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辛抱の先に

    一年半前、久しぶりに会った友人Aに
    両親の介護が始まったことを伝えると、
    「志帆も辛抱しないといけんね」と言われた。

    Aは20代で結婚して以来、義両親と同居しながら家業を手伝い、
    二人の子育てと介護を並行してきた。
    パワフルなAは、さらにフリースクールを立ち上げ、
    運営までして、犬と猫のお世話も欠かさない。
    (犬・猫からはかなりの癒しをもらっているよう^^)

    一方の私は、独身で仕事に身を捧げた挙句に病気になった。
    後悔はないが、多くの時間を他者のために費やしてきたAに比べると、
    自分のことだけやって生きてきた私は、辛抱が足りないのかもしれない。

    Aの「志帆も辛抱しないといけんね」という言葉に
    嫌な気持ちはしなかった。
    むしろ「私にも、ついにその時が来たか」と、気が引き締まる思いだった。




    それから時が流れ、今日は母の整形外科受診に付き添った。
    母は一昨年と昨年に両膝の手術をしたが、
    左膝の腫れが引かず、主治医から追加で塗り薬を処方された。
    その瞬間、心の中で「げっ!」と思った。

    現在、私はアルバイトをしながら両親の介護をしている。
    父は薬の管理を自分でできるが、問題は認知症のある母だ。
    母は認知症があるため、薬の管理が自分では出来ない。
    私はすでに母の服薬管理、入れ歯の洗浄、食事の世話などで手一杯。
    そこへさらに「一日2〜3回の塗り薬」が加わるという。

    薬剤師さんは「朝の着替える時や、お風呂上がりに」と言うが、
    母が入浴するのは深夜で、早寝の私はとっくに夢の中だ。
    母が自分で塗るとは思えないし、かといって忙しい朝に
    私が声をかけ続ける自信もない。
    父のおむつ交換や入浴介助、荒れた庭の掃除。
    私のキャパシティはとっくにオーバーしている。

    だけど、この文章を書きながら
    「でも、やるしかないんだよな」と思い直した。
    冷蔵庫のホワイトボードに大きく『膝の塗り薬!』と書けば、
    朝だけでも声掛けできるかもしれない。
    忘れたら、その時はその時だ!




    先日、あじさい祭りで見事な鉢植えを買った。
    数年前も買ったが、いつの間にか水やりを忘れ、枯らせてしまった。
    それが今年は、毎日欠かさず水をやっている。
    「サボテンを枯らしたことがある私が、植物を育てているなんて!」と、
    自分が一番ビックリしている。

    ふと、Aの言葉が蘇った。
    両親の介護をするうちに、私も何か「辛抱」のようなものが
    身についたのだろうか。
    水やりは嫌々しているのではなく、
    「かわいいなあ。きれいな色だなあ。」と愛でる楽しみの時間となっている。
    鉢植えは時期を見て、地植えするつもりだ。
    このあじさいが無事大きく育ったら、少し自信がつくかもしれない。
    介護も植物の世話も、辛抱の先にある「何か」をもたらしてくれる。
    今はそんな気がしている。

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    祭りで買ってきたあじさいの鉢植え。水やりは愛でる楽しみな時間。


     
     

    志帆

     
     
    脳梗塞を患った父(要介護2)と、認知症を患った母との日々を記します。

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