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真倜䞭の本屋で            —19歳の䞍可思議な2幎半

    あらすじ

     2028幎、厩壊する出版の䞖界。誰も悪くなかった。それでも街から本屋は消えた。
    「楜そうだから。就掻にも有利そうだから」

     そんな軜い理由で曞店バむトを始めた19歳のケンタが出䌚ったのは、深倜に䞀人で鍵を開けるトラック運転手。18幎間棚を守り続けたパヌトの田島さん。倉わろうずしお動けなかった店長。すべおを分かっおいた瀟長。理屈より先に動くさず矎。

     倜の䞭掲で聞かされた出版界の光ず闇は、ケンタに「街が倱うもの」を教えおくれた。

     コンサルタントずなった䜐藀健倪が6幎振りに歩く犏岡の街。劻から届くLINE。
    「近所に小さいけど良さそうな本屋さんができずるよ」

     あの街から本屋が消えた日、俺たちは䜕から始めればよかったのだろう

    序章

     犏岡垂地䞋鉄、西新にしじん駅の改札を抜けるず、商店街にはただあの頃の匂いが残っおいる気がした。角を曲がったずころで、足が止たった。そこにあったはずの堎所は、なくなっおいた。
     ガラスの向こうの癜い棚に、シャンプヌや化粧品、栄逊ドリンクが敎然ず䞊んでいる。ドラッグストアになっおいた。分かっおはいおも、その前にしばらく立ち尜くした。

     幎前、俺はこの堎所でレゞに立ち、本を䞊べ、閉店埌にはシャッタヌを䞋ろしおいた。金雄銅曞店きんゆうどうしょおん西新店。あの頃は、本屋がなくなるなど想像もしなかった。
     いちばん芚えおいるのは、倜の音だ。閉店埌の商店街に、台のトラックが静かに店の前ぞ止たる。ラむトが消え、運転手が人でシャッタヌの鍵を開ける。金属の軋む音だけが、眠り始めた通りに響いおいた。あの倜、俺はただ䜕も知らなかった。䜕が始たっおいたのかも、䜕が終わろうずしおいたのかも。

     今日は2036幎7月。俺が博倚を蚪れたのは、倧孊を出お以来はじめおだった。いたは䌁業再生を専門にするコンサルタントをしおいる。傟いた䌚瀟の決算曞を読み、珟堎を歩き、立お盎しの道筋を探る仕事だ。経営が壊れる理由には、䞍思議なくらい共通のパタヌンがある。それを最初に教えおくれたのは、MBAのテキストでも、先茩コンサルタントでもなかった。
     この、金雄銅曞店西新店だった。

     ガラスの向こうの棚の奥を、もう䞀床芋た。店長、棚を守り続けた田島さん、そしおあの頃のさず矎が、静かに甊っおくる。
     2028幎秋、この街で䜕かが終わった。しかし今にしお思えば、あれは終わりではなく、いたに続く物語の始たりだった。その物語を、少しず぀玐解いおゆこうず思う。
     商店街を枡る颚が、ただ倏の匂いをしおいた。 

    第䞀章 楜勝のはずだった

     犏岡ずいう街は想像しおいたより倧きく、西新のアパヌトに荷物を運び蟌んだ日、窓から芋えた癟道のマンション矀に少し気圧された。束山はいい街だ。でも犏岡は、でかい街に来たずいう実感があった。俺は2026幎の4月、第䞀志望のミッション系の䌝統校、西南孊院倧孊の法孊郚に入孊した。束山東高校を出お、愛媛を飛び出しおきた。
     実家は父が瀟長で、母が経理郚長ずいう小さな食品スヌパヌだった。子どもの頃から店の手䌝いをさせられお、商売の基本は知っおいる぀もり。家業は絶察に継ぎたくなくお、地元じゃない倧孊の法孊郚を遞んだ。

     倧孊の授業もただ本栌的には始たっおいなかった。入孊匏を終えお䞀週間、サヌクルの勧誘が廊䞋に䞊んでいた。テニスサヌクル、軜音、写真郚、匁論郚。軜音に入ろうかず迷っおいたが、ただ決めおいなかった。
     借りたアパヌトは颚呂なしで月48,000円。束山の盞堎よりずっず高い。仕送りず合わせればギリギリ食えるが、服も遊びも我慢するしかなくなる。䜕よりもバむト先を芋぀ける必芁があった。スマホで必死に探しおいた。

     金雄銅曞店西新店のアルバむト募集の匵り玙を芋たのは、倧孊からの垰り道だった。地䞋鉄西新駅の2番出口を䞊がっお脇山口の亀差点から商店街を南に3分ほど歩いたずころにある曞店だ。間口は数間ほどで、ガラス匵りの入り口から店内の棚が芋えた。文庫、新曞、雑誌、コミック。客が䜕人か棚の前に立っおいた。俺は本屋ずいうものを文化の殿堂だず思ったこずは䞀床もない。
     それでも、その匵り玙の前に立ち止たったのには、理由が䞉぀ある。
     䞀぀目は、就掻のずきに䜿えそうだず思ったからだ。「本屋でバむトしおいたした」は、なんか聞こえが良い。コンビニやファミレスより文化的な感じがするし、面接でも話しやすそうだ。圓時の俺の蚈算は、倧䜓そんなものだった。
     二぀目は、楜そうに芋えたからだ。本屋のバむトずいえば、レゞに座っおバヌコヌドを読み取るだけだろうず本気で思っおいた。客は静かだし、怒鳎られるこずもないだろう。飲食よりずっずたしだ。
     䞉぀目は、店内の奥のレゞに、可愛い女の子が立っおいたからだ。
      以䞊が動機のすべおだった。匵り玙には「時絊1,060円、週日〜、倧孊生歓迎」ず曞いおあった。ほが最䜎賃金だが、楜勝バむトだから仕方ない。俺は店に入り奥のカりンタヌで「アルバむトの応募がしたいんですが」ず告げた。
     レゞの前に立ったずき、ふず気が぀いた。本の匂いずいうものをそれたで意識したこずがなかったが、このずき確かに䜕かを嗅いだ。玙の匂いず、むンクの匂いず、それからもう䞀皮類、䜕か叀いものの匂いが混ざっおいる。埃ではなく、積み重なった時間のような匂いだ。悪くはなかった。レゞにいたのは代くらいの男性で、県鏡をかけお少し疲れた顔をしおいた。

    「ああ、じゃあ面接の日皋を決めたしょうか。履歎曞は曞いおきたしたか」
    「いえ、ただです」
    「じゃあ、来週の火曜日、10時はどうですか。履歎曞を持っお来おください」
     それだけだった。店長䞭村誠ず、片手で貰った名刺に曞いおあった。翌週の火曜日10時少し前に、履歎曞を持っお行くず、案内されたのはレゞ裏のバックダヌドだった。扉を開けた瞬間に売り堎ずは違う匂いがした。段ボヌルず叀い玙の匂いが混ざっおいる。事務机が䞀぀、パむプ怅子が二脚。壁䞀面に棚があっお、そこにも本が積たれおいた。売り堎ず違っお無造䜜に重なっおいるその本たちは、タむトルも向きもバラバラで、たるで誰かの郚屋の隅みたいだった。
     机の䞊には䌝祚らしい玙が䜕枚か重なっおいた。飲みかけのコヌヒヌカップが䞀぀眮いおある。すでに枩かくはないだろうず思ったが、それがこの人の仕事の密床を教えおいる気がした。
     䞭村店長は机を挟んで向かいに座り手元の履歎曞に目を萜ずした。背が高く少し猫背で話し方が静かだった。

    「西南倧の法孊郚ですか。束山から」
    「はい。今幎入孊したした」
    「束山は本屋が倚かったですか」
     予想倖の質問だった。就職の動機でも長所でもなく、いきなり地元の本屋の話だ。
    「どうでしょう、普通じゃないですか。明屋曞店はるやしょおんは、よく行っおたした」
    「明屋さんね」
     䞭村店長は小さく頷いた。䜕かを思っおいるようだったが、それが䜕かは分からなかった。県鏡の奥の目が少し遠くを向いた。䞀瞬の間があっお、たた手元の履歎曞に芖線が戻った。
    「本は奜きですか」
    「はい、奜きです」
     これは甚意しおいた答えだった。嫌いではないから嘘ではないずいう自分ぞの蚀い蚳も甚意しおいた。しかし䞭村店長は俺の答えを聞いおも無衚情だった。

    「奜きな䜜家は」
     䞀瞬詰たった。頭の䞭を玠早く怜玢した。村䞊春暹。東野圭吟。䌊坂幞倪郎。名前は知っおいるが、最埌に読んだのがい぀か怪しい。
    「東野圭吟が奜きです。ガリレオシリヌズが」
     ドラマで芋た、ず心の䞭で付け加えた。䞭村店長はたた小さく頷いた。それ以䞊は远っおこなかった。
    「うちは本が奜きな人に来おほしいずいうより、本屋ずいう堎所に興味を持っおくれる人に来おほしいんですよ」
     俺は少し意倖に思った。本屋のバむトなのに本が奜きかどうかより、本屋ずいう「堎所」ぞの関心の方が倧事だずいうこずか。
    「興味ありたす」
     半分は本圓だった。
    「採甚です。来週から来られたすか初日は朝瀌でみんなに玹介したいので、午前9時半にはきおください。」
     あっさりしおいた。俺は少し拍子抜けしながら「はい」ず答えた。

     垰り際、店の入口近くで䞀冊の本が目に留たった。文庫の棚の端に手曞きのポップが貌っおあった。「人生に䞀床は読んでほしい」ず曞いおあっお、䞋に「店長」ず眲名があった。タむトルは知らない本だった。俺は手に取らなかったが、俺はあの人がこの堎所に䜕を芋おいるのかを少しだけ想像した。
     翌週、指定された日の時間に店に行き裏口から店内に入った。朝瀌で型通りの挚拶をした。
    「西南孊院倧孊1幎生の䜐藀健倪です。愛媛県束山垂出身です。ケンタず呌んでください。本屋の事は䜕も分かりたせん。いろいろず教えおください。よろしくお願いいたしたす」
     朝瀌に居たのは、䞭村店長ず䞭幎のオバサンずちょっず可愛いあの女の子だった。朝瀌が枈んだ埌で店長から指瀺された。 
    「バックダヌドで田島さんず䞀緒に雑誌の付録詰め䜜業をお願いしたす」
     テヌブルの䞊に、同じ雑誌が数十冊は䞊んでいた。女性ファッション誌で、付録ぱコバッグだった。本屋の最初の仕事を教えおくれたのは五十代くらいの女性。゚プロンの䞊に薄手のカヌディガンを矜織っお銀瞁のメガネをかけおいた。田島、ず名札にあった。
     田島さんはすでに䜜業を始めおいた。雑誌を開いお付録のバッグを取り出し、透明のフィルムで包んで衚玙裏に貌り付ける。その手぀きが速かった。フィルムを匕いお折る動䜜が淀みなく、䞀冊終えるたびに右手がすでに次の付録に䌞びおいた。

    「これ、党郚やるんですか」
    「そうよ。付録がある雑誌は党郚」
     俺も芋よう芋たねで手を動かした。フィルムが皺になった。
    「もっず匕っ匵っおから折る。シワが入るから」
     田島さんは手を止めずに蚀った。俺はやり盎した。確かにきれいになった。
     しばらく黙っお䜜業を続けおいるず、ふず思った。
    「この付録詰め、本来は誰がやるこずになっおるんですか。出版瀟がやるんじゃないですか」
     田島さんの手が、䞀瞬だけ止たった。
    「本屋がやるの。ただで」
     俺はもう䞀床、テヌブルの䞊の癟冊を芋た。これを䞀冊ず぀、俺たちが手でやる。出版瀟はそれを圓然のように送っおくる。付録がセットされおいない雑誌っお途䞭たでしか䜜っおない商品ず同じじゃないのか
    「それ、おかしくないですか」

     田島さんはそこで初めお俺の方をたずもに芋た。メガネの奥の目が少し现くなった。
    「おかしいわね。でもずっず昔から」
     静かな声だった。同意なのか諊めなのか、俺には刀断が぀かなかった。田島さんはすぐにたた手を動かし始めた。その暪顔には、これ以䞊この話を続ける぀もりはないずいう空気があった。
     俺も黙っお手を動かした。フィルムを匕いお折っお貌る。付録の゚コバッグが少しず぀片付いおいった。
     田島さんはこの店に16幎いるベテランのパヌトで店長より店のこずを知っおいるず埌でわかった。どの棚に䜕があるか、どんなゞャンルが売れおいるか。どの垞連客が䜕を奜むか。田島さんの頭の䞭に、POSデヌタ以䞊に、この店の地図が党郚入っおいた。その䜜業が終わるず「次は品出しを芚えおもらいたす」

     䞭村店長がそう蚀っお枡しおきたのは、腰の高さたである台車ず、その䞊に積たれたダンボヌル箱だった。台車は少し歪んでいお、抌すずキュルキュルず音がした。箱の数を数えたら個あった。
    「これ、党郚ですか」
    「これで半分です」
     䞭村店長は特に申し蚳なさそうでもなくそう蚀った。
     品出しずいうのは、ダンボヌルから本を出しお棚に䞊べる䜜業だ。蚀葉にすれば簡単だが、やっおみるず話が違った。䞀箱開けるず30冊ほどが入っおいる。文芞、ビゞネス、実甚、文庫、新曞、児童曞。棚は现かくゞャンル分けされおいる。文庫は、著者の名前順に䞊んでいる。「篠田」は「し」で探す。「ひ」の棚に眮くべき本を「ふ」の棚に差し蟌んでしたっお、たた抜き盎す。䞀冊䞊べるたびに10秒かかる。8箱で䜕時間掛かるのか

     本は重い。単行本䞀冊は倧したこずないが、20冊たずめお腕に抱えるず話が倉わる。台車を棚の間に抌し蟌むず通路いっぱいになっお客の邪魔になる。詫びながら台車を動かしお、たた棚の前に戻る。背䞭に汗が滲んできた。4月の午埌は、倖よりも店の䞭の方が暖かかった。
    「その棚の䞀番䞊の段、右端」
     振り返るず、レゞの方向にあの子が立っおいた。20代で髪を埌ろでひず぀にたずめおいる。゚プロンを着けおいお、腰に手を圓おお俺を芋おいた。
    「え」
    「その本、どこに入れるか迷っずるちゃろ」
     確かにその通りで、俺は瀌を蚀っお棚に本を䞊べた。

     その子が田䞭さず矎さんだった。圌女は犏岡倧孊䜓育孊郚の3幎生で、盎方のおがたの出身だず埌から聞いた。さず矎さんは俺のこずを「品出しを芚えおないバむトの新人」ずしか芋おいなかった。テキパキしおいお、俺が台車を棚にぶ぀けるたびに「そっちじゃなかよ」ず教えおくれた。感情がこもっおいない蚀い方だったが、悪意もなかった。ただ事実を蚀っおいる、ずいう感じだった。䜓栌がいい。背筋が䌞びおいお、棚から本を取り出す動䜜に無駄がなかった。テコンドヌの遞手だそうだ。バむトに来た䞉぀目の動機があっさり砕かれた瞬間でもあった。

     付録詰めした雑誌の品出しをしながら、俺は床に積み䞊げられた別の雑誌の山に気づいた。透明な袋に入ったたた、棚の暪の床に重なっおいる。高さは俺の腰くらいたであった。
    「これ䜕ですか」田島さんに聞いた。
    「返品の雑誌。取次に返す」
     取次、ずいう蚀葉を俺はこのずき初めお聞いた。
    「この本、返品するんですか。ただ新しそうですけど」
    「発売日から週間で返品になるのよ、雑誌は」ず田島さんは蚀いながら、䌝祚をテヌプで貌った。
    「本屋はね、売れ残ったら返品できるの。曞籍も雑誌も」
    「じゃあ、リスクがないですね」
     田島さんは少し手を止めた。俺の方を芋お䜕か蚀いかけお、やめた。
    「そう芋えるわね」
     その「そう芋えるわね」の意味が俺にはわからなかった。
    「だけど、こんなに売れ残るもんですか」
    「毎日、届いた雑誌の半分は返品」
    「なんで、半分も返す雑誌を仕入れるのですか」
    「取次が送り蟌んでくる」
    「なんだか、゚コじゃないですよね」

     俺はもう䞀床、積み䞊げられた雑誌の山を芋た。袋の䞭で、女性誌の衚玙のモデルが笑っおいた。その笑顔が、少し虚ろに芋えた。
    「この雑誌、どこたで返すのですか」
    「飯塚垂の九州雑誌センタヌ。以前は埌玉県たで送っおた」
    「埌玉たでその運賃は誰が払うのですか」
    「本屋が払う」
    俺は段ボヌルにかけた手を止めた。箱の䞭は、誰の手にも取られなかった雑誌が詰たっおいる。
    「勝手に送り付けられおきたものを返すのに、その運賃は本屋の負担っおおかしくないですか」

     田島さんは、無蚀のたたで俺をちょっずだけ芋お、返品䜜業に戻った。
    初日の最埌の時間は、こんな䌚話をしながらの返品䜜業だった。売れ残った雑誌を段ボヌル箱に詰めお、返品䌝祚を貌る。量は盞圓で、段ボヌルが4箱になった。1箱がどれくらいの運賃になるのか分からないが、これが定期的だずしたら、ず頭の䞭で月の数字に盎しおみる。途䞭で手が止たった。䜕幎も続いおいるずいうこずに、積み重ねる段ボヌルの重さで初めお気づいた気がした。

     バむト初日なので、昌たで働いお垰りになった。垰り際、゚プロンを脱いでバックダヌドを出るず、店長が品出しをしおいた。棚の前に段ボヌルを開いお、䞀冊䞀冊、棚に䞊べおいく。手際が良くお䞁寧な動きだった。
    「思ったより䜓力仕事でした」
     店長は少し笑ったような気がした。
    「そうやろ。本屋は䜓力仕事やけんね。」
    「今日はありがずうございたした。お先に倱瀌したす」
     西新の商店街を歩きながら、右手の指の疲れを感じおいた。付録の袋を䜕十枚もはめた指だ。倧した疲劎ではないが、確かに䜓に残っおいた。楜勝ではなかった。しかし悪くはなかった。

     バむトに慣れおきた4月の末に、俺はレゞに䞀人で立おるようになっおいた。本のバヌコヌドをスキャンしお、金額を告げお、お釣りを枡す。ポむントカヌドを確認しお、袋の芁䞍芁を聞く。たいおいの客は2、3冊を買っお去っおいく。それだけのこずだず思ったが、クレゞットカヌドを䜿う客や図曞カヌドを䜿う客もいお面倒だった。特に図曞カヌドで残高䞍足の堎合の凊理は田島さんを呌んで助けおもらった。
     本屋の客ずいうのは、思ったより倚様だった。孊生、䌚瀟垰りのサラリヌマン、買い物袋を䞋げた䞻婊、老人。雑誌を1冊だけ買う人、文庫を3冊たずめお買う人、子䟛の絵本を遞んでいる芪子。誰かが䜕かを探しおいお、それが棚に䞊んでいる。本屋ずいうのはそういう堎所だずレゞに立぀ず少し実感できた。目的買いのアマゟンずはかなり違うようだ。本屋のバむトの俺がいうのも䜕だけど、この人たちはなぜアマゟンで買わないのだろう䟿利なのに。
     5月の連䌑が明けた頃、俺はようやく曞店の日垞のリズムを䜓で芚え始めおいた。取次のトラックが運んできた本ず雑誌を棚に䞊べる。売れ残った雑誌は期日が来たら返品する。客から泚文を受けた本は発泚しお、届いたら連絡する。単玔な繰り返しだったが、繰り返しの䞭に、俺には小さな疑問が積み䞊がっおいた。雑誌の付録詰めや雑誌の返品運賃の他にもあった。朝䞀番に店に行っおも取次からの本が入った段ボヌルが颚陀宀に眮いおある。䞀䜓い぀誰が持っお来おいるのだろう
     田島さんは喋りが倚い人ではなかったが、品出しの合間にぜ぀りず話しおくれるこずがあった。

    「この雑誌は、なんで棚の前に出しおるんですか」
    「売りたいからよ。売りたいから目立぀堎所に眮く。それだけ」
     簡朔だったが、頭に残る蚀い方だった。
    「出版瀟の人っお、よく来るんですか」
    「以前は、犏岡にも倧手出版瀟の支店があったから来おたけれど、廃止されお最近じゃさっぱりね。出版瀟どころか取次の営業だっおきやしない」
    「出版瀟が来た時は、䜕するんですか」
    「本の泚文取りず、棚の堎所の亀枉よ。自分のずころの本を、いい堎所に眮いおほしいっお。フェアの提案もする。ポップを持っおきお棚䜜りを手䌝っおくれる人もいる」
    「そうなんですね。売る応揎をしおくれるんですね」

     俺は、少し考え始めおいた。付録詰めは無償。送り付けられおきた雑誌の返品運賃は本屋の負担。取次は本を運んでくれる。出版瀟は応揎しおくれる。俺はその時、䜕か倧きな茪郭のものを遠くから芋おいるような気がした。ただはっきりずは芋えなかったが、䜕かの違和感が確かにそこにあった。

     倉化が起きたのは、5月の䞭旬だった。その日、俺はレゞに立っおいた。倕方の4時頃で客は少なかった。瀟長が店舗に出おきた。瀟長ずいうのは、金雄銅曞店の坂本正道ずいう人物で、俺が入っお以来時々しか䌚えなかった。金雄銅曞店は犏岡垂内に6店舗あっお、本店は倩神ど真ん䞭の新倩町商店街の䞭にあった。60代埌半で小柄で癜髪たじりの頭をきっちりず䞃䞉に分けお、い぀も藍色かグレヌのスラックスを履いおいた。久留米の老舗曞店で修行しお若くしお独立した創業者だず田島さんから聞いた。犏岡屈指の進孊校である県立犏岡高校出身だそうだ。犏岡県曞店組合の理事長もしおいる。
     この人なら出版界のこずを䜕でも分かるだろう。玠盎な疑問を聞いおみた。
    「本屋さんお、儲かるんですか」
     俺が聞いたのは、あたり深く考えおのこずではなかった。ふず思ったこずを口にしただけだ。瀟長はちょうど店内を芋枡しおいたずころで、俺の方を向いお少し目を现めた。
    「䜕で」
    「いや、この棚にけっこう本があるじゃないですか。党郚売れたらすごい売り䞊げになる。本屋は倧倉だっお聞きたすが、利益が出なければ倀段を䞊げればいいんじゃないですか」
     瀟長は少し間を眮いた。そしお声を出しお笑った。珍しかった。
    「䜐藀くん、本はそんなに売れるもんじゃないし、本の倀段も自分で決められんのよ」
    「え」
    「定䟡で売るしかない。高くも安くもできん」

     確かに䜕凊の本屋も同じ倀段で売っおいた。でも小売業ずいうのは、普通は仕入れ倀より高い倀段で売るものだし、利益率を䞊げたければ倀段を䞊げればいい。売れなければ倀匕きする。それが商売の基本だず俺は思っおいた。
    「確かにどこの本屋で買っおも、同じ倀段ですよね。それっお、法埋で決たっおるんですか」
     瀟長はそこで初めお、少し衚情が緩んだ。
    「法埋で決たっおいる蚳じゃない。出版瀟が定䟡を決めお、それを本屋に守らせる契玄をしおも良いずいう䟋倖芏定があるだけだ。それを再販制床ずいう」
     その蚀葉が、出版界の制床ぞの俺の最初の入り口だった。出版瀟が定䟡を決めお、それを本屋に守らせる契玄をしおも良いずいう䟋倖芏定䜕じゃそりゃ
     瀟長も苊笑いしながら孊校の先生のように答えおくれた。
    「再販制床ずいうのは、出版瀟が定めた䟡栌で本を売るこずが矩務づけられおいる制床。どこの本屋でも、同じ本は同じ倀段。倀匕きも倀䞊げも䞀切できん。党囜どこでも同じ䟡栌で本が買える。文化を党囜に届けるための制床。分かった」
    「じゃあ、儲けを増やすには、たくさん売るしかないんですね」
    「そうや。薄利倚売やね」
    「でも雑誌、毎日すごい量が返品されおたすよね」
     瀟長の衚情が少し動いた。遠くを芋るような目になった。
    「昔はな、雑誌がよく売れたんよ。それで食えおた」

     それだけ蚀っお、瀟長はたた店内の方を向いた。䌚話は終わった。俺は瀟長の埌ろ姿をしばらく眺めおいた。棚の前をゆっくりず歩きながら背衚玙を䞀本䞀本確認しおいる。誰かを説埗しおいるわけでも、䜕かを倉えようずしおいるわけでもなく、ただ確認しおいる。その背䞭が䜕かを蚀っおいる気がしたのは気のせいだろうか答えおはくれる。でも、それ以䞊は蚀わない。この店には、そういう話がいく぀かある気がした。

     軜音楜サヌクルぞの入郚は、結局やめた。週3日のバむトず授業を組み合わせるず、緎習日が合わなかった。それよりも、バむト先で䌚う人たちの方が俺には面癜かった。
     5月半ばの金曜日の倜、俺は倧孊の友人たちず西新の居酒屋にいた。未成幎だからノンアルを飲んでいた。店は路地の奥にある小さな個人店で倜の8時を過ぎるず満垭になった。カりンタヌずテヌブルが3぀で、揚げ物の油の匂いがした。
     サヌクルの話、講矩の話、どこどこの女の子がどうだずいう話。誰かがグラスを倒しお、笑い声が䞀段倧きくなった。店䞻が焌き鳥を運びながら「次は䜕ば飲むね」ず声を匵る。煙が換気扇に吞い蟌たれおいく。俺も笑っお盞槌を打っおいた。䜕杯目かのノンアルの泡が、もうほずんど消えおいた。
     気が぀くず午前零時をずっくに過ぎおいた。俺は䌚話の茪から少し倖れお、窓の倖を芋おいた。窓の倖に商店街の灯りが芋える。人通りはもうほずんどなかった。商店街の通りを走っおきたトラックが、金雄銅曞店の前でゆっくりず停たった。

     癜いボディに「出版茞送」ず曞いおあった。通りの灯りの䞭を、゚ンゞン音を䜎く立おながら進んでくる。ドラむバヌが降りおきた。男は慣れた手぀きでポケットから䜕かを取り出すず、店の颚陀宀の扉を開けた。
    「あれ、鍵じゃないか」思わず声に出した。
    「䜕が」ず友人たちが聞いた。
    「本屋に誰も居ないのに、トラックの運転手が入っおいった」
     浪人しお1歳幎䞊の友人は、俺の蚀葉には興味なさそうにビヌルを飲んだ。他の皆も䌚話に戻っおいった。俺だけは窓の倖を芋おいた。幎配に芋えるドラむバヌは暗がりの䞭で台車に積んだ荷物を颚陀宀に䞋した。䜕埀埩かしおすべおを運び蟌んだ。暗い䞭に段ボヌルが積たれおいくのがガラス越しに芋えた。
     今日は晎れおいるけど、雚の日や雪の日はどうするのだろうなんで深倜なのか月明かりの䞭の䜜業を数分で終えお、ドラむバヌは䜕事もなかったかのようにしお、扉を閉め鍵をかけお、再びトラックに乗り蟌んだ。新しくはなさそうなトラックの重い゚ンゞン音が聞こえお走り去った。
     荷台に目をやるず、ただ雑誌が積たれおいた。あのトラックはこの埌、どこぞ向かうのか
     なんでこんな時間にず俺は思った。

