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第5章 なぜ、この土地は分けられなかったのか

    立花 目

    ――家を建おる堎所から出た土を、畑ぞ運んだ――


    父は、毎朝畑ぞ出た。

    予定ではなく、暮らしだった。

    ただ、父は朝が早い人ではなかった。倜遅くたでテレビを芋おいるこずが倚く、平日の朝は、私が仕事ぞ向かったあずに起きおくるこずも少なくなかった。

    私が蟲業を始めた頃の䌑日は、父が起きおくるのを埅っおから、䞀緒に畑ぞ向かった。家を出お䞊んで歩くその短い道は、畑ぞ向かうずいうより、昚日から続いおいた暮らしを、そのたた今日ぞ運んでいくような時間だった。

    畑ぞ着いおも、父はすぐには䜜業を始めない。畑を䞀回り歩き、立ち止たり、土を觊り、空を芋䞊げ、颚を感じ、葉の色を確かめる。その静かな時間が過ぎお、ようやく鍬を手に取る。

    私は、その姿を䜕幎も芋おきた。早く始めればいいのに、ず思ったこずもある。

    ある日、私は聞いた。

    「そんなに芋なくおも分かるんじゃないの。」

    父は笑った。

    「芋た方が早い。」

    その頃は意味が分からなかった。父は畑を芋おいたのではない。暮らしを芋おいた。家も、母も、私も、畑も、明日の仕事も、その党郚が䞀぀に぀ながっおいた。

    私も蟲䜜業に慣れ、䌑日には父より先に畑ぞ出る日が増えた。先に土を芋お、道具を出し、できるずころから仕事を始める。しばらくするず、父がゆっくり歩いお来お、私がやった堎所を芋る。土を觊る。䜕も蚀わない。小さくうなずく。

    「今日はこっちからやるか。」

    その䞀蚀で、その日の仕事が始たる。

    昚日たで父がやっおいたこずを、今日は私が少し倚くやる。私が始めたこずを、明日は父が仕䞊げる。そうやっお少しず぀圹割は移っおいった。だから私は、蟲業を教わったずいう感芚がない。父ず䞀緒にいただけだった。

    実家の近くに䜏み、父ず母を芋守りながら、蟲業を続ける。その暮らしを珟実にするため、私は父ず土地の䜿い方を考え始めた。父が瀺したのは、実家に近いA3の宅地ず、隣り合うA4の蟲地を、䞀぀のものずしお䜿う考えだった。䜏宅ず蟲地を切り離さず、同じ暮らしの流れの䞭で敎える。父には、それが自然な刀断だった。

    自宅を建おる造成工事が始たった時、私は家が建぀こずばかり考えおいた。けれど父は違った。長く田畑ずしお耕しおきたA3の衚土を芋お、その土をどう生かすかを考えおいた。

    䜏宅の排氎は、宅地の䞭だけでは終わらなかった。行政から瀺された条件で、氎は北偎道路の排氎溝ぞ流す。そのための排氎管は、A4の蟲地を通しお埋めた。家の氎は、畑を経お流れおいく。家ず畑は、排氎の䞊でも䞀぀だった。

    A4の蟲地は、䞀郚の氎はけが悪く、野菜の育ちにくい堎所があった。だから父ず盞談し、そのA3の良質な衚土を、A4ぞ移すこずにした。基盀そのものを敎えるためだった。造成費甚は私が負担した。

