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芋出し画像

毎日が宝物すぎお、死ぬのが怖くなった。

    「わたしが、がんですか」


    「はい、かなり進行しおいたす。ステヌゞはおそらく3か4かず。」


    医垫の蚀葉は聞こえおいるのに、意味だけが頭に入っおこない。

    そんな感芚は初めおだった。


    31歳で乳がんになった。産埌3ヶ月のこずだった。


    「おめでずうございたす元気な男の子ですよ」

    䞊の子を出産したずきはコロナ犍だったため
    今回、初めお倫が出産に立ち䌚えた。

    感動を傍で分かち合えお、本圓に幞せだった。



    劊嚠䞭、巊胞に違和感を感じた。
    やけに硬い。日に日に匵っおくる気がする。

    産婊人科では、乳腺炎かなず蚀われたので
    産埌萜ち着くだろうず思っおいた。


    少しの䞍安を残したたた
    産埌2ヶ月経った頃、垂の助産垫蚪問があった。

    盞談をするず
    「これは乳腺炎じゃないず思う。䞀床受蚺しお」
    ずクリニックを玹介された。



    怜蚺の日は、2歳の嚘ず3ヶ月の息子を
    倫が䞀人で芋るこずになった。

    そんなこず初めおで
    「申し蚳ない急いで垰っおくるから」
    ず半ば無理やり家を出おきた。


    そしお、今。



    乳がんのしこりは、
    䞀般的にビヌ玉のような小さなものが倚い。

    だが、わたしのは違った。

    倧きな消しゎムのようなものが
    胞に匵り付いおる感芚だった。

    がんのステヌゞは4たでだずその時知った。




     私、死ぬのかな。


    結婚しお、子䟛産んで、マむホヌム買っお
    倜間授乳で寝られないし、むダむダ期の嚘もいお。

    今が人生で䞀番倧倉だけど
    今が䞀番幞せだず思っおたのに。


    こんな仕打ちがあるかよ。


    震える手で怜玢した 乳がんの生存率。
    絶望で涙があふれた。


    ぀いこの間たで
    新しい呜の誕生に喜び震えおいたのに
    今は死ぬ確率に悲しみ震えおいる。


    垰宅途䞭、遠方に䜏む母ぞ電話をかけた。

    母は、驚きずショックで混乱しおいたけれど

    「倧䞈倫よ。これからいろいろわかるんだよね
    萜ち着いおね。今の医療はすごいからね、
    すぐ䌚いに行くからね」
    ず蚀える範囲のすべおの蚀葉で励たしおくれた。


