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『余白』のある暮らしを探して

    余白ーroom of my heart


    ある日の帰り道、閉めかけの花屋の軒先にラベンダーの小さな苗を見つけた。
    まだ花芽もない。それでもほのかに香りを放ち、「私はここにいますよ」と言っているかのようだった。真正ラベンダー【ラベンダーの原種】だという。
    しばらく見つめて、「一緒に帰ろうか」と声をかけていた。
    新聞紙に包まれたラベンダーを抱きながら、「あなたはどんな花を咲かせてくれるの?」と話しかけながら、嬉しい気持ちで家路に着いた。

     窓辺に置いてみた。テーブルにいつもの日記を置いて、椅子に腰掛けて、ラベンダーをしばらく見つめた。
    ふっと、ラベンダーの向こうのカーテンが揺れた。風がほのかな香りを運んできた。
     眠気も誘われて…目を閉じると、故郷の景色が浮かんだ。
    子どもの頃もこうして窓辺から海を見ていた。潮の香り、さざ波の音。船の行き交う音。
    遠くにあるはずのものが、不思議と近くに感じられた。
     ただ窓辺に飾られたラベンダーを眺めていただけ。それなのに、どこか遠いところまで旅をしてきたような、静かな満たされ方があった。

    心地良いとはこのことなのかもしれない。最近、こういう時間を、いつから持てなくなった。
    予定でも義務でもない、ほんの数分。誰かのためでも、何かのためでもない。忙しさの中の穏やかな時間-『余白ーroom of my heart』
    ——心の中にある、小さな空き部屋。
    忙しく生きている人ほど、その部屋に鍵をかけてしまう。私もそうだった。長い間、ずっとそうだった。

    つながり

     私が看護師になったのは、三十を過ぎてから。大切な人から薦められて、子育てをしながら、医学なんて何もわからない。手探りの受験勉強。夜中に教科書を開くこともたびたび。なぜそこまでしたのか、今でもうまく言葉にできない。 ただ、看護というものを知るうちに、目覚めてきたものは「誰かの役に立ちたい」それだけははっきりしていた。
     命に向き合う仕事は、想像以上に重かった。回復してゆく人、人が弱っていく過程を、「看護」と「人とのつながり」を通して命の重さを深く知ってしまった。それでも続けたのは、その重さの中に確かな意味があったからだと思う。

     ある日、自分の体に異変を感じた。
    もしかしたら、という予感はあった。
    だから告知を受けたとき、激しく動揺はしなかった。ただ、医師の言葉を聞きながら頭の中で廻ったことは、これからどのくらい生きられるのか。家族のこと。看護師である私には、この病気のプロセスがなんとなくわかってしまう。それが救いでもあり、重荷でもあった。
     それでも心の底に、小さな火がともっていた。
    乗り越えたい。そして、またいつか誰かの役に立ちたい。その気持ちだけは、揺らがなかった。

     体力的も精神的にも厳しい検査が続いた。そして手術。しばらくは体への負担もあったが、それよりも長い時間をひとつの問いと過ごすことが、思いのほか消耗した。これから先、どんな自分になっていくのか。

     病室に家族や仲間が来てくれた。たわいのない話をした。誰か小さな出来事、最近見たドラマ、おいしかったものの話。その他愛なさが、どれほど救いになったかわからない。命について、病気について、何も語らなくていい時間。ただそこにいてくれる人たちがいた。

    ある日、友人が花束を持ってきてくれた。
    ルピナスが入っていた。私の好きな花だと、覚えていてくれたのだ。私の好きな絵本に、ルピナスさんという女性が登場する。世界を美しくするために、ルピナスの種を蒔いて旅をする人。その話がずっと好きだった。
    病室に花の色が増えた。それだけのことなのに、胸の奥からじわりと何かが湧いてきた。悲しいのでも嬉しいのでもない、もっと静かな感情。ああ、私はまだここにいる。そして私のことを知っている人が、この世界にいる。

