
『無益委記』-恋川春町が描いた100年後の世界-

今年は「ラジオ放送100年」である。
100年前にラジオ放送が始まったわけで・・・当時の人(100年前の人)に、
「音声だけじゃないよ。この後、静岡大学の高柳博士が静止画『イ』の送受信に成功し、今では音声付きの動画を送受信できるんだよ」
と教えてあげれば、
「驚き、桃の木、山椒の木」
「びっくりがしゃっくりすりゃあ」
と言うだろう。
───今から100年後の世界
想像できない。多分、少子化が進んでAIとロボットの世界だろうな。
(食糧危機も地球温暖化も根本的には人間が増えすぎたことによる?)
───今から100年後の世界はどうなっていますか?
とAIにお聞きしたいものである。

『歴史道』の聖徳太子特集を見て思ったことは、
───『未来記』について触れられていない。
『未来記』は時代の裂け目に話題になる本で、最近では年号が「令和」に変わった時に話題になった。7月5日の予言で騒がれている今こそ取り上げるべきだと思う。
1.聖徳太子の『未来記』
「聖徳太子の『未来記』」というのは、聖徳太子による未来予言の総称で、石記文と書物がある。膨大な数があり、偽書も、未発見のものも多いとされるが、よく知られているものは、
『聖徳太子伝暦』917年
『御朱印縁起』1007年 ※聖徳太子の手形が捺された偽書
『太子御日記』 ※『栄華物語』に記載
『太子廟御記文』 ※1054年に墓所で出土した石記文
『未来記』 ※東宮学士・藤原家倫蔵。全50巻。
『未来記』 ※唐招提寺蔵
『未来記』 ※四天王寺蔵。楠木正成が読んだ(『太平記』)。
『未来記』 ※仁和寺蔵
『日本国未来記』 ※四天王寺→国立国会図書館蔵
『未来記』 ※『太平記大全』所収
『未然本紀』 ※『先代旧事本紀大成経』(1679年)所収
といったところである。
※法隆寺や皇居の非公開文書の中にもあるとされる。
2.聖徳太子の『未来記』と楠木正成

元弘二年八月三日、楠兵衛正成住吉に参詣し、神馬三疋献之。翌日天王寺に詣て白鞍置たる馬、白輻輪の太刀、鎧一両副て引進す。是は大般若経転読の御布施なり。啓白事終て、宿老の寺僧巻数を捧て来れり。楠則対面して申けるは、「正成、不肖の身として、此一大事を思立て候事、涯分を不計に似たりといへ共、勅命の不軽礼儀を存ずるに依て、身命の危きを忘たり。然に両度の合戦聊勝に乗て、諸国の兵不招馳加れり。是天の時を与へ、仏神擁護の眸を被回歟と覚候。誠やらん伝承れば、上宮太子の当初、百王治天の安危を勘て、日本一州の未来記を書置せ給て候なる。拝見若不苦候はゞ、今の時に当り候はん巻許、一見仕候ばや。」と云ければ、宿老の寺僧答て云、「太子守屋の逆臣を討て、始て此寺を建て、仏法を被弘候し後、神代より始て、持統天皇の御宇に至までを被記たる書三十巻をば、前代旧事本記とて、卜部の宿祢是を相伝して有職の家を立候。其外に又一巻の秘書を被留て候。是は持統天皇以来末世代々の王業、天下の治乱を被記て候。是をば輒く人の披見する事は候はね共、以別儀密に見参に入候べし。」とて、即秘府の銀鑰を開て、金軸の書一巻を取出せり。正成悦て則是を披覧するに、不思議の記文一段あり。其文に云、当人王九十五代。天下一乱而主不安。此時東魚来呑四海。日没西天三百七十余箇日。西鳥来食東魚を。其後海内帰一三年。如獮猴者掠天下三十余年。大凶変帰一元。云云。正成不思議に覚へて、能々思案して此文を考るに、先帝既に人王の始より九十五代に当り給へり。「天下一度乱て主不安」とあるは是此時なるべし。「東魚来て呑四海」とは逆臣相摸入道の一類なるべし。「西鳥食東魚を」とあるは関東を滅す人可有。「日没西天に」とは、先帝隠岐国へ被遷させ給ふ事なるべし。「三百七十余箇日」とは、明年の春の比此君隠岐国より還幸成て、再び帝位に即かせ可給事なるべしと、文の心を明に勘に、天下の反覆久しからじと憑敷覚ければ、金作の太刀一振此老僧に与へて、此書をば本の秘府に納させけり。後に思合するに、正成が勘へたる所、更に一事も不違。是誠に大権聖者の末代を鑒て記し置給し事なれ共、文質三統の礼変、少しも違はざりけるは、不思議なりし讖文也。
四天王寺で楠木正成は、聖徳太子が書いたという『前代旧事本記』と別本『未来記』を見せられた。楠木正成は、そこには、「第九十五代の天皇(後醍醐天皇)の時に、天下は一度乱れ、主君の座が安定しない。この時、東から来る魚(北条高塒)が四海を呑む(日本全国を支配する)。日が西天に没して(後醍醐天皇が隠岐島に流されて)三百七十余日後、西から来る鳥(足利尊氏)が東の魚(北条高時)を食う。その後、天下は再び一つに統一される。猿のような者(足利尊氏)が三十余年の間天下を支配するが、大凶変の後、一つの元に帰る(南北朝は合一する)」と書いてあったと言って味方の士気を鼓舞したという。