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娘が卒業した日 ──5ccの牛乳から始まった、わが家の五年間

    「トト、起きて!」

    なつめちゃんの声で目が覚めた。
    時刻は朝の七時半。ぼーっとする頭を持ち上げた私は、少し身震いした。窓の外には春の陽射しが差し込んでいる。しかし、布団の外はまだ寒い。「春寒しゅんかんなのか」と妙に納得しつつ、まだ生暖かさが残る布団に別れを告げた。

    今日、3月8日は三女なつめの卒園式だった。
    そして、わが家にとっては、もうひとつの「卒業」を祝う日でもあった。

    なつめちゃんは、朝から準備万端。一方の私は、深夜にかけて保護者代表の謝辞を書き上げたばかりである。気持ちは準備万端だったが、体は二度寝希望だった。妻に急かされながら、私は急いで身支度を整えた。時間はなかったが、髪の毛だけはいつもより念入りに整えた。娘の心の片隅で、米粒ほどでもいいから、カッコイイお父さんと思われたいではないか。

    しかし、身支度だけでは出発できない。
    「カメラ持った?」「スマホどこ?」「メガネ、メガネ」と、いつもの儀式を済ませ、イライラの妻とワクワクの娘とともに、なんとか家を出た。それでも、卒園式開始7分前にはなんとか到着できた。

    今回で、卒園式は三度目だった。
    長女、次女、そして三女。三度目ともなれば、親のほうも多少は慣れているはずである。しかし、卒園式というものは、何度出席してもいけないものだ。卒園証書を受け取る子どもの表情。思い出を言葉にする声。お別れの歌。まるで熟練スナイパーのように、親の涙腺を正確に狙ってくる。そして、とどめの一言がある。

    「お父さん、お母さん。こんなに大きくなりました」

    その瞬間、私の涙腺は見事に撃ち抜かれ、あっけなく決壊した。「こんなに大きくなりました」だなんて反則である。そんなことを言われたら、親は泣くに決まっている。こちらはもう、最初から不利な戦いをしているのだ。しかも困ったことに、私はこのあと出番があった。保護者代表として、謝辞を読むことになっていたのだ。これは非常にまずい。決壊したばかりの顔で、マイクの前に立たなければならない。壊れた蛇口を持って舞台に上がるようなものだ。

    前々回、長女の卒園式でも私は謝辞を読んだ。
    そのときは、引くほど泣いた。自分でも引いた。言葉につまり、声が震え、数十秒の沈黙が流れた。あれは謝辞というより、涙の朗読発表会だった。そんな記憶が、ふいによみがえった。

    さあ、出番がきた。
    席を立ち、お辞儀をしてマイクに顔を近づける。
    「うっ」やはり声がつまった。しかし、人間というのは成長するものだ。今回は、数秒の沈黙で乗り切った。途中で二、三回ほど声がつまったが、なんとか言葉を絞り出すこともできた。

    無事に役目を終えた私は、ひとまず大きな仕事を終えた気分だった。式のあと、何人かの保護者が「感動的な謝辞でした」と言ってくださった。ありがたい言葉である。ただ、その言葉の半分……いや、大半は社交辞令だったかもしれない。それでも、その声かけに救われた思いがした。爆笑していたのは、うちの妻ぐらいだ。

    社交辞令かどうかはさておき、今回の謝辞でどうしても伝えたいことがあった。それは、先生方への感謝である。もちろん、日々の保育への感謝もある。朝から夕方まで、子どもたちを見守ってくださったこと。泣いたり笑ったり怒ったりする子どもたちに、毎日向き合ってくださったこと。それだけでも、十分にありがたかった。けれど、わが家には、もうひとつ大きな感謝があった。なつめの食物アレルギーに、ずっと寄り添ってくださったことだ。

    なつめは、食物アレルギーを持って生まれた。特に強かったのが、牛乳とピーナッツだった。私が飲みかけていたカフェオレを口にして救急車で運ばれたこともあれば、豚みそを食べてまた救急車で運ばれたこともあった。どちらも、親として一生忘れられない出来事だ。

    あの時の光景は、今でも体のどこかにこびりついている。

    子どもが咳き込む。
    顔色が変わる。

    コトン。
    私の胸の奥で、変な音が鳴り始める。
    心臓が冷たい場所へ落ちていくような、嫌な音だ。

    そんな時、親は本当に無力である。普段は偉そうに「早く寝なさい!」「ゴミはゴミ箱!」などと言っている父親も、いざ子どもの体に異変が起きれば、ただオロオロするだけの生き物になる。父親というものは、ゴミの場所には詳しいが、アレルギー発作には弱い。

    食物アレルギーは、単に「食べられないものがある」という話ではない。食べものが突然、怖いものに変わるということだ。まるで『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンである。本来なら、ただ美味しいだけのものが、突然こちらに襲いかかってくる。誰かにとっては楽しいおやつも、わが子にとっては命にかかわるものになるのだ。その怖さを、家族みんなで抱えていた。