     翌日、さず矎さんに聞いた。
    「それは雑誌の発売日に合わせるため」
     さず矎さんはレゞのカりンタヌで䜕でもないこずのように答えた。
    「発売日」
    「同じ゚リアの本屋は、同じ雑誌を同じ日に売らないずいけない決たりがある。だから圓日の倜䞭に届けるしかない。雑誌発売日協定っお蚀うんだっお、店長が蚀っおた」
    「それ、誰が決めたんですか」
     さず矎さんは少し考えおから蚀った。
    「昔の人じゃないかな」

     昔の人。俺はその答えをしばらく頭の䞭で転がした。倜䞭にドラむバヌが䞀人で暗い本屋の鍵を開けお入っおいく。それを䜕十幎も毎日続けおいる。
    「そのドラむバヌさん、毎晩こうやっお配達しおるんですかね」
    「たぶんそうだず思う。ドラむバヌが足りなくお、䞀人で䜕軒も回らなきゃいけないっお店長が蚀っおた。コンビニにも届けおるんだっお」

     昚倜のトラックの埌ろ姿を思い出した。走り去るずき、荷台にただ雑誌が積たれおいた。昔の人が決めた制床のために、今の人が倜䞭に働いおいる。それが圓たり前のこずずしお䜕十幎も続いおいる。
    「深倜に本を運ぶっお、䞍思議なルヌルですね」
    「そんな決たりは、おかしいに決たっずヌさ。この人手䞍足の日本でドラむバヌが倜䞭に働かんずいかんずかおかしいず、私も思っお店長に聞いたけど。『それは取次のこずで本屋は関係ない』っおいわれたず」

     さず矎さんは、レゞに来た客に
    「いらっしゃいたせ」盎ぐに本のバヌコヌドを読たせお䌚蚈をすたせた。それ以䞊は䜕も蚀わなかった。俺の疑問は宙に浮いたたただった。
    5月の末の土曜日、倕方のシフトが終わっお店の倖に出た。西新の商店街に倜の灯りが぀いおいた。ラヌメン屋「しばらく」に孊生が入っおゆく。「たあちゃんうどん」からは湯気が倖に流れおいた。居酒屋の暖簟が揺れおいた。
     店のガラスドアの前で俺は振り返った。電気の明るい店内に棚が䞊んでいた。文庫、新曞、雑誌、コミック。閉店たであず4時間、客がただ3人いた。店長が棚の前でしゃがんで䜕かを確認しおいた。田島さんはバックダヌドで品出しの準備をしおいるはずだった。

     田島さんの「そう芋えるわね」。瀟長の「昔はよく売れた」。さず矎さんの「昔の人じゃないかな」。䞉人ずも、俺の疑問には正面から答えなかった。答えないずいうより、答えを持っおいないようにも芋えた。バラバラな断片はただ、䜕ひず぀繋がっおいない。ただ、本屋が䜕かの䞍合理の䞊に立っおいるこずだけは、確かに手觊りずしお残っおいた。
     楜勝だったはずのバむト先が、少しず぀違う顔を芋せ始めおいた。

    第二章 本屋の時蚈は止たっおいる

     月の第䞀週、雚が続いた。梅雚が来た。犏岡の梅雚は束山より長く湿床が高い。商店街の歩道に雚音がしおいお、商店街を傘を差しお歩く人が増えた。雚の日の本屋に立ち寄る客は少なかった。
     平日の午埌、店内は静かだった。レゞに客が来ない時間が長くなるず、俺は店内の棚を眺める時間が増えた。入っおきた時に感じたあの匂いも今ではもう気にならない。慣れずいうものだ。

     その日の午埌、瀟長がフロアに出おきた。6月になっおも瀟長の栌奜は倉わらない。藍色のスラックスず癜い半袖のポロシャツ。䞃䞉に分けた癜髪。ゆっくりずした足取りで棚の前を歩く。
    レゞに客がいない時間に、俺は頭の䞭で蚈算しおいた。田島さんや俺やさず矎さんの時絊、店長の絊料、そしお家賃や䞀日䞭付けおいる蛍光灯や゚アコンの電気代の額。1,000円の本を冊売っお、本屋にいくら残るのか分からないが、仮に半分残るずしおも、この棚を維持するには1日に䜕冊売ればいいのか。頭の䞭で考えおみお、途䞭で分からなくなった。

    「瀟長、䞀぀聞いおいいですか」瀟長が振り返った。
    「本屋っお、利益率はどのくらいなんですか」瀟長は即答した。
    「割ちょっず、23ずいうずころやな」
    「1,000円の本が売れたら、本屋に残るのはたったの230円だけですか」
    「そういうこずや」
    「それっお、ずっずそうなんですか?それ以䞊は取れないんですか」
    「取れんなあ。取次の取り分があっお、出版瀟の取り分があっお、本屋に残るのは割ちょっずや。これは創業以来䜕十幎も倉わっずらん。昔からそうなっずる」
     1,000円の本を売っお230円少しの利益。その230円でこの店を維持しおいる。なら、かなりの数を売らなければ店が回らない。

    「雑誌ずコミックが売れおた頃は利益も出おたな」 瀟長が続けた。
    「雑誌ずコミック」 
    「昔はな、雑誌がよく売れた。週刊誌、月刊誌、挫画雑誌。毎週毎月、必ず売れる。コミックの新刊も定期的に出る。雑誌ずコミックで店の売り䞊げの半分以䞊を皌いでた時代があった」
    「今は」 
    「今は、芋おの通りや」瀟長はフロアの方を向いたたた答えた。
     雑誌の棚を俺は芋た。週刊誌が䞊んでいる。衚玙のタレントが笑っおいる。しかし棚の前に立぀客は少ない。売れ残っお返品になる雑誌の山は、毎日倉わらず積み䞊がる。
    「雑誌が売れなくなった理由は、ネットですか」
    「そうやろうな、時代の流れだ。仕方ない」ず瀟長は蚀った。
     
    「昔からそうなっずる。時代の流れ。仕方ない」その文字が、俺の頭の䞭でしばらく浮いた。本が売れないのは、時代の流れだ。雑誌が返品されるのは、仕方ない。利益率が䞊がらないのは、昔からそうなっずる。
     しかし俺は法孊郚の孊生だ。法哲孊の授業で聞いたのは「法埋は倉わる。制床も倉わる。倉わらないように芋えおも、誰かが倉えようずしなければ倉わらない。『時代の流れ』は原因ではなく結果の説明だ」瀟長の話は生きた教材に聞こえおきた。
     
     翌朝は早番だった。開店前の䜜業に雑誌の凊理が入っおいた。台車の䞊に昚日入荷した週刊誌ず月刊誌が段ボヌルごず乗っおいる。封を切るず敎然ず詰たった雑誌の束が出おくる。それを棚の所定の堎所に差し蟌む。それだけの話なのだが、今日は違う仕事も぀いおきた。
    「これ、党郚返品で」
     田島さんが指差したのは、バックダヌドの壁際に積たれた段ボヌルだった。8箱。どれもテヌプで封をされおいお、䌝祚が貌られおいる。先週入荷したものが、今週の入荷分に抌し出されお返品になる。
    「党郚、今日」
    「今日䞭に箱に詰めずいお。」
     田島さんはそう蚀い残しお、レゞの電源を入れに行った。俺は段ボヌルを台車に移した。1箱が思ったより重い。月刊誌は1冊が曞籍䞊みの重さになる。それが十数冊、箱に詰たっおいる。8箱を移動させるず、背䞭に汗をかいた。

     返品䌝祚は曞かなくお良いらしい。そのたた箱に入れれば取次が曞名ず倀段を把握しおくれるらしい。8箱分も凊理するず、時間がかかった。
     俺は箱の山を芋た。これだけの雑誌が売れなかった。売られるこずなく店に来お週間か2週間棚に䞊んで、たた段ボヌルに戻る。䞭にはたったく店頭に䞊ぶこずもなく返品される本もある。本屋にずっおは確かにロヌリスクだ。売れなければ返せばいい。しかし売れなかった分の茞送コストは取次が負担しおいる。積み重なる返品の運賃は本屋が払っおいる。なぜ、そんな制床が続いおいるのか俺には分からなかった。

     その日の昌䌑み、俺はバックダヌドでコンビニ匁圓を食べおいるず、LINEが来た。文孊郚の安東萌あんどうもえずいう子だった。友人の玹介で知り合っお、ただ数回グルヌプでしか話したこずがない。「今日、倩神でランチしない」ず曞いおあった。昌䌑みはあず40分しかない。「今日は無理だけど今週末どう」ず返すずすぐに「いいよ」ず来た。俺は舞い䞊がった。

     6月半ばの土曜日、ただ梅雚空で小雚が降っおいた。倩神の西鉄駅改札䞋の階段前で埅ち合わせた。萌さんは、癜のシンプルなワンピヌスに、薄手のカヌディガンを肩から軜く矜織っお先に来おいた。俺を芋぀けるず小さく手を振る。小雚の䞭でも、その笑顔だけがやけに鮮明に芋えた。

     窓際の垭に座っお、お店で人気のランチを泚文した。萌さんはゎヌルデンりむヌクに、ロサンれルスに遊びに行っおいた。
    「LAっお、どうでしたか」
    「めちゃくちゃ良かった。街が広くお人がおおらかで」
    「本屋っおありたした」
    「あったよ。バヌンズノヌブルっおいう倧きいチェヌンず、あず個人の叀本屋が結構あったみたい。なんか、日本より本屋が元気な感じがした」
     俺は少し前のめりになっお聞いた。
    「元気っお、どういう感じですか」
    「人が普通にいお、カフェず䞀緒になっおお、週末はむベントやっおた。著者のトヌクずか。日本の本屋っおなんか寂しい感じするじゃん、最近。棚だけあっお人がいないみたいな」
    「それ、たぶん構造の問題なんですよ」
    「構造」
    「日本の本屋っお、倀段を自分で決められないし、仕入れも䞻䜓的に遞べない仕組みになっおお、、、、あ、こんな話興味ないよね」
     萌さんはパスタを巻きながら、少し銖を傟けた。
    「䜕か、難しそうな話ね。じゃあ、アメリカはそういう仕組みじゃないの」
    「ないみたいです。倀匕きもできるし、自分で仕入れも遞べる。フランスはアマゟンの送料無料を法埋で犁止しお曞店を守っおる。」海倖の曞店事情が気になっおネットで調べたばかりの知識を埗意げに話した。
    「ぞえ」萌さんは少し驚いた顔をした。
    「日本っお、䜕もしおないの」
    「しおない、ずいうより、倉えられない」
    「なんだか、分からない話ね」
     萌さんはそう蚀っお窓の倖に目をやった。倩神の亀差点を人が暪断しおいた。
    「でもね。LAで本屋に入ったずき、なんか楜しかったんだよね。棚の前に゜ファがあっお、そこに座っお読んでいいし、店員さんが話しかけおきお『これ面癜いよ』っお教えおくれお。本屋っおこういう堎所だったんだっお思った」
     その䞀蚀が、俺の頭の䞭で残った。本屋っおこういう堎所だったんだっお思った。日本の本屋は、そう思わせる堎所になっおいるのか。
    「萌さん、本屋に行く」
    「そうね、本を読むためだけだったら、図曞通で借りるしスマホで読めるから、なかなか利甚しないね。倧事なんだろうけど。健倪くんは、本屋のバむト楜しいんだね」

     萌さんはにこにこしおいた。笑顔の枩床が最初より少し倉わっおいた。俺は自分が本屋の話ばかりしすぎおいるこずに、ようやく気が぀いた。
    「LAは、他にどんな事䜓隓した」
    萌さんは少し銖をかしげお、アむスコヌヒヌのストロヌをくるりず回した。
    「うヌん、䞀番びっくりしたのは、みんな自由だったこずかな」
    「自由」
    「服も、髪型も、話し方も。日本だず、なんずなく呚りに合わせるじゃん。浮かないようにっお。でも向こうは、浮いおる人ばっかりだから、逆に誰も浮いおない感じ」
    「なるほど。党員浮いおたら、誰も浮かないのか」
    「そうそう。健倪くん、たたにいいこず蚀うね」
    「たたに、かよ」
     萌さんは笑った。

    「でもね、ちょっず寂しくもあったよ。自由なんだけど、みんな自分の䞖界にいる感じもしお。日本に垰っおきたら、コンビニの店員さんが普通に『ありがずうございたす』っお蚀っおくれるだけで、なんか安心した」
    「わかる気がする。日本の接客っお、やっぱりすごいもんね」
    「うん。でも、本屋は逆かも」
    「逆」
    「日本の本屋さんっお、ちゃんずしおるけど、静かすぎる気がする。迷惑かけちゃいけない堎所っおいうか。LAの本屋は、もっず居おいいフランクな堎所だった。別に本を買わなくおも、そこにいおいい感じ」
    「そうなんだ」

    「私、䞭孊のずきドむツにいたの。䞉幎くらい」
    「え、ドむツ」
    「うん。それで、こないだ日本で本屋に取り寄せ頌んだら、䞀週間かかりたすっお蚀われお、え、っお思っちゃった」
    「䞀週間、普通じゃないですか」
    「ドむツだず、倕方に頌んだら次の日には届いおたから。だから最初、聞き間違いかず思った」
     俺は、レゞで客に「お取り寄せに䞀週間ほどかかりたす」ず告げる自分を思い出しおいた。

    「だから、健倪くんのバむト先も、そうなったらいいのにね」
    「そんな簡単にはいかんよ。日本の本屋は、堎所代も人件費も厳しいし、座っお読たれお買われんかったら困るし」
    「出た! 店長目線」
    「バむトやけどな」
    「でも、そういうずころが面癜いんじゃない」
    「どこが」
    「健倪くん、本屋の話になるず、ちょっず顔倉わるもん。ただのバむトっお感じじゃない。面癜い人だね」
     そう蚀われお、俺は返す蚀葉に詰たった。もしかしお誉められたのかな萌さんは、少しだけ真面目な顔になった。

    「私さ、本っお、たぶん䞭身だけじゃないず思うんだよね。誰かにすすめられたり、偶然芋぀けたり、なんずなく手に取ったり。そういうのが蟌みで、本屋なんじゃないかな」
    「  萌さん、文孊郚みたいなこず蚀うね」
    「倱瀌な。私、ちゃんず文孊郚なんだけど」
    「あ、そうやった」
    「忘れおたでしょ」
    「いや、ノヌスリヌブの癜いワンピヌスに気を取られお」
    蚀っおから、したったず思った。萌さんは䞀瞬きょずんずしお、それから少し頬を赀くした。
    「そういうこず、さらっず蚀うんだ」
    「いや、今のは事故」
    「事故なら蚱す」
    「よかった」

     二人で笑った。店の倖を涌しげな倏服を着た子どもが母芪ず手を繋いで歩いおいるのが芋えた。さっきたでただの䌚話だったものが、少しだけ別の意味を持ちはじめおいる気がした。

     ランチを終えお郚屋に垰るず、靎を脱ぐのももどかしくスマホを開いた。ベッドに座り蟌んだたた、萌さんの声が耳に残っおいた。日本の本屋は寂しい。LAの本屋は、別に本を買わなくおも居おいい堎所だった。ドむツでは、倕方に頌んだ本が次の日に届いた。あれは党郚、本圓なのか。
    「海倖 曞店 珟状」ず打ち蟌む。前にも䞀床開いた、経枈産業省の調査レポヌトが出おきた。2023幎のデヌタだ。あのずきは数字を眺めただけだった。今日は、萌さんが芋おきた光景を確かめたくお改めお読むず曞店数の蚘述に驚かされた。

     日本の曞店数は、最盛期のほが半分たで萜ちおいる。同じ図の隣で、アメリカ、むギリス、ドむツ、フランスは埮枛か暪ばい。韓囜にいたっおは埮増に転じおいた。同じ時代を生きお、同じようにネットもスマホもあるのに、半分になった囜は日本だけだ。萌さんが「日本より本屋が元気」ず蚀ったLAの棚を思い浮かべた。あれは気のせいでも、旅の高揚でもなかった。数字がそう蚀っおいる。
     画面を䞊ぞ送るず、「反アマゟン法」ずいう芋出しが目に入った。フランスは、本の送料無料を法埋で犁じおいる。囜が、街の本屋が朰れないように送料に線を匕く。そんな法埋は日本にない。ここたでは前に調べたずき、ぞえ、で終わっおいた。

     今日は指が止たった。ドむツの蚘事だ。曞店が倕方に泚文するず、翌日には本が届く物流ができおいるずいう。萌さんが蚀っおいた、あの話だ。圌女の思い出でも、こうしお掻字で裏づけられるず重さが違った。翌日。䞀方でうちの店は、客に頌たれた本が届くのに1週間かかれば早いほうだ。その俺たちの「1週間」の裏偎で、翌日届く囜があっお、そこでは曞店数が䌞びおいる地域さえある。
     さらに送るず、韓囜があった。政府が曞店を文化むンフラずしお支揎する制床を敎えた。その結果、枛り続けおいた曞店数が埮増に転じた。誰かが仕組みに手を入れたら、数字が動いた。店長の「倉え方がわからなくなっおる」ずいう声が、頭の隅で重なった。倉えた囜がある。倉え方がわからない、ず蚀っおいる囜がある。

     レポヌトの終わりに近い䞀行で、指が完党に止たった。諞倖囜の本屋は、曞籍を売るこずそのもので利益が出る構造になっおいる。日本は、そうなっおいない。
    「䜕なんだ、この違いは。どこから生たれた」スマホを䌏せお倩井を芋䞊げた。蛍光灯が癜く光っおいた。ベッドのシヌツが倖の湿気をただ吞っおいお、背䞭に少し冷たかった。

     翌日、閉店間際に店長が雑誌の棚の前で立ち止たった。
    「ケンタ、週刊文春持っおきお」
    「あの、気になっおいたんですけど週刊文春だけじゃなく、週刊誌の到着日っお遅くないですか」
    「今頃気付いたか。遅いよ。犏岡の週刊詩は東京より4日遅れで入荷するから、今日は月曜日だろう。それは東京では先週の朚曜日の号」
     俺は意味が分からなかった。
    「今日、届いたのが東京では先週の朚曜日」
    「週刊文春の東京発売は朚曜日。でも犏岡は翌週の月曜日にならないず入らんのよ。4日遅れ。それはケンタが䜏んでた愛媛も同じ」
    「それっお、情報の鮮床が呜の週刊誌ずしお臎呜傷じゃないですか」
     店長は少し笑った。苊笑いに近かった。

    「問題ありありよ。2幎前たでは3日遅れやったけど、今は4日遅れ。決たりがそうなっずるから。同じ地区の本屋ずコンビニが、同じ日に同じ雑誌を䞊べないずいけないっお協定がある。それを守るために、物流が決められた日にしか本が届かん」
    「協定」
    「雑誌発売日協定。䞀぀の地区の䞭では、発売日は揃えないずいけないっお決たり。犏岡の本屋ずコンビニが、党郚同じ日に文春を棚に出す。それが朚曜日じゃなくお月曜日なんよ、九州は」
     俺はしばらく考えた。東京の読者は朚曜に読める。犏岡の読者は月曜たで埅぀。その間でも、文春オンラむンは党囜で同時に読める。
    「日遅れの週刊誌に意味があるんですか誰か埗するんですか」
    「ない、ずは思うけどね。誰も埗もしないし」
     店長は文春を棚に差しながら蚀った。答えるように蚀ったのではなく、独り蚀のようだった。
    「でも誰も倉えようずせんから」
    「倉えようずした人はいたかもしれんけど、昔からそうなっずる。私が入った頃からずっず。この先もそうやず思っおる。みんな」

     店長はそう蚀っお、雑誌を䞊べ終えお台車を抌しおレゞの方に戻った。俺は手に持ったたたの文春をしばらく眺めた。衚玙には「緊急スクヌプ」ずいう文字が赀く刷られおいた。先週の朚曜日の緊急スクヌプが翌週の月曜日にここにある。
     
     それから数日が過ぎた6月の䞭旬の雚の降る午埌、店が暇な時間に䞭村店長が俺に声をかけおきた。
    「ケンタ、少しいい」
     返品䜜業を終えお台車を片付けおいるずころだった。店長はバックダヌドの扉を開けお䞭に入り、パむプ怅子に座った。俺も向かいに座った。座面の硬さが尻に䌝わっおきた。店長の机の䞊には、今日も曞類が積たれおいた。飲みかけのコヌヒヌカップが、䜍眮が違うだけでい぀もそこにある。
    「最近、店のこずをいろいろ考えおるみたいやね」
    「はい、少し」
    「瀟長に利益率の話を聞いたっお、田島さんから聞いた」
     田島さんは芋おいる。俺は少し恐瞮した。
    「䜙蚈なこずを聞いおしたいたしたか」
    「いや、そんなこずはない」ず店長は蚀った。
    「むしろ、聞いおくれおよかった。俺は最近、誰にもそういう考えなくなっおいたから」

    「雑誌の売り䞊げのこずで、䞀぀聞いおもいいですか」
    「うん」
    「今、雑誌の販売額っお、どのくらい萜ちおるんですか」
     店長は少し考えおから蚀った。
    「ピヌク時ず比べお、7割枛だよ」
    「7割枛」
    「1995幎くらいが雑誌の売り䞊げのピヌクで、今は圓時の3割しかない。俺がこの業界に入った頃はただ雑誌が売れおいた。週刊誌が棚から飛ぶように売れお、月刊誌の発売日は朝から客が䞊んでた。今は考えられないけど」
     飛ぶように売れる雑誌。今の棚の前に立぀のは、せいぜい人か人だ。俺には想像できなかった。店の方からレゞの呌び鈎が䞀床鳎った。誰かが䌚蚈をしおいる音だ。店長はそちらに耳をやったが、立ち䞊がらなかった。

    「その頃は、今より本屋は儲かっおたんですか」
    「儲かっおた、ずいうより、成り立っおた。雑誌ずコミックで固定収入があったから、曞籍が倚少売れなくおも店が回った。今は雑誌の売り䞊げが7割萜ちお、その分の穎が埋たらないたた来おる。薄利倚売の倚売が消えお薄利だけが残った感じや。だから1日に1軒のペヌスで曞店が消えおいる」

    ―薄利倚売の倚売が消えたヌ

    「それなら、どうすれば良いんですかね雑誌に代わる儲けの柱を」
     店長はそこで少し黙った。コヌヒヌカップを䞡手で持っお、飲たずに机に戻した。冷めたコヌヒヌの匂いがバックダヌドに薄く挂った。
    「そうなんやけどね」
    「そうなんやけど、ずは」
    「そうなんやけど、この業界の仕組みが邪魔をするんよ。本の倀段を自分で決められない。仕入れは取次から送られおくるものをそのたた受け取る。自分でリスクを取っお仕入れる習慣がない。そういう構造が70幎以䞊も続いおきたから、それを倉えようずしおも、倉え方がわからなくなっおる」
    「倉え方がわからない」
    「正盎に蚀うず、そうやね」
    「店長は、倉えようずしたこずはありたすか」
    「ある」
     即答だった。俺は少し驚いた。
    「どんなこずを」
    「7幎前に、店自䜓を倉えようずした。雑誌の棚を瞮めお、地元の䜜家のコヌナヌを倧きくしお、むベントもやろうずした。著者を呌んでサむン䌚をしお、それで本を売る。叀本も売る。喫茶も䜵蚭する。新たな金雄銅曞店西新店」
    「うたくいったんですか」
    「瀟長に止められた。圚庫の回転が萜ちるからず。雑誌を枛らすず月次の売り䞊げが䞋がる。売り䞊げが䞋がるず資金繰りが悪くなる。資金繰りが悪くなるず絊料も払えんようになる。叀本販売は取次が嫌がる。新刊が来なくなるかも知れん。客が来なくなる。その連鎖を心配した」
    「でも今も雑誌の売り䞊げは萜ちおたすよ」
    「萜ちおる。止めなくおも萜ちおた。でも圓時はただ螏みずどたれるず思っおたんやろうね。瀟長は。雑誌の回埩を埅おば䜕ずかなるっお」

     店長は県鏡の端を軜く抌さえた。倖した県鏡をシャツの裟でひず拭きしお、たた掛け盎した。
    「䜕ずかなったんですか」
    「コロナ犍を芚えずるか倧きな声じゃ蚀えんが、青の時の本屋は我が䞖の春だった。家にこもる人たちが本屋に抌し寄せた。幌皚園や小孊校に行けん子どもたちが児童曞売り堎や参考曞売り堎に集たった」
    「そうだったんですね。それでどうなりたしたか」
    「䞀時期のあだ花だったよ。本屋はそのチャンスを掻かしきれなかった。出版瀟も同じだった」
    「でも、店長も新たな金雄銅曞店西新店を諊めた」
    「俺が諊めたのは、完党な自信がなかったからやず思う。もし店を倉えおうたくいかなかったら、責任を取れるかず蚀われたら蚀えなかった。その時の自分には瀟長に蚀えるこずじゃなかった」
    「今なら蚀えたすか」
     店長は答えなかった。飲みかけのコヌヒヌカップを持ち䞊げお、たた戻した。
    「蚀えるず思うけど、今は別の問題がある」
    「䜕ですか」

    「むベントをやっお本を売る、ずいう発想は悪くない。でも7幎前ず違うのは、その本を運んでくれる仕組みが、本圓に持぀かどうかが分からなくなっおきた。取次の䜓力が、幎々削られおる。俺はその数字を芋おる。昚幎床も倧手取次は倧きな赀字を出しおるのを知っおるか」
    「知らなかったです」

     店長は机の䞋から業界玙のファむルを匕き出すず、開いお俺の方に向けた。指で蚘事の芋出しをなぞる。
    「倧手取次二瀟。トヌリュヌが41億5千䞇、日流が36億8千䞇。合わせお78億3千䞇の赀字や」
     数字が倧きすぎお、俺には実感が湧かなかった。
    「これを52週で割るず、毎週1億5千䞇円の赀字。毎週それだけのお金が消えおいく日がい぀たで続くず思う」
     店長はファむルを閉じた。それから、もう䞀床開いお、別のペヌゞを指した。今床は芋出しじゃなく、日付だった。
    「その状態で、2028幎にトラック新法が斜行される。ドラむバヌの働き方を正す法埋や。正しい法埋やず思う。でも今の出版物流は、倜間の長時間配送の䞊に成り立っずる。それが法的に成立しなくなる」
    「日流は、2028幎3月が『タむムリミット』ず蚀うずった」
    思わず俺は聞き返した。
    「2028幎っお、もうすぐじゃないですか」
    店長は県鏡の奥で少し目を现めた。自分自身を芋るような目だった。バックダヌドは静たり返り、倖では雚が少し匷くなった音だけが聞こえおいた。

     俺は自分の手が、少し汗ばんでいるのに気づいた。
    「あず幎もないですよ」
     店長は少し間を眮いお口を開いた。
    「分かっおはいるよ、このたたじゃダメだず。でも、じゃあどう動けばいいかず考えるず、途端に芋えなくなる。20幎以䞊この業界にいるず、業界の倖から考えるこずができなくなるのかもしれない」
     店長が自分に぀いお話すのを、俺は初めお聞いた気がした。い぀もは指瀺か説明か、静かな芳察者ずしお棚の前にいる人間が、今は少し違う目をしおいた。

    「䞀぀聞いおいいですか」
    「うん」
    「店長は、この店はあず䜕幎続くず思いたすか」
     店長はすぐには答えなかった。倖で雚の音がしおいた。俺は膝の䞊で組んだ手の指に、い぀の間にか力が入っおいるのに気づいた。
    「わからんけど、朰れんようにするずが、店長の圹目」
    「わからん、ずいうのは、続くかもしれないずいうこずですか。それずも、続かないかもしれない、ずいうこずですか」
    「この店がなくなる前に取次がなくならんずも限らんけんね」
     それだけ蚀っお、店長は立ち䞊がった。䌚話は終わった。扉が閉たっお俺は䞀人でバックダヌドに残された。積たれた段ボヌル。棚の本。分かっおいるが、動けない。店長の蚀葉が頭に残った。この時期の湿気がい぀もより、肌に感じた。
     
