
# 267 悩める人間:新たなるためらい
梅雨明け間近の京都。
姉小路通を吹き抜ける風は、昼の暑さを少しだけ和らげていた。
東京で病院を経営する内科医、西園寺隆一は、いつもの喫茶店で京都の大学で哲学を教える中井修一と向かい合っていた。
二人は長年の友人だった。
どちらかが教えるわけでも、教えられるわけでもない。
互いに人生を重ね、その都度、新しい問いを持ち寄って語り合う仲だった。
珈琲を一口飲んだ西園寺が静かに口を開いた。
「私は長い間、人はためらうべきだと言い続けてきました。ためらいは弱さではなく、人間らしさそのものだと思っているからです。」
中井は静かにうなずく。
「私もそう思います。ためらいがあるからこそ、人は自分を問い直せるのでしょうな。」
しばらく沈黙が流れた。
店の外では、一人の舞妓がゆっくりと石畳を歩いていく。
その姿には急ぐ気配がなかった。
西園寺は窓の外を見つめたまま続けた。
「ただ、この頃、一つ気になることがあるんです。」
「ほう、どんなことでしょう。」
「ためらうことは大切です。しかし、決断できないまま、その場で固まってしまうのは違う気がするんです。」
中井は少し考え、ゆっくりと言った。
「考え続けることと、動けなくなることは、別のものですな。」
「ええ。若い頃は、立ち止まること自体が悪いと思っていました。しかし今は逆です。立ち止まらない人のほうが危ういと思うようになりました。」
「けれど、立ち止まったまま石になってしまってはいけませんな。」
中井の言葉に、西園寺は深くうなずいた。
「そこなんです。ためらいが長引いて、身動きが取れなくなったとき、人はどうすればいいのでしょうね。」
中井は珈琲碗を静かに置いた。
「固まっている間、人は考えているようで、実は同じところを巡っているだけです。問いが死んで、不安だけが残る。」
「問いが死ぬ……。」
「そうなったら、一度、その場を離れることでしょうな。」
「離れる……。」
「西田幾多郎は、考えが行き詰まると、決まって銀閣寺のほうまで歩いたそうです。机の前では動かなかった思索が、歩いているうちにほどけてゆく。あの道が哲学の道と呼ばれるのは、そのためでしょうな。」
西園寺は、ふと若い頃のことを思い出した。
「私にも覚えがあります。研修医の頃、どうしても診断のつかない患者さんがいましてね。何日も検査データとにらめっこして、夜も病棟に残って考え続けました。しかし、考えれば考えるほど、同じ結論の周りをぐるぐる回るばかりで。」
「それで、どうされました。」
「見かねた指導医に、一晩帰って寝ろと言われたんです。悔しかったが、従いました。翌朝、病院へ向かう電車の中で、ふと、見落としていた症状のことを思い出した。まるで、離れていた間に、頭の中で誰かが整理してくれていたようでした。」
「机の前で唸り続けていたら、その朝は来なかったかもしれませんな。」
「ええ。あのとき私は、考えていたのではなく、ただ固まっていただけだったのでしょう。」
中井はゆっくりとうなずいた。
「逃げるのとは違います。歩くのでもいい、本を読むのでも、誰かと話すのでもいい。問題から少し距離を置いて、頭の中を整理する。そうしてから、もう一度、同じ問題にぶつかってゆくのです。」
「距離を置いたぶん、問題の見え方も変わっている。」
「そうです。同じ問いでも、向き合う自分が新しくなっていますから。」
中井は穏やかに微笑んだ。
「私はそれを、『新たなるためらい』と呼びたいと思うています。」
その言葉に、西園寺は目を細めた。
「新たなるためらい……。」
何度も心の中で繰り返してみる。
不思議と、その言葉には前へ進む力があった。
ためらいを捨てるのではない。
ためらいの中で固まってしまうのでもない。
行き詰まったら一度その場を離れ、頭を整理し、もう一度、同じ問題にぶつかってゆく。
その繰り返しこそが、人を成長させるのかもしれない。
店を出ると、夕暮れの光が町家の格子を淡く照らしていた。
西園寺はゆっくり歩きながら、これまでの人生を思い返していた。
医学を学び、病院を経営し、行政や医師会の仕事にも関わってきた。
そのたびに迷い、ためらい、決断してきた。
思えば、固まって動けなくなったことも一度や二度ではない。
そんなとき、自分を救ったのは、机の前で唸り続けることではなかった。
散歩であり、一冊の本であり、誰かとの何気ない会話だった。
場を離れ、また戻る。
そして、新しい目で、同じ問題にぶつかってゆく。
京都の夕暮れは、そんな人間の歩みを急がすことなく、ただ静かに見守っているように思えた。