    医師からは、こう説明された。「ピーナッツは克服するのが難しいので、基本的には避けましょう」「けれど牛乳は、トレーニング次第で克服できる可能性がありますよ」こうして、なつめの牛乳トレーニングが始まった。

    牛乳トレーニングと聞くと、少しずつ体を慣らしていく前向きな響きがある。たしかにそうなのだが、実際はもっと地味で、怖くて、泥臭いものだった。

    なにしろ、最初にやることは牛乳を飲むことではなかった。まずは、牛乳がどこに潜んでいるのかを知ることから始まった。これが、想像以上に大変だった。「私は牛乳とは関係ありませんよ」みたいな顔をした食品の中にも、乳成分が潜んでいる。

    ハム、ウインナー、カレー、コンソメ、インスタント麺、お菓子、洋食……。

    「え、これにも?」
    「これも?」
    「お前もか!」

    成分表示を見るたびに、私は心の中でそうつぶやいた。乳成分は、実にいろいろなところに潜んでいた。こちらが油断していると、原材料名の中にスッと入り込む。「忍者か」と思うほどである。

    外食をすると、和食以外はほとんど乳成分が潜んでいるように感じた。洋菓子は、ほぼ全滅だった。

    チョコレート、ケーキ、プリン、アイス、シュークリーム……。

    子ども界隈で人気があるものは、だいたい牛乳方面だ。なつめは、牛乳の代わりに豆乳を飲み、おやつは和菓子中心になった。それはそれで、健康的である。しかし、親としては胸が痛む。周りの子どもたちが同じものを食べているとき、なつめだけ別のものを食べる。本人が平気そうにしていても、つい不憫ふびんに思ってしまう。「これでいいのかな」「かわいそうな思いをさせていないかな」そんなことを、何度も考えた。それでも、なつめは、こちらが思うよりずっと強かった。

    本人もアレルギーを理解して、「これ食べていい?」「これはダメだから、こっちにするね」と、けなげに聞いてくる。子どもが我慢している姿を見て、親のほうが勝手に不憫に思い、勝手にしょんぼりしているだけなのだ。まったく困ったものである。

    こうして牛乳を除去していくと、今度はカルシウムが足りない問題に直面する。そのため病院からは、カルシウムを補う食品についても指導された。しかし、そこに並んでいた食品は、なかなか渋かった。

    豆腐、納豆、ひじき、小魚、桜えび、そして小松菜。

    悪くはない。悪くはないのだが、子どもが目を輝かせるラインナップではない。「わーい、小松菜だ!」という子どもは、なかなか渋い人生を歩んでいくのではないだろうか。

    食物アレルギーと向き合う生活に、派手さはない。

    毎日の買い物、成分表示の確認、保育園との連絡、病院の受診、食事の準備、本人への説明。

    ひとつひとつは小さい。でも、それが毎日続く。地味で、細かくて、終わりが見えない。それでも、やるしかなかった。

    日々のアレルギー対策とは別に、半年に一度は入院して、牛乳の負荷試験を受けた。医師の管理のもとで、どのくらいの量なら飲めるのかを確認する試験である。クリアできた量は、家に帰ってから毎日摂取させ、その量に体を慣らしていく。

    スタートは、たった5ccだった。

    5ccというと小さじ一杯分だ。大人から見れば、ほんの少しである。しかし、なつめにとっては大きな挑戦だった。

    その5ccを毎日のように口にする。
    そして、しばらく様子を見る。
    親は、ほんの小さな変化にも目をこらす。
    まるで研究者にでもなったかのように。

    なつめに現れる主なアレルギー反応は、体のかゆみと咳だった。体のかゆみだけなら、薬で対応できることもある。けれど、咳が出ると空気が変わる。

    医師からは、こう言われていた。
    「咳が出たら、すぐ救急車を呼んでいい」

    それくらい、咳は危険なサインだった。アレルギーの咳は、内臓のかゆみのようなものだと説明された。皮膚のかゆみなら、赤みや腫れが目で見える。目に見える症状なら、まだ対応しやすい。けれど、体の中で起きていることは見えない。

    見えないものは、底知れず怖い。

    だから親は、たった一回の咳でも、普通の咳なのか、発作の咳なのかを必死に見分けようとする。この独特の緊張感は、何度経験しても慣れるものではなかった。

    こんな毎日であったが、なつめは頑張った。親も頑張った。医師も、先生方も、本当に頑張ってくださった。保育園では、食事の管理にも細かな配慮があった。みんなと違うものを食べる場面でも、なつめが寂しい思いをしないように見守ってくださった。

    給食でも、おやつでも、イベントでも。先生方の気づかいは、わが家にとって大きな支えだった。アレルギーは、本人と家族だけで乗り越えるものではなかった。医師がいて、保育園の先生がいて、家族がいて、本人がいる。たくさんの人の注意とやさしさの上に、毎日の生活が成り立っていた。

    気がつけば、五年が過ぎていた。5ccから始まった牛乳トレーニングは、少しずつ飲む量を増やしながら続いていた。一度は量が増えたのに、次の試験では発作が出てしまい、また量を減らされることもあった。