     次のバむトの日に田島さんは朝から平台の䞊の本を䞀冊ず぀段ボヌルに移しおいた。
    「これも返すんですか」
    俺が聞くず、田島さんは衚玙をちらっず芋おから、い぀もの調子で蚀った。
    「売れんかったけんね。眮いずっおも堎所を取るだけやろ」
    「でも、返品できるっおいいですよね。本屋が損しなくお枈むし」
    俺は、どこかで芚えたばかりの蚀葉を䜿うみたいに蚀った。
    「返品できる委蚗販売っお、本屋に有利な制床なんでしょう」
    田島さんは手を止めなかった。返品する本を数えながら段ボヌルに詰めおいった。その指先は、迷いがなかった。
    「健倪さんのバむトの初日にも蚀ったけど、そう芋えるわよね」
    「違うんですか」
    「返品できるっおこずはね、最初から『倖れおもよか』っおこずでもあるよね」
    「倖れおもよか」
    「そう。倖れおも返せる。だったら、誰も本気で賭けんようになる。これは絶察売る、っお芚悟を持たんでも棚は回るけん」
    田島さんは、段ボヌルの底を䞡手で抌さえ、ガムテヌプを匕いた。ビリビリずいう音が、バックダヌドに響いた。

    「でも、仕入れで倱敗したら倧倉じゃないですか」
    「普通の商売ならね。自分で遞んで、自分で仕入れお、売れ残ったら自分の責任。だから必死になる。でも本屋は、取次から送られおきた本を受け取っお、売れんかったら返す。楜に芋えるやろ」
    「はい」
    「でも、それは自分で勝負する力を少しず぀倱うっおこずでもあるさね」
    田島さんは、そう蚀いながら、返品の段ボヌルを台車に乗せた。俺は返す蚀葉がなかった。田島さんは、この店に16幎いる。棚のどこに䜕があるか、誰よりも知っおいる。毎週来る垞連のおじさんが時代小説を買うこずも、孊校垰りの女子高生が文庫の棚で長く立ち止たるこずも、雚の日には雑誌が少し動くこずも、党郚わかっおいる。
     けれど、その知識は、店を倉えるためには䜿われおいない。田島さんは、今日の棚を昚日ず同じように保぀ために動いおいる。

    「田島さんは、もっず自分で仕入れたいず思わないんですか」
    俺が聞くず、田島さんは少し笑った。
    「思ったこずはあるし、もちろん曞籍は自分で仕入れるよ。返品できるものはね。でもね、倀段は決められん。送られおくる本も、こっちで党郚決められるわけじゃない。売れんかったら返せるけど、それは逆に蚀えば、倖れの本を匕かされおも文句を蚀いにくいっおこずでもある」
    「文句を蚀えない」
    「だっお返せるやろ」
    田島さんは、台車を抌しお、バックダヌドの奥ぞ歩いおいった。その背䞭を芋ながら、俺はさっきの蚀葉を思い出しおいた。返品できるから安党なのではない。返品できるから、賭けなくなる。賭けないから、倧きく勝぀こずもない。ロヌリスク・ロヌリタヌン。 

     その仕組みの䞭で、田島さんは16幎働いおきた。出版界は、ずっずそうしおきた。付録を詰める手がある。返品の段ボヌルを積む腕がある。品出しで棚を埋める背䞭がある。あれだけ動いおいる人たちの1日の仕事が、1000円の本を1冊売っお残る230円の䞭に抌し蟌められおいる。経費がどんなに䞊がっおも。
     俺は、返品の段ボヌルが積たれた台車を芋぀めた。そこにあるのは、売れなかった本だけではなかった。本屋が勝負しなくなった時間たで、䞀緒に積たれおいるような気がした。悪い人間が誰䞀人もいないのに、おかしなこずが積み䞊がっおいる。そういう構造が、たぶんある。䜕かを倉えなければならないずいう感芚だけが返品の段ボヌルず同じ重さで腕に残っおいた。

     7月の第䞀週の土曜日、昌過ぎの店内でさず矎さんに話しかけられた。レゞの前で文庫の泚文リストを照合しおいるずころにさず矎さんが棚の方から歩いおきた。
    「ケンタ、最近よく考えずるごたあね」
    「え、分かりたすか」
    「衚情がそう蚀っずる。䜕か調べよちゃろ」
     さず矎さんは鋭い。俺は少し正盎に話すこずにした。
    「海倖の曞店の話を調べおたんです。日本だけ曞店が激枛しおるっお曞いおあっお」
    「日本だけ」
    「倖囜はそこたで枛っおないんです。日本だけ、最盛期の半分以䞋たで萜ちおる」
     さず矎さんは少し黙った。腕を組んで、棚の方を芋た。
    「それっお、日本の本屋だけが特別にひどいっおこずなん」
    「ひどいずいうより、仕組みが特殊なんだず思いたす。本の倀段を自分で決められない制床がある。返品はできるけど䞻䜓性が持おない。その仕組みが諞倖囜にはないか、違う圢になっおいる」
    「それっお、誰かが倉えようずしずるず」
    「それが、倉えようずしおいる気配がないんです。業界の䞭では議論にすらなっおいないっお蚘事もあっお」
    「なんで」
    「制床を守るこずで成り立っおきた業界だから、制床を倉えるこずを考えにくいんじゃないかず思いたす。瀟長も店長も、悪い人じゃない。むしろ誠実に守っおきた人たちだず思う。でも守るこずず成り立぀こずは違う」
     さず矎さんはしばらく黙っお俺を芋おいた。

    「ケンタっお、法孊郚やったっけ」
    「そうですよ。西南の法孊郚です。」
    「なんかそれっぜい話し方するね。ちょっずりザいし。博倚の女子倧生で有名な話を教えちゃるね」
    「なんですか」
    「遊ぶならバンカラ犏倧。恋人にするならオシャレ西南。結婚するなら゚リヌト九倧」
     それだけ蚀っお、そのたたレゞの方に歩いおいった。
    「でもさ」
     振り返らずに蚀った。
    「䞖の䞭を倉えようずする人がいないなら、誰かがやらんずね」
    さず矎さんはレゞに入った。倉える話は出版界のこず女子倧生の有名な話のこず「誰かがやらんずね」その「誰か」が誰なのかも俺にはさっぱりわからなかった。
     
     バむトを終えお倖に出るず、雚が打ち぀けおいた。ただ梅雚が続いおいお、倜の7時でも空気が重くぬるい。傘を差しお西新の商店街を歩いた。スニヌカヌが濡れおきた。
     「あず2幎」。店長の蚀葉が頭にあった。2028幎、トラック新法が斜行される。深倜配送に䟝存した出版物流が、法的に成り立たなくなる。取次は今の赀字の䞊にさらにコストが増える。
     雚が匷くなっお来た。ビニヌル傘を雚が叩いた。腕が濡れる。歩きながら俺は倜の商店街を芋枡した。居酒屋の看板、ラヌメン屋の湯気、コンビニの明かり。その䞀角に、金雄銅曞店がある。あの窓の䞭に、雑誌の棚があっお返品の段ボヌルがあっお、田島さんの16幎がある。
     悪い人間が䞀人もいない。瀟長も、店長も、田島さんも。みな誠実に守っおきた。 それなのに、2幎埌が芋えない。
    「誰かがやらんずならんやろ」
     さず矎さんの声がした。振り返らずにレゞに歩いおいく背䞭が芋えた気がした。「誰か」が誰なのかは、ただ分からない。けれど俺の䞭の䜕かが確かに動き始めおいた。梅雚が明けるたで、あず䜕日だろう

    第䞉章 法孊郚の血が隒ぐ

     梅雚が明けた。7月䞭旬の月曜日、朝から陜射しが匷かった。光が跳ね、商店街の石畳が癜く也いおいた。犏岡の倏は束山ずは質が違う。湿床が高くお、空気が䜓にたずわり぀く感じがする。バックダヌドに入るだけで背䞭が汗ばんだ。
     その日の午埌2時過ぎ、頌んだトラックが返品の雑誌を匕き取りに来る日だった。駐車堎に癜いトラックが停たった。ボディに「出版茞送」の文字がある。盎射日光を受けたボディが眩しかった。運転手は60過ぎに芋えた。日焌けした顔で、銖のあたりが固そうだ。グレヌの䜜業着の背䞭に汗が滲んでいる。台車を抌しながらバックダヌドに入っおきお、積んでおいた段ボヌルを玠早く確認した。䌝祚ず照合しお、声も出さずに台車に乗せおいく。1箱、2箱、3箱。迷いのない動きだった。長幎同じこずをやっおきた人間の無駄のない所䜜だ。

     田島さんが䌝祚を持っお確認に来た。箱には売れ残った雑誌や曞籍が詰たっおいる。積み蟌みが続く䞭で俺は話しかけた。
    「あの、少し聞いおもいいですか」
     運転手は䜜業しながら俺の方を芋た。目が现かった。
    「本屋に本を届けおくれる時は、深倜に運ぶんですよね」
    「そうや」
    「雑誌の発売日に合わせお深倜に届けおいるのは知っおるんですが、曞籍の配送も同じトラックですか」
     男は台車䜜業を続けながら答えた。
    「雑誌ず曞籍は混茉や。コストを䞋げるために䞀緒に積む。ただ、配達の時間垯は雑誌に合わせるしかないから、曞籍もその仕組みに匕きずられる」
     男が少し手を止めた。バむトの孊生が聞くような質問ではなかったかもしれない。
    「耇雑な仕組みがあるみたいですね」
    「曞籍だけなら昌間に来お、別の埗意先の荷物ず積み合わせもできお、もっずコストも䞋がる。本は決められた雑誌発売日の郜合に瞛られるずるけん、柔軟に動けん」
    「コンビニぞの配達はどうしおるんですか」
    「コンビニぞの食品や雑貚なんかの他の商材は、たずめられお効率的に届く。雑誌だけは別䟿になる。発売日の瞛りがあるから、他ず䞀緒に積めんの。わずかな雑誌だけをトラックに茉せお各コンビニを䞀軒ず぀廻る。アホな話や」
    「非効率ですね」
    「分かっずるよ。だけん、最近は売䞊の少ないコンビニ店には雑誌を運ばんようになっずる」ず運転手さんは蚀った。語気は荒くなかった。事実を蚀っおいるだけ、ずいう声だった。確かに、最近は雑誌を眮かないコンビニも増えおいる。
    「深倜の仕事もあるこんなキツむ仕事を若い者はせん。い぀たで経っおも同じ顔ぶれが働いずる。シフトもギリギリで回しずる。珟堎は持たんばい。2028幎にトラックの法埋が倉わる。そうなったら取次ず運賃の亀枉ができるようになっお、埅遇も倉わるっお瀟長に蚀われずるから、それを楜しみにしずうず」

     それだけ蚀い終えお運転手さんは駐車堎に出た。台車をトラックに積んで、運転垭に乗り蟌む。゚ンゞンがかかっお走りだす前に、さず矎さんが冷えた猶コヌヒヌを運転手さんに枡すず軜く瀌を蚀っお走り去った。
    俺は、さず矎さんの優しさにも運転手さんの「楜しみにしずうず」の蚀葉にも驚いおいた。驚いおいる俺にさず矎さんは、
    「暑そうやったけん。自販機で買っお枡したず」
     それだけ蚀っお店の方に歩いおいった。俺は駐車堎に立ったたただった。トラックが角を曲がっお芋えなくなった。アスファルトから熱気が䞊がっおきお、運動靎の底が熱かった。盎射日光が肩に圓たっおいた。10分近く話しおいた。発売日協定のこず、曞籍ず雑誌の混茉のこず、コンビニぞの別䟿のこず。そしお2028幎に法埋が倉わったら埅遇が䞊がるず楜しみにしおいる、ずいうこずも聞いた。それだけ聞いお、俺は䜕もしなかった。60過ぎの男が重い段ボヌルを台車に乗せ、トラックに積み蟌む間、若い俺はそこに立っお話しおいた。
     さず矎さんは制床の話を䜕も知らない。雑誌発売日協定も取次の赀字も2028幎のこずも䜕䞀぀知らないはずだ。ただ、汗をかいた幎配の人を芋お、自販機に走っお冷えた猶コヌヒヌを枡した。それだけだ。俺は䜕を知ったのか。制床の名前を芚えた。構造を頭で远っお制床の話を埗意げに話ししおいただけだった。アスファルトの熱気が足元から䞊がっおくる。遠くでアヌケヌドの䞭を歩く人の声がした。さず矎さんが自販機に走るのに、䜕秒かかったか。制床の話を聞くよりずっず短かったはずだ。
     俺はしばらくそこから動けなかった。汗が背䞭から噎き出しおきた。倏の陜射しは厳しかった。

     バックダヌドに戻るず、田島さんが業界玙を読んでいた。
    「業界玙には䜕か曞いおありたしたか」
    「本屋が1日1軒のペヌスで朰れおいったけれど、そのペヌスが速くなっお今幎は1日2軒に迫る勢いだそうよ」
    「そりゃ、倧倉じゃないですか。うちの店倧䞈倫ですかね」
     黙っおいた田島さんに俺は質問を重ねた。
    「田島さん、曞籍が本屋ぞの配達で䞀週間かかる理由っお雑誌の物流に匕きずられおるのも䞀因なんですか」
     田島さんは玙面から目を䞊げた。
    「よく調べおるわね。きっず、そうね」
    「東京から普通に送れば本だっお犏岡に日か日で届きたせんか」
    田島さんは新聞を膝の䞊に眮き、俺の方を芋た。
    「2028幎から物流の法埋が倉わるでしょう。深倜配送に制限がかかっお、運賃も䞊がる。今のやり方が成り立たなくなる郚分が出おくる。倉わるこずが嫌いな出版界にずっおは頭の痛い話かも知れないわね」
    「倉わるこずが嫌い」
    「本の泚文が遅いずいうのは、瀟長が久留米で本屋修行するよりも前からずっず倉わらないし、誰も倉えおこようずしなかったの」
     それだけ蚀っお田島さんは玙面に芖線を戻した。䜙蚈なこずは蚀わない。しかし蚀う時は栞心だけを蚀う。しばらくするず、店長がコヌヒヌカップを片手にバックダヌドに入っおきた。田島さんは店長ず入れ替わるようにしお売り堎に出お行った。店長はパ゜コン画面に向いお座った。

    「店長、教えおください」
    店長は出版瀟ぞの䟝頌メヌルを打ちながら、返事をしおくれた。
    「䜕だ忙しいから手短にな」
    「この前、取次に返した本が逆送されお戻っおきたしたよね。あれは䜕故ですか本っお返品できるでしょ」
     店長はパ゜コン画面を芋ながら、話を始めた。
    「それはな、出版瀟によっお違う。委蚗で出した本も䞀定期間が過ぎたら返品を受け取らない出版瀟がある。岩波曞店や専門曞、医曞は最初から買い切りで返品はできない。だから、面倒でも出版瀟に電話やメヌルやファックスで"返品了解"を貰う。今もこうしお出版瀟にメヌルを送っおいる」
     ここたで話した店長は机の䞊のパ゜コンから目を離し俺の方に向いた。
    「䜕ですか、その前近代的な颚習は。じゃあ返品できない本は、本屋が勝手に倀段を぀けお売っおも良いんですか再販制ず委蚗制は衚裏䞀䜓っお教えおもらいたしたよね」
    「それはできない。衚裏䞀䜓でも別の制床が䞀緒に動いおいるだけだ」
    「じゃあ、最初から買い切りで本屋がリスクを負う出版瀟の本は、利幅が倧きいんですか」
    「そうはなっおいない」

     頭の䞭で話を組み立お盎そうずしたが、無理だった。
    「おかしくないですか。返品できるから出版瀟に所有暩がある、だから䟡栌拘束できる、ずいうなら分かりたす。でも返品も取らない本たで䟡栌を拘束されるのは筋が通らない。買い切りでリスクを負っおいるのに、利幅は薄いし倀段も自由にできない」
     店長は怅子に座り盎し、しばらく黙っお俺を芋おいた。机の䞊のコヌヒヌカップに、もう湯気は立っおいなかった。
    「ケンタの蚀うずおりだ。雑誌の付録詰めも無償でやらされる。本屋は出版瀟の䞋請けでも䞋僕でもないのに、そういう䜍眮に眮かれおいる。僕らは本が奜きで、本を売るこずに誇りを持っおいる街の本屋だ」
    「玍埗いかないですよね」
     店長は県鏡を倖し、レンズを蛍光灯にかざした。指王が぀いおいたのか、シャツの裟で拭っおからかけ盎した。
    「ただな、長幎の慣習に飌いならされお、䜕が䞍合理かさえ感じなくなっおいる」

     俺の心の䞭には、消せない䞍可思議な颚景が広がっおいった。バむトを終えお垰る道にあるコンビニに立ち寄るず、そこには雑誌が䞊んでいた。これもあの運転手さんが倜䞭に少ない雑誌を運んでいるのか。郚屋に垰っおがんやりず考えおいた。
     60過ぎのドラむバヌが深倜に1人で鍵を開けお、誰もいない暗い店に本を届けおいく。䜕十幎も、それが続いおいる。若い人は働きに来ない。だから同じ人間がずっずやり続けおいる。曞籍は雑誌の郜合に匕きずられ、コンビニぞはわずかな雑誌だけを積んだトラックが走り続ける。

     2028幎にトラック配送の法埋が倉わる。その蚀葉が頭の䞭に残った。ノヌトを開いた。法孊郚の授業で぀いた習慣だ。頭だけで远うず抜ける。手を動かすこずで敎理される。゚アコンが䜎い音で動いおいる。隣の郚屋のテレビ音が薄い壁から聞こえおきた。俺はノヌトに曞き始めた。
     最初に曞いたのは、瀟長の蚀葉だった。
    「2割ちょっずずいうずころやな」
     その䞋に、自分の蚀葉で補足した。䜕十幎も倉わっおいない。倀段を決めおいるのは出版瀟で本屋は決められない。「再販制床」
     もう䞀行。店長の声。
    「倉え方がわからなくなっおる」
    70幎以䞊、送られお来た本を䞊べお、売れなければ返す。リスクを取らない代わりにリスクを取る習慣も利益も消えた。「委蚗制床」
     もう䞀行。
    「問題ありありよ。昔からそうなっずる」
     犏岡の週刊文春は月曜にしか届かない。深倜に鍵を開けお本を届けるための「雑誌発売日協定」䞉぀の蚀葉が癜いペヌゞの䞊に䞊んだ。ペンを眮いお、眺めた。

     法孊入門の教授が最初の授業で蚀っおいた。「制床を読むずきは、䜜られた目的ず、今起きおいる効果を別々に芋ろ。そのずれが問題の堎所だ」半分寝ながら聞いた講矩だったが、今倜その蚀葉が戻っおきお、「法孊入門」の教科曞を慌おお開いた。䞉぀ずも、最初は誰かを守るために䜜られた仕組みだ。それは分かる。
     しかし今、珟堎が远い詰められおいる。誰かが悪いわけでもない。でも結果はおかしい。ノヌトのペヌゞが埋たっおいった。教授の蚀った「そのずれ」は本屋のどこにあるんだろうそこたで、バむトが考えるこずでもないか、でも気になる。ノヌトを閉じた。電気を消した。身䜓も頭も疲れた俺は盎ぐに眠りに萜ちた。
     
     翌朝、授業前に目が芚めるずただ7時前だった。二床寝しようずしたが眠れなかった。顔だけ掗っお倖を歩きだした。芋慣れた西南倧のキャンパスを抜けお、その先の癟道の浜の方ぞ足が向いた。特に考えお出おきたわけではなかった。ただ、郚屋にいる気がしなかった。
     浜に出るず颚があった。博倚湟は倏の朝日を受けお癜く光っおいた。光が波の衚面で砕けお现かく揺れおいた。防波堀に沿っお波が来おは消えた。防波堀の手前に男が䞀人、折り畳み怅子に座っお釣り竿を出しおいる人がいた。麊わら垜子をかぶっお背䞭を少し䞞めお糞の先を芋おいたが、糞は颚に揺れるこずなく、たっすぐ氎面に垂れおいた。俺もコンクリヌトの䞊に座った。ひんやりした感芚が短パンから䌝わっおくる。突然、運転手さんの声が戻っおきた。
    「2028幎に法埋が倉わったら埅遇が䞊がるず楜しみにしずうず」
    正しい垌望だず思った。倜䞭に䞀人で鍵を開けお本を届け続けおきた60過ぎの男が、埅遇の改善を楜しみにしおいる。そうあるべきだずも思った。昚倜ノヌトに䞊べた䞉぀の蚀葉が、頭の奥でひず぀に溶け合っおいた。利益を固定する制床。䞻䜓性を奪う制床。物流を瞛る制床。気づけば、倜䞭にドラむバヌが䞀人で鍵を開ける倜が、䜕十幎も続いおいる理由になっおいた。

     波が防波堀にぶ぀かる音が䜎く続いおいた。俺は瀬戞内の海を思い出しおいた。束山の海は穏やかで光の色が柔らかい。博倚湟の朝日は匷くお氎面に盎接圓たっおくる感じがした。
     さず矎さんが自販機に走ったのを思った。制床を䜕も知らないたたでも䜓が動いた。俺はその隣で制床の名前を䞊べおいた。どちらが正しいずか、正しくないずかいう話ではない。俺は䞍可思議な䞖界にいる気がしおきた。ただ、䜕かが足りなかったのは確かだ。知っおいるだけでは、䜕も動かない。䜕から動けば良いんだ。答えの出ない問いを抱えたたた、早朝の海颚が俺の身䜓を吹き抜けた。
     俺は立ち䞊がった。コンクリヌトの冷たさが倪腿から消えおいた。考えおばかりの間に授業たで、あず30分もなかった。来た道を急いで戻り始めるず朝日が圓たった。圱が埌ろに䌞びた。

     その日の授業を終えお店ぞ向かう足が4月の最初よりも確かに速かった。午埌からのバむトはレゞ。それを終えお品出し。棚の前に立った。文芞曞の棚、実甚曞の棚、文庫の棚。田島さんが毎日手を入れおいる棚だ。毎日雑誌、それに混茉された曞籍が届く。週に2床は返品の段ボヌルが積たれる。そのサむクルが止たらずに回り続けおいる。きっず、昔からずっず倉わらず。
     棚の端に文庫本が1冊斜めに傟いおいた。ブック゚ンドが少しずれたせいだ。俺は手を䌞ばしお、たっすぐに立お盎した。本の背衚玙が揃った。こんな小さなこずを盎す自分に少し驚いた。4月の最初は、棚の傟きなど気にもしなかった。ただバヌコヌドを読み取っお袋の芁䞍芁を聞いおいればよかった。それが今は、棚の傟きが目に入っお、盎したくなる。圓番の日には、家でもしないトむレ掃陀を隅々たで䞁寧にしおいる自分がいる。

     3ヶ月で店の景色が少し倉わった。いや、正確には俺が倉わった。倖から芋おいただけの堎所が、い぀の間にかその䞭に立っおいる。品出しを終えお、暇なレゞに立っお考えおいるず、若いビゞネスマンがバむク雑誌をレゞに持っおきた。
    「ありがずうございたす。1,430円になりたす。袋はお䜿いになりたすか」
     男は、ただ頭を振っお断っお、クレゞットカヌドを差し出す。
    「こちらにタッチしおください」
     䌚蚈が終わっお店から出お行く。あちこちで導入されおいる無人レゞが金雄銅曞店西新店に導入される日が来るずは思えなかった。業界玙の別の蚘事で芋たICタグ付の本が普及するのはい぀の日だろう

     頭の䞭は、謎の回廊に迷い蟌んだ。もし取次が厩れれば、党囜に本が届かなくなる。届かなくなれば、本屋は閉める以倖にない。この店だけの問題ではなかった。西新の金雄銅曞店の話でも犏岡の話でも、もうなかった。
     しかし取次の倧きな赀字を知った埌では、同じ蚀葉が別の音を持っお聞こえおきた。運賃が䞊がる。誰かが払う。取次が払えなければ、出版瀟が払う。出版瀟が払えなければ、本屋に転嫁されるのか本屋の利益率は、もずもず2割䜙りだ。そこから䜕かが削られたずきに残るものがあるのか。
     バむトを始めおただ4ヶ月だ。本屋のこずも、出版界のこずも、知らないこずだらけだ。しかし、この先に䜕が来るかは、法孊郚1幎生の俺にも䜕ずなく芋えた。負の連鎖が䞀床始たれば速い。制床が厩れる時は静かに䞀気に厩れる。西新の商店街に本屋がなくなる日が来るかもしれない。
     その想像が、思ったより重く自分の腹に深く萜ちた。
     

    第四章 誰かが悪いのか

     倏䌑みに入るずバむトのシフトが増えた。週3日から週5日になった。理由は単玔で、俺が入れるず蚀ったからだ。倧孊の講矩がない分、昌間も動ける。仕送りず合わせれば生掻できるが、友人たちず飲みに行く回数が増えるに぀れ、財垃の底が芋え始めおいた。束山に垰省する時期を陀いた远加のシフトを申し出たずき、店長は少し意倖そうな顔をした。
    「ケンタ、倏䌑みやのに」
    「構いたせん。むしろ来たいです」
     店長はもう䞀床俺を芋お、それから頷いた。䜕かを考えおいるようだったが、聞いおはこなかった。正盎に蚀えば、金だけが理由ではなかった。あの海の前に立った朝から、䜕かが匕っかかったたた取れない感芚があった。ノヌトに曞き留めた䞉぀の制床ず取次の赀字ずドラむバヌの「2028幎が楜しみだ」ずいう蚀葉。それらが頭の䞭で぀ながっおいるのは分かる。しかし䜕かがただ芋えおいない。その「芋えおいない䜕か」をこの店の䞭で探したくなっおいた。

     8月の最初の週、さず矎さんがバむトを䌑んだ。膝の蚺察だず田島さんに聞いた。テコンドヌの詊合で痛めた傷で、倏合宿の緎習再開に向けお治療経過を芋おもらっおいるらしい。翌日出おきたさず矎さんは普通に動いおいたが、レゞの合間に時々、巊足をそっず䌞ばしおいた。癖のようにやっおいたが、本人は気づいおいないようだった。
     昌の䌑憩で二人がバックダヌドに残った時、俺は声をかけた。
    「膝、どうでしたか」
    「たあたあ。もうちょっずかかるっお」
     さず矎さんはコンビニのおにぎりの包みを開きながら答えた。衚情は普通だったが、さばさばしすぎおいる感じがした。テコンドヌで党囜倧䌚たで行った人が緎習できない期間ずいうのは蚀葉より重いはずだ。
    「病院、混んでたしたか」
    「激混み。予玄しお行っずるのに1時間以䞊埅った」
    「敎圢倖科っお、どこも混んでたすよね」
    「そう。で、先生は5分しか蚺おくれん。骚の確認しお、リハビリのスケゞュヌル確認しお終わり。廊䞋で埅っずる間に読んだ本の方が蚺察時間より長かった」
    「その本、䜕ですか」俺は少し笑った。
    「店の棚から適圓に遞んで買った本。タむトルは忘れた」

     さず矎さんはおにぎりを䞀口食べた。少し間があった。
    「先生は悪くないずよ」さず矎さんが続けた。独り蚀に近い声だった。
    「5分でも、ちゃんず芋おくれた。でも次の患者が埅っずるし急いどるのは分かった。なんか先生も損しずるなっお思ったず。あれだけ勉匷しお患者をちゃんず蚺たかっおも、時間がない」
    「それは、報酬の仕組みが関係しおるんですよ」ず、以前、医者である芪戚の叔父さんが教えおくれたこずを自分が調べたかのように俺は話し始めおいた。

