
エッセイとお知らせ
歯がかけて思う
口の中で小さく、けれど確かな違和感が走った。奥歯が少し欠けてしまったらしい。舌の先でそこをなぞるたび、尖った輪郭が妙に生々しく自己主張してくる。
体の一部が欠けるというのは、多かれ少なかれショックなものだ。失われたものはもう元には戻らない。けれど、痛みを取り除き、尖った角を丸く削ってもらえば、また何事もなかったように新しい日常が始まっていく。人間、そうやってあちこちを少しずつメンテナンスしながら生きていくものなのだろう。
スピリチュアル的なことを思うと、歯が欠けるのは、エネルギーの浄化らしい。わだかまりが消えてくれればいいが。
そして、進めている実家の売却手続きのことが頭をよぎった。
あの家は、父が新築で買ったものだ。40年前、自分の家を持ったときの父は、さぞ誇らしかったことだろう。家族の新しい歴史が始まる輝きに満ちていたに違いない。けれど、あれから40年という歳月が流れた。建物は古くなり、資産としての価値は落ち、あちこちにガタがきている。
これから先、一軒家のリフォームを一人で抱え込んで維持していくのは、私の手には負えない。庭の草むしりや建物の傷みに追われるよりも、設備に不具合があれば管理会社が直してくれる賃貸暮らしの方が、これからの私にはきっと合っている。形あるものはいつか損なわれるし、時代や年齢に合わせて住まいを小さく整えていくのは、ごく自然で賢明な選択のはずだ。
それなのに、母はやたらと土地を手放すことにこだわる。「売ってはいけない」と頑なに拒むのだ。もう年寄りだから、まともな話し合いにはならない。感情のぶつかり合いに、正直「仕方ない」と諦めにも似たため息が出ることもある。
けれど、母があれほど拒む理由も、本当はよく分かっているのだ。母にとってあの土地を手放すことは、父と築いた輝かしい過去や、家族の歴史そのものを失ってしまうように感じられるのだろう。私の「現実的な維持の難しさ」と、母の「思い出への執着」。どちらが正しいというわけでもないからこそ、切ない。
ふたたび、舌の先で欠けた歯に触れてみる。
失われた形を惜しむ気持ちと、それを受け入れて先へ進む現実。その狭間で、私は一つの答えを見つけた。
戸籍は、現在の実家の住所のまま、変えずに残しておこうと思う。
本籍地なんて日本国内ならどこでもいいし、市内の引っ越しだから手続きに不便もない。次に誰が住もうとも、同じ住所に私たちの戸籍が残ることに何の問題もない。
建物という「形あるもの」はいずれ価値が落ち、手放す時がくる。けれど、戸籍とは「人との繋がり」そのものだ。家族が確かにそこで生きていたという証、父が誇らしく家を建てたという記憶の原点は、母が生きている間、あの場所にそっと置いておけばいい。
歯が欠けたなら、削って、今の自分に合う形に整えればいいだけだ。家を手放しても、私たちが紡いできた絆まで消えてなくなるわけじゃない。
形を変えながら、大切な繋がりだけを胸に、私はこれからの新しい暮らしへ、身軽に一歩を踏み出そうとしている。
今週の訪問看護は歯医者のためお休みです。ミニマル家計簿はいつも通り来週中にアップします。
すずうさ🐇