
すったもんだのプロポーズ
「結婚は人生の墓場」を地で行く両親のもとで育った私にとって、ドラマや映画で目にする「永遠の愛」の類は、ほとんどファンタジーだった。
長らく連載を追ってきた少女漫画が両想いの大団円を迎えても、「でも、結婚したら冷めちゃうんでしょう?」とヒロインの未来を勝手に案じては、余計なお世話を焼いていた。
作中でささやかれる愛の言葉も、どこか大げさに聞こえてしまい、大人になってからもうまく扱えない。そんな私が、どういうわけか真っ赤なバラの花束を抱えて、神楽坂のフレンチレストランへ向かって歩いている。
きっかけは、半年前のことだった。パートナーと同棲に向けて準備を進めていると、「一緒に住むなら、籍入れちゃおうか?」と不意打ちの提案があった。
友人関係が長かったからか、交際当初から「まぁ、この先も長く一緒にいるんだろうな」という空気がお互いの間にあったので、それはとても自然な提案に思えた。何より、彼とはそれなりに信頼関係を築いてきた自負もある。「結婚したら冷めちゃうんでしょう?」とかつての面倒な私が顔を出すこともなく、答えはイエス一択だった。
イエス一択だったのだが、喉元に小さな何かがつかえていて、気づけば「まだいいんじゃない?」などと口走っていた。
彼は少し不服そうな表情で飲み込んでくれたが、そんな顔をさせるのは本意ではない。喉のつかえの正体について改めて考えてみると、答えはすぐに出た。たぶん私は、彼と一生を共にする未来を「自分の意思で選び取った」という実感がほしかった。受け取るのではなく、差し出したかった。そうすることで、結婚に対して斜に構えていた頃の自分と、はっきり線を引ける気がしていた。
それなら、私からプロポーズをすればいい。
気づいてからの行動は早かった。
元々、やると決めたらとことんまで追求する性分である。どうせならコテコテの、絵に描いたようなプロポーズがしたい。
検討の結果、彼の誕生日に個室フレンチでバラの花束を渡し、手紙を読み、小箱をパカっとして結婚を申し込むという、王道全部盛りプランに決めた。
プロポーズにパカッは必須だろう。とはいえ、さすがに指輪をパカっとする経済力も思い切りもなかったので、小箱の中身はネクタイピンで手を打つことにした。
怪しまれずに個室フレンチへ連れ出すことが、最初の関門だった。
普段はもっぱら焼き鳥屋や街中華に出没する我々には、敷居の高いおフレンチである。白々しさ全開で「いやあ、せっかくの誕生日だしさ、たまにはどうよ?」と持ちかけてみると、「珍しいね」と言いながらも、上機嫌で快諾してくれた。出だしは順調だ。
さっそく予約サイトで一番お高いコースを選んで、利用目的欄の「プロポーズ」にチェックを入れると、10分後には支配人らしき男性から電話がかかってきた。さすがは高級店。電話越しにもベテランらしい落ち着きが伝わる声で、「ご予約ありがとうございます。今回はプロポーズでのご利用でいらっしゃいますね?」と開口一番に聞かれ、一瞬たじろぐ。
女性からのプロポーズは、きっとまだまだ珍しい。だからこそ、照れや遠慮で言葉を濁したくなくて、力強く「はい、そうです」と答えると、支配人は眉ひとつ動かさない様子で「かしこまりました。お店にできることは、なんでも協力させていただきます」と熱のこもった言葉を返してくれた。
自意識過剰な自分を少し恥じつつ、デザートプレートにはローマ字で「Takashi」と書いてほしい旨を伝えると、「えっ?!」とさきほどまで隙のない受け答えをしていた支配人が狼狽えだした。
どうやら女性同士のプロポーズだと思われていたようで、突然の「タカシ」の登場で混乱させてしまった。
「ええと……サユリ様が?タカシ様に?プロポーズをされるということですか?」
「はい、タカシにプロポーズをします!」
そんなやりとりを2往復ほどして理解してもらえた。
