
「あたりまえではない」という気づきから生まれた感謝
毎日の家事の繰り返し、正直、もう疲れた、やりたくない・・・と思うことがある。
特に大変だと感じるのは、食事の準備だ。
メニュー決め、買い物、料理、片付け・・・。
終わったと思ってもすぐ次の食事がくる。
優柔不断で考え過ぎてしまう私にとって、買い物はものすごくエネルギーを使うことだ。
これはちょっと高いなとか、忙しい時は簡単に調理できる方がいいなとか、いろいろ考えると何を買えばいいのか分からなくなって疲れてしまう。
さらに、添加物のことまで気にすれば、ほとんど買う物がなくなってしまう。
「選択疲れ」というものあるらしいが、私もその状態になっているのかもしれない。
しかし、ふと立ち止まって考えてみると、お店に商品がたくさんあるのはあたりまえのことではないのかもしれない、と気づいた。
20年くらい前のことだが、小笠原に旅行に行ったとき、「お店に全然商品がない」ということを経験した。おそらく商品の入荷がそう頻繁にされないからだろう。こういう場所もあるのだと、初めて知った。
今、お店に行って迷うほど商品があるというのは、その背後に、たくさんの人たちの労苦と、神様の恵みがあるのではないか。
お店に商品が並ぶまでに関わっている様々な働き人たち。
魚や動物にいのちを与え、作物を実らせてくださる神様の恵み。
お店に行って、必要なものを買うことができることは、
あたりまえなことではないのだと気づいたとき、感謝が生まれた。
買い物の次は料理だ。
「ご飯作らなきゃ。」
最近、それが口癖となっていた。
疲れているときは特に、負担に感じてしまう料理。
しかし、買い物があたりまえではないと気づけたら、目の前に食材があることに感謝しながら料理することができるようになる。
さらに、料理ができるのは、水が出て、電気やガスが使えるおかげでもある。
それから、私はたくさんの料理レシピに助けられている。
それらのレシピを考え、紹介してくれる料理研究家の人たちがいる。
やる気のない時、楽しそうにレシピを紹介してくれる料理研究家の人のおかげで、「これなら作れそう!」と思えたことが何度もある。
料理できることはあたりまえなことではなく、そこには様々な恵みと助けがあった。
そのことに気づいたとき、料理できることへの感謝が生まれた。
ある聖書のことばを思い出した。
主の恵みで地は満ちている。
食事は神様が私たちに与えてくださった恵みをいただくことなのだと改めて気づかされた。
作家の三浦綾子さんは次のように語っている。
九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。
何と私の姿をよく表した言葉なのかと思う。
食事の準備は大変だ。時にはつぶやいてしまうこともある。
でも、あたりまえではない恵みに心を向けて、感謝の心を忘れないようにしたい。
どうしても辛い時は、感謝できるところまでうまく手を抜きながら。