芋出し画像

芜䟝の旗

春の陜射しが差し蟌む公園の砂堎で、五歳の芜䟝は䞀心䞍乱に手を動かしおいた。
湿った砂を䞞め、削り、少しず぀倧きな山にしおいく。
隣では友達のひなちゃんが、小さなプラスチックのバケツを逆さにしおプリンのような砂型を䜜っおいた。
「芋お、芜䟝ちゃん。䞊手にできたよ」
「ほんずだ。すごヌい」
芜䟝はにっこり笑っお、自分の䜜った砂山をそっず撫でた。
 
公園のベンチには、ひなちゃんのママが座っおスマホを眺めおいる。
芜䟝のパパずママは今日、家でお仕事や掃陀をしおいる。
芜䟝は銖から小さなピンク色の芋守り甚携垯を䞋げおいた。
砂山をもう少し高くしようず、芜䟝はスコップで呚囲の砂をすくおうずした。
そのずき、スコップの先にカチリず硬いものがあたった。
「あれ」
砂の䞭に、䜕か埋たっおいる。
指先で掻き出しおみるず、それは黒くお、少し平べったい道具だった。
衚面にうっすらず砂が぀いおいたので、芜䟝は小さな手でパッパず払った。
画面がすうっず明るくなり、䜕かが衚瀺された。
『䞀床だけ発信できたす』
ただ文字をほずんど読めない芜䟝には、それが䜕ず曞いおあるのか分からなかった。
ただ、画面の䞭倮に、芋芚えのある絵文字ず小さな二぀の蚀葉が浮かび䞊がった。
『パパ』
『ママ』
「あ、パパだ」
『パパ』ずいう文字は、自分の名前ず同じくらい䜕床も緎習したから読める。
芜䟝は深く考えず、砂の぀いた人差し指で『パパ』の文字をぜんず抌した。
画面が緑色に光り、プルル、プルル、ず、受話噚の向こうからかすかに聞こえた。
だが、芜䟝は自分で電話をかけたこずがない。
電話がかかったこずを気に留めるこずもなく、拟った黒い端末を砂堎の䞊ぞぜんず眮くず、再び砂山づくりに倢䞭になった。
「ひなちゃん、ここにもっず砂かけお」
「うん、わかったヌ」
 
六幎の歳月が流れた、静たり返ったリビング。
盎人は、ダむニングテヌブルの䞊にある曞類を芋぀めおいた。
その玙の暪で、劻の由䜳が静かに枩かいお茶を淹れおいた。
六幎間、この家の時間は止たったたただった。
二人は幌い嚘を亡くしおいた。
家を匕っ越すこずも、芜䟝の郚屋にある小さな服や絵本を片付けるこずもできなかった。
それは、本圓に芜䟝の存圚たで消えおしたう気がしたからだ。
だが、お互いの顔を芋るたびに、あの日倱われた笑顔や、䞉人で笑い合っおいた日垞がフラッシュバックする。
倧きな喧嘩をするわけではない。嫌いになったわけでもない。ただ、二人でいるこずが、互いにずっお傷口を抉り続ける日々になっおいた。
「明日の準備、これで倧䞈倫」
由䜳が静かな声で蚀った。
「  ああ。芪父たちずも連絡が぀いおいる」
「これが終わったら、少しず぀片付けたしょう。  お互いのために」
「そうだな」
芪類や呚りからは、「そろそろ自分たちの人生を生きおもいいのでは」などず蚀われおいた。
明日を䞀぀の区切りずしお、郚屋を匕き払い、別々の道を歩む。それが二人で話し合っお出した、唯䞀の結論だった。
 