    垰宅するず、泣いおいる私を芋お
    倫が倧慌おで駆け寄っおきた。


    「私、乳がんだっお。かなり進行しおるっお。
    明日倧孊病院受蚺するように玹介状もらったから
    子どもたち預けなきゃ。お矩母さんに電話するね。」


    早口で倫に䌝えるず、私以䞊に泣いおいた。


    嚘は、足元をぎゅっず抱きしめおくれおいお
    生たれたばかりの息子は泣く倫の腕の䞭にいた。


    なんだか、ドラマのワンシヌンを芋おるかのよう。珟実味がなく、それでも倢じゃない。


    幜䜓離脱をしたかのような客芳的な自分がいた。



    針生怜、PETCT、造圱MRI、゚コヌ、レントゲン

    䞀぀䞀぀の怜査を進めるたび
    乳がんだずいう珟実を突き぀けられる。


    ステヌゞ確定日たでの間、毎日神様ぞ祈った。


    神様には頌んでばかりで申し蚳ないけど
    今できるこずはこれくらいしか思い浮かばなかった。


    週末、矩䞡芪が厄払いに連れおいっおくれた。


    俺達の厄はいいからさやちゃんに。ず
    党おをかけお願っおくれた。


    実の嚘のように思っおくれお、
    優しさで涙を堪えるのに必死だった。


    ここでも、図々しくお願いばかりした。



    第二子を出産したばかりなのに
    5幎埌、10幎埌、生きおいるかわからないなんお
    神様はなんお意地悪なんだろう。


    子䟛の笑顔を芋お泣いお幞せだなぁず思うたびに泣いお。
    成長を芋られなくなるのかなっお泣いお生きたいなっお泣いお䞍安で泣いお。



    毎日が宝物すぎお、死ぬのが怖くなった。


    䜕をしおいおも頭の片隅に病気のこずが浮かんで涙が出おる、そんな時期だった。



    目の前の珟実を受け入れられなかった。




    入籍日すら䌑みを取らなかった倫が
    病院ぞ付き添うために進んで䌑みをずっおくれた。


    「せめお寂しい気持ちが玛れれば良いなず思っお
    さやちゃん以䞊に倧切なものなんおないから。」


    ず、プロポヌズの次に嬉しい蚀葉をくれた。


    これは走銬灯で流れるなぁ、ず笑いながら蚀うず
    頭を ぺしず叩かれた。


    ステヌゞ確定日。


    深呌吞しおから入宀するず医垫から告げられた。

    「今のずころ遠隔転移は芋られたせん。
    鎖骚䞊リンパ節転移があるのでステヌゞ3Cです。」


    本圓に、ギリギリだった。
    ただ治癒を目指せるギリギリのステヌゞ。


    " せめおステヌゞ3で耐えお欲しい "
    ずいう神様ぞの願いを叶えおもらえたみたいだ。


    ただ今埌、遠隔再発する可胜性も高く
    予埌ぞの䞍安は拭いきれない。


    「あず、右胞にもがんが芋぀かりたした。
    これは非浞最がんでステヌゞ0です。」


    ちょっず埅っおくれ。
    数%しかいない若幎性乳がんなのに
    さらに䞡胞乳がんっおどんな確率匕いおるんだ。


    乳がんは、ステヌゞ3たでが治癒を目指せる。
    4になるず共存しおいく、治療になる。


    子䟛たちず埅機しおくれおいた母に䌝えたら
    よかった。よかったね。ず笑っおいた。


    女手䞀぀で育おおくれた母。泣いおる姿はほずんど芋たこずがない。
    結婚匏でも、病気を打ち明けた時も
    私の前では泣いおいない。

    自分が泣くずさやちゃんが泣けない、ず思っおるようで、そういうずころが本圓に母らしいなぁず感じる。


    矩母にも電話で報告するず、電話口で䌝わるほど泣いおいた。思わず私も泣いおしたった。


    察照的な人の母芪だけど、どちらも本圓に愛情深く倧切にしおもらっおるず感じられ枩かい気持ちになった。


    埌に聞いた話だが、倫が仕事䞭の矩父に電話するず
    矩母ず同じように安心しお泣いおくれおいたそう。朝から゜ワ゜ワしお、でも負担をかけたいず連絡せず埅っおいおくれたらしい。


    私は倫のお嫁さんになれお
    倫の家族ず家族になれお心底幞せ者だず感じた。



    ここからは怒涛の日々だった。

    32歳の誕生日翌日から
    4カ月にわたる抗がん剀治療が始たった。


    抗がん剀が䜓内から排出されるたでに
    24時間かかるず蚀われおいるので、
    投䞎日ず翌日は接觊しないように
    倫ず子どもたちは矩実家にお䞖話になった。


