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50歳。もう、全部を背負わなくていいと思った。|#7

朝、目が覚める。

まだ身体を起こしてもいないのに、
頭の中ではもう仕事が始まっている。

今日やらなければならないこと。
昨日、終わらなかったこと。
誰かに言われた言葉。
誰かに言わなければならないこと。

布団の中で目を閉じたまま、
それらをひとつずつ拾っている。

そんな朝が、いつから増えたのだろう。

仕事に行くのが嫌だ。

そんなことを口にするのは、どこか恥ずかしいことだと思っていた。

大人なのだから。
給料をもらっているのだから。
みんなだって大変なのだから。

それに僕は、もう50歳だ。

若い頃のように、

「嫌なら辞めればいい」

そんな簡単な話ではないと思っていた。

振り返れば、23年働いてきた。

ずいぶん長い時間だ。

23年前の僕は、まだ20代だった。

あの頃の僕に今の姿を見せたら、何と言うだろう。

「よく続いたね」

そう言ってくれるだろうか。

それとも、

「そんなに頑張らなくてもよかったんじゃない?」

そう言うだろうか。


僕は昔から、何かを頼まれると断るのが苦手だった。

困っている人を見ると放っておけない。

誰かがやらなければならないのなら、
自分がやればいいと思ってしまう。

それは自分の長所だと思っていた。

たぶん、実際にそういう部分もあるのだと思う。

でも長所というものは、ときどき厄介だ。

優しさは、抱え込みやすさになる。

責任感は、逃げられない理由になる。

真面目さは、自分を追い込む道具にもなる。

一つ引き受ける。

また一つ引き受ける。

「大丈夫です」

そう言って、また一つ背負う。

気がつけば僕の背中には、
ずいぶんたくさんの荷物が載っていた。

仕事。

責任。

期待。

人からどう思われるか。

迷惑をかけてはいけないという気持ち。

ちゃんとしなければならないという思い。

そして何より、

ここまで23年間やってきたのだから。

その言葉が、一番重かったのかもしれない。


ある頃から、仕事から帰っても疲れが抜けなくなった。

休日になっても、心のどこかに仕事がいる。

テレビを見ていても。

食事をしていても。

旅に出ても。

月曜日は、必ずやってくる。

そんな当たり前のことが、怖くなっていた。

それでも僕は、

「まだ大丈夫」

と思おうとしていた。

いや。

思いたかった。

大丈夫じゃないと認めたら、
23年間積み上げてきた何かが崩れてしまうような気がしたから。

辞めたい。

その言葉が頭に浮かんでも、すぐに消した。

逃げるのか。

無責任じゃないか。

もう少し頑張れるだろう。

頭の中で、誰かが僕を責めた。

でも、その声の主はたぶん、

誰かではなかった。

僕自身だった。


50歳になった。

人生の折り返し地点なんて言葉があるけれど、
僕には自分がどこを歩いているのかなんて分からない。

ただ、ひとつだけ思うようになった。

残りの人生まで、
同じ荷物を全部背負って歩かなければならないのだろうか。

仕事を投げ出したいわけじゃない。

誰かに迷惑をかけたいわけでもない。

これまでの23年間を否定したいわけでもない。

むしろ逆だ。

よくやってきたと思う。

不器用なりに。

迷いながら。

傷つきながら。

それでも朝になれば起きて、
仕事へ向かった。

だったら、もういいんじゃないか。

ある日、そんなことを思った。

もう、全部を背負わなくていいんじゃないか。

その瞬間、何かが劇的に変わったわけではない。

仕事は翌日もあった。

悩みが消えたわけでもない。

人生の答えが見つかったわけでもない。

でも、

ほんの少しだけ。

肩に食い込んでいた荷物の紐が、
緩んだような気がした。


不思議なものだ。

荷物を少し降ろそうと思ったら、
空いた場所に別のものが入ってきた。

カメラを買った。

旅に出た。

50歳になって、YouTubeを始めた。

編集なんてしたことがなかった。

最初は再生されなかった。

それでも動画を作った。

上高地や北海道にも行った。

美しい川を、美しい湖を見た。

知らない道を走った。

飛行機で偶然隣り合わせた人と話をした。

そして、僕の作った動画を見つけてくれる人が増え始めた。

コメントをくれる人まで現れた。

今度は文章まで書き始めた。

noteを開いて、こうして自分のことを書いている。

数年前の僕が見たら、たぶん笑うと思う。

「何やってるんだよ、50歳で」

僕も笑って答える。

「意外と楽しいぞ」

と。


最近、行ってみたい場所が増えた。

見てみたい景色も増えた。

春には花を見たい。

夏には海へ行きたい。

秋には紅葉の中を歩きたい。

冬には、静かな雪景色を見てみたい。

そして、その隣にはできれば妻がいてほしい。

若い頃は、人生というものは
何かを増やしていくことだと思っていた。

仕事。

肩書き。

お金。

経験。

評価。

一つでも多く持っている人が、
遠くまで行けるのだと思っていた。

でも50歳になって、少し考えが変わった。

もしかしたら人生の後半は、

増やすことより、降ろすことなのかもしれない。

必要のなくなったものを一つずつ置いていく。

人の評価も。

昔の自分への執着も。

「こうあるべき」という思いも。

全部を捨てる必要はない。

大切なものまで手放す必要もない。

ただ、

もう自分には必要のない荷物を、いつまでも背負い続けなくていい。

それだけなのだと思う。


23年間、僕はずっと何かを背負って歩いてきた。

それがあったから、ここまで来られた。

だから、その23年間を後悔してはいない。

でも。

これから歩く道まで、
同じ歩き方をしなくてもいい。

荷物を少し降ろしたら、
顔を上げる余裕ができた。

顔を上げてみたら、

まだ行ったことのない場所があった。

まだ見たことのない景色があった。

妻と一緒に迎えてみたい季節が、
まだたくさん残っていた。

だから僕は、もう少し歩いてみようと思う。

前より少しだけ身軽になって。

寄り道もしながら。

ときには立ち止まりながら。

そして、面白そうな道を見つけたら、
そっちへ曲がってみる。

50歳。

人生は、思っていたより終わりじゃなかった。

むしろ今になって、

行ってみたい場所が増えてきた。

背中の荷物は、少し軽くなった。

そのぶん僕は、

前より遠くまで歩けそうな気がしている。

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