
社会人3年目を終えた今、就活中の自分の日記を振り返る─Webテストから始まった神話に蹴りをつける方法
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年齢算やってたら子の年齢が4歳、父の年齢が8歳、そして母は負の数となり消滅し、父(幼児)の処女懐胎という業深くも神話的な物語を生み出してしまった。
(2022/04/08 Fri.)
このきしょい文章が私の就活日記のはじまりである。
4月にWEBテストの問題文から神話を創生している時点で「あっ、この人就活の準備全然してなかったんだろうな」と気づく人も多いと思われるが全くその理解は正しい。準備を怠った人間のメンタルは極めて脆弱で当時は日記を綴ることでかろうじて呼吸をし前を向くことができていた。このあとも7月くらいまでこういった荒唐無稽な内容は綴られておりアルティメット就活生みつを。を召喚して全てを社会のせいにするクソみたいな詩を、もし居酒屋の便所にでも飾られようものなら訪れた者をして「トイレの壁にうんこが掛かっている、星1」と言わしめてしまうような駄文を書いたり花粉が花糞だったらというわけのわからない前提から日本人の自然性を捉え直したりなんか日記の振り返りをはじめたらうんこの話ばっかしてんな俺もう20代後半だぞ何やってんだ、と。
そう思わざるをえないが、とにかく自分の就活日記を振り返ってみたい。日々感じる徒労感や連続する倦怠感の原因は全てこのはじまりの神話に起因するのではないか。最近そんな考えに取り憑かれたから私は文章を書き己の日記を振り返りたいと思っている。できればみんなと。いま読んでいるそこのあなたと。
ちなみに就活は2022年の12月にWEBテストを実施しない会社にぬるっと、面接3回だったのでぬるぬるぬるぷりっと入社が決まったためあの算数の問題の解答を私はまだ知らない。私は、私がいまだ自分の生み出した不条理な神話の世界にいる気がしている。可能であればここでその神話に蹴りをつけたいと思っている。
ところで私はいま東京から高速バスに乗って千葉県の館山駅に向かっている。館山といえば「安房」のつく地名が多く地元で有名な神社に安房神社がある。安房は徳島県の阿波にルーツがあるとされている。はるか昔に祭祀を司る民がはるか遠い地からやってきて房総を開拓し神社という形式でもって神話を土地に具現化したわけだ。正しい位置に。私は彼らにならい己の生み出した気持ち悪りぃ神話をどこか正しい位置に収めたいと思う。バスはレインボーブリッジにさしかかっている。だから、そこをどいてくれ、織田裕二の濃い顔よ。レインボーブリッジ封鎖しようとしないでくれ。
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今日も今日とて一所懸命Webテストを解いた。CABと玉手箱。玉手箱は制限時間に対して問題数が多すぎやしないか。解きたいのに、時間が足りない。私には、やり残したことが多すぎる…。時のうつろいとはかくもはやく、なんとはかないものか。なるほどまさしく「玉手箱」。くそ、機械的なテストのネーミングでセンス出してくんなよ!からあげとか詰めんぞ!
てか「AIによる不正検知システムを導入してます」というのはなんだ。調べてみたらどうも、AIがPCのカメラを通して私たちを監視してるらしいじゃないか。それで不正(替え玉とかスマホ操作)を検知したら企業側に通知がいくという。もちろん、解いている私たちの映像は記録されている。これ、いいのか。私室だぜ。 俺はベストパフォーマンスを発揮するために風呂上がりに全裸で解いたけれど、両の乳首を持ってかれたってことか? 両乳首(生体情報)の漏洩…
返せよ…。俺の乳首返せよ!!この世にたった二つの大切な乳首なんだよ!!!
(2022/04/11 Mon.)