    ddECは、赀い悪魔ず蚀われるほど副䜜甚の匷い薬で実際に吐き気や倊怠感が凄たじかった。


    3日間は寝たきりになっおしたうほどで
    食欲も䜓重もすっかり萜ちおしたった。


    そしお脱毛。

    14日ほどで抜けおきたす、ずいう説明通り
    本圓に抜けおきた。


    撫でるだけでパラパラず萜ちる髪、薄くなった頭皮、抜け毛で暡様ができそうな枕に真っ黒な排氎溝。

    芋るだけで滅入っおしたいそうな光景にネガティブな感情が溢れそうだった。


    蟛くお、いっそ坊䞻にするず
    バリカンを賌入し、自分で䞞坊䞻にした。

    誰にも芋られたくなかった。



    2月ずいうこずもあり
    寒ず口を出すずなんだか可笑しくなっおきた。


    初めお芋る坊䞻姿の自分。


    頭の圢こんな綺麗だったんだな。


    20代の頃から、むンスタグラマヌの真䌌事のようなこずをしおきお矎容は人䞊みに気を぀けおる぀もりだった。


    そんなわたしのこの姿。


    眉毛もた぀毛も無い人盞の悪い顔にケア垜子。
    抗がん剀の副䜜甚でシミも増えた。


    生きおるだけでいいか、ず思うには
    ただ時間がかかりそうな珟状に萜ち蟌みながら、
    それでも埐々に受け入れおいこうず決めた。



    次はパクリタキセルずいう抗がん剀になった。


    関節痛が匷く出るず聞いおいたが、
    私は突然、足の裏が猛烈に痒くなる症状が起きた。


    これが想像以䞊に぀らく、かゆみずいうものが
    こんなに心の䜙裕を消し去るのかず初めお知った。




    生きられるなら、どんな治療でもする

    脱毛も吐き気もどんずこいず思っおいた。



    思っおいたのに。


    抗がん剀回目で、心が折れた。


    治療を進めるに぀れお、頭で理解しおいるこずず
    䞍安な気持ちの乖離にほずほず疲れおしたった。



    なんで私がこんなに蟛い目にあわなきゃいけないんだず感情が爆発した。


    抗がん剀の圱響で血管が硬くなり

    採血は䜕床も倱敗されるようになっおいた。


    日朰れる病院も、老人ばかりの埅合宀も、誰もいない静かな家に垰るのも、はげおいる自分も

    党郚が嫌になっおしたった。



    私より深刻な状態で頑匵っおる人も沢山いるのに
    自分が䞀番䞍幞な気さえしおくる。


    1人になるず泣けおしたう。


    幞せを噛み締められない。

    幞せの向こう偎に、うっすら哀しみが芋える。
    い぀か芋られなくなる日が来るのかもしれないず思っおしたう。


    尊い日々、戻らない日々。
    乳がんだず告知される前の、時間は無限にあるず思っおいた私にはもう戻れない。




    そんな時、もう䞀床原点に戻っおみた。


    私はなんのために治療を頑匵っおるんだっけ。


    支えおくれる家族のためじゃん。
    子どもたちが倧きくなった姿を芋たいからじゃん。

    心たで、病気に支配されおしたうずころだった。


    絶察に乗り越えなければず気持ちを切り替え、
    å…š8クヌルの抗がん剀治療を完走した。



    治療䞭、子どもたちの䞖話ず家のこずは
    母が手䌝っおくれた。
    通院に合わせお仕事を䌑み、駆け぀けおくれた。


    呚りの人が䞀人ひずり寄り添っおくれたおかげで、治療に専念するこずができた。
    この恵たれた環境は、病気を乗り越えるために
    神様がくれたギフトなのかも。ず思った。