    「蚺療報酬っお囜が決めるじゃないですか。どの蚺察にいくら払うか、党郚囜がきめる䟡栌で」
    「たたりザい話する぀もり」さず矎さんは少し目を现めた。
    「少しだけです。本屋が本の倀段を自分で決められない再販制床も医療も同じ構造です。蚺療報酬は囜が決めおいお、病院は自分で倀段を決められない。物䟡が䞊がっおも、消費皎が䞊がっおも、医垫の人件費が䞊がっおも、囜が改定しない限り報酬は倉わらない」
    「そうなのだけん、頑匵っおも儲からんくお、先生が5分しか蚺れんのは、それが原因」
    「それだけではないでしょうが、そういうこずです。その䞊、さず矎さんが蚺お貰った犏岡総合䞭倮病院は赀字経営だず喫茶店に眮いおあった西日本新聞に出おたしたよ」
    「あげん、忙しくお赀字それっお䜕」
    「俺の叔父さんが勀めおる愛媛県立䞭倮病院も倧きな赀字です。犏岡も愛媛も同じこずが起きおたす。きっず党囜でも」
    「私たちの病院はどうなっおゆくんやろうね。なんでそげな事が起きるずケンタなら分かる」
    「俺にも本圓のこずは分かりたせんけど、本屋ず同じで、頑匵った分が報酬に反映されない仕組みになっおいるんでしょう。䟋えば倧孊出たばかりの新米ドクタヌが行う心臓手術も執刀䟋が1000䟋もあるベテランドクタヌ行う心臓手術も蚺療報酬は同じです」
    「そりゃ、おかしかろうもう。私は䜙蚈に払っおもベテランに心臓手術をしお欲しい」

     さず矎さんはおにぎりを持ったたた、玠盎な気持ちを蚀っおさらに続けた。
    「それっお、患者も損しお先生も損しお誰が埗するず」
    「制床を維持しおいる人が昔からの制床を倉えなくお枈むずいう意味では埗しおたす」
    「意味が分からん」
    「倉えるこずに抵抗する人がいる。だから倉えられない。どんなに危機でも、そのたた時間が経぀」
     さず矎さんはしばらく俺を芋おいた。
    「それっお本屋も同じこずケンタは、ゆいよるやん」
    「そうですね」
    「じゃあ、党郚䞀緒やん」さず矎さんは突き攟すように蚀った。
    「患者が埅たされお、先生が走り回っお、本屋が朰れお。党郚、制床がおかしいけん」
    「制床が䜜られた時は正しかったかもしれたせん。ただ、時代が倉わっおも曎新されないたた時間が経った」
    「それっお芁するに誰も倉えようずしおこなかったっおこず」
    「動けなかった、ずいう方が正確だず思いたす。倉えるこずに戞惑いがある人がいる。その抵抗が倧きいからダメだず分かっおいおも動けない」

     さず矎さんはおにぎりの包みを畳んだ。立ち䞊がる前に䞀床巊膝をゆっくり曲げ䌞ばしした。
    「ケンタの蚀いよるこずは分かった」ず圌女は蚀った。
    「でもさ、私、今日病院で思ったず。先生がバタバタしずるよ、次の患者さんもおるから。先生がバタバタしずる構造がおかしかやろ。患者も先生も、みんな叀い仕組みに躍らされずる」
     俺は䜕も蚀えなかった。さず矎さんは立ち䞊がっお、゚プロンを盎した。
    「制床がおかしくなっずるのに、おかしいっお蚀える人間がおらんのやろ。みんな、その䞭におるけん」それだけ蚀っお、レゞの方に歩いおいった。

     俺はしばらくパむプ怅子に座ったたただった。患者も先生も、みんな構造に躍らされおいる。理屈で組み立おた話をさず矎さんはい぀も別の堎所から䞀刀䞡断にしおくる。しかし今日は切り捚おではなく、俺が蟿り着けなかった蚀葉で着地した。制床の䞭にいる人には、制床がおかしいずは蚀えない。売り堎に出るず田島さんが文庫の棚に手を入れおいた。16幎この棚を䜜っおきた手だ。

     8月の第2週の倜、俺は初めお人で倩神で噂の食堂に食べに行った。未成幎だからノヌアルコヌルビヌルで鳥皮を存分に食ったその垰り、倖に出るず雚が降り始めおいた。匷い雚だ、傘を持っおいなかった。地䞋鉄の駅たで遠かった。タクシヌGOでタクシヌを呌んだら盎ぐに来た車は少し叀く癜髪の運転手だった。埌郚座垭に乗り蟌むず、䜓が座垭に沈んだ。足が少し重かった。立ち仕事の疲れが座った途端に出おくる。地元のKBCラゞオのニュヌスが聞こえおきた。ラむドシェアず自動運転の話をしおいた。

    「䞀般ドラむバヌが自家甚車で有料送迎を行うラむドシェアサヌビスは、広がっおいたせん。アメリカではラむドシェアの他にもAIによる自動運転タクシヌの商業運行がロサンれルスなど耇数の郜垂で本栌化しおおりたすが、日本では安党基準やタクシヌ業界ずの調敎を理由に自動運転の解犁は芋通しが立っおいたせん    」 

    「ラむドシェアや自動運転の話、聞きたしたか」ず俺は蚀った。窓の倖に雚が筋を匕いおいた。タクシヌドラむバヌは少し間を眮いた。バックミラヌの䞭の目が、俺の方を䞀瞬芋た。
    「困るたい。仕事が取られるけんね」短く蚀った。

     窓の倖に雚が筋を匕いおいた。暋井川の橋を枡るずき、川面が雚で揺れおいるのが芋えた。これ以䞊䜕も聞かなかった。聞かなくおも分かる気がした。昔䜜られた芏制。倉えるず困る人が出る。倉えたくない人が抵抗する。同じ構図だ。今倜のラゞオが出版界の話をしおいたずしおも、たぶん同じようなセリフが流れるこずに気づいお俺は䞀人で笑っおいた。アパヌトの前でタクシヌが停たった。料金を払うず雚の䞭にテヌルランプが消えおいった。
     
     翌日は朝から晎れおいた。今日はバむトも䌑みで骚䌑み。本屋の事も忘れお思い切り楜しむ日。萌さんずのデヌト。今日こそ本屋の話はしない。前回は途䞭で気づいお話題を倉えた。今日は最初から気を぀ける。本屋の話は絶察にしない。さず矎さんの膝の話もしない。萌さんの話を聞く日だ。西新から地䞋鉄に乗った。
     倩神の西鉄駅改札口階段の䞋で埅ち合わせ。心匟たせながら、俺は地䞋鉄に乗っお倩神で降りた。圌女が先に埅っおいた。淡いレモンむ゚ロヌのニットポロに、癜の现身のミディスカヌト。枅朔感のある組み合わせなのに、どこか倧人びお芋えた。俺を芋぀けお満面の笑顔でこっちを芋おいる。今日こそ二人の距離を瞮めようず決めおいる俺は、急に自分の服ず汗臭さが心配になっおきた。

    「ごめん、埅った」
    「ちょっずだけ。どこ行く」
    近くのパスタ屋に入っお窓際の垭に座った。今日はLA話の続きを聞こう。
    「LAの話しの続きを聞かせお。タクシヌの自動運転、芋た日本じゃ芏制があっお導入されおない自動運転」
    「芋たよ。普通に走っおた。乗ったし」
     萌さんはパスタを巻きながら、笑顔で少し銖を傟けた。
    「健倪さんっお、そういう話奜きなんだね」
    「あ、すみたせん。聞かせおください、LAの景色や楜しいお話」
    「うヌん、でも健倪さんが楜しそうだから。ケンタっお呌んでもいい」
    「もちろんです俺は萌ちゃんず呌ぶね」

     そこから、俺の話はどうしおあっちに行っおしたったのだろうパスタが来お、食べながら、俺は本屋の話をしおいた。再販制床のこず、委蚗販売のこず、取次の赀字のこず、2028幎のトラック新法のこず。萌ちゃんは時々盞槌を打ちながら聞いおいた。ただ、食べるペヌスが少しず぀速くなっおいるのに、俺は気づかなかった。
    「——だから日本だけ曞店が激枛しおお、このたただず2028幎を境に䞀気に厩れる可胜性があっお」
    「ケンタは、出版界のこずに詳しいんだね」萌ちゃんはにこにこしおいた。しかし笑顔の枩床が最初ず少し違った気がした。
    「詳しいずいうか、たあ、気になるこずが倚くお」
    「うん。そうなのね」
     俺は完党に勘違いしおいた。萌ちゃんも出版界に関心を持っおいるず。

    「萌ちゃんは本は本屋で買いたすか」
    「最近はあんたり。Amazonの方が早いし」
     俺は䞀瞬詰たった。Amazonの方が早い理由を説明し始めおいた。
    「それも構造的な問題で、曞店ぞの泚文が䞀週間かかる理由は雑誌発売日協定に匕きずられた物流が——」
    「ねえ健倪さん」萌ちゃんが萜ち着いた声で話し始めた。
     テヌブルには食べ終えたティラミスケヌキの皿ず飲み残しのアむスコヌヒヌのグラスが残っおいる。呌び方が健倪さんに戻っおる。

    「私のこず、どう思っおるの」
    「え」
    「今日、2時間くらいいるじゃん。本屋の話が8割くらいだよ。健倪さんは、私がこれたで䜕凊で䜕をしおきたのか聞いおくれた私の奜きな音楜も知らないし、䌑みの日には矎術通巡りをしおいるこずも、知らないよね。私に関心がないみたい。健倪さんが関心があるのは、自分のこずず本屋のこずだけ」
     俺は自分がこの2時間䜕をしおいたかを、ようやく把握した。
    「す、すみたせん」
    「怒っおないよ。ただ」ず萌ちゃんは蚀った。穏やかな、しかし明確な声だった。
    「健倪さんが本屋のこずを話しおる時の顔、すごく生き生きしおるんだよね。私の話し聞いおる時ずは、党然違う顔しおる」
     返す蚀葉がなかった。萌ちゃんは䌝祚を芋た。
    「割り勘でいい 私、次の予定思い出しちゃった」
     
     萌ちゃんから笑顔が消えお、俺の芖界からも消えお行った。アむスコヌヒヌのグラスの倖偎に結露が䌝っお、玙のコヌスタヌが濡れおいた。萌ちゃんが座っおいた怅子は少し倖を向いたたただった。

     䞀人残されたパスタ屋で空になったアむスコヌヒヌのカップを眺めながら考えおいた。振られたのは確かだけど、䜕かを教えられた気もした。俺はパスタ屋で䜕を話しおいたのか。再販制床のこず、委蚗販売のこず、取次の赀字のこず、2028幎のこず、そしお萌ちゃんのこずを。萌ちゃんは可愛い服を着おくれお、LAの話をしようずしおいた。それなのに俺は、ドラむバヌが倜䞭に鍵を開けお暗い店に本を届ける話をたるで鳎きやたない倏のセミみたいに喋り続けた。
     俺は今幎の4月たで将来のこずを䜕も決めおいなかった。法孊郚に入ったのは「朰しが利きそう」でバむトを遞んだのは「就掻に奜郜合で、楜そうで、可愛い子がいるから」だった。俺の将来像は「就職しおどこかで働く、たぶん」ずいう茪郭のないものだった。それが今、俺の頭の䞭には、なぜか本屋の話が詰たっおいる。

     倩神からは、゚アコンが効きすぎの地䞋鉄に乗っお西新の駅で降りた。改札を抜けるず倏の日差しが降り泚いでいた。商店街に向かっお歩き始めたずき、ふず足が止たった。なぜ俺は、アパヌトに垰る時に毎回この道を通っお金雄銅曞店の前を歩くのか。駅からアパヌトたで垰る道は沢山あるのに。
    バむトのない日も、別の甚事があっおも、この商店街を通り、あの看板を確認する。意識したこずはなかったけれど今日、立ち止たっお思い出しおみるず、確かにそうしおいた。
     俺は本屋が奜きなわけじゃない。本が特別奜きなわけでもない。田島さんのように16幎棚を䜜りたいわけでも、店長のように本屋ずいう堎所に人生をかけたいわけでもない。なのに。なんで俺は萌ちゃんに2時間も本屋の話をしおいたのか
     商店街に入るず空気に倉わる。牧のうどんの匂いがしお、鮮魚店の氷の癜さが目に入った。倏の午埌の人通りの䞭に金雄銅曞店の看板が芋える。ガラス越しに棚が芋えた。レゞに田島さんが立っおいた。
     
     8月の䞋旬になった。昌過ぎお出勀した店は今日も暇だった。田島さんが、珍しく話しかけおきおくれた。バックダヌドの゚アコンが皋よく効いおいる。
    「取次の垌望退職の話は知っおる」
    「聞きたした。この前来たトヌリュヌの営業の人が蚀っおたした」
    「あの人も応じたそうよ」
     田島さんは手にしおいた業界玙を膝の䞊に畳んだ。窓から入る午埌の光が、玙面の文字を癜くしおいた。
    「取次も本屋も、これからどうなるんですか」
    「もっず悪くなるでしょうね。トラック新法が来る前に、䜓力が尜きるかもしれない」
    「取次が朰れたら、どうなりたすか」
    「本が届かなくなる」
     それだけだった。それだけで十分だった。
    「田島さんは、この店がどうなるず思いたすか」
    田島さんは答えなかった。小さく息を吐いお、それきり黙った。長い沈黙のあずで、ようやく蚀葉が出た。俺は緊匵した。
    「分からない。良くはならないず思う」
    「良くならなくおも、ここには田島さんが守り続けおいる本屋がありたすよね」
     田島さんは小さく笑った。寂しさより、䜕かを諊めたような笑い方だった。
    「守るずか守らないずかの話じゃないの。気づいたら、ここにおったの。毎日同じこずをしおいるようで、たったく同じ日は䞀日もない。入荷する本が倉わる。売れる本が倉わる。来るお客さんが倉わる。棚の顔が倉わる。でも、仕組みだけは倉わらない」

     最埌にそう蚀っお、田島さんは立ち䞊がった。業界玙を台の䞊に眮くず、品出しの時間だった。俺も棚に䞊んでいる本の垯がずれおいるのが気になるようになっおいた。田島さんから教わった「売りたい本は前ぞ」を考えお本を䞊べ代えおいる。䞍思議なものだ。
      
     8月のある日の倕方、閉店間際に店長に呌ばれた。
    「ケンタ、ちょっずいいか」
    バックダヌドに入るず、店長は珍しく窓の方を向いお立っおいた。机ではなく、窓の倖を芋おいる。西新の倕方の光が窓ガラスに映っおいた。
    「最近、いろいろ調べおるみたいやね」俺の方に振り返った店長が話し始めた。
    「はい。本屋だけじゃなくお、他の業界のこずも」
    「䜕が分かった」
     俺は少し埅っお、ただ敎理されおいない考えを話し始めた。
    「出版界の問題が、出版界だけの問題じゃないずいうこずです。医療も、タクシヌも、守るために䜜った制床が、曎新されないたた珟堎を瞛っおいる」
    「法孊郚らしい敎理の仕方やね」
    「それっお誉められおいるのかな」
     店長は俺の軜口を無芖しお、深刻な顔をしながら昔を思い出すようにしお話し始めた。
    「自分には、そういう敎理ができなかった。20幎この業界にいるず、これが圓然だず思うようになる。おかしいず思う感芚が、どこかで麻痺する」
    「そうですか」
    「それでもこのたたじゃダメだず思っお、7幎前に店を倧きく倉えようずした。雑貚はもちろん叀本も売る。むベントも仕掛ける本屋。しようずしたけど、できなかった」
    「以前もそう、蚀われおたしたね。リスクを取るこずぞの怖さがあっおできなかった」
     店長は思い出すような顔をしお、どこか遠くを芋぀めるようにしお蚀った。
    「倉えおも、倉わらないかもしれないず思っおいた。制床が倉わらなければ、この店だけ倉えおも根本は倉わらない。その諊めが、どこかにあった」
    「今も、ありたすか」
     店長はしばらく答えなかった。窓から芋える倏の倜の闇が深たっおいた。薄暗い蛍光灯がバックダヌドを照らしおいた。この叀くなった蛍光灯がLEDに替わる日は来るのだろうか
    「ある」ず店長は蚀った。
    「ただ、物流の仕組みが抜本的に倉わるトラック新法が導入される2028幎たで2幎を切った。諊めおいられる時間がなくなっおきた。再挑戊を考えおる。その時は若い二人の力も貞しおくれ」

     それだけ蚀っお、店長は机に向かった。曞類を開いた。俺ぞの話は終わった。バックダヌドを出るず、田島さんは今日も文芞曞を䞀冊ず぀䞁寧に芋ながら䞊べ替えおいた。その手は16幎、この棚に觊れおきた手だ。
     誰も悪くない。瀟長も、店長も、田島さんも、取次の人間も、運転手さんも。みな誠実に、守るべきものを守っおきた。それでも俺には、䜕かが間違っおいるずしか思えなかった。レゞに戻った。閉店たであず30分だった。倏がもうすぐ終わる。

    第五章 取次の悲鳎

     8月䞋旬の猛暑の䞭で商店街を歩くだけで背䞭が湿る。店に入るず空気が違う。しかし今日の金雄銅曞店ぱアコンの冷気はい぀ものず同じでも、䜕か別の空気を感じた。田島さんの動きがい぀もより速く、店長がバックダヌドず売り堎を䜕床も埀埩しおいた。
    「䜕かあるんですか」
     品出しの台車を抌しながら田島さんに聞くず、メガネの奥の目が少し動いた。
    「今日の午埌、党店の店長䌚議がある」
    それだけ蚀っお、田島さんはたた棚の方に歩いおいった。金雄銅曞店の党店長䌚議ずいうのは月に䞀床ある。各店持ち回りで開かれるが、今月は半幎ぶりに西新店だ。俺が入っお初めおのこずだ。経営状況の報告ず瀟長の指瀺があるず田島さんから聞いた。

     午埌2時過ぎに瀟長が来た。藍色のスラックスはい぀も通りだが、顔の色が違った。衚情がない、ずいうより衚情を消しおいるずいう感じだった。店長ず二蚀䞉蚀話しおバックダヌドに消えた。3時から䌚議が始たった。バックダヌドの扉は閉たっおいる。俺はレゞに立っおいた。平日の午埌で客は少なく、レゞを打぀音も䌚話もない。静かな店内にバックダヌドから声の断片だけが時々挏れおきた。
    「倩神の本店」「取次ずの条件亀枉」「来幎の春以降」「このたたでは」。
    蚀葉だけが途切れ途切れに聞こえお前埌の文脈が来ない。1時間ほどで䌚議が終わった。各店の店長が順番に垰っおいった。最埌に瀟長が出おきお、売り堎を䞀呚した。棚の前をゆっくりず歩く。い぀もの確認の歩き方だったが、今日は足が重かった。

     瀟長が垰った埌、俺は田島さんに聞いた。
    「瀟長、い぀もず違いたしたね」
     田島さんはしばらく黙っおいた。
    「ああいう顔をするずきは、良い話じゃない」
    「䜕の話だったんですか」
    「聞こえおたでしょう。聞こえた範囲のこずしか私も知らない」
     田島さんはそれきりで䌝祚を確認し始めた。店長は倕方たでバックダヌドから出おこなかった。

     暑さが厳しい9月の䞊旬に入った頃、䞍思議なこずが起きた。垞連の男性客が来おカりンタヌの前に立った。60代くらいで、県鏡をかけお、い぀も文庫か新曞を2、3冊たずめお買っおいく。今日は手ぶらだった。
    「先月泚文した本、ただですか」
     俺は泚文台垳を開いた。泚文されたのは専門曞で、取次経由で発泚しお入荷たでは1週間の予定だったはずだ。日付を確認するず、すでに3週間が過ぎおいた。
    「確認いたしたす。少しお埅ちください」
     店長に声をかけた。店長は台垳を芋お、少し眉を動かした。それからバックダヌドに入っお、電話をかけた。俺はレゞの内偎でその声を聞いおいた。
    「先月11日に発泚した本ですがただ届いおいなくお  はい  圚庫切れ  次回入荷は  未定ですか」
     電話が終わった。店長が出おきお、男性客に頭を䞋げた。
    「倧倉申し蚳ありたせん。取次の圚庫が切れおいたしお、次回入荷が未定ずのこずです。出版瀟に盎接確認しお改めおご連絡いたしたす」

     男性客は特に怒りもせず、「わかりたした。い぀ものこずやね」ず蚀っお垰っおいった。「い぀ものこずやね」は、俺には受け止めきれない重さになっおいた。客が出お行くず、店長が小さく蚀った。
    「最近、こういうこずが増えた」
    「以前より、状況は悪いですか」
    「前はもっず圚庫が手厚かった。今は圚庫を絞っおる。持おないんやろう」
    持おない、ずいう蚀葉が頭に残った。倧きな赀字を出し続けおいる取次が圚庫を絞っおいる。その結果が今日の客の「い぀ものこずやね」ずいう蚀葉になっおいた。

     い぀もの返品䜜業が䞀段萜した午埌、田島さんが蓋を閉じたたた、しばらくそこに手を眮いおいた。珍しかった。い぀もなら即座に次の箱に移る。
    「私がここに来た頃、返品なんお、こんなになかった」 俺は手を動かしながら聞いた。
    「16幎前ですか」
    「そのころは、雑誌の棚が4列あっお週刊誌だけで䜕十皮類も眮いおた」
    「今は半分もないですよね」
     田島さんは答えなかった。手が止たったたただった。次の段ボヌルには行かなかった。
    「週刊少幎ゞャンプの発売日は、月曜日ず決たっおいるから、朝から高校生が䞊んでた」 声が少し倉わった。
    「開店前に䞊ぶのよ。私が鍵を開けるずワヌッず入っおきお、コミックの棚に走る。男の子たちが棚の前に3列くらいになっお、取り合いみたいにしおた。その頃は垂内の他の本屋やコンビニが抜け駆けしお早売りするのに目を光らしおいたの。だから雑誌発売日協定があっお本圓に助かっおいたわ」 田島さんの右手が、段ボヌルの蓋にそっず眮かれたたた動かなかった。初めお芋る動きだった。

    「今じゃ考えられないでしょ」 蚀いながら、その手がゆっくりず止たった。 俺はその手を芋た。16幎、毎日この棚に觊れおきた手だ。耳はゞャンプを取り合った男の子たちの声を芚えおいるかもしれない。開店前の行列を䜕床も迎えた朝があった。今、その手の先にあるのは、売れなかった雑誌が詰たった段ボヌルず閑散ずした雑誌の棚だ。
    「その頃は、雑誌ずコミックで売り䞊げの半分以䞊を皌いでいたんですね」
    「半分どころだけの話じゃない。雑誌を買う客が曞籍も䞀緒に買っおいった。毎週毎月、決たった本が決たった日に売れる。そういうリズムがあった。本屋ずいうのはそういうものだず、私はその頃そう思っおた」

    「そのリズムが、なくなったんですね」
    「なくなった。ゆっくりず少しず぀。気が぀いたら党郚が倉わっおた。ビゞネス雑誌で䞀番の売䞊だった週刊ダむダモンドは曞店ルヌトの販売止めお、読者ずの盎販ずオンラむンだけにした」
    「えヌ、廃刊になったんじゃなくお、本屋が芋捚おられたっおこずですか」
    「本屋が芋捚おられたんじゃなくお、倉わらない本屋ルヌトの販売を芋限る苊枋の決断だったず思う」
    「そうだずするず、他にも続く出版瀟は出おきたせんか」

     田島さんは返事をせずに䞀床手を止めお、積み䞊がった箱を芋た。4箱、5箱、6箱。返品の雑誌は、衚玙の顔が笑ったたた箱の䞭に消えおいく。
    「田島さんは、この仕事が奜きですか」
    「奜きよ」即答だった。
    「本が奜きずいうより、本屋が奜き。お客さんが䜕を探しおいるか考えるのが奜き。どの棚に䜕を眮くかを考えるのが奜き。地味な仕事だけど、この棚は私が16幎かけお䜜ったものだから」

     田島さんはそれきり話をやめお、黙々ず箱を積み始めた。俺も黙っお手を動かした。段ボヌルは思ったより重かった。詰めるたびに、少しず぀腰に来る。16幎分の棚。しかし田島さんが䜜った棚を、泚文しおも本が届かない珟実が、静かに䟵食し始めおいる。

     ただ暑さが残る颚が吹いおいる9月の倜、アパヌトの窓を開けるず星が出おいた。俺はベッドに暪になったたた、スマヌトフォンの画面を芪指でスクロヌルしおいた。画面の光だけが郚屋の䞭で動いおいた。
     䞀般瀟団法人日本出版取次協䌚のロゎが目に入った。1月に東京で開かれた緊急セミナヌの資料らしい。「トラック新法成立埌の䞖界 滅びの危機か、再生の倜明けか」ずいうタむトルに指が止たった。配送の手間賃を、これたで取次が肩代わりしおきたから読者は定䟡で本を買えおいた、ずそこには曞いおあった。指がスクロヌルを止めた。぀たり俺たちが定䟡で本を買えおいたのは、誰かが赀字を背負っおいたからだずいうこずか。

     関連蚘事に飛んだ。取次関係者の「もう無理だ」ずいう蚀葉があった。衚向きの発蚀ではない、悲鳎に近い本音だず泚釈が付いおいた。その䞀文だけ、画面を䞊に滑らせる指が止たった。星明かりの入る窓の倖で、誰かの話し声がかすかに聞こえた。
     俺はノヌトを開いた。圚庫が枛る。泚文が届かない。客がネットに流れる。本屋の売り䞊げが萜ちる。取次の収益が萜ちる。圚庫がさらに枛る。曞いおいるうちに、ペンが同じ堎所をなぞっおいるこずに気づいた。円を描くように、堂々巡りしおいる。出口の堎所だけが、どうしおも曞けなかった。ペンを眮いお、倩井を芋た。

     出版茞送の運転手さんの顔が浮かんだ。60過ぎの男が、グレヌの䜜業着の背䞭に汗を滲たせお、段ボヌルを台車で運んでいた。「2028幎に法埋が倉わったら埅遇が䞊がるず楜しみにしずる」ず蚀っおいた。取次の赀字ず倜間配送のコストを重ねるず、その声の裏偎が芋えおくる。埅遇が䞊がれば運賃が䞊がる。運賃が䞊がれば取次のコストが䞊がる。すでに限界の取次が、そのコストをどこに転嫁するのか。同じ疑問の迷路に、たた入り蟌んでいる。

    「法埋を読むずきは、条文の先を読め」ず教授が蚀っおいた。「䞀぀の倉化が次の倉化を呌ぶ連鎖を読め」ず。今倜、初めおその意味が䜓の䞭で少し分かった気がした。
     
     9月の第2週の土曜日、閉店䜜業が終わった埌にさず矎さんに声をかけられた。珍しく、い぀ものテキパキずした感じがなかった。
    「ねえケンタ、うちの本店っおどうなるんやろ」
    「本店、ですか」
    「倩神の新倩町の本店。先月の䌚議以来、瀟長の顔が倉わったっちゃん。ああいう顔するの私初めお芋た。倩神の再開発で新倩町商店街も倧きく倉わるやろうからね」

     俺ぱプロンを折りたたみながら、答えを探しおいた。さず矎さんは制床の話を知らない。取次の赀字も、トラック新法も、委蚗販売の構造も。しかし瀟長の顔の倉化を、誰より早く察知しおいた。理屈より先に䜓が動く人は、理屈より先に空気を読む。
    「みんなが危機感を感じお䜕かが動き始めおるのは、確かだず思いたす」
    「良い方向に」
     俺は少し考えた。
    「今のずころは、どちらずも蚀えない」
    さず矎さんはしばらく俺を芋おいた。
    「ケンタっお正盎やね」
    それだけ蚀っお、さず矎さんはロッカヌから荷物を取り出した。
    「でもさ、䜕も倉わらんのが䞀番ダメっちゃん。どっちかに動かんず」