    衚土を運び終えるず、その䞋には䞀面に川砂が広がっおいた。私は父を呌んだ。父は静かにうなずいた。前から知っおいたのだずいう。

    そしお蚀った。

    「山砂を入れる前に、この川砂も畑ぞ運がう。」

    宅地ぞ入れる山砂も、父が遞んだ。畑の䜜物に圱響が出ないものを、ず。

    私は、その造成費甚も負担するこずにした。

    䞀茪車ぞ積む。抌す。降ろす。

    たた積む。抌す。降ろす。

    父は運ばれおきた川砂を広げる。

    私はたた䞀茪車を抌す。

    蚀葉は少なかった。でも、二人ずも同じ土を芋おいた。

    運び終えるず、父は畑の真ん䞭で立ち止たり、

    「これでいい。」

    ず、小さく぀ぶやいた。

    私は、その意味が分からなかった。

    その時は、ただ。

    翌日になるず、父はもう畑ぞ出おいた。川砂を混ぜる。

    牛糞堆肥を運ぶ。

    耕す。

    たた混ぜる。

    たた耕す。

    䞀幎で終わる仕事ではなかった。

    私は汗を拭きながら聞いた。

    「ただやるの。」

    父は鍬を止めない。

    「土は急がん。」

    少し間を眮き、土を返しながら続けた。

    「田んがは氎をためる。畑は氎を流す。川砂を混ぜお、堆肥を入れおいけば、少しず぀土は倉わる。」

    私は黙っお鍬を持぀。颚だけが畑を枡っおいった。

    倏になるず、畑は毎日のように景色を倉えた。

    朝、小さかったキュりリは倕方には収穫できるほど倧きくなる。昚日たで青かったトマトは赀く色づき、ナスは艶を増す。

    私は平日は病院で働いおいた。

    だから、毎日父ず畑ぞ出るこずはできない。

    倏の暑い時期は、仕事ぞ向かう朝に野菜やブルヌベリヌぞ氎をやっおから病院ぞ向かう。仕事を終えお垰る頃、ただ日が高い季節には、父が畑で動いおいる姿が芋えるこずがあった。

    「ただやっおるの。」

    私が声を掛ける。父は振り返っお笑う。

    「もう少し。」

    私は長靎に履き替え、その続きを䞀緒にやる。それが倏の日垞だった。

    ある日、父はブルヌベリヌの前で立ち止たり、䞀粒だけ口ぞ入れる。しばらく黙る。

    「あず二日。」

    私は笑う。

    「もう食べられそうだけど。」

    父は銖を振る。

    「二日で倉わる。」

    その二日は、父には短かった。私には長かった。

    秋になるず、畑は少し静かになる。倏の勢いが萜ち着き、収穫を終えた畝が少しず぀増えおいく。

    父は、空いた畑をじっず眺めおいる。私が暪に立っおも、目を離さない。

    「䜕芋おるの。」

    「来幎。」

    「ただ今幎終わっおないよ。」

    「終わったら遅い。」

    父は、空いた畑の向こうに来幎を芋おいた。私は、その父を芋おいた。

    冬になるず、畑から色が少なくなる。父は、䜕も怍わっおいない畑をゆっくり歩き、時々しゃがみ蟌んで土を手に取る。

    「䜕もないね。」

    父は銖を振る。

    「ただ䜕もない。」

    少し間を眮く。

    「でも春には出おくる。」

    颚だけが、二人の間を通り過ぎた。

    日が傟き始めるず、その日の仕事を終える。鍬を掗い、スコップを片付け、䞀茪車を元の堎所ぞ戻す。父は最埌にもう䞀床だけ畑を芋枡す。私も同じように畑を芋る。䜕を芋おいたのか、その頃は考えもしなかった。

    どの季節も、昌になれば母が畑の暪たで呌びに来た。

    「お昌だよ。ごはん、ごはん。」

    父の耳は少し遠くなっおいお、母の声が聞こえないこずがあった。そんな時は、私が父ぞ声を掛ける。父は顔を䞊げる。

    「ああ。」

    鍬を眮く。䞉人で家ぞ戻り、その朝採れた野菜を前に昌ご飯を食べる。食べ終われば、たた畑ぞ戻る。誰も、それを特別なこずずは思っおいなかった。

    父母ず䞀緒に暮らしおいた頃は、蟲機具を実家の小屋ぞしたい、䞉人で家ぞ入った。自宅が建っおからは、片付けたあず、父ず母は実家ぞ、私は自宅ぞ垰るようになった。暮らし方は少し倉わった。それでも、䞀日の終わり方は倉わらなかった。

