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入口は選べなくても、動き方は選べる

    普通の会社員が
    遠回りしながらキャリアを築いた記録

    【あらすじ】
    新卒で入社した製紙メーカーから、人材紹介会社、カーエレクトロニクスメーカー、完成車メーカーへ。
    広島への配属、大阪への異動、新規事業への挑戦、商品企画、そして転職。振り返れば、決して一直線のキャリアではなかった。

    希望通りにならなかった異動もある。
    挑戦して失敗したこともある。
    向いていない仕事に悩んだこともある。
    それでも、その時は無関係に見えた経験が、後になって少しずつつながっていった。

    これは特別な成功者の物語ではない。
    普通の会社員が遠回りをしながら、自分なりのキャリアを築いてきた記録である。

    「入口は選べなくても、動き方は選べる」。

    その答えにたどり着くまでの物語。

    ――――――――――


    はじめに


    人生は、前を向いて歩いている時ほど、意味がよく分からない。

    なぜこの会社に入ったのか。
    なぜあの仕事を担当することになったのか。
    なぜ希望とは違う場所へ行くことになったのか。

    その時は、理由が見えないことばかりだった。

    私自身、決して順調なキャリアを歩んできたわけではない。

    製紙メーカーの営業から社会人生活を始め、人材業界へ転職し、その後は車載機器メーカー、新規事業、商品企画、そして完成車メーカーへと仕事を変えてきた。

    振り返れば、遠回りだったと思う経験も多い。

    広島への配属。
    希望していた部署への異動見送り。
    慣れない業界への転職。
    完成車メーカーで再び新人になったこと。

    当時はどれも、不安や戸惑いの方が大きかった。

    それでも不思議なことに、後から振り返ると、それらの経験は少しずつつながっていた。

    無駄だと思っていた経験が、別の場所で役に立つ。
    苦労した出来事が、次の挑戦を支える。
    人との出会いが、新しい選択肢を運んでくる。

    そんなことを、私は何度も経験してきた。

    この物語は、特別な成功者の話ではない。

    普通の会社員が、目の前の仕事に向き合いながら、少しずつ自分の選択肢を広げていった記録である。

    思い通りにいかない仕事。
    希望とは違う環境。
    自分だけが遠回りしているように感じる時間。

    もし今、その渦中にいる人がいるなら、この物語が何か一つのヒントになればうれしい。

    すべての始まりは、最初に入った会社での営業経験だった。

    その時の私はまだ、自分のキャリアがどこへ向かっていくのか、まったく分かっていなかった。


    第一章 商談で、商品説明をしなかった先輩


    商談が始まって十分が過ぎた。

    それでも先輩は、商品の話をしなかった。野球や休日、子どもや地元の話ばかりが続いていた。私は横で提案資料を抱えながら、内心で首をかしげていた。

    「今日は営業しないのだろうか」

    社会人一年目の私は、営業とは商品の魅力を説明する仕事だと思っていた。

    商品知識を覚え、競合を調べ、提案資料を作り、価格を把握する。そうすれば売れるのだと思っていた。だから、目の前で行われている商談が理解できなかった。

    雑談ばかりで、商品説明が始まる気配がない。

    私は少し焦っていた。

    私が入社したのは、製紙メーカーだった。

    正直に言えば、紙に特別な思い入れがあったわけではない。営業職として採用され、そこで社会人生活をスタートした。担当したのは、業務用ペーパータオルだった。

    飲食店のトイレ、病院や介護施設、企業の給湯室、食品工場、公共施設。手を洗ったあとに取り出す、あの紙である。

    学生時代の私は、その一枚の紙の裏側にメーカーがあり、工場があり、物流があり、営業がいることなど考えたこともなかった。

    営業先は法人顧客だった。

    病院、介護施設、食品メーカー、飲食チェーン、ビル管理会社。さまざまな業界の担当者と向き合うことになった。扱う商品は、業務用市場ではよく知られていた。

    しかし、営業が楽だったわけではない。

    むしろ逆だった。一定の知名度があるからこそ、「なぜ当社を使い続けるべきなのか」「なぜ競合ではなく当社なのか」を常に問われた。

    競合もいる。価格競争もある。切り替え提案もある。

    ブランドだけで売れ続けるほど、市場は甘くなかった。

    営業を始めて間もない頃の私は、不思議で仕方がなかった。

    同じような商品を扱っているのに、売れる営業がいる。同じ価格なのに、選ばれる営業がいる。なぜなのだろう。

    当時の私は、その理由が分からなかった。

    だから先輩との同行営業で、その答えを見つけたいと思っていた。

    ところが、その日の商談は最後まで雑談ばかりだった。

    何の提案もしない。価格交渉もしない。カタログすら開かない。

    私は拍子抜けしていた。

    それなのに、帰り際だった。

    「じゃあ次もお願いするよ」

    担当者が自然にそう言った。

    発注が決まった。

    私は驚いた。商品説明もしていない。提案資料も見せていない。それでも仕事が決まった。

    帰りの車の中で、私は先輩に聞いた。

    「なぜ発注が決まったんですか?」

    先輩は笑いながら答えた。

    「鈴木君、商品なんてどこもそんなに変わらないんだよ」

    その言葉は、長く頭に残った。

    社会人一年目の私は、その意味をまだ理解できなかった。けれど後になって分かる。営業とは、商品を売る仕事ではなかった。

    信頼を積み上げる仕事だった。

    もちろん、商品は大事だ。

    品質も大事だ。価格も大事だ。しかし、最後に選ばれる理由はそれだけではない。

    困った時に動いてくれるか。

    連絡した時に、すぐ返事が来るか。

    約束を守るか。

    誠実に向き合ってくれるか。

    そうした一つひとつの積み重ねが、信頼になる。

    そして人は、その信頼に対して仕事を任せるのだと思う。

    そんな新人時代、部長から言われた言葉がある。

    今でも忘れられない。

    「お客様の話を、言われた通りに持ち帰るな」

    当時の私は、その意味が分からなかった。

    お客様の要望を聞き、社内へ伝える。営業とはそういう仕事だと思っていたからだ。すると部長は、少し厳しい口調で続けた。

    「上司をだますくらいに説得しろ」

    もちろん、本当に嘘をつけという意味ではない。

    顧客の言葉をそのまま社内へ伝えるだけでは、営業の役割を果たしたことにはならない。なぜその要望が出たのか。何に困っているのか。

    本当の課題は何なのか。

    その背景まで理解し、社内が動ける形に翻訳する。それが営業の仕事なのだと教えられた。

    さらにもう一つ、忘れられない言葉がある。

    「お客様が変わらないなら、あなたが変われ」

    顧客が動かない。社内が動かない。価格が合わない。競合が強い。

    言い訳はいくらでもできる。

    でも、変えられないものを嘆いていても前には進まない。聞き方を変える。伝え方を変える。提案を変える。

    関係の築き方を変える。

    まず自分が変わる。その考え方は、後のキャリアでも何度も私を支えてくれた。

    その後、私は人材紹介会社へ転職する。

    車載業界へ飛び込み、広島へ配属され、ドラレコ特需を経験する。販売店を回り、商品企画を経験し、新規事業にも挑戦する。やがて完成車メーカーへ転職し、車両管理SaaSにも携わることになる。

