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Photo bylisa500ml

素直になりたいと思えたこと。

    「素直だね。」

    これまで何度か言われたことがある。仕事でも、友人関係でも、自分ではあまり意識していなかったけれど、周りからはそう見えているらしい。

    確かに、教えてもらったことは素直に受け止めるし、「ありがとうございます」や「すみません」も自然に言える。嬉しいことがあればちゃんと喜ぶし、分からないことは素直に聞く。

    だから、「私は素直な人間なんだ」と思っていた。

    でも、ある時ふと気づいた。

    本当に素直でいたい相手の前では、私は全然素直じゃない。

    嬉しいことがあっても、照れ隠しをしてしまう。

    寂しいと思っても、「別に」と言ってしまう。

    感謝しているのに、少しぶっきらぼうな返事をしてしまう。

    あとになって、「あの時、もっと素直に伝えればよかったな」と思うことが何度もある。

    仕事では自然にできることなのに、どうしてなんだろう。

    最初は、「嫌われるのが怖いからかな」と思った。

    でも、考えてみると少し違う。

    その人が私を拒絶するとは思っていない。

    むしろ、「きっと受け止めてくれる」と信じている。

    だから、恐れているのは相手ではない。

    たぶん、自分自身なのだ。

    「嬉しい」「寂しい」「ありがとう」。

    そんな気持ちを、そのままの形で差し出すことは、自分を少し無防備にすることでもある。

    相手を信じることと、自分をさらけ出すことは、似ているようで少し違う。

    相手を信じられるようになっても、自分の弱さや照れくささを見せることには、案外時間がかかる。

    人は長い時間をかけて、自分を守る方法を覚えていく。

    強がることも、笑ってごまかすことも、少し意地を張ることも、その一つなのかもしれない。

    だから安心できる人に出会ったからといって、その鎧をすぐ脱げるわけではない。

    それなのに私は、「素直になれない自分」をどこか悪者にしていた。

    素直になれない私は未熟なんじゃないか。

    ひねくれているんじゃないか。

    もっと素直にならなきゃいけないんじゃないか。

    そんなふうに思っていた。

    でも最近は、少し考えが変わった。

    そもそも、どうでもいい相手に対して「もっと素直になりたい」とは思わない。

    その人とちゃんと向き合いたい。

    ありのままの自分を知ってほしい。

    そんな気持ちがあるからこそ、「素直になりたい」という願いが生まれる。

    だとしたら、「素直になれないこと」と「素直になりたいと思うこと」は、正反対ではないのかもしれない。

    素直になれないからこそ、素直になりたいと願う。

    その願いが生まれるほど大切な存在や関係に出会えたこと自体、一つの幸せなんじゃないかと思うようになった。

    もちろん、だからといって素直になれなくてもいい、という話ではない。

    本当は「ありがとう」と思ったなら、その時に伝えられる人でいたい。

    「嬉しい」と思ったなら、照れずに笑える人でいたい。

    そんな自分に少しずつ近づいていけたらいいなと思う。

    素直になることは、性格を変えることではない。

    何でも思ったことを口にすることでもない。

    きっと、自分の本当の気持ちをごまかさずに認めて、それを少しだけ勇気を出して相手に渡してみることなんだと思う。

    だから私は今日も、まだ練習中だ。

    少し照れくさくても、少し勇気が必要でも、昨日よりほんの少しだけ素直になれたら、それで十分。

    そんなふうに思えるようになった。

    「素直になりたい」と思える誰かに出会えたこと。

    そして、「素直になりたい」と願う自分がいること。

    それだけでも、案外悪くないのかもしれない。

     
     

    Kanon

     
     
    日々感じること。

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