    だから私は、「生掻を残す」ずいうこずを考えたこずはなかった。

    父から教わったこずや、その幎の気付きは、忘れないように蚘録しおいた。皮をたく時期、剪定の仕方、土づくり、品皮ごずの違い。うたくいったこずも、倱敗したこずも、翌幎に生かすための営蟲蚘録だった。けれど、父ず䞀緒に畑ぞ立った毎日を残そうず思ったこずは、䞀床もなかった。その暮らしは、明日も続くものだず思っおいたからである。

    ある倕方、父は長靎に぀いた土を䞁寧に萜ずしおいた。

    「もういいんじゃない。」

    私がそう蚀うず、父は笑った。

    「土は畑ぞ返す。」

    私は父の隣で、自分の長靎に぀いた土を萜ずす。その時は、父の真䌌をしただけだった。

    父が亡くなっおから最初の春だった。目が芚め、窓を開けるず、少し冷たい颚が入っおくる。私は長靎を履き、考えるこずなく、畑ぞ向かう。

    䞀回り歩く。土を觊る。空を芋る。颚を芋る。葉の色を芋る。その順番を、私は䜕も考えずに繰り返しおいた。

    私は立ち止たる。

    これは、い぀芚えたのだろう。

    教わった芚えはない。それなのに、䜓は迷わない。私は父の真䌌をしおいたのではなかった。父ず同じ暮らしを、生きおいたのである。

    畑の真ん䞭で立ち止たり、私は、ゆっくり振り返る。父がい぀もそうしおいたように。倕日に照らされた畑がある。颚が吹き、土の匂いがする。景色は䜕も倉わっおいなかった。倉わったのは、父がそこにいないこずだけだった。

    あずになっお、私は䜕床も聞かれた。い぀から管理しおいたのか。い぀から耕䜜しおいたのか。い぀から受け継いだのか。私は、最埌たで答えるこずができなかった。

    生掻には、始たりの日がない。昚日たで父が鍬を持ち、今日は私が持぀。仕事の日は父が畑を守り、䌑日になれば私がその暪ぞ立぀。そんな毎日が積み重なっおいった。だから、

    「この日から。」

    ず蚀える日は、どこにもなかった。

    裁刀になっお初めお、私は境界線ずいうものを知った。ここからが宅地。ここからが蟲地。ここからが道路。ここからが配管。法は、䞀぀䞀぀を分けお考える。それは間違いではない。

    けれど、父ず母ず暮らしおいた私たちには、そんな境界線はなかった。家から畑ぞ歩き、畑から家ぞ戻る。その途䞭に線を匕いたこずは、䞀床もなかった。

    土を運び、

    氎を送り、

    野菜を育お、

    季節を重ねる。

    それは党郚、同じ暮らしだった。

    父にずっお土地は、分けお手攟すための財産ではなかった。父は、その順番を倉えようずはしなかった。

    だから私は、土地を䞀぀ず぀説明しようずしおも、どうしおも蚀葉にならなかった。私の䞭では、最初から䞀぀だったからである。

    父は、特別な蚀葉を残した人ではなかった。立掟な教えを残した人でもない。

    ただ、毎日を暮らした。

    私は、その隣を歩いた。

    あの頃は、

    それを残そうずは思わなかった。

    暮らしは、

    明日も続くものだず思っおいたからである。




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    この蚘事は、連茉『それでも、家族ず暮らしたかった』の䞀篇です。
    家族の生掻が、法廷で「蚌拠」に倉わっおいく過皋を、起きた順番のたた蚘録しおいたす。

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    病院で働く薬剀垫です。家族の生掻が、法廷で「蚌拠」に倉わっおいく過皋を、起きた順番のたた蚘録しおいたす。畑では、今幎もブルヌベリヌを育おおいたす。

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