    振り返れば、仕事は何度も変わった。

    しかし、土台は変わっていなかった。

    顧客の言葉の奥を見ること。

    相手が変わらないなら、自分が変わること。

    信頼を積み重ねること。

    結局、人は買いたい人から買う。

    その原点は、業務用ペーパータオルを売っていた新人時代にあった。

    ただ、その頃の私はまだ知らなかった。

    営業の土台を少しずつ覚え始めた先に、自分のキャリアそのものを大きく揺さぶる転職が待っていることを。


    第二章 メーカーの外側から見えた景色


    求人票の向こうに、メーカーの未来を見た

    数年後、私は転職した。

    転職先は、製造業エンジニアに特化した人材紹介会社だった。周囲からは、よく聞かれた。

    「なぜ人材業界なの?」

    理由は二つあった。

    一つは、一社目の営業経験だった。業務用ペーパータオルの営業では、多くのことを学んだ。信頼関係の大切さも知った。

    顧客理解の重要性も学んだ。

    しかし同時に、現実も見ていた。

    どれだけ提案しても、最後は価格で決まる。そんな場面を何度も経験していた。

    もちろん、価格も価値の一つだ。

    だが私は次第に、もっと提案そのもので勝負したいと思うようになっていた。顧客の課題に深く入り込みたい。価格以外の部分で価値を生み出したい。

    そんな思いが強くなっていた。

    もう一つの理由は、学生時代からの関心だった。

    大学では社会学を学んでいた。人の行動、組織、働き方、社会との関わり。そうしたテーマに興味があった。

    当時は、自分が後にキャリアについて発信したり、本を書くようになるとは思っていなかった。

    それでも振り返れば、この頃から興味の種は確かに存在していたのだと思う。

    転職後、私はキャリアアドバイザーではなく、企業担当営業として配属された。

    リクルーティングアドバイザー。担当するのは求職者ではない。採用担当者、技術部門責任者、工場長、事業部長、時には役員だった。

    企業側の採用活動を支援する仕事だった。

    本音を言えば、最初は少し意外だった。人材紹介会社と聞いて、求職者と向き合う仕事を想像していたからだ。

    しかし今振り返ると、この配属は私のキャリアに大きな影響を与えた。

    私はここで初めて、メーカーという世界を外側から見ることになる。

    求人票を見ていた。

    年収欄ではない。勤務地でもない。私が見ていたのは、その会社がどんな未来を描こうとしているのかだった。

    どんな技術に投資しようとしているのか。どんな人材を求めているのか。どんな事業を伸ばそうとしているのか。

    求人票には、その会社の考え方が表れる。当時の私は、そんなことを考えながら企業と向き合っていた。

    自動車メーカー、電機メーカー、工作機械メーカー、半導体メーカー、化学メーカー、素材メーカー、医療機器メーカー。

    さまざまな製造業と接点を持った。

    採用活動を通じて企業を見る。求人票の裏側を見る。技術者を求める理由を聞く。

    現場責任者の悩みを聞く。組織課題を聞く。将来の事業戦略を聞く。

    そこで初めて知った。

    同じメーカーという言葉で括られていても、中身はまったく違う。文化も違う。評価制度も違う。

    意思決定のスピードも違う。働き方も違う。求める人物像も違う。

    私は採用支援をしているつもりだった。

    しかし今思えば、メーカーという産業そのものを学んでいたのだと思う。

    特に印象的だったのは、採用の背景だった。

    企業は人を採用したい。しかし、本当に欲しい人材ほど見つからない。給与だけでは来ない。

    知名度だけでも来ない。福利厚生だけでも来ない。

    最後に候補者が見ていたのは、別のものだった。

    どんな仕事ができるのか。どんな成長ができるのか。どんな仲間と働けるのか。

    そこで、どんな未来を描けるのか。

    そういう話だった。

    その光景を見ながら、私は一社目で学んだことを思い出していた。

    結局、人は買いたい人から買う。

    企業も同じだった。結局、人は一緒に働きたい会社を選ぶ。

    商品を提案する営業も、求人を提案する営業も、本質は大きく変わらない。

    相手を理解すること。課題を理解すること。信頼を積み重ねること。

    その先に成果がある。

    そして私は少しずつ、メーカー側の仕事に興味を持つようになっていた。

    一つの商品が生まれるまでには、多くの人が関わっている。営業、設計、品質保証、生産技術、購買、物流、マーケティング。

    それぞれが専門性を持ちながら、一つの価値をつくり上げている。

    営業しか知らなかった私には新鮮だった。

    いつしか思うようになっていた。今度は外側から支援するだけではなく、自分がその中で働いてみたい。

    まだ業界は決まっていなかった。

    自動車業界を目指していたわけでもない。完成車メーカーで働く未来など想像もしていなかった。

    それでも確かなことが一つあった。

    メーカーの外側から見た景色は、私に新しい入口を見せていた。

    そして私は、その入口へ向かって歩き始めていた。


    第三章 社員も行きたがらない広島へ


    「勤務地の希望はありますか?」

    面接で役員に聞かれた。

    募集エリアは福岡と広島だった。私はほとんど迷わず答えた。

    「どちらでも大丈夫です」

    役員は少し意外そうな表情を浮かべた。

    今思えば、珍しかったのかもしれない。勤務地に強い希望を持つ人は多い。しかし当時の私は違った。

    行った先で結果を出せばいい。

    そう考えていた。

    人材紹介会社で製造業の採用支援をしていた頃から、思っていたことがある。

    会社が本当に困っている場所で成果を出せる人は強い。だから勤務地へのこだわりはなかった。

    もちろん多少の計算もあった。

    採用支援をしていた人間だから分かる。会社が必要としている場所へ行きますと言えば、印象は悪くない。それくらいは考えていた。

    それでも本音は単純だった。

    知らない土地へ行くことに、それほど抵抗がなかったのだ。

    広島。

    思い浮かぶのは、広島カープ、お好み焼き、宮島。その程度だった。

    知り合いはいない。友人もいない。土地勘もない。

    不安はあった。それでも少し楽しみでもあった。

    新しい環境で、自分がどこまで通用するのか試してみたかった。

    面接では、妙な質問もあった。

    「年配社員とのコミュニケーションは大丈夫ですか?」

    私は少し首をかしげた。

    営業なのだから、年齢差は当たり前だと思っていた。

    「どのくらい離れているんですか?」

    そう聞くと、返事が返ってきた。

    「十歳くらいかな」

    それなら問題ない。

    私はそう思った。もしうまくいかなければ、自分が変わればいい。一社目の部長から言われた言葉が頭にあった。

    「お客様が変わらないなら、お前が変われ」

    顧客も人間。上司も人間。同僚も人間。

    人間関係も同じだと思っていた。

    そして着任初日。

    私は、自分の認識が甘かったことを知る。

    十歳差どころではなかった。年齢が一番近い先輩でも十二歳上。干支がちょうど一回り違った。

    その他の先輩方は、さらに年上だった。

    営業歴二十年。三十年。この業界一筋。

    カー用品店、車載機器代理店、自動車販売会社。地域の販売店と長年付き合ってきたベテランばかりだった。

    個性も強かった。

    営業の途中で釣りの話を始める人。自分の数字だけを追い続ける人。昔ながらの営業スタイルを頑なに貫く人。

    今思えば、本当に面白い人たちだった。

    しかし当時の私は圧倒されていた。正直、とんでもないところへ来てしまったかもしれないと思った。

    そんな私を支えてくれたのが所長だった。

    年齢は十二歳上。業界経験も私とは比較にならない。

    地域の販売店からの信頼も厚く、電話一本で商談がまとまることも珍しくなかった。

    私は勝手に、厳しく管理されるものだと思っていた。

    だが所長は違った。

    着任して間もない私に、こう言った。

    「鈴木くんの好きなようにやってみろ」

    私は少し驚いた。

    もっと細かく指示されると思っていたからだ。すると所長は続けた。

    「困ったことがあったら俺が責任を取る」

    「トラブルは俺がケツを拭く」

    今でも忘れられない言葉だ。

    失敗してもいい。まずやってみろ。そう背中を押された気がした。

    あの言葉があったから、私は新しい提案にも挑戦できた。

    販売店へ足を運ぶこともできた。分からないことを、分からないと言うこともできた。

    新人だった私にとって、その安心感は想像以上に大きかった。

    そして現場へ出る。

    そこで私は、再び驚くことになる。

    発注が電話で入るのだ。

    商品名、数量、納期。そうしたやり取りが、当たり前のように電話で進んでいく。

    最初は耳を疑った。

    前職では、契約も依頼も記録が残る。履歴が残る。管理できる。

    それが当たり前だった。

    しかしこの業界は違った。ベテランほど電話一本だった。FAXすらないこともある。

    長年の付き合い。積み重ねた信頼。その上で商売が成り立っていた。

    「これ、本当に大丈夫なんですか?」

    私は思わず所長に聞いたことがある。

    所長は笑いながら答えた。

    「この業界はこんなもんだ」

    私はカルチャーショックを受けた。

    だが次第に分かってきた。そこには数字だけでは測れない関係があった。

    長年付き合ってきた販売店。困った時に助け合う関係。電話一本で注文が入る信頼。

    一社目で学んだ「人は買いたい人から買う」という言葉を思い出した。

    業界が変わっても、本質は変わらなかった。

    そして私はまだ知らなかった。

    この穏やかな日常が、もうすぐ一変することを。

    あおり運転問題をきっかけに、ドライブレコーダー市場は爆発的な成長を迎える。

    販売店は在庫を求める。メーカーは供給に追われる。

    そして私自身も、想像していなかった経験の渦中へ飛び込んでいくことになる。

    広島での日々は、ここから一気に加速していった。


    第四章 ドラレコフィーバーの最前線


    電話が鳴る。

    受話器を置く。また鳴る。そして、また鳴る。

    「ドラレコ五台頼む」

    「来週分も確保できる?」

    「在庫まだある?」

    昨日までとは明らかに違っていた。

    販売店の空気が変わっていた。市場が動き始めていた。ドライブレコーダーだった。

    今では当たり前の装備になった。

    しかし当時は違う。あおり運転の映像が連日ニュースで流れていた。テレビでは事故映像が繰り返し放送される。

    SNSでも話題になる。

    それまで「もしもの時のため」だった商品が、「付けておかないと不安な商品」へ変わった。

    世の中の空気が変わる瞬間を、私は現場で見ていた。

    販売店の問い合わせは一気に増えた。

    見積もり依頼が来る。商談が増える。注文が入る。

    売場へ行けば、ドラレココーナーの前で立ち止まるお客様が増えている。

    昨日までカーナビ中心だった売場が、いつの間にかドラレコ中心になっていた。

    私は毎日のように販売店を回っていた。

    カー用品店、自動車販売会社、車載機器代理店、整備工場。

    売場を見る。競合商品を見る。販売員と話す。売れ筋を聞く。

    お客様の反応を聞く。

    現場へ行くたびに発見があった。

    本社が考える売り方。

    メーカーが作る販促物。

    販売店が実際に売っている方法。

    その三つは、必ずしも一致しない。

    現場には現場の論理がある。だから私は、販売店スタッフとの会話を大切にした。

    営業先というより、一緒に売場を作る仲間に近かった。

    ある日、電話が鳴った。

    今度は注文ではなかった。相談だった。

    「鈴木さん、配線を傷つけちゃったんだけど……」

    一瞬、顔から血の気が引いた。

    続けて状況を聞く。ドラレコ取り付け中のトラブルだった。

    もちろん作業したのは私ではない。販売店スタッフだ。