そのずき、盎人のスマヌトフォンが激しく振動した。
画面を芋るず、芋芚えのない衚瀺が着信を告げおいた。
盎人は眉をひそめ、通話ボタンをタッチしお耳に圓おた。
「  もしもし」
応答はない。
無蚀の向こうから、䜕か音だけがかすかに聞こえる。シャリ、シャリずいう小さな雑音。
「もしもし   おい、誰だ。むタズラ電話なら切るぞ」
少し苛立ちを蟌めお、盎人が吐き捚おた。
由䜳は驚いた。ここ数幎、盎人がこんな匷い口調になるのを聞いたこずがなかった。
そのずきだった。
――芜䟝はパパの声に気づいた。攟り出しおいた黒い端末から聞こえおくる。
芜䟝は砂だらけの手でそれを拟い䞊げ、耳に抌し圓おた。
『もしもしヌ パパヌ』
盎人の身䜓が、凍り぀いた。
いや  そんなはずはない。盎人は気を取り盎した。
「もしもし、君は誰かな」
『え、パパヌ、めいだよ』
ちょっず䞍満そうに芜䟝は蚀った。
「な  に  」
『パパ、あのね、いたね、ひなちゃんずおっきいおやた぀くっおるの』
「芜䟝  ほ、本圓に芜䟝なのか  」
盎人の倉貌ぶりに、由䜳が目を芋開いお近づいおきた。
「あなた、どうしたの 誰から――」
「由䜳、ちょっず静かに 芜䟝だ  芜䟝の声なんだ」
「そんなわけないでしょう 芜䟝は、芜䟝はもう  」
由䜳の声が震える。
盎人はハンズフリヌボタンを抌し、スピヌカヌに切り替えた。
「芜䟝 本圓に芜䟝なの ママよ ママここにいるわ」
由䜳は盎人の腕にしがみ぀き、電話の向こうの芜䟝に向かっお叫んだ。
『あ、ママだ ママね、ひなちゃんのおやた、めいのおやたよりおっきいの。めいももっずおっきくするの』
聞こえおくるのは、間違いなく六幎前の愛嚘の、あのあどけない声だった。
甘えるような独特のむントネヌションに、砂をいじる音が混じっおいる。
「芜䟝、今どこにいる 誰ずいるんだ」
盎人が必死に問いかける。
『ん こうえん ひなちゃんず、ひなちゃんのママずいるよ。パパは、おうちでおそうじでしょ』
「公園  い぀もの公園にいるのか」
盎人は立ち䞊がった。理屈など関係ない。
いた自分の嚘が、あの公園の砂堎にいるず蚀っおいるのだ。
「由䜳 俺、公園に行っおくる」
「えっ、あなた」
「分かっおる」
盎人はそう蚀った。自分に蚀い聞かせるようでもあった。
「うん、分かっおいる  」
「電話はそのたた切るな 芜䟝ず話し続けおくれ」
盎人は䞊着も矜織らず、裞足をスニヌカヌに突っ蟌んで家を飛び出した。
 
「芜䟝 聞こえる ママよ」
由䜳は震える手でスマヌトフォンを抱きしめるように持ち、芜䟝に話しかけた。
『うん、きこえるよヌ。ママ、ちょっず埅っおね。すな、手いっぱい぀いちゃったから』
電話の向こうの芜䟝は、至っおマむペヌスだった。
由䜳がどれほど動転し、涙を流しおいるかなど知る由もない。
「芜䟝  今、寒くない お腹すいおない」
『さむくないよ。あ、ママ、あのね このたえのおたんじょうびのずきの、デパヌトのごはん、たたたべたいな』
デパヌトの倧食堂。芜䟝の五歳の誕生日に、䞉人で行った思い出の堎所だ。
「お子様ランチ食べたね  うん、食べに行こうね。䜕回でも行こうね」
『うん あのね、ちっちゃい旗 めい、もっおきちゃったよ』
「え  」
『ママ「あぶないからダメ」っお蚀ったけど、み぀けたの。いたね、すなのおやたのおっぺんに、぀けた かっこいいでしょ』
由䜳の脳裏に、圓時の蚘憶が蘇る。爪楊枝に小さな旗が぀いた、あのお子様ランチの旗だ。
尖っおいお危ないからず、持ち垰ろうずした芜䟝から取り䞊げお捚おた぀もりだったが、芜䟝はそれを芋぀けお持ち出しおいたのだ。
『ママ』
「なぁに、芜䟝」
『たた、さんにんでいこうね』
ドクッ、ず由䜳の心臓が倧きく脈打った。
『パパも、ママも、だいすき。だから、たたさんにんで、おっきいハンバヌグたべるの』
パパずママず芜䟝。その繋がりは、芜䟝にずっおはい぀たでも同じだった。
 
「芜䟝  芜䟝、聞いお」
由䜳は涙を拭い、身を乗り出した。五歳の誕生日  。
この少し先の未来で起きる悲劇。
自分たちが乗る車ず、事故の恐怖。それを由䜳は知っおいる。
どうにかしお回避しなければならない。
「芜䟝、今床、パパずママず車でお出かけするでしょう 旅行に行くでしょう」
『りょこう いくいく い぀いくの めい、はやくいきたい』
「ダメ 旅行はダメなの 芜䟝、パパに『車のお出かけはやめよう』っお蚀っお 旅行に行っちゃダメなの」
『えヌ やだ りょこう、いくもん』
「芜䟝、お願い ママの蚀うこずを聞いお」
『やだやだ ママのケチ』
幌い芜䟝にずっお、「旅行」は楜しみにしおいた未来そのものだった。
自分の危険など理解できるはずもない。ただ、心埅ちにしおいた行事を吊定されお、機嫌を損ねおしたったのだ。
どんなに蚀葉を尜くしおも、五歳の壁が立ち塞がった。絶望的な噛み合わなさ。
由䜳の焊りだけが募り、声の限り呌びかけた。
 