    焦ってはいけない。無理をしてはいけない。でも、諦めてもいけない。急ぎたい気持ちもある。怖くて止まりたい気持ちもある。そのあいだを、ゆっくり歩くような五年間だった。

    今日できる量を、今日もやる。地味である。とても地味である。でも、地味なことを毎日続ける人は強い。なつめは強かった。

    そうして迎えた、卒園式目前の1月。この日も、牛乳の負荷試験を受けるため、病院へ向かった。道中の空は重く、今にも雪が降り出しそうだった。

    受付を済ませて病室に入ると、そこには同じように負荷試験を受ける小さな子どもたちがいた。

    「おや?」

    ふと見ると、なつめちゃんが、その中でずいぶんお姉さんに見えた。泣いている子を気にしたり、小さな子に声をかけたりしている。

    少し前までは、自分が不安そうな顔で試験を受けていたはずなのに。この五年間で成長したのは、飲める牛乳の量だけではなかったのだ。

    そんななつめちゃんの前には、200ccの牛乳が置かれていた。5ccから始めた私たちにとって、それはあまりに膨大な量だった。見守るこちらからすると、まるで大ジョッキになみなみと注がれているような、そんな錯覚すら覚える量だ。

    「本当に大丈夫なのか?」

    なつめは、その牛乳をゆっくり口に運んだ。

    飲み終わってからが、また長い。医師や看護師さんと共に、様子を確認しながら経過を追った。

    10分。20分。30分。
    時間は、ゆっくりと過ぎていく。

    その間も、病室には子どもたちの声や物音があったはずだ。けれど、私には妙に静かに感じられた。

    60分が過ぎても、アレルギー反応は出ない。
    さらに60分。120分が経っても、反応は出なかった。

    なつめは、ついに200ccをクリアしたのだ。

    そして、

    「牛乳負荷試験は、今日で卒業です」

    医師から、そう告げられた。

    その言葉を聞いたとき、胸の奥に張りつめていたものが、ふっとゆるんだ。窓の外では、いつの間にか雪が降り始めていた。けれど、私の胸の中には、少しだけ春の陽射しが差したような気がした。

    もちろん、すべてのアレルギーがなくなったわけではない。ピーナッツには、これからも注意が必要だ。牛乳そのものを自由に飲む生活でもない。それでも、学校給食では、牛乳さえ飲まなければ、ほとんどのものを食べられるところまで来た。

    これは、わが家にとって、とても大きな出来事だった。

    今年の誕生日には、普通のケーキが食べられる。これまでは、なつめちゃんだけアレルギー対応のケーキを食べていた。それはそれで、意外と美味しくはある。それでも親としては思ってしまう。

    みんなと同じケーキを、同じように食べられたらいいのに。

    同じ皿。
    同じケーキ。
    同じ「おいしいね」

    それが、どれほどありがたいことなのか。食物アレルギーと向き合う前の私は、そんなことを考えたこともなかった。食べることは、栄養をとることだけではない。

    一緒に食べること。
    同じものを囲むこと。
    同じ味を楽しむこと。

    それもまた、食べることなのだと思った。

    そんな「同じ」を楽しめなかった五年間。よく頑張った。本当に、よく我慢してくれた。

    卒園式の会場で、なつめは立派に証書を受け取っていた。少し前まで、乳成分を避けながら生活していた小さな子が、背筋を伸ばして前を向いている。その姿に、いくつもの光景が重なった。

    救急車に飛び乗った夜。
    食べられないお菓子をそっと棚に戻した、あの後ろ姿。
    病院のベッドで、小さなコップを握りしめた負荷試験。
    初めて5ccを飲み干した瞬間の、安堵と緊張。
    そして、200ccをクリアしたあの日。

    卒園式は、保育園を卒業する日だ。けれど、わが家にとっては、それだけではなかった。

    「乳とピーナッツの文字はないか」
    「本当に食べさせていいのか」
    「かゆみと咳は出ていないか」

    そんな不安と隣り合わせの毎日から、わが家もようやく少しだけ卒業できた。

    まだ、すべてが終わったわけではない。これからも気をつけることはある。それでも、あの日の卒園式で私は思った。

    ここまで来られた。
    それだけでも、十分すごい。

    「お父さん、お母さん。こんなに大きくなりました」

    その言葉に、私は泣いた。大きくなったのは、身長だけではない。

    食べられるものが増えた。
    できることが増えた。
    怖かったものと、少しずつ付き合えるようになった。

    そして、親である私たちもまた、少しだけ強くなったのかもしれない。

    「なつめちゃん、卒園おめでとう」

    そして、

    「五年間、本当によく頑張りました」
    「今年の誕生日には、みんなで同じケーキを食べようね」

    その日、私はまた泣くかもしれない。
    たぶん泣く。
    いや、きっと泣く。
    そのときは、もう泣いてしまおう。

    それはきっと、五年分のごほうびみたいな涙だから。

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