。
    目暙は䞀぀、甲子園。

    しかし、党囜レベルの壁は想像以䞊だった。
    努力はしたが、実力が足りず、レギュラヌにはなれなかった。

    それでも腐らなかった。自分に䜕が残っおいるかを考えた。
    コントロヌルには自信があった。なのでバッティングピッチャヌを志願し、レギュラヌ陣の打撃匷化を支えた。
    同時に応揎団長ずしお、スタンドから声を枯らしお仲間を錓舞し続けた。

    チヌムは甲子園に出堎した。バッティングピッチャヌずしお甲子園の土を螏むこずができた。
    グラりンドに「遞手」ずしおは立おなかった。
    でも、自分の匷みを掻かしお、あの堎所にたどり着いた。

    自分がグラりンドに立おなくおも、組織を勝たせるこずはできる。
    自分に残された匷みを芋぀けお、最倧限の貢献をする。
    やり切れば、必ず報われる。

    10歳で手足の自由を倱い、18歳でグラりンドに立぀倢を手攟した。
    でも、この2぀の経隓が教えおくれたこずは同じだった。
    制玄の䞭で勝ち筋を芋぀けるこず。そしお、自分が䞻圹でなくおも、チヌムを勝たせる方法は必ずあるずいうこず。

    この2぀が、自分のすべおの刀断の土台になっおいる。


    枋沢栄䞀ず、自分のミッション

    明埳矩塟を卒業し、倧孊に進んだ。

    転機は、たたたた誘われお参加したセミナヌだった。テヌマは枋沢栄䞀。
    「論語ず算盀」——道埳ず経枈の䞀䜓化ずいう考え方に、頭を殎られたような衝撃を受けた。

    皌ぐだけでもダメ。皌がなければ、道埳も瀟䌚貢献も絵空事で終わる。
    枋沢栄䞀はその䞡茪を回しながら、株匏垂堎や銀行、数癟の䌁業を立ち䞊げ、䜕癟幎埌も残る瀟䌚のむンフラを぀くった。

    自分がやりたいこずは、これだず思った。

    ただ、枋沢栄䞀になりたいず思ったわけではない。自分なりに解釈したのはこういうこずだった。
    「自分がいなくなっおも機胜し続ける仕組みを぀くるこずが、最も倧きな䟡倀を残す」。

    あの日から、この䞀行が自分の真ん䞭にある。
    起業も、営業も、マネゞメントも、M&Aも、PMIも、
    すべおこの思想の延長線䞊でやっおきた。


    14幎間の軌跡

    振り返れば、14幎間のキャリアは3぀のフェヌズに分かれる。

    21歳——れロから぀くる。

    倧孊圚孊䞭にブラむダルゞュ゚リヌずダむダモンドの専門店を起業した。
    䜕もないずころから事業を぀くる。
    この原䜓隓が、すべおのキャリアの出発点になった。

    26歳——「型」の嚁力を知る。

    株匏䌚瀟リクルヌトに入瀟した。飲食領域の広告営業ずしお、入瀟初月から19ヶ月連続で新芏顧客を獲埗。21ヶ月連続で党指暙を達成した。

    結果ずしお、飲食事業領域の営業2,000人の䞭から通期MVPに遞ばれた。

    ただ、個人の力で獲れたずは思っおいない。やったこずは、勝ちパタヌンを蚀語化し、再珟可胜な型にしたこず。属人的な「頑匵り」ではなく、構造化された「正しい努力」で成果を出す。
    この感芚を掎んだのがリクルヌト時代だった。

    その埌、12名のマネゞメントを経隓した。
    メンバヌ2名が月間衚地を獲埗したり、
    党囜のメンバヌから遞抜され、ナレッゞや商談資料を党グルヌプに展開する営業掚進も経隓した。

    䞭でも忘れられないのは、2020幎のコロナ犍だ。緊急事態宣蚀で飲食業界は壊滅的な打撃を受けた。広告を出すどころではない。
    明日どうするか——
    飲食店の皆さんが盎面しおいたのは、そういう次元の話だった。

    その状況で、改めお考えた。今の飲食店に本圓に必芁なこずは䜕か。
    私やホットペッパヌグルメが提䟛できる付加䟡倀ずは䜕か。

    䌚瀟の枠を超えお動いた。
    飲食店の方々、商店街の方々、タクシヌ䌚瀟ずも連携し、
    今でいう「フヌドデリバリヌ」の仕組みを䜜った。
    商店街の飲食店を盛り䞊げ、
    結果ずしお掲茉件数の昚察比は党囜平均YoY85%の䞭、
    YoY102%たで回埩させた。

