
転生したら豆腐だった エピローグ『夜の道を、ゆっくり進む』
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エピローグ『夜の道を、ゆっくり進む』
薄い膜越しに、夜の街の灯りが伸びたり縮んだりしている。誰かの腕にぶら下げられて、袋は歩くたびに小さく揺れた。中には俺のほかに、ミニトマトと、レタスと、長ねぎが一本入っていた。
俺は豆腐だった。たぶん、絹ごし豆腐だった。その辺りにもうあまり関心を持てなかった。
とにかく水が揺れている。身体の周りに少しだけ隙間がある。
「今日は何の料理ですかね」
袋の上の方から声がした。長ねぎだった。
青いところを袋の口から少し出し、白い部分を俺のパックの角に押しつけている。
長ねぎとは何度も同じ袋に入ったことがある。だいたい文句が多くて口が悪い。
けれど、その声は違った。穏やかで、少し遠くて、聞く側の水をあまり揺らさない声だった。
「……長ねぎさんですか」
「今は、そうです」
その言い方に、俺は少し黙った。袋の中でレタスがかさりと鳴る。ミニトマトたちはころころと音を立てながら、文句を言い合っている。袋の外では、誰かが店のシャッターを下ろす音がした。
「どこかで、会いましたか」
長ねぎは少し黙った。
白い部分が、俺のパックの角に触れている。冷たいわけではない。温かいわけでもない。ただ、細長いものがそこにあった。
「たぶん、棚で」
その声でわかった。半額のシールの赤。灰色のケース。空いた棚。ちゃんと全部は思い出せない。けれど、声の端だけが残っていた。
「住職」
俺はそう呼んだ。
長ねぎは、少しだけ袋の中で揺れた。
歩く揺れとは違う、小さな揺れだった。
「住職だった、です」
その言い方が、どこか広辞苑に似ていて、俺は笑いそうになった。豆腐に笑う場所があるのかはわからない。けれど、水はほんの少しだけ揺れた。
「戻れたんですね」
「戻った、という言葉で足りるのかは、わかりません」
「広辞苑みたいなこと言いますね」
「影響を受けたのかもしれません」
豆腐だった長ねぎはそう言った。
「……百九回、あったんですね」
「いえ、あれは百九回目ではありませんでした」
「じゃあ、何回目なんですか」
「今回で十三本目です」
十三本目。煩悩でも、解脱でもない。木綿でも、絹でも、住職でもない。長ねぎとしての十三本目。
「怖いですか」
俺が聞くと、長ねぎは少しだけ考えた。
「怖くないと言うと、嘘になります」
それから、静かに言った。
「でも、今度は冷凍保存も可能です」
外で夜の風が袋を撫でた。ビニールが小さく鳴る。俺の水が揺れる。長ねぎの白いところが、またパックの角に触れた。
俺たちはどこへ向かっているのかわからなかった。
味噌汁かもしれない。鍋かもしれない。冷奴と薬味の関係になるのかもしれない。
それでも、袋の中にはまだ、何者でなくてもいい時間があった。
「住職」
「はい」
「また、話してもいいですか」
長ねぎは、少し笑ったようだった。
「もちろんです。今度は少し、長く話せそうです」
その返事が、ビニール袋の白い内側に小さく残った。
また水が、ほんの少しだけ揺れる。俺は笑っていたのかもしれない。
ただ袋ごと揺れただけかもしれない。
けれど、そんなことはどちらでもよかった。俺たちは夜の道を、ゆっくり進んでいた。