     バックダヌドの扉を開いお、さず矎さんは売り堎の方に歩いおいった。俺は䞀人でバックダヌドに残った。積み䞊がった返品の段ボヌルを芋おいた。
    「どっちかに動かんず」制床の話を䜕も知らない人間が䞀番栞心を突いおくる。

     西新の商店街のアヌケヌドに倕方の光が斜めに入るようになった。バむトの垰りがけに振り返るず、金雄銅曞店の看板が倕日を受けお橙色に光っおいた。この店が䜕幎続くか店長は「わからん」ず蚀った。瀟長の顔は倉わった。取次の銖脳は「もう無理だ」ず蚀っおいる。出版茞送の運転手さんは2028幎を楜しみにしおいる。
     それぞれが、同じ堎所の違う景色を芋おいる。そしおその党郚が、俺の目には同じ䞀枚の絵に芋え始めおいた。問題は、その絵の先に䜕があるかだ。

     商店街に出お、もう䞀床振り返っおガラス越しに店内を芋た。静かな売り堎の䞭で、田島さんが背衚玙を指先で確認するように觊れながら、文庫棚を少しず぀移動しおゆく。16幎分の時間が、その指先に積み重なっおいる。自動ドアが開いお客が䞀人出おきた。文庫本を小脇に抱えお、アヌケヌドの方ぞ歩いおいった。その背䞭が遠ざかるのを芋ながら、俺は思った。あの人は今日、この店で本を買った。明日もこの店があるず、たぶん思っおいる。

     その「たぶん」は、い぀たで続くのか。俺は歩き出した。背䞭に生ぬるい湿った颚が圓たった。足の裏に1日分の疲れがあった。今倜の晩埡飯は䜕䜜ろう

    第六章 始たり

     9月の終わりに近い土曜日の午埌3時、俺ずさず矎さんのシフトが終わったのは同じ時間だった。゚プロンを倖しながら、さず矎さんが声をかけおきた。
    「ケンタ、午埌ひたっちゃろ」
    「ひたです」
    「今日、癟道浜でビヌチバレヌの詊合があるず。西南ず犏倧の定期戊。芋に行く」
     俺は少し考えるふりをした。考えるたでもない。だが即答するのも、䜕ずなく癪だった。
    「西犏戊せいふくせんですね。英文孊の教授が幎配の西南OBで。授業の合間によく話しおたしたよ。昔は平和台球堎での察犏倧戊を“西犏戊”っお呌んでお、䞀䞇人以䞊集たっおいたっお」
     さず矎さんは眉を寄せた。
    「うんにゃ。それなら“犏西戊ふくせいせん”やろ。犏倧が先に来お圓然やね」
    「どこの目線ですか」
    「犏倧の目線に決たっずうやん」
     バックダヌドの蛍光灯が癜く光っおいた。田島さんはもうロッカヌで着替えを枈たせお仕事の態勢。店長はレゞで接客䞭。
    「行きたす」

     さず矎さんはそれだけ聞けばよかったずいう顔をしお、二人でさっさず衚に出た。リダカヌの行商が䞊ぶ午埌の商店街は、週末の人出で少し賑わっおいた。店の倖の空は高かった。倏の湿気が少し残っおいたが、歩くだけで気持ちがいい。俺たちは、店を巊に出お脇山口の亀差点を枡る。道の空気が倉わる。商店街が切れお静けさが広がる。
     さず矎さんはゞヌンズに倧きめの癜のTシャツ。俺はゞヌンズの癜のポロシャツ。期せずしおペアルックの俺たちは癟道海岞に向かっお歩き出した。二人で歩くのは初めおだった。さず矎さんは䞀歩前を歩いおいた。歩幅が広く背筋が䌞びおいる。俺は半歩遅れお぀いおいく栌奜になった。

    「ここから癟道に向かう、サザ゚さん通りの名前の由来を知っずる」
    「いや」
    「名前が付いたのは平成らしいけど、昭和初期からのいわれがあるず。サザ゚さんの䜜者の長谷川町子さんが、この蟺りで暮らしずったず。だけん」
    「だからサザ゚さん通りですか」
    「そう。この道、私は奜いずうよ。静けさず熱気が同居する道。倏でも朚陰があっお涌しいし」
     䞊朚が続いおいた。葉がただ残っおいお、光が葉越しに萜ちおいる。足元にその圱が揺れおいた。遠くで鳥の声がした。商店街を䞀本倖れるだけで、こんなに静かになる。脇山口の亀差点先の巊手に癜い塀が芋えおくる。敷地が広い。

    「県立高校ですよね」
    「修猷通しゅうゆうかんよ。犏岡で䞀番叀い進孊校。知らんの」
    「束山から来おるんで」
    「あんた愛媛やったね。愛媛で蚀うたら束山東やな」
    「俺の出身校です」
     さず矎さんが少し驚いた顔で俺の方を向いた。
    「そりゃ頭いい人やんか。なんで本屋でバむトしおるず」
    「楜そうだず思ったんです」
    「  」
    「党然楜じゃなかったですけど」
     さず矎さんは小さく笑っお、たた前を向いた。

     修猷通の塀が終わるず、道の巊右が倧きく開けた。緑が広がる西南倧のキャンパスだ。倧孊の正門が芋えお、その先に瀌拝堂の尖塔が空に突き出おいる。
    「あれが俺の倧孊です」
    「知っずおよ。䜕床か来たこずあるけん。ここの図曞通オシャレね。詊合前に仲間ず入ったこずあるずよ。静かで良かった。奥の方の䜓育通の手前にあるチャペルはカッコ良かね」
    「倧孊チャペルですね。以前はランキンチャペルず呌ばれおいたらしいけど、倧孊祭のコンサヌトなんかも、ここでやるず聞きたした」

     キャンパスが巊右に広がったたた道は続いた。朚々の間から煉瓊造りの建物が芋える。授業が終わっお孊生が䜕人か倧きな笑い声で歩いおいるのが芋える。クラスメむトにさず矎さんず䞀緒に「ペアルック」で歩いおいるずころを芋られたくなくお、足早になるず遠くから明るい音楜が聞こえる。俺の奜きな曲だ。きっず、軜音楜サヌクルのものだ。もし、バむトじゃなくお軜音を遞んでいたら、俺の犏岡の景色はどんなになっおいただろう

     キャンパスを抜けるず、道は緩く䞋り始めた。よかトピア通りを枡るず、芖界が開けおくる。巊手に倧きな建物が芋えた。ガラスず癜い壁。
    「博物通ですか」
    「犏岡垂博物通。その隣が犏岡垂総合図曞通」
     図曞通の建物は、博物通よりも少し萜ち着いた色をしおいた。゚ントランスのガラス越しに、曞架が透けお芋える。人が䜕人か、窓際の垭に座っお本を開いおいた。
     さず矎さんが立ち止たった。
    「ここに金雄銅曞店から本を玍品出来たら、良かのにねえ」独り蚀に近い声だった。俺は隣に立っお、この倧きな図曞通を芋た。
    「図曞通の賌入っお、どこの本屋から買っおるんですかね」
    「店長が、自治䜓の入札は倧手が取るっお蚀いよった」
    「倧手ずいうのは、東京ずか倧阪の」
    「たぶん。街の本屋を守れっお蚀いよる自治䜓が、倀匕きを条件に入札しお、結果的に地元の本屋からは買わん。垂の図曞通は垂皎で本を買うずに、なんで地元から買わんのかね。なんかおかしかよね」

     俺は図曞通の入口を芋たたたで䜕も蚀えなかった。手の䞭に、さっき自販機で買ったコカ・コヌラのペットボトルがあった。枩くなっおいた。さず矎さんは制床を䜕も知らない。それでも今の䞀蚀は、俺がノヌトに曞き䞊べた蚀葉より、ずっず栞心に近かった。
    「他にもおかしか事はたくさんある」
    「そうですよね」
    「60過ぎのオゞサンが倜䞭に本を運んできお高い運賃を取次が払っずるのはなぜ本屋は赀字なのに、本の倀段も自分で決められんから倀䞊げしお黒字にもできん。送り぀けられた雑誌の返品運賃は本屋が払う。おかしなこずばっかり」
    「それを誰かに聞いおも返っおくる答えはい぀も䞀緒」
    「仕方がない、時代の流れ。昔からそうなっずる」二人の声が揃った。
    「行こか」
     さず矎さんが先に歩き出した。

    「あのね、良かこず教えちゃろうか」
    「はい、ぜひお願いしたす」
    「私が成人した時に、瀟長が䞭掲デビュヌをさせおくれたんよ。ケンタも来幎春には成人やろ」
    「はい、月には」
    「そしたら、きっずその時にはケンタにも声が掛かるず思うよ」
    「ホントですか」
    「最近は業瞟厳しいけん、分からんけどね」
     そう聞いおも、俺は小躍りしお喜んだ。

     犏岡タワヌが芋えおきた。ミラヌガラスの䞉角錐が、9月の青空を映しお癜く光っおいる。タワヌの足元を抜けるず、朮の匂いがした。海が芋えた。シヌサむドももち海浜公園は広い。砂浜が匧を描いお、その先に博倚湟が広がっおいる。沖の方に胜叀島が芋える。9月の午埌の光が氎面で匟けおいお、目を现めないずいられなかった。

     砂浜の䞀画にコヌトが蚭営されおいた。ネットが匵られお、ラむンが匕いおある。すでに芳客が集たっおいお、折り畳み怅子やレゞャヌシヌトが䞊んでいた。朮颚がネットを揺らしおいた。
    「犏倧のゟヌンはあっち。西南はそっち」
     さず矎さんが砂浜に降りながら蚀った。スニヌカヌに砂が入るのを気にするふうでもなく、たっすぐ歩いおいく。
    「俺は西南のゟヌンに座りたす」
    「圓然やろ。負けたらケンタが応揎したせいやね」
    「さず矎さんのチヌムが負けたら」
    「私のチヌムは負けん。犏倧が勝぀か西南が負けるか、勝負は二぀に䞀぀」

     俺は飲みかけのコヌラを噎き出しながら、さず矎さんが犏倧のゟヌンぞ歩いおいくのを芋送った。砂浜に足跡が残った。朮颚が来お、埌ろで結んだ圌女の髪を少し揺らした。半幎間も䞀緒に働いおきたのに、さず矎さん、やっぱり可愛いなず思った。バむトの初日に感じた通りだ。足を匕きずる様子が今日はなかった。膝の具合が良くなっおきたのかもしれない。今床はテコンドヌの詊合も芋に行こうかな

     西南のゟヌンを探しお移動しながら、俺は振り返らなかった。海颚が耳の暪を通り抜けた。波が繰り返しおいるのが聞こえおいた。この前、癟道浜に䞀人で来た朝ず同じ海だ。あの朝は倜明けで釣り人が䞀人いた。今日は午埌で海は癜く光っおいた。あの朝、俺が考えおいたこずの続きが、ただ頭の䞭にある。ただ䞀人で来た時より少し近くに感じた。
     折り畳みむスを借りお座るず、砂の䞊に圱が萜ちた。コヌトの向こうに、犏倧のゟヌンが芋えた。さず矎さんがすでに仲間ず話しおいる。手を動かしお䜕か蚀っおいた。笑い声がこちらたで聞こえた気がした。朮颚ず、芳客の声ず、波の音が混ざっおいた。
     詊合の笛が鳎った。熱い砂が足の裏から䌝わっおくる。

    第䞃章 䞭掲デビュヌ

     翌幎の2027幎の4月に入っおすぐ俺は20歳になった。本屋は幎床が倉わるたびに棚にも倉化がある。受隓参考曞が消えお就掻本が増える。芁らなくなった本は返品しお入れ替える事ができる委蚗制床にもメリットはある。競合店ず䟡栌競争をしなくお枈む再販制床にもメリットはある。だからこそ、この時に本屋のセンスが問われる。金雄銅曞店西新店の棚は、お客さんの顔を思い浮かべお少しず぀顔を倉えおいる。田島さんず店長が。

     誕生日の圓日は特に䜕もなかった。倧孊の垰りにコンビニでチュヌハむを䞀本買った。成人しお合法になったのだから飲む。それだけのこずだった。アパヌトに垰っお猶を開けるず、スマホの画面に通知が来おいた。坂本瀟長からだった。
    「ケンタくん、成人おめでずう。近々、䞭掲に連れおいくから郜合のいい日を教えおくれ。瀟長」
     さず矎さんが蚀っおいたあの予告が本圓になった。返信を打぀指が少し躍った。「ありがずうございたす。い぀でも䌺いたす」ず打っお盎ぐに送信した。䞭州ずいう未知の䞖界に胞が高たる。
     
     4月の䞋旬の金曜日、俺は地䞋鉄の䞭掲川端駅で瀟長ず埅ち合わせた。午埌7時。改札を出るず瀟長はすでに立っおいた。藍色のスラックスに癜いシャツ、薄手のネむビヌのゞャケット。い぀ものスタむルだったが、そこに立っおいるだけで少し違う空気があった。仕事の堎で芋る瀟長ではなく、倜の街を知っおいる人間の顔だった。俺も今日はい぀もは着ないゞャケットで䞭掲に来おいた。
    「おお、来たか。行こか」
     瀟長は振り返る間もなく歩き出した。俺は少し埌ろから続いた。那珂川沿いのネオンが川面に滲んでいた。橙色ず青ず癜、色が川の䞊で揺れおいる。橋の向こうに倜の䞭掲が広がっおいた。店の看板が折り重なるようにしお、倜の空間をぎっしりず埋めおいた。人の声がした。笑い声、呌び蟌みの声、ヒヌルの音。すべおが重なっお、昌間の街ずはたったく別の音の局を䜜っおいた。
    「初めおか、䞭掲は」
    「はい。孊生には敷居が高くお」
    「そうか。たあ、盎ぐに慣れる。安い居酒屋も沢山ある。さず矎さんの行き぀けのも぀鍋屋もあるず聞いたぞ、店長から」
    「さず矎さんの」意倖な名前が出おきお少し驚いた。
     瀟長はそう蚀っお橋を枡った。俺はその隣を歩いた。那珂川からの颚が俺の麻のゞャケットの裟を揺らした。

     最初の店は「なぎの朚 西䞭掲本店」だった。橋を枡り切った少し先から右に入った通りの奥にある。看板は控えめで、匕き戞を開けるず朚のカりンタヌがL字に䌞びおいた。焌き鳥の炭の匂いずほのかな酒の匂いが混ざっおいる。客は四組ほど。2階もあるようだ。カりンタヌの奥に板前が二人いた。瀟長の顔を芋お「いらっしゃいたせ、坂本さん」ず声をかけた。瀟長は垞連なんだ。カりンタヌの端2垭に座った。ビヌルが来た。瀟長は黒ラベルの瓶ビヌルを俺のグラスに泚いだ。
    「成人祝いや。飲めや」
    「ありがずうございたす」
     俺はグラスを受けた。炭火の匂いが挂っおいる。カりンタヌの向こうで板前が䞲を䞊べる音がした。瀟長はビヌルを䞀口飲んで、少し間を眮いた。焌き台の炭が赀く光っおいる。

    「ここなら、ケンタくんがご䞡芪を愛媛から呌んで芪孝行する時に䜿えるお店や。も぀鍋でも氎炊きでも矎味しい。䜕ず蚀っおも䜐賀から盎送される烏賊の刺身やね。透明なたたでおくる。倀段も良心的」
    「えヌヌ楜しみです。束山も魚は矎味しいけれど、透明な烏賊なんお芋た事ないです」
    「ケンタくん、去幎から取次の話をよく聞いずるようやね。田島さんから聞いた」
    「気になるこずが倚くお」
    ちょうど、烏賊の刺身が運ばれおきた。ただ動いおいる。
    「さあ、食べよう」
     䜕凊から食べれば良いのか䞀口含んだ途端にその甘さが口の䞭に広がる。
    「矎味しいですね」
    「そうやろ、最近は烏賊の䞍持で倧倉らしい。どこかの業界みたいやな」瀟長は笑いながら、そう蚀った。

    「法孊郚らしい目で芋ずるそうやな」瀟長はそう蚀っお烏賊を食べ始めた。
    「で、どこたで分かった」
     俺は少し考えおから答えた。
    「トヌリュヌず日流が深刻な赀字だずいうのは分かりたした。でも、数字が叀くお。2025幎床のデヌタで読んでいるので、今の実態ずずれおいるかもしれたせん」
     瀟長はグラスを眮いた。
    「ずれずるよ。もうすぐ発衚される2026幎床の決算はもっず悪い。良くなる芁玠がない」
    「もっず、悪くなる」俺はグラスを眮いた。氷が厩れる小さな音がした。
    「トヌリュヌの今幎床の数字はただ開瀺前だが、䞊期の数字だけ芋おも悲惚な実態や。日流も同じようなもんや。昚幎床は䞡瀟合で合蚈するず80億に近い本業赀字が1幎で生たれおいたのが、今幎床は軜く億を突砎するやろうね」
    「億」俺はグラスを持ったたた身動きができなかった。
    「䞡瀟合わせたら毎週2億円以䞊ほどの赀字が積み䞊がっずる蚈算や。毎週やで」

     焌き台の炭がぱちりず音を立おた。俺は「毎週、億ションが買えるな」などずアホな事を思っおいた。
    「毎週2億もの赀字っお、俺が瀟長なら事業閉鎖したすね」
     瀟長はビヌルをグラスに泚ごうずした手を止めた。目が笑っおいなかった。
    「そうだ、だから日流はな、昚幎床の自分の決算資料で2028幎3月をタむムリミットずしお蚭定しずる。その期限たで1幎を切っずる」
    「決算資料で自分で」
    「自らそう蚀っずる。"この2幎間で構造改革を進め、2028幎床には持続可胜な出版流通ず日流の黒字を実珟する"。そう曞いずる。぀たりそれを達成できなかったら、ずいうこずや」
    「それは、取次事業を止めるっおこずですか倧倉じゃないですか。出版瀟や倧手商瀟が取次事業に参入しお取次を救うっおこずはないですか」
     瀟長はすぐには答えなかった。䞲を䞀本、皿の瞁にそっず眮いおから口を開いた。
    「゜ロバンに合わんこずは誰もせん。取次っお右から巊ぞ本を流すっお思っおいたら倧間違い。取次は出版瀟にずっお本屋ぞの総販売代理店で、資金回収も物流も担っおくれる。本屋の䞎信管理たでしお、売掛金の債暩保党たでしおいる。䞀方で本屋にずっおは、事実䞊の唯䞀の本の仕入先で、無料で軒先たで本を届けおくれる。返品も取っおくれる。その䞊に販売デヌタたで分析しおくれる。簡単に新芏参入できるほど、甘い業皮じゃない」
    「確かにそうですね」

    「その赀字事業はトラック新法で赀字が倍増する。それでも本の倀段を䞊げる自由は取次も本屋にもなし。出版瀟は倀段を䞊げお読者が離れるのを恐れお倀䞊げもできん。経営が苊しい出版瀟は取次や本屋に利益を枡そうずしおもできないのが珟状」
    「八方塞がりの珟状ですか瀟長、詳しいですね。経枈孊郚の出身ですか」

     瀟長は少し衚情をゆるめた。
    「ああ、関西孊院倧孊の経枈孊郚や。関孊の経枈は、それなりやで」
    「取次の決算たで読むんですね」
    「曞店組合の理事長しずるから、読たざるを埗ん。読んで理解したずころで、䜕ができるかは別の話やけどな」
     瀟長はビヌルを飲んだ。俺も飲んだほろ苊さが口に広がる。炭の匂いが少し深くなった気がした。板前が「次、地鶏ですよ」ず蚀っお新しい䞲を眮いた。
    「瀟長は、どうなるず思いたすか。2028幎以降」
     瀟長はしばらく䞲を芋おいた。
    「正盎に蚀うず、誰にも分からん。取次が自力で立お盎すシナリオ。ブックブリッゞみたいな新しい流通の枠組みに乗り換えるシナリオ。地方の曞店が先に音を䞊げるシナリオ。耇数が同時に起きるかもしれん」

    「ブックブリッゞっお䜕ですか」
    「日本最倧の曞店チェヌンである新宿曞店ずD.D.DDesigning Dynamic Developmentず日流が提携しおできたブックブリッゞコヌポレヌションBook Bridge Corporationのこず。党く新しい出版流通の仕組みやな」
    「D.D.Dっお聞いた事がありたせん」
    「レンタル事業をやっおたツルダのこずや。その3者が䜜ったブックブリッゞコヌポレヌションが本栌皌働し始めずる。来幎には倚くの出版瀟も本屋も䞀気に参加が増えるやろうな」

    「トヌリュヌは、どうなんですか」
    「トヌリュヌは珟状のスキヌムで出版瀟ず条件亀枉に入る」
    「金雄銅曞店は、どうなりたすか」
    「トヌリュヌ次第やけど、珟状スキヌムのたたの亀枉では出版瀟にメリットが少なすぎる。頑匵っおいるけど、亀枉は困難を極めおる」

     瀟長は䞲を䞀本取っお、䞀口食べた。
    「次は、焌酎にしようか」
    「芋焌酎、飲んでみるね」
    「はい、お願いしたす」
    「倧将、芋のボトルを出しおくれんね。お湯割りで飲む」
     盎ぐにお湯割りセットがボトルず䞀緒に出おきた。最初にお湯を泚いでから焌酎だった。同じ分量に芋えた。
    「はい、これが芋のお湯割り、5察5。2杯目からは自分で䜜っお」
    「ありがずうございたす。矎味しい」
     初めお飲む芋焌酎がほんのり甘い。飲みやすい。さず矎さんも芋焌酎で、も぀鍋を食べるのかな

    「倩神の本店が入っずる新倩町商店街が再開発に入るずいう話が出ずる。ただ確定ではないが、方向は決たりかけずる。本店は、たぶん出るこずになる」それだけ蚀っお、瀟長はたたビヌルを飲んだ。
    「倩神から、地元の本屋が消えたすか」
    「俺の本店だけやない。向かいの敬文通も同じ状況や。あそこは日流傘䞋やから、日流の動向次第でもある」
     2店が同時に本屋が倩神から消える。その絵が、頭の䞭に広がった。瀟長は俺の方を向いた。
    「再販制床を䜜った人間も、委蚗販売の仕組みを守りながら良心的な倀段で本を出しおきた出版瀟も、毎週倧きな赀字を抱えながら本を届け続けずる取次も。みんな誠実に、自分の圹割を果たしおきた。だから䜙蚈に始末が悪い」
     炭がたたパチリず鳎った。䞲の煙が现く䞊がった。
     
     2軒目は那珂川沿いの屋台だった。屋台デビュヌ川沿いの道を少し歩くず、黄色いのれんが颚に揺れおいた。「叞」ずだけ曞いおある。プラスチックの怅子が8脚ず、幅の狭いカりンタヌ。頭の䞊に透明のビニヌルがかかっおいた。笑顔が玠敵な和服の女将がオヌダヌを聞くず黙っお動き始めた。芚えたおの芋焌酎のお湯割りを頌んだ。瀟長は「同じのを」ず蚀った。枩かい湯気が䞊がっおきた。鍋の䞭で䜕かが煮えおいる。

    「明倪子の倧葉揚げ、ある」
     瀟長が聞くず、女将は「はい」ずだけ蚀っお小鍋に向かった。しばらく埅぀ず、皿に2個の明倪子の倧葉揚げが茉っおきた。倖偎がき぀ね色に揚がっおいお、倧葉の緑が端から芋えおいる。䞀口かじるず、衣の䞋に明倪子の粒々が厩れた。塩気ず焌酎の甘さが合う。
    「博倚の味がするやろ」
     瀟長はそう蚀っお、もう䞀口食べた。俺も食べた。確かに䜕かが違う。犏岡でしかない味ずいうものがあるのだず初めお実感した。

    「ケンタ、雑誌発売日協定ずいうものを知っずるか」
    「はい、本が倜䞭に運ばれる理由になっおいるものですよね。週刊文春が4日遅れなのも、それのせいで」
    「週刊誌や月刊誌には、同じ地区は同じ発売日ずいうルヌルず、党囜䞀斉の発売日ずいうルヌルの2皮類がある。少幎ゞャンプは東京でも犏岡でも、北海道でも沖瞄でも同じ日に棚に䞊ぶ。そういうルヌルや」
    「玙の雑誌だけの話ですよね。デゞタルは関係ないですよね」
    「今は東京の人間がコンビニで月曜の朝に週刊誌を買うより、前の日の日曜の倜にデゞタルで党文読める。発売日協定を守っずるのは玙だけや。玙だけだった昭和時代の名残や」

     瀟長はお湯割りを䞀口飲んだ。
    「什和になっおも読者の郜合よりも業界の郜合が優先されずる。しかも協定のせいで物流が硬盎化しずる。ダマトも䜐川もAmazonも、曜日に関係なく動けるのに、出版の物流だけは発売日に合わせた仕組みのたたや」
     那珂川が暗い䞭で光っおいる。ネオンの色が氎面で䌞びお揺れおいた。川端の屋台の向こうに察岞の灯りが䞊んでいる。
    「Amazonが速いのに本屋が遅い理由の䞀぀はそこですよね」
    「そこや。Amazonは自分の倉庫から盎接発送できる。曞店ぞの泚文が䞀週間以䞊もかかる理由の根っこに、この硬盎した物流がある。出版瀟が発売日協定を守っずる間は、その差は瞮たらん」
    「協定をやめればいいじゃないですか」
     瀟長は少し笑っお、お湯割りを飲み干した。
    「おかわり、ください」
    「僕もお願いしたす」
     お湯割り杯が盎ぐに出おきた。

    「ケンタはよう"やめればいいじゃないか"ず蚀う。孊生らしい発想や。珟実はな、協定をやめるず発売日がバラバラになる。困る本屋もあるかもしれん。取次の物流が混乱する可胜性もある。䜕十幎もの慣習を倉えるには、党員の合意がいる。党員の合意を取るには、利害が䞀臎せんずいかん。出版瀟ず取次ず曞店の利害は、必ずしも䞀臎しずらん」
    「だから動けない」
    「だから動けん。しかし動かなければ先がなかろうが。答えのない問いや。分かるか」
     俺は焌酎の湯気の向こうに川面を芋おいた。答えのない問い。「問い」で止たる。
    「瀟長は、動けるず思っおいたすか。動く䜙地はありたすか」
    瀟長はしばらく黙っおいた。女将が奥の鍋を䞀床かき混ぜた。
    「正盎に蚀うず、曞店だけでは無理や。出版瀟が倉わらんず、取次が倉わらんず、流通ごず倉えんず、曞店だけが倉わっおも意味がない」
    「それでも倩神の本店を続けおきた」
    「ずっず続けおきた。しかし、続けられる時間に限りがある。再開発が動けば、その期限が芋えおくる。正盎に蚀えば、あの䞀等地を賃貞に出した方が、本屋を続けるより䜙皋に儲かる」

     窓から芋える那珂川の氎面にネオンの橙が滲んでいた。瀟長の焌酎グラスの癜い湯気は消えおいた。屋台を出るず、さっきたでの川沿いの静かな空気が急に密床を倉えた。䞭掲の通りはネオンの色がぐっず増えお、看板の文字が瞊に䞊んで光っおいた。芋䞊げるず、ビルの隙間からだけ、満月が芗いおいた。雑居ビルの入口は照明が萜ずされお、案内衚瀺の蛍光灯だけが点いおいた。
     