    出逢い

     数週間後退院し、仕事に復帰した。
    病を経た体で、再び命の傍らに立つ。以前と同じ場所のはずなのに、見えるものが少し変わっていた。患者さんの言葉の重さが、以前より深く届くようになっていた。
     ある女性と出会った。私と同じ病を抱え、命が少しずつ灯を細くしていこうとしている人だった。
    ある日、彼女は一冊のノートを私に見せてくれた。ページを開くと、文字が一面に埋め尽くされていた。殴り書きのような、押しつぶされそうな文字たち。
    「ずっと真面目に生きてきた……私の人生はなんだったんだろう」
    その言葉が、ページから溢れ出るようだった。
    しばらくして、また彼女のノートを見る機会があった。
    同じノートのはずなのに、様子が違った。文字と文字のあいだに、白い空間があった。余白の中に、言葉が丁寧に置かれていた。
    どうしたんですか、と聞いた。
    「一面に書くと心が苦しくて」と彼女は言った。「余白があるとまだ生きれるって思えるの」
    その言葉が、静かに私の中に落ちてきた。
      ー余白。まだ生きれる。ー

     看護師として、たくさんの言葉を受け取ってきた。でもその日の言葉は、職業としての私ではなく、ひとりの人間としての私に届いた。命の際にいる人が、余白の中に生きる理由を見つけていた。

     それからの私は、余白を探すようになった。いつの間にか、穏やかに思いを馳せる時間を、自分に許せるようになっていた。
     休みの日、桜を見に出かけた。満開よりも、散り際が好きだ。風に吹かれて舞う花びらの中をゆっくり歩く。空を見上げると、花びらの隙間に青空が見える。
    桜が舞うのは、緑が芽吹くため。一生懸命に咲いて、一生懸命に散っていく。その姿がなぜか誇らしく見えた。

    緑が芽吹く頃になると、早朝に車を走らせる。向かうのは御射鹿池。夜明けの光の中、誰もいない森に立つと、水面に一本の白樺が映っている。美しい新緑に囲まれて、静かにそこにある。
    今年もよく来たね。
    凛と立つ白樺の姿。私はしばらくその場を離れられなかった。

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    御射鹿池

     私にとって、ー余白ーroom of heartーは、
    自分を穏やかに見つめて、自分の心に戻ってくるための時間だと、今は思う。
    あの女性が教えてくれた言葉は、私の中でルピナスの種のように根を張った。世界を美しくするために種を蒔いて旅をしたルピナスさんのように、私も小さな余白を日々の中に蒔いていく。

     花屋でラベンダーの苗を見つけて、花に話しかける。誰かが「花も言葉を聞いて可憐に咲き、心をいやす香りを放つ」のだと聞いたことがある。
     窓辺に置いて、カーテンが揺れるのをただ眺める。目を閉じると、故郷の潮の香りが漂ってくる。ノートを開いて、文字と文字のあいだに白い空間を残しながら言葉を書く。
     その言葉も時には、嬉しいことばかりじゃない、愚痴になったり、つらい言葉だったりする。どれも小さなことだ。誰かに話すほどのことでもない。でも…愚痴の言葉・つらい気持ちの言葉をそのままにしたくない。だからその横に小さな余白をもつ。そして「つらいよね。でもいつまでも続くわけじゃない」「大丈夫だよ」と大好きな色のペンで書く。
    でもその小さな隙間に、私はいつも少し深呼吸ができる。

     毎日を一生懸命に生きている人ほど、心の空き部屋に鍵をかけてしまう。やるべきことで埋め尽くして、余白があると不安になる。私もずっとそうだった。
    でも扉はずっとそこにある。鍵をかけたまま忘れているだけで。
    room of my heart——あなたの心にも、きっとその部屋がある。
    ラベンダーの苗は今日も窓辺にある。風が吹くたびに、細い茎がゆれる。カーテンも揺れる。
    「今日は薄紫の花を咲かせました。とてもかわいい花は、今日もがんばれと香りを漂わせてくれています。」
    私はそれをただ、眺めている。
    それだけでいい。それだけで、十分だ幸せと思えるようになった。

                          fruitful seed しずく







     
     
    しずくと申します🌷 日々の暮らし、出会い、体験の中の自分の想いを言葉にして、小さな種を撒こう日々の小さな喜びや感謝に変えていけたら… よろしくお願いいたします

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