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エッチブック・スタンド・バイ・ミー

     大切なものは目に見えないなんていうのは、目に見える大切なもので満たされているから言えることだ。当時の僕はそう思っていた。宝物は目に見えるものだけだったからだ。でも、目に見えるものはいつか失われる。現に、老朽化した祖母の家が建っていた場所は更地になった。幼い頃大切にしていた玩具やゲームは、瓦礫と一緒に消えた。

     幼い頃に、同じような経験をした。お宮の裏に作った秘密基地。あのとき、僕はどんなことを考えていただろう。

     小学校に上がって、三年生の秋頃だったと思う。当時、家の裏手にある神社は地元の子どもたちから「お宮」と呼ばれていて、みんなの遊び場だった。境内は公民館が併設されている以外に何もなく、参道のほとんどは砂利が敷かれているものの、本殿の正面は正方形の広場のような形で地面が剥き出しになっていて、ちょっとした公園くらいの広さがあった。そこは誰が声をかけるわけでもなく自然と人が集まり、子どもたちはよく野球やかくれんぼに興じていた。野球といっても外野を配置するほどの広さはなかったし、かくれんぼで隠れられるのは本殿裏の雑木林か、逃げ回るにも本殿を中心に鬼の動きに合わせ対称的に移動するかに限定され、鬼はその両方をケアして探し回るという定石以外は存在しない。やることといえば決まりきっていたけれど、それでも楽しかった。

     その日、僕は境内に一番乗りだった。神社に一番近い場所に住んでいたのは僕だったから、こういうことはよくあった。自転車を停め、賽銭箱の隣に腰かける。誰もいないこの場所は、何の意味も持たないただの空間に過ぎず、退屈だった。遊び場は、遊びが生じることによって初めて遊び場たり得るのだ。今日はマンガもゲームも持ってきていない。ポーチからうまい棒を取り出し、かじる。うまい棒は美味しかったが、時間は無為に過ぎていった。

     今日はもう帰ろうか。来るかも分からない誰かを待っているよりは、家で一人用モードのボンバーマンでもやっているほうがまだ建設的な気がした。諦めて帰ろうとしたそのとき、彼はやってきた。

    「あれ、まだ誰もいないんだ」

     彼と僕は同級生で、互いに物心つく以前から家族同士での付き合いがあった。母親から伝え聞くに、幼児期の僕らはタオルケットを敷布団にするかたちで、転げ回ってはふたりで笑っていたらしい。

     しばらく待って誰も来なかったので、もう帰ろうとしていたことを伝えると、彼は少し考えて、

    「じゃあ、お宮の裏に秘密基地でも作ろうよ」

    と言った。野球やかくれんぼをしよう、と言い出すのと同じ温度感で彼はそう言ったが、僕は最高の提案だと思った。やろう、今すぐに。

     そうと決まれば、まずは偵察だ。神社の敷地は青緑色の金網で囲われていて、その外側、本殿の真裏には、子どもの背丈くらいすっかり覆い隠してしまえるくらいの薄のような植物が生い茂る藪があった。今思えば、間違いなく神社の隣に住む住民の敷地に決まっているのだが、僕らはその場所もみんなの遊び場である神社の一部であると認識していた。僕たちは薄を踏み折って二人分のスペースを作ると、辺りに打ち捨ててあったキリンビールの黄色いケースに腰かけた。それだけで僕たちだけの秘密の場所になった感じがして、僕は既に満足を得ていた。それなのに、彼はさらに最高な提案をした。

    「家から段ボールを持ってきて、もっとちゃんとした基地にしよう」

     僕は自転車を漕ぎ、急いで家に戻ると、祖母に不要な段ボールはないかと尋ねた。祖母は一体どうするつもりなのかと訝しんだが、僕は内緒だと言った。なにしろ、これは秘密基地の壁材になるのだ。かき集めた段ボールは子ども用自転車のかごには載せきれず、僕はお宮まで抱えて走った。息を切らして基地に戻ると、彼は既に持参した段ボールをガムテープでつなぎ合わせ、建築を始めていた。落雷に打たれたような気付き。なるほど、確かに段ボールだけで秘密基地は作れない。ガムテープも持ってきた彼は、間違いなく天才建築家だった。