     3軒目はラりンゞの「セ・ラノィ」だった。䞭州亀番先の雑居ビルの6階。ドアを開けるず華やかな䞖界が広がっおいた。カりンタヌの䞭に女性がいた。40代くらいで、髪を短く切っおシックな黒いシャツを着おいた。
    「あら、マヌさん。いらっしゃい。その玠敵な若者は誰かしら」
     瀟長がマヌさんず呌ばれおいる。俺は緊匵で、これたで飲んだ酒が吹き飛びそうだった。

    「ママ、ひさしぶりやな。西新店のバむトの子、成人したから連れおきた。䞭州デビュヌや」
    「あら。それはおめでずう。あら、今幎も連れおきおくださったのね。嬉しいわあ」
     カりンタヌに怅子が8脚。テヌブル垭が二぀あった。壁に酒瓶が䞊んでいる。客は俺たちの他に2組。その女性はママず呌ばれおいるようだ。俺に向かっお埮笑んだ。瀟長がりむスキヌの゜ヌダ割りを頌んでくれた。瀟長は「い぀もの」ず蚀うず、ママがグラスを取り出しおゆっくり䜜り始めた。りむスキヌに氷だけ入ったものが出された。ロックずいうらしい。

     瀟長は銎染みの垭に萜ち着くように腰を䞋ろした。
    「ママ、未来のある若者にお酒を飲みながら、厳しい本屋の話をしよったんや。今幎が勝負の幎かもしれんからな」
    「あら、たた難しいお話」
    「難しいが、倧事な話や」
     瀟長はグラスを受け取っお、䞀口飲んだ。
    「ケンタ、委蚗販売ずいうのはな、本屋が出版瀟から本を仕入れお、売れ残ったら返品できる仕組みや。曞店はリスクなく品揃えができる。出版瀟も、本屋が仕入れおくれる。どちらにも良かった。昭和の時代は」
    「昭和ですか。今は違いたすか」
    「今はな、返品率が4割を超えずる。仕入れた10冊のうち4冊以䞊が戻っおくる。出版瀟は刷った本のコストを払っお、戻っおきた本の凊理コストも払う。取次は物流コストを払う。本屋は返品の手間がある。党員がコストを払っお、利益はない。それで本屋はどうやっお商売を続けおゆけるの」
    「でも、それがなんでずっず続いおいるんですか」

     カりンタヌの奥でグラスが觊れ合う音がした。瀟長はそれを䞀瞬だけ目で远っお話を続けた。
    「委蚗販売をやめたら、本屋が仕入れるリスクを自分で取らないずいけない。売れない本は仕入れない、ずいう刀断を自分でしないずいけない。そうするず、売れる本しか䞊ばなくなる。倚様な本が棚から消えろうもん」口調がだんだん厳しくなっおきた。
    「曞店の品揃えが貧しくなる」
    「そうや。文化の倚様性ずいう芳点では、委蚗販売には意味があった。しかし経枈的には限界を超えずる。本来なら、委蚗販売を党廃するのではなく、期限を蚭けるべきや。時限再販ず時限委蚗ずいう圢で」
    「時限、ずいうのは䜕ですか」
     瀟長はそこで蚀葉を止めた。グラスの䞭の氷が溶けお、圢を倉えおいた。俺は瀟長が䞀口飲む間も黙っお埅っおいた。
     
    「今は定䟡にも返品できる期間に期限がない。それを発売から6ヶ月以内なら返品可、それ以降は買い切り、ずいう仕組みにする。本屋も出版瀟も、6ヶ月の䞭で真剣に売る努力をする。そういうこずや。同時にこの期間が過ぎお買い切りになったら、本の䟡栌も本屋が自由に決めるようにする。買い切りだから出版瀟も安く本屋にも取次にも卞す。なかなか良いアむデアずケンタは思わんか」少し埗意げに話しお、りむスキヌグラスを飲み干した。

     俺はグラスを持぀手を止めた。これたでの話は、おかしい理䞍尜だずいう話ばかりだったが、これは初めお聞いた「盎せる」ずいう話だった。
     ママが盎ぐにグラスに氷ずりむスキヌを泚ぎ足した。
    「面癜いですね。これなら道理に叶っおる気がしたす」
     瀟長はグラスの底に残った氷を芋぀めたたた、少し黙った。

    「ただな、本圓にこの通りでうたくいくのか正盎、俺にも自信はない。机䞊の理屈ず珟堎で動く金は別物やからな。こんなこずを蚀いだす奎も同意するもんも誰もおらんけど、昔のたたの制床にしがみ付いおないで議論だけでも始たれば良かずになあ」どこか寂しげだった。
     俺はグラスを持ったたたで、瀟長の話を聞いおいた。時限再販ず時限委蚗。これが制床の解決策ずしお機胜するか、考えおみる。公正取匕委員䌚ずの関係はどうなるか。出版瀟が䞀斉に賛成するには䜕が必芁か。取次はどう動くか。本屋は察応できるのか敎理しきれないが方向は芋えた気がした。
    そこで瀟長が垭を立った。

    「ちょっずトむレ、行っおくる」
    背䞭が芋えなくなったずころで、カりンタヌの䞭のママが、少し声を萜ずしお蚀った。
    「マヌさんはね、関孊で身に぀けたダンディズムを今でも倧事にしおいる人なのよ」ママはグラスを拭きながら、懐かしそうに笑った。
    「䞭掲だけでも、20軒以䞊はボトルを入れおいるんじゃないかしら。どこの店でも顔が利くし、みんなに慕われおいるの。そんなマヌさんがね、秋になるず婊人誌の新幎号の泚文を取りに来るの。去幎もそうだった」
    「婊人誌、ですか」俺は、思わず聞き返した。
    「そう。昔は『玠敵な奥さん』や『䞻婊の友』ずか、『家庭画報』に『婊人画報』ずかね。以前は幎末になるず、そういう婊人誌の新幎号がよく売れたの。家蚈簿やカレンダヌが付いお、新しい幎を迎える準備みたいなものだったのよ」ママはそこで、少しだけ寂しそうに目を现めた。

    「でも、今は昔ほどじゃないわ。昔みたいにどの家でも圓たり前に買う時代ではなくなった。雑誌そのものも前ほど元気がないでしょう。それでもマヌさんは秋になるずちゃんず泚文を取りに来るの」
     ママは拭いおいたグラスを眮き、俺の方を芋た。
    「それっお、誰にでもできるこずじゃないのよ。普段は高いボトルを気前よく入れおくれる人が秋になるず、私たちに頭を䞋げお1冊2,000円ちょっずの雑誌をお願いしお回るの。『よかったら1冊、頌むわ』っお」
     俺は蚀葉を倱った。

    「だから、みんな泚文するの。お䞖話になっおいるから、ずいうだけじゃないわ。あの人がそこたでするなら応えたいず思うのよ。マヌさんっお、そういう人なの。栌奜぀けるずころは栌奜぀ける。でも仕事ずなったら、ちゃんず頭を䞋げられる。すごい人よね」
     胞の奥を䜕かで匷く打たれた気がした。俺は䜕も蚀えなかった。なぜだか高いボトルが䞊ぶ店の景色たで違っお芋えた。この人は、ただの遊び人ではない。人に慕われる理由を自分の足で積み䞊げおきた人なのだ。

     瀟長が戻っおきた。ママは黙っお冷たいおしがりを枡す。
    「ケンタ、難しい顔しずるな」
    「いえ、考えおいたした」
    「䜕を」
    「時限再販ず時限委蚗が実珟するには、誰が動かないずいけないのかを」
     瀟長は座っお、グラスを手に取った。
    「それを考えずるなら、孊生らしいな」

    「公正取匕委員䌚は、出版界に察しお螏み蟌んだこずを蚀っおいたすよね」
    瀟長の顔が少し倉わった。
    「聞いずるか」
    「ネットで読みたした。"出版瀟の利益率が長期にわたっお高止たりしおいるこずは、曞店や取次に察する買いたたきのような状況"ずいう発蚀が出たず」
    「あの発蚀は、業界にずっお倧きかった。取次も曞店組合も、公取委がそこたで蚀うおくれるずは思っずらんかった。あれで少し、空気が倉わった気がしたね」
    「倉わりたしたか」

     瀟長はりむスキヌを䞀口飲んで、グラスをカりンタヌにそっず眮いた。
    「倉わり぀぀ある。さっきも蚀ったけど、トヌリュヌが曞店のための条件改定亀枉に入っずる。日流はブックブリッゞコヌポレヌションずいう新しい流通の枠組みを本栌的に皌働する。方向は出おきた。ただな、利益率が高いのは倧手出版瀟を始めずする䞀郚の出版瀟のこずで、倚くの出版瀟は苊境に喘いでいる」
    「そんな状況で間に合いたすか。2028幎に」
     
     瀟長はしばらく黙ったたたで、最初からテヌブルに眮かれおいた小皿の䞭のチヌズを口にしお、りむスキヌを少し飲んだ。俺の小皿のチヌズは無くなっおいたが、グラスに口を぀けた。
    「分からんが、厳しいやろうな。倧半の出版瀟も本屋ず同様に苊しんどるから、仕組みをリセットせんずならん。特に曞籍だけを出しおいる出版瀟は高コストの元凶である雑誌発売日協定が残ったたたでは条件改定は飲みにくい」それだけ蚀っお、たた黙り蟌んだ。
     俺はグラスを持ったたただった。間に合うかどうかを誰も断蚀できない。倚くの出版瀟も厳しいなら利益は䜕凊から生たれおくるんだ

    「瀟長が孊生時代に䞀番圱響を受けた本は䜕ですか」
     俺はそれを聞きたくお、ずっずタむミングを探しおいた。瀟長は少し意倖そうな顔をした。
    「急になんで」
    「坂本瀟長の本棚が気になっお」
     瀟長は少し笑った。りむスキヌを䞀口飲んで、グラスをカりンタヌに眮いた。
    「野䞭郁次郎先生の本やな」
    「野䞭郁次郎」
    「䞀橋倧孊の名誉教授や。Fortune誌が遞んだ"䞖界で最も圱響力ある経営思想家20人"の䞀人。知識創造の理論で䞖界に知られずる人や。関孊の孊生やった頃に読んで頭がひっくり返った」
     俺はその名前を頭に刻んだ。
    「野䞭先生はな、組織が生き残るには暗黙知を圢匏知に倉える力が芁るず蚀うた。珟堎で䜓で芚えたこずや、長幎の経隓から来る感芚を蚀葉や圢にしお組織党䜓で共有できるかどうか。それが組織の匷さの源泉やず」
    「出版界は、それができおいない」
    「出版界がそれをできずったら、遥か昔に出版界は倉わっずる」瀟長は静かに蚀った。

    「解決策はみんな分かっずるのに、誰も蚀葉にせん。時限再販も買い切り制もデゞタルずの共存も分かっずる。でも圢匏知にならない。暗黙のたたで各瀟が抱え蟌んどる」
     そう蚀っお瀟長は黙っおグラスを傟けた。ママが俺のグラスに「おかわりいる」ず目で聞いおきた。俺は小さく銖を振った。

     ラりンゞを出るずビルの倖は少しひんやりずしおいた。䞭掲の路地は人通りが少し枛り、ネオンの色も萜ち着いお芋えた。现い路地の奥ぞ進むほど灯りが枛っお、二人分の足音だけが響いた。
     最埌に瀟長が連れお行っおくれたのは、䞭掲少路にある「味噌汁田でん」だった。匕き戞を開けるず朚のカりンタヌが目に入った。小さな厚房の䞭で店䞻が笑顔で立っおいる。倜の12時近いのに客が䞉人いた。

    「ここの味噌汁飲んだら、締めのラヌメンはいらん」
     瀟長がそう蚀っお、カりンタヌに座った。日本酒を䞀合だけ頌んで、炙りしめ鯖を぀たんだ。鯖の衚面が少し焊げおいお、皮の銙りが錻に来た。そこに店䞻が出しおくれた味噌汁が、怀の䞭で深い色をしおいた。䞀口飲んだ。
    うたかった。それ以䞊の蚀葉が来なかった。東京の出汁でもなく、束山の味でもなく、博倚の倜の味ずいうものがあるずしたら、これだず思った。炙りしめ鯖ず日本酒の盞性の良さを教えおもらった。

    「瀟長、䞀぀聞いおいいですか」
    「なんや。ただあるのか」
    「政治家や行政は、出版界に぀いお䜕もしおいないんですか。こんなに倧きな構造的な問題なのに」
     瀟長は炙りしめ鯖を䞀口食べおから答えた。
    「閉鎖的で狭小な業界には、誰も向いおくれん。出版業界党䜓の売り䞊げは今や1兆円以䞋や。幎商50兆円のトペタの1週間分の売り䞊げにも届かん。政治家が動くにはむンセンティブが匱すぎる」
    「そんなに、小さいのですか。それでも誰か動いおいる人はいたすか」
    「密かに頌りにしずる政治家はおる」

     瀟長が日本酒を泚いでくれた。俺も瀟長に泚いだ。二人で杯を空けるず、ぬる燗の枩もりず日本酒のうたさが口に広がる。倧人になった気分で聞いおみた。
    「誰ですか」
    「それは蚀っおも知らんだろう」
     瀟長は少し笑っお、それには答えおくれなかったが、話を続けた。
    「出版界の問題を文化だけの問題ず矮小化せずに、産業構造の問題ずしお芋おくれずる政治家がおる。出版流通の厩壊は日本の文化や情報むンフラの厩壊やず本気で思っずる。そういう人が最埌に䞀人でもおるずいうだけで、少しは救われる気になる」
     
     俺は怀を䞡手で持っお、ただ暖かい味噌汁を飲み盎した。
    「最埌の、ですか」俺は思わず頌りなげな声を出しおいた。
    「出版界に残された時間は、そういう蚀葉を䜿わないずいけないくらいには短い」
     瀟長は日本酒を飲んだ。俺も飲んだ。味噌汁の矎味しさが、ただ口の䞭に残る。歀凊でも瀟長が党おの勘定を枈たせお店を出た。
     
     䞭掲小路を通っお那珂川の岞に出た。橋の手前で川面を芋るず、さっき屋台から芋たのず同じ川だが倜が深たっお景色の枩床が倉わっおいた。ネオンの色が川の黒に滲んで䞭掲の街は、ただ眠る気配もなかった。
     終電前だったが俺は圓然、瀟長はタクシヌを拟うものだず思っおいた。あれだけの店を回り、あれだけ飲んで話した人間が垰りのタクシヌ代を惜しむ、はずがない。そう思っお川沿いの道で足を止めかけた。ずころが瀟長は迷うこずなく、地䞋鉄の方向ぞ歩き始めた。
    「電車、ただありたすか」
    「ただある。電車のある時間にタクシヌに乗るような金は䜿わんの」

     䜕気ない䞀蚀だった。しかしその蚀葉は俺を打ちのめした。今日どれだけ䜿ったか。烏賊の刺身、屋台の焌酎、ラりンゞのボトル、味噌汁。ケンタが成人祝いだず蚀っお党郚瀟長が払った。その金額を俺は想像するこずもできないが、たぶん俺が䜕週間もバむトをしお皌ぐ額に近い。それだけ惜しみなく䜿った人が垰りは地䞋鉄䞀択だった。
     䜿うべきずころでは惜しみなく䜿う。人ずの瞁には金を惜したない。けれど、自分のためだけの無駄には驚くほど厳しい。その差が俺には眩しかった。あの雚の日のこずを思い出した。去幎の倏、倩神から垰る時にタクシヌGOで呌んだ。濡れたくなかっただけだ。面倒だっただけだ。なんの躊躇もなく金を䜿った自分。恥ずかしさが、じわりず胞に広がった。

     地䞋鉄の入口が芋えた。瀟長はためらわずに階段を降りおいく。その背䞭が芋えなくなる前に俺は思った。この人の本圓の栌奜よさは倜の街で豪快に金を䜿うこずではない。䜿う金ず䜿わない金のその線匕きにある。線匕きの䞭にその人の生き方が出る。俺は少し倧人になった気がする。
    階段を降りながら、俺はスマヌトフォンを開いた。「野䞭郁次郎」ず怜玢した。
     
     翌日の朝、アパヌトの薄い垃団の䞊で昚倜の断片が頭の䞭に浮かんでいた。トヌリュヌず日流の赀字額が合わせお億円を超える2028幎3月のタむムリミット。瀟長が蚀った時限再販ず時限委蚗。ラりンゞのカりンタヌで婊人誌の泚文を頭を䞋げお取りに回る瀟長の姿。地䞋鉄の階段を降りる瀟長の背䞭。ブックブリッゞ。公取委、出版界の頌みの綱の政治家。
     ベッドの䞭でスマヌトフォンの画面を開いた。昚倜怜玢した「野䞭郁次郎」のペヌゞが残っおいた。「䞀橋倧孊名誉教授。Fortune誌遞出・䞖界で最も圱響力ある経営思想家20人。知識創造理論の第䞀人者」

     瀟長が、䞖界レベルの経営思想家の本を孊生時代に熱心に読んでいた。そしおその哲孊を持ちながら、珟実の前では動けない人間になっおいた。
    暗黙知を圢匏知に倉える力。出版界はそれができおいないず瀟長は蚀っおいた。解決策はみんな分かっおいるのに誰も蚀葉にしない。蚀葉にしない限り動けない。動けない間に2028幎のカりントダりンが始たっおいる。俺はベッドから起き䞊がった。窓を開けるず西新の朝の空気が入っおきた。商店街の方向からかすかにシャッタヌが䞊がる音がした。早朝なのに䜕凊かの店を開けおいるのかもしれない。

     俺が䞭掲で飲んでいた倜にも、取次のトラックは金雄銅曞店に本を運んでいた。今日もどこかで、誰かが本を埅っおいる。それを届けるコストが誰かの赀字になっお積み䞊がっおいる。田島さんが棚を䜜っお返品を詰めおいる。店長が「諊めおいられる時間がなくなっおきた」ず蚀いながら誰もただ動けおいない。
     俺はバむトをしおいるだけの法孊郚の2幎生だ。曞店員でも出版界のプロでもない。しかし公取委があの発蚀をした。空気が少しだけ倉わったず瀟長は蚀った。蚀葉にしない限り動けない。その䞀文が垃団を出た朝の頭に残っおいた。俺はノヌトを開いお昚倜の話を曞き始めおいた。
    さず矎さんからLINEが来た。「䞭州デビュヌ、どうやった」
     䜕お返そうかそれより授業の予習しなきゃ。朝の授業はフランス語だったっけ苊手だな。

    第八章 動き出す者たち

     䞭州の倜から半幎近くが過ぎた9月の䞊旬、田島さんがい぀もより早く出勀しおいお、カりンタヌの端に眮かれた業界玙を䞁寧にたたんでいた。業界玙なんお普段は段ボヌルの䞊に攟り投げおある。
    「田島さん、それ、䜕か出おたしたか」
     聞くず田島さんはメガネを少し盎しお、俺の方を向いた。
    「経産省も動いずるらしいよ。返本率を䞋げるためにRFIDを぀けるずか」
    「アヌル゚フ  䜕ですか」
    「本に小さいICタグを぀けお、本がどこにあるか分かるようにするんだっお。それを䜿っお返品を枛らすようにする仕組みらしい」
    「トヌリュヌず日流の動きも掻発らしい。取次事業存続の危機ず曞いおあった」い぀もず倉わらぬ冷静な声だった。

     俺はその蚀葉を頭の䞭で繰り返した。䞭掲の倜に瀟長が蚀っおいた事が珟実になり぀぀ある。
    「曞店や取次はどうなるのですか出版瀟だっお倧倉だし」
    「出版瀟が悪で取次ず本屋は被害者みたいな単玔な構図ずも思えない。ただ、ゆっくりだけど、動こうずしおいる人たちがいるのは感じる。みんな危機感を持っおいるから」
     田島さんはそれだけ蚀っお、業界玙を棚の䞋の段に眮いた。い぀も通りの動きで感情は出さない。しかし眮く時の手がわずかに䞁寧だった。

     その日の倕方さず矎さんが閉店埌に残った。珍しかった。テコンドヌの緎習があるず蚀っお普段はシフトが終わるずすぐに店を出る。俺がレゞの締め䜜業をしおいるず、さず矎さんがバックダヌドから顔を出した。
    「ケンタ、今日、店長から話があるず。」
    「俺にですか」
    「ケンタず私に。終わったら話がしたいっお」
     俺は手を止めた。さず矎さんは少し眉を寄せお、でも肩をすくめおみせた。怒っおいない顔だった。䜕かを面癜がっおいる顔でもあった。「䜕だろうな」ずいう顔だった。締め䜜業が終わり、田島さんが垰った埌、バックダヌドに残ったのは店長ず俺ずさず矎さんの䞉人だった。これに時絊は付くのかなず考えながら埅っおいた。閉店埌の店内で3人は向き合った。

    「䞀぀、盞談がある」
     店長が顔を䞊げた。い぀も通りの声だったが、い぀もより少し䜎かった。
    「䜕ですか」
    「お前たち、この店がい぀たでも぀ず思う」
     さず矎さんは答えなかった。俺も答えなかった。店長はそれを埅っおいない顔だった。自分に向けおいる問いのようだった。
    「あぶない、ずいうのが正盎なずころやろ。だが、このたたでいい、ずは思っずらん。このたたでいいず思える根拠がもう䜕もない。出版業界にはよう圓おはたる名蚀を知っおるかアむン・シュタむンの蚀葉ず蚀われずるが、本圓に蚀ったかどうかは知らん」
     俺の頭の䞭にはお笑いコンビのアむン・シュタむンが浮かんだが違うみたいだ。
    「愚かさずは、同じこずを繰り返しながら、違う結果を求める事である。今の出版界は、たさにこれやな」

     俺は店長が䜕を蚀い出すのか分からなかった。
    「今幎の倏から、俺はずっず考えずった。公取委が動いた。トヌリュヌが条件亀枉に入った。ブックブリッゞが本栌皌働し始めた。倖から倉えようずしおいる人間がいる。じゃあ、内偎から動ける奎は誰か。俺たちがやれるこずは䜕か」
    「店長、䜕かやりたいこずがあるんですか」
    さず矎さんが聞いた。俺より先だった。店長はたた少し黙った。それから顔を䞊げた。

    「䜜家を呌んで講挔䌚をやりたい」
     俺は耳を疑った。
    「䜜家の講挔䌚ですかサむン䌚はなくお誰を考えおいるんですか」
    「狭山仁。早坂和矎。今村翔吟。サむン䌚じゃ儲けは知れおる。だから1,000人は集める䜜家のサむン本付き有料講挔䌚」
    「そんな有名䜜家が犏岡たで来おくれたすか講挔料だっお高いず思いたすよ。亀通費や宿泊費だっお」
    「本屋に人を呌ぶ。普通の方法じゃない。著者に来おもらっお、読者ず盎接぀ながる堎を䜜る。本の売り堎を著者ず読者のための堎所にする。そういうこずをずっず考えおきた。昔も䞀床だけ、やりかけお諊めたこずがある」
    「あの以前に聞いた、諊めた話ですね」
     俺が聞くず、店長は少し目を现めた。

    「めんどくさかった。段取りが倧倉で、出版瀟ずの調敎が耇雑で、集客が䞍安で採算の芋通しも立たなくお。頭の䞭で考えるだけで、動かなかった。昔の俺はそういう奎やった」
    「今は」
    「今は諊めずる時間がなくなっおきた。だから動く」
    「でも、出来たすか」
    「ナヌミンでも山䞋達郎でも新曲でたらツアヌコンサヌトで党囜を廻っおコンサヌトをする。䜜家も新刊出たら党囜を廻っお各地の本屋が䞻催する講挔䌚にきお地元の本屋を応揎するそんな未来を䜜りたい。金雄銅曞店西新店がその先駆けになる」
     閉店埌の店内が明るくなった気がしたのはきっず勘違いだろう。さず矎さんが俺を芋た。䜕も蚀わなかった。ただ目が笑っおいた。「こういう展開、嫌いじゃない」ずいう顔だった。二人の目が合った。
    「やりたしょう」俺たちは声を䞊げた。

     店長の話は続いた。著者に来おもらう。参加費は著者のサむン本付きで3,500円。著者には通垞の講挔料ではなく、印皎の取り分だけの圢にする。亀通費ず宿泊費は本屋が持぀。取次にも呌びかけお、業界党䜓で街の本屋を応揎するむベントにする。本屋の新たなビゞネスモデルにする。その亀枉は店長がする。その芚悟ず芋通しがあるようだった。本の仕入は取次を通すが出版瀟には買い切り本ずしおのバックマヌゞンも芁求する。
    「赀字芚悟でもやるハむリスク・ハむリタヌンの商売を本屋もやる」

     入堎者が1,000人ずしお売り䞊げは350䞇円。本代や䌚堎費などの経費を差し匕いおも利益は抂算で1日150䞇円が芋蟌める。150䞇っお金雄銅西新店の䜕か月分の利益だろう
    「儲かりたすね。堎所はどこですか」
    「それが、ただ決たっおいない。区民䌚通を借りるか、他の有料スペヌスか。出来たら店の近くが良いなあ」
     俺はその時、ふず䜕かを思った。西南倧の倧孊チャペル。さず矎さんず歩いた時に話した堎所だ。チャペルの尖塔が空に突き出おいた。倧孊祭のコンサヌトもあそこでやる。
    「堎所、䞀぀心圓たりがありたす」
    「どこや」
    「西南の倧孊チャペルです」
     店長は少し黙った。
    「倧孊の斜蚭を本屋が䜿えるか」
    「聞いおみたす。あそこは倖郚のむベントにも䜿われおいるず聞きたしたから」
     さず矎さんが腕組みをした。
    「西南倧のチャペルで本屋の講挔䌚。おもしろかっちゃんね」
    それが、党おの始たりだった。翌週から、俺ずさず矎さんは店長のサポヌトに入った。俺が倧孊偎ずの亀枉窓口を担圓した。こんな俺が亀枉事に向いおいるかどうかは怪しかったが顔だけは知っおいる。チャペルの利甚申請を孊生課に持ち蟌んで倖郚利甚の条件を確認した。条件はシンプルだった。倧孊の理念に沿うむベントであるこず、飲食物の持ち蟌みは䞍可、隒音を出すむベントは犁止。本の話をする䌚なら問題ない。

    「思ったより早く動いたな」
     店長が蚀った。俺は「段取りが埗意な぀もりです」ず蚀ったが、半分はさず矎さんが「早くしんずよ、ぐずぐず考えおも仕方なかろうもん」ず蚀っお背䞭をグむグむ抌しおくれたおかげだ。
    「集客のための告知はどうしたすか」
     店長はパ゜コンの画面をこちらに向けた。発泚リストや圚庫怜玢にしか䜿っおいるのを芋たこずがなかった画面に、文字だけのチラシのようなものが衚瀺されおいた。フォントも倧きさもバラバラで、䌚堎の欄はただ「未定」のたただった。
    「これを䜜っおみたんやけど、スマホでやるのが苊手で、パ゜コンで䜜った。どう思う」
    「  正盎に蚀っおいいですか」
    「蚀うおくれ」
    「文字が倚すぎお、䜕の䌚なのか䞀瞬で分からないです。これだず、スマホで芋た人がシェアしたくなる感じはしないです」
     店長は画面を芋お、少し肩を萜ずした。
    「そうか。やっぱりダメか」
    「決たったら、俺がSNS甚に䜜っおみたす。店長はこのたた、店に貌る玙のチラシ甚にしおください」

     店長の動きも早かった。瀟長ぞの説明も出版瀟ぞの亀枉はもちろん、トヌリュヌぞの説明も店長が薬院にあるトヌリュヌの九州支店たで行っおやった。金雄銅曞店ず長い付き合いのある出版瀟の担圓者数名に連絡を入れた。最初の反応は様子芋だった。本屋の自䞻講挔䌚に出版瀟が費甚を負担するずいうのは、前䟋が少なくお難航した。しかし瀟長が動いた。曞店組合の理事長ずしお、耇数の出版瀟の営業担圓に電話を入れた。赀字芚悟のむベントの颚向きが完党に倉わった。最埌たで難色を瀺した出版瀟もあったが、数日埌には数瀟の出版瀟の返事が倉わった。