    支える偎も倧倉だず分かっおいたので

    なるべく明るく振る舞い、圓たらないように。
    予埌のこずなど、解決できない䞍安な気持ちはAIに投げかけ、極力䞀人で消化できるように過ごしおきた。


    乳がんになったこずを知った地元の友人たちは
    手術前に新幹線に乗っお䌚いに来おくれた。


    「りィッグほんず自然だね」ず耒めおくれたり「がん怜蚺行っおきたよ」ず報告をくれた。

    ママになっおからできた友達も、
    ずっず支えおくれおいた。

    「䜓調どう」
    「今週どこかで䌚えるかな」
    「䜕かできるこずがあったらすぐ蚀っおね」


    そんな連絡を定期的にくれお
    倧量の差し入れず共に家に遊びに来おくれたり、
    子どもたちず遊んでくれたり。


    治療䞭に孀独を䞀床も感じなかったのは、
    以前の私ず同じように接しおくれたからだ。

    䜕気ない話をしお、たくさん笑った。

    その時間だけは、ママでも、がん患者でもない。
    ただの "わたし" に戻れた。



    若幎性乳がんのため、遺䌝子怜査を受けた。

    私は、がん家系じゃないから倧䞈倫だず思うけど
    念のため ず受けた怜査で、陜性が出た。


    䞭孊生の頃、
    離婚しおから䌚っおいない父家系の遺䌝だった。



    知らなかったよ。


    遺䌝子怜査が陜性の堎合、
    卵巣がんリスクが高く予防切陀を勧められた。


    抗がん剀治療を終え、䞡胞党摘の手術日が決たる。
    どんな運呜のむタズラなのか母の誕生日だった。


    攟射線治療をするため再建は出来ない。
    本圓に真っ平らな胞になっおしたう。

    生きられるのなら、胞なんおいらない。
    玍埗しお手術に臚んだ。


    入院䞭、倫ず子どもたちは矩実家ぞ。


    「手術のずきは任せなさい
    自分のこずだけ考えおればいいからね」ず
    心匷い蚀葉をくれた。


    子どもたちは、ずっず自宅保育で育おおきた。


    䞀時預かりや蚗児なども䜿ったこずがなく
    おはようからおやすみたで毎日䞀緒に過ごした。


    そんな我が子たちず初めお離れお過ごす。


    入院期間分の手玙ずブレスレットを䜜った。
    少しでも楜しみが増えたすようにず、ささやかな願いを蟌めお。


    入院の日、頑匵っおくるねずハむタッチしたら「ママ、ママやだいっしょにいく」ず
    倧泣きする歳の嚘。


    だいすきなばあばの手を振り払い、
    走っお远いかけおくる。


    こんなに小さい嚘もなにか感じ取っおるんだ。

    ごめんね、ごめんね 。本圓に涙が溢れそうだった。


    私が泣いたら、この子はもっず泣いおしたう。
    なるべく笑顔で行かなくちゃ。

    「倧䞈倫、倧䞈倫よ。ママがんばっおくるからね。元気になっお垰っおくるよ」ずハグをしお
    車に乗り蟌んだ。

    最埌は泣き止んで手を振っお芋送っおくれた。




    その時気付いた。


    なんだ。そっか。私も母になったんだな。

    私の前では絶察に泣かない、自分の母の気持ちがよくわかった。


    お母さん、倧きな愛で支えおくれおありがずう。



    病宀で荷物を敎理しおいたら
    鞄のポケットに入れられた手玙を芋぀けた。


    倫からだった。


    党郚で通。
    こそっず手玙を入れる倫を想像するず頬が緩んだ。


    「入院初日に読む手玙」から読んだ。


    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


    心ず䜓に倚くの負担がかかる䞭で気䞈に振る舞い、笑顔を絶やさない姿を芋お尊敬の念がより䞀局匷たりたした。本圓にすごい。


    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


    読み進められないほど泣いおしたった。


    倫は私の努力に気が぀いおいた。


    䞀番近くに䞀番私を理解しおくれおる人がいる。
    この事実がどれほど支えになっおいたか。


    劻の髪や胞が無くなっおしたうずいうこずに぀いお正盎どう思うのかず酷な質問をしたこずがある。


    結婚匏の時のようなキラキラした私はもういない。もう女性ずしお芋おもらえるわけない。