     段ボールの端と端とをつなぎ合わせただけでは、建造物として自立させられるだけの強度を保つことはできず、木の枝をガムテープで束ねて柱として代用できないか、段ボールを重ねて使うことで解決はできないか、ああでもないこうでもないと言い合いながら、僕たちはなんとか秘密基地を完成させた。感慨深かった。サグラダファミリアを完成させられなかったガウディは、さぞ口惜しかったことだろう。夕方と呼べる時間帯は既に終わりを迎えようとしていて、僕らは明日、再びこの場所に集まることを約束した。

     翌日の放課後、家に戻った僕はランドセルを放り投げ、祖母が生協で購入してくれていたカリカリコーンの袋をポーチに詰め、秘密基地に向かった。そこに彼の姿はなく、僕が一番乗りだった。藪の向こうから聞こえる声からして、神社には子どもたちが集まって何かの遊びに興じているようだった。僕は段ボール基地のなか、ビールケースに腰かけて彼を待った。彼はすぐにやってきた。

    「お宮に向かってる奴らに、どこいくのって聞かれてさ。適当に誤魔化してきた」

     一大事である。秘密基地は、秘密であることに意味があるのだ。僕らは藪の中から顔を出し、尾行を撒けているか確かめた。僕らの認めた限りでは、秘密は保たれているようだった。安心した僕らは、基地のなかでカリカリコーンを分け合いながら、作戦会議をおこなった。議題は、今後の基地内の充実に向けた展望について。マンガは是非とも持ち込みたい。彼の兄が週刊少年ジャンプを購読していたので、バックナンバーを持ち込むことができそうだった。テレビも欲しいが、電源がない。前提としてそういう問題じゃない気もするが、僕らは真剣に考えた。僕は父がラジオ付きの懐中電灯を所持していたことを思い出した。ラジオなら聴けるかもしれない。光源の確保も同時に可能だ。

    「最高じゃん。じゃあオレ、明日はジャンプ持ってくるから」

     秘密基地のことを話し合っている間、僕はずっと心躍っているのを感じた。野球やかくれんぼのように、用意されたルールのない遊びがこれほどに楽しいものであるとは知らなかった。僕らが作戦会議をしている間も、藪の向こうからは何も知らない子どもたちの声が聞こえてくる。僕は、世界を爆弾で木っ端微塵に変える計画を立てているような高揚を感じていた。

     秘密が暴かれるのは、思いの外早かった。翌日、秘密基地のなかには侵入者がいた。それも二人。瞬間、僕はフリーズした。二人も面食らった様子だった。そのうちの一人に、僕は見覚えがあった。チーターだ。

     同じ通学路を使っている上級生で、たぶん五年生だ。誰かがそう言っていた気がする。チーターというあだ名は、よくチーター柄のタンクトップを着ていたからだ。チーターは僕らよりもずっと体が大きく、日に焼けていて強そうだった。ケンカになれば、確実にやられる。そういう恐怖心も手伝って、僕らは陰でそいつをチーターと呼んでいたが、いつのことだったか、目の前でそう呼んだバカがいた。遠くからからかう分には安全だと思ったのだろうが、聞きつけたチーターは当然怒り狂い、鬼の形相でそいつを捕まえた上で通学帽の顎紐を引き千切り、田んぼに突き落とした。猛獣の怒りに触れた者の末路を目の当たりにした僕らは、陰でチーターと呼ぶこともやめた。その存在が今、僕の目の前にいる。

