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神保町に行くたびに胸が痛む──短期間で辞めてしまった会社のこと

    誰にでも、
    思い出すたびに少し胸が痛む場所があると思う。

    私にとってそれは神保町だ。
    本好きにとってはたまらなく楽しい場所だけれど、
    私にとっては、10年以上前にたった1ヶ月で辞めてしまった会社のことを思い出す街でもある。

    当時の私は今よりも未熟だった。

    そして、その未熟さで人を傷つけた。

    今回の記事では、あの時期のことを思い出しながら、赤裸々に書いてみようと思う。

    最初の会社を2年で退職

    まずはその神保町の会社に通うことになった経緯を語りたい。



    社会人になって、最初に入社したのは都内の100人規模くらいのデザイン会社。
    初めての社会人。初めての会社。初めての業界人。
    そこでの仕事は、何を見ても、とてもキラキラして見えた。

    具体的な業務は、
    タレントやアイドル、お笑い芸人、スポーツチームのグッズ、
    ロゴ制作や音楽CDジャケットのデザインなどがメインだった。

    新入社員だったので、手伝いや先輩のアシスタント的な業務が多かったけど、
    誰もが知っているような有名人と関わるようなデザインの仕事だったり、
    目に見えて自分が関わったものが世の中に流通していく様を見ることができたので、とにかくわかりやすく華やかな仕事にやりがいを感じていた。
    自分はこの仕事を一生続けるのだと思っていた。


    ところが…
    入社2年目にも満たない頃、なんと会社都合退職となった。
    あの頃は震災などの影響で大変な時期でもあったので、会社の経営方針転換による人員整理の対象になったのだと思う。

    上司は優しかったし、転職の支援もしてくれた。
    だけど、私は本気で「戦力外通告を受けたんだ」と解釈してしまっていた。
    それはそれは、落ち込んだ。目の前が真っ暗になった。

    苦しかった転職活動

    最初の会社での毎日が、とても充実していた。
    仕事内容も刺激的で、とても天職だと感じていた。それだけに、退職後は心にポッカリ穴が空いた気分だった。
    そして、ただの被害妄想ではあるけれど、自分は戦力外通告されたのだなと感じていた。無力感がずっと続いた。


    失業手当を受給する手続のためにハローワークに通って長時間の説明を聞いたり、書類を揃えたり。
    正直本当にめんどくさかったし、なんかそういうところに通わなければならないことに対して絶望的だった。でも同じように通っている人もたくさんいて、その存在に少し勇気づけられたりもした。

    受給手続きの後は、「職業相談」にも通ったりした。
    窓口で履歴書や職務経歴書の書き方などを親身にアドバイスしてくれたり、添削してくれたりする。
    その時の私の担当の方は50代くらいの穏やかそうな男性だった。
    職務経歴書とか…2年も実務経験を積めなかった私にとっては、書くこともなくて全く書き方が分からなくて不安だった。
    そんな中、担当の男性が
    「いや、IllustratorとかPhotoshopとかを使いこなせるのは立派なスキルですよ。実務が2年に満たなくても、その期間で身についたことはたくさんあるはずですよ」
    と、私の小さな経歴を文章に落とし込める形に言語化してくれた。
    「たとえば、学生時代よりも作業時間が早くなった」とか
    「入稿のやり方を覚えた」とかでも良いんですよ。と言ってくれた。
    この頃の私には、そんな些細な励ましの言葉がとても身に染みた。とても感激した。

    週に何度か通った気がしていたけれど、その担当の方のおかげで少しずつ不安が取りのぞかれていった気がした。
    その人の距離感や、控えめにアドバイスしてくれる感じがとても心地よかった。

    そういえば、あの人に、その後ちゃんとお礼を言いに行けただろうか。

    小さいけど温かく迎えてくれた会社

    ハローワークの親身な男性のおかげで、私は新たな会社に入社することができた。

    それが、神保町にある、
    社長を含め数人の小さな会社だった。
    社員同士の距離も近く、みなさん本当に親切だった。

    雪が降る寒い日に、社長と他社への打ち合わせに出かけたこと。
    その帰りに、ラーメンを食べたこと。
    神保町のシンボルでもある「三省堂書店」を当時は知らなくて、社長に引かれたこと。
    慣れないWindowsのパソコンで、少しずつデザイン仕事をやらせていただいたこと。
    社員の皆さんとランチに行ったこと。
    1人の休憩時間に、なかなかお店に入れなかったこと。
    ご飯を食べずにうろうろ神保町の街を彷徨った時の不安な気持ち。
    温かい会社なのに、何かが物足りないような気がしてしまっていたこと。
    何かずっと心に穴が空いたような違和感があったこと。
    今でも、いろんなことを思い出す。


    そして1ヶ月くらい経った時に、
    「なんか、もう無理かも…」
    と思いはじめた。


    「なんか無理かも…」

    職場の雰囲気もよく、仕事内容もその時の自分に見合ったものだったと思う。
    入社して間もない時期だったので、

    ・制作物の検品作業
    ・見積もりの取り方
    ・印刷会社とのやりとり

    仕事内容はこんな感じだった。入社したての若手だったら当然の内容だと思う。

    なのに、その時の自分は、前の会社と比べて「物足りなさ」を感じてしまっていた。デザイナーだけれど、なかなかデザイン作業ができない焦りのような気持ちがあった。


    検品作業、地味だな。
    見積もりの取り方なんて、興味ないなぁ。

    そしてその"物足りなさ"は、やがて周囲の人を傷つける言葉になっていった。

     
     

    鈴木

     
     
    本、手帳、文房具、絵を描くこと、1人時間が大好きなフリーランスのデザイナーです。 ※amazonアソシエイトに参加しています

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