    「瀟長が動いおくれるず、話が早い」
     店長がそう蚀った時、俺は䞭掲の倜を思い出した。幎末に䞭州のラりンゞを回っお婊人誌の泚文を頭を䞋げお取っおいく瀟長の姿。その仕事ぞの姿勢があるから、今この話が動いおいる。䜕かが動き始めた。
     取次にも思いが届いた。トヌリュヌの担圓者から電話が来た。「面癜い詊みだず思いたす。我々もサポヌトできるこずがあれば蚀っおほしい」ず蚀っおくれた。本業が赀字続きの取次も街の本屋の講挔䌚を応揎しおくれる。厳しい状況にある出版業界の䞭で、それぞれが自分にできるこずを探しおいた。講挔䌚は11月日ず決たった。文化の日だ。

     著者の人遞は店長が䞻導した通りに決たった。ビゞネス曞出しおテレビでもコメンテヌタヌをしおいる狭山仁。テレビドラマ「ファンファヌレ」がヒットした人気䜜家の早坂和矎。愛媛の歊将が博倚の海で元寇ず戊う掻躍を描いた小説「海を砎る者」の盎朚賞䜜家今村翔吟。みんな本屋ぞの思い入れが匷いず業界玙で読んだこずがあった。
    「今村翔吟さんにも来おもらえるんですか」
    「出版瀟経由で打蚺しお、最埌は盎接今村先生に話した。快諟だった。『街の本屋さんを応揎する講挔䌚なら喜んで』ず蚀っおくれた」
    「え今村先生ず盎接にですか」
    「そうや、動かんずな。そうすれば熱意は䌝わる。出版関係者はみんな街の本屋を応揎したいず思っおる」

     さず矎さんが「やばいやん」ず蚀った。珍しく小さい声だった。普段の「やばいやん」より3割くらい真剣な声だった。錚々たる顔ぶれが揃った。
    著者ず日付が決たった日、バックダヌドでさず矎さんがすでにスマホを構えおいた。
    「さず矎さん、䜕しおるんですか」
    「告知。誰かが先にやらんず、い぀たでも決たらんやろ」
     俺が文章を考えおいる間に、さず矎さんはもうチャペルの前たで歩いお行っお䞀枚撮っおいた。決めポヌズも䜕もない、ただ尖塔を芋䞊げただけの䞀枚だった。投皿文を打぀のにも迷いがなかった。
    「有名䜜家たちの本の話を聞きに来おください。」
     芋出しの䞋には、䜜家の名前ず日付ず参加費だけが䞊んでいた。
    「もっず著者の名前を倧きく入れた方が  」
    「長い芋出しは誰も読たんもん。来たい人は来る。䜜家の名前も日付も料金もちゃんず曞いずる」

     俺はその短い䞀文を芋ながら思った。これは新たな挑戊をする本屋からの願いだ。さず矎さんはそこたで考えおはいないだろうけど、それでいい。
     俺が考えおいる間に、さず矎さんはもう投皿しおいた。

     講挔䌚の䞭で動いおいるのは出版界だけではなかった。地元玙の西日本新聞から若い蚘者が取材に来た。村田ずいう名前で、去幎から出版流通の問題を远っおいるず聞いた。店長ず1時間ほど話し蟌んで、垰り際に俺に声をかけた。
    「本屋のバむトの孊生さんが、取次の決算たで知っおいるのは珍しい。䜕か話せたすか」
    「俺ですか」
    「ケンタさん、でしたっけ。店長から聞きたした」
     そう蚀っお差し出した名刺には、西日本新聞 報道局蚘者村田恵䞀ず曞いおあった。
     俺は少し考えた。さず矎さんがむンタビュヌを受けるべきじゃないか自分が話すべきこずがあるかどうか。でも、蚀葉にしない限り動けない、ずいう瀟長の蚀葉を思い出した。暗黙知を圢匏知に倉える力。それが組織を生き残らせる。
    「西南倧2幎、䜐藀健倪です。少しだけなら、話せたす」
     村田蚘者はノヌトを取り出した。話したのは15分くらいだった。俺が芋おきたこず、感じおきたこず、法孊郚の目で芋た制床の歪み。田島さんの16幎分の棚のこず。泚文した本が届かなくなった客の「い぀ものこずやね」ずいう声のこず。話しながら、初めお自分の蚀葉になっおいるものがあるず気づいた。

     講挔䌚の告知が出るず、反響は予想を超えた。SNSで共有されお3日で定員の900名が埋たった。キャンセル埅ちたで出た。今村翔吟のフォロワヌが動いたのが倧きかった。今村自身が「街の本屋でこんな䌚がありたす」ず、さず矎さんの投皿をそのたた匕甚シェアしおくれおいた。西日本新聞の玙面でも玹介しおくれた。新聞の読者ず本奜きはきっず重なる。集客の心配も吹き飛んだ。
     その埌も「本屋の講挔䌚に行きたす」ずいう投皿が次々ず来た。その倚くは今たで金雄銅曞店に来たこずがない人たちだった。本屋が告知の堎でもあり、亀流の堎でもあり、本屋の存圚蚌明になっおいた。

     11月の講挔䌚の前日、店長がこの䌁画が始たっお初めお笑った。俺がそれを芋たのはバックダヌドで田島さんず二人で返品䜜業をしおいる時だった。店長が埌ろ向きに段ボヌルを積みながら、誰にも芋えないような角床で少し笑った。気づいおいるのは俺だけだったかもしれない。やろうずしたが動けなかった人が動いた。そしおここたで来た。田島さんは䜕も蚀わなかった。ただ段ボヌルを淡々ず積み続けた。

    「明日のむベントが満垭になったのはみんなのお陰だ。ありがずう」店長の䜎い声が狭いバックダヌドに静かに広がった。西新商店街には朚枯らしも吹き始めおいた。秋が深たっおいた。

     前日倜の準備が深倜たで続いた。西南の倧孊チャペルに入るず、倩井が高くお音が響いた。煉瓊造りの壁に秋の倖気が染みおいた。昌間は静かな瀌拝の堎所が倜は別の顔を芋せおいた。受付の机を出しおマむクのテストをした。さず矎さんが受付を仕切っお、俺がパ゜コンで進行衚を管理しお店長が出版瀟の担圓者ずやり取りしながら最終確認をした。

     日付が倉わる頃、ようやく䞀通りの段取りが終わった。
    「今倜、どうするん」
    さず矎さんが俺に聞いた。片付けが終わっお、チャペルの倖で秋の颚が吹いおいた。
    「アパヌトに垰りたす」
    「アパヌトたで垰るん」
    「たあ、そうですね」
    さず矎さんは少し考えおから
    「あたしのマンション来るここから近いし颚呂もあるし」ず蚀った。
    「近い颚呂もある来る」
    「癟道の方に歩いお5分ちょっず。お颚呂も付いずうし、シャワヌ䜿えるよ。どうせあんたのアパヌト、颚呂なしやろ」
     俺は䞀瞬固たった。それから「なんで知っずるんですか」ず聞いた。
    「田島さんに聞いた。西新の颚呂なしのアパヌトに䜏んどうっお」
    「それ、なんで田島さんが」
    「あんた自分で話したんちゃうの。それか、家賃の安さを自慢しおたか」
     それは俺がバむト初日に田島さんに蚀ったこずだった。「安いですよ、月4侇8千円です、颚呂なしですけど」ず。半幎以䞊前の話を田島さんは芚えおいた。

    「泊たっおくね」
     さず矎さんはあっけらかんず蚀った。犏倧のスポヌツりヌマンがテコンドヌの道具䞀匏をロッカヌに入れおいくような自然な口調だった。確かにこの時間じゃ颚呂屋も閉たっおいたし、キッチンの氎道氎で頭を掗うのは寒すぎる。頭の䞭でいろんなこずが動き始めお出た蚀葉。
    「いいんですか」
    「あたしが蚀いよったら、いいんよ」
     俺たちは、さず矎さんのマンションに向かっお歩き出しおいた。立掟なマンションはオヌトロックだった。ロビヌから゚レベヌタヌで3階に䞊がり、さず矎さんが郚屋の鍵を開けた。郚屋に入るず予想よりずっず普通で片付いおいた。テコンドヌのトロフィヌが棚に䞊んでいお、ランニングシュヌズが玄関に䞉足あっおテヌブルの䞊に「スポヌツ栄逊孊」の教科曞が開いたたた眮いおあった。

    「シャワヌ济びおきお」
     急いで汗を流した。俺のシャツずパンツは汗臭い。それからさず矎さんも入れ替わるようにシャワヌを济びた。郚屋が暗くなっお二人そろっおベッドに座った。
    「あれ、もっずる」
    「あれ」
    「決たっずうやろ。持っずらんなら、せんよ」
     俺は慌おおコンビニに党速力で走った。レゞは若い女性だったけど、そんなこず気にしおる堎合じゃない。お金を払う時の「袋はご利甚ですか」の声は無芖しお釣りだけ摑んで飛んで垰った。郚屋に戻るず、さず矎さんは
    「なんで走っおきたん」
     俺が息を切らしお戻るず、さず矎さんがそう蚀った。郚屋の灯りを消しおベッドに入っお暪になるず、さず矎さんが
    「汗くさ」ず蚀った。
    「だっお、コンビニに党力疟走でしたから」俺は秋颚の䞭を走っおも汗をかいおいた。
    「たあ、そうやったね。組手ず思うこずにする」
     窓の倖で癟道の倜が静かだった。こうしお二人の組手が始たり初めお唇を重ねた。

     翌朝、さず矎さんは先に起きおいた。もしや朝ごはんをさず矎さんが、ず思っお目を芚たした俺に「10分で準備しお、近くにマクドがあるけん」ず蚀っお二人で倖に出た。朝マック。テコンドヌ遞手らしく、さず矎さんはビックマックセットを食べた。俺は゜ヌセヌゞマフィンが粟䞀杯だった。昚日ず䜕も倉わっおいないようで、䜕かが倉わった朝だった。さず矎さんはトレヌを片付けながら「今日のむベント、ちゃんずやろう」ず蚀った。
    「はい」
    「緊匵しずう」
    「少し」
    「あたしも」
     さず矎さんが「あたしも」ず蚀った。俺はその蚀葉が劙に嬉しかった。

     むベント圓日の午前䞭。䌚堎ではマむクテストが始たった。スピヌカヌを通しお音が流れ叞䌚の声が響いた。聞いたこずがある声だった。俺は振り返った。マむクを持っおいたのは、萌ちゃんだった。
    「久しぶりね。健倪さん」話しかけられた。西南倧のアナりンス研究䌚に叞䌚をお願いしおたけど、来たのが萌ちゃんだったずは  アナ研に入っおいたんだ。
     西南倧の倧孊チャペルの扉が開いた時、俺は受付の埌ろに立っおいた。倖から人が来る。入っおきた順番に垭が埋たっおいく。金雄銅曞店の垞連も来た。芋慣れない顔も倚かった。西日本新聞の村田蚘者も来おくれおいた。今日初めおこの本屋の名前を知った人たちが今日この堎に来おいる。チャペルの倩井が高く、煉瓊の壁が光を吞っおいた。

     受付が䞀段萜しお、さず矎さんが䌚堎の埌ろに立っおいた。少ししお俺の隣に来お聞いた。
    「あの叞䌚の人、誰芪しげやったね」
    「え、あ」
    「綺麗な人やね」
    「同玚生です。ただの」
    「ただの、ね」
     さず矎さんは䞀瞬俺の顔を芋おから、たた䌚堎の方を向いた。衚情は読めなかった。笑っおいるのか詊しおいるのか、それずもどうでもいいのか。さず矎さんずはそういう人だ。

     萌ちゃんは堎を完璧に仕切った。今村翔吟先生が話し始めるず、䌚堎の空気が倉わった。盎朚賞䜜家が街の本屋に぀いお語る蚀葉は、俺が業界玙で読んでいた蚀葉より枩かかった。
    「私は本屋を2軒やっおいたす」
    䌚堎がざわ぀いた。盎朚賞䜜家が本屋を経営しおいる。
    「䜜家が本屋をやるのはおかしいですかおかしくない。本屋がなくなるのがおかしいんです。だから自分でやるこずにした。それだけです」
    笑いが起きた。しかし笑いの䞭に、䜕か刺さるものがあった。
    「本屋は、私にずっお物語の入り口です。本屋がなくなるずいうこずは、その入り口がなくなるずいうこずです。入り口がなければ、物語に出䌚えない人が増える。出䌚えない人が増えれば、䜜家も曞けなくなる。だから本屋を守るこずは、䜜家が自分の仕事を守るこずず同じです」

     䌚堎が静かだった。深い静かさだった。質問の時間になるず、手が挙がった。番最初に手を挙げたのは、幎配の女性だった。今村先生に向かっお「あなたの本に出䌚ったのはこの街の本屋でした。その本屋はもうありたせん。次は䜕凊がなくなるのかず思うず、悲しいです。金雄銅曞店西新店さんも心配です」ず蚀っおくれた。他にも質問が盞次ぎ今村先生は穏やかに真摯に答えおいった。

     店長はステヌゞの脇に立っおいた。叞䌚も話者でもない。ただ立っおいた。しかし俺の目にはその立ち方が党郚芋えた。長い間、重い腰を䞊げられなかった店長が、今日ここに立っおいる。20幎以䞊、分かっおいおも動けなかった人がこの䌚堎を䜜った。人も仕事もやり方も熱意があれば倉えれるはずだ。
     2時間のむベントが終わり退堎が始たった。今村先生が出口付近でサむンをしおいた。長い列ができた。今日初めお金雄銅曞店の名前を知った人たちが垰り際に「次、本を買いに行きたす」ず蚀っおくれた。それを店長が聞いおいた。

     萌ちゃんが「健倪さん、お疲れ様でした」ず蚀っおあの笑顔で話しかけお来た。俺は「ありがずうございたした」ず蚀った。
    「アナりンス研究䌚で、今日の叞䌚を募集しおいお、健倪さんの本屋さんの話を思い出しお応募しおみたの。ずっおも面癜いむベントだったわ」それだけ蚀っお、俺の前を通り過ぎ、舞台の袖で埅っおいた男子孊生のもずぞ足早に歩いおいった。さず矎さんが隣にいた。
    「あの子、すごいね。叞䌚、䞊手やった」
    「そうでしたね」俺は声が匟たないようにしお返事した。
    「本圓に、ただの同玚生」
    「ただの同玚生です。文孊郚の安東萌さん」出来るだけ萜ち着いた声で返した。
    「文孊郚のね。健倪さんね。ふヌん」
     なぜか、さず矎さんには党郚芋えおいる気がした。俺はさず矎さんから目をそらしお片付けに行った。

     䌚堎の片付けがすべお終わっお店に戻った。この間ずっず田島さんは䞀人で黙々ず店を守っおくれおいた。店長がバックダヌドで俺たちに蚀った。
    「さず矎さんが、SNSで集客しおくれた」
    「ケンタが堎所を探しおきおくれた」
    「たたたたです」
    「たたたたでも、動いた奎が結果を出した。さず矎さんもありがずう。そしお誰よりも田島さん、ありがずう。金雄銅曞店西新店はあなたがいおくれるから続けおゆける」

     俺は段ボヌルを積みながら、その蚀葉を聞いた。チャペルを最初に思い出したのは、さず矎さんず歩いたあの道だった。脇山口を枡っお、修猷通の塀を過ぎお、西南倧のキャンパスが巊右に広がった時に、さず矎さんが「あの図曞通オシャレね」ず蚀っお、「奥の方にあるチャペルはカッコ良かね」ず蚀った。あの蚀葉がなければ、今日この䌚堎はなかった。
     しかし、そのこずをさず矎さんはきっずすでに忘れおいる。さず矎さんずいう人間は、動く時に動いお、次に進む。振り返らない。だから次も動ける。田島さんがいおくれるから俺たちも動ける。

     翌日の西日本新聞にこのむベント倧きく取り䞊げられおいた。「街の本屋が新たなビゞネスに挑戊」
     それからもむベントは連続しお行った。12月の狭山仁先生は数字で語った。街の曞店がこの10幎で䜕軒閉たったか。地方から本屋が消えるず䜕が起きるか。情報のむンフラが倱われる、ずいう蚀葉を䜿った。俺がノヌトに曞き䞊べおきたこずが別の人間の蚀葉で敎理されお䌚堎に広がっおいった。

     新幎の早坂和矎先生の講挔䌚で先生が最埌に短く客垭に語りかけたこずがあった。
    「私は今、束山に䜏んでいたす。数幎前に束山の䞭心郚にあっお、倧奜きだった明屋曞店ア゚ル店がなくなった時に街から灯りが䞀぀消えた気がしたした。次は犏岡の番かもしれない。それが怖くお今日は博倚に来たした」それだけだった。マむクを眮いた。䌚堎が少し静かになった。俺はその蚀葉に打たれた。饒舌な蚀葉より、短い沈黙の方が深く刺さるこずがある。
    このむベントが終わっお退堎が始たる䞭、早坂先生が出口の近くに立っおいた。俺は思い切っお近づいお声を掛けた。

    「束山から来おくださったんですね。ありがずうございたした」
    「そうです。あなたは」
    「束山東高校の出身です。2022幎の12月の明屋曞店ア゚ル店閉店むベントに先生が来られおいたのを私が䞭孊生の時に芋に行きたした」
    早坂先生は、しばらく俺を芋た。
    「そうでしたか。あのむベントの堎にいたんですね。そしお、今は本屋で働いおいる」
    「はい、そうです。倧孊生のアルバむトです」
    「倧孊生になっお、倧奜きな本屋に真っ先に応募した」
     俺は曖昧に頷いた。金雄銅曞店西新店ぞのバむトの動機を密かに思い出しおいた。

     むベントが終わるず、本屋の日垞が戻っおくる。田島さんが品出しをしお、俺が返品を䜜り、さず矎さんがレゞで接客する。同じこずをしおいおもそれたでず違う感芚があった。今日も店内には、今日初めお来た人の足跡が残っおいる。倖に出るず、西新の倜が始たっおいた。商店街のネオンが灯る前の街が䞀瞬だけ息を吞う時間。俺は立ち止たっお振り返った。冬の寒さが身に染みる季節になった。芋のお湯割りずも぀鍋も矎味しい季節。今倜はさず矎さんず䞭州のも぀鍋屋に行きたいな。

     今日も金雄銅曞店の看板に昚日ず同じ倕暮れの最埌の光が圓たっおいた。昚日より少しだけ、この店が生きおいる気がした。䞍思議だったのは、このむベントの問い合わせが他の本屋からはなかったこずだ。

    第九章 消えおゆく灯り

     2028幎の幎始の早坂和矎先生のむベントが終わっおしばらくした日の倜、店長から珍しく盎接電話がかかっおきた。バむトのシフトを終えお商店街を歩いおいた倕方だった。画面に「店長」ず衚瀺されお、少し身が匕き締たった。店長、今日は䌑みのはずなのに
    「ケンタ、今どこにおる」
    「西新の商店街です」
    「聞いたかもしれんが、䞀぀知らせおおこうず思っおな」
    店長の声は静かだった。むベントで盛り䞊がった時の声より也いおいた。
    「倩神の本店が4月末に閉たる。残念やな。ケンタには先に知らせおおきたいず思っお電話した」
    俺は立ち止たった。商店街を歩く人の流れが続いおいた。
    「新倩町の再開発が決たっお本店が入っずる棟が取り壊しになる。4月末で」
    「  店長、本店は䜕幎続いたんですか」
    「27幎や」
     電話の向こうが少し静かになった。商店街の宝楜饅頭のガラス窓が目に入った。矎味しそうな饅頭がい぀もず倉わらず䞊んでいた。
    「向かいの敬文通も、同じタむミングで閉たるず聞いずる。あそこは日流傘䞋やから、日流の動向も絡んどるらしい」
    「倩神から、地元の本屋が2軒同時に消えるんですね」
    「そうや」
     それだけだった。店長はそれ以䞊䜕も蚀わなかった。俺も䜕も蚀えなかった。
    「知らせおおきたかっただけや、たた改めお話す」

     電話が切れた。俺はしばらくそのたた立っおいた。商店街のアヌケヌドの倩井に、新幎の食りが吊るされおいた。倖し忘れたのか、クリスマス仕様の赀ず金のリボンが、蛍光灯の癜い光に照らされおいた。颚が冷たくなった。
     倩神の本店には䜕床も行っおいた。間口の広い萜ち着いた店だった。倩井が高くお、文芞の棚が充実しおいた。入口に平積みされた新刊の衚玙の色が俺には鮮やかに芋えた。あの棚が春に消える。

     電話から数日経぀ず、みんな知っおいた。田島さんは今日も日垞を䞁寧に過ごし、すでに入荷の確認をしおいた。い぀もより段ボヌルが少なかった。
    「幎始は少ないですね」
    「毎幎こうよ。1月は返品が倚くお、入荷が少ない」
     田島さんはクリップボヌドに芖線を萜ずしたたた蚀った。俺は台車を匕き出した。幎が倉わっおも、この店の朝は倉わらない。段ボヌルを開けお䌝祚を確認しお棚に本を差す。田島さんの手が棚を敎える。その動きを俺は隣で芋おいる。
     1月の業界玙にひず぀気になる蚘事があった。雑誌が䞻力の出版瀟のいく぀かが、雑誌の取次経由を諊めおコンビニずの盎接取匕を始めたずいう内容だった。雑誌発売日協定に瞛られないのでコンビニの雑貚配送に混茉しお送る。返品は珟地で産廃凊分。決枈はPOSデヌタに基づいお行う。取次を介さない、たったく別の雑誌流通が動き始めた。沈みかけた叀い船から新しい船に乗り換えるように危機感に迫られた出版瀟が出おきたのだろう。
     俺は店長に聞いた。
    「これ、本屋ぞの圱響はどうなりたすか」
     蚘事を読んでいた店長は新聞を半分に折りながら、冷静に話しおくれた。
    「本屋に雑誌が来なくなる、ずいうこずや。コンビニに盎接行く雑誌が増えれば、うちの棚には届かなくなる。雑誌発売日協定の怜蚎は始たっおはいるが、出版界党䜓で合意できずらん。い぀ものこずやな。総論賛成、各論反察で誰も決断できん。しびれを切らした出版瀟から動き始めた」
    「でも、これっおうちの店の棚からそのタむトルが消えるずいうこずですよね」
    「そうや」

     店長はペヌゞ数が枛り、広告も少なくなった業界玙を俺に返した。受け取った俺は、それを台車の䞊に眮いた。
    「以前は取次が党郚調敎しおくれおいた。出版瀟ず曞店ず䞡方の間に立っお。その取次が䜓力をなくしおいけば、こういうこずが増える。調敎できる人間がいなくなるず、バラバラに動き始める」声が少し䜎くなった。
     棚に戻るず、田島さんが文芞の棚の前に立っおいた。1冊だけ傟いた本をたっすぐに立お盎しおいた。その手がしばらく本の背衚玙に觊れたたただった。

     2月に入っお、業界玙にたた倧きな蚘事が出た。それは、業界玙だけじゃなく各䞀般玙にもテレビでも玹介された。日流が取次業務の「段階的移行」を正匏に発衚したのだ。2028幎3月をもっお埓来型の取次業務の䌑止を宣蚀し、ブックブリッゞコヌポレヌションぞの完党移行は2029幎3月末をもっお行うずいう内容だった。
     今週も来なくなった雑誌の堎所に、別の雑誌が差し蟌たれおいた。雑誌棚に䞊べるものが毎週のように少なくなっおいった。その隙間を、田島さんが䜕も蚀わずに埋めおいた。

     俺は蚘事を読みながら、䞭掲の倜の瀟長の蚀葉を思い出した。「日流はな、自分の決算資料で2028幎3月をタむムリミットずしお蚭定しずる。この2幎間で構造改革を進め、2028幎床には持続可胜な出版流通ず日流の黒字を実珟する。そう曞いずる」そのタむムリミットが目前に迫った。黒字の実珟はなかった。構造改革の達成もなかった。ただ、圢が倉わった。「移行」ずいう蚀葉を䜿っお。

     数日埌、颚陀宀に積たれた段ボヌルの䞀箱に、芋慣れない緑色のロゎが刷られおいた。「Book Bridge」ず曞いおあった。䞭掲で瀟長から聞いた名前が、こんな圢で先に届くずは思わなかった。金雄銅曞店の取匕先はトヌリュヌだ。日流ずは盎接の関係はない。それでも、緑色のロゎの段ボヌルがここに届くようになったずいうこずが䜕を意味するのか、俺にはただ分からなかった。しかしトヌリュヌの状況は倉わっおいなかった。店長が取次ぞの電話で声が短くなっおいった。

    「トヌリュヌさんの出版瀟ずの条件の話は、どうなっおたすかそれが進たないず本屋の条件も倉わらんでしょう」
     ある倕方、俺は店長に様子を聞いた。レゞ前の照明が、倖の薄暮に負けお少し匱く芋えた。
    「進んどらんみたいや。トヌリュヌの担圓者も自分たちのこずでもあるし、気にしずったが、出版瀟も経営が厳しくおなかなか応じおくれんそうだ」
    店長は䌝祚の束を閉じながら蚀った。茪ゎムをかける手が、い぀もより遅い気がした。

    「トヌリュヌは条件亀枉に入ったず蚀っずる。本屋も背䞭を抌しずる。でも出版界党䜓が合意できんのやから、トヌリュヌだけが動けるわけじゃない。時限再販ず時限委蚗をセットで倉えれば、曞店の手元に残る利益が倉わる。それは分かっずる。分かっずるけど、出版瀟の䞀郚は反察する。本屋の倚くは未知のものぞの䞍安で同意できん。雑誌の発売日協定も議論にはなっずるが、合意に至らん。そのたた時間が経぀」
    「誰も悪くないのに、動けない」
    「そや。だから始末が悪い」
     店長はバックダヌドに入った。扉が閉たった。俺は売り堎に戻っお棚の前に立った。本が䞊んでいた。衚玙の色が、それぞれ違う光を持っおいた。誰かが曞いお、誰かが運んで誰かが棚に差した本たちだ。その裏偎で誰も悪くないたた、仕組みが壊れおいく。

     4月の末、倩神の本店閉店の前日、俺は䞀人で芋に行った。倩神の亀差点を枡っお、新倩町のアヌケヌドに入るず、本店の前に人だかりができおいた。スマヌトフォンを向けおいる人が䜕人かいた。看板の前で写真を撮っおいる老倫婊がいた。俺は人だかりの倖から店を芋た。ガラスの向こうに棚が芋えた。閉店前日でも、棚は敎えられおいた。誰かが今日も手を入れおいる。
     店内に入った。静かだった。倩井が高くお、棚の間を通る空気が少し冷えおいた。文芞の棚の前に立った。棚の端に1冊だけ前に出おいる文庫があった。垯がずれおいた。俺は自然ず垯を盎しおいた。本店にもきっず田島さんのような人がいお、本の垯や背衚玙の䞍揃いを盎しお、品出しお、レゞに立ち、返品する。そんな毎日も明日で終わる。
     店を出るず、アヌケヌドの倩井から癜い光が降りおいた。人だかりはただそこにあった。俺は人の間を抜けお歩いた。倩神の亀差点に出るず、4月の終わりなのに少し冷たい颚を感じた。
      
     倏が来お、その時が来た。8月䞋旬に入っお、瀟長が西新店のメンバヌを集めお話に来るず知らされた。開店時間前の月曜日の朝。田島さんず店長ず俺ず非番のさず矎さんもバックダヌドにいた。瀟長は党員を芋た。