    しかし販売店は困っている。その先にはお客様もいる。誰かが対応しなければならない。

    「写真送れますか?」

    「今どんな状態ですか?」

    「エラーは出ていますか?」

    原因を探る。

    部品を調べる。在庫を確認する。代替品を探す。

    必要なら現場へ向かう。

    メーカーだから関係ない。

    そんな理屈は現場では通用しない。目の前で困っている人がいるなら、まず助ける。

    私はそう考えていた。

    時にはFaceTimeを使って対応した。

    今では珍しくない。しかし当時はまだ一般的ではなかった。

    スマートフォン越しに、現場を映してもらう。

    「その配線を見せてください」

    「もう少し近くで」

    「そのコネクタ、何色ですか?」

    販売店スタッフと一緒になって原因を探す。

    画面越しではあるが、現場で隣に立っている感覚だった。

    もちろん本来であれば、販売店側で対応すべき案件もある。

    部品を購入してもらうべき場面もある。

    それでも私は柔軟に動いた。

    倉庫の不良在庫を探し回り、使える部品を見つけたこともある。現場を止めないためだった。

    厳密に言えば、理想的な運用ではなかったかもしれない。

    しかし現場には現場の事情がある。

    目の前のお客様を助ける。

    販売店を助ける。

    その積み重ねが信頼になる。私はそう信じていた。

    そして何より、それを認めてくれる環境があった。

    「まず助けろ」

    所長はそういう人だった。

    私が相談すると、決まって最後はこう言った。

    「好きにやってみろ」

    「何かあったら俺が責任を取る」

    広島へ来て、何度聞いただろう。

    その言葉があったから、私は失敗を恐れず動けた。現場へ行けた。

    販売店のために動けた。

    自分なりの営業ができた。

    気付けば、販売店の方から声をかけられることが増えていた。

    「困ったら鈴木さんに聞こう」

    そう言われるようになっていた。

    商品を売っているつもりだった。しかし振り返れば違う。私は信頼を積み上げていたのだと思う。

    だが市場の熱狂は、まだ始まったばかりだった。

    ドラレコ需要はさらに膨らむ。注文は増え続ける。

    やがて在庫が足りなくなる。欠品が始まる。供給不足が始まる。

    メーカー各社が生産対応に追われることになる。

    そして営業として、本当の勝負はここから始まるのだった。


    第五章 ドラレコ1000台の攻防


    「1000台で検討しています」

    電話越しにその言葉を聞いた瞬間、思わず聞き返した。

    「1000台ですか?」

    桁を聞き間違えたのかと思った。

    100台ではない。200台でもない。

    1000台だった。

    ドライブレコーダー市場が最も熱かった頃、営業として追い風を感じる場面は多かった。

    問い合わせが増える。見積依頼が増える。注文が増える。

    しかし売れる時ほど、難しいことがある。

    供給だ。

    人気商品は欠品する。部材が足りなくなる。工場が追いつかなくなる。

    販売店は売りたい。お客様も欲しい。

    しかし商品がない。

    営業として、これほど避けたい状況はない。

    営業会議でも話題は変わっていった。

    「部材供給が厳しい」

    「来月以降、生産を絞る可能性がある」

    「欠品リスクが高まっている」

    そんな情報が共有されるようになった。

    私はそのたびに思っていた。正式案内を待っていたら遅い。会議資料になる頃には、もっと遅い。

    市場は待ってくれない。

    会議が終わると、私は席を立った。

    廊下へ出る。そして取引先へ電話する。

    「今、会議を抜けて電話しています」

    「まだ正式な案内ではありません」

    「ただ、この先、供給が厳しくなる可能性があります」

    購入を急がせたいわけではなかった。

    煽りたいわけでもない。

    判断するのは顧客だ。

    ただ一つだけ、避けたいことがあった。

    売りたい時に商品がないことだった。

    実は過去に苦い経験があった。

    別の商品だったが、販売店が販売機会を逃したことがあった。

    「あの時もう少し早く教えてくれていれば」

    そう言われたことがあった。

    もちろん供給不足を完全に予測することはできない。

    しかし営業として、情報を届けることはできる。

    その経験がずっと頭に残っていた。

    だから今回は違った。

    情報を持った瞬間に動く。顧客が判断できる時間を少しでも長く作る。

    そのために電話をした。

    何度も販売店と話した。

    代理店とも話した。市場の動向を共有した。

    今後の供給見通しも説明した。

    正直、簡単な話ではなかった。

    当時はすでに、ドラレコ特需のピークが過ぎ始めていた。

    以前のように、置けば売れる市場ではない。

    需要は落ち着き始めていた。

    だから販売店側も慎重になる。

    「そこまで売れるだろうか」

    「在庫にならないだろうか」

    「本当に必要だろうか」

    当然の反応だった。

    そこで私は、過去の事例も交えながら話をした。

    「前回は商品がなくて販売機会を逃しました」

    「欲しいと言われても納品できませんでした」

    「今回は同じことを繰り返したくありません」

    不安を煽るのではない。

    現実を伝える。そして判断材料を渡す。

    営業に必要なのは、説得ではなく納得だと思っている。

    相手が納得して初めて、行動につながる。

    だから何度も話した。

    そして最終的に決まった。

    二機種で五百台ずつ。合計一千台。

    売上にして、約二千万円規模の案件だった。

    数字を聞いた時は驚いた。

    百台や二百台なら経験がある。しかし千台は別格だった。

    発注数量、在庫確保、供給計画、納品スケジュール。

    すべてのスケールが違った。

    だが、この案件は偶然ではなかったと思う。

    市場を見ていたこと。顧客と継続的に対話していたこと。情報を誰より早く届けたこと。

    そして、「この営業が言うなら一度考えてみよう」と思ってもらえる関係を作れていたこと。

    振り返れば、一千台という数字よりも嬉しかったのはそこだった。

    広島へ来たばかりの頃、私は何も知らなかった。

    業界知識もない。販路も分からない。商品知識も足りない。

    そんな自分を支えてくれたのは、所長や先輩たちだった。

    だから今度は、自分が営業所へ返したかった。

    そんな思いもあった。

    営業は一日で信頼を得られない。

    しかし一日一日の積み重ねが、いつか大きな結果になって返ってくることがある。

    ドラレコ1000台案件は、私にとってそのことを教えてくれた仕事だった。

    そしてその頃から、私は考え始めていた。

    広島で学んだことを、もっと大きな市場で試してみたい。

    そんな思いが少しずつ芽生えていた。

    その気持ちは、やがて次の挑戦へとつながっていく。

    大阪への異動である。


    第六章 自分の数字だけを見るな


    ドラレコ特需が続いていた。

    販売店からの注文は増え、問い合わせも増えていた。営業としては忙しかった。数字も伸びていた。

    営業として結果が出始めていた頃だった。

    しかし、その頃の私は少しずつ違うことを考えるようになっていた。

    自分の数字だけを見ていていいのだろうか。

    そんなことだった。

    営業になると、どうしても担当数字を見る。

    売上、利益、達成率、順位、前年実績。まずはそれが大切だ。

    私も例外ではなかった。毎月数字を追っていた。

    販売店へ足を運ぶ。案件を作る。受注を積み上げる。

    営業として当たり前のことだった。

    ある日、上司との面談で言われた。

    「鈴木、お前は営業所全体を見ているか?」

    突然だった。

    私は少し戸惑った。自分の数字は見ている。担当顧客も見ている。

    しかし営業所全体と言われると、自信がなかった。

    上司は続けた。

    「自分の数字だけ達成しても営業所は良くならない」

    「営業所全体の数字を見ろ」

    当時の私は、その意味を十分理解できなかった。

    営業なのだから、担当数字を追うのが仕事だと思っていたからだ。

    しかし、少しずつ考え方が変わっていく。

    所長は何を気にしているのか。営業所全体で不足している数字は何か。誰が苦戦しているのか。

    どの販売店が今後重要になるのか。部長ならどう考えるのか。

    少しずつ、視点を上げて考えるようになった。

    新商品の先行発注もそうだった。

    担当顧客は、営業所でも大きな販売店だった。慎重に考えれば、必要最低限の数量で済ませることもできた。

    在庫リスクを避けられる。自分の責任も小さくなる。

    しかし営業所全体で見れば、話は変わる。

    誰かが数字を作らなければならない。販売機会を逃してはいけない。

    もちろん怖さもあった。

    売れなければ在庫になる。売れれば供給不足になる。

    判断は簡単ではない。

    それでも私は、顧客と何度も話しながら決断した。

    市場の空気を確認する。販売店の声を聞く。競合の状況を見る。情報を集める。

    そして判断する。

    後に1000台案件へつながった動きも、その延長線上にあった。

    自分の数字だけではなく、営業所全体に何が必要か。

    顧客に何を伝えるべきか。どうすれば販売機会を守れるか。

    そんな視点で考えるようになっていた。

    不思議なことに、視点が変わると見える景色も変わった。

    数字だけではなく、人の動きが見える。上司の苦労も見える。組織の事情も見える。

    会社全体の流れも見える。

    その頃だった。

    大阪への異動の話が出た。

    もちろん嬉しかった。営業として一度は挑戦したかった市場だった。

    しかし以前とは少し違った。

    大阪へ行くこと自体が目的ではなくなっていた。

    広島でやるべきことはやった。

    そう思えたからだった。

    振り返れば、学んだことは単純だった。

    場所が人を成長させるのではない。役職が人を成長させるのでもない。

    今いる場所で何を見るか。

    それが人を成長させる。

    営業所全体を見るようになった経験は、その後の新規事業でも商品企画でも役立った。

    そして私は大阪で、さらに新しい学びと出会うことになる。

    それは、人を動かすことの難しさだった。


    第七章 販売ヘルパーから学んだマネジメント


    「鈴木さん、それ現場じゃ無理っすよ」

    販売ヘルパーにそう言われた。

    私は一瞬、言葉に詰まった。

    正論だと思っていたからだ。売場をこう変えた方がいい。この商品をもっと前へ出した方がいい。この提案なら売れるはずだ。

    営業としての経験から、そう考えていた。

    しかし現場に立つ彼らから見れば違った。その瞬間、私は気付かされた。

    自分はまだ現場を分かっていない。

    大阪へ異動した。

    念願だった関西勤務だった。広島より市場は大きい。担当法人も大きい。

    売上規模も大きい。

    営業として、もっと大きな仕事ができる。そんな期待を抱いていた。

    しかし着任してすぐに分かった。

    難しさも桁違いだった。取引先との関係は一から作らなければならない。前任者との比較もある。

    競合も強い。求められるスピードも速い。

    そしてもう一つ、新しい役割があった。

    販売ヘルパーのマネジメントだった。

    販売ヘルパーは店舗の最前線にいる。

    お客様と接する。販売店スタッフと関わる。売場を作る。

    メーカーの顔として立つ。

    現場そのものだった。

    担当は五人ほど。

    年齢も性格もバラバラだった。お笑い芸人を目指しながら働いている人。誰からも愛される巨漢のベテラン。

    販売経験豊富な人。マイペースな人。

    全員が個性的だった。

    最初は戸惑った。