頭おかしいんかこいつは。
全裸で解くな、服を着ろ。全裸でテストのパフォーマンスは上がらない。乳首の権利を主張するのはいいがべつに私はあらゆる機器の生体情報を乳首で登録しているわけではないのだから漏洩について心配する必要はないではないか。しかしもし技術が私の想像するよりはるかに発展しておりあのたった二つの生体情報から私のコピーを創り出すことができたとしたら私はその時その彼に気づくことができるだろうか。彼は私の知らぬ間に私に接近し親交を深めオリジナルたる私の乗っ取りを企て不穏な空気を醸し出すが私の命の危機にどうしてかその身を滑り込ませ私の身代わりとなり全身をただの乳首に戻す。私は地面に転がっている、しゅるしゅるしゅるっと萎んだ薄茶色の乳首を人差し指と親指でそっとつまみ手のひらに乗せる。乳首には特徴的な巻毛が一本生えている。「お前だったんか…」「兄さん…」「兄さんなんか俺は」「ぼくはもうダメです」「そんな」「弟によろしくお伝えください、もう一首の大切な…」「弟がいるんか、なら俺は二つの、二首の乳首の長男という位置付けになるのか、おい、乳首の数え方はほんとうに和歌と同じでいいのか、おい、おい」薄茶色だった乳首はレーズンのように変色し硬直した。乳首の死後硬直とはこういうものなのか。
いや、頭おかしいんかこいつは。
だめだ、俺は、以前の自分からさっぱり変わっていない。どうやったらあの神話から抜け出すことができるのだろうか。
高速バスは東京湾アクアラインを進む。
海はとつぜん陸の全てを満たしたかのように現れその上をバスは進んでいく。平日の昼過ぎ、ほかに車両はほとんどなくそろそろ乗車して1時間になる高速バスのなかは電車では感じることのない空気のように透明な連帯感に満たされているように思われる。海は思いのほか規則的なリズムできらきらと光っている。誰かが電子タバコを吸ってるっぽい。ざけんな。こっちはおならですら我慢しているというのに。隣の列の女性と目が合う。やっぱそうだよな。間違いない。吸ってるよなこれ。私の後ろの席のおっさんが怪しい。全然こっそりとかじゃなくてがっつり振り返る。こんにちは!おっさんじゃなかった。本当に申し訳ございません。こんなに清々しい謝罪は久々だった。純度百パーセントで私が悪い。最近は納得のいかないまま本当っぽく謝罪をすることが上手くなった気がする。さすがに環境要因でしょうと思うことがあっても基本的には「自分の責任」ベースで考えることが癖づいている。それでもやっぱり心の底からできない謝罪は不快である。それはたぶん相手にとっても。どうしてこうなってしまったのか。
就活では自己PRでさまざまな論理的飛躍を経由して「自分のおかげ」を作り出さなければならないが、同時にこの価値基準は自責思考としても私たちに跳ね返ってくると思う。あれも「自分のおかげ」これも「自分のおかげ」はあれも「自分のせい」これも「自分のせい」に簡単に反転すると思われる。自分はそう思っていなくても他人はそう考えるかもしれない。「あれもこれもあなたの責任だ、そう考えるべきだ」と。だからだろうか、社会人になってから自責思考がベースになってしまった。正確には自責思考に見せかけるのが上手くなってしまった。そうしていつのまにか私はおならが「出た」は他責思考、おならは主体的に「出す」のでありその全責任を私は引き受けなければならないなどと考えるようになってしまった。でもほんとうは、昔のようにうっかり出てしまったそれを誰かと笑いあいたい。みんなを乗せたバスが生き物のように陸に上がって館山に向けて高速道路を進んでいく。我慢していたおならがほんのすこしだけ出る。
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面接の六十分はとっても長い。
私はある時期から時間を「ムスカ」という単位に変換して生きているのだが、1ムスカ三分なので、六十分は20/1ムスカということになる。このように表現してみると、改めて面接の難易度に戦々恐々とせざるを得ない。面接とは、エンフィールド・リボルバーを持ったムスカに20回も待ってもらうよう努めることなのである。下手を打てば、早々に切り上げられる(弾丸でぶち抜かれる)。なんて難しいのだろう。こんなのシータとパズーがマジで気まずいガチ喧嘩でもし始めない限り不可能だ。
それでも私は面接に臨み7回目のムスカに弾丸でぶち抜かれた。
(2022/04/12 Tue.)