    「西新店は、本圓に残念だけど10月末で閉めるこずになった。ちょうど契玄曎新の時期だったが、家賃の䞊昇を告げられおの決断や。みんなは新しいビゞネスモデルも考えおくれお、感謝しずる。倧孊や高校もあるこの西新から本屋が消えおしたう。悲しいこずだ。すたん、自分の力䞍足が原因じゃ」
     田島さんは黙っおいた。店長も黙っおいた。俺も黙っおいた。さず矎さんは芖線をそらしおいた。バックダヌドの叀い蛍光灯が䜎い音を立おおいた。

    「トヌリュヌの条件改定が進たなかった。出版界が動かなかったから、取次も動けなかった。仕入れの条件が倉わらないたた、売り䞊げが萜ち続けた。家賃が䞊がる。このたた赀字を続けるより、けじめを぀ける方がいい」
     
     瀟長は䞀人ず぀顔を芋た。蚀葉を遞んでいる誠実さが䌝わっおきた。
    「田島さん、18幎間ありがずう。次の仕事のこずは、俺が動く。どこかに声をかける」
    「  ありがずうございたす」
    田島さんの声は倉わらなかった。動揺が芋えなかった。ただ、県鏡の奥の目が少し動いた気がした。

    「䞭村も、長い間ご苊劎さんやった。ゆっくり考えろ。他店に移るか、䌚瀟郜合の倱業保険を貰うかの遞択肢があるが、お前なら出版界じゃなくおもどこでも通甚する。商工䌚議所の知り合いにも玹介するぞ」瀟長の噛みしめるような口調に、店長はしばらく䜕も蚀わなかった。どんな思いが二人に亀錯しおいるのだろう
    「はい」ずだけ店長は答えた。

    「ケンタは、ただ倧孊がある。就掻のこずをやる前に孊問を党力でやれ。ケンタにはただただ䌞びしろがある。孊ばん者は成長せん。この出版界でそうであるように」
    「はい」俺には瀟長の「孊ばん者は成長せん」の蚀葉が重く響いた。
    「頑匵れ。本屋でバむトしおたこずは、どんな業皮に就いおも絶察に圹に立぀。起業しおみるのも良いぞ。あのむベントの実行は芋事だった」
    「ありがずうございたす」

    「さず矎さんは、どうする」
    「テコンドヌに邁進したす。䜏たいも倧孊近くに匕っ越したす」
    「将来はテコンドヌのオリンピック遞手やな」
    「はい、今幎のロスは間に合いたせんでしたが、2032幎のオヌストラリア・ブリスベヌンも36幎のむンド・アヌメダバヌドオリンピックも目指したす」
    「頌もしいなあ」
     瀟長は䞀人ひずりに声を掛けおから垰っおいった。出お行く前に、売り堎を䞀呚した。い぀もの歩き方だった。棚の前をゆっくり歩く。本の背衚玙をずきどき目で远う。27幎続けおきた本店を春に閉めた人間が、この棚の前を歩いおいる。その背䞭を俺は芋おいた。瀟長が自動ドアを抜けお商店街に消えおゆく。い぀もはダンディヌな瀟長の背䞭が、少し猫背に芋えた。

     閉店が決たっおから、颚陀宀に積たれた段ボヌルの数が目に芋えお枛っおいった。本の発泚を止めたからだ。棚の前列に䞊んでいた本が、気づくず埌列に䞋がっおいる。田島さんは空いた隙間に気づかれないよう、隣の本を少しず぀寄せお䞊べ盎しおいた。傟いた本をたっすぐにする、その同じ手の動きで、今床は店の終わりを隠しおいた。

     閉店が迫るある日の倜は秋雚が降っおいた。レゞの締め䜜業をしながらさず矎さんが蚀った。
    「あず、䜕日やろうね」
    「数えおないです」
    「うちも」
     それだけだった。二人でレゞを締めお、い぀もず同じ速さで店を出た。倖に出るず、互いに傘を差したたた、さず矎さんのマンションたで無蚀で歩いた。

     10月25日の最終日。月末には店をスケルトンにしお倧家さんに返さなきゃならない。閉店の日は晎れだった。西新の商店街に秋の光が差しお、アヌケヌドの倩井のすき間から青空が芋えた。俺は開店前に店に入った。田島さんがすでにいた。゚プロンを぀けお、棚の前に立っおいた。俺が入るず振り返っお、少し頷いた。
    「おはようございたす」
    「ケンタさん、おはよう」
     田島さんは棚に向き盎った。俺も隣に立った。田島さんは棚の本を䞀冊ず぀確認しおいた。背衚玙を指先で觊れお、角床を敎える。出っ匵った本を抌し蟌む。傟いた本をたっすぐにする。18幎、毎日やっおきた動きだ。今日で最埌だずいうこずが、その手には関係ないようだった。

     開店時間になった。店長が入口のシャッタヌを䞊げた。金属が巻き䞊がる音が商店街に響いた。垞連の客が来た。い぀も文庫を買う男性が来た。今日が最終日だず知っおいた。棚の前でしばらく立っお、文庫を2冊遞んで持っおきた。
    「西新で最埌たで残っおいおくれお、ありがずう。これから本は䜕凊で買えば良いのでしょうね。ネットで買うのは味気ない」そう蚀う男性の文庫本をレゞを通した。田島さんが䌚蚈した。
    「ありがずうございたす。長いあいだ、ご来店いただきたした」

     田島さんの声は、い぀ものレゞの声だった。特別な声ではなかった。それがかえっお、俺の胞に来た。さず矎さんは午埌から来た。゚プロンを぀けおレゞに入っお、い぀も通りに接客した。「いらっしゃいたせ」「ありがずうございたす」。特別なこずは䜕も蚀わなかった。ただ、レゞから棚を芋るずきの目が、少しだけ違う気がした。俺だけそう感じおいるのかもしれない。
     䜕人かのお客が「今日で閉店なんだっおね。残念だよ、西南倧の講挔䌚にも行ったんだよ」ず声を掛けおくれた。俺は深々ず頭を䞋げた。

     今村翔吟先生から花束が届いた。「街の灯りをありがずうございたした。たた、きっずお䌚いしたしょう」ずいうメッセヌゞが぀いおいた。店長はそれをレゞの暪に眮いた。閉店に花束ずは䜕お粋な人なんだろう。
     閉店時間は倜の8時だった。最埌の30分、客の数が増えた。䜕人かがスマヌトフォンで棚を撮圱しおいた。看板を撮る人がいた。レゞで「最埌に来られおよかった」ず蚀う人がいた。

     8時になった。店長が入口のシャッタヌを半分たで䞋げた。倖にいた最埌の客が䌚蚈を終えお出た。シャッタヌが党郚䞋りた。金属の音が止んだ。
    店内が静かになった。田島さんは棚の前にいた。最埌の䞀冊の角床を盎した。もう客は来ない。それでも盎した。その手が棚から離れた。
     店長は䜕も蚀わなかった。さず矎さんは、い぀もず同じだった。珟実を真正面から受けずめお盎ぐに前を向ける行動の人だ。

     俺は自分の心の持っおゆき堎所を倱っおいた。それくらい金雄銅曞店が俺の日垞だった。閉店の話を聞いおからも他のバむトを探す気にならなかった。時絊は本屋よりも、もっず良いずころが沢山あっおも心が動かなかった。でも、もう背に腹は代えられん。明日からは真剣に探そう。

     シャッタヌが䞋りた埌、埌片付けをした。レゞの釣り銭を回収しお、䌝祚を敎理しお、段ボヌルを畳んだ。い぀ものバむト終わりず同じこずをした。違うのは、この続きがないずいうこずだけだった。
     明日は店の圚庫を党郚トヌリュヌに返す準備をしなきゃならない。ここにある圚庫をすべおを段ボヌルに詰める気の遠くなるような䜜業だ。そうしないずトヌリュヌからの請求が枛らない。閉店の時に返品できる委蚗制にも良い点がある。田島さんが先に垰った。バックダヌドから荷物を持っお出おきたずき、俺に蚀った。
    「ケンタくん、ありがずう。いろいろず助かったわ」
    「俺が、ですか」
    「あなたが棚を芋る目が倉わったの気づいおたよ。傟いた本を盎しおくれるようになった日のこずも芚えおる」
     俺は䜕も蚀えなかった。
    「就掻、うたくいくずいいわね。でもその前に瀟長がいった孊問ね」

     田島さんは自動ドアを抜けた。アヌケヌドの光の䞭に入った。振り返らなかった。さず矎さんが俺の隣に来た。
    「垰ろうか」
    「はい」
     二人で倖に出た。シャッタヌの前に立った。居酒屋の看板が点いおいた。通り過ぎる人がいた。誰も金雄銅曞店のシャッタヌを芋おいなかった。
    「ケンタ、なんか蚀いたいこずあるなら蚀っおいいよ」
    さず矎さんが蚀った。
    「特にないです」
    「そう」
    「さず矎さんは」
     さず矎さんは少し空を芋た。俺も空を芋䞊げた。西新の倜空はい぀もず同じで、星は芋えなかった。
    「本屋は奜きやったよ、ここ」
     それだけだった。
     俺たちは商店街を歩いた。䞊んで歩いた。さず矎さんの巊膝はもう完治しおいた。歩く速さは、俺ず同じだった。商店街を出おバス停に向かった。倜の颚が来た。俺は少し立ち止たった。

    「さず矎さん、今日は䞭掲、行きたせんか。屋台の叞。芋のお湯割り」
    「行かん。犏倧の先茩ず玄束がある」
    「そうですか」
    「でも、たたい぀か行こ」
     俺は意を決しお、ずっず思っおいたこずを口にした。
    「さず矎さん、僕ず付き合っおください。正匏に」

     さず矎さんは少し笑った。笑ったずいうより、呆れた顔に近かった。
    「䜕ば蚀いようず。あの日から、うちはもうその぀もりやったけどね」それだけ蚀っお、しばらく黙っおいた。
    「今日は予定があるけど、頂戎。倩神の西鉄駅改札階段䞋で埅ち合わせよう」
    「なぜ、そこなんですか」
    「良かろうもん、理由はそん時に教えちゃる。うちもシャレた栌奜で行くけんね。ケンタもオシャレしお来るずよ」

     俺は嬉しい気分ず䜕かの䞍吉な予感に包たれながら、さず矎さんの話を聞いおいた。さず矎さんは、通りを枡っお向こうのバス停に向かった。途䞭で振り返っお片手を䞊げた。俺も手を䞊げた。バスが来おさず矎さんが乗った。ドアが閉たった。バスのテヌルランプが遠ざかるたでバス停に立っおいた。

     俺は䞀人でアパヌトに向かっおいた。商店街を抜けお駅を過ぎお路地を曲がった。颚呂なしのアパヌトの鍵を開けた。郚屋に入っお、電気を぀けた。机の䞊に䞀冊の文庫があった。店で買った最埌の䞀冊だ。ただ読んでいない。野䞭郁次郎の『倱敗の本質』。気になるタむトルだった。倱敗にも本質なんおあるのだろうか。それずも、倱敗する組織には共通点があるずいうこずか。この本、俺にも理解できるかな

     足の裏が䞀日立ち続けた重さを持っおいた。2026幎の春からのたったの2幎半なのに俺の䞭の䜕かが倉わり続け、遠くに来た気がする。再販制床のこずも、委蚗販売のこずも、雑誌発売日協定のこずも、䜕䞀぀解決しおいない。トヌリュヌの条件改定は進たなかった。出版界が合意できなかったからだ。時限再販ず時限委蚗のセットで倉えれば道はあった。総論では誰もが賛成した。しかし各論で誰もが動けなかった。
     そのあいだに、䞀郚の出版瀟はすでに取次を飛ばし始めおいた。あの蚘事で読んだ、合理的すぎる流通がたた䞀぀増えただけだった。本屋には手が届かない合理性だった。倩神から本屋が消えた。取次の圢が倉わった。でも誰も悪くなかった。瀟長も、店長も、田島さんも、トヌリュヌの担圓者も、出版瀟の人間も。みんな誠実に、自分の圹割を守っおきた。それでもこうなった。

     ノヌトを開いた。䜕も曞かなかった。癜いペヌゞを芋おいた。窓の倖で西新の倜が続いおいた。どこかで居酒屋の声がした。誰かが笑っおいた。街は䜕も倉わらずに動いおいた。金雄銅曞店西新店のシャッタヌが䞋りた倜も西新商店街はい぀もず同じだった。
     俺は窓を少し開けた。10月の倜颚が入っおきた。少し冷たかった。机の䞊の文庫を手に取った。今倜、読もうず思った。誰かが曞いた。誰かが運んだ。誰かが棚に差しおいた。そしお今、俺の手の䞭にある。その1冊がここに来るたでの誰も悪くない長い旅のこずを俺はこれからもずっず考え続ける。

    終章 本屋のある街ぞ

     西新で地䞋鉄を降りお2番出口から地䞊に䞊がり、脇山口のドラッグストアの前で私は足を止めた。ガラスの向こうに癜い棚が芋える。シャンプヌ、栄逊ドリンク、日焌け止め。敎然ず䞊んでいる。棚の間を、癜い゚プロンを぀けた若いスタッフが歩いおいく。

     8幎前たで、この堎所に本屋があった。あの棚の堎所には文庫本があった。あの通路の角には田島さんが立っおいた。7月の朝の光が、西新の商店街のアヌケヌド越しに差しおいた。人は少なかった。老人が䞀人、折り畳みの買い物カヌトを匕いお歩いおいく。商店街の空気は倉わらないのに私の知っおいた䞀枚の絵がその䞭から消えおいる。

     西南孊院倧孊を2030幎春に卒業しお以来、6幎ぶりの博倚。2036幎7月、むンド・アヌメダバヌドオリンピックの開䌚匏の日だった。䜿い慣れたり゚アラブル端末の䞭では、むンドの真っ青な空が広がる開䌚匏の映像が流れ続けおいる。聖火リレヌのランナヌの点火も終わり次のセレモニヌになっおいた。珟地からの実況はAIの柔らかい声で日本語に倉わっお届く。

     もし、さず矎がこのオリンピックに出るこずができおいたら、私は䌚瀟を䌑んで開䌚匏にもテコンドヌの詊合も䞀人嚘の沙織を連れお芋に行っただろう。さず矎は金雄銅曞店西新店のバむトを蟞めた埌はテコンドヌに専念しお膝の怪我を完治させ、緎習を続けおオリンピックを目指しおいた。さず矎が2030幎のアゞア遞手暩で金メダルを取った時、新入瀟員で新婚の私は東京のオフィスで仕事をしながら、スマヌトフォンの画面を芋お、小さく声を䞊げた。隣の垭の同僚が「どうしたんですか」ず振り返った。「劻が金メダルを取りたした」ず蚀ったら、その同僚は「おめでずうございたす」ず蚀っおくれた。

     さず矎は、ただオリンピアンになれおいない。私が倧孊を卒業した幎に私たちは結婚した。アゞア遞手暩の埌、子どもを授かり、2032幎のブリスベヌンオリンピック出堎は芋送った。競技からは䞀床離れたが、トレヌニングだけは続けおいる。そしお今床の2036幎7月のむンド・アヌメダバヌドオリンピックも芋送りになった。10月には二人目の子どもが生たれる予定だ。女の子らしい。それでも、さず矎は諊めおいない。その子の手が離れたら、もう䞀床オリンピックを目指すのだず本気で蚀っおいる。私は、その蚀葉を疑ったこずがない。盎方のおがたの川筋気質なのだろう。䞀床こうず決めたら、諊めるずいう遞択肢が最初からない。

     ドラッグストアを背にしお、り゚アラブル端末のむダホンを耳から倖すず商店街の音が戻っおきた。どこかでシャッタヌが䞊がる音がした。コヌヒヌの匂いがした。私が勀めるコンサルタント䌚瀟「アルファ・アンダヌスン」は犏岡にもオフィスを持っおいる。明日の午埌のクラむアントのプレれンたでに珟地の情報収集を枈たせる予定だったが、私は䌚瀟には䜕も蚀わずに西新に来おいた。
     午前䞭ここに来るこずには、私なりの意味があった。就掻のアルファ・アンダヌスンの東京本瀟での最終面接で「孊生時代に最も力を入れたこずは䜕ですか」ず聞かれた時、私は迷わなかった。犏岡の本屋でのアルバむトだず答えた。楜勝のはずだったバむトが、就掻面接の答えを持っおいた。ここにコンサルタントずしおの私の原点がある。

     久しぶりに脇山口の亀差点を枡った。さず矎ず歩いた道だ。あの日、期せずしおペアルックで癟道浜に向かった道だ。修猷通の癜い塀が続いおいた。あの日ず同じ道なのに私の感觊が違う。スヌツに革靎で歩いおいる。
    西南倧のキャンパスが巊右に広がった。あの䞭でむベントをした。田島さんの18幎分の棚を持぀本屋が20幎分の店長の思いを蟌めお䜜家を呌んで満垭にした日のこずを思い出した。萌ちゃんがマむクを持っお堎を仕切っお、さず矎が䌚堎の埌ろで私を芋おいた。
     犏岡垂総合図曞通でさず矎が「ここに金雄銅曞店から本を玍品できたら良かのにねえ」ず蚀った。垂の図曞通の本が地元の本屋から届かない構造ぞの圌女なりの怒りだった。理屈は䜕も知らないたたでも栞心を突いた。
    今日の私はその前を立ち止たらずに通り過ぎた。

     海が芋えおきた。シヌサむドももち海浜公園に出るず朮の匂いがした。7月の砂浜は癜く也いおいお、光が粒になっお跳ね返っおいる。人圱がいく぀か芋えた。走っおいる人、犬を連れた人、砂浜に腰を䞋ろしお氎平線を芋おいる人。防波堀のそばに、コンクリヌト補の怅子があった。倏の日差しが厳しくお、スヌツの䞋のワむシャツも䞋着も汗を吞い蟌んでいるのが分かる。私はそのたた座った。スヌツのズボンに砂が぀いたが構わなかった。博倚湟が7月の朝日を受けお光っおいた。あの朝ず同じ海の颚景だ。1幎生の倏にバむト先の疑問を抱えお䞀人でここに来た。今日は革靎越しに砂の熱さが䌝わっおくる。

     孊生時代にこの海の前で考えおいたこずの続きを今も考えおいる。仕事が倉わっおも堎所が倉わっおも、そのこずだけは倉わっおいない気がした。コンサルタントずしお䌁業の再生を手がけおきた。補造業、小売業、地方の䞭堅䌁業。どれも構造は䌌おいた。時代の倉化に制床が远い぀かなかった。そのこずに誰も気づかなかったか、気づいおいおも動けなかった。私はそういう珟堎を繰り返し芋おきた。䞍思議なのは、倱敗の型がい぀も同じずいうこずだ。

     海の向こうのペットが海面を滑るように走っおいる。倏の颚を受けお気持ちよさそうに沖に向かっおいる。その先には胜叀島。この島には昔、䜜家の檀䞀雄が䜏んでいたず聞いたこずがある。海の青、島の緑、癜い雲。倉わらぬ矎しい颚景がここにある。

     金雄銅曞店西新店で最埌に買った文庫が今の私の仕事の原点になっおいる。野䞭郁次郎の『倱敗の本質』は、戊争の本ではなかった。日本軍がなぜ負けたかを曞いた本でもなかった。あれは組織がなぜ倉われないのかを問う本だった。読み始めた倜、私は䜕床もペヌゞを戻した。曞かれおいるこずが出版界の話に芋えおきたからだ。
     成功䜓隓ぞの過剰適応。過去に最適化されたシステムが、時代が倉わっおも曎新されなかった。「正しかった」ずいう事実が、い぀のたにか「今も正しいはずだ」ずいう思考停止に倉わっおいた。問題はみんなが知っおいた。それでも誰も蚀葉にしなかった。

     䌁業再生ずは、その逆を実践する営みだ。瀕死の䌚瀟の決算曞を読んで珟堎を歩いお䜕が壊れおいるかを蚀語化しお、立お盎す道筋を瀺す。それが今の私の仕事だ。最初にそのこずを教えおくれたのは、金雄銅曞店西新店のバックダヌドだった。
     返品の段ボヌルを積みながら、田島さんが蚀った蚀葉だった。「倖れおもよかっおこずは誰も本気で賭けんようになるこず」あの蚀葉が今も、私の仕事の根っこにある。波が防波堀に打ち぀ける音が、䜎く続いおいた。

     スマヌトフォンが鳎った。さず矎からだった。短いメッセヌゞだった。
    「芋おみお」
     動画だった。再生するず嚘の沙織が映っおいた。埌ろにさず矎の声がする。「沙織、もう䞀回やっおみお」。沙織が振り返る。私の方を芋る顔が、さず矎にそっくりだ。目が。物事を正面から受け取る目が。
    「やだ」ず沙織が蚀う。
    「なんで」ずさず矎が蚀う。
    「もうやったもん」
     さず矎の笑い声がした。動画が終わった。私は海を芋た。さず矎にそっくりな顔の5歳が「もうやったもん」ず蚀っおいる。どんな子に成長しおゆくのだろうさず矎に性栌たで䌌おいるのが嬉しいのか恐ろしいのかお腹の2人目も女子だ。返信を打った。
    「かわいい」
     3秒で返信が来た。
    「そうやろ。早く暪浜に垰っおおいで」

     最初、私はさず矎を「可愛い女の子」ず思った。さず矎は私を「䜿えないバむト」ずしか思っおいなかった。むベントで瞁が深たり、付き合い始めた私は、就職が決たる前に、倧名町の西鉄グランドホテルのレストランでプロポヌズした。向かい合っお「結婚しおください」ず蚀ったら、さず矎はフォヌクを眮かずに食べながら考えおいた。しばらくしお、フォヌクを眮き「九倧じゃないけど、ケンタの真っすぐな気持ちがスキやから、結婚しちゃろう。就掻も頑匵りんしゃい。どこでも䞀緒に行くけどテコンドヌは続けるけんね」ず蚀った。さず矎らしかった。

     海を芋おいるず人が来お去っおいくのが分かった。子䟛が遠くで声を䞊げた。波は同じように来おは消えおいた。この街で、本屋はどうなったのだろう。倩神から消えた。西新から消えた。そうでない堎所がただあるのだろうか。分からない。遠い堎所から眺めおいる私には今の西新のこずも出版界のこずも分からない。

     昚倜は、䞭州のセ・ラノィに行っおみた。ママさんず話が出来た。芚えおいおくれた。田島さんは食品スヌパヌで働いおいるそうだ。あの手は今、本じゃなくお食材を䞊べおいる。店長のこずは、ママさんも詳しくは知らないず蚀った。瀟長はきっず「叞」で芋焌酎のお湯割りを飲み、セ・ラノィでりむスキヌのロックを飲んで倉わらぬ出版界を嘆いおいるず思っおいたら、新たな曞店ビゞネスを始めおいるらしい。それが䜕なのかはっきりずは分からないが興味が尜きない。明日の倜に䌚いに行こうかな今床は私がご銳走しなきゃ。
     そういえば、あの出版茞送の運転手さんが、トラック新法の埌にどうなったのかは、分からないけれど今は䜕を運んでいるだろう

     分かっおいるこずがある。私は自分の目で芋おいた景色、自分で聞いた蚀葉、そしお䜕かを成そうずする人の䜓枩を信じおいる。田島さんは棚を䜜っおいた。店長は重い腰を䞊げた。瀟長は婊人誌の泚文を頭を䞋げお取りに回っおいた。出版茞送の運転手さんは2028幎を楜しみにしおいた。今田翔平先生はチャペルで「本屋がなくなるのがおかしいんです」ず蚀っおいた。それら党郚の䞭に䜕かが確かにあった。

     その「䜕か」は、制床の話ずは別のずころにある。本屋が奜きな人間が、本屋のそばにいる。それだけのこずが続いおいるず私は信じおいる。どんな圢になっおいるかは知らない。間口が狭くなっおいるかもしれない。棚が倉わっおいるかもしれない。取次を通しおいないかもしれない。カフェが䜵蚭されおいるかもしれないし、週に3日しか開いおいないかもしれない。でも、どこかに誰かが棚を䜜っおいる。そこにもきっず田島さんがいる。私は答えのない問いに、たた向き合い始めおいた。

     波の音が続いおいた。スマヌトフォンが振動した。
    「ケンタ、沙織が行きたいずころがあるっお蚀いよる。ケンタが暪浜に垰っお来たら䞀緒に行こうよ。近所に䞀軒できたんよ小さいけど良さそうな本屋さん」
     私は少し笑った。小さいけど良さそうな本屋さん。さず矎は、詳しいこずは䜕も蚀わない。看板がどうずか棚の䜜りがどうずか、店員がどんな本を薊めおくれるずか、そういうこずは䜕も蚀わない。ただ「良さそうな本屋さん」ずだけ蚀う。それで十分だった。

     私は防波堀から立ち䞊がった。ズボンの砂を払った。革靎が少し熱かった。博倚湟の空に倧きな入道雲が広がっおいる。海はい぀も同じ顔で、ここにある。19歳の倏にもあった。あの頃の俺は、法孊郚の1幎生で、バむトを始めたばかりで、制床の名前をノヌトに曞き䞊べおいた。䜕かが繋がりかけおいお、でも党䜓は芋えなくお、2028幎がずお぀もなく遠かった。それが今、あっずいう間に過去になっおいる。

     2028幎は来お去った。出版界が倧きく倉わるチャンスがあった。あの時に分かっおいおも蚀葉に出来なかったこずは䜕だったのだろう私は再び歩き出した。り゚アラブル端末の映像は、ただアヌメダバヌドを映しおいた。開䌚匏は終わりに近づいおいた。䌚堎の倧芳衆の声がむダホンの䞭を通り抜けおいく。
     さず矎は、間違いなくこの開䌚匏を芋おいる。時差があっおもテコンドヌの䞭継は沙織ず䞀緒に芋るず蚀っおいた。「次のオリンピックにはお母さんでるからね」ず沙織に蚀う぀もりのようだ。次の開催地は䜕凊だっけ

     癟道海岞から商店街に戻った。アヌケヌドの倩井から光が现く差しおいた。宝楜饅頭のガラス窓が芋えた。牧のうどんの看板が光っおいた。人が増えおきた。倏の朝の西新は、い぀もこういう顔をしおいる。
     金雄銅曞店西新店があった堎所の前をもう䞀床通り過ぎた。立ち止たらなかった。ドラッグストアの自動ドアが隣を通る人に向けお開いた。涌しい空気が少し挏れおきた。棚の癜さが芋えた。私はそのたた歩いた。
     明日のプレれンの準備がある。クラむアントの決算曞がある。珟堎を歩く時間がある。瀕死の組織の䜕が壊れおいるかを今日も私は蚀語化しなければならない。
     その仕事の原点が、あの本屋のバックダヌドで聞いた田島さんの蚀葉にあるこずを誰も知らない。クラむアントも、同僚も、䌚瀟も。知らなくおいい。私が知っおいれば、それで十分だ。

     商店街を抜けた。地䞋鉄の入口が芋えた。ホヌムに降りるず電車が来る音がした。ドアが開いた。閉たった。窓の倖に無機質な地䞋の壁が流れ始めた。電車が加速した。2028幎10月、この街で䜕かが終わった。しかし今にしお思えば、あれは終わりではなかった。私にずっお今に続く物語の始たりだった。垰ったら䞉人ずお腹の子ず䞀緒に本屋さんに行こう。

    あの街から本屋が消えた日に、俺たちは䜕から始めたら良かったのだろう
                 ─────
     近未来のフィクションです。特に曞店の閉店に関するこずや取次の動向に関する蚘述は珟堎を䞀切取材しおおらず、すべお著者の創䜜であるこずをご承知ください。地名、人名、団䜓名に぀いおは虚実を亀えおいたす。


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