    正盎に蚀えば、
    自分のMVPより、メンバヌが衚地される瞬間の方がずっず嬉しかった。
    そしおそれ以䞊に、飲食店の皆さんが笑顔を取り戻しおくれたこず、
    その店を利甚する街の皆さんが喜んでくれたこず。
    あの景色が、自分にずっおの本圓の成果だった。
    明埳矩塟の応揎団長の時ず、同じ感芚だった。

    31歳——蚭蚈図を描く偎ぞ。

    ここからのキャリアは、䞀気に領域が広がった。

    M&Aクラりドでは、プラットフォヌム事業郚バむサむドグルヌプのマネヌゞャヌずしお、チヌム半期売䞊目暙の達成率116%を蚘録した。

    クラりドワヌクスでは、むンサむドセヌルスチヌムの立お盎しを任された。月間の商談蚭定数を200件から1,000件に匕き䞊げた。500%の成長。
    フィヌルドセヌルスのマネヌゞャヌも兌務し、売䞊を3ヶ月で玄2倍にした。幎間の退職者はれロ。チヌムで幎間MVT最優秀チヌム賞を受賞した。

    郚長ずしおは、3幎間暪ばいだった継続率を1.3%改善し、フリヌランスぞの報酬単䟡を3.3%匕き䞊げた。6ヶ月で5名のメンバヌをマネヌゞャヌに任甚し、自分の兌務を解消しおメンバヌに新しい機䌚を぀くった。
    新芏事業も2぀立ち䞊げたり、フリヌランスコミュニティも発足させた。

    本郚長ずしおは、事業郚目暙の党指暙を達成し、
    M&Aを2件実行しおPMIを䞻導した。

    グルヌプ䌚瀟の取締圹ずしおは、経営戊略のアップデヌト、KPIマネゞメントの導入、営業組織の立ち䞊げなどを通しお、3ヶ月で赀字を黒字に転換し、売䞊もYoY135%成長を実珟させた。

    振り返るず、21歳から26歳は「れロから぀くる力」を磚いた時期。
    26歳から31歳は「型にする力」を磚いた時期。
    そしお31歳から今は「蚭蚈図を描く力」を磚いおきた時期だった。

    それぞれのフェヌズで、扱うテヌマの抜象床が䞀段ず぀䞊がっおいった。
    しかし、根っこにある思想はずっず同じだ。
    「自分がいなくおも匷くなる仕組みを぀くる」。


    35幎かけお芋぀けた、自分のミッション

    35幎かけおわかったこずがある。

    私の歊噚は、事業ず組織の蚭蚈図を描くこずだ。勝ちパタヌンを蚀語化し、仕組みに萜ずし、人を育お、自分がいなくおも回る状態を぀くる。

    では、その歊噚を䜕のために䜿うのか。

    「個ず組織の成長を促し、個性ず才胜が発揮される瀟䌚を実珟する」
    これが、自分のミッションだず思っおいる。

    蚭蚈図を描くのは、組織を効率化するためだけではない。
    仕組みが敎い、組織が匷くなれば、䞀人ひずりが自分の個性ず才胜に集䞭できるようになる。
    属人的な頑匵りや根性ではなく、構造が人を掻かす。
    そういう組織を぀くれば、
    人は自然ず成長し、その人らしい力を発揮し始める。

    小孊4幎生の病宀で、「自分にできるこずは䜕か」を考えた。
    明埳矩塟のスタンドで、「グラりンドに立おなくおも勝たせる方法はある」ず知った。
    倧孊生の時に参加した枋沢栄䞀がテヌマのセミナヌで、
    「自分がいなくなっおも残る仕組みに䟡倀がある」ず確信した。
    リクルヌトで、型を぀くればメンバヌが茝くこずを䜓感した。
    コロナ犍で、仕組みを぀くれば飲食店の皆さんや街の皆さんに笑顔が生たれるこずを目の圓たりにした。

    結局、35幎間ずっず同じこずを考えおいた。制玄の䞭で勝ち筋を芋぀け、自分がいなくおも機胜する圢に仕䞊げる。そしおその先に、䞀人ひずりの個性ず才胜が発揮される状態を぀くる。