    「なんだ、おまえ」

     チーターは狩る者の眼で(僕にはそう見えた)僕を睨みつけた。冷汗が背中を伝い、首のあたりの毛が逆立つような感じがした。僕はこの場所が、僕と友人である彼によって作られた場所であることを説明した。

    「ここはオレと兄貴が見つけたんだ」

     僕の説明が終わると、もう一人の侵入者はそう言った。どうやら、弟チーターであるらしい。兄にはあまり似ていなかったけれど、チーターがいる以上、物理的な争いに発展する事態だけは避けたい。それにしても、虎の威を借るなんとやらである。僕は弟チーターのことは無視して、チーターに対してここの所有者としての権利を主張し、退出を希望した。手足は強張り、それでも声が震えないように精一杯の勇気を振り絞った。

    「なんだ、そうだったのか。悪かったな」

     僕の心臓は爆発しそうだったが、予想に反してチーターは話の分かる奴だった。弟は不服そうな声を上げていたが、チーターは弟を連れて出ていこうとした。

     その手に、黒い、薄汚れたアタッシュケースを伴って。

     僕は問うた。ソレ、何が入っているの。その質問には弟が答えた。

    「エロ本だよ。羨ましいだろ」

     チーターは弟を小突いた。今思えば気恥ずかしかったのだろうと推察されるが、当時の僕は、弟が安易に最高機密を漏洩したことに憤慨したのだと解釈した。侵入者を追放しようとしている身分で厚かましいことこの上ないが、僕はエロ本が読みたかった。どう伝えようか考える間もなく、僕はほとんど反射的に出ていこうとするチーターを引き留め、見たいと口走っていた。するとチーターは、にやにやしながら言った。

    「俺らの仲間になるなら、見せてやる」

     それは侵入者の存在を許すばかりか、この秘密基地がチーターの統治下に置かれることを意味していた。そもそもここは僕と彼が作った秘密基地だ。僕一人で決めるわけにはいかない。でも、それでもよかった。僕はオッパイが見たかった。二つ返事で僕は仲間になることを誓った。このとき、僕はまだ植民地という言葉を知らなかった。

     小さなアタッシュケースの中には、僕の知らない世界が広がっていた。若い女が露出した胸を寄せ、挑発的な表情でこちらを見つめている。母親のオッパイしか知らなかった僕にとり、それは初めて見る本物のオッパイだった。ほとんどがページの断片ばかりだったが、一部マンガになっているものもあった。それは現代のようなアニメ調の絵柄のものではなくて、劇画のようなタッチだった。ストーリーは全く覚えていないが、異様に覚えているのが、若い男が浴衣姿の妙齢の女性を脱がし、「乳だ!」と吹き出しが出ているページである。昔のこととはいえ、物語性を持った表現媒体のうち、読者の劣情を煽るために書かれたものに「乳だ!」などという台詞回しを用いるわけがないので、確実に記憶違いだと思うのだが、とにかくその瞬間、僕は初めて見るエロ本に脳を焼かれていた。

     そのとき、彼が外から僕を呼ぶ声が聞こえた。彼は僕のもの以外の自転車の存在を認め、不審に思っているようだった。彼は基地の中の存在を視認すると、僕に説明を求めた。僕は僕らの友情が、というか僕自身がオッパイに屈したことを説明しなければならず、それが心の底から情けなかったが、誤魔化すための言葉が見当たらなかったので、結局正直にオッパイに屈したことを告白した。彼は僕を責めなかった。それなら仕方がないといった様子だった。彼もまたオッパイが見たかったのだ。

     かくして、四人の子どもたちによる鑑賞会が始まった。秘密基地が本当の意味で秘匿されるべき場所に変わった瞬間だった。それからチーターは僕らに、目標がよく落ちている場所を伝授した。堤防から河川敷に下りたとある場所。高速道路の真下の茂み。雨に濡れづらい場所であれば、皺になっていないものが拾えることも分かった。