    営業は自分が動けば成果になる。しかしマネジメントは違う。自分だけ頑張っても成果にならない。

    相手に動いてもらわなければならない。

    そこが難しかった。

    最初の頃の私は、つい営業目線で話していた。

    「もっとこうした方がいい」

    「この商品を推してほしい」

    「この売場なら売れると思う」

    間違ってはいない。

    しかし伝わらなかった。なぜなら彼らには、彼らの現場があるからだ。

    店長との関係。販売店スタッフとの関係。店舗ごとのルール。競合メーカーとの競争。

    売場スペースの制約。お客様対応。

    現場に立つ人間にしか分からない苦労がある。

    ある時、私は気付いた。

    先に話を聞かなければいけない。

    それは営業時代と同じだった。

    顧客もそうだった。販売店もそうだった。

    相手を理解する前に、こちらの正論をぶつけても人は動かない。

    だから聞くようになった。

    「最近どう?」

    「困っていることある?」

    「競合どう?」

    「店長何て言ってる?」

    すると少しずつ本音が出てくる。

    「あの店舗は協力的じゃないんです」

    「競合メーカーが強くて厳しいです」

    「売場スペースが足りません」

    「価格差が大きすぎます」

    それまで見えていなかった景色が見えてきた。

    同じ売場でも、人によって全く違う課題を抱えている。

    私は初めてそれを理解した。

    そしてもう一つ、大切にしていたことがある。

    ガス抜きだった。

    人は感情で動く。

    どれだけ正しいことを言っても、不満やストレスを抱えたままでは前を向けない。

    だから仕事以外の話もした。

    趣味の話。家族の話。将来の話。時には恋愛相談まであった。

    広島時代、販売店との雑談が信頼につながったように、ヘルパーとの関係も同じだった。

    人は管理されたいわけではない。理解されたいのだ。

    そんなことを感じるようになった。

    すると少しずつ変化が現れた。

    報告が増えた。相談が増えた。提案が増えた。

    「この売場を変えてみたいです」

    「こんな販促どうでしょう」

    「この店舗ならこの商品が売れそうです」

    指示待ちではなくなっていった。

    それが嬉しかった。

    マネジメントは人を動かすことではない。

    人が動きやすい環境を作ることなのかもしれない。

    私はそう考えるようになった。

    そして大阪では、もう一つ大きな学びがあった。

    売場には、会社が知らない情報が溢れているということだった。

    本社が考える売り方。メーカーが作る販促物。実際に売れている理由。競合が仕掛けている施策。

    その間には大きな差があった。

    会議室で考えられた戦略よりも、売場の一角に置かれた手書きPOPの方が売れていることもある。

    本社が重要だと思っている機能より、お客様は別のポイントを気にしていることもある。

    答えは現場に落ちていた。

    私は次第に考えるようになった。

    なぜこの商品は売れるのか。なぜこの商品は売れないのか。

    本当に現場が欲しい商品とは何なのか。

    売る側としてではなく、作る側として考え始めていた。

    その問いが、後の商品企画、そして新規事業への挑戦につながっていくことになる。


    第八章 売場には会社が知らない情報がある


    「この商品、機能はいいんですけど説明が難しいんですよね」

    販売店スタッフがそう言った。

    私は商品を見た。社内では評価の高い商品だった。機能も充実している。価格競争力もある。

    資料も作り込まれている。それでも売場では苦戦していた。

    大阪へ異動してから、私は以前にも増して現場へ足を運ぶようになった。

    カー用品量販店。中古車販売法人。タイヤ代理店。車載機器専門商社。

    地域密着型の販売店。大型店舗。専門店。

    担当法人の本部だけでなく、実際に商品が売られ、取り付けられ、使われる場所を見るようになった。

    営業として店舗へ行く。

    売場を見る。販売ヘルパーと話す。店長と話す。販売スタッフと話す。

    代理店担当者と話す。競合メーカーを確認する。

    その繰り返しだった。

    そして気付いた。

    会社が見ている景色と、売場が見ている景色は違う。

    本社で考えられた販促施策。営業会議で共有される成功事例。メーカーが考える理想の売場。

    それらは間違っていない。しかし現場には現場の現実がある。

    人手不足がある。限られた売場スペースがある。販売員ごとの知識差がある。

    競合との価格競争もある。店舗ごとの販売スタイルもある。

    会議室では見えない課題が、山ほど転がっていた。

    特に印象的だった競合メーカーがある。

    当時、多くのメーカーは販促モニターで商品紹介動画を流していた。商品の特徴を説明する。CMを流す。

    イメージ映像を流す。それが当たり前だった。

    しかし、そのメーカーは違った。

    タッチパネル式の販促モニターを設置していた。お客様自身が操作できる。

    昼間の録画映像。夜間の録画映像。逆光環境。フロントカメラ。リアカメラ。商品比較。

    知りたい情報を自分で選べるようになっていた。

    私は感心した。

    店舗も人手不足だった。販売員が全ての商品を説明できるわけではない。

    お客様も来店前にインターネットで情報収集している。

    その現実を前提に作られた仕組みだった。

    単なる販促モニターではない。

    売場の課題を理解した仕組みだった。

    その時、私は思った。

    商品だけ見ていてもダメだ。売場を見なければいけない。お客様を見なければいけない。

    販売する人を見なければいけない。競合を見なければいけない。

    そうして初めて、本当に意味のある提案ができる。

    広島時代は、目の前の数字を追うことで精一杯だった。

    しかし大阪では見方が変わっていた。

    なぜ売れるのか。なぜ売れないのか。

    なぜ競合はそうするのか。なぜ本社はその施策を選んだのか。

    営業として結果を追いながらも、私は次第に仕組みそのものへ興味を持つようになっていた。

    そんな頃だった。

    社内FA制度の募集案内を見つけた。他事業部へ挑戦できる制度だった。

    営業以外の世界を見てみたい。売る側だけではなく、事業を考える側を経験したい。

    そう思った。

    応募先として興味を持ったのは、DX関連部署だった。

    通信機能付きドライブレコーダーを活用し、保険会社向けサービスを展開している部門だった。

    ハードウェアを売るだけではない。通信。データ。クラウド。サービス。

    モノからコトへ。業界が変わり始めているように見えた。

    私は強く惹かれた。

    人事へ相談した。

    募集もあると言われた。面談も行われた。手応えもあった。

    だから可能性はあると思っていた。

    しかし結果は違った。

    見送りだった。

    年明け。結果通知を開く。

    短い文面だった。不採用。

    正直、悔しかった。

    納得もできなかった。募集があると聞いた。応募した。面談もした。

    それでも通らなかった。

    後から耳にした話では、営業部門側が引き留めたらしい。

    真偽は分からない。実際に何が話し合われたのかも知らない。

    ただ当時の会社は、若手営業人材が少なかった。営業で数字を作れる人材は貴重だった。

    そういう事情もあったのだろう。

    今なら理解できる。

    だが当時は違った。

    だったら最初から募集しなければいいじゃないか。

    そんな感情もあった。

    久しぶりに味わう不採用だった。

    それでも不思議と後悔はなかった。

    むしろ自分の中の変化を確信していた。

    営業のままで終わりたくない。もっと違う景色を見たい。もっと広い視点を持ちたい。

    その気持ちは本物だった。

    だから思った。

    結果は残念だった。でも手を挙げたことは間違っていない。

    何もしなければ何も起きない。

    落ちてもいい。まず挑戦する。

    そして数か月後。

    その挑戦は思わぬ形で返ってくる。

    営業でもない。応募したDX部門でもない。商品企画でもない。

    新規事業推進部。

    まったく想像していなかった部署への異動だった。

    人生は時々、自分が望んだ入口ではなく、別の入口から次のステージへ連れて行く。

    その時の私はまだ知らなかった。自転車市場の調査。地方自治体との実証実験。海外企業との交渉。

    英語でのNDA締結。そして、自分の限界を何度も超える挑戦が待っていることを。


    第九章 営業が新規事業へ行って知った現実


    「それ、どこで売るんだろう」

    会議中、私は何度もそう思っていた。

    資料はきれいだった。市場規模も書かれている。将来性もある。新しさもある。

    しかし営業をしてきた私には、どうしても気になることがあった。

    誰が売るのか。どこで売るのか。本当に作れるのか。続けられるのか。

    お金を払う人は誰なのか。

    どれだけ面白いアイデアでも、売れなければ事業にはならない。

    どれだけ未来感のある企画でも、作れなければ商品にはならない。どれだけ会議室で盛り上がっても、お客様に届かなければ意味がない。

    新規事業推進部に異動して、私はまずその現実を知ることになる。

    新規事業推進部への異動を聞いた時、正直驚いた。

    営業でもない。社内FAで応募したDX部門でもない。商品企画でもない。

    新規事業推進部。

    それまで、ほとんど接点のない部署だった。

    何をする部署なのか。どんな仕事なのか。どんな人たちがいるのか。

    詳しくは知らなかった。

    ただ、一つだけ思った。

    面白そうだ。

    せっかくならやってみよう。

    自分が希望した入口ではなかった。けれど、目の前に開いた入口ではあった。

    異動して最初に驚いたのは、メンバーの顔ぶれだった。

    営業、開発、品質保証、生産技術、調達に強い人、事業企画に近い人。いろいろな部署から人が集まっていた。

    新規事業の専門家集団というより、会社の中からそれぞれの経験を持った人たちが集められたチームだった。

    最初は戸惑った。

    同じテーマについて話しているはずなのに、見ている景色がまったく違う。

    営業は顧客を見る。開発は技術を見る。品質保証はリスクを見る。

    生産技術は作り方を見る。調達は仕入れやコストを見る。

    会議では意見がぶつかることもあった。

    だが後になって思う。新規事業には、むしろその違いが必要だった。

    一人の発想だけでは、事業は作れない。

    いろいろな視点がぶつかり合って、ようやく現実に近づいていく。

    それでも、営業出身の私は会議に出るたびに心の中で引っかかっていた。

    それ、どこで売るんだろう。誰が売るんだろう。本当に作れるんだろうか。

    新規事業の世界では、自由な発想が歓迎される。

    それ自体は大事だと思う。しかし自由な発想だけでは、事業は前に進まない。

    私は心の中で、そうした企画を「自由研究」と呼んでいた。

    アイデアとしては面白い。夢もある。資料にすると見栄えもする。

    でも製造できない。売り先がない。お金を払う人が見えない。

    継続して供給できる見通しがない。それでは事業にはならない。

    私がそこまで販路や販売可能性にこだわったのには理由がある。

    営業時代の経験だった。

    当時、会社ではカーエレクトロニクス以外の新しいカテゴリーに挑戦する企画がいくつかあった。

    アルミホイール、セキュリティ関連商品、蓄電関連商品。既存のカーナビやドライブレコーダーとは少し離れたカテゴリーだった。

    企画そのものが悪かったわけではない。

    市場はある。商品もある。価格も考えられている。新しい売上を作ろうという意図も分かる。

    しかし現場では、別の問題が起きていた。

    どこに置くのか。

    これが決まっていなかった。

    カー用品店には棚割りがある。