そうか。女性同士のプロポーズよりも、女性から男性へのプロポーズのほうが珍しいのかもしれない。なんだか身の引き締まる思いだった。
無事に予約ができたことに安堵し、その勢いで、誕生日プレゼントとして一緒に渡すオーダースーツの仕立券を買いに出かけた。
入店すると、トリプルのスーツを完璧に着こなした長身の男性店員に迎えられ、着古したカジュアルな装いで来てしまったことを少しだけ後悔する。
5万円ほどの仕立券をプレゼントしたい旨を伝え、手続きを進めていると、「ちなみに、交際してどのくらいになるんですか?」と唐突に聞かれた。
ずいぶん踏み込んでくるなと思いつつ、「1年半くらいですかね…?」と正直に答えると、「ならギリギリ大丈夫ですね!あんまり交際期間が短いと重いと思われますから!」と返ってきて、面喰ってしまった。
べつに何か月で渡したっていいじゃないか。
とはいえ、すでにプロポーズ・ハイに入っている私にその程度の言葉は効かないので、愛想笑いにとどめて店を後にした。
本当は表参道あたりでネクタイピンを買い、さらに士気を高めたかったが、もうここまでのやりとりでお腹いっぱいになってしまい、色気はないがネットで注文することにした。
当日。
レストラン近くの花屋で、予約していたバラの花束を受け取り、神楽坂を下っていく。事前の打ち合わせのためレストランに赴くと、電話越しに想像していた通りの、渋みのある支配人が笑顔で迎えてくれた。
花束を受け取るタイミングや席を立つ段取りなど、細かな流れを調整していただいたおかげで緊張は和らぎ、彼と合流してからは、これから人生の一大イベントを控えているとは思えないほど順調にコース料理を平らげていった。
コースも残すところデザートだけとなったところで、作戦通り、「ちょっとお手洗いに行ってくるね」と席を立つ。預かってもらっていた花束を受け取ると、数名のスタッフの方が「頑張ってくださいね!」と笑顔で送り出してくれたので、思わずガッツポーズで応える。
すぅ、と深呼吸をして彼の待つ部屋の扉に手をかける。
いわば、「勝ち確」のプロポーズだ。
スマートに花束を渡して、手紙を読み上げて、あわよくば涙のひとつでも拝ませてもらおう。この時の私はまだ、そんなことを悠長に考えていた。
意を決して部屋に入り、花束を差し出すと、彼は驚いた表情をしたあと、すぐに「やられた」という顔になった。
ここまでは計画通りだったのだが、前日にしたためた手紙を開き、冒頭の「タカシへ」という文字を目にした瞬間、一文字も先に進めなくなってしまった。
私の拙い字で並べられた言葉は、頼りなく見えるが、どれも本当の言葉だった。「一緒にいたい」も「愛しています」も「幸せにしたい」も、使い古された言葉ではあるが、心からの言葉だ。
そのことに気づいた途端、喉の奥がぎゅっと詰まって声が出せなくなる。
「あぁ……」とか「うぅ……」しか漏らせなくなっている私を、彼は「聞いてるよ」と頷きながら待ってくれている。これまで彼の前で感極まって泣くようなことは一度も無かったから、きっと驚いていたと思う。
しゃくりあげながら、ゆっくりと文字を追う。泣いているのに、心は妙に穏やかだった。手紙を読んでいる自分を俯瞰している自分がいて、こんなに真っ直ぐな言葉を渡せる相手に出会えたこと。そして、その言葉に嘘偽りない感情を抱いていること。その事実に只々驚き、静かに喜びを噛みしめていた。
最後にどうにか顔を上げて、「ずっと一緒に生きてください」と伝えると、彼は少し得意げな顔で「もちろん」と笑った。
この選択が、「永遠の愛」になりうるかはまだ分からない。
けれど、結婚して3年が経とうとしている今も、夫への愛おしさは日々順調に更新されていっている。
今なら、あの頃見ていた映画や少女漫画のヒロインたちにも、一点の曇りもない気持ちで「おめでとう」と言える。