いまでも私はアイスブレイクとかいう言葉を聞くと「この温暖化の時代に?」と言いたくなってしまうのだが生まれや育ちの話題になったときに「育ちは?」と問われ「…いいほう、ではありますね」などと神妙な面持ちで回答してすべることはなくなった。「社会人」になってからやっとふつうの反応、会話ができるようになった気がするし取引先と話す際には経済や業界知識、自他の企業理解を深めることで可能な限り相手との共通の話題を持つよう努めている。そうすることで「社会人」として認められていると言ってもいい。いまとなってはエンフィールドリボルバーなどおもちゃに見える。そうやって油断してこの前、ベンチャー企業の人事担当から商談中早々に弾丸でぶち抜かれることになったのだが。
大学生の時は「社会人ってなんだよ大学生だって社会の中にいる社会人だろ」と思っていたが、それは間違っているのかもしれない。もちろん大学生が社会のなかにいることは違いないが、そういった一般的な意味ではなく「社会人」とは一種の信仰なのだと思う。人間はほかの生物から自分たちを分けるために「人間」という概念を作り出してその根拠としてこれまでに理性や道具、感情などを持ち出してきたが絶対的なゆるぎない根拠をもって人間が「人間」たるを証明するには至っていない。だから、これまでの哲学の歩みをばかにするつもりは毛頭ないが自分を「人間」だと考えるにはそう信じる必要があるのである。当然他人を「人間」だと考えるのにもそう信じることが必要になってくる。「人間」とは一種のフィクションであり、私たちはそれを信仰しひとつの巨大な共同体を築いている。「人間」がそうなのだから「社会人」も同じである。「社会人」もまたフィクションであり、私たちはそれが存在すると信じているだけだ。そしてその信仰を成り立たせるのに大きな役割を担っているのが共通言語の存在である。結論ベースで話せ、聞かれたことに的確に答えろ、適切な身体操作、表情管理を忘れるな。話す内容は具体性やPDCAサイクルを意識しろ。そうしてそれらを完遂した結果就活生たちには手が差し伸べられる。ようこそ、「社会人」へ。就活がある種宗教じみて感じられるのは「社会人」を信仰し同化しようと努めるプロセスだからである。いつのまにか私も「社会人」になっていた。気がつくとエンフィールドリボルバーが私の右手に収まっていた。だから「社会人」とは思えない相手に対し引き金を引こうと思った。けれども以前の自分が想像していたよりも世の中は複雑でいわゆる「社会人」ばかりではなくて思わず「ヘェッ!?」となる。サングラスがずり落ち拳銃はおもちゃのような作画になる。世の中の社会人には離島の校長先生みたいなめちゃくちゃ親切なじいさんもいるし丁寧で話しやすい近所のにいちゃんねえちゃんみたいな人もいるしプライベートな話までできるおばちゃんもいる。「社会人」たちしかいない空に浮かぶ島は空虚な妄想だった。でもあいつまじで許さねぇって人事はいるから、もし仮に私が即位したら「御社ァァ!御社ァァ!」と就活生たちに言わせてきた人事に「恩赦ァァ!恩赦ァァ!」と言わせてやりたい。
高速バスはまもなく館山駅に到着する。
それを知らせるアナウンスに車内からあの薄らとした連帯感は消え去った。それぞれが下車の準備をゆるやかにはじめた。「これ」とか「持った?」とか「どれくらいだっけ」とか他人には理解できないそれぞれの会話が聞こえてくる。館山駅に着いたら車を借りて祖母の家に向かう。祖母は数年前からもう一つの家に暮らす認知症の弟の介護をしている。私はスーパーまで歩いて行けなくなった祖母の代わりに時々こうして買い出しに行く。
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陽射しの熱を過剰なほど含み込んでどろどろになった春の海のかたわら、車を走らせる。ほとんど夏のような日射しに目がしぱしぱする。鼻水がとめどなく流れてやまない。やまないけれど無理に止めてしまうと、鼻から頭のてっぺんまで鼻水に満ちて、間近に広がるどろどろとした海のすべてが頭に詰まってしまったかのように気分が悪くなる。そんなようなことを回らない頭で考えていると、あっという間に祖母の家に着いた。祖母は、前に会ったときよりも頬がたるみ、ずいぶん老けこんでいた。あまりにも急に歳をとったようだったから、すこぶる心配したけれど、笑った祖母の口に歯がなく、代わりに深淵が覗いているのを見て安心した。単純に、入れ歯をしていないだけだった。
(2022/04/22 Fri.)
館山駅を降りるとすぐに駅のシンボルであるヤシの木が見える。ヤシは空に吸い込まれるように伸びている。そこから白色の壁とオレンジ色の屋根でできた洋風な駅構内を通って西に行けば東京湾に面した海岸が出てくる。いかにも館山らしい風景で、駅の中心にあるヤシが根を張るように街は広がっているけれど、少し歩けばシャッターを下ろしている建物は目立ち、好きでよく行っていた飲食店にも閉店の張り紙が出るようになってきている。おいしかった『ブリッコ』や駅前の『かもめグリル』はもうない。このままではいつか根は腐り、館山のシンボルであるヤシは倒れてしまうのではないかと思う。
午後3時、海岸の方の住宅地では人よりも猫に遭遇する。私はレンタカーを借りて祖母の家に向かう。祖母が数十年ぶりに食べてみたいと言った富山の名物であるます寿司を持っていく。有楽町のアンテナショップや東京駅構内の駅弁屋を歩きまわってやっと見つけたます寿司を最高の状態で届けるために車内の温度に注意を巡らせながら車を走らせていく。
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今日は滝を三つに猫を三匹見てきた。千葉県は養老。眠すぎるのでもう寝る。
(2022/04/23 Sat.)