     そうした情報共有の中で判明したことだが、チーターは拾い集めたそれらの隠し場所を探していたようである。自室に保管していたアタッシュケースは、いつ親チーターに見つかってもおかしくはない。どうしたものかと考えていたところ、藪の中にある段ボール製の建造物を発見したのだそうだ。

     そう、完璧に偽装されていると思い込んでいた僕らの秘密基地は、小学五年生ほどの背丈から見れば、外から丸見えだったのである。初めから尾行がどうとか、そういう問題ではなかったのだ。僕も友人の彼もその点は完全に盲点で、自分たちの至らなさを恥じるというよりは、僕らの完全な偽装を一瞬にして見抜いたチーターの慧眼に感服していた。かくして、僕らの秘密基地は迷彩のためのリフォーム―といっても、藪の高さが作る陰に収まるように高さを調整するだけだが―が必要になった。チーターのアイディアで、雨風対策として青いビニールシートも被せられた。改装後の基地は狭かったが、以前よりも強度を増し、僕らにとって大いなる秘密を共有した空間であることに変わりはなかった。

     しかしながら、時間の経過とともに鑑賞会にも飽いた空気が漂い始めた。季節的にも、日陰でじっとしているには寒すぎる。チーターと弟が姿を現す頻度も、目に見えて少なくなった。僕と彼にもかつてほどの情熱はなく、惰性のような時間が続いた。ジャンプとラジオをひとしきり楽しんだ後に、エロ本と出合っていれば、こんな時間が流れることはなかったのかもしれない。エロ本は爆弾だったのだ。

     秘密基地には全く足が向かなくなった。飽きてしまったのもあるが、寒さに耐えられなくなったからである。僕らは互いの家やまた別の友人の家に集まり、スマブラで遊ぶことが多くなった。その友人の操作するネスが強すぎたために、プレイ中は罵詈雑言が飛び交った。それが後に僕らの学級でちょっとした問題になり、学級担任の手によってゲーム中に「死ね」という言葉は使わないというルールが課されることになった。担任が道徳を説いているのを聞き流しながら、僕はどうすればカービィでネスをハメられるかを考えていた。

     四年生に上がる春を目前に、秘密基地が完全になくなっているのを目撃した。お宮の裏にあった藪は綺麗に刈り取られ、土地の所有者がその存在に気付いたのだろう、ビニールシートで耐久度を上げた基地の姿は跡形もなかった。彼にそのことを報告すると、

    「あぁ、どかされちゃったか。まぁ最近使ってなかったもんな」

    とあっさりしていた。あのとき、秘密基地を作ることを決めたとき、彼が野球やかくれんぼを始める前と同じような調子で提案したのを思い出した。彼にとって、あの秘密基地はいくつもある遊びの選択肢のひとつだったのだろう。アタッシュケースもなくなっていたことを伝えた。

    「なんだよ、お気に入りのエロ本がなくなってショックなのか?」

     彼はそう言って笑ったが、なんというか、僕にとってあのアタッシュケースはあの場所のそのものだったような気がして、それさえ残っていれば何も失われなかったような気がしたのだ。でも僕自身、最近は秘密基地の存在すら忘れていたという手前もあるし、それをどのように言葉にしてよいか分からなかったので、何も言うことはできなかった。それに、思い出のエロ本がこの世から消えたことがショックなのもまた事実だったからだ。

     僕は今でも時々、あの秘密基地のことを思い出す。「乳だ!」という吹き出しを含むマンガのことも調べてみたけれど、見つかるはずもなかった。

     妻と結婚して六年が経った頃、祖母の家は取り壊された。僕はその跡地に、自分の家を建てることにした。
     久しぶりにお宮を見に行くと、参道は敷石が敷き詰められていて、もう子どもたちが集まって遊ぶには難しい場所になっていた。藪の中は、わざわざ確認していない。


     
     
    ものをよく かきちらかす

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