    売場スペースは有限だ。何を置くか。どこに置くか。どの商品を減らすか。

    どのカテゴリーの中に入れるか。細かな調整がある。

    バイヤーとの交渉もある。店舗ごとの事情もある。既存商品の売場もある。

    競合商品の場所もある。

    しかし企画側は、そこまで見えていないことがあった。

    商品はできた。でも売場が決まっていない。バイヤーと十分に話せていない。

    棚割りや売場レイアウトの現実が、詰め切れていない。

    結果として、現場営業に丸投げされる。

    「この商品を置いてもらえませんか」

    「売場を少し空けてもらえませんか」

    「このカテゴリーの横に置けませんか」

    「競合商品を少し減らしてもらえませんか」

    営業担当者が頭を下げて回る。

    もちろん営業の仕事だから、不満だけで終わらせるつもりはなかった。

    ただ、私は思っていた。

    企画と販路はセットではないのか。

    商品があるだけでは売れない。置く場所が必要だ。売る人が必要だ。

    説明できる環境が必要だ。お客様の目に入る導線が必要だ。

    商品企画とは、商品そのものだけを考える仕事ではない。

    売れる状態まで設計する仕事なのだと思った。

    だから新規事業へ来た時、私は自然と販路を調べるようになった。

    誰が売るのか。どこで売るのか。既存販路を使えるのか。

    新しい販路が必要なのか。製造委託先はあるのか。量産できるのか。

    再現性はあるのか。事業として継続できるのか。

    企画案と同時に、販売可能性や製造委託先も調べた。

    市場を調べる。競合を見る。協業候補を探す。

    OEMやODMの候補先を探す。国内外の企業へ問い合わせる。

    必要なら電話もする。メールも送る。

    営業時代の癖が抜けなかったのかもしれない。

    しかし結果的に、その動き方は役に立った。

    実際、新規事業の企画はそこで止まることが多かった。

    アイデアはある。でも作り方がない。売り方がない。

    事業として成立させる道筋がない。

    だから前へ進まない。特に新規領域では、その壁が大きかった。

    自社には、カーエレクトロニクスや無線技術など、長年積み上げてきた強みがあった。

    その周辺領域であれば、技術アセットもある。開発経験もある。

    販売チャネルもある。顧客接点もある。

    しかし、まったく異なる市場になると話は違う。

    技術がない。開発体制がない。製造委託先がない。

    販売チャネルもない。

    その状態で新規事業を作るのは、想像以上に難しかった。

    営業時代、私は新規事業として出てきた商品を見て、「こんなもの、どこで売るんだ」と思ったことがある。

    当時は、企画側に対して厳しい目を向けていた。

    しかし自分が企画側に来て、見え方が変わった。

    企画する側も、簡単に作れるわけではない。

    自社に技術がない。作れる会社がない。販売ルートがない。

    品質保証が難しい。コストが合わない。

    そういう現実の中で、何とか形にしようとしていた。

    現実的に世に出せるものは、すでに市場にある商品に自社ブランドを付けたり、色や仕様を変えたり、自社の販売網に乗せられる形にしたものも多かった。

    私はそれを悪いとは思わなかった。

    むしろ現実的だと思った。

    会社には得意なことがある。

    逆に、不得意なこともある。

    その現実を無視して事業は作れない。

    新規事業推進部で学んだ最初のことは、アイデアの出し方ではなかった。

    事業は夢だけでは作れないということだった。

    技術、製造、販路、顧客、収益、契約、品質。

    現実を一つずつ積み上げた先にしか、事業は存在しない。

    そしてその現実を見る目は、営業時代に現場で鍛えられていた。

    売場で見たこと。販売店で聞いたこと。顧客の言葉の奥を読むこと。

    本当に売れるのかを疑うこと。

    それらはすべて、新規事業でも生きていた。

    営業だった私は、新規事業に来て初めて知った。

    売ることと、事業を作ることは違う。

    でも完全に別物でもない。

    売る現場を知っているからこそ、事業に必要な現実が見える。

    作る側に来たからこそ、営業時代に文句を言っていた商品の裏側も見える。

    その両方を知ったことで、私は少しだけ視野が広がった気がした。

    ただ、事業を前へ進めるには、それだけでは足りなかった。

    販路を考え、顧客を想像し、売れる可能性を見る。

    それでも新規事業は、一人では動かない。

    そのことを私は、次の仕事の中で痛感することになる。


    第十章 一人では事業は動かない


    「鈴木さん、これどう思いますか?」

    新規事業推進部へ異動してから、そう声を掛けられる機会が増えた。

    営業時代とは少し違う。顧客から相談されているわけではない。

    社内のメンバーからだった。

    私は最初、その変化に戸惑っていた。

    営業時代の私は、自分で動けば何とかなると思っていた。

    顧客へ行く。話を聞く。提案する。調整する。

    数字を作る。

    もちろん一人で仕事をしていたわけではない。

    事務担当もいた。物流担当もいた。技術サポートもいた。

    販売店にも支えられていた。

    それでも最後は、自分が動くことで結果が変わる感覚があった。

    しかし新規事業は違った。

    驚くほど、一人でできることが少なかった。

    市場調査をする。仮説を作る。企画書を書く。

    そこまでは一人でもできる。

    だが、その先が進まない。

    技術が必要になる。法務が必要になる。品質保証が必要になる。

    製造が必要になる。調達が必要になる。販路も必要になる。

    一つでも欠けると前へ進まない。

    資料の上では成立していても、現実の事業にはならない。

    私は何度もその壁にぶつかった。

    AR技術を活用した企画を検討していた頃、私は長野県のある地域を訪れた。

    観光向けの実証実験が行われていたからだ。

    スマートグラスを装着し、自転車で町を巡る。

    視界には観光案内やナビ情報が表示される。未来的な体験だった。

    実際に体験してみると、技術としては面白かった。

    可能性も感じた。

    しかし同時に、別の感覚もあった。

    少し危ないかもしれない。

    現実の道路を見る。AR情報を見る。進行方向を確認する。

    周囲の歩行者や車にも注意する。

    視線が分散する。情報量が増える。

    特に自転車は不安定だ。

    交差点もある。段差もある。歩行者もいる。

    便利さと安全性の両立は、思った以上に難しかった。

    資料だけ読んでいたら見えなかった課題だった。

    実際に使ってみて初めて分かる。

    営業時代に現場を回っていた経験が、ここでも生きていた。

    会議室で考えるだけでは足りない。

    現場へ行く。体験する。利用者を見る。

    そこで初めて見えることがある。

    私は改めて思った。

    新規事業に必要なのはアイデアだけではない。

    現実に使われる姿まで想像することだ。

    海外企業とのやり取りも同じだった。

    英語は得意ではなかった。留学経験もない。海外勤務経験もない。

    それでも海外企業へ連絡しなければ、企画は進まない。

    Google翻訳を使う。メールを書く。読み返す。

    また修正する。送信ボタンを押す。

    返信が来る。また翻訳する。調べる。

    返事を書く。

    正直、格好いいものではなかった。

    それでも前へ進めるために、やるしかなかった。

    さらに協業検討が進むと、英語のNDAも出てきた。

    契約書を読む。翻訳する。法務へ確認する。

    コメントを理解する。先方へ返答する。

    最初は何が書いてあるのかよく分からなかった。

    法務の指摘も理解できない。

    また調べる。また聞く。

    少しずつ学ぶ。

    その繰り返しだった。

    だが、ここで私は重要なことに気付いた。

    誰も一人ではやっていなかった。

    法務は契約を見る。技術者は実現可能性を見る。

    英語が得意な同僚は海外企業と交渉する。

    私は市場を見る。販路を考える。顧客視点を持ち込む。

    それぞれが違う役割を担っていた。

    だから前へ進める。

    若い頃の私は、できないことを見せるのが苦手だった。

    知らないと言うのも嫌だった。助けを求めるのも得意ではなかった。

    しかし新規事業では、知らないことだらけだった。

    分からない。だから聞く。

    できない。だから助けてもらう。

    知らない。だから学ぶ。

    それを繰り返すしかなかった。

    営業出身の私には設計はできない。ソフトウェアも分からない。

    品質保証も専門外だ。英語も得意ではない。

    できないことを数えれば、いくらでもあった。

    でも、できることもあった。

    人に会うこと。話を聞くこと。市場を調べること。

    外部企業へ連絡すること。仮説を立てること。

    販路を考えること。売れる可能性を見極めること。

    営業時代に培った力だった。

    だから私は、自分にできることでは前に出ようと思った。

    ある時、チームメンバーが調査に苦労していた。

    大学の先生。支援団体。財団法人。現場の関係者。

    話を聞かなければ企画は進まない。

    しかし接点がない。どう進めればいいか分からない。

    私は言った。

    「自分が動きますよ」

    知らない人へ連絡する。

    初対面の相手と話す。話を聞く。信頼関係を作る。

    営業時代なら、当たり前にやっていたことだった。

    その時、改めて思った。

    強みは人によって違う。

    設計が得意な人がいる。分析が得意な人がいる。

    品質を見るのが得意な人がいる。英語が得意な人がいる。

    契約に詳しい人がいる。

    そして私は、人に会い、話を聞き、関係を作ることが得意だった。

    それでいいのだと思った。

    新規事業で学んだ最大のことは、アイデアの作り方ではなかった。

    人の力を借りることだった。

    そして、自分も誰かの力だからこそ面白かった。

    もちろん、うまくいくことばかりではない。

    仮説は外れる。話はまとまらない。企画は止まる。

    それでも、自分たちの手で新しい可能性を探していく時間にやりがいを感じていた。

    そんな矢先の異動だった。

    ようやく新規事業の面白さが分かり始めた頃、次の行き先が告げられる。

    今度は、事業ではなく商品そのものを考える仕事だった。


    第十一章 自分の人生に人事異動を起こす


    「次の異動先は商品企画です」

    その言葉を聞いた時、私は少し複雑な気持ちになった。

    新規事業推進部は突然なくなった。

    正確には組織再編だった。しかし私の感覚としては違った。

    ようやく仕事が面白くなってきたところで、目の前の道が突然途切れたような感覚だった。

    市場を調べる。外部企業へ連絡する。協業先を探す。

    仮説を立てる。現場で検証する。事業の種を探す。

    答えのない仕事だった。

    だからこそ面白かった。

    もちろん、うまくいくことばかりではない。

    仮説は外れる。話はまとまらない。企画は止まる。

    それでも、自分たちの手で新しい可能性を探していく時間にやりがいを感じていた。

    そんな中で、次に告げられたのが商品企画だった。

    もちろん重要な仕事であることは理解していた。

    会社の利益を支える。既存商品を守る。品質を維持する。

    原価を管理する。販売継続のために関係部署と調整する。

    会社にとって欠かせない役割だ。

    そのことは十分に分かっていた。

    しかし正直に言えば、私はあまり心が躍らなかった。

    会議ではコストの話が中心になる。

    この部品は変更できないか。この仕様は見直せないか。利益率を改善できないか。

    原価を下げられないか。

    もちろん大切な仕事だ。

    会社は利益がなければ続かない。私はその現実を理解していた。

    それでも心のどこかで思っていた。