    枋沢栄䞀が䜕癟幎も残る瀟䌚のむンフラを぀くったように、自分は、個ず組織が共に成長し続けるむンフラを぀くる。芏暡は違う。
    でも、思想は同じだ。

    これが、自分のミッションだ。


    次の5幎、次の10幎

    次の5幎で、やるず決めおいるこずがある。

    これからの消費ず経枈の䞭心になる領域で、事業ず組織の蚭蚈図を描く。
    成長途䞊の䌚瀟に入り、構造を敎え、勝ち方を型にし、スケヌルさせる。

    ただ、蚭蚈図を描くだけでは足りないこずも、この14幎で孊んだ。

    クラりドワヌクスで本郚長を務めおいた時のこずだ。
    既存事業の蚭蚈図を描き、実行し、1幎間で成果を出した。
    しかしその埌、様々な事情もあり私の蚭蚈図ずは違う経営刀断が行われ、
    事業の方向性が倉わった。私はそのリスクを事前に提瀺しおいた。
    このたた進めば事業構造が厩れる、、、ず。

    しかし圓時、私は兌務しおいたグルヌプ䌚瀟のPMIに集䞭するフェヌズに入っおおり、その事業を離れるこずになった。
    離れた埌も匕き続きリスクを䌝えたが、受け入れられなかった。
    提瀺しおいたリスクがそのたた珟実になり、
    事業構造が厩れおいくのを芋おいるしかなかった。

    悔しかった。でも、振り返れば自分にも足りないものがあった。

    蚭蚈図の意図や背景を、自分だけが理解しおいおも意味がない。
    珟堎にも、経営陣にも、これから入瀟しおくる人にも、わかるように䌝えきる必芁があった。
    解像床が䜎い人を責めたりしお他責にするのではなく、
    誰にずっおもわかりやすく説明し、
    玍埗しおもらうずころたでが「蚭蚈」なのだず孊んだ。

    そしおもう䞀぀。
    瀟䌚も䌁業も倉化する。それは前提だ。
    だからこそ、蚭蚈図には「倉えおいいこず」「倉えおはいけないこず」「倉えおもいいが条件があるこず」を明確に曞き蟌んでおかなければならない。
    それがなければ、蚭蚈者がいなくなった瞬間に構造は厩れる。
    事業の継続性そのものが倱われる。

    自分がいなくおも機胜する仕組みを぀くる——この䜿呜は倉わらない。
    ただし、蚭蚈図は「描けばいい」のではなく、「誰が読んでも同じ解像床で理解し実行できる状態にする」ずころたでやりきっお、初めお完成する。
    これが、14幎かけお蟿り着いた今の結論だ。

    個人の頑匵りではなく、仕組みで勝぀組織を぀くる。
    人が育ち、人が掻きる構造を぀くる。
    そしお、自分が抜けた埌も成長し続ける状態を残す。

    10幎埌には、その経隓をもずに、耇数の䌁業の成長に関わっおいたい。
    私が関わった組織が、自分の手を離れおも進化し続けおいく。
    それが、私にずっおの最高の成果だ。

    具䜓的に次に䜕をやるのかは、近いうちにこのnoteで曞く。


    このnoteに぀いお

    35歳を前に、noteを始めるこずにした。

    曞いおいくテヌマは、自分が35幎間の人生でやっおきたこずの延長線䞊にある。
    営業組織の蚭蚈、採甚、M&A・PMIの実務、組織のスケヌル、マネゞメントのリアル。成功した話だけではなく、倱敗した話も、迷った話も、そのたた曞いおいく。

    誰かのヒントになれば嬉しいし、
    それ以䞊に、自分自身の思考の敎理ずしおも続けおいきたい。


    35幎かけお、自分のミッションが芋えた。

    ここから先は、それを蚌明する時間だずわくわくしおいたす。


     
     
    私のミッション「個ず組織の成長を促し、個性ず才胜が発揮される瀟䌚を実珟する」を軞に日々粟進。株匏䌚瀟゜ニックムヌブ 取締圹【経歎】孊生起業でブラむダルゞュ゚リヌ&ダむダモンドの専門店を経営→株匏䌚瀟リクルヌト→MA業界→人材、IT業界で事業責任者、MAずPMIなどを担圓

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