ます寿司の酢飯ばかりを褒めるおばあちゃんにまじかよおいと強く思う。
「崎陽軒のシュウマイ弁当のほうがいいな」
「まじかよおい」
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正午の鐘が鳴り、雨はいっそう勢いを増した。雨の屋根を打つ粒立った音が明瞭に聞こえ始めた。テレビのニュースは相変わらず戦争の死者数とCovid-19の感染者数を数えているが、おそらく私たちのほとんどはもうすでにそれらを正確にカウントするのをやめているだろう。ただ漠然と、終わりのなさばかりが気にかかる。
祖母はこの二日間で、多くの話をしたが、戦争と感染症の話が大半を占めていた。そして大叔父のある行動にも気を揉んでいるようだった。大叔父は七〇代の独り身の爺さんだが、その爺さんがハエ叩きを振り回し、ガラス窓を昼夜問わず打ち鳴らしているのだという。実際、雨の硬い音に紛れて破裂音と、それから男の怒号が聞こえてきた。
帰り際になって祖母は、「あっという間だなぁ」と寂しそうに言った。昼過ぎのテレビも相変わらず戦争の死者数とCovid-19の感染者数を機械的な声で数えあげていた。情け容赦のない雨は一向にやまず、大叔父はガラス窓を叩く破裂音と恐ろしい怒号を飛ばしている。私は祖母に昨日撮った粟又の滝の映像を見せた。心地よい気温で青空も覗くすがすがしい天気の底を、束になった白い絹糸のように流麗に、しかし激しい音を立てて流れる粟又の滝。この滝は、すべてを流し去ったように見えた。屋根を叩く硬質な雨の音も、大叔父の怒号も、破裂音も、病床に臥す者も、後遺症に苦しむ者も、戦争の死傷者も、陽に照り映える絹糸はたなびいて、勢いよく青緑色の滝壺まで押し流していった。
家を出るときにはもう、雨脚は弱かった。私は祖母に「元気で」と言った。そのとき私は、滝壺で緩やかに旋回する木屑や落ち葉、人工的なゴミを思い出していた。
(2022/04/24 Sun.)
問題は何も解決していない。滝の比喩は問題を先送りにして見ないふりをしただけにすぎない。この日記から3年ほど後、八〇を過ぎて大叔父はいよいよ認知症らしくなっていく。部屋着の上からパジャマを着てしまうだけでなく失禁の頻度も多くなった。大人用のおむつをしていても寝ている間に鼠蹊部の隙間から布団に尿が漏れ広がってしまう。笑い飯のちんポジのネタで大爆笑していたが、こんなに笑えないポジションの問題ははじめてである。頼むから正しい位置に鎮座していてくれと思う。暑くなってきているというのに押し入れから大量の布団を出してきてそのなかで寝ていることもあった。ハムスターかお前は。もちろん私のことなど憶えていない。それはまあ別にいい。
この文章のうえのほうで「うんこの話ばっかしてんな俺もう20代後半だぞ何やってんだ」と書いたが介護の問題に間接的にでも直面するとうんこの話は大問題である。おならが「出た」とか「出す」とかいう問題の比ではない。認知症とは人間がいわゆる「人間」でなくなるような問題なのだ。身近な人間であればあるほどそのことはにわかに信じ難い。祖母は大叔父が粗相をするごとにかなり時間をかけて一般的な生活のルールを大叔父に説明するが毎回そのルールは破られる。しまいには「わざとやってるんじゃないのか」と疑ったりしてしまう。そんなことあるはずないのに。さすがに主体的な意志を持って脱糞していたとしたら気合いが入りすぎている。なにか守りたいものがあったから、とかそういう理由がないと説明がつかない。うんこで守れるものて、なに?