    これは、自分が一番力を発揮できる場所ではない。

    営業時代、私は売上が生まれる瞬間が好きだった。

    顧客の話を聞く。課題を見つける。提案する。

    採用される。数字になる。

    その一連の流れに面白さを感じていた。

    広島では販売店を回り、ドラレコ1000台の案件にも取り組んだ。

    大阪では売場へ足を運び、どうすれば商品が動くのかを考え続けた。

    新規事業推進部では、市場を調べ、協業先を探し、事業の可能性を模索した。

    振り返ると、どの仕事にも共通点があった。

    私は、新しい接点を作ることが好きだった。

    新しい販路を作ること。新しい価値を広げること。

    新しい市場を育てること。

    そこに強い興味を持っていた。

    既存商品のコストを下げることよりも、新しい売上を作ること。

    利益を守ることよりも、利益を生み出す仕組みを考えること。

    アライアンスを組むこと。販路を開くこと。事業を育てること。

    そうした仕事に心が動いていた。

    商品企画へ異動したことで、逆にそれがはっきりした。

    向いていない仕事は無駄ではない。

    むしろ、自分を知る材料になる。

    何に熱量が湧くのか。どこで力を発揮できるのか。

    何に違和感を覚えるのか。

    それは頭の中で考えているだけでは分からない。

    実際にその場所へ行き、その仕事を経験して初めて見えてくる。

    私は商品企画を経験したからこそ、自分の軸を言葉にできるようになった。

    自分は守る側よりも、作る側にいたい。

    既存市場を維持するよりも、新しい市場を作りたい。

    数字を守るだけでなく、新しい数字を生み出したい。

    その思いは、以前よりもはっきりしていた。

    だから迷わなかった。

    会社の人事異動を待ち続けるのか。

    それとも自分で動くのか。

    社内FAでは希望通りにならなかった。

    新規事業推進部も組織再編でなくなった。

    商品企画も、自分が進みたい方向とは少し違っていた。

    ならば、自分で環境を変えるしかない。

    会社の人事異動を待つのではない。

    自分自身で、自分の人生に人事異動を起こす。

    私にとって、それが転職だった。

    職務経歴書を書き直した。

    これまでの経験を整理した。

    製紙メーカーでの法人営業。人材紹介会社での企業担当営業。

    カーエレクトロニクスメーカーでの営業。

    ドラレコ1000台案件。販売ヘルパーのマネジメント。

    新規事業推進。市場調査。海外企業との協業検討。商品企画。

    一見するとバラバラだった。

    しかし整理していくと、不思議なほど共通点があった。

    私はいつも、人と市場の接点に興味を持っていた。

    顧客の声を聞く。課題を見つける。人をつなぐ。

    販路を作る。新しい価値を広げる。

    そうした仕事ばかり選んできた。

    転職サービスにも登録した。

    求人サイトを見る。企業研究をする。エージェントと面談する。

    まだ次にどこへ行くのかは分からなかった。

    それでも一つだけ確かなことがあった。

    今よりも、自分が進みたい方向へ近づきたい。

    その思いだけは揺らがなかった。

    だから私は動いた。

    完璧な準備ができていたわけではない。

    次の会社が決まっていたわけでもない。

    それでも、自分の意思で一歩を踏み出した。

    その決断が、後に私のキャリアを大きく変えることになる。

    そして、そんな転職活動の最中だった。

    私は、思いがけない企業から声をかけられることになる。

    それは、これまで外側から見ていた自動車業界の中へ入っていく、小さな入口だった。


    第十二章 市場を変える側へ行きたかった


    メールボックスに、一通の通知が届いた。

    ビズリーチのプラチナスカウトだった。企業から直接届く、特別なスカウトである。

    それまで私は転職サービスへ登録しながらも、どこか半信半疑だった。

    本当に自分の経歴に興味を持つ会社があるのだろうか。登録したところで、何か変わるのだろうか。そんな気持ちもあった。

    理由は単純だった。

    私は人材紹介会社で企業担当営業を経験していた。数多くの転職活動を見てきた。

    転職市場の厳しさも知っていた。

    優秀な人でも苦戦する。経験豊富な人でも決まらない。年齢を重ねるほど、選択肢は狭くなる。

    そして何より、転職回数を重ねたことで身動きが取りづらくなっている求職者も見てきた。

    一社ごとの経験には意味がある。本人にも、転職した理由がある。

    それでも企業側から見ると、違う見え方をされることがある。

    「またすぐ辞めてしまうのではないか」

    「キャリアに一貫性がないのではないか」

    本人は前に進みたくて転職してきた。

    しかし結果として、次の選択肢が狭くなってしまう。そんな現実も見てきた。

    だからこそ、自分自身の転職活動も簡単ではないと思っていた。

    これが三度目の転職になる。決して転職回数が少ないわけではない。

    完成車メーカーが好むような開発経験があるわけでもない。海外赴任経験もない。

    英語が堪能なわけでもない。商品企画の経験はあったが、王道の企画畑を歩んできたわけでもない。

    正直に言えば、書類選考の段階で苦戦するかもしれない。

    そんな不安もあった。

    だからこそ、その通知を見た時は少し驚いた。

    差出人を見て、思わず画面を見直した。

    完成車メーカーだった。

    転職活動を始めた時点で、完成車メーカーだけを狙っていたわけではない。

    ただ、自分の進みたい方向だけは見えていた。

    営業として売上を作る。販路を開拓する。外部企業とアライアンスを組む。

    新規事業を推進する。事業を成長させる。

    そういう仕事がしたかった。

    だから「完成車メーカー」という文字を見た時、自然と心が動いた。

    私は長年、サプライヤー側から自動車業界を見てきた。

    販売店へ行く。売場を見る。商品を提案する。

    市場の変化を見る。

    その中で、何度も感じていたことがある。

    市場を動かしているのは誰なのか。

    完成車メーカーだった。

    カーナビも、ドライブレコーダーも、カーオーディオも、車そのものの設計が変われば立ち位置が変わる。

    メーカーオプションが増える。ディスプレイオーディオが普及する。スマホ連携が進む。

    コネクテッド化が進む。

    そのたびに、売場の景色は変わった。

    私たちサプライヤーは、その変化に対応する立場だった。

    もちろん、それも重要な仕事だ。変化に対応し、売場で商品を届ける。

    販売店と向き合い、顧客の反応を見る。そこでしか分からないこともたくさんあった。

    ただ、いつしか私は思うようになっていた。

    変化に対応する側だけではなく、変化を作る側の景色を見てみたい。

    完成車メーカーは何を考えているのか。

    なぜその仕様を選ぶのか。どんな未来を描いているのか。

    車を使う人の体験を、どう変えようとしているのか。

    そこに強い興味があった。

    選考は、カジュアル面談から始まった。

    会社の話を聞く。事業の話を聞く。仕事内容を聞く。

    そして自分の経験を話す。

    製紙メーカーでの法人営業。人材紹介会社での企業担当営業。カーエレクトロニクスメーカーでの販売店営業。

    販売ヘルパーマネジメント。新規事業推進。商品企画。

    話しながら、不思議な感覚があった。

    それぞれは別々の経験に見える。しかし説明しようとすると、一つの流れになる。

    なぜその仕事をしてきたのか。何を学んだのか。次に何をしたいのか。

    転職活動は、自分の過去を整理する作業でもあった。

    カジュアル面談の後、次に案内されたのは最終面接だった。

    私は少し驚いた。通常であれば一次面接、二次面接、最終面接と進むことが多い。

    しかし今回は違った。

    理由は分からない。

    ただ一つだけ決めた。

    準備だけは徹底的にやろう。

    人材紹介会社時代、私は企業側の採用支援をしていた。

    企業が何を見ているのか。どんな人材を求めているのか。どこに不安を感じるのか。

    ある程度は理解していた。

    だからこそ、準備の仕方も分かっていた。

    IR資料を読む。決算説明資料を読む。中期経営計画を読む。

    ニュースを確認する。経営トップの発言を調べる。事業の方向性を理解する。

    そして考える。

    なぜ転職するのか。なぜ完成車メーカーなのか。なぜ今なのか。

    営業経験をどう活かすのか。新規事業経験をどう活かすのか。商品企画経験をどう活かすのか。

    サプライヤー側から完成車メーカー側へ移る意味は何か。

    自分の言葉で説明できるまで整理した。

    ただ、私は一方的に評価されるつもりはなかった。

    こちらも会社を見るつもりだった。

    特に気になっていたのは、配属予定の事業だった。

    法人向け車両管理サービス。

    当時の私は、その領域を詳しく知らなかった。

    だからこそ聞いた。

    この事業はどこを目指しているのか。なぜ今取り組むのか。競合との違いは何か。

    協業先との役割分担はどうなっているのか。将来どのような事業へ成長させたいのか。

    答えにくい質問もした。あえて弱点も聞いた。

    人材紹介会社時代に学んだことがあった。

    面接は、企業が応募者を評価する場であると同時に、応募者が企業を見極める場でもある。

    入社後に「思っていた仕事と違った」となる方が不幸だ。

    だから私は遠慮しなかった。

    正直、全てに納得できたわけではない。

    将来の競争優位はどこにあるのか。どこまで自社でやるのか。どこからが協業先なのか。

    明確な答えが返らない部分もあった。

    少し不安もあった。

    それでも私は前へ進むことを選んだ。

    理由は単純だった。

    既存商品のコストを削り続ける未来より、新しい売上を作る未来の方が面白そうだったからだ。

    完成された市場を守る仕事より、まだ形になっていない市場を育てる仕事に惹かれた。

    販路を開拓する。協業先を探す。顧客の課題を見つける。

    新しい売上を作る。

    これまで自分が面白いと感じてきた仕事は、いつもその延長線上にあった。

    完璧な答えがあったから選んだわけではない。

    むしろ、まだ曖昧な部分があるからこそ、自分が関われる余地があるのではないか。

    そう思った。

    面接当日。

    緊張はしていた。

    しかし不思議と怖さはなかった。

    面接も結局は対話だと思った。

    質問が来る。答える。また質問が来る。

    さらに答える。

    製紙メーカーで学んだ営業の原点。

    人材紹介会社で見た採用とメーカーの世界。

    広島で鍛えられた現場対応。

    大阪で学んだ売場とマネジメント。

    新規事業で得た市場視点。

    商品企画で見えた自分の方向性。

    無理にきれいな経歴として語ろうとはしなかった。

    遠回りもあった。希望通りでない異動もあった。納得できないこともあった。

    向いていない仕事もあった。

    それでも、その中で何を学び、何を掴んできたのかを話した。

    面接が終わった時、合否は分からなかった。

    ただ一つだけ分かっていた。

    伝え切った。

    そう思えた。

    数日後。

    内定の連絡が来た。

    私は少し黙った。

    うれしかった。

    待遇面の変化ももちろんあった。

    しかし、それ以上にうれしかったのは、自分が積み上げてきた経験が別の会社から必要とされたことだった。

    私は完成車メーカーの王道人材ではなかった。

    新卒から完成車メーカーでキャリアを積んできたわけではない。技術者として開発をしてきたわけでもない。

    海外経験が豊富なわけでもない。

    製紙メーカーで営業を学び、人材紹介会社で製造業を外側から見た。

    その後、カーエレクトロニクスメーカーで販売店営業、新規事業、商品企画を経験してきた。

    販売店の現場を見てきた。市場の変化を見てきた。

