
静かな道しるべ(2)―子どもの祈りに教わったこと

元日の朝、
子どもと並んで神社へ向かう道を歩いていました。
冷たい空気の中で、手をつなぐ小さな温もりだけが、
やけに確かなものとして伝わってくる。
境内に着き、
私は手を合わせながら、心の中で祈りました。
「今以上に、社会に貢献できる環境を与えたまえ」
言葉だけを見れば、
どこか利他的で、崇高な祈りに聞こえるかもしれません。
けれど、その奥には
“もっと役に立ちたい”という、
どこか自己実現に近い響きも混ざっていたように思います。
帰り道、
ふと子どもに尋ねました。
「神様に、何をお願いしたの」
五歳の子どもなら、
きっと自分の欲しいものを願っただろう。
そう思っていたのですが、
返ってきた言葉は、まったく違うものでした。
「パパが、元気に働けますように」
思わず、足が止まりました。
その言葉には、
計算も、見栄も、善人ぶる気配もない。
ただ、まっすぐで、無邪気で、
“邪気のない祈り”がそこにありました。
私は、社会のために祈ったつもりでいた。
けれど、子どもは、
目の前の大切な人のために祈っていた。
その違いに気づいた瞬間、
胸の奥で、静かに何かがほどけていきました。
祈りとは、
大きさや立派さではなく、
どれだけ真心が宿っているかで決まるのかもしれません。
そして私は、
子どもの小さな背中を見つめながら思ったのです。
――利他とは、理屈ではなく、
こうした無邪気さの中にこそ宿るのだと。