問題は山積みだ。祖母がもし倒れたらと思うと背筋が凍る。全然ビールとか冷やせるくらいキンキンになると思うし、もし仮にそんなことになったら一旦藤原竜也に背筋で冷やしたそれを飲んでもらいたいと思う。
とはいえ、何も支えがないわけでは決してない。平日はデイサービスがあるし、数日間泊まりで行く特別養護老人ホーム(特養)もある。要介護認定がさらに進んだ場合は介護保険が下り特養に入ることも可能になる。早く大叔父の認知症が進んでほしいと思うことは「人間」のエゴだろうか。
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証明写真の話をしよう。私を滑稽な状況に招き入れたものの話を。
「就活でスピード写真はご法度」──こんな言葉に踊らされた私は、デパートに入っている写真館に行き、そこで、「これでやってくれ」と言わんばかりに”ヒグチ”一枚、”ノグチ”二枚を胸の内ポケットから取り出した。私は小さな箱型の部屋に案内され、その中心にある椅子に座るように指示された。壁は一面緑色だった。
息つく暇もなく、撮影が始まる。フラッシュが焚かれ、一瞬で視界が白くなる。それが何度も何度も繰り返される。そのうち、真っ白な視界の中、ピピというシャッター音だけが聴こえるようになっていった。私はただ、口角を上げ続けるほかなく、椅子の感触と頬のつっぱった感覚以外にリアルなものは何一つとしてなかった。このとき私は、確かな重力を感じながらも、白い世界に、浮遊する曼荼羅を見た。
撮影が終わった。自分の顔面がiPadの液晶に規則的に並んでいる。私はその中でも最良と思われるものを一つ選んだ。そうしてすぐに、細かい修正をするからと、店の外に追い出された。
本屋で一時間ほど潰し、写真館に戻った。完成した写真を見て、驚愕した。「これは、私ではない」
1839年、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールがジョセフ・ニセフォール・ニエプスの研究を引き継いで、「ダゲレオタイプ」という写真を発明する。これが写真の始めである。その技術はすぐに肖像写真として実業化し、19世紀のパリで、冒険家であり写真家でもあったナダールはキャピュシーヌ街にガラス張りの大きなアトリエを構えた。赤文字で「ナダール」と掲げた彼のアトリエは人気を博し、瞬く間に肖像写真生産工場のようになっていった。なぜ唐突にこんな話をしているかと言うと、彼が晩年に著した『私が写真家であったとき』の中に面白い記述があるからである。彼によると、肖像写真を撮ってもらった人の多く(特に男性)が、自分の顔の細かい部分に戦慄し、傷つき、「こんなのは私ではない!」と言ったそうなのである。まさに、証明写真を受け取った私のように。
ただ、私と彼らとでは状況が異なる。真逆と言ってもいい。彼らは、写真の写しとった自尊心を傷つけるような部分に驚愕したのだが、私の場合は逆で、むしろ写真がキレイ過ぎたために驚愕したのである。私の証明写真は、ほぼプリだったのである。これでいったい何を証明しうるのか。「たゃたゃ しょーめいしゃしんとったよ♡」というメッセージしか受け取れそうにないではないか。
写真屋の人が、修正を頑張ってくれ過ぎた(私の顔面は過度な修正を要求するらしい)。バフのかかり過ぎた、もはや私ではない写真を受け取って、しばし唖然としたが、すぐに次の行動は決定した。「この写真の顔面に自分の顔面を合わせればいい」
就活が始まって以来、私は証明写真に踊らされ続けている。ハリとツヤのために、洗顔保湿、寝る前の顔パックが手離せない。私は、何をしているのだろう。
(2022/05/12 Thu.)
安房神社に着いた私は一枚自撮り写真を撮った。あれから四年経過して青髭は濃くなり、目尻の皺が増え、なんか全体的に顔色は良くなかった。
会社に勤めるようになってからほんとうに色々なことがありそれが顔に現れているようだった。これが現実だった。大学生の頃に考えていた世界とは違って、世の中は思いのほか具体的かつ複雑で、偶然と人間関係で成り立っていてほんとうに人さまざまなんだと少しだけ理解できた気がする。私は就活の時に使用していた証明写真をスマホから消す。走る。神社の裏山を駆け登る。息を切らして展望台まで駆けていく。展望台から見渡すと緑色と薄茶色の平たい田畑とごつごつとした林が広がっていて、遠くには──どれだけ離れているのかはさっぱり分からない──山の連なりや広々とした海が見える。海は、銀味のある淡い青色を上へ上へと流し込み、緩やかに旋回しながら、空になっていくようである。私はまた少しだけ前に進める気がしてくる。
(2026/06/19)