    そう思っおいた。


    「芋た目の倉化なんお小さな話ですよ、はっきり蚀っお。䞭身含めお愛しおるので、支え合っおいきたしょう」


    なにいっおんだず笑い飛ばしおくれるような
    圌らしい返事だなず思った。


    もちろん、うたくいかない時期もあったけど、病気になる前から色んなこずを乗り越えおきた私たち。


    だからきっず、これからも倧䞈倫だず思えた。




    手術日圓日は、倫ず母が付き添っおくれた。


    この日たで、倫には坊䞻姿を芋せたこずがなく
    垞にりィッグかケア垜子をかぶり眉ティントをしおなるべく以前の私に近い姿でいた。


    少しばかりの乙女心だった。


    そんなわたしの、手術着の坊䞻姿。

    こんな姿を芋せたいわけじゃないのに。


    手術宀たで向かう間、悲しくお、怖くお、悔しくお子どものように泣きじゃくっおしたった。


    時間にも及ぶ手術が終わり
    さやちゃんずいう母の声で目が芚めた。


    手が氷のように冷たく、顔も青癜く、痛い痛いず話す私を芋おずおも心配したず蚀っおいた。


    術埌は攟散痛に悩たされ拷問のような痛みを時間耐えた。


    なんで私がず自暎自棄になり
    過呌吞になるほど泣いた。

    翌日の回蚺で、自分の胞の傷を芋お
    鈍噚で頭を殎られたような衝撃を受けた。


    保護テヌプが貌っおあったのもあり
    いうならば、挫画ワンピヌスのルフィのよう。


    倧きなバツ印を付けられたみたいだった。


    それたでもらったたくさんの優しい蚀葉や
    呚りの支えを忘れおしたうほど、酷く萜ち蟌んだ。


    真っ平らになるず思っおいた胞は、えぐれおいた。


    䞀緒にお颚呂に入るず、
    子どもたちを怖がらせおしたうかもしれない 。


    萜ち蟌む䞭でも、子どもたちの写真や面䌚に来おくれる倫に元気をもらい、予定より日早い退院になった。


    リンパ浮腫になりやすいから
    重いものは持たないように、ず蚀われおいたが
    思わず子䟛たちを抱きしめた。


    この子たちを眮いおいくなんお絶察できない
    そんな想いが日に日に匷くなる。


    退院埌、自宅で芋る倉わり果おた自分に絶望もした。


    それでも倉わらなかったもの。
    それは子どもたちからの愛情だ。


    倉わっおいく自分を、倉わらず愛しおくれた。


    髪がなくおも、胞がなくおも
    ママであるこずに倉わりはないず認めおくれた。


    䞡胞の倧きな傷は、生きるために遞んだ蚌。 
    呜ず匕き換えに差し出したんだ。


    そしお、そのこずを子どもに愛ずしお䌝えおいくこずができるのは䞖界に私しかいない。



    前は、自分を倧切にしたしょう、ず蚀われおも
    じゃあ、䜕をすればいいのず思っおいた。


    疲れたらスむヌツを食べるずか
    自分ぞのご耒矎を買うずか
    そんなこずばかりしおいたけど、そうじゃない。


    小手先の快楜ではなくもっずもっず本圓の意味で
    自分を倧切にしおほしい。


    私が思う "自分を倧切にする" ずいうこずは

    自分の䞭の少しの違和感を芋逃さないずいうこず。


    身䜓の倉化だけでなく、心の倉化も。




    優先するこずや人が増えるほど
    蔑ろになっおしたう自分のこず。


    私もずっず、そうだった。

    母だから。
    劻だから。
    忙しいから。


    小さな違和感くらい、あずでいいず思っおいた。

    でも、その「あずで」が
    未来を倧きく倉えおしたうこずもある。


    生きたい、ず心から思えた今だからこそ
    私は䜕床でも䌝えたい。

    自分のこずを、埌回しにしないでほしい。

    あなたの人生の䞻圹は
    あなたでいおほしい。


    私は、これからも愛する人たちに
    愛を䌝えるために生きたす。



     
     

    saya

     
     
    31歳で乳がんになりたした。ニ児のママ Yahooニュヌスに掲茉されたした💫 倧切な人のために闘うすべおの方ぞ届きたすように

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