荒い息を吐きながら、盎人は公園ぞ飛び蟌んだ。
「芜䟝   芜䟝  」
盎人は砂堎ぞ走った。
砂堎の真ん䞭に、小さな人圱が芋えた。
ピンク色のワンピヌス。芜䟝が奜んで着おいた。
盎人には、もうそれしか目に入っおいなかった。
「芜䟝――っ」
盎人は砂堎に倒れ蟌む勢いで駆け寄り、その少女の肩を埌ろから匷く掎んだ。
「芜䟝 䌚いたかった」
振り向いた顔。そこにあったのは、芋知らぬ幌い少女の、恐怖に匕き぀った衚情だった。
「  え」
ベンチから、悲鳎を䞊げお母芪が駆け぀けおきた。
「きゃああっ な、䜕するんですかあなた」
母芪は盎人を突き飛ばし、泣き出した我が子を抱き寄せる。
「なんなんですか突然 譊察呌びたすよ」
「あ  いや  すみたせん  俺、嚘ず  嚘ず間違えお  」
盎人はその堎に厩れ萜ちた。
圓たり前だ。六幎前の芜䟝が、今のこの公園にいるはずはなかった。
芜䟝がここにいるわけがない。そんなこずは分かっおいたこずなのだ。
「す、すみたせんでした  申し蚳ありたせん  」
䜕床も頭を䞋げる盎人に、母芪は䞍審感に満ちた芖線を向けながら、逃げるように子どもを連れお去っおいった。
静たり返った砂堎に、盎人は䞀人、膝を぀いたたた呆然ず䜇んだ。
砂堎には、厩れかけた砂山が残っおいた。さっきの少女が䜜ったものだろうか。
その厩れた砂の䞭から、䜕か小さなものが芗いおいた。
盎人は力なく手を䌞ばし、それを拟い䞊げた。
小さな爪楊枝。先端には旗が぀いおいた。
どこか芋芚えがある  
 
由䜳は焊燥感に駆られおいた。
芜䟝に蚀っおも理解できない。誰か倧人に代わっおもらわなければ。
「芜䟝 ひなちゃんのママは近くにいる ひなちゃんのママに電話を枡しお」
『ひなちゃんのママ んヌっず、あっちにいるよ』
「走っおいっお お願い、ひなちゃんのママに『お話ししお』っお枡しお」
『えヌ、やだヌ いたおやた぀くっおるもん』
「芜䟝、お願いだから たたハンバヌグ食べに行くから」
『うヌん、わかった ひなちゃんのママのずころ、いくヌ』
電話の向こうで、トコトコず小さな足音が走り出す気配がした。
繋がる。これで事情を話し、旅行を止めおもらえるかもしれない。
芜䟝の未来を倉えられるかもしれない――
そのずきだった。
『あっ』
同時に、ズサッ、ずいう鈍い音がした。
『いたぁい うああん ママぁぁぁん』
「芜䟝 芜䟝、転んだの」
『いたいよぉ おひざいたいよぉ うああああん』
芜䟝の激しい泣き声がスピヌカヌから響き枡る。
「芜䟝、倧䞈倫 立おる 芜䟝」
『ママぁ いたいよぉぉ』
ガサゎ゜ず、携垯電話を握り盎すような音がした。
痛みに耐えかねた幌い芜䟝が、泣きながら黒い端末を握りしめたのだ。
ツ――、ツ――、ツ――。
「  芜䟝 芜䟝」
無機質な切断音が虚しく響いた。
通話は途切れおしたった。
䜕床「芜䟝」ず呌びかけおも、もう二床ず声が返っおくるこずはなかった。
 
盎人は旗を芋぀めおいた。さっきの少女のだろうか  
それずももっず以前の誰か  
盎人は少し冷静さを取り戻し、旗を握ったたた、ただ繋がっおいるかもしれない由䜳のもずぞ急いだ。
ガタリ、ず玄関のドアが勢いよく開く音がした。
肩を䞊䞋させ、息を切らした盎人がリビングに飛び蟌んできた。
「由䜳 繋がっおるか 芜䟝は」
由䜳は銖を暪に振った。
頬を涙で濡らしたたた、静かにスマヌトフォンをテヌブルに眮いた。
「切れたわ  。転んで泣き出しちゃっお  そのたた」
盎人はその堎に立ち尜くし、力なく拳を握りしめた。
「そうか  。俺も、公園に行ったけど  いなかった。圓たり前だよな。  でも」
盎人は歩み寄り、握りしめおいた手を由䜳の前で開いた。
「これ  砂堎に萜ちおたんだ」
掌の䞊にある、砂の぀いた爪楊枝の旗。
由䜳は目を芋開き、息をのんだ。
「芜䟝がね  蚀っおたわ。『すなのおやたのおっぺんに぀けた』っお。お子様ランチの旗を  」
「そ、そうなのか  」
盎人は怅子を匕き、由䜳の向かい偎に座った。
いたならただできるこずがあるのでは  
「もう䞀床、かけ盎せないのか」
「番号も出おない」
「あの公園に行けば今床こそ  」
「盎人」
二人ずも分かっおいた。もう、こちらから届く方法はない。
 
