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本を読む人、読まない人。|#35

以前、知人と中華料理を食べていたときのことだ。

一緒にいた若い人が、僕がその日の午前中、ずっと本を読んでいたことを知って、

「本を読むんですね。頭良さそう」

というようなことを言った。

たぶん、深い意味はなかったと思う。

本を読む人に対する、素朴な印象だったのだろう。

僕自身、その言葉について深く考えることもなかった。

ところが後日。

どうやらその話をどこかで耳にした同僚が、僕ともう一人の同僚がいるところで、こんなことを言った。

「本を読む人を頭がいいと思ってる人って、なんか馬鹿っぽく見えるよね」

その言葉に、僕は引っかかった。

言葉そのものだけではない。

そのときの表情や、言い方や、場の空気だった。

僕ではなく、もう一人の同僚に同意を求めるように笑いながら、その言葉を口にした。

口元に浮かんだ笑みには、誰かを一段下に置いたときの、薄い嘲りが滲んでいた。

その場にいない若い人を笑っているようでいて、

もう一人の同僚を自分の側に引き込み、

遠巻きに僕まで嘲っている。

僕には、そんなふうに感じられた。

もちろん、本当にそういう意図だったのかは分からない。

人の本心なんて、本人にしか分からない。

僕がそう受け取っただけなのかもしれない。

それでも、ひとつの疑問が残った。

なぜ、その言葉を、あえて僕たちの前で口にしたのだろう。

そもそも、

「本を読む人は頭がいい」

という考えは、そんなに馬鹿げたものなのだろうか。

もちろん、本を読む人が、みんな頭がいいとは思わない。

難しい本を何冊読んだからといって、その人に知性があるとも限らない。

読んだ本の冊数を競うことにも、僕はあまり意味を感じない。

でも、少し極端な例を考えてみる。

同じ年齢。

同じくらいの能力。

同じくらいの知性。

似たような環境で生きている二人がいるとする。

一人は、本を一冊も読まない。

もう一人は、年間100冊読む。

それを10年間続ける。

一人は0冊。

もう一人は1000冊。

もちろん、

1000冊読めば、1000冊分賢くなるなんて話ではない。

読んでも忘れる。

理解できない本もある。

間違ったことが書かれている本だってある。

それでも1000冊の中には、

自分とは違う人生があり、

自分とは違う価値観があり、

歴史があり、

科学があり、

失敗があり、

誰かが何十年もかけて辿り着いた考えがある。

その二人が10年後、

まったく同じように世界を見ているだろうか。

僕には、どうしてもそうは思えない。

そして僕が読書に知性を感じるのは、

実は冊数よりも、もっと手前にある。

本を開こうとした、その選択だ。

本を読むということは、

自分の外側にある何かに触れようとする行為でもある。

自分には知らないことがある。

自分とは違う考え方がある。

自分が正しいと思っていることも、

もしかしたら違うのかもしれない。

そういう可能性に、自分から近づいていく。

僕は、その姿勢そのものに知性を感じる。

だから僕が怖いと思ったのは、

本を読まないことではない。

本を一冊も読まなくても、経験から多くを学ぶ人はいる。

仕事から学ぶ人もいる。

人との会話から学ぶ人もいる。

旅をして、自分の世界を広げる人だっている。

僕が引っかかったのは、

自分があまり選んでこなかったものの価値を、なぜそんなに簡単に否定できるのだろう。

ということだった。

「本を読む人は頭がいい」

確かに、それだけを取り出せば乱暴な言葉かもしれない。

でも、

「そんなことを言う人は馬鹿っぽい」

と笑うこともまた、

同じくらい短絡的ではないだろうか。

しかも、そこに誰かを巻き込む。

誰かと笑い合うことで、

もう一人を輪の外側に置く。

人間には、ときどき、

自分が少し上に立つために、誰かを少し下に置いてしまうところがある。

露骨に悪口を言うわけではない。

直接、相手を否定するわけでもない。

ただ、ほんの少し笑う。

その笑いに誰かを誘う。

そして、別の誰かを外側に置く。

僕があのとき感じた嫌なものの正体は、

もしかすると、

そこにあったのかもしれない。

でも、ここまで書いて、

僕は自分にも同じ問いを向けなければならない。

その人の言葉を「浅はかだ」と感じた僕自身は、

その人を一段下に置いてはいないだろうか。

誰かを短絡的だと批判しながら、

自分もまた、その人を簡単に理解したつもりになってはいないだろうか。

たぶん、

僕の中にも同じものはある。

だからこそ、気をつけたい。

考えてみれば、

僕は本を読むほど、

自分が賢くなっているという感覚が薄くなっている。

むしろ逆だ。

知らなかったことを一つ知ると、

その向こうに、

知らないことが十個くらい見つかる。

山を一つ越えたら、

その先にもっと大きな山脈が見えてしまうようなものだ。

以前より知っていることは増えたはずなのに、

以前より、

自分が何も知らないことを知っている。

なんとも不思議な話である。

もしかしたら知性というのは、

知っていることの多さだけでは測れないのかもしれない。

自分が知らないということを、どれだけ知っているか。

そして、

自分とは違う考えに出会ったとき、

すぐに笑うのではなく、

「なぜ、この人はそう考えたのだろう」

と、一度立ち止まれること。

僕は、

そんなところにも知性は現れるような気がしている。

だから僕は、

本を読む人が頭がいいと言いたいわけではない。

本を読まない人が頭が悪いと言いたいわけでもない。

ただ、

自分の知らない世界を、自分には必要ないと断言できるほど、僕は世界を知らない。

だから今日も、

本を開く。

そこに書かれていることを、

すべて正しいと信じるためではない。

自分が知らなかった世界を、

もう少しだけ覗いてみるために。

そして、

自分はまだ、知らないことだらけなのだと知るために。

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