    新規事業の難しさも経験してきた。商品企画で自分の向き不向きも知った。

    その経験が評価されたのだとしたら、こんなにありがたいことはなかった。

    もちろん不安はあった。

    完成車メーカーで通用するのか。期待に応えられるのか。埋もれてしまわないか。

    それでも進みたい気持ちの方が強かった。

    私は市場を変える側へ行きたかった。

    売場で変化を眺める側ではなく、その変化を作る側へ行きたかった。

    サプライヤー側から見ていた上流へ、今度は自分が立つ。

    それは怖さもある挑戦だった。

    しかし、安全圏に残る退屈さより、挑戦する怖さの方が自分には合っている。

    そう思った。

    ただ、入社後に待っていた仕事は、私が想像していたような華やかな新規事業ではなかった。

    最初に向き合うことになったのは、法人向け車両管理サービスだった。

    最初は少し地味に見えた。

    けれど、その入口の先に、私は想像もしなかった世界を見ることになる。


    第十三章 車両管理は本命ではなかった


    完成車メーカーへ入社して、最初に向き合うことになったのは法人向け車両管理サービスだった。

    そのテーマであることは、入社前から分かっていた。だから、まったく意外だったわけではない。

    それでも正直に言えば、私が本当にやりたかったテーマは別にあった。

    新しいモビリティサービス、事業開発、アライアンス推進、市場創出、新規事業。

    そうした領域への憧れは確かにあった。

    車両管理そのものに、最初から強い思い入れがあったわけではない。

    それでも転職を決めた。

    理由は単純だった。

    商品企画でコストダウンを議論し続ける未来より、新しい売上を作る側にいたかったからだ。

    利益を削らない方法を考えるより、利益を生み出す方法を考えたい。既存市場を守るより、新しい市場を育てたい。

    昔から、そちらの方が面白かった。

    営業時代もそうだった。

    与えられた市場の中で競争するだけではなく、新しい取引先を開拓する方が好きだった。

    新規事業推進部でもそうだった。

    市場調査を行い、仮説を立て、協業先を探しながら事業の可能性を考える時間にやりがいを感じていた。

    だから車両管理というテーマそのものより、既存事業以外の売上を作るというミッションに惹かれていたのだと思う。

    入社後、私は改めて車両管理の世界を学び始めた。

    そして最初に感じたのは、思っていた以上に地味な世界だな、ということだった。

    カーナビのような華やかさはない。自動運転のような未来感もない。

    テレビCMで話題になることも少ない。SNSで注目されることもほとんどない。車好きが盛り上がるテーマでもない。

    正直に言えば、完成車メーカーに転職して最初に向き合うテーマがこれなのか、と思ったこともあった。

    しかし、その印象は顧客訪問を重ねるたびに変わっていった。

    建設会社、設備工事会社、メンテナンス会社、営業車を持つ企業、配送車を持つ企業、介護事業者、自治体関連企業。

    さまざまな会社を訪問した。

    そこで見たのは、想像以上にアナログな現場だった。

    車検管理はExcel。点検管理は紙。車両台帳も紙。

    運転日報も紙。アルコールチェックの記録も紙。

    担当者の机の引き出しから管理表が出てくることも珍しくなかった。

    壁に貼られた一覧表で管理している会社もあった。ベテラン社員の頭の中で管理されているケースもあった。

    私は少し驚いた。

    自動車業界は変革期と言われている。

    EV、自動運転、コネクテッドカー、AI、データ活用。

    ニュースでは未来の話が語られている。

    しかし現場では、今日の車検期限を管理するだけでも大変だった。

    さらに驚いたのは、担当者の負担だった。

    車両が十台、二十台ならまだいい。しかし五十台、百台になると話は変わる。

    車検期限、法定点検、保険更新、リース満了、事故対応、運転者管理、アルコールチェック、安全運転教育。

    管理項目は膨大になる。

    しかし、専任担当者がいる企業ばかりではない。

    総務担当者が本業の合間に管理しているケースも多かった。

    営業で契約書を作りながら、経理業務をこなしながら、人事業務を担当しながら、その片手間で車両管理も行っている。

    そんな現場も少なくなかった。

    私はその現実を見て考えた。

    こんなに困っている人がいるのか。

    新規事業というと、つい最先端技術に目が向く。

    AI、自動運転、ドローン、ロボット、XR。

    しかし目の前には、もっと切実な課題があった。

    毎月の管理業務が大変。法令対応が追いつかない。担当者が退職したら引き継げない。

    事故対応が属人化している。管理台帳が散在している。

    企業にとっては、こちらの方がよほど深刻だった。

    営業時代に学んだことがある。

    良い商品とは、技術的に優れている商品ではない。

    顧客の困りごとを解決する商品だ。

    その視点で見ると、車両管理の世界は思っていた以上に奥が深かった。

    派手ではない。

    しかし確実に必要とされている。

    そして、まだ改善の余地が大きく残されている市場だった。

    車両管理は本命ではなかった。

    しかし現場へ行くたびに、そこには確かな困りごとがあった。

    派手ではない。

    けれど、誰かが本当に困っている。

    そして、その困りごとを解決できれば、新しい事業になる可能性がある。

    そう思えるようになってから、少しずつ見え方が変わっていった。

    ただ、そのためには、これまでの営業経験だけでは足りなかった。

    モノを売る営業とは違う。

    サービスを提案する営業。課題を整理する営業。導入後の運用まで見据える営業。

    社内外の関係者を巻き込む営業。

    車両管理の奥深さが見え始めた一方で、私はもう一つの現実にも向き合うことになる。

    経験者として入ったはずの自分が、完成車メーカーでは、もう一度新人だったという現実である。


    第十四章 経験者のつもりが、もう一度新人になった


    車両管理の現場課題が少しずつ見え始めた頃、私は別の壁にもぶつかっていた。

    仕事のテーマ以前に、会社そのものが分からなかった。

    年齢は三十七歳だった。社会人になって十三年以上が経っていた。

    営業経験も長い。人材業界も経験した。カーエレクトロニクス業界も経験した。

    新規事業も経験した。商品企画も経験した。職務経歴書だけ見れば、それなりに経験を積んだ中堅社員だったと思う。

    しかし会社が変われば話は別だった。

    会議が始まる。資料が映し出される。誰かが話し始める。

    しかし途中から内容が分からなくなる。

    知らない略語が飛び交う。知らない部署名が出てくる。知らないシステムの話になる。

    周囲は当然のように会話を続けている。

    私は必死にメモを取る。何が分からないのかさえ分からないこともあった。

    社内用語が分からない。組織構造が分からない。誰に相談すればいいのか分からない。

    稟議の流れも分からない。システムの使い方も分からない。

    前職で当たり前にできていたことが、急にできなくなる。

    正直、少し悔しかった。

    完成車メーカーへ来たのだから、もっと即戦力として活躍できると思っていた部分もあった。

    営業経験はある。自動車業界も知っている。新規事業も経験している。

    だから最初から、ある程度はやれると思っていた。

    しかし現実は違った。

    私はまた、一から覚える立場になっていた。

    特に苦労したのは、営業スタイルの違いだった。

    私は長年、モノを売る営業を経験してきた。製紙メーカーでは業務用紙製品。カーエレクトロニクスメーカーではカーナビやドライブレコーダー。

    もちろん提案営業ではあった。

    しかし商品そのものは比較的分かりやすい。機能がある。価格がある。競合がいる。

    その違いを説明しながら提案していく。

    ところが車両管理サービスは違った。

    同じサービスを提案しているはずなのに、商談の中身が毎回違う。

    建設会社。設備工事会社。メンテナンス会社。配送会社。営業車中心の会社。

    同じ車両管理でも、困りごとはまったく違った。

    ある会社はアルコールチェックだった。別の会社は車検管理だった。

    車両台帳の管理に悩んでいる会社もある。事故対応に困っている会社もある。

    紙運用から抜け出せない会社もある。

    つまり商品説明だけでは契約にならない。

    まず現状を理解しなければならない。

    どんな運用をしているのか。何に困っているのか。なぜ困っているのか。

    誰が困っているのか。

    そこから整理する必要があった。

    私は営業経験者だった。

    しかし、この世界では初心者だった。

    そしてもう一つ、学び直しが必要だったものがある。

    SaaSだった。

    言葉自体は知っていた。営業時代にも聞いたことはあった。

    しかし実際にその世界で働くのは初めてだった。

    フィールドセールス。インサイドセールス。カスタマーサクセス。

    CRM。MA。SFA。

    聞いたことはある。

    しかし理解していることと、実務で使えることは別だった。

    商談の作り方も違う。営業プロセスも違う。

    数字の見方も違う。

    前職では自分で販売店へ足を運び、自分で案件を作ることが多かった。

    しかし今回は違う。

    インサイドセールスが商談を獲得する。その情報を引き継ぐ。

    課題を整理する。提案する。受注につなげる。

    役割が明確に分かれていた。

    最初は戸惑った。

    どこまで聞けばいいのか。どこまで提案すべきなのか。

    どのタイミングで提案書を出すのか。受注確度はどう判断するのか。

    似ているようで、これまでの営業とは違った。

    だから私は勉強した。

    本を読む。業界記事を読む。競合サービスを調べる。

    営業資料を読み込む。展示会へ行く。顧客の声を聞く。

    分からないことは素直に聞く。

    若手社員にも教わる。

    若い頃ならできなかったかもしれない。

    知らないことを認めるのが恥ずかしかったからだ。

    しかし三十代後半になる頃には、考え方も少し変わっていた。

    知らないことは知らない。分からないことは聞く。

    その方が早い。

    変なプライドを守るより、学んだ方が前へ進める。

    そう思えるようになっていた。

    転職直後は、プライドとの戦いでもあった。

    前職では後輩に教える立場だった。営業の相談を受けることもあった。

    新規事業の相談を受けることもあった。

    しかし転職すると逆になる。

    若手社員に教わる。社内システムを教わる。商品知識を教わる。

    商談の進め方を教わる。

    最初は少し悔しかった。

    しかし途中から考え方を変えた。

    教えてもらえるうちが花だ。

    新人として質問できる期間は長くない。だったら吸収できるだけ吸収した方がいい。

    そう思うようになった。

    振り返れば、私は何度も新人をやってきた。

    製紙メーカーへ入社した時。人材業界へ転職した時。

    カーエレクトロニクス業界へ飛び込んだ時。広島へ異動した時。

    大阪へ異動した時。新規事業推進部へ異動した時。

    商品企画へ異動した時。

    そのたびに、知らない、分からない、できない、から始まった。

    今回も同じだった。

    だから決めた。

    もう一度、聞くところから始めよう。

    もう一度、学ぶところから始めよう。

    経験はある。

    しかし経験だけで乗り切れるほど、新しい環境は甘くない。

    一方で、過去の経験が無駄になっているわけでもなかった。

    顧客との対話。課題の深掘り。提案の組み立て。

    信頼関係の構築。商談の進め方。相手の本音を引き出す力。

    商品は違う。業界も違う。会社も違う。

    しかし営業の本質は変わらなかった。

    少しずつ商談にも慣れていった。

    顧客との会話も深くなった。提案の組み立ても分かるようになった。

