
『今日は仲良くできたよ』という、わが家の大事件
「今日は仲良くできたよ。すごい?」
家に帰ると、息子がご機嫌だった。
こう書くと、なんでもない一日のように見えるかもしれない。
でも、わが家にとってこれは、
宝くじが当たったくらいの事件である。
いや、宝くじは当たったことがないのでわからないけれど、たぶんそれくらいすごい。
息子には、学校でよくトラブルになるお友達がいる。
男の子のお友達と、女の子のお友達。
どちらかと何かがあると、夜になって思い出して、泣いたり、怒ったりする。
昼間の学校で起きたことが、夜のわが家に再放送される。
しかも地上波ではない。
感情の4K放送である。
音も大きい。臨場感もすごい。
そんな息子が、今日は帰ってくるなり言った。
「今日は仲良くできたよ。すごい?」
すごいに決まっている。
ノーベル平和賞を、わが家のリビングで授与したいくらいすごい。
どうやら今日は、いつも問題になりやすい男の子のお友達とも、女の子のお友達とも、トラブルにならずに過ごせたらしい。
私は土日に、息子に話していた。
「トラブルになるのは、言葉が悪いからかもしれないよ」
○君バーカ。
△ちゃん、XXだね。
そういう言葉を言われたら、相手は嫌な気持ちになる。
嫌な気持ちになった相手が怒る。
怒った相手とぶつかる。
そして、トラブルになる。
だから、言わないようにしてみよう。
言葉にすると簡単だ。
でも、息子にとっては簡単ではない。
思ったことを止める。
言いたいことを飲み込む。
相手がどう感じるかを想像する。
大人でも失敗することを、息子にお願いしている。
正直、本当に全部できたのかはわからない。
息子の話だけでは、見えていないこともあるかもしれない。
たまたまうまくいっただけかもしれない。
明日はまた、うまくいかないかもしれない。
でも、それでもいいと思った。
今日、息子はご機嫌だった。
夜になって、いつものように嫌なことを思い出して泣いたり怒ったりしなかった。
「今日は仲良くできたよ」と、私に報告してくれた。
「すごい?」と聞いてきた。
その顔が、ほんとうにうれしそうだった。
ほめられたかったのだと思う。
自分でも、今日はがんばれたと思えたのだと思う。
連絡帳にも、先生からこう書いてあった。
今日は○君の近くに行ったので、トラブルがあったらどうしようかと思っていましたが、仲良くできました。
なんということでしょう。
先生も心配していた。
私も心配していた。
きっと息子だって、少しは心配していた。
その全員の心配を、息子は今日はひょいっと飛び越えた。
たった一日かもしれない。
でも、たった一日ではない。
その一日は、息子が自分の言葉を少しだけ変えられた日かもしれない。
相手と仲良くする方法を、少しだけつかんだ日かもしれない。
自分はできる、とほんの少し思えた日かもしれない。
親として、これ以上うれしいことがあるだろうか。
もちろん、明日も同じようにできるとは限らない。
また泣く日もある。
怒る日もある。
「なんでまた言っちゃったの」と、こちらが頭を抱える日もある。
でも、今日の私は知っている。
息子はできる日がある。
仲良くしたいと思っている。
ほめられたいと思っている。
そして、うまくできた日は、こんなにも誇らしそうな顔をする。
だから今日は、ただ喜ぶ。
反省会はしない。
原因分析もしない。
改善計画も立てない。
今日はもう、花丸でいい。
「すごい?」と聞いてきた息子に、私は言った。
「すごいよ。本当にすごい」
息子はうれしそうだった。
私も、うれしかった。
なんということでしょう。
今日は、わが家に平和が来た。