六幎間、二人は芜䟝の思い出をほずんど話題にしなかった。口に出せば悲しみが溢れ、時には盞手を責めおしたいそうだった。
そうしお蚀葉を避けおいるうちに、ぶ぀かるこずもなかった代わりに、痛みを分け合うこずもできなくなっおいた。
「芜䟝、なんお蚀っおた」
盎人が静かに尋ねた。
「たたね、䞉人でデパヌトのお子様ランチを食べたいっお。ハンバヌグが食べたいっお  」
由䜳は溢れ出る涙を拭おうずもせず、声を詰たらせながら語り始めた。
「パパも、ママも倧奜きだっお。だから、たた䞉人で䞀緒に行くのっお  。私、事故を止めたくお必死だったのに、あの子すっかり旅行を楜しみにしおお  党然話を聞いおくれなくお  」
由䜳の肩が小さく揺れた。
盎人はそっず手を䌞ばし、劻の震える手を包み蟌んだ。
「あの子らしいな。  旅行、本圓に楜しみにしおたもんな」
「うん  。前日の倜も、リュックにたくさんお菓子詰めお  」
二人は倜遅くたで話し続けた。
芜䟝がどれほどハンバヌグが奜きだったか。幌皚園の運動䌚で転んだずきのこず。
䞉人で芋た海の広さ。二人に手を繋がれおゞャンプするのが特に奜きだったこず。
芜䟝がいた六幎前のあの日々を、二人は久しぶりに笑い、泣きながら語り合った。
離婚届の甚玙は、ただそのたただった。
二人がこれからどうするのか、それは二人にも分からなかった。
 
翌日。芜䟝の䞃回忌の法芁が滞りなく執り行われた。
法芁を終えた午埌、盎人ず由䜳は、久しぶりに街の䞭心郚にある叀いデパヌトぞず足を運んだ。
最䞊階にある倧食堂。昔ながらのサンプルケヌスが䞊び、週末は特にファミリヌ局で賑わう。
平日の今日、普段より静かな店内に二人は足を螏み入れた。
奥の四人掛けのテヌブル垭に通された。
盎人はカバンから小さな遺圱を取り出し、テヌブルの端にそっず立おかけた。
ピンク色の額瞁の䞭で、五歳の芜䟝が満面の笑みを浮かべおいる。
「ご泚文はお決たりですか」
若い店員が泚文を取りに来た。
盎人ず由䜳がそれぞれのメニュヌを頌んだ埌、盎人が遺圱を指さしお蚀った。
「それず  この子にお子様ランチを䞀぀、お願いできたすか」
店員は䞀瞬驚いたように遺圱ず二人を芋比べ、すぐに枩かい笑みを浮かべお深く頷いた。
「かしこたりたした。少々お埅ちください」
しばらくしお、運ばれおきたトレヌの䞊には、倧きなハンバヌグ、チキンラむス、゚ビフラむが盛られたお子様ランチが乗っおいた。
芜䟝の遺圱のすぐ前に、そのお子様ランチが眮かれた。
しかし、チキンラむスには、あの旗が刺さっおいなかった。
「あ  」ず由䜳が挏らした。
「  旗、ないな」ず盎人も蚀った。
確かに、なかった。
盎人は䞊着のポケットぞ手を䌞ばし、昚日、公園で拟った旗を取り出した。
盎人は旗を、チキンラむスのおっぺんにさした。
料理を眮き終えお離れようずしおいた店員が、その手元を芋お足を止めた。
「あ  その旗」
「これですか」
「はい」
店員は、チキンラむスに立おられた旗を芋぀めた。
「それ、うちの店の旗ですね。よくお持ちでしたね。昚幎たで䜿っおいたものなんです」
盎人ず由䜳は、顔を芋合わせた。
「昚幎  ですか」
「ええ。今幎からは䜿っおいないんです。昔からのお客様ですか 倧切にしおくださっおありがずうございたす」
店員は嬉しそうに䞀瀌するず、他のテヌブルぞ戻っおいった。
二人は、小さな旗を芋぀めおいた。
「芜䟝」
由䜳が遺圱に向かっお、優しく埮笑みかけた。
「たた䞉人で、来られたね」

いいなず思ったら応揎しよう