    そして車両管理というテーマも、最初に思っていた以上に奥が深いことが見えてきた。

    同時に、不思議な感覚もあった。

    製紙メーカーで学んだ営業。人材業界で学んだヒアリング。

    販売店営業で培った現場感覚。新規事業で身につけた市場を見る視点。

    商品企画で知った収益構造。

    当時はバラバラだった経験が、少しずつ今の仕事の中で顔を出し始めていた。

    もちろん、その時はまだはっきりとは気付いていなかった。

    広島での経験も。大阪での経験も。人材業界で学んだことも。

    新規事業で苦労したことも。商品企画で感じた違和感も。

    無駄だったものは一つもなかったということを。

    当時の私は、ただ目の前の仕事を覚えることで精一杯だった。

    しかし振り返れば、この頃から少しずつ、自分のキャリアに対する見方が変わり始めていたのかもしれない。

    遠回りだと思っていた経験には、本当に意味はなかったのだろうか。

    その答えを考えるようになるのは、もう少し先のことである。


    第十五章 点と点がつながり始めた


    キャリアを振り返ると、もっと効率の良い道はあったと思う。

    もっと早く成果を出せたかもしれない。もっと年収の高い会社へ行けたかもしれない。

    もっと綺麗な職務経歴書になったかもしれない。

    新卒で入社した製紙メーカー。

    人材業界への転職。カーエレクトロニクスメーカーへの転職。

    広島配属。大阪異動。新規事業推進部。

    商品企画。そして完成車メーカーへの転職。

    振り返れば、一直線ではない。

    むしろ回り道ばかりだった。少なくとも当時の私はそう思っていた。

    製紙メーカー時代。

    私は業務用紙製品を扱っていた。

    正直に言えば、学生時代から強い関心があった業界ではない。

    しかし営業の基礎は、そこで叩き込まれた。

    顧客のもとへ足を運ぶこと。現場を見ること。約束を守ること。

    数字に責任を持つこと。

    営業の土台は、あの時に作られた。

    人材業界へ転職した時もそうだった。

    周囲からはよく聞かれた。

    「なんで人材業界なの?」

    当時から、理由は自分なりに言葉にできていた。

    ただ商品を安く売るだけではなく、価格以外の価値で勝負したい。

    顧客の課題を聞き、提案で選ばれる仕事がしたい。

    そんな思いがあった。

    結果として私は、企業が人を採用する理由を知ることになった。

    組織が抱える課題。経営者が人材に求めるもの。採用面接で見られる視点。

    そうしたことを学ぶことになった。

    当時は、その経験が後の転職活動につながるとは思っていなかった。

    しかし完成車メーカーへの転職活動では、その経験が大きな支えになった。

    カーエレクトロニクスメーカーへ転職した時も同じだった。

    広島では販売店営業を担当した。

    正直、希望していた勤務地ではなかった。

    大阪で働きたかった。本社に近い場所で仕事がしたかった。

    もっと大きな市場で勝負したかった。

    それでも思った。

    今いる場所で結果を出さなければ、次はない。

    販売店へ通う。売場を見る。店長と話す。

    担当者と話す。競合を調べる。売れない理由を探す。

    その積み重ねが、ドラレコ1000台案件につながった。

    当時は、ただ必死だった。

    しかし今振り返ると、あの時に身についたのは商品知識だけではなかった。

    現場を見る力だった。

    大阪へ異動してからも、その感覚は変わらなかった。

    売場には、本社が知らない情報がある。

    販売店には、数字だけでは見えない事情がある。

    現場へ行かなければ分からないことがある。

    その視点は、今も仕事をする上での土台になっている。

    新規事業推進部もそうだった。

    市場調査。新規事業。海外企業。自治体。実証実験。

    言葉だけを見ると、華やかに聞こえる。

    しかし実際は、地味な仕事の積み重ねだった。

    市場を調べる。電話を掛ける。メールを書く。

    資料を作る。現地へ足を運ぶ。

    仮説は簡単に外れる。

    企画は止まる。協業もまとまらない。思うように進まない。

    それでも私は、事業を作るとはどういうことかを学んだ。

    販路はあるか。製造できるか。利益は出るか。

    継続できるか。

    今でも新しい施策を考える時、無意識にその視点で物事を見ている自分がいる。

    商品企画もそうだった。

    正直に言えば、当時は面白いと思えなかった。

    コストダウン。原価改善。利益率。

    自分は売上を作る側にいたい。

    そう思っていた。

    しかし今は分かる。

    売上を作ることと同じくらい、利益を残すことも重要だ。

    事業は売上だけでは成り立たない。

    その視点を知れたことも、決して無駄ではなかった。

    そして完成車メーカーへ転職した。

    すると面白いことが起きた。

    それまで別々だと思っていた経験が、少しずつつながり始めたのである。

    人材業界で学んだヒアリング。

    販売店営業で培った現場感覚。

    新規事業で身につけた市場を見る視点。

    商品企画で学んだ事業の収益構造。

    それぞれは全く違う経験だった。

    当時は、その経験が将来何につながるのかなど分からなかった。

    だから私は、何度も考えていた。

    なぜ広島なのか。

    なぜ新規事業なのか。

    なぜ商品企画なのか。

    なぜこの転職なのか。

    しかし今は、少し見方が変わった。

    その時には意味が分からなかった経験にも、後になって意味が見えてくることがある。

    希望していた配属ではなかった仕事。

    思い通りに進まなかった異動。

    遠回りだと思った経験。

    そのすべてが、別の場所で役に立つことがある。

    もちろん、苦労しなくていいと言いたいわけではない。

    遠回りを勧めたいわけでもない。

    できることなら最短距離で進みたい。私もそう思う。

    それでも、過去の経験が今の自分を支えていることは確かだった。

    振り返れば、私のキャリアは決して計画通りではなかった。

    希望通りの異動ばかりでもなかった。納得できないこともあった。

    遠回りだと思ったことも何度もあった。

    それでも、その時々で自分なりに動いてきた。

    目の前の仕事に向き合ってきた。

    分からないことを学んできた。

    人に助けられながら前へ進んできた。

    遠回りだったと思っていた。

    けれど今は少し違う。

    あの経験があったから今がある。

    そう思える出来事が、少しずつ増えてきた。

    遠回りに見えた道も、振り返れば一本の道になっている。

    そのことに気付き始めた時、私はようやく自分のキャリアを肯定できるようになった。

    そして最後に、もう一つだけ言葉にしておきたいことがある。

    入口は選べなくても、動き方は選べるということだ。


    最終章 入口は選べなくても、動き方は選べる


    人生には、自分で選べることと、選べないことがある。

    会社にも事情がある。組織にも事情がある。景気にも左右される。

    自分の力だけでは変えられないこともある。

    配属先を選べないこともある。

    異動を選べないこともある。

    上司を選べないこともある。

    希望していた仕事に就けないこともある。

    私もそうだった。

    思い通りにならないことは、何度もあった。

    そのたびに、不満もあった。悔しさもあった。不安もあった。

    それでも、すべてを環境のせいにしていたら、前には進めなかった。

    選べないものはある。

    けれど、その場所で何を学ぶかは自分で決められる。

    誰と出会うか。

    何に挑戦するか。

    どう行動するか。

    それも自分で決められる。

    完璧な選択を探し続けるより、選んだ場所でどう動くか。

    振り返れば、その積み重ねが今につながっていた。

    私は決して特別な人間ではない。

    華々しい成功を続けてきたわけでもない。

    失敗もした。遠回りもした。

    思い通りにならないこともたくさんあった。

    それでも、そのたびに動いてきた。

    分からなければ聞いた。

    知らなければ学んだ。

    納得できなければ考えた。

    違うと思ったら環境を変えた。

    キャリアは一本道ではない。

    寄り道もある。回り道もある。

    立ち止まることもある。

    それでも前へ進み続ければ、いつか点と点がつながる瞬間が来る。

    少なくとも、私自身はそうだった。

    今、仕事に悩んでいる人がいるかもしれない。

    異動に悩んでいる人がいるかもしれない。

    転職を迷っている人がいるかもしれない。

    自分だけが遠回りしているように感じている人もいるかもしれない。

    焦らなくていいと思う。

    今の経験が将来どう役立つのかは、その時には分からない。

    私も分からなかった。

    ただ一つ言えることがある。

    目の前の経験を無駄にしないこと。

    どんな仕事にも、学べることはある。

    どんな環境にも、出会いがある。

    どんな経験にも、後から意味が見えてくることがある。

    その意味が見えるのは、ずっと後かもしれない。

    それでも前へ進む。

    入口は選べなくても、動き方は選べる。

    それが遠回りばかりだった私が、最後にたどり着いた結論である。


    あとがき
    読んでくださった方へ


    ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

    この作品は、最初からきれいなキャリアを歩んできた人間の話ではありません。

    希望通りに進まなかったこともありました。

    遠回りだと思ったこともありました。

    納得できない異動もありました。

    向いていないと感じた仕事もありました。

    それでも振り返ると、その一つひとつが今の自分をつくっていたように思います。

    私はこれまで、自分の経験を文章にすることに、少し抵抗がありました。

    特別な成功者でもない。

    大きな実績を残したわけでもない。

    誰かに誇れるような、きれいな経歴でもない。

    そんな自分が書いていいのだろうか。

    そう思うこともありました。

    でも今は、普通の会社員だからこそ書けることもあるのではないかと思っています。

    思い通りにならない異動。

    転職への不安。

    新しい職場で、また新人になる感覚。

    向いていない仕事に気づいた時の戸惑い。

    それでも、今いる場所で何かを掴もうとする日々。

    そうした経験は、特別な成功談よりも、誰かに近いものかもしれません。

    文章を書くことは、私にとってゴールではありません。

    自分が経験してきたことを言葉にし、同じように働き方やキャリアに迷う誰かへ、情報や経験のバトンとして渡していく。

    そのための一つの方法だと思っています。

    この作品が、今いる場所で悩んでいる方にとって、ほんの少しでも考えるきっかけになればうれしいです。

    そして、もし今の仕事やキャリアに迷っているなら、焦らなくても大丈夫です。

    今の経験がすぐに意味を持たなくても、後になって自分を支えてくれることがあります。

    入口は選べないことがあります。

    でも、動き方は選べます。

    最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


    これまでの経験を、次の一歩にどうつなげるか整理したい方へ。
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    自動車・モビリティ業界で営業・事業開発に従事。 転職、異動、新規事業。遠回りしてきた会社員だから書ける、キャリアと仕事の話。 「最初から正解を選ぶのではなく、動きながら選択肢を増やす」をテーマに発信しています。

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